XX :・・・・・・・・・・・・・・・ 「ラファエル前派とロマン派絵画について」

               
                            
  ♪)脈絡と概容   ラファエル前派について、数名のメンバーで発想されたが、結束は不安定で、理論的にも不完全
               なため、短い期間で解体したとされ、何かとても小規模のひとつの芸術運動であったかのようなイメージ
  を与える記述を、見かけるが 実際は 直接 間接的に かなり広範で持続的な影響力をもったそれなりに重要な文化運動であったと
    考えるべきである。
  現在でも、イギリス本国における 一般的イメージ として、ラファエル前派に、かなり 「反体制的」なカンジを人々は抱くそうで、
  この運動の19世紀後半以降の文化に与えたインパクトを余り軽く考えるのは歪められている視点というべきだろう。あえて、云えば
  フランスにおける印象主義や、ドイツにおける表現主義にも、相応するような伝統的なヨーロッパの文化機能に対し再考を要求する、
  イギリスにおける運動ととらえる方がまだ、実態に近かろう。ただ、この運動を考える場合 奇妙なのは 印象主義や表現主義のよう
  に「反体制」イコール「手法的急進派」という、単純に理解しやすい構図がとれないことで、ホイッスラーの「黒と金色のノクターン
  ー落下する花火」を、「・・ただ 絵の具つぼを、ぶちまけただけ・・」とラスキンが批判して、両者の名誉毀損裁判となったとき
  (1878年)、ホイッスラーの方に同時期ロイヤルアカデミー会長であった古典派とされるレイトンが付き、批判したラスキン側に
  このラファエル前派の代表的人物の一人バーンジョーンズが付くという裁判となり、単純に保守派と前衛派が区別できないという、こ
  の派の新芸術運動としての例外的側面が露骨に示されることとなる。ロセッテイ が、運動の中心人物であったということは、彼の家系
  がルネッサンスの地の出身であったことや、マニフェスト役としての詩人でもあったことから、 適当であったことは理解できようが、
  絵画的な力を考えれば、そのロセッテイと後に結婚するエリザベスシダルを湯壺に浮かせて「オフェリアの死」を描いたJEミレイの方
  が重要となろう。(ミレイ『オフェーリア』1852年)
  アイディアを触発する人物ではあるが、ダンテ・ガブリエル・ロセッティー(1820〜1882)の絵画は、絵としての徹底性に欠ける感じ
  が するのはしかたない。一方ジョン・エヴァレット・ミレイ( 1829〜 1896)は、”ラファエル以前”の画家たちたちのそれとはず
  いぶん違うにせよ、高度な描写力をもっていた。ただ、彼の場合 その技術力が ラファエル前派のイデオロギシュな方向性と必ずし
  も常に同調させる十分な動機を与えず、普通の肖像画、題材に戻ってしまい ロイヤルアカデミー会長の立場まで得て、この運動の全
  般的な代表者とは云えない存在になってしまった。ここで問題になるのが、場合によってはラファエル前派の第2世代、ポスト・ラファ
  エル前派と呼ばれることもある一群の画家であり、特にバーンジョーンズが挙げられる。
  エドワード・バーン・ジョーンズ(1834〜1898)は、当時の最先端の工業都市バーミンガム出身で オックスフォードにてモリスと友
  人となり、僧侶の経路から文芸に転身し、ロセッテイとも知り合うこととなる。その彼の60年代半位までの絵、例えば「蔦薔薇を手入
  れする少女」なども、色彩や素朴な描写など むしろポンベイ壁画すら連想するくらい遡って 反現代的で、その技巧においてもJEミレ
  ミレイと相反的だが、元々彼の持つ強い文芸的嗜好と合わさって かえってロセッティーの志向した要素を ロセッティー以上に示すも
    う一方の代表者となる。
  ただ、1960年頃から、ロセッテイー自身がジョルジョーネやティツィアーノといった ベネチア派の絵画風になり、 また、ベネチア
  派の色彩に注目していた画家Gワッツから、重要なアドヴァイスをバーンジョーンズが、受ける等 「ラファエル前派」という呼び名と矛
  盾する傾向を彼らが示し出す中でもあるというところが、ここでも この思潮が多少理解されにくくなる原因がある。とはいえ、バーン
  ジョーンズの場合、一貫して古典的な人体表現とはほど遠い画家だということは歴然としている。『岩と化したアトラス』の地球を支え
  るべきアトラスの身体が異常にひょろ長く、不安定な直立に近い姿で描かれるのも、古典的な肉体表現の本質である重力関係の視覚的表
  現と正反対で、13頭身程の細く引き延ばされた体型は盛期ルネッサンスでは全然なく、完全にグレコ辺りの縦に伸びたマニエリズモの
  感覚で、本質的に浮遊した表現が目的とされていると考えられるが、これは先程の『蔦薔薇の・・』もあるバーンジョーンズの全般の基
  本的な特徴といえる。
  バーンジョーンズは4度イタリア旅行をしたそうであるが、(1859,62,71,73)確かに、50年代のペン画の中世趣味的な『王の娘たち』
  などから、比較すると『黄金の階段』(1880)は、非常に意欲的な人体表現を行っているし、最晩年の『愛と巡礼』などにおける人物の
  そういうバランスのとれた人体と自己の世界との融合の努力と成果は(多分この作品の場合の腰をかがめたポーズが重要なのだろう・・)
  、この発展がイタリア絵画技法の吸収に深く関わっていたことを示している。 実際、「いばら姫の習作」なども含め特にミケランジェロ
    のポーズなどに近いものが移されているということが指摘できようが、それでも バーンジョーンズの人体は何か別の要素が、織り込まれ
  浮遊感は強く残るのである。(・・そのミケランジェロにしても、結局 絵画表現は彼にとってついに唯一最高の手段とならず、『天地創
  造』は天井に宙空の存在として描いていることを、ついでに述べることはできるだろう・・)
    バーンジョーンズのこうしたルネッサンス周辺の画法との意識的な取り組みとその中世的資質によって、「第2世代」の中でも、とりわけ
   重要な存在となったし、またJEミレイやロセッティ以上にこの運動の特質を浮き彫りにする発想をみせている。

