AA交響曲 AB ヴァイオリン協奏曲 AC オラトリオ、グロリア、合唱作品 AD 弦楽四重奏、室内楽 AD2 Vnソナタ、トッカータ
AB2 チェロ、ビオラ他協奏曲的 CA 映画音楽 AE オペラ Af管弦楽作品 AG声楽作品その他
やはり、WWの作品で最も、華々しいのは、Vn協奏曲 と並んで、交響曲1番
であろう。
この2曲は、多くを語らずとも 彼の音楽的個性と「力」を表わしているから
、 作曲家自らは、「理論」とも一見遠く、一般に寡黙な態度を通していたともいえる。
だが、一方で
そのむしろ「普遍的 国際的スタイル」にもかかわらず、古典的音楽専門家か
ら、ある種の
疑念を、抱かれる「華々しさ」でもあったことは注意されていい・・・また、その
二次大戦前と第1と後の第2の2つの交響曲がある。後者の初演の時から その作風の変化が話題となり、どちらかといえば、その変化に関して否定的評価は多かったわけ、だ。
とはいえ この2作の関係はエルガーの2曲の交響曲の関係に似ており(エルガ
ーの第三は完成されなかった) RVWやマーラー、ブルックナーのように、ベート
ーヴェンの9曲連続の自伝的創作形態(適当な言葉が無い?又は通時的自画像?)を
,
少なからず意識した人たちの系統に属さないということでもある。
演奏は特にプレヴィンの指揮したものが、一種のスタンダードに扱われること
もあるため
そして
CD時代になって再録音されたものが、そういった取り上げられ方
をしていたので、まず、
それから触れてみます・・が、
1) A.プレビン指揮 ロイヤルフィル 交響曲第1番 &戴冠式行進曲 (TELARC)
プレヴィンがそういうふうに言われるのもWW自らが、生前 APの演奏を高く評価していたという経緯があった
こともある。実際 後で述べる ベルシャザールの饗宴 の録音にWWが、立ち会ったレコードはそれまでのこの曲
の最も優れた録音といってもいいけれど、そのスタイルは、このCDの演奏とはかなり異なっている。
より重厚なCD的響きを求めたっともいえるが、1楽章など全体的に鈍重な印象で、曲の流れに情熱的に接近してい
った旧盤の”ベルシャザール”に比べ、カタストロフに続くべきものがそうはならない緊張感を欠くFホルンの再
現部への入り方や、又ENDINGも、重々しい音が鳴るものの全体の演奏スタイルは単調 何故か単彩な状態となって
しまっている・・。
プレヴィンを考える場合、
やはり、彼がかなりの作曲家であることは、忘れることは出来ない。
最近になって彼の来日は、続いており 今年-99-の五月も、ヴォーンウイリアムスの5番とともに、自作のトニーモリスン
の詩による6つの歌からなる「ハニー&ルー」をやったのが放送された。ミュージカル調の本体に、ベルク風?の無
調部分を少し混ぜ、またジャズ調のドラムセットも嫌味でなく取り入れたオシャレな曲で 、以前私が聞いたことの
ある彼のピアノ協奏曲よりももっと素直に聞ける作品だったが、その自作を、弾き振りする姿は誰だって、バーンス
タインを連想するだろう。実際第1曲の「最初に愛を」も出だしがもうウエストサイドっぽいといえばそうもいえる
ように思う。(ついでに言えばこの演奏会でRVWの5は、APの妙に諦めた表情が印象に残った・・意外な程 弦が
新鮮にきれいに鳴っている所も多かったが、決定的には波のような大きな感覚が生まれないというう点か?)WWと
APの縁も、バーンスタインが60年代頃(注B)からマーラーの交響曲に力を入れていたことと関係がありうる。
少なくともプレヴィンのRシュトラウスは聞いたことがあるが、マーラーは聞いたことがない位印象がない。
反対に彼のRVWはだいぶ前から定番で、それとともにWWへのかっての情熱は、作曲家の本能として、これらの作
曲家の音楽史的ローカルな評価を超えた大管弦楽の作品としての価値の重要性に気づいて先見的に独自路線を対抗馬
的に取ったようにも見えるのだ・・・。
また彼の演劇的センスもベルシャザルのような音楽には、大きなプラスとなっている。とはいえ、交響曲1番のよう
な音楽の演奏の場合、まず彼の先駆的な非ローカル的解釈で評価を与えるべき旧盤でも、多数のCD盤が並ぶ今日、悪
くはないが特別すぐれたものとは、いいがたい。
【ここは1999年11月頃、記述・・】
2) ブライデン トムソン指揮 ロンドンフィル (CHANDOS)
・ 交響曲1番 & オーケストラのためのバガテル(Varii Capricci)
・ 交響曲2番 & トロイラスとクレシダより4つの情景(symphonic suite)
シャンドスの全集盤の主要メンバーのひとりだが、完結前に この交響曲1番等(24Feb1990)の録音
の少し後でまだそんな年齢でなかったのに、亡くなってしまった・・(15Nov1991-63YO)
シャンドス盤の記載された録音時期によるとBTが先に発表した2番(REC-28April1989)は、ウォルトン
後期の代表的スタイルの作品となる。
その2番が初演当時はかなり不評もあったというのは、結構想像しうる事態ともいえるだろう 。一見すると
2番は、如何にも”殺風景”の印象与えるわけだ。というのも、非常にイギリス国内では好評だったハズの
前作の1番は 特別な心理を生み出す曲でもあり、 ある切実さで”解答”を求めおさまらないというような感覚
