(04/7/09)

最高裁弁論


 最高裁判所での弁論というのは、弁護士をしていても、一生に一度経験することがあるかどうかの話だ。上告代理人として弁論を指定されるということは、通常、原判決を取り消す場合であるから、自分の主張が認められたに等しく、とても晴れがましく、弁護士冥利につきる経験だ(もっとも、大半の事件は、上告理由に基づくというよりは、最高裁の職権で法律判断を下すものだから、あまり威張れたことではないが)。

 今日、その一つを経験することが出来た。東京の天気も晴れで、とても暑い。最高裁の事務棟には何度も行ったことがあるが、法廷棟に入ることも初めてであれば、法廷に入るのも初めての経験だ。1時30分の弁論指定だが、15分までには入廷するように、そして南門に来るようにとの連絡が書記官から来ていた。いつも最高裁に入るのは西門といって、国立劇場の横からなので、南門から入るのも初めてだ。そうそう、思い出してみると、学生時代、家永教科書訴訟の最高裁弁論が指定されたときに、傍聴券をとるために支援者の人たちと一緒に夜から徹夜で並んだことがあったような気がする(そのときは、並んだだけで、結局は、入廷しなかった)。係官が何人もいて、代理人控え室なるところに案内してもらった。へえ〜、こんな立派な椅子のある控え室があるんだ。法廷の外廊下か法廷で待つのかと思っていたから、なかなか法廷に連れていってもらえないので、法廷がどんな所かとっても期待が募る。僕らの事件の弁論1件だけだと聞いていたのに、別事件の代理人も同じ部屋で待つ。消費者関係事件の判決のようだ。あらら。知っている先生もいる。


 今回の事件は、福井にいたときの情報公開訴訟の弁論だ。私が福井で市民オンブズマンを始めたときのきっかけとなった県カラ出張事件に関する事件で、県旅費調査委員会の報告書は公開されていたものの、そこには各所属ごとの数字の詳細は記載されていなかったので、各所属がカラ出張を調査して取りまとめた文書等の公開を求めたところ、県は、公文書公開条例には「決裁を終えた後管理する文書」を公文書と定義しているところ、取りまとめ文書は庁内の報告文書であって、県の意思決定をすることを予定した文書ではないから福井県文書規程に基づく決裁も経ていないから、公文書には該当しないという理由で非公開決定をされたので、その取消を求める行政訴訟を提起した。ところが、福井地裁も名古屋高裁金沢支部も、県の言い分を認めて私たちの請求を棄却したので、最高裁に上告受理申立をしていた。上告受理申立をしたのが平成12年のことで、もうとっくに忘れていた事件だ。この間に県公文書公開条例も、国の情報公開法にならって、公文書の決裁条項を削除しているし、全国の条例を探しても、決裁条項が残っている条例の方が少ないのではないかと思われるほどだから、今さら決裁条項の見直しがされても、あまり実務には影響しないのではないかと思われる。それでも、条例に対する国の最高裁の解釈がどう示されるのかは興味深い。

 立法者意思や当時の運用を前提とすれば、公文書公開条例が県文書規程に基づいて決裁・供覧を経た文書のみを公開することを予定していたことは明らかだ。しかし、それでは、県が公開したくないと思う情報は決裁・供覧手続を経なければ公開しなくても良いことになるし、そもそも文書規程というのは県庁内部の取扱要領・内規にしか過ぎないのに、そのような取扱要領・内規によって県民の情報公開請求権(しかも、それは憲法の表現の自由に由来し、内規よりも上位の条例によって確認された権利である)の範囲が限定されるというのは、法規の解釈としてはどう考えてもおかしい。条例には「決裁・供覧」という言葉は用いられているが、その定義は条例にはない以上、条例の趣旨に基づいて「決裁・供覧」条項を解釈するのが正しい条例解釈のあり方ではないか。


 第二小法廷の本件の主任裁判官は津野裁判官だ。主任裁判官が5席ある椅子のうちの真ん中の裁判長席に座る。開廷時刻の前になると、まもなく開廷の時間を告げる係官の声が法廷に響く。開廷時刻を過ぎた頃に、重々しく法廷正面のドアが自動的に開き、裁判官が入廷する。事件番号を告げ、代理人が出廷したことを告げる係官の声。何となく、儀式っぽく、アメリカやイギリスの法廷を感じさせる。しかし、やっぱり日本の法廷だと思わせるのは、法廷での丁々発止の本物の弁論がないこと。アメリカの最高裁判所の弁論でも、イギリスの法廷の弁論でも、弁護士が弁論を始めても、すぐに裁判官がその弁論に質問を発し、原稿を読み上げさせてはくれないし、裁判官の質問に対して的確に答えることこそが弁論だ。ところが、残念なことに、日本の弁論は、基本的には、裁判官から「既に提出されている準備書面の通り陳述するか。それに付加して補足することはあるか」と聞かれるのみで、法廷で口頭で弁論をしようとしても、それは予め提出した書面の内容以外のことを言うことは許されていない。それもそのはず。最高裁が弁論を指定したときには、すでに最高裁の結論はほぼ出ているから、弁論はあくまで参考程度に形式上開かれるにすぎない。でも、せめて、それでも、裁判官から代理人に質問を発し、その点の代理人の意見も聞いてから判決を言い渡すべきではないかと思う。それがないから、実は代理人にも、最高裁がどの点につき原判決を変更しようとしているのか全く見当もつかず、弁論も形式に流れざるを得ない。これは被上告人の立場に立ってみると、一層よく分かる。

 実は、私も以前、一度、1審・2審と勝訴してきたのに、最高裁で弁論期日を指定されて、破棄差し戻し判決を受けたことがある。事案は、土地の売買契約をしたが、バブル真っ盛りの頃であり、決裁予定時期までに土地の価格が急騰したので、事情変更の原則で、契約の解除を申し立てられたという事案だったと記憶している。高裁までの争点は事情変更の原則の適用の有無にあった。そのときは、最高裁から弁論期日の指定を受けて、正直言ってとまどった。上告理由書はわずか数枚しか書かれておらず、何点か上告理由が記載されてはいるものの、どの理由も説得力はなく、はっきり言って最高裁がどの上告理由について理由があると判断したのかさっぱり分からなかったからだ。被上告人が上告人の上告理由を正式に知り、それに対する答弁書を作成するのは、実は、弁論期日が指定されてからだ。だから、何について答弁反論すれば良いのか皆目見当がつかなかった。それで、書記官に、調査官と面談して、何が争点であると考えているのかお聞きしたいと伝えたことがあったが、案の定、その時点ではもう調査官は「面談する必要はない。上告理由書を見て、反論する必要があると思えば反論してもらえば良いだけです」と木で鼻をくくるような対応をされたことがあった。私はその事件の直接の担当ではなかったので、弁論には出廷しなかったが、最高裁判決は解約手付けの行使期限である履行の着手の認定時期に関するもので、高裁までの間にほとんど認識されてこなかった争点についてであった。

 本件については、どういう判断が下されるのか。果たして以前私が経験したように、全く予想もしない上告理由について原判決が破棄されるのか、それとも私たちの主張が認められるのか。判決は9月10日に言い渡されることになった。

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