◆◆ 協奏曲3番/ 2番 / ラフマニノフの創作の略伝 / 1番 / 4番     ◆◆  
 
     ”B・Thomson指揮のCDを中心とした、”   ◇◇  協奏曲について、(ピアノ)  ◇◇    ※ ・・・ラフマニノフ・フンメル・ハーティー・ヴォーン ウィリアムス               & ブラームス・サン サーンス etc ・・・
 『 Rachmaninov  Comp. Piano Concertos :
         Shelley, Thomson / Scottish National. O 』

 『 Vaughan Williams :
       Piano Concerto /THE LONDON SYMPHONY ORCHESTRA』
          (pf)ハワード・シェリー



 ハワード・シェリーHoward Shelleyは、1971年ロンドンでデビューしたということだし、                           
 また最近の写真を見ても、50歳前後の人なのか?
 日本でその名前を余り聞くことはないみたいだけれど、ちょっと調べても、モーツアルト
 のピアノ協奏曲とかラフマニノフの”楽興の時”などいろいろ※とかショパンのソナタな
 ど独奏曲、そして、ティペット、フィンジやアルウィンなどのイギリスの現代の作曲家の
 作品の演奏、また、モーツアルトの弾き振りなどの他、指揮活動もやるようになっている
 みたいで、変わったところではフンメルのマンドリン協奏曲を指揮したCDなど、結構たく
 さんのレコーディング活動をやっている。
 何人もの20世紀の重要な指揮者たちと共演しているし、また、むこうの音楽番組、その関
 係のTVドキュメンタリーみたいなものにも出演したりしていて、むしろ今日の「イギリス
 を代表する現役ピアニスト」みたいな人と考えた方が良さそう。

 (※ラフマニノフ独奏ピアノ作品全集といった大規模なものが、ヒューペリオンから出されている。補注・2003/3/25)

 私なども、実演はもちろん、ビデオ映像みたいなものでも演奏する姿を、見たことがない
 からもうひとつどんなレベルの人だか、完全には判らない。が、最近、何度か来日して日
 本でもお馴染みみたいになった、多分1回り下位の61年のイギリス生まれの、S・ハフなど
 の演奏からも、音色や音楽作り、テクニックの点で、違いと同時にやはりCDでのシェリー
 の演奏とある程度共通するものを感じるので、想像できそうな気もする。

 シャンドスのブライデン・トムソンの指揮では、ハフの方が、珍しいフンメルのピアノ協
 奏曲の方をやっていて、シェリーはラフマニノフの協奏曲全曲となっている訳だが、ハフ
 は、来日したとき日本のオーケストラとラフマニノフの3番の協奏曲をやっていた。

 ここ10年位の間、何度か来日して、”武満”の18歳の時の作品だというピアノ独奏曲 
 まで弾いたりして、また ロンドンシンフォニエッタなどにも関わって、様々な活動をし
 ているらしいポール・クロスリーという、ピアニスト(1944年イギリス生まれだそう・・・)
 も、ちょっと淡い水彩絵の具的な音色感覚と、ある種知的な音楽作りの傾向みたいなもの、
 では先の2人と共通するが、クロスリーは、そんなにピアノ演奏力で、圧倒するタイプで
 もなさそう。
 従来 もっぱら華美に弾かれがちだったフランス系のピアノ音楽を素直に、ちょっと素朴
 な感じで弾いたところに面白みのあった人だと思うけど、一方のハフは、そのラフマニノ
 フの3番といったものを、ドライなテクニックで楽々弾いて、見せる人。
 シェリーも、多分 このCDから、想像すると、ハフみたいに、かなりクールに演奏テクニ
 ックの手早さと、安定性を、演奏会でも実現できるタイプみたいに思うけど、けれどハフ
 ほどドライな活発性の感じの方向に行くのでなく、詩的な感じがよりあるみたいにも思う。

 大体、ラフマニノフの4曲を全部、一流のレーベルの水準で短期間に録音してしまうとい
 うことを、このシェリーのようにやれる人は現在でも何人もいないのかも?
 カタログでは、アシュケナージのものが他に代表的で、あとはハンガリーの昔の”若手3
 人”の一人コチシュ、ヴァシャーリなど・・
 3番が難しい、というのも 今では、常識みたいになったが、実際、だいぶ以前は有名な
 ホロビッツのものの他アシュケナージの物くらいが、3番だけのレコードにしても、日本
 で普通に手にはいるもの全てになったんじゃないかと思う。

 そのホロビッツが、未だ来日していなかった頃、57人の日本人ツアーまであったりした年
 の前年「ピアノ・クォータリー誌」の1975年のインタビューで、ラフマニノフの協奏
 曲について質問されたとき、
 「みんな好きだ。1番は大変好き。あまり演奏されないが。2番は使い古しというか、弾
  かれ過ぎだ。4番は、一番弱い。・・・今コンサートをやるなら、3番を弾くだろう。そ
  のコンサートは、その偉大な人間を記念してやられなければならない。私はラフマニノ
  フの親友だったんだ・・・」というふうに言っていたらしい。

 にもかかわらず、このシェリーらの「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲全集」のCDを、聴いて
 まず思うことは、この4曲の協奏曲が、充分 均等な面白さがあり、それは、この作曲家
 の本質に関わるという感想になる。  (2003/1/31〜2/1ここまで書く・・・)

 3番は、commodo コモド=気楽に の指示の付けられた両手の指1本でも弾けるオウターヴ
 で重ねられ24小節続ける、わざとらしいくらい簡単な”歌”の第1主題の呈示で、始まり
 オーケストラの弦のはじめの半拍を欠いた3つの8分音符のザワワ、ザワワという動きを
 主とした簡単な伴奏の付けられたその部分が終わると、Piu mosso ピウ・モッソで、独
 奏者は急に、分散和音をもとにした休みのない16分音符の連続的フレーズそして、細かく
 上昇していくフレーズでどんどん速められた感じになっていき、少し珍しい第1主題呈示
 のあとでもう、独奏者の技巧的な早い動きの普通のカデンツァみたいなものが出てくる。
 その後はじめのテンポに戻って、落ち着きを取り戻すみたいな両手の和音のつながりの2
 小節くらいのピアノの音形をもとにした第2主題があり、それがノクターンみたいな音形
 を中声にもつピアノ音楽に変わり、そこにドルッチェでソロのファゴットやオーボエ、ク
 ラリネットが絡んだ後、ピアノの和音は両手で厚みを持った壮大さになり、ピアノのアレ
 グロの装飾的走句も加わっておさまった後、展開部といえる部分になり、曲の冒頭の形そ
 のままで、そのテンポに戻り、第1主題が現れる。すぐピウ・モッソでピアノが揺れ動く
 ような繰り返しの音形のさざ波が高まっていって、ピウ・ヴィーヴォの、もっと活発に速
 くの指示の下で、ちょうどスクリャービンの嬰ハ短調のop42のaffannatoの練習曲を思わ
 せるバスの動きに中声部の細かい動きも弾かねばらない16小節の後(ショパンの前奏曲の
 アジタートの嬰ヘ短調的系統の音楽ともいえる)、3連のリズムをもとにした両手のピア
 ノの重厚な和音の連打と2拍を付点でとるリズムの管と弦が交叉して1楽章全体の中のff
 fのクライマックスにアッチェランドしていって達する。
 この頂点部分のオケと独奏者の打ち合う音楽は、ブラームスのニ短調の協奏曲と同じく、
 ベートーヴェンのいわゆる”皇帝”の展開部の、ピアニストがずっとオクターヴを両手で
 弾き続けなければ部分の、いろんな意味で後継であるともいえる。あと、揺れ動くような
 動きがまた出てきて、しばらく音量も弱まり動きもリテヌートするが、すぐ、この作曲家
 の前奏曲1曲分を越すある長くて大変なカデンツアになり、独奏者の力を誇示した後、も
 とのテンポで、ほぼ元の形のあの第1主題が戻ってきて、付け足し気味の第2主題もない
 短い再現部の軽い感じで1楽章は終わる。(こういう再現部が簡単に回想風に現れるのは
 、ウォルトンの曲を連想する・・・)