で、又 これは すでに1番の内部ですら、起こりうる。(1、2、3楽章のみのでの特異な1933年の初演・・・)
なかなか書くことを作曲者がためらった4楽章が、強引さで凱旋的となり、そして勿論、そこにその”解答”は
なかったし、また 一見すれば(注@↓)2番は曲調からも、そういう延長にはないとういうのが やはり問題と
なろう。
・・このことは1番が、かっての批評(FrankHowe)にあった”アビシニア侵攻”の予感との関係、また作者自身
による、後年の”恋愛の終わり・・”という軌道修正発言も含めて其の時代の激しいムードを、最も直接的に示し、
誰もが意識できる ような性格を持ち、実は2番の印象も、同様に戦後のある空虚なガッカリさせる状況とまた直接
つながってることによるといってもよい。
曲自体の責任というより、同時に第2番の初演の印象は 少なからずwwの作品が交響曲本来の”市民社会的ジ
ャンル”という本質を他に比較する例がない程強く持ち、それを隠せないことに由来するのである..。
とはいえ、この対比的な一見”殺風景な”第2番の良さを広く認めさせるに大きな力となったのは、ジョージ セル
”George Szell”である。
1番と2番の対比性は、ある程度表面的で、全体が4楽章式、3楽章式との違いも、始めのソナタ形式の楽章、中間の
生々しい苦痛の情緒的メロディーの楽章、結末で要素が再現する独特の序奏的部分を伴うフーガ風の処理を核とする
最終楽章の共通性を持ち、1番1楽章のスコッチスナップのリズムを伴う第1主題の変ロ短調が、より刻まれた伴奏
のリズムで2番のト短調を感じるもののよりクロマテックな変化音を持ったものとなるのに比例して、旋法的メロデ
ィーのスリリングに各調子の波の中を潜り抜けて行く事への興味から、整然とした視覚的構造のニュアンスへの興味
に移っただけともいえる変化でもある。
むしろ ポストウェーベルン派が元気だった初演の1960年という時代を考えれば、控えめすぎる程の差異点で、そこ
には複雑化させられる要素を自然に「発展させた」といった方が良い関係があることを、見て取れるし、一見乾いた
中に1番と十分連続する緊張感 と作曲者のある種の発展が示される 新たな”音楽”がある。そしてそれを引っぱ
り出せる力を持っていたのがジョージ セルであったといえるだろう。実際 彼により ”英語圏”でこの第2番の評価
は定着した。(-CBS盤 後述--)
ブライデントムソン盤の2番の特徴は、そのセル的定番解釈に 現在までの演奏家たちの 中で最も違った性格
を付け加え得たことである。それは、冒頭の第1主題の提示ですでに現れる・・・・【ここ迄1999年11月頃、記述・・】
また、そういう性格は1番の演奏にもハーティーの延長という別の形で顕れ、とりわけ独特の感覚を持つ2枚
の盤になっている。これは、ウォルトンの交響曲のある要素を発見したとすらいえて、実は、決して小さな事
ではない。こういったことは、ブライデントムソンの指揮者としての視点が、むしろ、根本的な ”ある新し
さ”を持つことに関係していることでもある。そして、それはこの人の他の録音全体を迂回して見た方が想像
しやすい問題となる・・・ (追記、2001年3月&2002年9月--下2行と全文段区切り?)
→(・・・note:『ブライデントムソンの幾つかの録音から・・』)
3) ハミルトン ハーティー 指揮 ロンドン 響
交響曲 第1番 (LONDON)
1934年の1,2,3楽章のみでの初演は、このハミルトンハーティーの指揮、ロンドン交響楽団で行われたし、
全曲演奏の初演も、ハーティーが、BBC交響楽団と35年演奏している。そして、その演奏会から1ケ月後の
1935年、12月のこの世界初録音盤も、ハーティー指揮によってロンドン響とで収録された。とはいえ、
この曲はそもそもハレ管で演奏される予定であったそうである(Bryan Crimpなどの記述の情報を参考に
すれば・・)。ランカシャー州(ピューリタン革命の年に生まれたニュートン1642−1727は同じ
ランカシャーの人でもある・・これは大間違いでしたLancashireはイングランド西北部でニュートンは、
イングランド東部にある州Lincolnshireリンカーンシャーです。全くすいませんでした。2010.3.12)
の大きくない都市オールダム生まれのであったウォルトンは同じ州のマンチェスター(これも隣の州cou
ntyのグレーター・マンチェスターGreater Manchesterの間違いです。書いた当時、一応 地図を見て境
界を調べたつもりだったたんですけど見間違いです。だだ、割と近いということは本当です。こういう変
な間違いは、上の間違いと共に、われながら不味いなと思いますね。間違いは直そうとして、時々見てい
るんですけど案外気づかなかったのです。上と同じく2010.3.12)
にあるイギリス最古の最も代表的なオーケストラ、ハレ管に当然関心があったらしい。そこで
1920年から、首席指揮者として活躍していたハーティーにも注目していた。それで「ベルシャザール」の
成功で脚光を浴びていたウォルトンは、ハーティーの指揮のハレ管で新しい絶対音楽の作品を提供する
のを約束することになったようだ。が、ハーティーが33年ハレ管からロンドン響に移ることとなったため
ハレ管でなく,LSOに自動的に予定変更されてしまったということになる。この初演がハレ管で行われてい
