ありがとうおじさんのお話から その4

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宇宙の謎へもどる

前ページから続く、ありがとうおじさんのお話からの抜粋のつづきです。 

ありがとうおじさんのお話から その1 その2 その3


以下、ありがとう広場より抜粋(カッコ内は日付と題名)


【病気を治したい。「ありがとうございます」で治りたいというのは、まだ思いが強いのであれば、病気になって「ありがとうございます」ですか?】
 
ありがとうおじさん:
 いや。病気などほっといて、神さんのお役に立ちたいと。もう絶対安静と言われていても、そのまま神さんのお手伝いに生きて、動けばいいのよ。肉体など捨ててしまえばいいのでしょう。肉体を捨てて、死んでもいいと思い、動けばいいのでしょう。そうすると、サッと治るのね。願いが感謝に生きたいと純粋な心が強いのね。その時は、神さんも応援をいくらでも出来るわけ。どんな重荷を持っていてもサッと消せるでしょう。病気の重荷なんて簡単なもんよ。すぐ消えるのよ。神さんがフッ吹いたらしまいよね。
(2002年7月5日 「感謝に生きるか 思いに生きるか」より)



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【地球そのものは意志をもっているのですか?】
 
ありがとうおじさん:
 そりゃそうじゃない。地球そのものが神様よ。大きい竜神さんの身体よ。地球がね。名前はいろんな名前をつけて、地球麗容と言ったりするのだけど、大竜神さんよね。言うたら神様よね。肉体人間が、神様の上に住まわせてもらっているような感じね。ただ愛深い神様よね。少々悪戯されてもジッと我慢して、痒いのも痛みもこらえて…。【原爆も。】原爆はかなり痛いよ。針でさしたよりも、痛いはずだよね。
(2002年7月5日 「地球は竜神さん」より)


【すいません。いまそのマイナスに見えているって、何処がマイナスなんでしょうか?】
 
ありがとうおじさん:
 例えば、プライドがあって、態度がマイナスに見えているのでしょう。それが一番地獄のどん底の一番嫌な姿から見たら、物凄いプラスに見えるはずよね。一番下と比較するのね。マイナス無限大と比較すると、現実の姿は全部大きいプラスよね。それが寛容の心、プラスに見る心ね。もう一つは許しの心ってね、過去の一切を相手にしないの。いつも新たに新たに受け直して、神様の現れ神様の現れと観る心ね。この許しの心があると過去に引っかからないのね。もう一つはみんな神様との一体感で観るのね。みんな神様そのものと観るとね、許すも許さないも何もないよね。もう有り難いばっかしで、拝むばっかしになるのね。この四つよね。思いやりと寛容と許しと一体感というね。この四つの心が神様の愛の働きね。この神様の愛を受けるのも「ありがとうございます」と唱えて受けるのね。自然にその愛の心が自分に湧いてくるから、そうすると引っかからなくなるね
(2002年7月6日C 「神様の愛の働きとは」より)


ありがとうおじさん:
 あの、お釈迦さんは悟っているでしょう。悟った人はまたいろいろな名前があるのね。たくさんの名前がついているでしょう。一つに応供というね。応じると供養の供ね。応供という名前があるのね。供養に応じる資格があるというね。お釈迦さんに対しいろいろ供養のお供え物を持ってくる人が一杯あるでしょう。それは何の為かというとお釈迦様に自分の持っているマイナスを消してもらうから持ってくるのよね。お釈迦様はそれを受けてその人の持っているマイナスを全部引き受けて消すだけの力があるのよね。だから引き受けて消してくれるのね。

 ところが消す力が無いのに貰ったら、人の思いを一杯被ってしまうから、貰った人は心が狂ってしまうわね。おかしくなるね。人から貰うのは本当は物凄く厳しいね。本当に力があったら受けてあげるのも大事ね。それを活かしてあげるのも必要になるけどね。いろんな宗教団体が世の中に一杯あるでしょう。だから感謝を深くしておかないと、狂ってゆくのもたくさんあるよね。別に宗教団体だけじゃないけど、一人一人の問題だけどね。

生活の中で人からいろんな物を貰うのでも、感謝の心を深くして貰ってあげるのは人助けね。人に何かを譲ってもらう場合、あげる場合でもそうよね。感謝をこめて思いを消して与える方が良いよね。そうすると人に負担をかけなくなるね。親が子供に与える場合もそうよね。感謝して与えないとね。子供に対して親の思いを被せる事になるよね。与えるほど思いを一杯被って親不孝になるよ。感謝して与えたら思いを被せないから、子供に物をいくら与えても負担にならないよね。そうすると物を活かして使ってくれるね、子供でもね。だからまず感謝して頂く人は幸せなんよ。思いを消してもらえるから物凄く得しているね。
(2002年7月6日D 「お釈迦様の別名「応供」について」より)


質問:
 いつも神様と一緒にいたいという気持ちで発言とか行動をしますね。私はいいと思ったことをします、人に対して、子供に対してとか。それに対して反発をくらったり、反感をくらったりします。それは私に言ってくれてるのだろうということはわかります、「これは、私の姿を見せてもらってるのだな」と。これは私の気持ちにはそぐわないな、プラスにプラスに考えてもそぐわないなと思う時は、やっぱりそれは間違っていると考えてよろしいのですか。
おじさん:
 普通最初に、この現実を先に掴み過ぎてるのね。最高表現と比べると現実はゼロかマイナスに近いものになってしまうね。現実を掴んで言葉にするとマイナスの言葉が出てくるね、沢山ね。「神様を相手にする」という時はね、無限の無限のプラスの言葉だけ、ねっ。だから、「みんな無限に無限に幸せで一杯」と言わないとね、「みんな無限に無限に素晴らしい」と言うのがいいね。現実を言葉にするんじゃなしに、最初に最高の褒め言葉を使い続けるのね。そうすると、それが現実化してくると自分がすっきりした心で納得できるね。先に、「無限の無限のプラスの言葉を使う」というのが大事ね、そうすると心の照準が神様の方へ向くから、後、そこから現実化してくる姿を受けたら納得できる。

質問:
 そうすると、私はその人が居てくれるだけで嬉しいと感謝し、「この人にだったら」と思う気持ちだったらよろしいですか。
おじさん:
 ううん、でもそれは現実の姿を見るだけだったらまだつまらん見方じゃない。「無限に無限に輝いている」と見ないもんね、まだね。本当は無限の輝いた姿が見えたら納得できるのね、もう、‘眩しい'というぐらいね「無限に輝いている」というふうに「みんな無限の幸せで一杯」というふうに感じられた自分が幸せなのね。それを先ず感じるためにはプラスの言葉をしっかり使わないと、照準を神様に合わせないといけない。

 例えば太陽を見るとするでしょう、太陽を見る時は「無限に輝いている」と見るでしょう。でも太陽にまっすぐ目を向けている時はそう言えるけど、ちょっと角度を逸らしてご覧よね、太陽から出てる光を見たぐらいでは無限に輝いていると言えなくなるね。それで次に太陽に背を向けたら闇が見えてくるじゃない、ね。

 これと例えたら同じね、神様に心を向けるというのはね、「無限の無限のプラスが一杯」と言わないといけないの。言葉で心の向きを変えるのね、照準を定めるのね。そうすると無限の無限のプラスの言葉を使うと、神様に心がすっきりとスッと向くのね、その時に神様を感じるの。

 現実は無視よ、本当はね。現実を無視して「無限の無限のプラスが一杯」と言うのが本当の感謝行になるの。病気をしてても「無限の無限の健康で一杯」と言わないとね。不幸な人を見ても「みんな無限の無限の幸せで一杯」と言わないといけないね、その言葉を使い続けたら、その言葉に神様が感応して波長を合わせて降りてきてくれるから、幸せな姿をとり続けてくれるね。
(2002年7月13日B 「無限の無限のプラスの言葉を使う」より)