    そもそも「ラファエル前派」とは、「自然」に学ぶことを宣言し、ミケランジェロやティツィアーノ的なものに寄りかかる既存の体制を
  拒否するという旗印みたいなものだったわけだが、多分 リズシダルの死んでしまった(1862)頃からの、ロセッテイー自身 の変化も含め
  て、この運動の全体はイギリス中世的なものとルネッサンス的なものとの関係において、より複合的になるもの考えた方が宜しかろう・・。

  そういった視点から、バーンジョーンズ等を通じて、ラファエル前派の特徴を、幾つか捉えておくことが、非常に興味深い要素を見せてく
  れる。例えば、唯美主義文学のオスカーワイルドは、1954年生まれ、 でバーンジョーンズより20歳下となり、少なからぬ類似した傾向で
  ありながら、完全に先行した現象であるのも重要である。
    印象主義絵画が ,1874年の「無名協会、第一回展」の出品者、モネ(1832-1883)、ルノアール(1841-1919)、セザンヌ(1839-1906)ら
  によって、一群の存在として公然となった訳だが、彼らと確かに 美学的なもの、手法原理において共通するもののあるドビュッシー(186
  2-1918)は、彼らからほぼ1世代下で フランスにおけるそれらの土壌から無縁ではないし、絵画が文化的アイデンティティーを先行的に示
  している同様な例となる。視覚的な絵画が、特色を先導して明瞭に示し易いことは、表現主義にもやはり言える事ではある。勿論 それら各
  運動と関連する芸術の影響作用には相当違いがある。カンディンスキー(1866-1944)、キルヒナー(1880-1942)辺りとシェーンベルク(187
  4-1951)は、まあ同世代という感覚だったし、この運動は本質的に即効的、解体的であった訳で シェーンベルク自身が、表現主義 の画家で
  もあった。また印象主義絵画は伝統的西洋絵画に対し明白に違いを露呈する性格があるし、その音楽における 同調者はドビュッシー1人が余
  りに際立っている。 一方 これらの運動の中で最も早い(1848〜 機関誌”萌芽”)ラファエル派の作用は、あいまいで非即効的なのが特徴
  とすら考えた方がよいと思われる。

