御依頼門徒戸数調査答申


2002年4月

住職・代務者 各位

能登教務所長 常 塚  紀

「御依頼門徒戸数調査特別委員会答申並びに答申解説」の送付について

「御依頼門徒戸数調査特別委員会」による昨年8月に実施しました門徒戸数調査の折には、各寺院にご協力いただき厚く御礼申し上げます。
 同委員会においては、協議審査を重ね、答申がまとめられ、教区会(2002年3月19日)並びに教区門徒会(2002年3月25日)に提出されました。
 つきましては、御依頼門徒戸数調査特別委員会及び教区会・教区門徒会の議決により、この調査にご協力いただいた全寺院に答申をご賢察いただきたく「答申並びに答申解説」を送付いたします。
 なお、教区会並びに教区門徒会において、この答申を踏まえ審議を継続することが決議されましたこと申し添えさせていただきます。

送付書類
・御依頼門徒戸数調査特別委員会答申 1枚
・答申解説 6枚
・答申解説資料 4枚

以 上


 

御依頼門徒戸数調査特別委員会・答申


2002年3月19日


能登教区教区会議長
      長澤 豊麿 殿
能登教区教区門徒会長
      谷村 林造 殿

御依頼門徒戸数調査特別委員会
      委員長 西山 郷史

「御依頼門徒戸数調査特別委員会」答申

下記のとおり答申します。

  1.  御依頼と願事停止のあり方について検討すること。
     −超過、早期完納と御依頼の関係を含む−
  2.  御依頼非協力寺院に対して、的確な対応を行うこと。
  3.  門徒戸数大幅減の寺院については、具体的な対応をすること。
  4.  いわゆる三戸御依頼寺院と御依頼のない寺院の調和を図ること。
  5.  門徒戸数のみを基準とする現「御依頼」のあり方について、検討すること。
     −宗門募財に関する情報の収集を含む−
  6.  今後、継続的に教区門徒戸数調査を行うこと。
  7.  宗門に対しては、要望・嘆願を含めた働きかけを継続すること。

添付書類
1「御依頼門徒戸数調査特別委員会答申解説」

以 上




「御依頼門徒戸数調査特別委員会答申解説」

−経過−
(イ) 「御依頼門徒戸数調査特別委員会」設置まで

 二〇〇〇(平成一二)年二月一日、教区会正・副議長が上山し、一月一二日に教区会で決議された「本山経常費御依頼額の適正化について」の要望書(資料@)を宗務総長・宗議会議長・参議会議長に提出した。

 この要望書を提出するに至ったのは、
・宗門御門徒一戸あたりの経常費御依頼額に格差があり、中でも能登教区御門徒一戸あたりの経常費御依頼額は高い方に属するのではないか。
一方、須弥壇収骨などの願事は、格差がなく全国一律である。
・上山奉仕や、情報化が進むつれ、他教区との違いが知られるようになり、御門徒間に於いても、御依頼額に対する不信感が生じている。
・過疎が進むことにより、御依頼門徒戸数による完納に困難をきたす寺院が生じており、この傾向はこれからも顕著になっていくのは間違いがない。
一方、実質門徒戸数よりかなり少ない御依頼数となっている寺院もあるようで、組内寺院間に不信感がある。
 といった声がささやかれていたり、組会が開かれるごとに問題になっていたのを、教区全体の切実な問題として捉え、具体的な行動として示したものである。

 この「要望書」は、一九九九年一二月一三日に提出された「全国門徒会要望書」とも呼応するもので、その年、初めてもたれた参事会・門徒会懇談会で、長年の関心事である御依頼問題が共通の話題となり、全国的に「公平な割当」を目指す為、当教区においては、住職・門徒一丸となって、この問題に取り組んでいこう、と話し合われたのが、そもそもの出発点であった。

 要望書を手渡す中で、宗務総長に強く訴えたのは、
・まず、御同朋である門徒間における不公平感をなくすこと。
・過疎地である当教区が抱えている問題。
・一教区では片づけることの出来ない問題を、全国視野で絶えずとらえ直していく。
 ことであった。