 この1楽章は、アレグロ・マ・ノンタント(多くなく)で少しゆっくり目で始まり、それ
 がどんどん技巧的に速きなっていき、第2主題で少し遅くなったあと、展開部で再びだん
 だん速くなり、頂点で、アレグロ・モルトになる。一旦収まって、技巧的な変化の激しい
 動きのカデンツァ、そしてはじめのテンポの再現。・・・というように、速度指示が、曲の
 技巧的な困難さに伴うこの曲の表情変化・内容に深く関係している。

 この曲に較べると、ベートーヴェンの変ホ長調の協奏曲の最初の楽章も、再現部で序奏の
 ピアノのカデンツアが現れるところで、ちょっとsenza tempoになるくらいで冒頭のアレ
 グロ指示はずっと全く変わらないわけだし、”ロマン派”といえるブラームスのさきの協
 奏曲の1楽章でも第2主題の出るところで、ピウ・ポコ・モデラートの指示があり、終わ
 りにポコ・ピウ・アニマートがでるだけあとはずっとテンポ指示でもあるマエストーソで
 あり、リタルダント指示も1つもない。

 ラフマニノフのこの曲の、例えば、第1主題が呈示されどんどん速まって、勢いが余った
 感じの小さなカディンツァのあと、モデラートに落ちて、低音の弦とファゴットが第1主
 題を少し移した落ち着いたフレーズを出し、すぐ1小節だけ2分の3拍子で、アラルガン
 ドし、すぐ、ア・テンポで戻し、リタルダンド指示の後また直ぐにア・テンポとなって、
 第2主題が呈示されるのだが、こういった細かい指示のある部分に対して シェリー、ト
 ムソン盤は、アラルガントでテンポを落としつつ音を強め、それをア・テンポで直ぐ戻し
 、またrit指示された小節のところから、テンポを落とし、また戻すのを忠実にやってい
 る。そして、頂点に到る部分も、最初のテンポから、ピウ・モッソ、ピウ・ヴィーヴォの
 6連符の動き、それから、アレグロの和音連打がffでアッチェランドし、アラ・ブレーヴ
 ェのアレグロ・モルトに到るテンポ変化の流れも、彼らの演奏では、非常に精密な感覚で
 再現されている印象であり、ritがあるところで、ちゃんと行われるのと同様、また余分
 な指示されていないテンポ変化も、独奏者の楽器における自然なフレージングに合わせる
 ような場合の他は殆ど無く、かっちり進んでいく。このことは全体にシェリー、トムソン
 盤の大きな特徴でもある。

 こういったことは、案外、充分にはやられていないことでもある。バイロン・ジャニスは
 、優秀なピアニストで、バリバリと弾くし、音楽も面白みをちゃんと持った人だが、Aド
 ラティと一緒にやったこのラフマニノフの3番では、とても 魅力を持つ部分もあるけれ
 ど、テンポの点ではrit指示も殆ど無視しているし、ピウ・モッソもアッチェランドも充
 分感じられず、大体の部分を早めのアレグロやモデラートですっ飛ばして弾き通し、あま
 り譜面指示と関係ないところでルバ−ト気味にしたりする結果、技術的卓抜さと同時に、
 妙にあっさりした感じになる。
 アシュケナージのレコードは、音楽学生のお手本みたいに使われることも多いらしいが、      
 63年録音のアナトール・フィストーラリ指揮でやった3番のものでは、先の小さなカデン
 ツアの後の部分で、アラルガントのあとで直ぐテンポが戻ってくるカンジが乏しく、時間
 の伸び縮みによる雰囲気の切り替えが余りなく、ぼんやりとテンポが戻って、大味な感じ
 はどうしてもする。これは、そもそもアシュケナージの冒頭のテンポがかなり遅めという
 ことは当然関係していると思われるのだが、そこから、もっと重要なのは、肝心の頂点部
 分で、ピウ・ヴィーヴォの部分の中声部の音が抑えられていて、それほど生きていないし
 、上声の3連符のひとつの短いA音からはじまり、C、B、A#、A、G#、A、Bという風なメ
 ロディーで、長い音とテヌートのついた短い音が繰り返しのアクセントのように続いてい
 くのだが、アシュケナージの場合、(例えば、むしろあとのA#の方も押さえつけて弾く
 ような”変な?”歌わせ方ゆえ)少しオーバーにいうと4分の4拍子の単調に2拍と4拍
 が強調されたように聞こえ(乱暴な表現だけど・・・)、また 音量変化は付けられるがピ
 ウ・ヴィーヴォの感じは余りしない。やはり、和音の連打部分でアッチェランドし、アレ
 グロ・モルトの変化をするのだけれど、ここでも何だか曲の基本的テンポが少々遅い感じ
 がする。これは、アシュケナージのピアノの音色の独特の豊麗さが災いしているともいえ
 るのだろう。この音で聴くと、譜面の指示のモルト・マルカートの感じがなくなるわけだ
 し、そこに輪をかけて、ここでのオケの方の鳴らせ方も、ホルンとファゴットの丸っこい
 響きを、ずっと付点4分音符と8分音符の単調なリズムで繰り返して鳴らして”伴奏”し
 ているのでなおさら、切迫感は乏しくなる。

 シェリー、トムソン盤だと、ピウ・ヴィーボのところの中声部は、渦を巻くように絡みつ
 き、その上声も緊張感をもったもので、その後もたしかに、ピアノの音はアシュケナージ
 に較べると、相当 痩せた感じの音だが、全くモルト・マルカートでシャープに頂点に、
 到る。ブライデン・トムソンの指揮は、譜面のテンポに関してはとても精密な感じである
 ことが多いが、音量のダイナミックに関しては、クレッシェンドやフォルテ、ピアノの
 譜面の指示を単純に音にするというより、ニュアンスの変化程度に止める傾向がある。音
 量の変化を余り単純に付けると、音楽の流れを分断してしまい、これは考えの足りない演
 奏家が、譜面にfとあると自動的に音量を大きくしてしまう場合に、よくある結果で、そ
 れに対して このひとの場合、曲全体の大きな流れに注目して、ダイナミックを付けてい
 く傾向があるし、またメロディーの移り変わりや変化に注目させようとする。この部分に
 おいても、アレグロの独奏パートの和音の連打に入って、3小節目のホルンの変ロ音のフ
 ォルテを、目立つように演奏して、続くアレグロ・モルトのあとの管のファンファーレの
 予兆として意識させようとするのも効果的だし、アッチェランドに入る前のオケの締まっ
 た響きで、合わせている中の、ティンパニのフォルテのついた4つの音も、上手に入る。
                 (2003/2/16ここまでに書きました・・・)
 けなしているようで、気の毒なのでアシュケナージ盤について、言い添えておくなら、や
 はり、全般に豊かで透明なピアノの響きは魅力だし、とくに長いカディンツァのところの
 演奏などやはりきれい。(ロシア音楽のついでに、書いておけば、アシュケナージのスク
 リャービン”ソナタ全集”は、豊かな響きとくふうされた演奏でとても良いもの。また、
 作品56-1の4つの小品のような作品も、アシュケナージ独特のアルペジオの使い方と彼の
 音の響きなどで、とくに充実した音楽になっている例になる。)

