Note:
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Bernard Shaw Man and Superman(1903) ⇒ O,Spengler
Major Barbara(1905)
【B】
こういった”われ”を、消極的に捉える考え方は、彼がイギリス的なのものみたいにいう”利他的道徳説”の批判にも、根本的に関わってく
る。(われと他者という区別が当然前提になるから) 社会的に、自己のことよりも、他者を利する精神をもって善となす。みたいなことは
疑問の余地無く正しいように聞こえるが、しかし、確かにニーチェの考えるように、そういった説が”道徳説”として、通用するとなると、
インチキ臭くなってくる。それについて、以下のことは少々ニーチェ的でないにしても考えていい。”他者を利する精神をもって善”として
も、大体、そういう事柄は、根本的に非常にデリケートな問題で、自己と他者の意識の不分明な微妙な間が重要で、そこに成立することであ
り、その行為者を感じさせない自然な行為のみが美質として感じられる訳で、このような言い方が粗雑な道徳説として定式化すればは結局、
偽善を生む”隠れ場所”となるだけだと・・・。
「キャントと呼ばれるあの古いイギリス風の悪習、すなわち道徳的偽善が忍び込んでおり、しかもそれが科学性という新しい形式のもと
に隠されている・・・・」 (J/7・228)
本来、「道徳家というものは、清教徒と反対でないのか。」といい、何故なら道徳を問題として、不必要に取り扱うことは清教徒的には
不道徳にならないのか?と問う。(J/7・228)一方、
「結局、彼らはすべてイギリス流の道徳を正当なものと認めようとする。それでこそ人類に、あるいは”一般の福利”に、あるいは、
”最大多数の幸福”に、いな!イギリスの幸福に、最もよく使えることになるからである。」といい、
また
「・・・功利主義的なイギリス人は、控え目な凡庸な種類の人間なのだ。・・・その限りで彼らは退屈であり、彼らの功利性は高く評価出来な
い。かれらは、もっと激励されるべきである。・・・・」 (J/7・228)
と書き、皮肉な詩をつなげて、勝手にやってろ、というような論調をとる。
この論調は、詩的な傾向の『善悪の彼岸』に対して続く『道徳の系譜』において、論文の形式を一応採るにもかかわらず、内容は連続の罵倒語
的なレトリックでもって、より過激にキリスト教”や”僧侶的評価様式”イギリス的”平民的道徳”に類したものや、そして”奴隷道徳”に対
して、ののしる格好になる。
(これが、様々な言い方のひとつであることを考えて、その”意図された”内容を考えるというのは必要なこ
とで、本来、どの程度の意味合いか?という位の受け取り方をするのは、ニーチェの場合大事なことになる。)
「立腹からの、おしゃべりというものがある。ー ルターの場合に、しばしばそうだが、ショーペンハウアーの場合にも ある。」
(『愉しき知識』1886年 2・97)
利他的道徳説や、僧侶的摂欲による評価形式、”奴隷道徳”なるものは、個々の意志を滅却させようとする意味で、共通し、ニーチェから激し
く批判されるが、しかし、これをニーチェが”通常的意味”の利他的行為を否定しているのでないと注意した方が良い。
というのも、相当、外見的な不器用さと、相当のある種の無骨さを持っていたと想像される人物ではあるが、本来、早くにして得た評判と一定
の地位を捨て、一連の書を書き続け、殆ど孤独のうちに1889年トリノのカルロ・アルベルト広場で倒れ、病気のまま1900年にむしろ殉教者的に
死んだニーチェ自身、普通の意味では、非常に献身的に、哲学に尽くしたとも云える訳だから。
この利他的道徳批判などで問題となっているのは、その見方の”基準点”の違いを批判していると考えた方が良い。すなわち、ニーチェは、道
徳の基準点を、そこに”意志の強さ”を感じられるか?と見ることが、根本的な違いになる、というようなふうに考えていること。