  最も代表的人物の1人というべきJEミレイも、全経歴から見れば この派の構成員といえるか疑問なくらいで、人名を挙げていくことが不似
  合いな運動ともいえるのだが、普通にいって、その他 スペンサースタナップ、シドニーメトヤード、イーヴリン・デ・モーガン、ジョン・
  メリシュ・ストラドウィッグ、ロバート・アニング・ベル、ウォーターハウスといった人たちの創作を考えてよさそうで、そうするとバーン
  ジョーンズの死後(1898)20世紀にまたがる辺りまでこの系統の創造の生命はそれなりに続いていた と見られるようである。   
  ただし、こういった人たちまで含めて考えるには、手近には(その他の絵画流派に比較しても・・)資料的不足となるし、そんなに細かい話
  はここで必要でもないので、19世紀後半から20世紀半ば過ぎ迄のイギリス音楽の土壌を考える補助手段として、この『ラファエル前派』
  の特徴を大きく幾つかのポイントで素描させていただく程度ということにする。・・・・

  まず、はじめに フエミニズムの問題との関連を、考えてみなければならないであろう。その際 上掲の絵 『不吉な顔-部分-』(1886-7)
  は、興味深い”転換”を知る材料を与えてくれる。
   ・・・・即ち、これは一般的に言って ペルセウスとアンドロメダの神話 の題材を描いた作品 と思われるのだが、こういったテーマ
  自体はフランスのギュスタヴ モロ-(1826-1898)のアレクサンドリーヌに送った「アンドロメダを救うペルセウス」など とも同じ話で、
  モローのこの場合は普通に女性を救う騎士道的な態度が中心の絵だが、バーンジョーンズのこの絵は、明らかに違った事に意図が盛られてい
  ると思われる。図像学的に言いたい人や、伝記的事実を特別に配慮する人たちが、どんな解釈をするか知らないが、(そういった考えの一般
  難点は別項で述べる・・・)的絵画鑑賞を普通にする 一般的知識前提の立場から、私の解釈と思うところを述べるとすれば、この絵の核心は、
  当然ながら鏡のような水面に写った3つの顔であるだろう。しかも、ここで意識されるべきなのは、

      まず、a左手にメドウサの首を掲げるペルセウス⇒b水面をみるアンドロメダ⇒c水面に写ったメドウサの目を閉じた顔⇒
        d絵の中心に据えられたメドウサの首を正面にする鑑賞者⇒e 視線をアンドロメダに注ぐ水面に写るペルセウスの顔・・・


     例えば、このようにも書き表せる複雑な視線の関係によって作り出されたものがある。この効果を生むまず第1は、メドウサの顔を直接見ると
  ”石化”が起こるため鏡を介しないと見る事が出来ないという、このギリシャ神話の道具立てを視線の方向転換、複雑化にピッタリ利用出来て
  いることであろう。しかも首を切られて死んだメドウサの”閉じた目”が、絵の鑑賞者までを上手にこの視線の循環の輪の中に取り込んで、
 (メドウサの心の目が何を見てるのか・・時間と空間の位置を越えてメドウサに対峙するワレワレ・・)複雑で 豊かな効果を作り出している。
   この出来事を引き起こしている因果の行為者であるペルセウスですら、複雑な形で循環の円の中にあるのは、ギリシャ的な永劫回帰風の輪廻
  ともいえ、これほど面白い効果を 絵全体の雰囲気とも十分に何層にも重なり合って表現出来ている絵を他に知らない。