おじさん:
 すべてにおいてマイナスの言葉が多すぎるじゃない、それ。少しでもプラスにプラスに変えたら、その分だけでも変わってくるね。マイナスの言葉を翻訳する‘翻訳家'になればいいと言うてあげて。もうすべての言葉を、マイナスの言葉をプラスに変えてくれたらいいね、先ずね。

質問:
 そしたら、もう現実化して行くんですね。
おじさん:
 先ず新聞を見て'ぜんぶプラスに変えて’と言うておいて。(新聞のニュースを見て?)うん、(練習ですね)練習に。1回マイナスの言葉を見たらね、10回プラスの言葉を繰り返して、というふうにね。(声に出す方がいいですか)心でいい、プラスの言葉を沢山使うのがいいね、そうすると世界を変える力が付く。
(2002年7月13日B 「マイナスが出たらプラスを10倍言えばいい」より)


H:
 この感謝行をさせていただくことによって、悟りの境地まで行くじゃないですか。そこをやることによって、神様そのものになれるんですか。
おじさん:
 なれるって、元に戻るのね、神様に戻るのね、神なる自分に戻っていく為よね。元々神なる自分があって、その自分が自由自在に一つのチャンネルを選んで楽しんでたのね、執われてしまったのね、執われると思いが古い心となって溜まっていくわけでしょう。そして思いの奴隷になると、今度は番組から抜け出せなくなるね、それで本当の自分を見失うのね。それでもう一回感謝行をさせてもらって、感謝行は神様の助け舟みたいなものよね。神様の方から助けに来てくれて引き出してくれるね、番組の中からね。そしてもっと奥の自分へ戻れば、自由自在な心に戻って行くのね。それでまた最初の原点に戻って、もう一回自由な立場で好きな番組を選べばいいよね。戻るのよね、神なる自分に戻してもらうのね、感謝行ってね。
(2002年7月13日B 「神様に戻る」より)


質問:
 お仏壇とかお墓、今あるものは必要ないと思うんですけども。どのようにしておいたらいいのですか。
おじさん:
 そんなん自分の心の勉強の模型みたいなもんでしょう、ねえ。感謝したら本物をとらえて行くのね、偽者なんて要らない、本当は要らないよね。ただ、別に無理に壊す必要もないね、本当に必要がなくなって、壊した方がいいんだったら壊せばいいけどね。そこまでしなくても、学校の勉強でもそうじゃない、勉強した教材をぜんぶ捨てて燃やしてしまうかというとそうじゃないじゃない、ちょっと記念に残しておいても別に構わんけど。その辺も自由自在に必要なだけを残していけばいいだけね。後、欲しい人があったらあげてもいいのよ、あはははは、リサイクルよね。
(2002年7月13日B 「模型」より)


ありがとうおじさん:
 どんな楽しい仕事をするんでも過去を掴んで長い時間続けると疲れます。だから今の一瞬だけを楽しむような感覚で過去を忘れる方が良いです。そうすると神様の助けが大きく降ります。何でも喜んでするのは良い事です。そして自分がこれ必要・楽しいという事はどんどんされたら良いんですけど、ただ過去を出来るだけ離す方が良いです。徹夜で24時間頑張ったというより今1分間楽しませて貰ったというぐらいの気持ちで、時の経つのを忘れる方が元気が一杯湧いて来ます。普通働けば疲れるというのは過去を掴むから疲れるのです。過去を蓄積するから疲れるのです。でも今の一瞬一瞬を喜んで楽しんで何でもする時は逆に元気になります。働くほど神様の助けを一杯受けます。そして元気になって益々、力が湧いて来るのが本当です。だから過去を忘れるのが良いです。過去を余り数えない方が、そしたらもっともっと元気になります。
(2002年7月19日 「元気になるには? 」より)


質問者:
 15年くらいかけて、ここまで元気になったのですが、やりたい仕事があるので、もっと元気になりたいのです。最高に幸せになりたいので本当に健康になりたいと思っています。病気も選んで来てると思うのですが、病気も意味があるのでしょうか?
ありがとうおじさん:
 神様は何時も無限健康を与え続けてくれています。ところが、それを受け忘れるのです。それで肉体の自分だけを掴んで仕舞います。掴めば掴むほど、疲れるとかマイナス的な思いを起こしがちです。本当は神様から命を与えて貰って全ての力を神様から一瞬一瞬新たに与え続けて貰っています。本当は病気には絶対になれない筈なんだけど病気になって仕舞う時は必ず神様への感謝を忘れて神様からのプレゼントを受け損なっているのです。「ありがとうございます」と感謝をし始めると神様の助けがどんどん中から湧き上がるように出て来るから、どんな病気でも本当は治してくれます。それで大きい健康を与えて中から色んな力も能力も与えて楽しく仕事が出来るようにしてくれます。だから過去の事は、もう心配しなくて良いです。これも過去を離した方が良いです。過去を引きずると、その言葉の思いの縛りでズーっと続くような感覚になります。でも過去を全部神様にお任せして渡して仕舞えば消してくれるから過去の惰性に引きずられなくなります。仮に100年病気を、し続けても全部神様に預けて消して貰ったら今新たに生まれて来るのは無限健康の自分です。今から健康で生きられる感覚です。だから過去は関係ないぐらい全部、過去を神様へ預けて仕舞えば良いです。そしたら楽しく・したい事なんでもさして貰えます。だから心配しなくて良いです。
(2002年7月19日 「無限健康 」より)


ありがとうおじさん:
 色んな問題があって感謝出来ないという時は、問題は関係なしに「ありがとうございます」って唱えていると、その問題のプラスに気付いて感謝出来るように必ず神様は心を変えて来ます。それが1番早い解決方法です。本当はみんなどんな姿も大きいプラスの意味があります。人って死んだら悲しいと思うけど、本当は神様から見るとこの世の勉強が終わって新しい所に入学するのです。相応しい場に入学して行くのです。だから喜びごとでないと嘘です。卒業して新しい相応しい場へ入学さしてくれるんだから、本当は卒業と同時に入学の両方の喜びごとなんです。それを悲しみに見て仕舞ってマイナスに見て仕舞うのです。それはやっぱり感謝の心がないと、思いの心だと過去の1つのものに執着して、それを掴んだままで縛られているから本当の意味のプラスの気付きが少なくなって仕舞います。

質問者:
 自分で命を絶っても、それでも喜ぶんですか?
ありがとうおじさん:
 そうです。命って寿命が来なかったら自分では断てないのです。自殺でもそうです。自殺って自分がしてるようだけど、出来ないのです。何回自殺を試みても死ねない時は絶対に死ねないです。必ず誰か止めに入ったり、もう死ぬと言われても生き返るのです。だから寿命が来て死ぬのです。あの世の良い所へ移してくれます。ただ死ぬ時の死に方です。色んな人の運命があります。もしマイナスを一杯貯めてたら、そのマイナスを清算して消して行った方が良いです。その消し方が色んなマイナスの姿に見えるかも知れないです。だから死ぬ時のマイナスの姿はあの世へ持ち越さない為のマイナスの清算なんです。軽く消して貰っているのです。逆にマイナスが大きい程、喜んであげないといけません。例えばガンになった人が苦しんで死ぬとします。その苦しみを取ってあげたら幸せかなと周りの人は思うんです。そうじゃないです。この世で一杯苦しんでおく方が・痛みで大変という方があの世へマイナスを持ち越さずに済みます。この世で痛みを味わうのと、あの世で痛みを味わうのでは全然違います。あの世の方が何万倍と大きくなります。この世は万分の1で済むのです。だから軽くすまして消してくれてるから苦しんだ分、物凄く得した事になってるのです。亡くなった人にとっては、それは大きいプラスに変化してるから、それは不幸じゃないのです。その辺の事を気付いてあげないと・自分が感謝の心を起こさないと気付かせて貰えないです。「ありがとうございます」を唱えてると神様が助けに入って気付く心に変えてくれるから全部プラスに分かるようになります。だから「ありがとうございます」と唱えてごらん全部プラスに感じて涙流すぐらいに喜べます。「ありがとうございます」。
(2002年7月19日 「 大好きな人の死 」より)