”民主主義的道徳””僧侶的評価様式”や、”奴隷道徳” そして、それに対する”主人道徳”という対比、ここにおいて本稿のニーチェの話
題の振り出しに戻ってきた訳だが、ここで改めて その問題点を捉え直すと・・・・。
これを、”地上を支配してきた様々な道徳の・・・2つの根本類型が、規則的に回帰し、そして連結している・・・”(J/9・260)という。こういっ
たオソロしい言葉を、何度も使うのは、何だけど、ガマンしてもらって、
その”主人道徳”の方とは、ニーチェの規定をまとめて見てみると、
「良いという概念は、・・・いずれも同一の概念変化に還元される。・・・・どこにおいても身分上の意味での”貴族的な””高貴な”とかが、基
本概念であって、それからして必然的に、精神的に”貴族的””高貴”という意味での”精神的に高い天性をもった”とか”精神的に特権
をもった”という意味での”良い”(グート)が発展してくる”(『道徳の系譜』第1論文4)
という。だから、「良い」という概念は、自分たちの階級自体を指しているのであり、そのように、「道徳的価値表示は、どこでもまず始め
は、人間に対して付され、それから派生的に行為に付されるようになった」(J/9・260)ということで、また「良いという概念を規定する
ものが支配者たちである・・・」「魂の高められた状態こそが優越と位階決定をなすものと感じられた・・・」(J/9・260)
というものであるので、
「道徳史家が、何故に同情的行為は賞賛されたか?という問いから出発するならば、それはひどい失策だ。」という、
何故なら、「道徳的な価値表示は、どこでもまず始めは人間に対して付けられたのであり、派生的に後で行為に付けられる」
ようになったから、という。(J/9・260)
すなわち、ニーチェは、道徳史家は、全体的な「人間」で考えず、部分的「行為」で考える失敗をしている、とする。
そして、「高貴な種類の人間は、自分を価値の決定者として感じる」(J/9・260)ということであるという。
こういった主人道徳は、貴族的な考え方でもあるというのは、また、以下の性質の特徴も持つ。
「主人道徳においては、恐怖をかきたてるものがむしろ、”善人”とされる・・」「畏敬への、献身への技能と集中は貴族的な考え方・・・」
(J/9・260)
それに対しニーチェのいう”奴隷道徳”の規定を見てみると、
「奴隷道徳は、”外のもの””他のもの”を頭から否定する。」(『道徳の系譜』第1論文10)
「奴隷道徳の行動は、根本的に反動である」(『道徳の系譜』第1論文10) また、「自由感情の敏感さ、幸福に対する本能※」が優勢になる。
「奴隷的な考え方の内部における善人とは、とにかく”危険でない人間”でなくてはならないからである。・・・」(J/9・260上の※引用も)
また、ある種 民主主義的ともいえる利他的道徳でなく、”民主主義”に関しニーチェは、その半面をある積極性で、見ているのも重要なのだが、
「 ヨーロッパの民主化は、最も綿密な意味での奴隷制度にあらかじめあつらえ向きの型の人間を生み出すことになる。」(J/9・259)
「 侵害、暴力、搾取を互いに抑制し、自己の意志を他の意志と同列におく。これは・・・大雑把には個々人の良識になる。しかし、この
原理を、拡大して、社会の根本原理としようとすれば、解体と退廃の原理になり、直ちに生の否定の意志である。」(J/9・259)
という、難点を指摘する。そして、僧侶的評価形式とは、もともと、
貴族的評価形式に対抗しておこり、清浄という意味が”良い”とされる。そこから”禁欲主義的理想”が現れる。(『道徳の系譜』第1論文6/7)
またそれは、「生命感情の全般的抑圧、機械的活動、小さな悦び、隣人愛の悦び」などを、手段として拡大、発達し、”魂を荒廃させる”
傾向(『道徳の系譜』第3論文22)という。
以上、こうして、まとめて見ると、 ニーチェが無茶なことをいっているのでなく、一貫した発想をベースにしていることが、より浮かんでくる。
すなわち、 ”奴隷道徳”の系統 を掴みやすい格好で簡単にして言ってみると、