  バーンジョーンズが、どういう先例※注1に基づいてこんなアイディアを、発想出来たか、またはどれほど独創に基づくものかは判らないが、
  彼の手法、指向全体がこのアイディアを生きたものにしているのは間違いなかろう。というのも、この”だまし絵”めいたやり方を単なるそん
  なものにしない必然性の根本は、ペルセウスが、アンドロメダにメドウサの顔を見せている姿のもつ意味の広がりである。ペルセウスの表情は
  (a&e)反応を観察し、また問い詰めているそれで、アンドロメダは美しく少し驚いているように見える(b)。ラファエル前派が、女性を重
  視した事は どうでもよい事ではない。JEミレイの「オフェリア」J E Millais・ Opheliaが、彼女の死を独立してリアルにしかも、花、植物と水
    の中の姿で 描いたことは、「 ハムレット」の原作中では基本的に脇役でしかないオフェリアを、悲劇の主人公に格上げするし、しかも多分に
    ハムレットの被害者としての存在のこのような中心化として、何かしらハムレット的近代の情熱に対する批判ですらありうる。
    ラファエル前派がその初期、当時のアカデミズム、堂々たる古典主義や教科書的な意味でのラファエル、ミケランジェロ、ティツアーノ以降に
  向かう傾向などへの批判を伴ったのは、今日 PRBの流れの全体の推移から考えるなら、フェミニンな態度の欠落への批判と第1に解するのが良
  さそうである。(そういったある種の硬化に対して・・)1852年のミレイ 『オフェリーア』に現れた 透明な同情は、この「不吉な顔」にお
  いてはそのままの形にはない。
    メドウサは 元は 美しい乙女であったが 傲慢に アテナ神と美を争うことをしたがために、巻き毛を全てひしめく蛇に変えられ おぞましい怪
  物になった訳である。実は アンドロメダが捕らわれの身となったのも、そもそも母のカシオペアが、海のニンフと美を争ったがためであり、
  本人ではないにせよ、場合によっては 親の罪は可能性として無縁ではないともいえるところから、バーンジョーンズのメドウサの首を示すペル
  セウスの姿は、この顔とアンドロメダを重ね合わす疑念を密かに顕わしている。     
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             【参考画像】 『黒と金色のノクターン(1875)』            『灼熱の6月(1895)』       ホイッスラー                    レイトン
※  注1 ・・・・・考えていいものといえば、ベラスケス「ラスメニーナス」があげられよう。これも、鏡に写った国王夫妻の              画像が、重要な意味を持ち 視線の交錯が意図されている。              印象派と共通するような筆法が話題にもなり 特に、現代の評価も 非常に高い絵画となっている。              幼い王女を中心にした女官、道化、犬、宮廷画家(ベラスケス自身)らの小さなデリケートな世界は、直接               描かれない王夫妻の視界の世界の中にあり、その見えない庇護下の関係にある。そして、その王の視界の世              界は、外部につなぐ小さな扉で、開けている廷臣?の姿にむかって導かれるように描かれている訳だが、こ              れを含めスペイン王室の今日と不安な未来の予感がこの作品でテーマとされたものと見られる。ただ、ここ              の雰囲気は 批評的態度より”限定された”立場というものの 、あるセンチメンタルに近い悲哀感の創出              に興味があるようだ。             (付記)絵が完成し、もっと後で作者が自画像部分の胸に、大きな赤い勲章を書き加えたのは有名なエピソード。                 だが、逆に言えばそれがないと、何か切なさの印象が強すぎる絵であると自ら認めている証し、とは云                 えないだろうか?薄暗い光の中であれ、完成度の高い描写・構想力の結晶の反面の、少女めいたセンチメ                 ンタリズム。(確かにごく部分的には、”亡き王女のパヴァーヌ”の甘い感覚とつながる?・・)。