ありがとうおじさん:
 本当の感謝というのは、一切の願い事を持たずに神様の前へ立って「ありがとうございます」って神様のプレゼントを受けるのが本筋です。普通病気になったら病気を治して欲しいって願い事を持って「ありがとうございます」って感謝し始めるんですけど、これはまだ本当の感謝行の入り口にも入っていないです。門の外で入ろうか入るまいかって思案してる段階です。だから思いの世界から本当に感謝の世界へ抜け出るというのが本当の感謝行に入った事になります。思いの世界では色々、自我の心があって「こうしたい・ああしたい」って色々思い通りしたい・願い通りにしたいというのがあるんです。これは自分勝手な願いです。神様から見ると本当につまらない願いなんです。神様の方は無限の無限の素晴らしいプレゼントを一杯与え続けているのに、何故それに気付いてくれないのかと思っています。それさえ気付いてくれたら何にも願いは出なくなる筈です。願いを持ってするなんて本当の神様の前に立つ時は考え方によったら万死に値する無礼千万な態度です。本当に失礼に当る訳です。無限の無限のプレゼントを一杯与えてくれた人に対して自分勝手なつまらん願いを出して「あれ欲しい・これ欲しい」というのは考えても可笑しいです。神様はそこまで人の幸せを願って、いつもいつも無限の無限の幸せを与え続けようとして一生懸命になっているのに今更つまらん願いを出す必要はないです。

 その感謝というのは一切の願いを相手にしないで神様のプレゼントを即サっと受けたら良いのです。そうすると神様のプレゼントを受けたら全部問題解決します。どんな願いも神様から来る無限の無限のプレゼント1つ受けるだけで良いのです。1つで良いのです。無限のプレゼント受けるまで行かなくても1つ受けるだけでこの世のどんな願いも全部適えて貰えます。そのぐらい素晴らしいプレゼントを与えて続けて貰っています。だから感謝行っていうのは神様を目の前にした時は謙虚に謙虚にただ受けるだけが良いです。その受け方の上手な人が最高級神霊という訳です。

 もう無限の無限の素晴らしいプレゼントを受けた途端に、もう有り難くって如何しようもないぐらいになります。そうしたら恩返しの心を自然に湧き上がる様に起こさして貰うのです。何所までも恩返ししたいと願ったらやっぱり1番下まで降りるのです。自分の持ってるもん全部投げ出すだけで済まないです。自分を抵当に入れて借金してでも、それを全部お返ししようというぐらいの感じです。そういう感覚で地獄のどん底まででも、マイナス無限大のマイナスの極地まで降りられるのです。そうすると自分が本当の意味の空っぽになります。そしたら神様はほっとけないです。そこまでするんだったら、もっともっと大きいプレゼントを一杯注ぎ込んで来ます。そうすると今受けたものの、また無限倍がスっと入って来ます。その連続・繰り返しなんです。だからもう自分が一切消えてなくなるのです。

 もちろん自分のもんなんて持つ必要もないし、ただ神様だけが神様のプレゼントだけが目の前を流れるようにズーっと連続して現れるのです。本当の神様の光のプレゼントが無限のスピードでズーっと降り注ぐような感覚です。だから過去の自分を一切掴まないのです。これが自分というのも掴まないです。それは古神道系の最高級神霊の神々様と同じ状態です。そういう自分が本当の自分に近いです。そういう自分になりたい人が、御陵へ行くのです。だから小さい願い事で行ってもつまらんです。本当に無限に無限に謙虚な神様の最高のプレゼントを一瞬一瞬受け直せるような自分です。そういう自分になる為にあの場を活用させて貰うのです。
(2002年7月19日 「本当の感謝 」より)


質問者:
 宇宙は無限の入れ子構造になってると仰います。そうすると地球があって太陽系があって銀河系宇宙があって銀河団があってという風に捉えます。それはある意味小さい宇宙の1つで(そうです。)無限の入れ子構造は全く違うのですか?(そうです。)そこでは、今我々が予測している宇宙とは、違うシステムで動いているかも分からない。(はい。)そこのシステムの中でも「ありがとうございます」というエネルギーは生きていますか?
ありがとうおじさん:
 はい。もう全てに貫いて通っています。だから「ありがとうございます」が本当に分かり出したら入れ子構造の仕組みがよく分かって来ます。実感させて貰えます。感じさせて貰うから、この世のどんな小さいものにも石ころにも原子1個にももっと小さい素粒子にも全大宇宙がある感覚になります。その入れ子構造の仕組みは物凄く複雑です。物凄いもんです。神様の宇宙創造の働きは薄っぺらなもんじゃないです。そこまで凄い宇宙をいつも与え続けて貰っているから本当に凄いのです。この世で見ているこの宇宙も入れ子構造だし、あの世の無限の無限の次元ぜんぶ入れ子構造の宇宙を持っています。頭で考えても全然想像出来ないです。本当に感謝の心を中から湧き上がらせて貰って本当に感謝の直感でスっと分からして貰うしかないのです。

 昔、五井先生が修行中に「ふうち」と言ってちょっと神様(守護神様)からのアドバイスが来たのです。「百知は 一 真(しん)実行に及ばず、誠実真行(しんこう) 万里を識(し)るに勝(まさ)る」という言葉が降りて来たというのです。これ物凄く素晴らしい言葉です。「百知」って百の知識・百の色んな事を知るという事と1つの実行とどっちが素晴らしいでしょう。1つの真の実行の方が本当は素晴らしいです。「誠実真行」本当の真心を込めた行いは「万里を識るに勝る」というのです。万の真理を勉強するというのは本当は凄い事なんです。それ以上に「誠実真行」って言うのです。これ真の感謝行だと思います。本当に真心込めた感謝の祈りで宇宙の万里を勉強するよりも遥かに価値があるのです。色々理屈こねて勉強するのも必要な時は必要だけど、でも「ありがとうございます」って1回心に唱える方が100の知識を勉強して知るよりも価値があります。素晴らしいのです。それで宇宙の真理を万の真理を勉強して知るよりも本当の真心込めた深い感謝の祈りを捧げる方が遥かに価値があります。だからここへ皆さん色んな勉強に来られると言っても色々言葉で教えて貰うこんな勉強はとるに足らないです。つまらんもんばっかしです。でも本当に価値のあるのは直々に神様が皆さんの中へ伝えてくれるもんなんです。それは受ける心がないと伝えて貰っても受けられないです。それで「ありがとうございます」という本当の感謝の祈りが必要になります。だから直々に与えて貰って受けるというのが大事です。そしたら知識で勉強する事なんかつまらんです。色んな真理・原理・法則を色々学んだって枝葉の問題になって来ます。本当の神様を直接、感じる方が本物なんです。だから本当はここへ来る目的は勉強の為ではないのです。「お祈りだけをしたら良い」という確認です。「おじさんに出会って」と言うて、こんなつまらんおじさんに出会ったらあかんのです。神様と直接対面する為に本当に何が必要かしっかり確認するのです。「ありがとうございます」と本当の感謝のお祈りをしっかりする事を確認するのです。本当の神様と出会うのが大事なのです。
(2002年7月19日 「 誠実真行(せいじつしんこう) 」より)