 ラフマニノフのこの曲といえば、当然 ホロヴィッツの録音がある。

 ホロヴィッツに対して、以前は”知的な演奏でない”などと、得意になって云いたがるひ
 とが結構いたものだが、まず、ばからしい意見であることがほとんどで、そこのある種の
 表現の激しさについていけないだけであって、そんな人たちにかぎって大体が、代わりに
 どうでもいいような、つまらない表面的な演奏を持ち上げていたりする。
 ホロヴィッツの音楽に関した意見は、大体 的をいたもので、自分の観点をもつ経験を積ん
 だ重要な音楽家としての発言と考えるべきなのだが、そのホロヴィッツの強く意識してい
 たラフマニノフの、3番の演奏は、先に引用したインタビューでの答えなどと相応なもの
 がやはりある。
 (ついでに、書いておけば彼が子供の頃に、スクリャービンに会ったことのある話を特に
  しているのは、ソフロニツキーに対抗する正当性を意識していたのかもしれない?モス
  クワコンサートで”帰郷”したとき、スクリャービンの娘と会見しているときの態度は
  微妙なものがあったのかもしれない?)

 ホロヴィッツのものは、BMGにライナーと共演した51年録音のものと83年の初来日の少し
 前になる78年に映像録画されているメーターとのもの、そのあとのオーマンディーと入れ
 た録音が、代表的なものになるだろうが、78年のものは、落ちた音や音の少し硬い感じと
 危なっかしいところもあるが(日本にはじめて来たときほど極端でないが)基本的にオー
 マンディー盤とこれは、よく似た解釈になっている。同じ、ニューヨーク・フィルハーモ
 ニー(あとで、このオケの音色が不向きだった、と本人は語っていたが・・)を使ったほぼ
 同じような感じだが、両者のうち、メーターの方はもっと、押しの強い感じで、木目は粗
 く、オーマンディーの方は、丸みのある感じで、粗は少なめな演奏になっている。51年の
 ものもまた、基本的には似たようなものといえるが、高齢のホロヴィッツの演奏の方が、
 このピアニストの考え方のより濃厚な演奏だともいえるから、一応 そちらを中心に見て
 みる。

 ホロヴィッツは相当、意識的に楽譜を検討して、いわゆる ”ピアニスティック”な見地
 から、自分独自のものを投入していくようなのだが、(プロコフィエフのソナタのレコー
 ドなどで譜面の間違い箇所をそのまま弾いているという話しもあるが、それほど大した問
 題でもないし、一般に中年期ぐらいの録音は、やはりこの検討しようとする傾向はやはり
 相当あるみたい・・)曲の部分的変化に、テンポの点でも各々対応した演奏をするし、第1
 楽章の頂点部分など、激しいクライマックスを作り出す。個々のピアノの手さばきによる
 きらびやかなフレーズを中心にして、そういった部分が独立して強調され、のびもするが、
 特に、第2楽章のような音楽の場合、他の誰も見られないくらい、”意味の分かる”音楽
 になるし、(あるイミ、妙なことでもあるけれど、ラフマニノフの残した録音以上に・・・)
 もとろん、シェリーのような、先鋭な速いスピードできっちり通すということは、70を
 過ぎたホロヴィッツに見られるわけでないが、それでも速い部分のスリルは十分あるし、
 少々荒く勝手な感じなることはあっても、若々しいシェリーよりもむしろショッキングな
 強音も含めて、何より、壮大で豪快、その低音の鳴らし方、豊かなペダルの響きを使った
 音による大きな流れのある音楽に、最後まで、作り上げてみせる。

 それは、ピアノの部分だけでなく、オーケストラのみの所も、そんな感じになる。全体に
 ピアノの”歌う”ような流れが強調され、拍は単純に刻むのから全体的に弱めになる。
 ベン(十分に)・カンタービレの指示の目立つ30小節続く、2楽章インテルメッツオの冒
 頭部分でホロヴィッツ盤では、メーターのものもオーマンディーのものも、独立した一曲
 のように、少し譜面指示より大きめの音で、表情が深く彫り込んだ感じで付けられる。
 ホロヴィッツ盤を聴くと、シェリー、トムソン盤より、ある面、もっと充実したものがあ
 り、非常に”本来的なもの”がある、とも思わせられる。
 シェリー、トムソン盤でも、2楽章のアダージョようなピアノを歌わさねばならない音楽
 は、もちろん、そんなにきちっとした拍子がずっととられているわけでないし、また、確
 かにあるパワフルな感じのホロヴィッツ盤ではあるけど、何かすこし支配的な感じのして
 くる、その演奏をずっと聴いていると、2楽章冒頭部分などでも、よりオーケストラの各
 奏者の存在の見える、シェリー、トムソン盤の控えめな態度が、精密という面を除いても、
 なつかしくなる。
  (2003/2/18。また2/20、3行ほど付け足す・・・・)

 第2番は、その一般的に出ている楽譜には、メトロノームの指示が載っていて、1楽章の
 出だしの全音符のピアノだけの8小節の重厚な和音で始まるモデラートは、2分音符で66、
 展開部のオーケストラがトリルを入れている間、せわしくピアニストが弾かねばならない
 ピウ・ヴィーヴォのところは、まず2分音符で76、それから80、そしてアレグロで、96
 再現部で第1主題の後半の有名な旋律を、わかりやすい左手のアルペジオ的な音形を伴っ
 てほぼ、単独に弾く部分が、メノ・モッソで、2分音符の76、他・・というような具体的数
 字が与えられている。

 ”通俗名曲”みたいに考えられやすかった、この曲に対して、ピアニストがバンバン弾き
 飛ばして行くパターンも、結構ありそうだけれど、あるイミ、いかにも”ロマンティック”
 なものの伺える速度指示に対して、そもそも、作曲者自らの残した有名なストコフスキー
 との共演した1934年の録音が、この指定に完全には従っていない。だから、大体の所、こ
 ういったメトロノーム指示の数字は、多くの人に無難な標準的目安なのであり、ラフマニ
 ノフ自身も、演奏家としては、独特のラフマニノフ的テンポが、ありうる、ということな
 のかもしれない。

 シェリー・トムソン盤は、まず、ラフマニノフの自作自演盤を念頭に置き、そしてメトロ
 ノーム的な標準的なテンポに対しても、それなりに、意識的になって”造形”された演奏
 といえるところがある。例えば、
 まず、冒頭の全音符の和音を主とした8小節までの部分は、66より、遅く、 ア・テンポ
 になって、しばらくでかなりより速くなり、アルペジオ的低音の鍵盤の波のような動きに、
 右手でより重厚な音を付け加えるくらいから、66のテンポに戻り、ウンポコ・ピウ・モッ
 ソの両手の独立した”線的”動きの重なる技巧的な速い部分になるが、こういった最初ア
 ルペジョ的部分が随分速いなどといった変化は、勝手と云うより、自作自演盤の流れとほ
 ぼ似たものになっている。

 また、全体を通した印象も、シェリー・トムソン盤は、ストコフスキーとラフマニノフの
 自作自演盤全体の感じに似ていて、ある種の瑞々しさを伴った感じも含め、80年代末の録
 音技術で再現している風なところすらあるかもしれない。