 「要望書」より、「嘆願書」の方が重いということを、後で知らされたこともあったが、どちらにしろ、提出後は、宗議会・参議会にかなりの部分が委ねられることになる。

 「全国門徒会要望書」だけでなく、各教区から、これまでにも多くの要望書が出されてきたにも関わらず、「不公平感のない」御依頼問題は、遅々として方途が見いだせないままになっている。

そこで
・「要望書」を出し放しでいいのか。
・「要望書」第二点にあたる、「(全国均一)がなされた上で、現状の門徒数(戸数)を掌握する機関・組織を設けることを要望する」については、例えば、全国均「御門徒一戸につき、五〇〇〇円(総門徒戸数で割った場合)という線が出た場合、教区現状を掌握するために、その後、何らかの形で、教区にかかってくる問題である。
・能登教区では、こういうようにして門徒戸数の算出をしたという事例を提起することにより、御依頼の諸々の問題に具体的提言が出来るのではないか。
・程度の差はあれ、過疎が教区一帯に進んでいる現状を考えたとき、近い将来起きて乗るであろう、未完納寺院の続出といった事態を、未然に防ぐための適切な割合基準の設定に向けた基礎作業を、今の間に行っておかないと大変な事になる…という危惧。

 以上により、長年見直してこなかった教区全体の門徒戸数が今どうなっているのか。
最後の状態になってからでは遅く、既にかなり大変な状況である寺院が生じている現今、早急に実状を調べる必要があるのではないか。
更に調査を行う中で出て来るであろう問題を整理することにより、今後の推移を調べる為のよりよい方法をも提言し得るのではないか。
といったことが参事会で話題・論議となり、このことを踏まえて、同年七月二四日「御依頼割当門徒戸数の適正について、調査審議する特別委員会の設置について」を教区会・教区門徒会に提出し、承認された。
それを受け、参事会で「割当門徒戸数調査特別委員会規則(案)」が件成され、二〇〇一(平成一三)年三月九日、臨時教区門徒会・臨時教区会で審議され、一部語句の訂正を経て承認(資料A)。
常任委員会に作業が委ねられることになる。
特別委員会のメンバーは(資料B)の通りである。

(ロ)常任委員会−御依頼門徒戸数の位置づけ−
 常任季長会では、提案までの段取り、どうやったら教区門徒戸数の現状を把握することが出来るのか、について幾度かの会議を持った。
併せて、基礎資料作成のため、
A、全国的にばらつきのある門徒一戸あたりの御依頼金額はどうなっているのか。
B、教区における御依頼門徒戸数は、どういう経過を経て決められたものなのか。
C、国勢調査も含め、出来うる限りの資料を調べ上げる作業を行った。

 その過程の中で、様々な疑問・問題点が浮かび上がってきた。
以下、この間題点を列挙する。




A、全国に於ける能登教区の位置づけ

 a、門徒戸数1平成七年度の幾人口を元にした、「宗教団体数からの大谷派門徒数の算出資料」 (興法議員団作成。
教区人口・宗教団体数・仏教系寺院数・大谷派寺院数から門徒数を算出し、一戸二.九五人として計算したもの。
以下「算出資料」で表記)というものがあり、これによると、全国三〇教区の内、門徒戸数の申告のない教区が五あることが分かった。
 このことは、宗務当局には当然全国門徒戸数が掌握されているものとして提出した、「総御依頼予算を全門徒数(戸数)で割った御依頼額とすること」の「要望書」が成立せず、「門徒戸数を掌握していない教区の門徒戸数を早急に調べ、その上で…」と付け加えなければ、話が進まない性格のものだったとことになる。
ちなみに、同資料において申告門徒戸数が不明とされている教区は、鹿児島・大阪・名古屋・岡崎・金沢の各教区である。