☆先週から奉仕作業をしたんですけど・・・気持がいいのは何ででしょうね?
ーおじさんー
 感謝と奉仕の行はセットになっているんですよね。呼吸と同じで、吸う息・吐く息と同じですけど、感謝のほうは受ける吸う息という感じですけど吐かないと新しいのが入ってこないですね。だから神様の何かお役に立つお手伝いという気持で恩返しの奉仕というのが一番大事なんですけど、それをすると新しい神様からのプレゼントを受けやすくなっているんですね。いつも新鮮な気持がスッとでてくるんです。だから奉仕をして感謝のお祈りをすると深くなるんです。普通は教えを受けるのは求める心で受けるでしょう、その時は判った・・とちょっとはありがたいという気持になるんですけど求める心が先にたっていますね。それで感謝を深めようとするんですけど・・まあ、ちょっとは深まっても深まりにくいです。でも奉仕というのは先に与える心を生きてる恩返しの心を生きているので、その後はやっぱりスッキリした心で感謝が自然にスッと深くなるような感じでさせていただくので、そのセットでするとやっぱり感謝というのはどんどん深まります。
(2002年8月9日 「 感謝と奉仕の行はセット 」より)


☆最近いろんな病気が増えてきていますが日本人としては寿命が延びてきています。身体も立派になってきてますけど、これはいい方向なんでしょうか?
ーおじさんー
 いい方向ですね。寿命が延びてきてるということもいいことですね。死ぬことは心配しないでいいんです。本当は病気になったからって死ぬ訳じゃないしね。病気を持ちながら長生きしている人は大勢います。寿命の短い国は健康でも死んでいきます。
 
 立派に進化した星は、一瞬一瞬生まれ変わる感覚だから必要なだけ寿命が延びますね・・過去を掴んでないから。いつも新たに新たに受けなおすと健康がずっと続くんです。
 神様からのプレゼントというのは執着して掴んだら、どんどんマイナスに変って消えていくだけなんです。掴むからいいものがどんどんなくなっていくので・・それはもう、ひとつのものを掴んだら新しいものを受け損なうんです。プラスがどんどん消えてマイナスになって消えていく、だから執着の心が損をしているだけなんです。
 
 普通この世の人はこの世のものを掴んで、これは自分のものと掴んだ途端にそれはどんどんマイナスになって消えていくんです。だから常に新たに新たに神様からのプレゼントを受け直して補充しないといけないんです。新しく神様からいいプレゼントを受け直したら、それをどんどん受け直し続けたら、いいものが永遠に続くんです。
 執着した人はいいものを受け損なっているんですね。だから新たに新たに受け直すという気持が一番いいです、そうするといいものが永遠に続くんです。
 
 本当は難しくないんです、ありがとうございますと受け直せばいいだけなんだけど。
 空気もそうでしょう、一回吸ってこれっきりと思ってじっと我慢して吐き出さなかったら苦しいです。すぐに酸素がなくなっていって酸欠状態です。
 でももう一回吐き出してもう一回新しいのを吸ったらいいんです。新しいものを吸って吸って、吸い続けたら永遠に幸せですね。そんな感覚です。
 だから古いものを掴んで執着しないことです。損します。毎日毎日新しく生まれ変わって新しく生きるというのがいいですね。過去を掴んでそれを連続させない方がいい、過去の積み重ねじゃないです。新たに新たに生まれ変わった感覚が一番いいですね。

 毎日名前を変えた方がいい・・それくらい自由な気持がいいです。
(2002年8月10日 「毎日名前を変えた方がいい 」より)


☆この世は五感があるので錯覚するけれど、実際の自分はいくつもの段階にも存在するんですか?いくつもいくつもの自分があって、いくつものところから降りて来てこの世に投影している感じですか?
ーおじさんー
 そうです。神様が無限の無限のチャンネルを先ず用意します・・・放送番組が出来ますね、その中にみんな出演しているんです。無限に無限に自分があるんです。
 
 だから極楽にもいるし地獄にもいて演技しているし、今の自分がどの番組を波長を合わせて眺めているかです。またそれも客観的に見える人と中に自分が嵌り込んで、さもその番組の中に自分がいるような錯覚を起して生きている人もありますね。
 
 どの番組にも感覚はあってそれは必要なんです。ただこの世の番組では五感という感覚で生きています。それは必要だからある訳です。上へ行くほどもっともっと感覚は冴えてきます。
(2002年8月10日 「どの番組にも感覚はあってそれは必要なんです 」より)


☆上のほうの番組というのは地球だけじゃなくて、他の惑星とかも他の番組と考えていいんですか?
ーおじさんー
 他の星といってもこの世で見てる宇宙はこの世の番組です。やっぱりこの世に属する番組です。木星やなんかにも見えないけどちゃんと住んでいます、ただこの肉眼で見ていると人は見えないですね・・番組が違うからです。
 
 肉眼で見るこの番組には見えないけどももっと高い番組にはちゃんといます。だからどの星もそれぞれに無限の段階がありますね。太陽系だけじゃなく他の星も全部そうです。
 
☆私たちが見ている番組では木星とかには、いないわけですね?
・・・そういうレベルの番組なんですね?
ーおじさんー
 いないですね・・まだ見えてないですね。ちょっと波を変えたら見えるんだけど・・太陽でもそうですね、この世の人は太陽は火の塊みたいに錯覚しているんです。ちゃんと人はいるんですけど・・本当は燃えているという感覚じゃなしに愛の光を投げかけてもらっているという感覚です。光や熱が来るとしたらもの凄い温度の燃え上がったものとしか今は思えないんですね。
 
 神様のいのちの働きというのは本当は不思議でたまらないものなんです。いろんな微生物・細菌なんかでも普通100度くらいで死ぬというような考え方を持つでしょう、100℃で消毒すればとか・・でも1000℃でも2000℃でも生きている細菌があります。またそういう高い温度を出す細菌がいるんです。フェニックスのような細菌が・・・。
 
 宇宙の働きはみんなそういう神様のいのちの働きでしょう、みんな生きているんですね。地球の底のマグマのような高温の中でも本当は生きているんです。それ自体が生きているし、そこにやはり生きている細菌なんかが本当はいる訳です。みんな神様のいのちの働きです。ただ私たちは見えてない感じられてないという感じで見ているけど、本当はもっともっと不思議なものがいっぱいありますね。
(2002年8月10日 「 太陽にも人がいるんです 」より)


☆過去にピラミッドなどを作ったそういう文明というのはかなり精神的にも高いと思うんですけど何故、滅んだんでしょう?
ーおじさんー
 滅んだというより卒業したんでしょう。もっと高かったら何も痕跡を残さず去っていくんだけどゴミを捨てていったところが間違いですね。滅んだというよりみんな順番に必要なところへ上っていくだけで、卒業していくんです。必要なものは与えてくれるけど必要でないものは順番に神様が消してくれるんです。
(2002年8月10日 「 滅んだというより卒業したんでしょう 」より)


☆UFOに護られている人がいて、その人が来ると必ずUFOがついて来るというんですがそれには何か意味があるんでしょうか?
ーおじさんー
 いろんな見え方があるんですけど、写真にもいろんな写り方があるでしょう。でも実際に自分がUFOに乗ったとか、それにのっている宇宙人が降りて来て身近に話が出来たとか、そこまで行けばかなり実態があるけど、遠くに写っているのが見えたって大したことないじゃない。
 
 写真にこういう光の玉が写るような感じだけど本当はもっともっと身近にみんなを護ってくれているんです。いつも護ってくれているのに気付かないだけなんだけど。
 
☆・・・ということは気付かないだけで実際にあるという?
ーおじさんー
 あるんです。だから神様がいろんな姿になって宇宙全体からいろんな助けが来て護ってくれているんです。宇宙人というのでもその一部です。遠い星からもみんな愛の光が投げかけられているんです。
 
☆守護霊さんとかUFOとか宇宙人とかは結局神様というひとつなんですか?
ーおじさんー
 本当は宇宙の絶対神の愛の現れとしてそれが無限に変化していろんな姿で現れて護ってくれています。だから別に守護霊さん守護神さんだけ、UFOの宇宙人だけが護っているんじゃなくて、宇宙全体が自分を護っているんです。
 
 だからみんなに護られているんです。身近なものから遠くのものまで全部自分ひとりを護り続けているという・・そういうふうに神様に感謝するといいですね。ただみんなに護られているのに気付いてないです。
 ちょっとUFOに護られているといっても大したことないです・・他のものにも護られているのにね。
(2002年8月10日 「 宇宙全体が自分を護っている 」より)