自分と他者の区別を、前提にしていて、自分で価値を規定するのでなくて、支配しようとする他者への反動として価値を規定する。だから、
「善」も、危険でない他者であるというのが、根本で、そこ辺りから、他者を利するのが善という道徳的利他説も出てくる。また、とにかく
他者として、活発でなければやりやすいから、生命活動の全般的低下を望む傾向でもあり、それが僧侶階級の評価形式の禁欲主義的理想と結
びつく傾向にもなる。また民主主義の”自由”や”最大多数の幸福”を望む傾向は、半面、短絡的に危険でない他者、生命活動の低下した他
者を望む傾向になりやすい。・・・こういったことは、”奴隷道徳”につながる仕組みがあること。
一方、”主人道徳”の方は、語源からいっても”価値の本来の規定の仕方”で、人間全体で考えるもので、個々の行為でない。また、自己と他者の
区別がない発想のもので、(だから、本来、利他的なものでなく)むしろ、その”魂”の強さ、”意志の強さ”が、問題。(だから他者にとっては
恐怖ですらある)魂という、われを超えた無意識を含んだものだから、位階や民族の魂という観点で考えざるを得ないし、また、価値感は自己で作
るものであるゆえ、他者の価値基準を前提にした”虚栄”や、他者と自己の共通の価値基準を前提にした”同情”は、端から有り得ないものになる。
こうすると、かなり見通し易くなったと思うけれども、それでも、なお ニーチェの思想が、「単に、”強気”で行けばいい、と奨める思想」
と、結局 受け取る人が、いるかもしれない。
それは、根本的に誤りと思うし、わたし個人的には、ここで、どうしても『色んな人がいて、色んな好みがあって、その好みを各々充実したも
のにすることが、最も重要かも知れない』とか『現実生活の強弱関係から来る空虚な拘束で、自然なイメージを押さえつけることくらい、たち
の悪いものはない。』と強調して、言ってみたくなる(実はそれはニーチェとそんなに矛盾しない)。けれど 話を戻して さらに、"ニーチェの思想"を、
「ありがちな誤解の無いよう」に最も重要といえる面を、あえてハッキリいっておくと、前のページでも少し触れておいたことでもあるが、
《 ”意識と無意識の乖離の問題”に関して成立してくること 》に、注目することが大事であり、その対比を見れば自ずと中心が現れてくる。
まず一方の、ニーチェが、”主人道徳”の説などで主張しているのは、結局、価値や道徳的「よい」ということも「充実の感情、溢れる力の感情
、高い緊張の幸福・・・」(J/9・260)であり、「成長の感情、増大した力の感情(である精神の根本意志)」(J/7・230)と自ら感じる、「意
志の強い、弱い」ことでしか計れない、その各々の無意識的、もしくは ”本能的”な”魂”によるものでしかないことになる。
そこで、注目すべきは、その価値を作り出す、我として自らを意識するのを超えた(意識からの乖離)もの、であり、今までの「真理」というも
の中心の考え方すら通用しないもの、という考え方になる。ニーチェの思想は、むしろ 今までの哲学的真理と呼ばれたものや 道徳の方が、逆に
そういった無意識的背景を含んだものから、推し量れうるというような体系になり、そこから、ニーチェ独自の「あらゆる哲学は、一つの前景の
哲学である」という画期的な観点にまで至っていることに、その哲学の本当の重要性があるということ。
しかし、こういった”無意識的”世界の優位(もしくは乖離、制御不能性)という観点は、ショーペンハウエルが 意志の世界の優位を説き、カ
ント的な認識の概念体系によって、概念をその因果の世界に限り、価値から道徳律的な概念を取り去り、その認識体系の類比としてのみ物自体の
世界の価値を語ったことで、既 に同様に成り立っていた。ただし、ショーペンハウアーの場合は、意志から殆ど、概念的規定を取り去ったもの
の、伝統的な認識する意識の主導 という考えを、ニーチェとは違って”我欲す”というかたちで、ぎりぎり残していたし、さらに”建て前”的で