たらどうだろう?と想像する事はゆるされるだろう。43年から、そして首席としては59年から指揮者とな
るイタリア系イギリス人?バルビローリによって、より国際的な注目をあつめる楽団となるのだが、バル
ビローリによって、彼独特の明るいが濃密なニュアンス付けに強力に性格を変じられる以前の楽団は 今日
とかなり違った感じであったらしい。そして、それはハーティー的キャラクターでもある。ただ残っている
部分もありそうだ。流麗な感じを貴ぶことと、無機的、硬直した威圧性を避けようとする傾向は以後も特徴
としてあり、ハーティーの演奏の方向も本来そこにあるようである。又戦前のヨーロッパのオーケストラの
音は、戦後とかなり違うという事は、時々言われることだが、それは単に指揮者が変わるということ以上に
アメリカ的な管の響きのセンスの流入に大きな原因がある。LSOで行われた、この初録音盤でも戦前、戦後の
感覚の違いは、これを聞く時の大きなポイントとなる。勿論、1935年の78回転のSPが元となったものだから、
CDの並みの分解された聴取は不可能だが、それでも その当時のオーケストラ演奏の録音としてはかなり、
良い方で、十分 鑑賞は出来る。(ただ、これはLP化したとき、断裂部の修復他、改良が加えられたそうで
元々は録音状態に問題点のあるレコードだったそう・・) 第1楽章冒頭のオーボエの第1主題といえる部分
のソロはハッキリと奏されるが、同時に響きは かなり鄙びた感じがやはり今日とは違った印象を全体にあ
たえる。一方、そのあと第2主題呈示に続く、ビオラ、チェロの飛び跳ねるようなリズムは鋭く生きている
わけで、単純に古めかしい演奏とはいえない。パリっとした戦後のオーケストラの響きになれた耳には、こ
のオーボエような音には、抵抗を感ずる訳だが、単に録音の古さゆえの不安定さでないこういった 「湿った
音」の判り易い類例は、EMIでのソロモンのピアノの響きを考えてみるといいかもしれない。それは楽器の
固有の音というよりも、響きの好みなのだが 最初は地味に感じる鳴り方も、良く聴けばちゃんと弾いてい
ることがわかるし、ある種上品な持続感を作っているのである。脳卒中でピアニストの活動を断念してしま
うまでの戦後の10年間位のものが、ソロモンの代表的レコードだが彼は基本的に発想は戦前のヨーロッパの
センスの人で、物質主義的ドライな戦後の人でない。その優秀さに気づけば、この響きにも魅力を感じるよ
うになるし、ハーテイー指揮のロンドン交響楽団にも共通する響きのこの傾向は ヨーロッパ社会の時間の
継続から生じているのであり、今1930年代を考える時、この響きの感覚を無視するとズレてしまうこととなる。
(ちなみに、ソロモン独奏、ハーティー指揮、ハレ管のチャイコフスキーピアノ協奏曲1番の録音が残って
いる・・・・)戦後、国際的にはハーティーの名声はそれほど残っているとはいえない。それはある伝統
が絶えたからでもあろうが、彼が決してのんびりした反現代的な指揮者でなかった事は、このウォルトンの
演奏にちゃんと現れている。第1楽章の展開部の頂点に至るまで、流線形のスピーディーな運動性にそうとうな
までにこだわって、一気に駆け抜ける。そして、それは終楽章の演奏でより現れてくる。今日まで録音され
た相当数のレコード中でもかなり早めの方のテンポが全般に維持されるがその事だけが問題である訳でない。
(※ハーティーの演奏は、快速な部分になると明らかに音楽が生き生きとしてくるし、そこが今日も古く感じないところ。
一般に古い初期の録音は、却って速いテンポがとられていることが多いのは事実だが、たんにせかせかしているだけに聞
こえるものがほとんど。またむしろ今日の演奏はもっとたっぷりとしっかり鳴らす傾向がある。とはいえもっと古い時代
はやはりゆったりとのんびりした感じで、また時に名人芸的に勝手に演奏したのが普通なのだろう・・・
・・・エルマンなどのようなひとの演奏の向こうから通して見えてくるもの??2002/7/28)
4楽章の冒頭は、ファンファーレ的効果の序曲のスタイルを持っているが、結局 この部分のメロディーが、
主題として4楽章の中心部を構成する事となる。この大きな規模の肯定的で非常に活発な性格の4楽章の構造は、
他のどの有名作曲家にも多分見当たらないような特殊なものであり、工夫していろいろ整理してみることも
出来ようが、聴取者の実際に受けとるものを重視するなら、私はブクステフーデのプレリュード・フーガ形式
のようなものを類例として考えた方がいいと思っている。すなわち、ブクステフーデの有名なト短調のものは
、第1部分として、6連譜の連なった序奏部分、そして第1フーガ、アレグロの間奏曲、再び第2のフーガ、
最後にコーダの部分となる。こういった2つのフーガを2つの核にして全体を繋ぐために出来た形式。ウォル
トンのこの曲も、続く流動的な性格の部分がきた後、(練習番号112)最初の序奏部分の要素を長く引き伸ばし
た主題を持ったフガートな書法の部分、そして序奏部分を骨格的標本的に移し替えた部分を挟み、再び今度は
似た素材をクロマテックに変形させた主題からの第2のフーガートな書法の部分となり、最後にマエストーソの
最初の序奏とほぼ同じものが使われたコーダとなる(間に特有のコロニアル的気分のpp、pの部分がはさまる)。
