”B・Thomson指揮のCDを中心とした、”   ◇◇  協奏曲について、(ピアノ)page L ◇◇    ※ ・・・ラフマニノフ・フンメル・ハーティー・ヴォーン ウィリアムス               & ブラームス・サン サーンス etc ・・・
 『 Rachmaninov  Comp. Piano Concertos :
         Shelley, Thomson / Scottish National. O 』

 『 Vaughan Williams :
       Piano Concerto /THE LONDON SYMPHONY ORCHESTRA』
          (pf)ハワード・シェリー



           〈 前のページより、続く 〉

  
 
 

                                                                  
 次は、第4協奏曲の1楽章について、だが
















  
このホームページの、作られ方・書き方について ◇・・・2003/5/22

   始めに、インターネット上の文章は、従来の配布される印刷物における文章と、かなり根本的に異なる特質を持つこと    
   は、もっと注意されて良いことだと考えます。    
   まず、重大なことは、従来の印刷物における文章は、一旦 社会的に流れた場合、深刻な誤りはともかく、細かい部分
   の修正もすぐには困難で、改訂版を作るということなどによって、修正することぐらいなので、著者自身誤りと解って
   いても社会的に流通し続けるという事態が起こりますし、またそういった修正には手間や経済的、にも負担がかかりま
   すから、なるべく無難な主張、もしくは、どうとでもとれる主張に傾く、特質が元来あります。

   一方、インターネット上の文章の非常に大きな特長と違いは、一度 掲載した文章を、非常に簡単に修正、増補等が、
   行えることで、これは決して小さな事ではありません。しかも、現在のところ、読者に経済的負担を殆ど求めない場合
   が大部分ですので、書籍、出版物と全く違って、読者に”損害”を与える感じにも、遠いものになります。
   
   ですから、インターネット上の文章の場合は、改良、改善が困難なく、行えるのであり、また、もっと言えば、インタ
   ーネット上の文章の”利点”を、最大限に”生かす”ためには、むしろ、その”過渡的な状態”を、有効に生かすこと
   にあるのは、もっと一般に知られていいことです。(このことは、”動画”的という類の話とは、もちろん 違ったこ
   とです。また、いかに、大掛かりに立派に作られているページでも、内容の変化や発展が、感じられず、確定した様子
   では、一般に非常につまらない印象があるのでないでしょうか?)

   すなわち、インターネット上の文章の場合は、ずっと、積極的(良い意味で”冒険的”)な書き方が、本来 可能で、
   一般的出版物によくある、同じことを無難に”繰り返す傾向”もしくは、”埋め草的傾向”は、「職業的」「商品的」
   な面からは、ある程度仕方のないことですが、そういった傾向にある閉塞的状態から、抜け出すことが出来ます。

   ですから、このホームページでは、”途中の書きかけの文章”みたいなものでも、そういった意味で、必ずしも悪いこ
   とではないと考えています。(もし読んでくれる人があれば、そういったものでも、考える手がかりぐらいには、なる
   かも知れませんし、また、そういったものが、その後 だんだん、このホームページの他の文章から案外つながってく
   るのは、それなりに面白いのでないかとも思います。)

   もちろん、単なる”手抜き”では、ダメなわけですが、同様にインターネット上の文章の”積極的書き方”で、ある程
   度、試みられてよい方法としては、”無難な書き方”をするより、”掴んではいるけれど、現在は、不細工な書き方し
   か、ちょっと思い浮かばない・・という場合も、進んで書き込んでいく”といような方法です。
   (これは、あるイミ 『実験的、建設的』方法といってもいいかもしれません。)

   というのも、インターネット上の文章は、あとで改良、改善が難しくないという利点が正に、ここで生かせるのであっ
   て、ちょうど「荒削り」を一旦やっておいて、「あとで整えていく」というような方法が、可能になります。
     (このホームページの文章は、全体の輪郭を、何とかして浮かび上がらせることが目的なので、多少 粗っぽくても、
      話を前に進めていこう、という姿勢になっている、ということでもあるのです。)

   このことによって、「文章を書く」ということが、体裁の良い言葉を並べるというより、もっと「考える」という行為
   に近いものになるはずです。

  とはいえ、余り勝手に書き手の都合によって、いったん出したインターネット上の文章を、改変するのは、全く無責任
   となるのも確かなことです。
   そこで、このホームページでは、そういった”無責任さ”を防ぐため、一応の”基準”を、念頭に置いています。

   @ 書いた文章の初出の年月日を、そこまでの部分の終わりに書き加える。
        (最近の文章の場合、正確なものに一応なっているのだけど、2000年前半の頃までの、文章は、そういう習慣
         が無かったので、後で付け足したものの、記憶が曖昧で、3,4ヶ月ずれたものになってしまっているかも・・・)

   A 後で、思いついて文章に書き足した部分、改変部分や、付け加えた注釈などにも、一々 その年月日
     を分かるように区別して、入れておく。
     また、論旨、文章の筋が、相当変わった場合は、元の文章も消さずに、残して比較のため併置しておく。
        (現在までのところ、このホームページで1度書き込んだ話題の主張自体を、撤回した部分や変更は、殆どないはずです。
         また、文章の論旨の筋を変えた部分も、raf3→のみだと思います。またx.htmlの外側の古い文章の終わりの方は、以前すこし省略・・)

   B 正し、全くの”凡ミス”部分、漢字の変換違い、文字の欠落、同語の繰り返しの修正、など、単に文章の整理
     し直したような部分は、読みにくく煩わしくなるので、基本的には気付いたときに手直しし、一々書き込まない。
       ( 筆者の不手際によって、困ったことに、こういう部分が、多分 他の普通のホームページより、多くなっているとは
         、思います。もし、読んでくれる人がいた場合、申し訳ありませんが、どうか好意的に想像して、補って下さるよう願っております。) 

   C 引用部分は、出典の箇所を分かるように、明示する。ただし、翻訳の場合、本稿の筆者が、文章の都合上要約
     したり、原文を元に改編する場合もあるので、翻訳者の責任のように誤解される可能性ゆえに、参考にした日
     本語訳の著者の名前を、出さないときもある。

   D このホームページの文章、主張は、皆 筆者が勝手に考えたもので、責任やご批判の対象は、すべて当方にあり
     ます。問題があれば、改善、改良しますので、どうぞよろしくお願いいたします。


                         【 2003年 5月 22日 】
               
 
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