はあるが、認識優位の立場から、十分コントロールできないものとしての意志を”滅却させる”という、伝統的な僧侶の手法も、彼自身が”意志
の哲学者”でありながら、ニーチェと正反対に肯定的に要請した。
ショーペンハウエル哲学は、融通無碍な生き生きとした 無意識の関わる世界の描出の哲学 であり、意志の滅却は建て前でしかないし、そうした、
ことなどからも、実際、”その建て前”を捨て、古びた”伝統的手法の認識”より、活発な人生の方が優れているという、ニーチェの立場は直接
に生まれ出てくる。しかし、一方で、ソクラテスの「汝自身を知れ」という立場は、”哲学”というような形態をとる以上捨てられないものがあ
り、ショーペンハウアーの認識の生の立場は、ニーチェに較べ、その面が勝っているということは、やはり、いえなくはないのである。
というのも、ニーチェ自身 道徳の系譜』第3論文5以降などで、未だショーペンハウアーに対する変わらぬある種の強い信頼を表明しているし、
『善悪の彼岸』などでの ソクラテスに対する謎めいたコメントなども含めて、両者が、結局 カント以降の認識の限界に関する考察を、より押し
進め”意識と無意識の乖離の問題”に到ったドイツ哲学の段階の同等な立場だと言うことが、むしろ彼ら両者の思想の核心もしくは、その発想の
”基準点”と考えた方がよいことを想像させる。
むしろ、ある”古典”となった思想・芸術の ”弱点”なるもの、を考えることが、案外、実りの多いもの、であるのは、一般には、実は 理解さ
れにくいかもしれない。・・・・例えば、ヴォーン ウィリアムスは「私の愛するバッハの作風にすら、弱点があるのを、私はだんだん理解できるよう
になってきた・・」 というようなコメントを残している・・・
ニーチェの思想の場合も、「侵害、暴力、搾取」すら、原理的には、完全に否定されるもので全くない(J/9・259)、というような立場、また
、「公共心、好意、顧慮、節度、謙譲、寛容、同情など」を、「蓄群的人間」(J/5・199)の口にしたがる徳として、軽蔑の的にするかのよう
だし、一見、社会的弱者を(病人、奇形性、うんぬん)とにかく否定的言葉として用いるようでもあり、その”魂”の独立性(個々の人間の”キ
ャラクター”という非概念的内部環流性?)を極端に強調する主張からも、到底、現実的な”社会理論”みたいなものと最も折り合えない性質の
思想のようにも捉えられがちになる。
けれども、ニーチェ思想の核心が、簡単にいうと”魂における生の力の増大”であることを理解し、その”魂”なるものが、ニーチェ自身の言説
においても、”人間社会全体という魂”でもあり得ることに、注目すれば、社会福祉、労働者の生活向上、などといった、20世紀初頭のヨーロ
ッパの現実的社会問題ことも、社会全体の”生”の力を増大させることに、直接つながる。だから、ニーチェの発想全体は、もともと決して社会
理論と根本対立するものでもない訳で、それを、自らの作品で示したのが、バーナード・ショーであり、シュペングラーであった、ということは
十分の正当性がある。
独立的魂ということに特に拘らなければ、紀元前1200年頃ともされるくらいずっと昔の人物を扱った、ニーチェの”戯曲”のゾロアスターのよう
な現世を離れ孤立した聖者の話しでなく、20世紀の始め頃の、ヨーロッパの”社会的魂”の現実の”様相”として、現代の登場人物群の具体的
性格描写が行ったショーのような戯曲の形の著作、一方、西欧という”社会的魂”において、”世界史上”の出来事を、その”様相”とした世界
史解釈としてのシュペングラーの著作であっても、各々ニーチェ的といえる観点の発想でもって描かれうる。それは、その魂といった考えの扱い
を少し変えることで、”自然に移行していった発想”と、見ることは出来る。
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◇ ゾロアスターは、実在の人物と言えそうなのだが、そこにも疑問を持つ人がいるくらいで、生没年も非常にばらつきの