☆自分は何故この両親の子供として生まれたのかがどうしても判らないんですが・・・?
ーおじさんー
 この世は魂の生まれ変わりで魂を磨く場にもなっています。そういう場だと毎回生まれ変わるたびに新しいものを勉強するというのもいいですよね。過去の連続として過去の復習も兼ねて勉強できる方がいいです。
 
 親というのは前の世の自分と思えばいいです。前の世の自分が波の合うところへ寄ってくる・・波長の合うとこへ集まってくるでしょう。過去の姿を足場にしてこの世で勉強しようという時には過去の自分が波長の合うところを選んで降りてくるんです。
 
 それを元にして新しいものをそこに加えてさらに自分を磨くんです。そういう意味で身近に勉強材料をおいていく方がいいですね。前世の自分を両親という姿で前に置いといてその上に何を加えていくかです。その前の姿がマイナスでイヤだったらそれをプラスに置き換えたらいいし、いいものはどんどん伸ばせばいいしという感じで・・それでやっぱり自分が選んできますね。
 
 前世の自分が助け合いの中で自分の魂が磨けたと思ったら、また自分を助けてくれる兄弟の中に自分を生まれさせるんです。やっぱりお互いに磨きあう為にそういう場を人を選んで生まれてくるんです。いろんな勉強の場がちゃんと用意されていますね。
 
 お嫁に行くのでもそうです・・大抵は恩返しの為に、前の世の親のところに行きます。相手を本人を選んでいくのと違います。前の世の親のところに行くのが多いです、それはやっぱり恩返しと感謝に行くんです。
全部が全部そうじゃないけど、いろんな幸せを大きくする為の勉強としてはそういうのがいいんですね。
 
 だから神様の方が至れり尽せりでいい勉強の場を与えてくれる・・幸せをどんどん大きくしてくれるから。ありがとうございますと感謝しているとその気付きが増えて心が自由になって幸せを大きくしていけるんです。
 
☆親が前世の自分なら子供は来世の自分ですか?
ーおじさんー
 そうです。未来の自分を見せてもらうというふうに見たらいいです。男の人は女の子が未来の自分、男の子は母親が自分の前生という一面がちょっと強いですね。女の子はお父さんが前生の自分とか、そういう関係が多いです。
両親の影響はあるけど、どっちかというとそうです。反対の場合もあっていいですね。
 
 ただ本当はそういうのに囚われなくていいです、それも番組の中のひとつの小さな勉強という意味で・・無限のチャンネルの勉強材料がいっぱいあるからもっともっと自由にいろんな勉強をすればいいです。
 
 ただ心が引っかかった時にプラスに思え返せるのがいいから、そのプラスに思い返せる意味でちょっと勉強材料、反省材料になりますね。勉強というのは感謝できて卒業なんです。感謝できたときに幸せを感じるでしょう、だから全てに感謝できた時がそれを卒業しているんです。幸せを発見した、気付いたということになるから・・過去のどんな姿にも感謝の心が起きたら一番いいんですね。マイナスに掴んだままでは感謝できてないから、それをプラスに受けて感謝できたらそれで卒業しています。
(2002年8月10日 「 勉強というのは感謝できて卒業なんです 」より)


 子育ての事でお聞きしたい事があります。叱る事と甘やかす事のバランスが難しいと感じています。何かアドバイスがありませんか?

ありがとうおじさん:
 本当の子育ては子供に育ててもらっているというのが良いのです。子供の姿を見せてもらって自分の心を立派に変えて行く勉強です。自分の心にあるものが外に移るから鏡に映るように移るから、それを神様が子供の姿を通して見せてくれてるのです。だから子供が神様の現れと見ると良いです。自分の心を立派に磨く為に色んな姿をとって見せてくれて助け続けてくれてるという風に見ると良いです。その時に自分の心を反省して、ああ〜この心は良くないから消して頂こうと思ったら、感謝したら消えて行きます。消してもらえます。そうすると子供がプラスの姿を直ぐにとります。そのプラスの姿をとっている時は喜べば良いだけです。こんな良い心を一杯与えてもらって「ありがとうございます」と喜び続けたら良いだけです。自分の心の成長を神様はしっかり見守ってくれています。だから子供に育ててもらうのが良いです。
(2002年8月23日 「子育て 」より)


質問者:
 「ありがとうございます」を広げて行けば良いのですか?
ありがとうおじさん:
 それが1番神様の大きいお手伝いです。最高のお手伝いです。「ありがとうございます」とお祈りする・唱えるのも神様の大きいお手伝いです。だから神様がその祈り言葉を通して大きい光を振り撒いてくれるから自分の体全体・心全体が光の灯台になります。光を放射し続けてくれます。それが世の中を明るくする・色んなマイナスの暗い思いを全部消し切って行くのです。良いものがどんどん見えて来るようになります。

質問者:
 それを自分が言ったら説得力がないのです。人に話す時に神様の助けを感じたいのですが。
ありがとうおじさん:
 それは神様の方からちゃんとして下さります。ただ自慢する事ではないので、謙虚に神様のお陰という謙虚さが1番大事なんです。神様の手柄を自分の手柄にするといけないので、あくまでも自分は謙虚になってる方が神様の助けを大きく受けます。
(2002年8月23日 「光の灯台 」より)


質問者:
 今までは楽に生きてる人の方が幸せと感じていましたが、それは全く違うんですね。
ありがとうおじさん:
 逆よね。人に助けてもらって幸せって小さい幸せです。今度は人を幸せにする大きな働きをして本当の幸せが湧き上がるのです。今までは反対の生き方をとっていたのです。でもこれからは本当の本物の生き方だから本当の正しい生き方になって来ます。幸せを外からかき集めようとしてたのです。みんな逆なんです。幸せを外へ与え尽くしたら中から本当の幸せが湧き上がって来るのです。
(2002年8月23日 「幸せを外へ与え尽くす 」より)


質問者:「ありがとうございました」とつけると意味ないんだね。
おじさん:
 いや、過去の一瞬に対する感謝。この「す」がいいんですね、現れては絶対に戻って循環させますよね。だから永遠不滅にずーっと続くんです。

質問者:
 商売屋さんでも「ありがとうございます」とお礼される人と、「ありがとうございました」とお礼される人と二通りあるんです。「た」の人は「あんた明日はこんでもええ、今日で終わり」だと。そんなおかしな挨拶するなと「す」でいいんだと言うんだけど。
おじさん:
 「す」がいいんですね。「ありがとうございます」はね、未来への感謝も先取りしてるんですよ。
(2002年8月24日B 「ありがとうございました」より)


【形あるものはどうして形になったかというのは、たどってゆくと形の無いものにたどりつくんですけれど、その形のないもののスタートはどっからきているんでしょうか?】
おじさん:
 ねえ。神様の御心の中に絶対の物があるんですけど、でも絶対の中に本当の形があるんです。本当の実体は絶対の中にあるのね。そこから表現として実体の無い物が生まれてくるのね。どちらに本当の形があるかと言うと神様の御心の中に、絶対の中にあるの。その中にあるものを組み合わせていろんなものを変化させてゆくだけね。だからこの現実の方は実体が無いの。形があるように見えて本当は逆なのね。