 その第1楽章の冒頭の和音の後、第1主題のハ短調のメロディーがオーケストラ部分で、
 奏されている間、ピアノが波のような音形をずっと弾いた後、小さなピアノのカディンツ
 ァみたいな走句のフレーズのあと、変ホ長調の第2主題が、先に書いたテンポのモデラー
 トでやられ、また、独奏ピアノの走句を挟んで、展開部でピアノの両手の線的交叉する動
 きがピウ・ビーヴォでテンポを速め、アッチェランドを経過して、オーケストラとの掛け
 合いが激しくなり、先に挙げた数字のアレグロで、両手の重厚な和音で打ち合い、ちょっ
 とritした後、この曲の中で最も特徴的なピアノの上昇的な8小節の和音のクレッシェン  
 ドになったあと、重厚なピアノのオクターブの響きを伴った行進曲の格好で第1主題の前
 半がオケで再現として戻ってくる。それがメノ・モッソ76の柔らかいピアノ音楽の情緒的
 なものに変貌したのち、オケだけで第2主題もモデラート69で僅かに再現して、コーダに
 はいりメノ・モッソ63でもっと遅くなるが、最後14小節くらいだけ急にアッチェランド
 して終わる。
 2楽章は、一応 3部形式で、アダージョ・ソステヌートで間に、アニマートの動きの
 速くなる部分を置いて、また元のテンポでアダージョになる。
 3楽章は、一聴すると、いかにもロンド形式っぽい音楽だが、少し複雑で、アレグロ・
 スケルツァンドで、次にでる第1主題と部分的に似たオケのみの前の楽章からの冒頭の弦
 の動きの連結部分ぽい音楽のあと、始まりを示すようなピアノの鍵盤の上から下までの派
 手なグリッサンド風の音があり、第3番の3楽章のマーチの主題と似た音形 の第1主題
 が、アレグロでピアノが両手で技巧的にパタパタと演奏する部分から、移り変わって左手
 のアルペジオ的音形を伴うメロディックなモデラートの第2主題になる。続いて、遅いメ
 ノ・モッソで第1主題の断片がゆらゆらとピアノで鳴り、その第1主題の変奏形みたいに
 してピウ・モッソ、プレストとどんどん速くなっていき、フガートな変奏もはさんで、ピ
 アノソロの両手の流れるような動きが速くなっていき、最後にオケのみでピウ・ヴィーボ
 で最も速く重厚な音で第1主題が奏されたのち、転換しモデラートの第2主題が、調が変
 わるが、ほぼ同じようでる。そしてまた調の変わった状態で、第1主題のどんどん速まる
 変奏部分が、ほぼ同じ様だが短縮されてつながり、アッチェランドし、アジタートでピア
 ノはパタパタ動き、プレストではじめのグリッサンドが少し変形して出現し区切りをつけ
 たあと、最後に力強いものに変わった第2主題が朗々と歌われ、終わりはおまけのように
 ピウ・ヴィーボ、リゾリュートで、激しく急速度の動きで全曲を閉じる。

 第1楽章は、また始めと終わりだけの少しの部分を別にすると、3番の第1楽章の頂点部
 分に向かい穏やかになるテンポ的な動き、(独立的な長いカディンツア部分を除く)大き
 な流れとほぼ同様で、第3楽章は、第1主題の運動的性格Aと第2主題の叙情的性格Bが、
 2つの対比的速度でもあり、そこにどんどん速くなる第1主題の変奏曲A’と短縮化したA”
 部分をつなげることで、各々に続く第2主題部分が各々変わっていく・・
 、という具合で、ラフマニノフのこういった曲の場合、速度表示をここで問題にするのは、
 曲の対比と進展の構造において、心拍数などと、ある程度関係する打拍の速度が主題の旋
 律の情緒に根本的に結びつく感じであるからで、戦後音楽によくあるような単に数量的な
 曲の速度変化でもないし、一曲内ほとんど速度変化の指示をしない古典派以前の音楽でも
 ないということ。
 
 シェリー・トムソン盤は、こういった第1楽章、第3楽章の山場などの速度変化をそのく
 らいか、すこし速いくらい、ほぼメトロノーム的にもやっているが、ただ、ラフマニノフ
 の自作自演盤などとも、違うのは、まず 3楽章のアレグロ・スケルツァンドで、メトロ
 ノームだと、2分音符で116だが、ラフマニノフは、120くらい、シェリーは126くらいで、
 もっと速い。第2主題が出てくるちょと前のピアノソロのメノモッソの前まで、締まった
 きっちりしたリズムで奏されるので、非常にシャープな感じになる。また、ピアノだけで
 なく冒頭の導入部の、導入部分の簡単だが少しトリッキーな動きの弦のところも、普通、
 モコモコとした動きに聞こえるにもかかわらず、ピリッとした感じを失わないし、またこ
 のパタパタした動きで始まる第1主題を変えて繰り返し呈示の最後、ffで強調してピアノ
 が両手の重厚な和音で第1主題の原型みたいな格好を確認するように出てくるところで、
 (その後の第2主題に緩やかに移っていく始めにも第1主題はちらつくが)オケが、ピア
 ノのffの前に、前の小節の8分音符からG-Cの音を入れる時の独特な鋭さもこの3楽章始
 めの方の演奏の特徴を現している。この感覚は、ソロモンがいわゆる月光ソナタの嬰ト短
 調の第2主題から派生する重ねた8分音符で連打するロ音から嬰ニ音への楽想を奏する際
 などの非常に特徴的な鋭利な動きや、彼がチャイコフスキーのピアノ協奏曲をやったとき
 のハ−ティーの指揮するオケの3楽章の舞曲風なリズムの独特な鋭さなどと、共通するも
 のでもある。

 逆に、もう一つ典型的な部分は、2楽章の冒頭でここはより遅い、オーケストラのみの静
 かに響く4小節辺りになる。シェリー・トムソン盤のこの部分を聴くと、変ホ長調からホ
 長調に転換するこの部分の、半音階的バスの歩み、C・B・A♭・G・F・E♭・G#・E・D#・
 C#・(C)と低音弦で下りながら調を変え、前の楽章と違った世界に移っていく正にその
 瞬間、独特な厳粛さのデリケートな表現、そこのクラリネット、ファゴット、ホルンの音
 その後、ピアノの3連音が流れてきて、ソロのフルートが入るって来る・・・、ちょっとこ
 の曲の他で聴いたことのない様な雰囲気になる。”デジタル録音”がその霊妙な空気み
 たいなものになる分解された楽器の音を捉えているが、テンポの点では確かに、楽譜の4
 分の4拍子で、4分音符で52と冒頭で記されるが、シェリー・トムソン盤は始めは40ぐ
 らいのかなりの遅さでゆっくり2分音符を奏していき、4小節目の4つの4分音符ではも
 っと遅い感じになってから、ピアノの音が導かれる。ピアノの3連音が始まってからも、
 しばらくはテンポは、遅いままだがフルートが入ってきて、しばらくで52ぐらいのスピ
 −ドになり、かなりそこを安定的な中心とするテンポでもって、アニマートぐらいのとこ
 ろまで進める。しかし、このやりかたに近いものは、ストコフスキー&ラフマニノフがや
 っているわけで、始めから変化していくテンポの流れは、よく似ているし、ただシェリー
 ・トムソン盤ほど、遅くしていないとはいえる。

 (シェリー・トムソン盤の2楽章の全体の流麗な美しさ、のある種の”深さ”を味わうに
  は、あんまり再生機械が悪いと、やっぱり駄目みたいなのは、それなりに重要なことに
  なる。 LP初期の音などと、違った感覚 がそこの根本にあって、その意味では、晩年
  のヴァントの音楽を独特なものにしているのも、こういう技術的発達状況と関係ありそ
  うな気もする。・・・まあ、ヴァントについては常識程度にしか知らないけど・・・
  そしてその晩年近くのヴァントの音楽とこういったB・トムソンの一連のCD盤の音の感
  覚は、そのような点でとても近いところがあり、もしかして、この関連は、ヨーロッパ
  のクラシック音楽産業の中で何らかの理由みたいなものを見つけられるかも??)