ともに間に静かな部分をもつこの2つのフガートな書法を持つ部分は、本質的に構築的な西洋音楽の最も
集約的な形態となるフーガ的思考に属するもので、ブクステフーデのそれと同じく、西欧的思考を推進する
2重の回路として(又JSBの平均律の形式よりドラマと融合させやすい・・ )使用されるし、2つのフーガは強 ※※
制する規則によって圧縮装置として続くものを加速するが、ブクステフーデの場合普通は、フーガ自体は割と瞑
想的な音楽でもあるのに対して、この交響曲の場合はフーガ的なものがそもそも運動的な面が強調されたものに
なって、スケルッツオ的な音楽などに連結される。だからハーティーの 流動する音が、異常なまでに突き進む
音楽にこだわってやっているのは、この曲の本質の一面を正しく表わしている。実際、指揮者にとって山あり谷
ありのこういった音楽は、「自作自演する作曲家の指揮」の根本的に手に余る類のものだが、初演の困難を考え
ればハーティーは高い賞賛に値する洞察と手腕で、オーケストラを操ってこのスピードのある流れを生み出させ
ている。少なくともこの終楽章に限っては現在のCD時代に至っても、このハーティ盤は最も優れた演奏の代表で
あるといっていいとおもわれる。
(1926年録音/自作自演 With The Wild Geese の猛突進の手綱さばき!の音楽と似た要素でもあるが・・・2002/7/24)
ただこの4楽章は、ウォルトン自身が心配した「あと知恵の音楽・・」には決してなっていないが、1楽章
程の<霊感>に達しているかは、考えていいことである。そもそもイギリス人のフーガは、一見粗雑なものに
見え、場合によっては弱点にも受け取られうる。(ベンジャミンブリテンのフーガも含めて。ただ私にはそう
とばかりも言えないと思われる。→後述「スピットファイア前奏曲とフーガについて」 )ハーティーは、優れ
た作曲家でもあった。20歳の時にアイルランドから、ロンドンに出て「ブリリアントな」ピアノ伴奏者と
して音楽活動を始めたそうだが、作曲作品はアイルランドの想い出によるものが多い。アイルランドの伝説
による「ザ チルドレンオブリアーThe Children of Lir」などは、魅力的なところも多いが やはり30
分オーケストラ音楽として純粋に持つ作品かは疑問に感ずるにせよ、
(※この作品に関しては、晩年の作曲者が39年に初演したプログラムからの長い曲の進行内容説明であるかなり詳しいノートが
残っている。”リアーの子供たち”とは、アイルランドの3つの悲劇的伝説中の一つで、リアー王の子供、娘フィノラと3人の男
の兄弟が共に、 継母の呪いで白鳥に変えられ千年、アイルランドの国中 彷徨させられる・・・という話。作曲者の説明は冒頭の
嵐の海の描写や、災いにもめげず子供たちが呼び掛けあい強くなっていく姿。次に動きをもったアレグロ・ブリオーソでのち全曲
を通し出てくる開けた海の主題が現れ、それが白鳥になった子供たちの失った想い出への悲しみと情熱を表した部分へ続くという
風に以下解説していく。海は常に大荒れでもなく、穏やかで明るい青空の時の描出もある。続くスケルッツオ部分で一つの頂点を
迎えた後、レシタティーボ的部分でソプラノソロのフィオナが疲労と復帰への日々の長さを言葉のない歌をうたう。その部分の後
また海の主題がで戻ってきて、アレグロの音楽をやる。その後、切迫した新しい音が鳴り、白鳥としての生活の終わりを思わす。
最後の障害を乗り越えるシーンになりまたフィノラの歌が加わってきて、一声大きく叫ぶと、鐘が鳴り、その音で子供たちはかっ
ての元の美しい姿に戻る。しかし、それは一瞬で すぐに時間が彼らを襲い老人へと変えてしまう。(この結末の音楽はウォーロ
ックのカ-リュ-を連想さす木管の導く魅力的なものだ)そして、エピローグ的な穏やかなシーンに直ぐになり、彼らはキリスト教
徒としての洗礼を受け教会で死を迎える。音楽は全曲のイントロの部分のムードになる。教会の鐘が遠くで鳴り、フィノラの歌が
オーケストラで奏される瞑想のあと短い海の断崖を見下ろす音楽で締めくくられる・・・。
その説明を簡単にすると、以上のような話なのである。しかしながら、いきなり音楽だけを聴いただけでは想像出来ない内容で、
同じように描写的音楽で、鐘の音のクライマックスで魔法が解ける『はげ山の一夜』などに比べると、そちらが、すぐに、音楽の
大きな構成と展開が掴みやすいムソルグスキー=リムスキー・コルサコフのものに対して、こちらは、全編デリケートな動きの歌
の連続で簡単に掴めない。しかも、『禿げ山・・』の3倍弱の長さで、歌詞もないから、上の解説を照らし合わせれば、各部分の描
写に感心するものの大きな流れが出にくい類のものなので、このプログラム無しで考えればオーケストラ音楽としてやはり、その
ままでは困難な問題を持つものに属すだろう。
ただ、以前のヴァイオリン協奏曲にあったような一般的なロマン派の語法でもなく、Rシュトラウスのようなやり方(エネルギーの
発散原理の構成?)でもなく、ここまでデリケートな歌に拘るというのはやはりひとつの独創性で、ハーティーが自身の語法を純
化していった挑戦の典型なのかもしれない。ウォルトンの交響曲に接したことも当然関係あると思われるし、ああゆうやり方と別
のロマン派からの一つの徹底した精華?(ひとつはその純化という意味で歌詞のない歌なのか?)
