※・・・「Cutner Solomon & H.Harty・・・TCHAIKOVSKY:PIANOCONCERTO No1」
Pearl....GEMM CD9478
(1902-1988)
1925年からのマイクを使った電気式吹き込みの行われ始めた時期から遠くない1929年
11月におけるソロモンとしてももっとも初期録音であり、このCDはその復刻になる。
元々8面のSP盤であって、終わりの3面は30年2月に吹き込み直したものらしい。
けれど、案外音質は悪いものでなくノイズは勿論あるが、むしろ楽器の質感ある音は生々しく
資料に留まらず、十分鑑賞用になる。
ホロヴィッツ&トスカニーニ・NBS盤は、41年5月の録音。このSP時代の有名なレコードは
実際、この曲に関する未だに最も優れた演奏といっていいものだが、このソロモン盤の方も
決して有名な盤とは言えないにせよ、非常に魅力的な演奏で、またホロビッツ盤と正反対の
アプローチともいえるし、本来もっと注目されていいもの。
拍子感が、前へ前へと攻撃的に出てくるホロヴィッツ盤に対して、少し引き気味の拍子感,
そして、大変滑らかで、柔らかなソロモンのピアノの音色の連続に、特徴は際だって表れている。
チャンピオン的なホロビッツに対して隠されているが、高い程度の技術はここにも聞き取れる。
時代ズレと思われるまでに、ここにある優雅で親密な雰囲気がこのレコードの評価の妨げになって
いるのだろうか?2楽章の主題をチェロが弾いて、ピアノが伴奏し、さらにその主題を木管部門が
各々ソロもしくは準ソロ的に引継いで行き、チェロ部門とである種2重奏的に縁取るのをピアノの
和音の連続が支える箇所の演奏などに見る美しい親密さは、CD、レコードで余り聞いたことの無い
種類のもの。・・上の曲の説明は無理に短い記述で済ませようとしたせいで伝わりにくい感じなので近日書き足すつもりです・・
ライナーノーツのアランサンダースは、このレコードの制作期間とウォール街大暴落の関係を
書き加えているが、確かにこの辺りからの世界の雰囲気の変化は、無視できないものがある。
一方3楽章では、独奏部を取り囲む、管などのオーケストラのリズミックな鋭さはアーノルド
の舞曲でも聞かれる風の感覚で奏される。血縁的なことを改めて書くのも何だが、父親はポーランド
移民の子、母はユダヤ系ドイツ人で、紳士服作りのイギリスの雰囲気の中で育ったこのピアニスト
の日本での評価は、未だ不安定といえる。
1953年に、来日して東京でも9回ほどもコンサートを開いたにもかかわらず、決して日本の聴衆
にとって馴染みのピアニストには、ならなかった。
彼の日本人向けプログラムのサインのように、好意的に解釈しようと努力した形跡は、感じられる
ものの、結果的に日本の聴衆の反応は、気の毒なソロモンをがっかりさせるものだったようだ。
相当、彼は気にしていたらしく、自ら分析もしていたらしい。
特に、ソロモンを当惑させたのは彼のショパンが、まるで「受けない」ことで、彼はまず
自分のルバートが難解なせいか?と考えたようだが、その種の彼のルバートはこのレコードでも
聞かれるものだ。その3年後、過密なスケジュールなども加わり56年卒中で倒れ、ピアニストとし
ての活動は絶えてしまう事となる。この時期は、Gグールドが本格的に活動しだした時期でもある
がソロモンは、決してベートーヴェンなどを不可侵の職業前提として演奏会をビジネス的にこなし
て行くタイプの人でなく、時代や世界をリアルに感じ音楽の詩味として生み出していくというよう
な要素が大事になるピアニストであったといわねばならないと思う。ベートーヴェンのソナタは3
分の2強ぐらいしか録音しなかったようだが、全集の有名なバックハウスらとの違いは、批評性に
も似たリアルな感覚で、この感覚からの誠実さは限定されたものにもなるとはいえ、それはむしろ
大変大胆でもある。又 意外な位、最近の88年2月に亡くなっているのだけれどやはり彼の卒中の
後遺症は良好なものではなく、ひどいとこずれを起こすまでの寝たきりの状態になってしまったら
しい。それでも73年くらいは友人のBryan Crimpに当時話題になっていたピアニスト・ベルマンの
レコードを特別に貸してもらい、震える文字の短い手紙で「偉大なヴァイタリティー、大変エキ
サイテイングなのは素晴らしかった。けれどベルマンは恐るべきピアニストであるが彼の叙情的
な演奏においては少しがっかりした。リリカルなフレーズで、彼は考えることが出来ないのでな
かとも思える。」というような文章を書き送っている。ダメージの大きい身体にもかかわらず現実
世界のリアルな感覚を失っていなかったことをこの的を得た意見の敏感さは窺わせる。逆にそのよ
うなソロモンの鋭敏な考える心が‘酷薄な戦後世界↓’から守られていた静かな32年間は、病の中
とはいえ、意味のあるものだったかもしれず、これはこの人の残されたレコードを聴くに当たって
も重要なことであろう。・・
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→・・ 現代における戦争などといった明らかな「悪」が、世間におおっぴらに横行している時
よりは、むしろ、戦後の周辺国に戦争が追いやられ、一見 合理的な主張を既成の社会組
織やマスコミがパターン化するなどして、単純不動のような秩序が築かれる時代が、はる
かに芸術において破壊的であったことは、20世紀史の奇妙な逆説であった・・・・。
【2000年10月頃上記の大部分を記述。注は2001年5月頃記す】