  ※ 蛇足になるけど、こういった80年以降の録音技術の変化と発達は、現在までのとこ
   ろ、固有の聴取感と結びついていて、上手にその美質が生かされた演奏方法による
   録音の場合、テープのヒスノイズで隠される部分が無くなることもあって、音が発
   されるときの空気のような感覚を伴っている。それは、絵において対象を光の粒の
   単位まで、分解して得られるところの”詩情”を描いたフェルメールの絵画の持っ
   ているものに結構近くなる。しかしながら、みんな感じていそうなことなのに、そ
   ういうような感覚が言及された意見に類するものを、殆ど見かけたこともないのは
   逆に不思議な気がする??
   譜面に直接ある指示だけでなく、ある自作自演盤に部分的な特徴を、拡大して見せるよう  な、より速くしたり遅くしたりすという、こういう幾つかの箇所をもって、シェリー・ト  ムソン盤が、何か”誇張された表現”を行っていると、云うとすると、しかし、誤った言  い方に近くなってしまうと思う。  もちろん、あるイミ”誇張”といえないわけでもないけれど、単純にそう言うと重要なも  のを見落とす。というのは、3楽章のアレグロ・スケルツァンドのはじめの部分が、なぜ  速くなってしまうかとういうと、そこのラフマニノフの演奏にも、まだあった”民族楽的  ダンス的身振り”の装飾が、無くなってしまうからであり、また第1主題を強く確認する  ような言い方の前に、オーケストラが鋭く鳴るのは、余分なものを認めず”時刻通りだ”  (『銀河鉄道の夜』の中のセリフじゃないけど)と宣言しているようなところがある。  一方 また、ストコフスキーとラフマニノフの自作自演盤では、自身で記載しているはず  のritを案外、それと判る感じでやらず、あんまり”ロマンティック”になるのを嫌うかの  ように、あっさりちょっとした弾き方の変化で済ましてしまっている傾向がある。シェリー  ・トムソン盤では、主に曲の転換部位に付けられているritを、かなり意識させる感じに拘  ると同じ様なこととして、2楽章冒頭があるとも、いえそうなのだが。  こういったズレというか、違いは、”演奏家”という存在において、ラフマニノフが生み  出された音楽土壌と、レコーディングという”定着化”を、前提にした”演奏家”という  ”新たな”音楽家の成立した上での土壌との差異でもって、やはり考えてみる必要はある。  この新しい職業意識?以前のものとは、簡単に云えば、演奏として出ている”音”はむし  ろ結果でしかないぐらいのもので、演奏とは、奏法、もしくはピアノを弾くという事に関  する総合的教養で、その度合いを聴くのが演奏会とすらいえるカンジになる。すなわち、  音はその場限りの現実化でしかないものというぐらいなのだが、一方レコードとして定着  できるようになる時代では、”サウンドとしての?音”自体が重要で、それでもって録音  テープの上に描き出した”絵”に近いものが、演奏芸術になってしまう。これは、20世紀  における、ある大きな考えの変化の代表例でもある。   (あとで、4番のときにも、その演奏について触れるが、どうも、    ミケランジェリ辺りから、起こったと考えて良さそうなものだが・・)  そして、ラフマニノフの演奏は、その変化の起こる以前の感覚のものだとも考えていい。  というのは、こういう録音テープの上に描き出した”絵”という発想になって演奏家が、  作曲家から本格的に独自的なもの、となってくるのであって、結局のところ、作曲家は  音符で考える商売だし、演奏家は出ている音を考える商売という違いの問題が、ここに  根本的に絡んでくるから。  ラフマニノフ自身が、非常に上手なピアノ演奏家であったとは必ず触れられることなのだ  が、実際 このストコフスキーと共演した有名な2番のレコードは、確かに細部は録音の  古さゆえ聞き取りづらいにもかかわらず、和音を楽々掴まえて、明るいしっかりした音を  鳴らし、当然かも知れないが全曲の仕組みを如何にも知り尽くしたというような余裕、そ  して、3番の残された録音での、曲がりくねったフレーズを鳴らす上手さにみえる独特な  ”指が回る”というような特徴がある。  しかし、一方、全体的に表現が淡々として、先程上げたritの例のように、フレーズの流れ  の意識が手の運動感覚に結びついているみたいで、メロディーとしては割と短い単位で切  れるようなところがあるし、暖かみは案外あり、ニュアンスの変化はある弾き方なのだけ  ど、それほど突っ込んだ深刻な表現はしないで、投げ出すような男性的勢いであったりす  る。  録音テープの上に描き出した”絵”であり、何度でも聴き、一回性から遠ざかったもの、  という価値観の上に立てば、演奏は、ハッキリした美しい楽器の音色、そしてその強音の  量感、ムラのない整然とした構成、フレージングのその曲にあった説得力・・などが、自ず  と必要な条件になってくる。 また、レコード的なフレージングの説得性に関してもっと  云えば、気まぐれなものでなく、ラジオの文章の朗読の上手下手ようなものになる。何を  云っているか聞き取りづらい部分があってはならず、まずまんべんなく聞こえ、話の全体  の流れが、実感を持って伝わってこなければならない。  こういう視点において眺めると、シェリー・トムソン盤に較べても、2番の2楽章のよう  な音楽において、ラフマニノフの演奏は結構”甘く”聞こえる。そして、それは3楽章の  速くなっていく部分などにおける、投げ出すような男性的勢いの無愛想さと、”量的”バ  ランスをとるかのようでもある。シェリー・トムソン盤の方が、フレージングの各部分と  のつながりが、意識的に、留意されて聞こえる説得力の分、その曲の流れ自体の必然性は  高まる。  また、ラフマニノフの演奏する3楽章の投げ出すような男性的勢いは、民族音楽的な臨場  的感覚で、音よりも奏法を含めた体験自体を共有することにおいて本来の説得力を持つの  で、録音物としての条件に矛盾するようなところがある。  シェリー・トムソン盤で、多少テンポがより速くなったり、遅くなったりする部分がある  というのは、それがフレーズの変化やつながりに、より純粋に留意して、全体を立体的に  捉えようとする必然性からくるものを、持っている。だから、根本的に音符の速度変化で  組み上げられた構成物である面を持つ、こういったラフマニノフの協奏曲において、それ  は必然性のない誇張ではない。むしろ、”録音物”という観点からすれば、ストコフスキ  ー・ラフマニノフ盤の方の演奏が、敢えて云うと2楽章3楽章に見られる情緒など、ある  別のもので、もしくは”誇張的”なのであり、全体の流れのつながりからの必然性は、薄  くなる。  (このことも、作った人自身が、自らの作ったものを”知らない”かのように見える”奇妙”   な私たちの精神の持つ重要な現象の実例の一つで、無くはないわけだ。)     とはいえ、シェリーの抑えた響きに対して、古い録音を通して響く、そこのラフマニノフ  自身のピアノの音の独特の輝きは、単なる表面的好みで片づくものでなく、やはり、この  協奏曲の重要な側面を示している。  ウィリアム・カペルは、ウィリアム・スタインバーグとフィラデルフィア・ロビンフッド  ・デルという管弦楽団 で、録音したラフマニノフの2番の演奏を残している。  2番の、他の3つの協奏曲に較べた場合、特徴は、この全曲を通じて殆どの部分が、歌っ  て示すことが出来る(皆が、鼻歌的に・・)というのは、重要である。