この作品のテーマは、アイルランド人のピュアな心がキリスト教にちゃんと出会うのが遅すぎ、困難に彷徨い、遅れてやって来た
ものの衰退の悲哀を味わっている・・・・・・・・みたいなことだとも思うが、WBイエーツにあるような白鳥のイメージを根本に置き、
その意味でもロマン的であり、民族的でもある。この音楽は、純粋だが緊迫した旋律が魅力だが、その存在が強くて一本にまとめ
られたようなカンジになり、そこに打楽器のアクセントと、散発的に副次的な音の線が絡むという、充実した音の流れがあるとい
うより、かなり隙間のあるものだから、どちらかというと音楽を膨らましていった方が収まりやすいように思える。Bトムソンは、
RホームズとのVn協奏曲は名演奏といえるものだし、その他のハーティーの作品集も優れたものだが、この曲のCDに関して云えば、
部分的にはとても立派に鳴って、魅力的な所も多い、けれど、力を込めて整然と演奏しているがゆえに、却ってこの曲の夢幻的な
部分がハッキリし過ぎて、少々骨筋張った感じがずっと続く印象がある。(グールドがビゼーなどの音楽を演奏した時の骨筋張っ
た印象に少し似ている・・)そういうことで、残念ながら演奏との相性がもうひとつであるのかもしれない。やや単調だと思うと、
ハリウッド映画風の甘さにも少々近寄って聞こえても来る。多分、Bトムソンは、Geeseなどの作曲者自身のハッキリした演奏を
意識して、さらにそれを整理し、CD的な音作りをやったようにも思える。とはいえ、このような作品の場合は、音楽がその本来
のロマンテックなものを自然に身近に出来る時代でこそ、あるべき変化がつけられるのかもしれないが・・・・2002/7/28)
Vn協奏曲や管弦楽曲・ダブリンの歌による変奏曲などは十分もっと演奏されてもいいものと思う。
ただ、彼の作曲作品は当時のありふれた民族主義風味のロマン派音楽の範疇に入り、その同時代の他の作曲
家たちの作品群と比較しても冒険的要素は少ない。印象派的な瞬間の思想にも割り切って向かえないし、R
シュトラウスら世紀末派の毒々しさにはなお遠い。良識的な思想の限られた範囲で、良心的な仕事をすると
いうあえて云うなら、「作曲もした指揮者」の作品として最も優れたもの。
もちろん、こう言うのは、この人の一般に認知の低すぎる優れた指揮者としての”天分”を、考えるという
ことではある。(他に見られないほどの、クオリティの高い親密な上品さを持った部分から、考えればバー
ンスタイン以上の天分とでも言いたくなるわけで・・・・・・。)
実際、彼のこのWWのSymNo1の指揮全般においても、実はこの種の毒の無さpure?が、見て取れる。ハーティ
ーはベルリオーズやメンデルスゾーンに定評があったそうだが、本来 モダンで流線型スタイルをとる一方
優雅な品位の指揮者であったようだ。だから、WWのこの交響曲にあたっての献身的な努力は、むしろ、自己
を殺してやっていることで、例えば 1楽章のコーダのほぼ金管のみのコラールの少し前、バスが、B♭から
Aに変わり、一時転調してアテンポベンテヌートでゆっくりになる前、アクセント記号が付けられた4つの
8分音符でオーケストラの流れが急停止するようなところは、最近の指揮者なら大体、「ドスをきかせた?」
重い響きで少しゆっくり目になるのだが、ハーティーは楽譜のallarg・・・moltとして、むしろせきこみ
駆け込むというだけの感覚になってしまう。こういう点は第2楽章の有名なcon,malizia(悪意をもって)と
いう発想表示ところだと、物足りなさとして現れる。勿論、この発想表示は、単純な日常的悪意と全く違う
のだが、本当はあるニュアンスが必要であり、これをハーティーは突き進むことのこだわりに変えてしまう
。ハーティーのこのやり方は、ある意味 上品で高尚でもあるけれど、”下半身”のないようなこのような
テンションの高さは却って破滅的な危険と裏腹になってしまう。(これも当然世相の反映ともいえる・・)
確かに、ある種WWの演奏には、多少なりとも「毒」めいたニュアンスを与えることは必要なのだが、第3
楽章、anndante con malinconia(憂鬱-アンダンテ)におけるハーティーの演奏は、そういう感覚を
追って行くやり方とかなり遠いものである。ハーティーの演奏における、長い憂鬱の旋律の流れを独特の
それ自身の「動き」で歌って行くこの楽章のやり方にはあるチャームポイントがある。
最後マエストーソの指示で、オーケストラが全奏でfffとなった後、追い討ちをかけるしばしの嵐の
中で、5小節トロンボーンとトランペットが、突出するように印象的に鋭く鳴る。その後の静かな曲の終わり
にかけて、は今日の指揮者たちのそれとかなり違った独自の感じを残すものである。当時の録音技術では
かなり割れてしまってノイズの中で聞くしかないその金管の鋭い響きの後に来るのは不思議な純粋なノー
ブルさの瞬間で、ある意味最もハーティーらしいところかもしれず、このレコードの特質を最も示してい
るかもしれない・・・。この録音の後ハーティーとLSOの活動は長くはなく、彼は1941年亡くなっている。
【 2000年前半に記載 2002年5月、3行位修正。/2002・7/28のLirの曲説明部分追加//
2002年7/314楽章のフーガにつての記載で、比較をした記述を修正※※。・・・
これは、主として両方の曲の部分を取り違えたような説明になっていたからなのですが、
上のように、少し改めると表面的なつじつまは、もっと合ってきていると思います。
照らし合わせて考えて変に感じた人もあったと思うのですが、確かにこのことは、単純な
問題ではないので(加速する!?・・というのは曲のテンポや単位時間に処理される音符の
数というものでもないので・・・)表現が難しいのですね・・・。上のように改めたついでに少
し本題を離れて煩瑣になりますが、さらに云っておきますと・・。
2つのフーガを介して(ウォルトンのものは、作曲者の最後のオリジナルのオーケストラ
作品『Prologo e Fantasia』の第三部分の発想表記にもあるように”フーガもどき”
の傾向にあることも 勿論なのですが・・・・)最後にいたってさらに、勢いを増した確信と