 ちょうどテレビの番組と同じね。放送局にちゃんと実体のある物があってそれを写すでしょう。それを電波にして飛ばしてテレビの画像にあるように出てくるでしょう。電波がテレビの画像に変化するだけでしょう。でも本当は実体が無いでしょう。よく似ているよね。本当の実体があるものは神様の御心の中に、絶対のもんとしてあるのね。あとは一瞬一瞬生まれ変わって、移り変わってゆくの、変化している姿ね。ところが思いの心は掴んでしまうでしょう。掴むと残像を繋ぎ合わすのよね。それが何時までもズッと続いているように錯覚するだけね。本当は一瞬一瞬置き替わっているのを捕らえた方がいいだけで、感謝の心は一瞬一瞬置き替えて捕らえるのね。固定したもんとしてこの世を捕らえてしまうと身動きがつかなくなるじゃない。そんなもんじゃないね。もう本当に単なる波の変化にしかなく煙みたいなもんよ。だからもう自由自在に変化するのよね。
【変化はしていてもそれは変化してないんですよね。元というか。上のほうは変わったように見えるけどその本体は変わってない。】
おじさん:
 そうでしょう。だから海が絶対というに例えたら、表面の波の変化だけでしょう。海面の波の変化だけが表現でしょう。海自体は厳然と存在し続けているね。波の変化ってただ変化しているだけでしょう。それぐらいの感覚よね。
(2002年9月14日A 「現実は実体が無い」より)


【でもなんか掴んでしまって、それにどっぷり掴み過ぎるじゃないですか?】
おじさん:
 だから古いものを掴んで、もうそれを掴みっぱなしというのは、新しいものを受け損なって、変化がわからなくなるだけでしょう。だからいつも無限の変化があって、それを楽しませていただいているというふうに受け入れていくのが本当は感謝の心よね。肉体の方は「からだ」と言うね。「空っぽだ」という意味よね。からだ空っぽだという意味でしょう。奥の世界から眺めたら、全部本当は実体が無いんだというね。肉体なんて空っぽのビニールの袋みたいな感じなのよ。空っぽに見えるのね奥から見るとね。
(2002年9月14日A 「「からだ」は「空っぽだ」」より)


【神様の願いというのは自分の感覚ではよく解らないのですが、日々のいろんな行動の中でも何が願いかなって・・・・。】
おじさん:
 それもね、借金が多いからよ。思いが多いからね。思いが借金が少なくなったら解るのね。響いてくるよ神様の願いは何かってね。一番必要な物が何かって的確に教えてくるから感じ取り易いね
 
【やっぱりそういう時は一生懸命お祈りをする】
おじさん:
 そうよ。命を捧げますって言わないとね。神様の御用にお手伝いに使って下さいってね。「ありがとうございます」をできるだけたくさん唱えて神様を呼ぶ事ね。神様を呼ばないとなかなか神様の方からやって来れないよね。呼ぶほど神様が助けに来るから、気づくようにしてくるね。それで命を捧げてでも神様のお手伝いをしたいと言うたら可愛いよね。神様にとったらヨシヨシと言う感じよね。それでそのマイナスを邪魔するものを全部消してくるね。働き易く変えてくれるから楽に良い事さして貰うのたくさんね。だからプラスへの循環が起こるようになればもう締めたものよね。絶対心配ないけど。

ところがマイナスへの傾向がやっぱり皆かなりもっているじゃない。それをプラスに向けるのが大変なんよね。その向ける時期が大事よね一気に変えないとアカン。地獄へ転がり落ちているのを止めて、プラスに昇らせようとするのは大変な力がいるよ。ただもう命がけでというのが本当よね。命がけで感謝しながら良い事をさせてもらわないとね。それがある程度続くと後、楽になるのよね。
(2002年9月14日A 「借金を早く消す方法」より)


【大きな借金を棚上げにしてくれて、今ここにこうやって肉体を持って生かされていると言う話だったんですけれど、肉体を持っているということは全てがこういう事と考えてよろしんでしょうか?】
おじさん:
 そうね。この世に生まれてくるのはね、やっぱり大きい勉強があって来ているのよね。だから競争率が激しいしね。皆の代表で生まれてきているよね。だから自分がこの世でなにを学んで、なにを選択してお祈りに入れるかというね。どこまでいけるかですよね。自分一人お祈りに入れたら、大勢の願う人をお祈りに導けるのよね。だから一旦はマイナスを全部神様がもっていってくれて、人がお祈りし易い状態でこの世に生まれさせてくれた姿なのね。ただお祈りを選ばないと損だと思うんだけど。選ぶかどうかの勉強ね。
(2002年9月14日B 「この世に生まれたのはお祈りを選ぶ勉強」より)


【そうしたら、失礼かもしれませんけど、お祈りの時間をとって正座してありがとうございますを唱えるのは、自分の精神修行になってしまうので、もっと楽な方法は、例えば寝しなにベッドに横になりながらお祈りテープを聞きながら真剣にありがとうございますを唱えていればそれで良いのでしょうか?】
おじさん:
 本当はそうよね。でもね。もっともっと大きく自分一人と思わんとね、皆が無限に無限に輝いていて、仕事している時も祈りつづけてくれていると観ていたら、みんなの祈りが自分の祈りなった方が良いね。祈りというのは座ってありがとうございますを唱えるのが本当の祈りじゃないのね。神様の命が躍動して大きいいろんな素晴らしい働きが出てきているのが本当は祈りの働きよね。だから皆が自然な姿でいろんな働きをして自分を幸せにしてくれるその姿が祈りなんよね。花が美しく花開いてくれて、美しさを見せてくれるのも花の立場から見たら祈りの姿よね。みんな自分を幸せにしてくれる姿は全部祈りよね。神様の祈りね。それを「ありがとうございます」で受けるのが良いのよね。
(2002年9月14日B 「自分を幸せにしてくれる姿は神様の祈り 」より)


【命を神様に預けるというのは、命を預けますって宣言する事ですか】
おじさん:
 そうよ。そして神様の為に神様のお手伝いの為に働く事よね。預けますだけでは何も預けてないよね。神様の願いを自分の願いとして、神様の働きのお手伝いする事よね。そうすると命を本当に預けた事になるからね。神様のお手伝いというのは、みんなの幸せの為に必要な事をさせてもらうだけだけどね。一生懸命する、働くほど、命を捧げた事になって、助けを受けやすくなるね。だからお祈りというんでも、「ありがとうございます」だけ唱えてたら、全託して神様の助けを一杯受けられるというね。でもそのお祈りがほんとに深くなっていたら、大きい働きが出来ているから、奇跡を一杯起こせるから、神様のお手伝いしてるんよ。その時はもう全部思い通りね。思わんでも思い通りになってしまうのね。
まだそこまでいかなかったら、現実にいろんな働きが出てきて無い時は、お祈りが浅いね。本当のお祈りになって無い時が多いね。だから本当は神様の助けを受けたとしたら、現実にいろんな働きが一杯出来て来ないと嘘なのね。神様の助けを力を受けたとしたらね。どんな働きでも現実化してこないと、お祈りが本物じゃないね。ただ自分がする働きじゃ駄目なんだけど。神様にさせて頂くという働きが増えてきたらお祈りが本物よね。その時は、神様の助けを一杯受けているというね。働きがその結果として出てきているのね。それが赤字になってくるよね。
だから怠けて何にもしてない人は、お祈りしているというても偽者よね。本当にお祈りしている人は、現実に皆の幸せのために大きい働きをしている人よね。そういう人がお祈りが本物になっているね。だから神様の助けを本当に受けているかどうかでしょう。中から神様の本当の助けが出てきていたら遊んでないよね。ちょっとでも人の幸せの為に働くようになってくるからね。だからその働きが大きくなる方が本当のお祈りになっているね。
(2002年9月14日B 「 働きが現実化されたら本物の祈り 」より)


【そういうふうにお祈りの仕方を変えてゆく、ドンドンそうなってゆくという事ですか?】
おじさん:
 うん。だからありがとうございますでも本当に真剣に唱えていたら体が動いてくるよ。座ってばっかしいうこと無いよね。座ってお祈りするのが必要だったらそうなるけどね。現実に動き出すよ。必要な働きとしてね。そのとき自然に動けないとね。自然に動いたらいい働きを一杯させてもらうね。だから極楽に住む人は働き者よ皆。自然に良い事を一杯した方が良いのよね。ただ追い立てられるような仕事では駄目なんでね。喜んで喜んで一瞬一瞬神様にさせて頂いてという気持ちで楽しんだら良いのね。
だからただ働きが良いよ。お金を貰う仕事は人からいろいろ言われるよ。嫌な事を一杯いわれるよ。ただの働きは皆喜んでくれる。気分よく出来るよね。
(2002年9月14日B 「極楽に住む人は働き者 」より)