このことが、単純に  ”通俗的音楽”に誤解されやすかった理由の一つになりうるのだが、しかし、このメロデ  ィーの”線”が、ハッキリしていることが、カペルの演奏で聴くとこの曲の別の重要な特  徴を生んでいることが良く判る。すなわち、  1楽章の始めのピアノの波のような動きが、第1主題のハ短調の朗々とオケの弦が歌って  いく背景として続いた後、場面転換的に、ウン・ポコ・ピウ・モッソで2本の蔓草が、巻  きついて動くような8小節間の走句、第2主題の後半、右手のオクターブで映画音楽的な  ”ロマンティック”さ、で歌われているにもかかわらず、左手は、同時にかなり複雑な流  麗な動きを、休まず、追って行かねばならないところ。また、展開部でピウ・ヴィヴォで  第1主題の始めの断片を、変奏するような形で繰り返す右手と左手が対比的に動くような  部分・・・等々の主として2本のメロディーの線的な絡み合いが、この曲の狙いの重要な一  つだと云うことが、カペルでは、少々誇大にいえば、速射銃風に流れ出てくる、明確な輝  きを持った音で示される。  第3番が、より”偉大さ”を狙った曲であるということは、確かにまっとうな指摘だとも  いえるが、それでも、両手でいっぱいに詰め込まれた和音や、長い独立的なカディンツア  は、単に”物量的に”増大化された結果で、第2番の全体のはっきりしたデッサン、線的  動きの締まったスリルに較べると、メロディーの多くが重ねられた和音や半音的動きで、  水増しされたもの、とも考えられ、決して3番が、センチメンタルな2番を全く凌駕した  ものと、捉えるのは正しくない。  そう捉えられたのは、時代背景が大きく、20世紀音楽の、”無調音楽”や”不協和音”に  よって出来たものが、素朴進化論による教科書的信仰になっていた時代、一見してメロド  ラマ的に受け取られ、聞き所を誤解された訳で、また、そういったところを十分捉えた演  奏は少なかったのでないか。  このラフマニノフの2番の協奏曲は、実際、演奏してみると ちゃんと生きた音を出すの  は、物量的で”偉大な感じ”の3番 また、同様な”偉大な”音楽みたいな感じで、セン  チメンタルでない高級な音楽と、一般に思われているベートーヴェンの5番の変ホ長調の  協奏曲など、とも違った、独特な難しさが、案外あるのが判る。  ベートーヴェンの”皇帝”は、実は、弾く方には、有り難い曲、もしくは、”弾いて愉し  い曲”で、大曲で 堂々としており、もっともらしく響く割には、第1楽章もいろいろ繰  り返しが多く、もっとも技巧的なところといえば頂点部分でない次のような部分になる。  ・・右手で3度重ねたりする第1主題から出たメロディ−を、左手の半音ずっと下降してい  くのを、まず きれいに伴って弾くのは少々難しいが、続く 半音で小刻みに動く左手を  伴いながら、旋律のオクターブの右手を華々しく鳴らし、その後、両手でディミニッシュ  和音等をザワザワ弾き、最後に半音的上昇下降する両手のラインのあと変ロ音で決める・・  ・・というようなところになるのだが、それも再現部で変ロ調からだったのが変ホ調からで、  ほぼそのまま出てくる。そのまま、調を変えて繰り返す部分が多くて、また単純にオクタ  ーブを重ねたり、右手と左手が同じというのが多い。  オープニングはこけおどし的で、結構 弾くのは楽。むしろ、オケだけの序奏のあと、ソ  ロのだけの呈示部分は、両手の動き、3度重ねのあとの4度重ねなどの動きを練習しない  ときれいに弾けない。  2楽章は、大部分難しいところはないアルペジオだけみたいな音楽で、3楽章は聴かせど  ころのピアニストがずっと弾き続ける109小節からの6ページ程を覚えておけば良いよう  なところがある。  ベートーヴェンのこの曲を、弾く場合 私たちが助かるのは、リズムが認識的に割り切れ  る感じで、動く事が多いし、予測できないような動きを余りしないことで、左が半音で降  りるなら、それをそのまま繰り返すことでよかったりする。もちろん、3度重ねや4度重  ねの連続するフレーズなど、ちゃんとしたピアニストの立派な音で弾くのは、沢山練習し  なければならないし、オクターブや右手左手が同じという部分も揃えてきれいに弾くのは  練習しなければならない。けれど、曲を単に与えられたものとしてしかピアニストが捉え  られないのでなければ(これが最もありふれた演奏の場合なのだが)、本来、意識的に考  えて理解でき、演奏は基本的には、それを出来るだけ明確にはっきりと再現する努力をす  ればいい、というところがある。  しかし、ラフマニノフの2番は、センチメンタルなように見えて、割り切れないややこし  い手の動きをするところが、特に1楽章に多い。(3楽章の始めの主題を出すところもし  ばらく、そう)  展開部のピウ・ヴィーヴォの始めのところも、出だしが左手の3連音で流れるような音を  弾きながら、右手で8分音符をデヒラヒラと同時に入れる手の動きが、右と左で矛盾する  ような感じで、続く。そういった動きを生きた感じで鮮明に出すのは難しいと思うし、実  際 、説得的にやれているのはカペルのものぐらいかもしれない。  また、ウン・ポコ・ピウ・モッソの2本の線の絡み合う見事さも、カペルの音だと確かに  こんなに速く演奏しなくてもいいかもしれないが、力強い対比となって聞こえる。  こういった技巧は、意識的に考えるというより、肉体的な運動感の連続みたいなものとい  えるだろう。  (また、演奏会などでは、実際問題としては、上手にごまかして弾く、というのが上記の   ベートーヴェンの曲などと違って、”上手さ”のポイントになったりもするような、特   徴を持つ、などというようなことも考えられる。)  続く、左右の手の流れる動きがあり、そして両手の和音の連打がアッチェランドしてから、  その頂点部分に来るのが、特に展開部の最後のピアノの上昇的な8小節の和音のクレッシ  ェンドから閃光のように、fffにまで激しく響かせる部分になる。ここがカペル盤の特徴的  表現を、最も示している。  実際、この音群は、”非常にラフマニノフ的”なものであると云えて、左右の手の3連音  の和音の柱を現実的には、少し互い違いに鳴らすのだが、前半など、右手は単にCmの展開  形で、上に登っていくだけで、一方の左手の和音は、その中の音を、C・D・E♭・F#・Hな  どと拾っていくだけで独特な響きがあることがわかるし、有名な、C・F#・B・E・A・Dと  いう和音と、共通するニュアンスの響きも聴ける。ただ、後者は 自己完結的なのに対し、  前者は次への指向も、もつのだが。  カペルの演奏は、1楽章では最初のメランコリックな有名なメロディーのでるところも、  66なのが、主に84くらいで、弾くし、この辺り全体にかなり速いが、練習番号6の  前辺りで、急に部分的にだけ遅くなったりする。どんどん速くなる展開部の頂点も、そ  のまま速くて、アレグロの2分音符で96の指示のあるところが、108くらいの勢いで、  先のfffまで突っ込んでいく。そのあと再現部の第1主題の後半は、大体、譜面の指示  の76位だが、第2主題がオケのみで短く再現するところのモデラートの69も下がら  ないし、あとのメノ・モッソ殆ど無く76くらいでずっと行き最後にかなり速くアッチ  ェランドする。また、2楽章も3連音が、連綿と続く部分も52が、主として56位で  早めだし、3楽章の冒頭は、指示より少し遅めに始まるが、13小節目くらいから、どん  な根拠だか、判らないが突然 勢いついて、速くなっていったりする。  