なるような曲構成を示す系統として、下の例なども、付け加えて考えた方が私の云いたか
ったことは伝わり易いのかも知れません。
上記の2つのタイプの例の他、いわば中間的な例としてフーガがある程度動的なものとな
る、(特に第2のフーガが、運動を模倣するような音の動きを示す)代わりにその他の部
分が逆に緩和する瞑想性を示すものがある。バッハのEmollのトッカータ。有名なLVBピアノ
ソナタのA♭dur3楽章は瞑想的なものとフーガが交代し最後にフーガにくっついた加速された
音の渦で締めくくられる。(この場合の上昇はある種ナルシスティックな感情でもある)・・etc】
cf、 ⇒ 『 NOTE : サイモンラトルのブリテンとウォルトン 』・・・・・
● 追記 :日本の輸入盤雑誌のかたが、付録としてシューベルトのグレート、スメタナ、
また有名なハーティ編のヘンデルの水上の音楽などを指揮したものを、まとめ
たハーティ演奏のCDを今年出されました。活気ある流麗さと独特の神秘的な上
品さ(ヘンデルのAndante esepressivoなど)どれもとても良い演奏が集めら
れていたので、機会があれば是非お聞きになられてはどうでしょうか。(書く
のが遅すぎたかもしれませんけど・・・)今、私たちの時代からすればバルビロー
リを聴くよりよりずっと新鮮に響くかもしれません。 (2002・10/14)
4) チャールス マッケラス指揮
交響曲 第1番 ロンドン 響
交響曲 第2番 ロンドンフィルハーモニー (EMI)
上のものの他、この以下の3つは、最近の録音による今も最も代表的な優れた演奏といって良いと思う。
それぞれ、特徴的な美点がある。お好みで選んで聴かれたらいいので、非常に簡単に便宜的な言い方を
してしまうと、大人っぽいシャープなニュアンスの出せるマッケラス盤、重厚で安定感があり、しかも
ウォルトンの感じの十分するハンドリー盤。ウィットの感覚に傾いて全体的に明るい、が流れを掴んで
いるので的外れでなく十分愉しめるスラットキン盤(1楽章の最後の独立したようなティンパニーの面
白い表現)など・・・
(2002/9/28)
cf、 ⇒ 『 NOTE : サイモンラトルのブリテンとウォルトン 』
⇒ ”ワイズヴァージンの演奏”
5)バーノン ハンドリー指揮
交響曲 第1番
ヒンデミットの主題による変奏曲 (EMI)
⇒ 『 NOTE : サイモンラトルのブリテンとウォルトン 』
6)レーナードスラットキン指揮
交響曲 第1番
ポーツマスポインント序曲 ロンドンフィル (ヴァージンクラッシク)
7) 秋山 和慶 指揮
交響曲 第1番 バンクーバー交響楽団 (レコード CD無し 放送録音)
”多分84?年に海外演奏会の録音としてFMでやったもの”
正式に発売されていないものを、ココで挙げるのも難であるけれども、少なくとも日本人の指揮者、
楽団が関与したもの、を探した場合、この演奏ぐらいしか全曲のちゃんとしたものが、筆者が見聞
きする限りで無さそうであったからで、今も状況は変わってないみたい。1楽章は特異なくらい悠然
とした印象のゆっくり目のものではあるが、2、3、4楽章は几帳面な感じの一般的な演奏。1楽章の
要所要所の弦楽の響きが、冷たいまでの美しさで鳴らされるのは魅力的だが、反面この楽章全体が
薄められて長く引き延ばされた感じになっている。結果としてシベリウスか何かが、得体の知れな
い秘教めかした風なものに変形された音楽のようも聞こえる? とはいえ、個人的には、何らかの
格好でCD化しても面白いもののように思えたから、この演奏についても触れてみました。
〔2001・6月26日記す・・〕
8) V アシュケナージ 指揮
交響曲 第2番 ロイヤルフィル (LD)
もちろん、優秀なピアニストである有名な人物の指揮したもので、この演奏はモスクワ音楽院ホールで
の、映像も見ることが出来る。ただ、どこが特に悪いというわけでもないが、ちゃんと演奏されている
割には、魅力が乏しい。一方このLDにはアシュケナージ自身のインタビューも収められており、そして
それは表面的で儀礼的なつまらない話でなく彼自身の音楽への真剣な取り組みが率直に現れたものだ。
そこではロシアでは外から入るすべてが、ロシア的「プリズム」で歪められてしまうから、西側に出た
ことはそれだけで違うことになるというような実体験にもとづく重要な観察が語られるし、また ほぼ
同様なインタビューでも、自らの強力なロシア的なものに付け加えられた「新しい目」で見られた西欧
の音楽界を語るのだが、この曲のようなロシアでは一般的といえないレパートリーを持ち込んで披露す
る一方で、ブルックナー批判まで披露して転調が幼稚でワンパターンなどとの発言もある。もちろん
こういった批判は西欧の作曲家仲間の間では昔からあったものだが、ロシア出身の彼の発言はやはり
耳目を集めるものではある。優秀なピアノ音楽の録音を幾つも残し、指揮においても注目すべき仕事を
続けているこの人の姿勢を考える時、今思い浮かぶのはTVで放映された学校の教室に著名人を招いて
独自の授業を行うという最近の番組の印象で、勿論 それが彼の態度を全面的に想像させるものという
訳にゆかないけれど、気になるものであったのは確か。それは彼が早熟な子供たちに2次大戦中虐殺の
あった村をテーマに作曲させ、後でその村人に実際に演奏して聞かせるという趣旨のものなのだが、子
供たちが、自分たちの作曲した意識とホロコーストを直に体験した聴衆とのギャップの雰囲気に、ショ
ックを受けていたのがありありと映されていたその演奏会のシーン他、後味の良いものと必ずしも思え
なかった。アシュケナージ自身が悪意を持っていたとは言わない方がいいと思うが、確かに早熟な子供
たちに限界を理解させるためには、そのプロセスは巧妙な方法とはいえずいぶん乱暴かもしれず、取り
ようによっては、いわば世間知らずの子供に対するだまし討ちとすら捉えられなくもない。そういった
やり方にも平然と向かっている彼だが、反面、彼ほど純真な子供的心を作り物でなく表現できるピアニ
ストは少ないのであり、判りやすい例では、「亡き王女のためのパヴァーヌ」の演奏の美しい和音の響