 b、「算出資料」における、能登教区の申告門徒戸数は二万六七一一戸(二〇〇〇年二万六七〇八戸)となっており、二〇〇〇年度の地方御依頼総額五四億三四〇〇万円中、能登教区に対しては二億三〇六四万円の御依頼がきている。
一戸八五〇〇円はこの数によって導き出されたものである。
いわゆる千分率では四二、四四‥である。
この割合から逆算すると、宗門総御依頼は九九万九〇〇〇戸で負担することになる。
 ところで、「算出資料」によれば、推定全国稔門徒戸数は一三二万二六九七戸で、能登教区と同様に八掛けでの御依頼としても、一〇五万八一五八戸となり、その差約六万戸分をどこかで負担していることになる。
 「算出資料」による能登の推定門徒戸数は三万八四〇三戸、千分率では二九という数字がはじき出されている。
申告戸数は、昭和四七年に、教務所に残っている「寺籍簿」に原則として八掛けにした戸数で、「寺籍簿」そのものでは昭和四五年三万七一八二戸、二〇〇〇年三万四二四八戸で、さほど的外れの数ではない(ただ、一九九五年度の能登地区所帯平均数は三.三人であることを考慮すると「算出資料」よりは少なくなる)。
 ちなみに、「算出資料」に見える千分率二九で算出すると、能登教区への御依頼は一億五七五八万六千円となり、一戸あたり五九〇〇円となる。
 なお、申告数のない五教区(推定門徒戸数三九万一〇〇〇戸)を除く二五教区中、八教区で推定門徒戸数より申告門徒戸数の方が上回っており、他の一七教区は能登と同様、申告門徒数が推定門徒戸数を下回っている。
下回っている教区の中では約一〇万戸の差があるところもある。

B、能登教区御依頼門徒戸数

 a、現在の御依頼数は、昭和四七年に決定した戸数が元になっている。
 昭和四七年に御依頼門徒戸数が決められたのは、大いに盛り上がった宗祖七〇〇回忌御遠忌後、その反動とでもいうべき状態が続き宗政に支障をきたすようになったためとされる。
 そのため、各教区毎に御依頼捻出方法が検討され、能登教区では、昭和四三年七月「御依頼額割当適正審議委員会」が設置された。
さらに、同四五年度の通常教区会において、御依頼門徒戸数の算出方法−寺籍簿門徒戸数の八割を原則とし、各組組長が組へ持ち帰って再検討の上で報告した数を「御依頼門徒戸数」とする−が決められ、昭和四六年に現在につながる御依頼数が決定された。
 「寺籍簿」に対して八〇lが原則であったが、実際には、災害などによる個々寺の事情が考慮され、またそれまでの各組の事情などもあり、寺院では「寺籍簿」に対し三五l〜一一七l、組平均でも六七l〜八七lと、かなり幅のある中で決着を見ている。
 すでに三〇年経過しているため、当時の具体的な事情は掴みにくくなっているが、なかなか収拾がつかず、当時の役係りにあった寺院が取りあえず引き受け、再度見直すという形をとったケースもあったらしい。
しかし、一旦決まったことを見直すのは難しく、ほぼ一〇年後、ようやく教区会で再度門徒戸数調査を実施すべき提案がなされ、昭和五四・五五年度に、教務所員による国勢選挙名簿・電話帳などによる調査を試みたものの、困難を極め、この時の調査は自然消滅している。

 b、御依頼数算出の基礎となった「寺籍簿」とは、今回の調査で、明治一一年に石川県が調査した原簿を書き写したものであることがわかった(当時は、修験派の廃止などの神仏分離令の影響が強く残っており、佐渡・富山で試された一県一寺制の動きがまだ冷めやらぬ中、新政府によって行われた調査で、石川県庁が空襲を免れたために残った資料である)。
 「相続講設立趣意書」が出されたのが明治一八年、教区制が敷かれたのが昭和二二年、教務所が御依頼門徒戸数を書き入れ始めたのが昭和三一年のことで、この時の記録を見ると「寺籍簿」に対し、一〇〇〜一〇一lの御依頼が九つの組、九八〜九九が三、八五l一、六〇l一となっており、殆どの組で、「寺籍簿」数=御依頼数と捉えられていた。
 六〇l、八五lの租は、他宗檀家の割合が比較的多いところで、ムラ相続講が成立しにくかったことと、地理的問題(交通事情)もあって、このような割合になっていたのであろう。
昭和四七年改正は、一つの組を除いて御依頼門徒戸数減と意識されたのではないか。
ただ、成立事情からして、極めて正確な数を示していると思われる「寺籍簿」自体も、調査の常として、完璧なものではなく、現時点から見て、記載潰れなどの寺院が六ケ寺ある。
 以後、新寺建立・支坊独立・転派、戦争による集団住民移動、分家の輩出、更に昭和四一年には、教区を越える門徒の集落相続講はその集落のある教区へ納める、などの変化があり、昭和四七年改正の根拠となった「寺籍簿」は、すでに、かなり実態とかけ離れた面も生じていたのではないかと考えられる。
 そのため、実態とそぐわず、門徒名簿の提出などで、教区審議を経て御依頼数減を行った寺院がニケ寺あり、それ以外は、組内で−減らす分は別寺で増やすというように−解決するようにとの指導があったと聞いていたが、調査の結果、昭和四七年までに、「御依頼門徒戸数」ではなく「寺籍簿」門徒戸数そのものが増加している寺院が二ケ寺、減少が七ケ寺、四七年以降でも減少二ケ寺、増加から減への動きがあった寺院が二ケ寺あり、「御依頼門徒戸数」においては、四七年以降、御依頼数が増えた寺院が一八ケ寺、減少した寺院が一四ケ寺あり、審議経過が残されている寺院以外においても、相当の修正が行われている。