カペルの2番の演奏は、全体的に”ピアニストがバンバン弾き飛ばして行くパターン”  に近いものはあるが、表情が乏しく冷たい感じは全くないし、この種の速さは、ある輝  かしいピアノの音の運動性の脈動する連なりで、その頂点にピアノの上昇的な8小節の  和音の連なりがくる。この傾向は、そもそも第1楽章冒頭の8小節の重厚な全音符の和  音を、響かせるところから目立っていて、多くのピアニストが幅広いこの和音を崩し、  小分けして弾くのに、そうはしないで、始めのppの指示を殆ど無視してクレッシェンド  を始め、鐘のような音を全体の象徴のように、例外的な非常に遅いテンポをとって、打  ち鳴らす。  とはいえ、こういうのは、カペルの勝手なやり方ともいえない。このような傾向はラフ  マニノフ自身の演奏の中にもあり、ピアノの上昇的な8小節の和音も、録音の古さでベ  ールがかかるが、明らかにウェイトのおかれた輝かしさが聞こえてくる。そして、何よ  り”鐘の音”というのは作曲家としてのラフマニノフの全作品を通じて、重要なイメー  ジであるのは確かなのだから。(後の話題につながること・・・・)  一方 対比的なのが、シェリー・トムソン盤で、カペルの場合、全体のテンポ設計が、  根拠を持って、というより、自分流を通している感じ なのに対し、考え得る材料から  、全体のテンポ構成を、相当 意識的に案出し、また そこに狙いもありそうなことを  窺わせる姿勢をもつ訳だが、それと同様、大きな違いとなって現れるのは、第1楽章の  クライマックスとして、はっきりとした前後関係のつながりから出現する第1主題が、  Maestoso(Alla marcia)で再現する、重厚だが和声的には分かりやすいピアノの壮大  に打ち鳴らされる方を、むしろ中心とする流れになること。  (カペル盤もそこで派手にピアノは鳴るが、オケの音は頼りない感じで後を追う風・・)  その直前のピアノの3連音のクレッシェンドなどは、いわば”不可解な響き”として抑  えられていて、どちらかといえば装飾的扱いに近くなってしまう。  このことはシェリー・トムソン盤2楽章の最後のア・テンポになって、左手で幅広い分 散和音を弾き、右手のノスタルジーの響きの和音の続く甘いコーダで、縁取るフルート  とクラリネットによる、さざ波のような繰り返しの、甘みを増す音色の戯れを抑えてし  まう独特の扱いとも共通する発想でもあるだろう。(2003/3/7ここまで書く)  ラフマニノフの第1ピアノ協奏曲は、作品番号1が、与えられており、(参考までに  2番は18、3番は30、4番は40)音楽学生時代の1892年に1楽章のみ、2&3楽章は、  1900年に初演された作品だそうだが、しかし、この事実から、この曲の成立を単純に考  えることは出来ず、協奏曲2,3番を書いた後の、1917年になって、この若書きの1番  を大規模に改作してしまって現在知られている格好に成ったそうである。このことは、  割と解説文によく見かける話なのだが、重要なことなので一応まず書いておく。  重要な作者が若い時書いたものは、ものまねより一歩踏み出したその人らしいものなど  、一般的に、不出来に見える点があっても軽んずるのは禁物で、むしろ、作者の考えが  端的に出ていて、自分でも作ってみようとする人なら、非常に参考になるし、また、そ  の作者の最も優れた作品に対しても誤解やもっともらしい歪曲を防いでくれる。  この曲の場合、もちろん、前記の理由から、こういう事柄の典型的な例にはならないの  だが、それでも、この曲は非常に初期のものを元にして作られたことを想像しうる要素  をもつものであるし、また、一方、2,3番より単に未熟な作品では、その経緯からみ  ても有り得ない、ということにもなる。  しかし、ラフマニノフの2番3番が、1番4番より、はるかに耳にする機会の多い音楽  というのは、現実だろうし、実際、少なくも自分の狭い個人的経験でも、1番4番は、  実演でも聴いたことはないし、TVなどですら、その演奏を見かけたこともなかったよう  に思う。  そして、それは偶然でなく、そうなる理由がありそうなことで、多分、重要なことなの  は、2番3番の曲調が似ていて、対する1番4番は、明らかにそれらとかなり違うとい  うこと。また、その1番4番同志も、また 何か、似た曲調を持っている。  ラフマニノフの作品の議論をもっと進める際に、以下の伝記的事実を踏まえておいた方  が便利なので、幾つか見た資料から手頃な感じに、ちょっとまとめ、書き足しておく。    ◆◆ ラフマニノフの創作の略伝 (1873生〜1943没)◆◆  ラフマニノフのピアノ協奏曲 第1番のもとの形は、18歳位に書かれた曲らしいし、音楽  学校の卒業制作の、1幕もののオペラ『アレコ』も、大体19歳の時の作品で、翌93年に  初演された。   (この初演の時、高名な”チャイコフスキー”が、若いラフマニノフの言葉にわざわざ耳を傾けてくれたり、    とても親切だったことを後年、大変、感謝をもってラフマニノフ自身述壊しているらしい・・・)       また、92年にはピアノ曲『幻想的小曲集』を作ったりしている。  しかし、それから95年に作った交響曲1番は、大きな力を注いだ作品にもかかわらず、  97年の初演が、全くの不評でガッカリし、作曲も出来なくなり、悩んだ彼は、指揮者に  転向しようとしたりする。  ところが、その頃、ロンドンで、ラフマニノフの従兄でもあるモスクワ音楽院教師アレ  クサンデル・ジロティーが、演奏したりなどしたことがもとで 『幻想的小曲集』 中の  第2曲、前奏曲嬰ハ短調は、イギリスで大変人気になる。  そして、ラフマニノフ自身も、98年ロンドン・フィルハーモニックの招きを受け、その年  イギリスに渡る。  そこで93年に作った管弦楽曲『岩』作品7を演奏したり、自作のピアノ曲の演奏によって、  作曲家ピアニストとしての評判を得て、99年帰国する。  そうした中、新たなピアノ協奏曲の依頼を受けるのだが、3年弱も新作を作れなくなって  いたラフマニノフはモスクワで、精神科医ダール博士の診察をうける。その催眠心理治  療によって、1901年ピアノ協奏曲第2番が出来上がったというのは、有名なエピソード  になる。(楽譜の献呈されている名前は、実際、このN、ダール氏)  この2番の成功で、ラフマニノフの名声は完全にポピュラーになり、西欧諸国、ロシア国  内を実演して巡ることになる。この頃、13のプレリュードや彼が指揮するボリショイ劇  場のために2つのオペラ(『フランチェスカ・ダ・リミニ』1906など)も書く。  特に1905ー8年までは、ドレスデンにいて作曲に集中し、交響曲2番や、ピアノソナタ1  番、交響詩『死の島』(その解説→)などを書き、新たなピアノ協奏曲にも手を着ける。  1909から10年に到る時期は、アメリカ・カナダへ演奏旅行し、そこでそのピアノ協奏曲  第3番の大曲を仕上げ、ニューヨーク・フィルハーモニックで自ら初演する。なお、ラ  フマニノフ自身、この曲を「とくにアメリカのために作曲された」といっているそうで  ある。  1910年、ロシアに帰国。以後、1917年位まで多数のピアノ曲や歌曲を作る。練習曲『音  の絵』第2ピアノソナタ(1913年版、31年改訂)ヴォカリーズなど。この頃、正教の聖  歌を用いて『聖クリソストムスの典礼楽』というのを書く。また合唱曲『鐘』も、同年  の1910年の作品。  1917年に起きた「ロシア革命」には、古くからの所領をもっていた家系ということもあ  り、まったく合わず、家財を捨てて、家族と北欧を経由し、何とかパリに亡命 (注:子供の頃、軍人の父親が散財し、また両親は離婚したので、生まれたセガルの土地から、ペテルスブルクに   母親と音楽の勉強のため移る。