きを聞けば それが感じられる。この2面性は、あえて言えば子供的心とそれをだまし討ちする冷酷な
計算が、分離して存在しているようで、それは甘美な音楽性と形式の冷酷性の分離・独立へと、にも少
なからず関係する。この種の分裂はこのひとのピアノ演奏にも時々感ずる傾向で、このLDに見られ
るもう少しのチャーミングさの足りないような指揮という印象は、WWの第2番のある意味クールな形式
性が、そういった路線・傾向で理解されている演奏だからではあるまいか?人間的な感情と形式をつなぐ
必然性が、メロディーの粘りのある表情の連続の説得力なのだが、結局 それが全般的にやや不足気味
ということはいえると思う。
彼自身も、インタビューの中で苦笑いしながらも「西欧的なものは結局本当は判ってないかもしれません
が・・」と謙虚な言い方をしている。こういった告白は、彼の言うロシア的なものはそれ程強力だという
話でもあるだろう。が、彼における西欧的な形式の冷酷なような受け取り方と甘美な感覚の分離は、子供
的、非概念的甘美さへの嗜好と、一方厳しい「競争」自体を好んで、自らを、ともかくも投入していきた
いとも思うような積極的なこの人の個人の元々の資質の特性から由来する部分があると想像出来るかもし
れない・・。
〔2001・6月26日記す・・〕
・・・・・♪ ( CDは、1番&2番のペアのものがでている。)
9) ジョージ セル 指揮
交響曲 第2番
ヒンデミットの主題による変奏曲
オーケストラのためのパルティータ クリーブランドSO (CBS)
1961年クリーブランドでの録音。
委嘱されたロイヤルリヴァプールでのプリッチャードによる1960年7月 エディンバラFesでの初演は、
評判が宜しくなかったといわれている。しかし、そのあと、
1961年、2月 作曲者ウォルトンは、ニューヨークに行って、カーネギーホールでのセルの演奏を聴き
また、レコーディングを認め、その演奏に「完全な満足」を 感じたというのは良く知られたエピソード
でもある。1番と違って、みるからに凝ったメロディーラインや、ビルティオーソ的な歓びが欠けていて
、場合によっては やる気の失せた風にすら見えかねないところがある。こういった印象を抱かれないために
ひとつは、非常にアンサンブルをきっちりとした形で演奏する必要がある。そうすれば、この曲の隠れ気味の
巧妙さや、2楽章の強い感情表現などが浮かび上がってくる訳だが、その点でも セルの個性は、上手く
マッチしていた。それ以前からセルは、ウォルトンを高く評価して クリ−ブランドで1959年のこのパルテ
イータの方も、録音している。この曲についても、・・・・・・・・・
10) エイドリアン ボールト 指揮 フィルハーモニック・プロムナードOrc
1956年録音
(Pye)
11) マルコム サージェント 指揮 ニューフィルハーモニアOrc
1966年録音
(HMV)
・・・・・【 W ウォルトン 自作自演盤 】・・・・・・・
フィルハーモニア Orc 1951年 アビーロードでの録音。
EMI 5655032
Vn協奏曲のページで作曲者が指揮者としてハイフィッツと共演した録音について述べたことが、こ
の交響曲1番の演奏の特徴においても、同様な傾向として見て取れる。まずウォルトンはちゃんと
した指揮をする人で、決して自らの曲だから自分が一番良く解っているはずでどうやろうと自分の
演奏が一番だと思い込んでいる作曲家でなく、謙虚にアドバイスを仰いで努力もしている。この
交響曲の演奏も、如何にもやっかな終楽章のフーガ的書法のところも込み入ったスコアを刻むよ
うに指揮して明確にこなしている。録音は楽器の音色質感といった意味ではそれ程でないが、こ
ういった部分やその他スコアの細部はかなり良く聞こえるもので、実際 この演奏を聴くと最近の
録音のもの以上ですらある程 色んな隠れたフレーズや音の動きが聞き取れて、その意味で”ファ
ンタスティック”とも云える演奏になっている。こういう録音やハーティのものの他、幾つかの代
表的録音があることを考えれば、近年の録音のかなりのものはどういう必然性があるのかここで
疑問にすらなる。また比較すれば全体的にハーティー盤よりドライで、その意味でもっと冷めた安
定感を持つ。特に、スケルッツオ的な表現で優れており、自在なカンジを与える。
とはいえこれが、自作自演として優秀なものである一方、やはり、色んな意味でVn協奏曲の録音以
上に”参考盤”として見る必要があると付け加えた方がいいだろう。というのは、ある種この
演奏の”スタティック”な性格が強いことであり、もう1つは作曲者自身の相当優秀な演奏という
ものは、単純に安易な”絶対化”がされ易い格好なものだがらでもある。
例えば、こういった録音をあえてする事自体、初録音のハーティー盤に欠けている要素を作曲家が
目指している意図は明確な訳だし(セルに対しては文句がなかった)、それは簡単にいうと、ロマ
ン派の名残の強い世代のハーティーの演奏に対してWWの世代の”即物主義”的傾向を目指す意図
の顕れとして、あまりヒロイックな要素を持ち込まずに楽譜の再現というような傾向になるという
ことと考えられる。とはいえ両者の間をマイケルケネディーのように随分拡げて考えるのも意図的
でしかないように考える。(ラトルのライナーも書いているMケネディーは、ためになることも多
く書いてくれる有能な人だが、WW自身から頼まれた伝記の仕事を生前に本人に示すこと・自信?・
が出来なかった・・)というのも、当人たちにすればロマンチックな要素は対決しなければならない
直接の相手・古いものだったにせよ(ウォルトンにとっては一種の恩人ウォーロックなども半面、結
構煙たい存在ということになる・・)、コンセプチュアルアート・抽象表現主義もどき、やオブジェ
と称される単なる”飾り付け”や、全く”ミニマル”以上で有り得ない発想のものが、大した疑問も
なく卒業制作や点数をもらうための素材としてゴロゴロ並ぶ時代や国から、眺め見ると、ウォルトン
らとその前の準ロマン派的世代は密接に関連していて、断絶を言う方が皮相なものになるし、※注A