C、「国勢調査」と教区人口・所帯数

 過疎の進行が言われ出して久しい。身の回りにドンドン家が減っていくのを実感として感じざるを得ない地域、さほど人口異動を感じない地域など、能登全体で様々な印象を受けるが、実態はどうなっているのか。
「御依頼数」が決定された時期である昭和四五年と、平成七年での様子を見てみる(資料C)。
 金沢・野々市・松任・内灘では、人口四一万七〇五六人が五八万六二七七人と一六万九二二一人の増(四一lの増)、所帯数は一一万三八九四所帯が二一万三〇三八所帯となっており、八七lの増。
金沢教区と混じり合っている津幡・高松では三万六八一三人から四万一七六〇人となっており一三lの増。
所帯数は、七一四五所帯が一万一三八〇所帯、五九lの増となっており、これらの増加分のうち、かなりが能登出身者によるものである。
一方能登地区全体では、二九万四五一五人が二五万三三一六人で一四lの減。
七尾市のみが四lの増であるが、他地区は軒並み減少しており、三九l減の門前町、二六l減の珠洲市、二四l減の富来町・柳田村、能都・穴水・内浦が二〇l以上の減となっている。
一方所帯数は、七万一三八六所帯から七万七四六二所帯で、逆に九lの増加となっており、減少したのは、南から富来・門前・柳田・能都・穴水・珠洲(市)・能登島で、門前の一〇l減が最大減少地区となっている。
人口減に比して、所帯数減が比較的少ないのは、一人暮らし、又は老人所帯が極めて多いことを物語っており、今後、急速に所帯数も減少するであろう。

D、願事との関係

 昭和四七年に、新御依頼方法が決められ、募財に協力し合っていったのであろうが、願事の一部(住職就任・得度受式)について、「教区制第一〇条第二項」「教区会及び教区門徒会は、宗務総長の承認を得て、宗門維持のため懇志金勧募について、必要と認める方法を議決することが出来る」を根拠に、平成七(一九九五)年一二月の参事会を経て、平成八(一九九六)年の通常教区会において、従来の「本山経常費御依頼二カ年連続完納」を条件とするが再確認され、さらに平成一〇(一九九八)年七月九日の参事会、同七月二四日の通常教区会において「蓮如上人五〇〇回御遠忌懇志金御依頼完納」を条件とすることが議決されている。
 これに関して、「同制第一七条第一項」「教区会及び教区門徒会で議決した事項については、教区内の寺院及び教会並びに僧侶及び門徒は、これを履行し遵守しなければならない。」があり、また、賦課金については、「賦課金条例第九条」「賦課金の滞納があるときには、当該寺院・教会に係る諸願事の取り扱いを停止する。」がある。
なお、宗派には、教師陞補・法要座次進席(寺院教会条例案五条)に関わる願事停止条例がある。