質問者:
今、心の病気が増えているのですが、そういう病気や例えば性格とか無関係に発症するらしい精神分裂病は、言葉の使い方の問題が大きいのでしょうか?
おじさん:
そうね。根本はそうよね。根本はプラスの言葉を使えば、神様の助けをいっぱい受けて、心明るくなるでしょ。そうしたら、病気にも何もならないよね。でもやっぱりマイナスの言葉使うと、心暗くしていろんな原因を作ってしまうね。
神様からいつも新たに受けた受けなおした心というのは明るいのよね。輝いているよね。もう絶対、病気にはならないね。だから、病というのも心の闇が病になるのね。心暗くすると、病気になるのね。だから、古い心は病の心よね。古い心というのは、感謝の心に対して思いの心ね。思いを溜めると病になっていくのよね。病になるのはその暗い思いを消すために、形に病を現して、心を明るくしてくれる働き、浄めの働きなんですけどね。でも、病になってしまうね、溜めすぎると、思いを溜めたら病になるよね。
だから、明るくするための方法をね、やっぱり選ばないとね。感謝するのが一番よね。それと、やっぱり思いはね、人からいろいろ借りを作ると、思いを被るというのね、思いを逆に反対に受けるのよね。だから、人から助けて貰ったら、その人の、相手の思いを受けるのよね。だから助ける方が自分の思いを相手に取って貰って楽になるのね。
 
だから思いというのは或る意味では借り、借金と同じなのよね。思いはやっぱり溜めないようにした方が良いんでね。だから、人助けに一生懸命働く方が良いのね。働いた程、楽になる、心はね。助けて貰うばっかりだと、やっぱりいろんな思いを被ってしまうね。
 
小さい子でもそうよ。親から、いろいろ物をいっぱい買い与えて貰うとね、その表面幸せそうに思うでしょ、でも親の思いいっぱい被っていくよ。親がほんとに感謝できる親だったらね、輝いたものを与えてくれるのね。思いがついてないからね。感謝を込めて与えてくれたならね、貰ったものも得する、輝いてくるのね。
ところが普通は、思いの心を持ってる場合が多いのね。だから、思いを被せると、子供は思いの心でいっぱいになるとね、感謝もしないし、親不孝するの。だから、心を軽くしてあげる方が大事なのよね。親でも必要以上のものを与えたらいけないよね。必要なものを与えてあげるだけよね、必要なものは神様の光が通ってくるよね。必要以外の欲しいものはね、人の思いが被さってくる。神様は必要なものをみんなに与え、幸せにしたいわけでしょ。
だから、神様は必ず必要なものには光を通してくるね。必要でないものには神様、干渉しないからね。人の思いだけが被さってくるのよ。だから、あまり贅沢な生き方は良くないのね。必要なだけのね、質素な生き方が大事よね。そうすると、思いを被らないから、病気にもならない、明るいという状態なの。
(2002年9月15日 「 明るくするための方法は 」より)


質問者:
本を読む意味ってあるんですか?
おじさん:
言葉選びっていう意味だったら、良い言葉の本は読んだ方が良いね。良い言葉をたくさん使えるでしょ。練習になるよね。で、もともと本は、本物いっぱい出しているのね。本物とは何かっていうと、言葉で表現して言葉を使うことによって、本物をいっぱい出すのね。ほんとは、神様褒め・称える言葉をいっぱい書いてある本が良いかもしれないね。褒め言葉がいっぱいっていうのが良いね。そうすると、神様を呼び出す、いっぱい出す働きになってきて本を読めば読むほど、幸せになれる。
(2002年9月15日 「プラスばっかりの言葉だと良いのに 」より)


質問者:
ものごとによって、すぐ放せる時と、放したいと思っても逆に掴んでしまう時があるんですが、その時でも全部「ありがとうございます」に変えるんですか?
おじさん:
掴んでしまうという時は、小さくなっている時よね。大きくなったら、スッと離れるのよね。だから、宇宙を神様からのプレゼントというふうに大きく受け直すと、地球上の小さいことなんて、どっちでもいいでしょ。
限の無限の輝いた宇宙を、今、神様がプレゼントされたという気持ちで「ありがとうございます」と思うのね。そうすると、地球上で何があったって埃みたいなものよね。掴みがスッと離れるのね。どっちでも良いって感じね。良いものがいっぱいなんだからって感じで放せるのよね、大きく受け直すことね。自分というものが何かというね、自分はもう自由自在なのよ。大きくも小さくもなれるのね。
普通、肉体を自分って思う人が多いのね。でも、宇宙が自分って思えば良いのよ。(笑)神様から受けたものが自分、自分のものになるからね。宇宙を「ありがとうございます」と受けたら、宇宙は自分だ、でも、肉体を「ありがとうございます」と受けたら、肉体が自分になってしまうね。だから、大きく大きく受ける方が良いね。そうすると、幸せが大きくなる。だから、神様のプレゼント全部受けとるのが良いよ。
(2002年9月15日 「大きく受け直す 」より)


質問者:
肉体で生活しているから、‘これは神様からの・・’というように、上がっていかないのです。おじさんの話ではわかっていても、
身体では・・・何故でしょうか?
おじさん:
肉体を自分の身体って思わないことね。宇宙全体が自分の身体っていうふうに思った方が良いね。それも、低い番組の宇宙じゃなしにね、一番高い番組の宇宙が自分の身体っていうふうにね、だから、無限無限に輝いた宇宙が自分の身体というふうに、これはもう思い定めた方が良いのね。遠慮し過ぎてるよね。だから、時々は、私は宇宙なんだって言えば良いね。無限に無限に輝いてるっていうふうにね、大きく受け直すのが良いね。
そして「ありがとうございます」を唱えたら良いね。そうすると、小さいものはすぐに心から放していけるよね。全体を大きく受けた方が、小さいものをも、自由自在に生かせるのよね、全体がわからないと、部分的にも、やっぱり迷うのよ。大きくなった方が小さい部分も生かせるのよね。
ただ、自分のこの身体全体がね、神様の全体ってふうに見た時ね、全体が自分と思ったら、全身の細胞全部生かせるのよね。でも、自分が爪の先というふうに思ったらね、これしかわからんでしょ。他の働き何もわからんし、気付かんし、この指一本のこの爪の先だけで生きているのかな、錯覚起こすよね。そうじゃない、全体に生かされているのにね、それを忘れてしまって、それを味わならんでしょ。
宇宙全体と常に一つになって、生かされているのよね。小さい部分もね。だから、先ず、自分が大きくなったら全体がわかるし、小さい部分をも本当の意味で生かせるのよね。
 
質問者:
宇宙全体なんて考え方は恐れ多く感じます。
おじさん:
そうね。だから、小さく思い続けてきたために、そういう癖が、習慣性があるのよね。でも今度は、逆にしないとね。私は宇宙っていうふうに大きく受け直して、それを習慣付けたらね、神様のプレゼント、いつも大きく大きく受けられるね。
「ありがとうございます」という言葉はね、或る意味で一体感を深める言葉なのね。感謝した対象と一つになるのね。それで、自由自在に思い通りに願いを全部かなえられるのね、だから、感謝するということは、全体と一つになっていく、神様と一体化していくのよね、だから神様のすべてを自分のものとして受けられるのよね、遠慮せんでいいよね。「ありがとうございます」を、もっともっと回数を多く積み重ねてね、それを身に付けてしまえば、もう、自然に大きくなっていくね。今までは、小さくなる練習したんでしょ。(笑)これからは、大きく戻るちょっと練習するのが良いね。小さくなる方が難しいと思うんだけど。
(2002年9月15日 「私は宇宙なんだ 」より)


