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1891年1月19日に起こった第一高等中学校不敬事件で、内村鑑三はその職を奪われ、全国民から国賊と罵られたばかりか、彼が勅語に対して礼拝ではなく敬礼ならするといって、一人の同僚に代って敬礼をし直して貰ったことに対して、教会からも卑怯とのそしりを受け、その上みずから重患の床に打ち倒されている間に、妻加寿子も急逝して、文字通り人生のどん底に投げ込まれました。 その事件から2年後の1893年に「キリスト信徒のなぐさめ」を発表し、教会の中で自分が孤立し、無神論者、異端と弾劾され窮地に陥ったとき聖書によって救われたこと、本来はお互いに愛し愛されるキリストの家庭としての教会であるはずなのに、実際の教会にあるのは、ねたみ、そしり、不遜、高慢、無慈悲、無情であり、その偏狭な排他的精神であることを批判し、行き場所がなくなったが故に仕方なく無教会となったこと、キリスト者は真理に対して謙遜であること、他に対して寛容であることが必要と説いただけでなく、これを自分の祈りとしたのでした。
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