寝言?譫言?独り言?

  大上段に世相を斬るというのではなく、自分で感じたこと思ったことなどを気ままに書いていきたいと思っています。
毎日とか毎週とかにこだわらず、不定期で、その気になったときに書くという感じでやっていきますので気が向いたらいつでも訪れて下さい。

(since 1999.07.11)

第3回  私が洗礼を受けるまでの経緯


 実は私、先月の27日(1999.06.27)に、M市のMキリスト教会で、水の洗礼式を受け、正式にMキリスト教会の教会員となりました。
 私は、1989年の12月22日に、崔先生とお会いし、1991年1月15日に救われ、1994年4月14日に、聖霊のバプテスマを受け、罪を赦されたいう実感を持っていたので、水の洗礼についてはそれほど興味がありませんでした。
 私が、これまでも、これからもクリスチャンであることは、神様が一番よくご存知だと思っていたからです。
 その私が、どのような経緯で水の洗礼を受けるに至ったかについて、今回、お話したいと思います。

 崔先生が病気のため巡回伝道が出来なくなってから、私たちは家庭礼拝を続けていましたが、指導者のいない悲しさで、少しずつ気持ちがばらばらになっていきました。
 そんなときに、我々の近くに現れたのが、Mキリスト教会のT牧師でした。
 T牧師は、我々の住むN市に伝道をしようと、M市から、わざわざ90分以上も自動車に乗って来られ、N市のために毎月祈っておられました。
 その後、われわれの昔の信仰仲間であったTさんご一家と知り合われ、Tさんご家族の為だけに、毎週日曜日の午後、礼拝を開くために来られるようになりました。
 そして、私の尊敬するSさんの娘さん夫婦であるMさんご夫妻がその集会に加わるようになり、誘われて私とSさんとそのお母様とでお話を聞きに行ったのですが、われわれは講演会を聞くようなつもりで気軽に出かけたのですが、訪ねたところ本格的な礼拝でしたので、これはもう伺っては行けないと思い、大変失礼なことをしましたとお詫びの手紙をT牧師にお出しして、もう伺えませんとお伝えしたのです。
 ところが、T牧師は怒るどころか、実に心のこもったお手紙をくださったのでした。
 指導者のいない我々のことを心配してくださり、これからどうしたらいいのかについて、実に詳細にアドバイスして下さり、その内容を思い出すと今でも涙がにじみ出るほど感動的なお手紙でした。
 とはいえ、私は崔先生を師と仰ぎ、そのメッセージを伝えることをそのライフワークにしようと考えていましたので、これまで通りの家庭礼拝を続けて行くつもりでいました。
 しかし、家庭礼拝の家を提供し、リーダーシップをもって仕切ってくださっていたNさんご夫妻が、何を誤解されたのか、どうも私たちとは考え方が違うようだと言われ、われわれは一人になっても崔先生の教えを守っていくという宣言をされたのでした。
 そこで、それは私も同じですからと言って、なんとか家庭礼拝を続けていたのですが、昨年夏とうとう礼拝はそれぞれの家庭ですることになり、われわれは行くべき場所を失ってしまったのでした。

 元気のなくなったSさんを何とかする必要がある思われたT牧師が、「一人で礼拝するのはよくないです」と私と一緒に家庭礼拝をしたらどうかと勧められ、昨年の暮れから、私の母も含め、私の家で家庭礼拝をするようになりました。
 5ヶ月後、元気を取り戻されたSさんが、娘たちと一緒に礼拝をしたいと言われたので、T牧師が毎週日曜午後開いておられたNチャペルの礼拝に共に出席することになりました。
 そして、6月に入ったある日、T牧師が私に通信教育で、聖書の勉強をしないかと言われたのでした。
 実は私も、崔先生のメッセージをより正しく伝えるためにも、もっともっと聖書について勉強をする必要があると感じていて、誰にも内緒で、通信教育で勉強をしようと考えていた矢先でしたので、思わず乗り気の返事をしたのでした。
 ただし、今は時間的にも、経済的に苦しい状況で、余裕が出来るのは9月になってからですから、それまで待って下さいと御願いをしたのでした。

 その次の週、T牧師の都合でNチャペルの礼拝がなく、それぞれの家庭で礼拝をすることになったのですが、そこで私は崔先生のメッセージを聴くことにしました。
 いつもはテーマを決めてからテープを選ぶのですが、こういう時は神様の御心に任せるしかないと、百本をはるかに越える崔先生のテープから目をつぶって選ぶことにしました。
 そして選んだテープの第一声が、「機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、何が神様の御心かを十分によく悟りなさい」という聖書の御言葉でした。

 7、8月は、県事務所でのワープロ講習会でスケジュールが埋まっており、そんな聖書の勉強する時間がないとか、働かなければ食べて行けないとか、いろいろと自分なりに言い訳を考えていたのですが、そのすべてがメッセージによって否定されたのでした。
 崔先生は、先の御言葉に続けて、次のように言われたのでした。
 「神様は、すべてを創造された後に、第7日目を祝福し、聖であるとされ、休まれたということは何を意味しますか。
 神様が創造されたすべてのものの中で、一番先に聖化されたのは、時間だということです。
 われわれは神様から色々なものを与えられました。
 その中で、時間は、物とは違い、貸すことも、借りることも、貯めることも、戻すこともできない貴重なものです。
 その時間を、有効に使わなくてはいけません。
 その為には、何に使うか、優先順位を決める必要があります。
 何が一番ですか。
 当然、神の国と義を、第一に求めなければなりません。
 そうすれば、必要なものはすべて与えられると、神様は保証して下さいました。
 衣食住は、われわれの霊を入れる器である肉体を養うために必要な手段であって、我々の生きる目的ではありません。
 我々の生きる目的は、肉体に入る霊を養い、訓練し、成長させることにあるのです」

 この話を聞いた後で、迷っていたら、私の信仰など、生きていく上で何の役にも立たないただの見せかけのアクセサリーにすぎないことになってしまいます。
 通信教育で勉強をしていくには、教会に所属し、そこの推薦を受ける必要があり、そこで即入会が決まったという次第です。

 勿論その前に、どうなろうと行動を共にすることを決めていたSさんが、Mさんご夫妻と共にMキリスト教会に入会を決められたことが、その結論となるにあたって、大きく影響していたことは事実です。
 私自身は、Nさんご一家やSさん、Mさん、Tさんたち全員が、以前に所属していた教会へ復帰することが一番いいと考えていましたし、崔先生自身、その教会のN牧師と話をしたいと言っておられ、N牧師も崔先生に会うことを希望されていたので、双方と面識があり、中立の立場の私が、間に入ってスケジュールを合わせようとしたのですが、結局、一方が良いときには、一方が旅行中という状況で、会うことが出来ず、今思うと、やはりそれは神様の御心ではなく、最初から無理なことだったという気がし、納まるべきところに納まったのだと理解しています。

 受洗する前に、崔先生に連絡を取りたくて、手紙をお出ししたのですが、残念ながら、お返事は未だに戴けておりません。
 しかし、これからも崔先生のメッセージを文章化して、一人でも多くの人に伝ることをライフワークの一つとする決意に変わりはありませんので、崔先生も私の決断をきっと喜んで下さるものと信じております。
 次回は、洗礼式の時に、あかしをした際の基になった洗礼文の原稿を紹介し、私のあかしをしたいと思います。

1999.07.11(会田夏彦)


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