ある説が、唱えられている。古代ギリシャ人たちは、前6000年頃と考えたらしいし、一方,確実に前630年、今のカザフ
スタン、東イランのシースターで生まれた人だという人もいる。ゾロアスター教を、国教化した最初の重要な王朝、ア
ケメネス朝(前6世紀から、前330年)があり、ヘレニズムの王朝をはさんで、ササン朝(226-651)でまたゾロアスター
教が国教化された頃が、この宗教の代表的な時代になる。そのあとは、イスラム時代に入って少数派になってしまう。
(一般に布教しないで血族的な伝統宗教化した”パールシー”という人々などになる。特に経済的に成功した人の多い
インドのボンベイ移住した人たち等を中心に世界に分散して、今日、15万人位の信徒がいるとされている。)そもそも、
ゾロアスターの直接の後援者となった地方君主とされる、ウィーシュタースパが、歴史的にはっきりしないので、彼が
アケメネス朝にすぐつながると考えれば、ゾロアスターは、仏陀より百年位前の人ということになり、一方、伝説的で
イランの民族的世界観に象徴的に関わる人物だとすると、ずっと古くなり、ゾロアスターは、前1200年頃の人物とする
欧米の代表的な研究者の説に、なったりするみたいである。日本でも、案外ゾロアスター教の研究は、いろいろされて
いて代表的な研究者の人もいるようだし、一般向けの面白い本も出されている。勿論このHPの中心的に取り扱うべき話
でもないし、資料的に詳しくやる能力も暇も私にはないので、あくまで目安として触れるだけだけれど、ただ、こうい
った問題でも、現代の多くの学問上の事柄と同じように、末梢部分が肥大化して、何がなんだか判らなくなりがちだが、
案外、強力なのは俯瞰して全体を整理し、しかも気取らないで見てみること。まずこれは、地理的に見ると、また個々
の人間の果たす積極性の点では、西北のギリシャ思想には及ばないが、東のバラモン教や仏教ほど埋没的でない。西南
のエジプト文明の心が外部のもの(太陽、河川の氾濫周期)に規定されて、人間が皮の器(ミイラ)になってしまう傾
向、これはヘブライ文化の心に戒律を当てることの延長になる。その反対は、ゾロアスターの炎で、より内部的な逆方
向になる。バビロンの心の宇宙は、インドの心の内部を数的に抽象化までする方向に連なる。
動物などとの一体感でもバラモン教の方に近く、西北のギリシャでは、動物から人間が、より区別されてくる。また歴
史的に見ると、1人の”案出者”がいるとされる宗教思想の最古のものと言ってよさそうで、それ以前の宗教の民族伝
承の寄せ集めと違う個人的なものがにおうし、仏陀よりも、孔子より(勿論これは形而上的な考察を排除するが)も早
く、イエスよりもずっと前の人物になる。
アベスター等からの、教義、説を、以下で考える時もこういった視点を、念頭に置くと大変参考になる。
さらに、今日ゾロアスターの影響を、考える場合、ニーチェとの関連 は本当は欠かせられないが、実はこれはやっかい
な問題で、一見すると全く、逆の主張をしているかのようであるから。
一方は、無神論であるかのようにいわれるし、一方はもちろんアフラマズダなどを敬う。また、「善悪」が無いような
思想のようにいわれるし、一方は「正義が、強調される宗教」だとされる。また、「永劫回帰」に対して、ゾロアスター
の「輪廻拒否」も・・・。しかし、先程の視点から、こういったことも以下のように考えることができると思う。そこで
ニーチェが、グートに対する日本語で「悪い」に当たる言葉、を特に2つ区別して用いていることなどを考えてみよう。
すなわち、「Sclecht」と[Böse」に関する話題●続くページへ(2003/8/30) |
そして、実際 ニーチェ自身の著作の論調の中に、すでにその”移行”への可能性が、いくつも示されている。それらを、シュペングラーとショ
ーの著作の内容をこれから以下対照する際に、付け加えて述べることにするが、その類のこととして、まず、あるのは、ニーチェでは”魂”自体、
