そもそも、いつかこの日が来ることを想定し開設したサイトです。母やすこさんは2019年3月17日午前3時に永い眠りにつきました。71歳でした。
母は生まれつき身体が弱かったのですが、その虚弱体質を売り文句にしては周囲を笑わせつつ、人並みはずれた好奇心で様々なことにチャレンジし、芸術文化をこよなく愛し精通し、料理と人を喜ばせるのが大好きで、近しい人などを招いては心を込めた手料理でもてなし、家で行われた宴会は数知れません。そして小さい頃からガンジーを尊敬し、困っている人がいれば親身になって世話をしてあげる人でした。
膠原病を患ったのは母が43歳の時で、その時にお医者さんから60歳までは生きられないと言われたため、母のことを何かしら残したいと思い、得意な料理を記録しておこうとこのサイトを立ち上げました。60歳を過ぎてもまだまだ元気そうだったのでとりあえずはホッとしていましたが、66歳の時に肺がんが見つかりました。その後もパタゴニア、アイスランド、キューバなど容易には行けないところを中心に国内外を旅してまわり、映画、落語会、音楽会、美術展などに精力的に出かけ、行く先々で贔屓のお店などで美味しいものを食べ、人の何倍も濃い密度で過ごしてきました。
常に明るく前向きに闘病生活を送ってきましたが、今年の2月半ばから状態が急変し2月末に入院。最期は、1日半という僅かな時間ながらも、ちょうど1年前に改築が終わった母と私の念願だった家に戻ることが出来て、小さな庭の満開の白梅を愛で、猫のクマの鳴き声にどんぐり目を見開き、クマの柔らかな背中を撫で、本当に嬉しそうでした。そして孫を含む家族6人と猫のクマに見送られ安らかに穏やかに息を引き取りました。
ここ2年ほど家でのんびり過ごすようになってからは、もともと好きだった料理がさらに楽しくてならないといつも言っていました。亡くなる3週間前まで台所に立ち、得意のおでんや煮豆を拵えたりして、その日に作った料理を「今晩はこれ」とショートメールで送ってくれてました。看取りまでの最期の数週間は介護をしつつほとんど母と一緒に過ごし、私にとってかけがえのない時間になりました。おかげで母の魂がすっぽり私の中に宿った気がしています。
このサイトに関しては、形はどうあれ継続していきたいと思っています。開設以来、大勢の方からコメントを頂き、交流し育ってきたサイトです。近年は、献立以外はほぼ更新してませんが、気持ちが落ち着いたら変化を加えて何かできないかなあとぼんやり考えています。しばらく時間を要するかと思いますが、どうかよろしくお願い致します。
ペコり
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