E、超過について

 過疎で大変だ。という声がある一方で、例年超過完納となっているのだから、実際は大したことはなく、本山に要望書を提出しても、ただ言っているだけだと、受け止められているのではないか。
など、御依頼問題を論議する際には必ずといっていいほど話題に上がるのが超過のことである。
 実質門徒戸数が御依頼門徒戸数よりかなり多い寺院があるためだ、とか、いわゆる村で集める「相続講」金で完納となり、寺院を通しての院号申請や須弥壇収骨などがあると、その分超過になるのだとか、法要座次・教師等を上げるために超過が多いのだとか、諸説紛々である。
 他教区の御依頼がどうなっているのか分からないのと同様、教区内の事情も様々で、
a、住職が一人で集めている。
b、在所の相続講がしっかりしていて、在所で集める。
c、aとbの組み合わせ。
d、その他。
があるのであろうが、村(在所)相続講制度がしっかりしている所においても、高齢化が進み、従来のように集められなくなってきたため「嘆願書」を提出せざるを得ないという声や、多くの御依頼を集めなければならない住職の労力に対する不公平感なども聞こえており、賞典問題も含め、今後、検討・整理していかなければならない問題であろう。




−調査結果と問題点−

(イ)調査結果

 三七〇ケ寺・教会を対象とした調査であったが、一三ケ寺未提出で、上がってきた総数は、二万五五五〇戸、そのうち、教区内が二万三九八ー戸、教区外での県内一〇一一戸、県外五五三戸であった。
 昭和四七年の寺籍簿三万四五七四戸から未提出一三ケ寺分の一八八九戸分を引くと三万二六八五戸となり、それに比べて七一三五戸の減、割合では二二l減となっている。前項「C、「国勢調査」と教区人口・所帯数」と比較すれば一目瞭然であるように、全体的に、御依頼を意識した警戒心の強い押さえた数字となっている。
 受け止め方は様々であっても、今回は、あくまで八掛けの基準としてきた「寺籍簿」と同様の総門徒戸数調査を行ったはずなので、現「寺籍簿」との比較になるが、「寺籍簿」に比べ、増は六一ケ寺、その内一〇戸以上増が二五ケ寺、その内一〇〇戸以上増とする二ケ寺を含む。減は二二八ケ寺で一〇戸以上滅が一五三ケ寺、その内一〇〇戸以上減が一四ケ寺含んでいる。
 増は明治以降新宅・分家が増えたことにほぼ尽きるようであるが、減少の中には、寺籍簿の半分ないしはそれ以下の報告が三一ケ寺あり、三分の一以下としたのも四ケ寺あった。
国勢調査の所帯移動数や周辺の寺院に比しても特異な例であるため、一部で聞き取りを行ったところ、近い将来はそれぐらいになるのではないか、三世代揃った家を数えた、あるいは、あらゆる仏事を営む家で数えたなどの答えがあり、また、これとは別に、さほど深く考えずに、現御依頼数の二割減ぐらいを報告した、というのもあった。
これらの数字には、そういう例も含まれている。
御門徒の定義をしっかり示せ得なかった当委員会の問題もあるが、未提出の一三ケ寺を含め、様々な思惑が混じり合った調査結果であった、といわざるを得ないであろう。
 ただ、一〇〇戸以上滅や半分以下という数字を示したところは、過疎の進んでいる地域に比較的多いという傾向が見られ、将来に対して強い危機意識が感じ取れる。

(ロ)調査における問題点

A、過疎、若者の真宗離れ、講・行事の停滞、推進員養成・月に一度はお寺で会いましょう。
同朋会など、諸々 の問題を抱えている教化活動と、過疎の進行という中で、実態を知ることから始めようとした調査であったが、「御依頼門徒戸数調査特別委員会」と「御依頼」が冠されていたため、どうしても「御依頼」門徒戸数の調査へと引きずられていった。門徒規定の理解における不統一感が前面に出てしまったということであろう。
  正直者が不公平感を抱くことになるかも知れないという疑念を払拭できず、負担増への警戒心、あるいはこの機に軽減を、といったことなど様々な思惑が含まれたということであろう。

B、御依頼門徒戸数と「寺籍簿」の示す門徒戸数とが、区別されていない。
というか、三〇年の間に「寺籍簿」の存在が希薄になり、門徒戸数は、すなわち御依頼戸数と考えられている傾向が見られた。