個人的なものが中心でありながら、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアなどといった一種の民族の魂みたいな考え、また、ヨーロッパ人とし
ての魂みたいな考え、人類としての魂みたいな考えが、混沌として論じられる傾向がある。典型なのが、『善悪の彼岸』第8章の特に256などに
見られる、「統一ヨーロッパ」運動的な発想の記述であって、まさに論述は個々国々の違いと統一の間で意図的に揺れ動いている。また、古代ギ
リシャ的なものをもっぱら指向したのと同時に西欧文化との違いも認識せざるをえなかった論述も含めて、シュペングラーの統一されたヨーロッ
パ全体としての文化の誕生から文明としての死という、ファウスト的魂の考えがそういったところから、生まれているのは明らかみたいにも云え
るし、同様の例を幾つか含めてそれはまた多くの場合、ニーチェ自身のものより整理されたものになっているのも重要な点になる。
そのことは、ニーチェの大きな”弱点”を修正した”という、「言い方」も可能なくらいなのだが、反面 実は大きな問題も生じるということ。
その最も重要な例が、シュペングラーの
「ニーチェの”奴隷の道徳”は、幻影である。”主人の道徳”の方は、現実である。これは、構想されることさえも、必要としないのである。」
(1巻5章・12)
という本稿の先に挙げた話しであり、その部分でも説明したようにシュペングラーはニーチェの”奴隷道徳”と”主人道徳”を、否定して
しまって”主人道徳”のみとして、代わりに”悲劇的道徳”と”賎民的道徳”の区別を立てているのだが、そうするとニーチェの貴族(主
人)的道徳の命令的性格が、西欧文明全体にあるものとして、”不要な”社会的対立を引き起こす考えでもなくなるし、また、実際 ある
”文化の柔弱現象”みたいなものもニーチェも既に指摘していた西欧の文明の矮小化現象の方でまとめて説明できる。
こういった例に代表される”移行”は、20世紀前半の事情に即した非常に巧妙な現実的変更と言っていいくらいなのだが、それでも、今、
注目しなくてはならないのは、むしろ、こういったやり方において、この20世紀始め頃の社会的変化が、それ以前のどんな考えを、振る
い落としてしまったのか?と考えること。
シュペングラーが、省略してしまった”奴隷道徳”に対比される”主人道徳”は、単に”命令的なもの”以上の、一方的に価値規定するしか
ないし、それは”われ”によって意識的に規定できないところから起こるゆえの道徳だからなのであり、命令的なら何でも成立するというよ
り、むしろ”真理”として発言される背景の、「あらゆる哲学の奥の更なる一つの哲学」(J/9・289)によって規定されるもの、とすらい
える。 そして”奴隷道徳”は、単なる”矮小化”の歴史的現象でなく、利他的道徳を代表的なものとする、意志の力、生の力を滅却してい
こうという考え方の傾向を指し、さらに意識が無意識に対してある優位に立たねばならない、という考えにもつながっている。
こういう考えが何故省略されうるものだったのかという理由は、20世紀そのものみたいなもので、シュペングラーの最も目立つし、予言者
風の、西欧文明の新たな”没落”の時代という説、またはショーの語る”超人”に到るビジョン、そういったものが、思いつかれた時には、
それ以前の時代に対する”ある刺激”ともなった、 ひとつの典型的な20世紀的イメージ によってだ、と一応答えてもいいかもしれない。
(19世紀に対する”ひとつの典型的な20世紀的イメージ”それを強いて、補助的なイメージとして一つ表現すると・・・切り捨てによってより拡大に到るイメージといったもの・・・etc)
しかし、その時代を過ぎれば一層、それらは 結局”社会の運命”という その巨大で不可解なイメージ もしくは、はじめから真面目に考えに
くくなるような道具立て、として見えてくるのでないかと、少々先回りをして言っておきたい。
|
