田舎弁護士 上京す |
経済でも、文化でも、娯楽でも、東京はとても気が利いている。どんなコンサートだって、東京にいれば、観ることができる。どこに行くのだって、東京はとても便利。何だって、買える。教育だって、やはり充実している。 それに対して、福井は、これらの点では、はっきり言って比較にならない。政治だって、話にならない(この点だけは、別に東京だって優れているわけではない)。 でも、東京は住んでいて疲れる。名前のない匿名の世界。隣にいる人が誰だか全く分からないし、知ろうともしない。街中を歩いていて、突然、僕が倒れて死んだって、誰も関心を持たない。夜空だって、星一つない。先日、ディズニーランドに遊びに行って、夜、ホテルに帰って、窓から目の前の海を見ていても、夜空は晴れ渡っているのに、星は数個しか見えない。弁護士の仕事にしても、同じ弁護士と二度相手方になることはほとんどないし、同じ裁判官に当たることもほとんどない。常に知らない同士。だから、相手の手の内は分からないし、「旅の恥はかきすて」に近く、時には相手方を罵倒することだってある。 ところが、福井は、全くの逆。常に顕名の世界。ふと入った飲み屋さんに、依頼者がいたりする。相手方の弁護士も良く知った同士だから(場合によっては、相手方もどんな人物か分かっている)、ジャブの応酬などなしに、いきなりストレートの連発だ。自分のやった仕事がどんな社会的意味を持ったのかも、よく分かる。それに、自然がとても豊かだ。本当に、車で10分も走ると、稲穂が揺れる田園地帯に入り、30分も走れば、明るく澄んだ緑色の日本海が目の前に広がる。夜の浜辺に立つと、それこそ、満天の星空だ。遠く水平線にはイカ釣り船の漁り火が揺れる(つい最近までは、密入国の中国人を警戒する巡視艇の明かりだったが)。コンサートにしたって、箱ものがいっぱいできているから(無駄な公共事業の典型のような気もするが、コンサートの当日だけはそうは思わない)、チケットは簡単に手に入るし、コンサート会場まで事務所から徒歩で行けたり、車で15分程度だから、気軽に行ける。僕も、福井に来て、はじめてコンサートなるものに足を運んだ(のりぴーやアンリなんかも行った!)。 京都は、僕の生まれ育った街。京都の裁判所は、僕が通っていた小学校のすぐそば。写生大会では、何度も裁判所の庁舎の絵を描いた。高校を卒業して、京都を離れた。京都を離れてみたかったというのが本当かも知れない。そして、今、京都を離れて過ごした時間の方が長くなった。ずっと離れてみてはじめて分かったものがある。昔、学校へ行くのに通った道。久しぶりに歩いてみると、もう30年以上も前のことなのに、まだその当時のままの空間がある。でも、その空間は同じままでいて、着実に変わっている。少年時代の自分と今の自分。同じ夢を持ちつづけているのだろうか。京都で、今度は自分の力で生きて、今までの自分をもう一度見つめなおしてみたい。そんな思いで、新しい「田舎弁護士日記ー上京編」を綴ってみたいと思います。 @京都へ戻ってきて(京都弁護士会での自己紹介) 00・7・1
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