C、「特別調査委員会」に選ばれたメンバーの任期が二〇〇二年三月で終了するため、「御依頼門徒戸数調査特別委員会規則」第一〇条にあるごとく、「教区会及び教区門徒会に文章を持って答申」する辺りまでが作業を行えるギリギリの線であった。
  答申を踏まえて、それをどう扱うかは、次期教区会・教区門徒会に委ねられるため、一度きりの調査ではなく、継続して調査を行うのでともかく現状を…の思いはあっても、それは思いでしかなく、強く訴えることが出来ずに、全体構想が見えないままに推移した。
  そのことが、調査用紙を出してどうなるのか。実態を知らせることによって何か変わるのか、といった疑問に対して「答申までなので」といった曖昧な対応にならざるを得なかった。
結局、何のために調べるかの全体構想・共通理解を十分示し得ないままの調査になってしまった。

D、調査をしても、宗門全体が変わらない限り一教区ではどうにもならない。従来も様々なアンケートがあったが何一つ生かされていないし、同様に調べるだけで終わるのではないか。
教務所を通して書類が配布され、瓦懇志との絡みもあって、結局教務所=本山の都合の良い募財資料に用いられるのではないか。
などの不信・不満があることを感じた。
  御依頼完納・超過御礼から始まる所長挨拶、一ケ寺一ケ寺の具体的問題を取り上げる教区会なのか、宗議会・参議会で決まったことを受け入れ、組へ持って帰るだけの教区会なのかが問われていることにもなる。

E、親鸞聖人からお預かりしている御門徒なのか、寺院財産としての御門徒なのか。門徒戸数を知ることはプライバシー・聖域に踏み込むといった意識が根強く存在している。
それは、総単立寺院化の風潮・末寺の本山化といった問題とも絡んでくる。

F、「調査部会」は、門徒戸数に対する様々な判断、未提出寺院があったことなどで、機能を充分に発揮できないままに終わった。
いつも顔を合わす仲間であるだけに、「D」の不信・不満が払拭されない中で、動きにくい面があった。




−答申案−

以上から、次の通り答申する。

一、御依頼と願事停止のあり方について検討すること。
 ※御依頼という性格と、願事停止とがそぐわないのではないかということは、度々指摘されてきたことである。
  「二年完納」条件が付帯事項とされた当時の事情を調査・検討した上で、不都合であれば見直しをはかる。
 −超過、早期完納と御依頼の関係も含む−
 ※御依頼門徒戸数が正確な実態と齟齬があるのであれば、「一」の逆のケースとして、法要座次等も含め、御依頼が直接関わることについては多角的に検討する必要があろう。

二、御依頼非協力寺院に対して、的確な対応を行うこと。
 ※状況が年ごとに厳しくなる中で、何らかの方法で補いながら完納し続け、今回の調査において少しでも打開策を託している寺院と、非協力寺院との距離は大きく、この間題はちゃんとしていかなければならない。

三、門徒戸数大幅減の寺院については、具体的に対応すること。
 ※その為にも、従来の軽減を行った事例を出来うる限り調査し、組で審議し、更に教区で審議するなど、どのようなメンバーになろうと客観的に対応しうる申告門徒数の確定方法、変更の手順・規定を確立すること。

四、いわゆる三戸御依頼寺院と御依頼のない寺院の調和を図ること。
 ※状況が同じであるのに御依頼三戸、○戸の寺院があり、「一」の間題とも絡み複雑化している。早急に対応する必要がある。
また、いわゆる青空寺院の滞納については、ことを複雑にするだけでもあり整理する。

五、門徒戸数のみを基準とする現「御依頼」のあり方について、検討すること。
 ※門徒戸数は絶えず動きがあり、減少割合も地域ごとに違っている。他教区の例も睨みながら、「要望書」に添った不公平感のない「御依頼」のあり方が考えられないかどうか、検討する機関を設ける。教区ではっきり 数字をつかめるのは寺院数・教師・法要座次・寺院等級(旧寺格)ぐらいなものである。
財源システムの是正はどこまで可能なのかを問うことである。
 −宗門募財に関する情報の収集−
 ※教区においてまちまちな募財方法を、引き続き調べていく必要があろう。特に近隣教区のあり方を調べる。
 教区外の門徒とは、今後、縁遠くなって行くことも目に見えている。首都圏に起きている問題と同質の問題を、能登は県都周辺に抱えている。
教区から連区へと、教えを絶やさないためにも、教区を越えた連携も睨み合わせていかなければならない。
また、今回の調査中、情報が不足しており、情報の提供を求める声があった。
情報提供をきめ細かく行う必要がある。