連続性を見た方がむしろ発見が多いからでもある。
実際、ラトルの演奏で問題となった部分も、譜面の表記が、この自作自演盤では基本的に良く見えて
くる。間欠的な管の音量は小さくならないが、弦は一旦少し小さくなった後だんだんクレッシェンド
していき全音符のところに至る。 弦のトリルのかけ方もはっきり聞こえるし、どちらかと言えば
一旦ニュアンスを変える感じになる。大体ハンドリーは、この扱いに最も近いし、多くはこれに準じ
ている。ハーティーやBトムソンのやり方も結果的には大して差のない、少々のデフォルメととる方が
普通の感想だと思う。一方 音を全部小さくしてしまうラトルのやり方の異常性も良く解る。(勿論、
ラトルには色々戦略的な考えあってのことだと思うけれど)ある意味反対側のデフォルメだけれど、
むしろ全然別の発想が入っている。そんな具合で全楽章においてこの貴重な演奏は、優れたところ
を見せる。とはいえ、この演奏に関心しつつも、そこに何か重要なものが欠けていることも指摘しない
わけにはいかないのも本当のことだと思う。(一方 例えばこの曲に対して根底的にはアンビバレンツ
な気持ちを隠しているハーティーの盤には逆に備えていたものでもある。)
まず、4楽章の練習番号112のフガートな展開の主題といえるものの提示において、譜面のように多く
付けられたアクセント記号を強調するように演奏している意図は解るが、少々ギクシャクしてしまい、
後を導く重要なこの主題のキャラクターのイメージまで、壊れ気味になってしまう。(意図としては
軽い鼻歌みたいなメロディーに聞こえないようにということはあるだろうが・・)また、4楽章の練習
番号138の最初のマエストーソの発想記号がいろいろ巡った末戻ってくるところ、次の10小節くらいの
幻想風のエピソードの前までの部分で、他の部分と同様に譜面をきっちり再現するように鳴らさせるが、
こういった部分は演奏家にとって、自然にある種の感動を伴うもので、本来指揮者はそれを自然に生か
して印象的な演奏にするものだがウォルトンの指揮では、そこに意識は持って行かれない。また、これ
は聴者の多くが結構感づる事だろうけれど、例えば、その後の4楽章の最後の部分。ありふれた言い方
をすると、「ティンパニーが弱い・・」みたいな印象。ウォルトンの演奏では、録音が古い割にそのパ
ートが何をやっているか解りやすいにもかかわらず、である。カラヤンのように優秀な指揮者で打楽器
奏者を特別視する指揮者は、多い。実際、オーケストラの演奏の現実でティンパニーなどは、単なる1
パートで無いと言った方がいいのかも知れない。オーケストラ全体の響きのアクセントとしての存在を
意識して、全体の響きに反射的に対応した鳴らせ方でないと必要な効果は生まれない。(ブライデント
ムソン盤のこのエンディングのティンパニの扱いと比較してみよう・・)
また、ウォルトンは1楽章も4楽章も曲尾をかなり控えめに、演奏する訳で、このことは確かに作曲者
自らが勝ち誇ったように演奏するのは嫌みなものに違いないから、全く上品なやり方だが、ただ、演奏
全体の流れから言うとエンディングがはっきりした方が実際的にムードの流れは明瞭になる。
以上のようなことは勿論、この自作自演盤の演奏が悪いというので全くない。スコアから作曲者自身が
隠れがちの部分を色々教えてくれ、表記の意図を示す方が優先されるのは、当然だが、反面 演奏とし
ては統一されたキャラクターの展開の充実感が希薄になってくる。(ここら辺りがスタティックという
ことにもなる。)このことはベルシャザル、Vn協奏曲の自作自演盤のレコードにも、ある種の物足りな
さみたいなものとして、少々感じ取れるものでもある。
この演奏に関しては、聴く方またはこれからの演奏家がそのことを意識して、過大に考えず、生かすよう
に尊重すべきものだ、と云い足しておくのが良いのでしょう・・。
※・・・この録音のCD盤では、収録場所がキングスウエイホールとなっているが、ここで解説を94年に
書いているMケネディの98年に改訂された著作で、ベルシャザルの方はキングスウェイホール、
交響曲の方は、アビーロードとなっているので、良くわからないけど新しい方を信用して上の
記述をしておきました・・・。
【2001年9月19日記述】
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(注@)・・・・cf マーラー交響曲第2番の経緯、5番の分裂性 参照・・・
(注A)・・Gグールドが作った面白い20世紀音楽の比較表のなかで、ウォルトンは、ベルクやプフィッナーなどの
”悲観論の後期ロマン派シンフォニスト”と対称される”楽観論の後期ロマン派のシン・・”として、
仮?の特徴づけが、与えられている。
WWはプロコフィエフ・ショスタコービッチと一くくりにされるが、悲観的&楽観的とは、戦勝国と
敗戦国という事と重なっているのは無関係でもないことだし、それ以上に又ここで
彼らを、一種の後期ロマン派と捉える見方に共通する視点は、興味深いと思われる。ブリテンを無視し
いるのも注意すべきグールドのこの記述の中での”楽観的・・”というこの形容の意図を考えるならば、
ドライな割り切った感覚を持ちながらとロマン的なものが混じった特徴を、想い起こしていいだろう。
(グールドは、北米と似た要素を持つロシアに共感を感じていた事情があるので、本来、ロシアのロ
マン主義とは、西欧のロマン主義と根底的な違いを考えるべきなことは、別にしても・・)
(注B)・・「ハイ・フィデリティー」誌の1967年9月号の表紙は、「マーラー、彼の時代が来た」だそうで、バー
ンスタインが初の9曲での交響曲全集を完成させた事にちなんだものだったという。当時は
また、ショルティとクーベリックも各々のレコード会社の下で、全集の企画を進行中であったといい、
ニールセン、サティー、ウォルター・カーロスと同様、ヒットチャートの目玉であったらしい。
そして、オーマンディー指揮で10番のクック版の初レコーディングもこの頃、行われている。
こういった事を含めた60年代のマーラーリバイバルを、記述したグールドの、リアルな証言がある。
【2001年10月19日記述】