◇ 先回りついでに述べておけば、いわゆる『没落』Untergangという概念は、実は、シュペングラーにとってかなり複雑
なもので、普通の意味で”繁栄しなくなる”ということで全くないということは、注意しておきたいし、また、”西
欧の没落”の時代などという”文句”を、今日使うのは、一般的にはマチガイだし、普通はとても馬鹿げたこと。7
0年位前はこんなタイトルのおかげで、殆ど読みもしない人が沢山買ったのだろうけれど。(2003/7/21) |
そういった”新たな説”に対して、本稿のここで1度、書いておきたいのは、20世紀における”忠実な後継者”ともいえなくもないシュペン
グラーやB,ショーらによって、切り捨てられたニーチェの問題が、今や、より まっとうなもの、新しい手がかりとして、注意しておくべきも
のでないか?ということ。
すなわち、ショーペンハウエル=ニーチェ的な”意識と無意識の乖離の問題”とは、むしろ彼らの”意識と無意識の統一”が、本来の要請です
らないのか?ということ。
そういうことなら、それを考える材料は、色々と見つかってくるのでないのか?
ここで、使っている”意識と無意識”という言葉は、無論、不十分で便宜的な言葉だが、その対比を、より具体的にして、考えるやり方という
のは、 例えば もっとも単純な手がかりとしては、ニーチェの論ずるイギリス人の印象 など、余りにドイツ人的で、余りに眼前のやりとりの
絡まった話でないのか?と 問うこと、を挙げてもいいかもしれない。
また、さらに、こういう”セリフ”の裏と表を、拡げてイメージ出来ないか?というようなことも、挙げてもいいと思う・・・・・
「Upon the Kings! let us our lives,our souls,Our debts,our careful wives,Our children and our sins lay on the King!
We must bear all. O hard condition,Twin-born with greatness, subject to the breath Of every fool,whose sence no
more can feel But his own wringing !What infinite heart's-ease Must kings neglect,that private men enjoy !・・・・」
(・・・『 Henry X』・ACT W/SCENE 1 )
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ちょっと、ニーチェの説明が予定の倍以上もかかっちゃいました。でも重要な問題がいくつも関係しているので、無駄
でも、無かったと思っています。(これからの話題で関連もしますし・・・)▼
これから、書かねばならない部分が、まだ2ページ分くらい、あるみたいですね?どうも? シュペングラーとショー
の考え方の対比を、これからも幾つかテーマを追って進めますが、次は、具体的なショーのアンダーシャフト的なもの
、19世紀のイプセン的女性問題、ロマン主義否定と詩人否定、ポピュラー音楽と現在、総まとめ・・・みたいな感じで、
なるべく簡潔に書いていくつもりです。
▼ 2003年・1月22日 以上 ここまで記載。文章の語呂の悪いような単純な修正 は前の日の分でも遡って行ってはい
ますが・・・以後継続していきます・・・
直接、音楽について、しばらく書いていないこともあって、先に”ピアノ協奏曲”に関するページを仕上げてから、こ
っちのページを継ぎ足していきます。また遅れてしまっている・・・・・・・!(2003/2/22)
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『メジャーバーバー』における、アンダーシャフトみたいなものは、『人と超人』の、ターナーとマローン的なものの、
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