六、今後、継続的に教区門徒戸数調査を行うこと。
 ※調査結果を、御依頼だけでなく、教区に於ける教化活動に生かしていかなければならない。
さらなるお年より所帯の増加。
過疎の進行、戸数減による様々な問題に対応していくのは、これからが正念場となろう。
  「(二)調査における問題点」を踏まえ、現実的な基準により、教区実態を絶えず把握しておく必要がある。
  五年ごとぐらいに、教区の教勢調査を行う必要があるのではないか。
その為の機関を設ける。「五」と「六」を含む総合的な能登教区実態調査委員会のようなものがあってもよい。

七、宗門に対しては、要望・嘆願を含めた働きかけを継続すること。
 ※過疎で減った分、都市部が増えているかというと、必ずしもそうではない。
減った分は宗門財政の縮小で考慮するのか、負担増(能登は実質負担増となっている)を続けるのか、新たな財源確保の道を見つけるのか、そういう問題に対しても、絶えず注視し、教区現状を訴えていかなければならない。

 この調査は、言うまでもなく、教化活動をどう行っていくか、親鸞聖人の教えを混沌とした時代に、真実の教えとして伝えていくためには、どうあるべきかを問うていくための基礎資料とすべく、門徒実態を知るために行ったものである。その精神は生き続けなければならない。−ねばり強い検証を。




【資料@】

要  望  書

一九九九年度、能登教区教区会において、「経常費ご依頼について」慎重審議の結果、要望書を提出すべき旨、決議しましたので、ここに要望書を提出致します。

一、経常費御依頼額について−全国均一にすることを要望する。

 「御同朋・御同行の教団」「差別のない教団」を標榜する当教団を支える根幹ともいうべき財源において、不平等な扱いが行われていることは、教団の理念にそぐわず、教化等においても様々な弊害となっていることは、つとに指摘されている通りである。
 均一御依頼によって、一時的に財源確保が困難な状況をきたすことがあったとしても、今後、生き生きとした教団たらしむるためには、何をさしおいてもこの同意を解決しなければならない。
 具体的には、総御依頼予算を全門徒数(あるいは戸数)で割った御依頼額とすること。

二、一がなされた上で、現状の門徒数(戸数)を掌握する機関・組織を設けることを要望する。

 特に過疎・過密地に於ける現割当数と現状の差が甚だしい中で、当教区においても、一、の問題と合わせて、御依頼未完納寺院が生ぜざるを得ない現況である。
 割当数を下回ってなお、門徒が減り続ける過疎地においては、厚い本廟護持の思いから、他からの収入で補い続ける状況が見られるが、ぞれも限界に達しつつある。
一、において、財源確保が困難となるかも知れない中において、この要望を提出することは、矛盾しているようであるが、教団基盤をしっかり固める為の機関・組織作りが、優先されるべきである。


 二〇〇〇年一月一二日

能登教区教区会      
 議 長  長 澤 豊 麿

宗務総長   木越 樹殿
宗議会議長 不破 仁殿
参議会議長 吉田武雄殿




【資料A】

御依頼門徒戸数調査特別委員会規則

(設置・目的)
第1条 御依頼門徒戸数の適正化を資するための調査及び必要な事項の審議をし、法義相続本廟護持の適正な懇志勧募の態勢を整えることを目的として能登教区に御依頼門徒戸数調査特別委員会(以下「委員会」という。)を置く。

(業務)
第2条 委員会は前条の目的を達成するため、次の各号に掲げる業務を行う。
 (1)教区内寺院・教会の門徒戸数の調査に関する事項
 (2)門徒戸数調査に基づく審査及び調整に関する事項
 (3)その他必要な事項

(組織・任期)
第3条 委員会ほ、次の各号に掲げる委員で組織する。
 (1)教区会議長、副議長及び選出参事会員の職にある者
 (2)教区門徒会長、副会長及び常任委員の職にある者
 (3)組長の職にある者
2 委員の任期は、第1項各号による在任中とする。ただし、委員会が第10条の答申書を提出した
 ときをもって、委員の任期は終了したものとする。