またロシアでのちに作曲に没頭したのはイワノフカという土地。付記2003/3/31)  1918年からアメリカに移り、43年ビヴァリーヒルズで死去するまでロシアに帰国できず  、家族と共にそこを主となる本拠とする。  (ただ、亡命後、一方で、家族と夏はスイスで静養、生活のために秋はヨーロッパ、   初春はアメリカ国内、の演奏旅行というパターンで過ごしていたらしい。   付記2003/3/31:スイスは永住の地にしようともしていた。が、結局、戦争でアメリカが最後の地となる。)     結局”亡命生活”のアメリカ時代は、10年間作曲がまるで出来なくなってしまう。しか  し 26年から亡くなるまでは、多産な時期に較べると作曲量としては、年数の割にわず  かといえるが、重要な作曲作品を含む6曲程 生み出すことになる。  第4ピアノ協奏曲は、スケッチは1914年にロシアで始められたが、中断し、26年の作曲  再開となった作品で、静養地のスイスで主に作曲、パリで出来上がったという。  独奏ピアノのコレルリの主題の変奏曲は、32年。パガニーニの主題の狂詩曲は、34年。  36年の第3交響曲。40年の交響的舞曲など。   (ついでにいえば、晩年、ラフマニノフは帰国を望んでいて、スターリンも歓迎の手紙    を送っているそうなのだが、結局、戦争という事情もあって帰れなかったらしい。)       (2003/20/ここまで書く)  この上のまとめ方 は、割と 素直にラフマニノフの経歴を追っていったものと思うの  だが、その中の4つの協奏曲は、各々極めて重要な位置に 転換点となっていることは  明かであるように見えるし(交響曲は、その勢いの副産物?)、また、作曲作品と土地  柄の関係が、曲調から見えてくるように反映している作曲家の一人であることも、ここ  から読みとれるかもしれない。    第1ピアノ協奏曲は、前述のように1917年に大規模に改作されたといわれているから、  4番とともに、ロシア革命の頃の転換期を挟む、実質的には第2第3以後の時期の作品  とも考えられる。  1番と4番の共通性は、単純に一般的な演奏時間を考えても、2番3番が、終わりの3  楽章が11分以上の長く重厚なものであるのに対して、比較的に短い8-9分位のものだ  し、中間の2楽章も、1番4番は6分前後、2番3番が共に10分以上なのに較べずっ  と短く軽い配分のものになっている。  曲調も、いきなりけたたましい様子でなだれ込む感じで始まるのも、1番4番の3楽章  の共通の特徴で、アレグロ・ヴィヴァーチェの1番の3楽章は、三部形式的な中間は穏  やかな夢見がちみたいなロマンティックな音楽が置かれるが、そこに脅かすような出だ  しの叩き起こすような大騒ぎの踊りみたいな音楽が戻ってきてけたたましいまま、何の  深い意味も無いように終わる。(ちょっとフレンチ・カンカン風?)  一方、4番の3楽章も、同じくアレグロ・ヴィヴァーチェの指示が与えられており、1  番の3楽章も曲調はラプソディックな感じだったが、こっちは気ままに曲想がつなげら  れた、もっと狂詩曲スタイルで、それが小太鼓を伴ったサーカスの道化じみた雰囲気と  なる。中央辺りは動きの止まっていくようなゆっくりした音楽になるが、だんだんまた  奇矯な道化踊りの音楽に移る。  こういった曲調は、容易にショスタコービッチを連想させる。そこに1番の3楽章と似  た展開で、何か精神的というより、騒がしい音楽のコーダで終わる。  終わりに向かって雄弁になっていく感じの3番(また結局、2番も)に比較して、1番  4番の中間楽章も、曲調は、共にある種の”ひと休み”の音楽で、1番は全体として、  チャイコフスキーとグリークのピアノ協奏曲を混ぜ合わせて極端化したようなものとも  いえるのだが、この2楽章は、グリーク風のピアノと金管の扱いが目立つ。北の休日の  短いスケッチみたいなあっさりした音楽。  4番の2楽章も、あっさりした静かな音楽の前半になるが、中央には、短く深刻で神秘  的な情緒も沸き起こる。が、また 元に戻ったゆったりした音楽になる。全体的に休息  的な優美な音楽だが、ただロマン派の語法というより、やっぱりラベルっぽい。    こんな風な書き方をしたけれど、この種の2、3楽章の扱いが、1番4番の作品として  の価値の乏しさを示している訳では全くない。  むしろ、この種のユニークな感じが、1番4番の特別な見逃されがちの重要な価値のま  ず、見えてくる顕れであって、その重要さを考えるときは、配分的にも2番3番より、  もっと中心部分の扱いになる1番4番の1楽章の流れを、各々見てみる必要がある。                               (2003/23/ここまで書く)  1番の1楽章は、ヴィヴァーチェの4分の4拍子が冒頭に与えられており、ホルンなど  の管楽器群のF#に固執して吹き鳴らす単純なファンファーレから始まり、そこに半音  階的な下降する激しい調子のピアノソロがあり、そこにF#の重厚なファンファーレが  また重なり、対抗するように重厚なピアノの和音の連打から、荒々しい突風のようなピ  アノソロのフレーズがあって、その40秒弱くらいの序奏がまずある。  そのあと、ひと呼吸おいて、急に対照的な感傷的な優しさをもつ旋律の主題が、弦で流  麗に響いてくる。それがピアノに引き継がれるが、じきに気分を変えた動き回るような  ピアノ中心の音楽が経過的に挟まれ、それが静かになると、ポコ・メーノモッソから、  弦で先の長い旋律より、明るく癒やされる風な感じの主題が出てくる。  ピアノの鈴を振るような伴奏形でゆったり少しゆっくり目なった動きが、またどんどん  激しくなって最初の序奏にあった、激しい下降するヴィヴァーチェのフレーズが、今度  はオーケストラで再登場する。  ここ辺りまで、の主題の登場が、1楽章のカディンツア部分の前にほぼその順番で再現  するので、1楽章全体で重要な働きをする冒頭に含まれる主題を、やはり序奏として考  え、調的にも、ソナタ形式的に捉えると、弦で呈示される感傷的な旋律と、それと似て  いて派生的なところもある、穏やかな感じの旋律の方を、第1主題と第2主題と考えら  れるみたいで、また、一般的見方のよう。  だが、ここまでの呈示部的部分で、最も特徴的なのは序奏部分と続く第1主題の極端な  情緒の対比感だと思う。(多くの人が、この冒頭部分を聴いてグリークの協奏曲を連想  するだろうし、さらに、もっと云えば、この曲を作曲者の初期的な時代のものが残って  いるだろうな、と思わせるのも、グリークの出だしを速く、また半音でもっと険しくし  、有名な主題を、あるイミ、もっと”凡庸風”なセンチメンタルさで、置き換えてでき  たように、見えなくもないからなのだが・・・)  そして、実際にはこの速い序奏部分の音形と感傷的な第1主題に続く流れの交代で、何  度か出てくるのが、この曲の構成の根幹ともいえる。  2番の1楽章の場合、いわば”シンボリック”に、冒頭のピアノの全音符の和音があり、  終わりに、残る2つの楽章への流れに続くことを示すような、両手の和音の上昇的連打  があるが、その間の本論?的な大体の部分は、長いカディンツアを別個に見た場合の、  3番と等しい、扇状の”盛り上がり”の格好を持っている。              〈 NEXTページへ、〉         
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