月刊「寺門興隆」2002年12月号 より抜粋
真宗大谷派と能登教務所を訴えた懇志金の苦悩
今、金沢地裁で注目すべき裁判が進められている。
住職が、本山へ納める懇志金などを「無かったことにして欲しい」と、宗門と自らが所属する教務所を相手取り、裁判を起こしたのだ。さる七月十二日に訴状をもって出訴したのは、石川県輪島市にある真宗大谷派正覚寺の山吹啓住職(四十七歳)である。
一方、被告は真宗大谷派と同派能登教務所。
次の如き訴えた。一、被告らは、原告に対し、蓮如上人五百回御遠忌懇志金として金二百四万七千円の債務のないことを確認する。
二、被告らは原告に対し、経常費として金八十二万八千三百円の債務のないことを確認する。
懇志金のペナルティー?
この真宗大谷派の懇志金、経常費問題は本誌(昨年9月号など)でもたびたび報じてきた。
ご記憶の向きもあるだろう。
山吹住職は昨年七月、能登教務所を相手方とし、「懇志金と経常費は賦課金ではなく、債務でないことの確認」「賦課基準となっている門徒戸数の見直し」などを求め、七尾簡易裁判所に調停を申し立てていた。しかし今年四月、調停が不調に終わり、納得いかない山吹住職は法廷に打って出たのである。
訴えの内容を見る前に、懇志金や経常費について解説しよう。
真宗大谷派における経常費とは「御依頼金」という名の懇志金の一つである。
同派では、毎年宗門に納める賦課金(宗費賦課金と共済賦課金)とは別に、経常費が末寺に課されている。
この経常費は本来、納める金額も末寺に委ねられている懇志、というタテマエだが、実際、能登教区では宗門から徴収依頼を受けた教務所が、義務金″としているのだ。
大谷派には、全国に三十の教務所がある。
その大半で同じように義務金として扱われているという。また、蓮如上人五百回御遠忌といった法要における懇志金も名目上、懇志であるにもかかわらず、経常費と同様に義務金として納付を求められているものだという。
のみならず、経常費や懇志金を納めないと、住職交替や得度などの諸願事ができなくなるそうだ。
事実、未払金がある正覚寺では、願事停止の制裁を受け、山吹住職の子息は同寺で得度できなかったという。ところで、昨年度、真宗大谷派と同派能登教務所(能登教区は約三百七十寺)は、正覚寺に対して以下の納付を求めた。
経常費(宗派御依頼額)…二百三十九万七千円。
賦課金…十二万八千五百円。
教区費…七万二千四百円。これに加えて、宗門と教務所は、随時に懇志金の支払いを要求していた。
また、平成十年の蓮如上人五百回御遠忌では、正覚寺は四百五十六万八千四百円の納付依頼を受けた。このうち正覚寺は義務金である賦課金は完納したものの、経常費については八十二万八千三百円を、蓮如上人五百回御遠忌の懇志金では約半分の二百四万七千円を納めていなかった。
これに対して、宗門と教務所は未納分の支払いを迫り、督促状を送っていたのである。
三百五十二か百八十六か
山吹住職は、訴状の中で正覚寺における経常費、懇志金納付の現状について、次のように説明している。《原告は、これまで各種支払い依頼につき、原告寺院の門徒の方々に懇請して納付に努めて、それでも不足する場合は個人資産を取り崩す等までしてきた》《このような事態となる原因は、原告寺院の実際の門徒戸数と賦課号数の基準となっている門徒戸数に大きな相違があるからである。
即ち、原告の賦課号数の基準となっている門徒戸数は、昭和二十数年頃の戦後直後の混乱期に、諸事情により、過剰申告され…そして、もともとの過剰申告の上に、能登地区における過疎化さらに各戸が核家族化し、特に独居老人世帯が顕著に増加するなどして、戸数そのものが減少している上に負担能力の低下も甚だしいものがある》現在、賦課金などの納付額の基準となっている正覚寺の門徒戸数は、明治期に申告された三百五十二という戸数から、戦後、二割を減じた二百八十二戸と記録されているという。
しかし、内実は百八十六戸と苦しい状況なのである。そして、《賦課金は、いわゆる義務金であり、それの滞納には願事の取扱いを停止するという制裁がある。
その他の支払い請求は、全て義務を伴わない寄付依頼である》として、債務の不存在確認を求めたのだ。
一方、被告とされた大谷派と能登教務所は答弁書の中で、こう反論している。「被告真宗大谷派能登教務所は被告真宗大谷派の地方執行機関にすぎないため、当事者能力を有せず、教務所に対する訴えは不適法である」
争点の経常費と蓮如上人五百回御遠忌懇志金の性格については、次のように述べている。
「経常費や懇志金は使途の点で真宗大谷派の教法、儀式、教化事業等と不可分であり、また、財源の拠出方法の点においても、門徒の自発的な信仰心に支えられており、極めて強い宗教性を有するものであって、宗派の高度な政治的判断に基づいて決定されるものである。
仮に原告の訴えが、司法判断の対象となるならば、その判断過程において、被告真宗大谷派の教法、儀式、教化事業の在り方、蓮如上人に対する法要の在り方、財源を拠出する門徒の信仰心等に踏み込まざるをえず、ひいては宗教団体の自治の存立にも影響しかねない」
なぜ裁判まで起こしたのか
山吹住職に取材した。まず、今回の提訴の前まで続けられていた七尾簡裁での調停について。「調停が失敗に終わったのは、調停委員に複雑な大谷派の上納金システムを理解する能力と姿勢が欠如していたことだと思います。
また、教務所長は自坊を留守にして本山に勤務されている方でした。
私のように日常的にご門徒と接して懇志やお布施をいただく者の気持ちを十分にくんでいただけなかったことも不調の要因かもしれません」次に提訴した理由をこう話す。
「調停と同じころ、能登教区で門徒戸数調査が実施されました。
けれども、簡裁の調停の場で、その調査結果を反映させ、状況を改善しようとする意思がないことが分かりました。それに、調停を申し立てる前、賦課基準としたのは戦後直後の門徒戸数と聞いていたのですが、これも調停の場で実は明治十一年から十三年の資料をもとにしていたことが分かりました。
明治初期の資料が現代でも通用する資料だと判断してしまうほど、宗門が病的なほど経済感覚を麻痔させていることにこのままでは大谷派には未来はない″と危機感を感じたからです」九月下旬、第一回の裁判が開かれた。
司法が本山と末寺との間にどこまで踏み込めるのか。
過疎化や檀信徒の減少に頭を悩ませている他宗派の住職にも深いかかわりがある法廷となろう。
本山御依頼金 | 週刊新潮 | 北国新聞
裁 判 | 御遠忌・修復懇志金 | 調 停
拝啓 宗務総長殿 | 質問状と回答
請願書(1994年) | 近江第1組本山経常費調停
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