(委員長・副委員長)
第4条 委員会に委員長及び副委員長1人を置き、委員の互選によりこれを定める。
2 委員長は、会務を統理し、委員会を代表する。
3 副委員長は委員長を補佐し、委員長に事故あるときは、その職務を代理する。

(常任委員会)
第5条 委員会から委任を受けた事項及び緊急を要する事項を審議するため、委員会に常任委員会
 を置く。
2 常任委員会は、委員長、副委員長及び委員の中から互選された者5人以内で組織する。
3 常任委員会で審議した事項は、次の委員会に報告しなければならない。

(調査部会)
第6条 組に組御依頼門徒戸数調査部会(以下「調査部会」という。)を設ける。
2 調査部会は、門徒戸数調査について委員会から委託を受けた事項について調査審議し、これを
 委員会に報告するものとする。

(招集・議決)
第7条 委員会は委員長が招集する。
2 委員会の議決は、出席委員の過半数をもって決し、可否同数の時は委員長の決定による。

(教務所員の会議への出席)
第8条 教務所長及び教務所員は、何時でも会議に出席して発言することができる。

(参考人の会議への出席)
第9条 委員長が必要と認めるときは、委員会に参考人の出席を求めて、説明及び意見を開くことができる。

(答申)
第10条 委員会ほ、教区会及び教区門徒会に、文書をもって答申しなければならない。

(事務)
第11条 委員会に関する事務は、教務所が行う。

(規則の変更)
第12条 この規則を変更しようとするときは、教区会及び教区門徒会の議決を得なければならない。

  附 則
 この規則は、教区会及び教区門徒会の承認を得て、2001年3月9日より施行する。




【資料B】

「御依頼門徒戸数調査特別委員会委員」

(名簿は割愛します:正覚寺住職)




【資料C】

人口・所帯数の変動−昭和45(1970)年〜平成7(1995)年−

20010711作成

市町村名 人口(S45) 人口(H7) 増減% 所帯(S45) 所帯(H7) 増減% 所帯平均
金沢市 361,379 453,975 126% 99,828 169,159 169% 2.7
野々市 13,598 42,945 316% 3,385 17,422 515% 2.5
松任市 31,099 62,990 203% 7,028 17,757 253% 3.5
内灘 10,980 26,367 240% 2,653 8,700 328% 3.0
津幡 21,541 30,318 141% 4,748 8,502 179% 3.6
高松 11,272 11,442 102% 2,397 2,878 120% 4.0
押水 9,103 8,743 96% 2,051 2,361 115% 3.7
志雄 8,004 7,666 96% 1,838 2,083 113% 3.7
羽咋市 28,530 26,502 93% 6,753 7,789 115% 3.4
志賀 17,440 16,425 94% 4,052 4,767 118% 3.4
富来 13,883 10,540 76% 3,271 3,187 97% 3.3
門前 14,568 8,904 61% 3,622 3,272 90% 2.7
輪島市 33,652 28,229 84% 8,598 9,040 105% 3.1
柳田 6,303 4,776 76% 1,436 1,354 94% 3.5
能都 16,438 12,581 77% 4,014 3,926 98% 3.2
穴水 15,488 12,053 78% 3,902 3,794 97% 3.2
珠洲市 29,224 21,580 74% 7,255 6,925 95% 3.1
内浦 10,398 8,233 79% 2,470 2,552 103% 3.2
七尾市 47,855 49,719 104% 12,057 16,002 133% 3.1
鳥屋 6,480 5,676 88% 1,518 1,609 106% 3.5
鹿西 6,125 5,249 86% 1,426 1,516 106% 3.5
鹿島 10,576 8,791 83% 2,373 2,488 105% 3.5
能登島 4,219 3,517 83% 981 933 95% 3.8
田鶴浜 6,587 6,209 94% 1,531 1,632 107% 3.8
中島 9,642 7,923 82% 2,238 2,232 100% 3.5
能登 計 294,515 253,316 86% 71,386 77,462 109% 3.3
           太字 平均以下             太字 減少



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