質問者:
運命は変わるというと、例えば、足がない人も別の番組では、足があると思いますが、ないという番組の中で足が生えてくるということはあるのですか?
おじさん:
あるでしょ。もし、ほんとにね、新しい番組へ心を移せば。例えば、トカゲやなんか、しっぽ生えてくるでしょ。切れてもね、蟹なんか脚とれてもまた生えてくるじゃない、あれ、ほんとよね。
人間もそのくらいできなかったら嘘になるよね。万物の霊長なのに。でも、人間の場合はね、一つの番組を掴んだら、それはある程度一通り体験しようというふうに、掴んだままよね。すぐに新しい方へ、パッと向かないよね。まあ、別にそれは悪いんじゃないけどね。一つの番組をじっくり味わって、体験しとくのも大事なんだけど、でも、同じ番組ばっか見続けるのも、あまり良いことないかもしれないしね。
場合によっては、奇跡って起こるよ。ないもんが、パッと生えてくるよ。
(2002年9月15日 「場合によっては、奇跡って起こる 」より)


質問者:
世界各国から‘あなたは億万長者になれませんか’という海外の宝籤のお誘いのエア−メ-ルがたくさん届きます。これは神様のお導きなのか、それとも悪魔の囁きなのかと迷ってしまいます。
おじさん:
宝籤当たってもあまり良くないと言われますよね。何故かと言うと、不労所得ですよね。働いて、人のために尽くして、そしてお礼にいただいたものじゃないですよね。不労所得というのはみんな借りになるのね、借金になるんですよね。一時的には助けて貰ったって感じになるんですけど、利息付けて返さなければいけない時が必ず来るんですね。だから高利のサラ金の借金ぐらいに思った方が良いですよね。本当に、それを、使いこなせて価値あるものを生み出されるんだったら、またそれが生きる時もあるんですけど、それ程、必要性なかったら、宝籤なんて当たらない方が良いですね。
(2002年9月28日 「宝籤なんて当たらない方が良い 」より)


質問者:
子供が3人いますが、親子の関係がうまくいってなくて、反発しあい喧嘩しあい怒鳴りあう状態が長く続いています。この低い番組をいつまで見てるんでしょうか?
おじさん:
ボチボチ飽きてきたでしょ。でも一人一人の生き方ってみんな自由なんで、人の自由を縛るのはあまり良くないですもんね。(質問者:我が子でも?)そうです。みんな生き方が違うんですよね。だから、自分の思い通り願い通りになって欲しいというのは人の自由を縛ることですよね。みんなを自由に放つ方が良いですね。
 
質問者:
出て行けて言ったのに・・
おじさん:
いや、そんな言わんでも良い。(笑)自分の生き方も人から縛られるより自由の方が良いでしょ。人からいろいろ注文受けたらしんどいですもんね。こうして欲しいああして欲しい、言われたらしんどいですよね。
(2002年9月28日 「全部喜ぶことよ、マイナスは 」より)


質問者:
高校中退者と接する仕事についています。保護者とか生徒本人からの多い質問が、パソコンばかり一日20時間もやってしまう、どうしたら良いかということとやる気が起きない、何をやって良いかわからないだから体も動かないの2つです。私は未だ恥ずかしいのと変に思われるかもしれないということで、「ありがとうございます」を言いなさいとは言えないので、どんな言い方があるかお聞きしたいのですが。
おじさん:
パソコン24時間したって別に大丈夫ですよね。本当に必要でするんだったら、良く頑張って偉いねって言えば、褒めてあげたら良いですよね、それはね。(質問者:それが1ヶ月2ヶ月・・)もう1年続こうが10年続こうがね、良く働くねって。これからパソコン必要ですもんね。それはまた、他の人のために大きく生きてきますから、本当良く頑張るねって褒めてあげるのが良いですよね、もうそれしかできないというんじゃなしにね、これから必要なことですからね。
 
それで、動き辛い、体が動けないという人はやっぱり借りが多過ぎるのね。みんなにお世話になりっ放しという人が多いよね。人から助けて貰った分は思いを被るのね。思いが蓄積すると動き辛くなってくるね。重荷が加わったような感じになるね。だから、その人が、本人が感謝すると思うよ、神様消してくれるから。楽になって命が輝いて自然に動けるようになるのね。ところが、感謝忘れて人に助けて貰うばかりだと思いを、人の思いを被るね。子供でも親の思いを被るのね。親は一生懸命働いて子供に必要なものいっぱい与えようと、一生働き続けるね。与え過ぎるのね。それは、良いように思うんですけどね。社会から貰ってきたお金が皆の思いをいっぱい付けて戻ってくるでしょ。それで買ったものにも思いがいっぱい付くでしょ。それでまた、親の思いがプラスされるよね。子供に思いを被せると、子供にとっては大きな負担になるのね。子供に対してでも、本当に必要なことだけ与えたら良いのに、最低限必要なことだけで良いのね。
 
後は自立を促すように余計なことしない方が良いのね。だから、自分の食べるもんぐらい自分で働いて稼ぎなさいと言わないかん。これ、小さい時からそうした方が良いのにね。内職しなさい、アルバイトしなさいってね、食べるだけぐらいは自分で稼ぎなさいって言うぐらいが正しいのね。そうすると、子供は力が湧いてくるよね。でまた、親に対してでも子供は親孝行したいのよね。ところが、親孝行するチャンスを失ってしまうのね。親がし過ぎると。逆に言うと、親の方が困ってる方が良いの。借金返しに追われたり、病気して困ってたら、子供は一生懸命お手伝いするね、アルバイトしても借金返しお手伝いしたり、病気の看病したりね。一生懸命親孝行しようとするね。そうすると、子供は喜んで喜んで、できるから、命が輝いて力が湧いてくるね。だから、親があまりし過ぎたら駄目ね。また、心配するのもマイナスだけど、いろいろし過ぎるのが、またマイナスね。だから、親の勉強かもしれないね、子供の勉強というより親の勉強かもしれないね。

質問者:
テレビゲ−ムずぅっとやってる子供は何もしないわけですが、やり続けて良いよと言うのですか。
おじさん:
同じことをずぅっとし続けるの、たいへんだよ。飽きてくるでしょ。必ず飽きてくるよ。それを一生懸命やってるうちに卒業していくね、必ずね。その能力はドンドンまた生きてくるからね。だから、スポ−ツでもそうでしょ。スポ−ツしても人の役には立たないものね。でも能力はつくじゃない。運動能力ってね。その運動能力でまた社会に貢献できる力、働きできるでしょ。だから能力磨きは大事なのよ。それで良いのよ、それでね。何にもしないよりは、はるかに素晴らしくてね。
(2002年9月28日 「褒めてあげるのが良い 」より)


質問者:
自分が見ている番組と、別の人が見ている番組は、全く同じ番組にあって、違う番組を見ていて、そして同じ世界に住んでいるということでしょうか。そのへんを、どう解釈したら良いでしょうか。
おじさん:
例えば、ここにいらっしゃる人が私を見て同じように見てないんですよね。みんな、見方が違うんですよ。同じ番組だと同じように見えないと嘘ですよね。ところがもう、全部違うんですよね。全部、違う番組を見てるんです。ちょっと違うんです。全く同じだったら一つの見方になるんですね。同じように判断する、見方をね、同じなんですけど、やっぱり違うということは違う番組を眺めてるんですね。だから、同じ番組は誰一人として見ることできないですね。自分の見てる番組は自分だけの番組と見た方が良いですね。だから、自分さえ、心変えていけば番組はドンドン大きく変わっていくね。だから、人は関係ないというぐらいが良いですね。
(2002年9月28日 「人は関係ない 」より)


質問者:
自分の使命というか本当の仕事はこれしかないと、今迄、何してきても、満足するようなことがなかったので、最後に命懸けで全託をしなければと思っています。
おじさん:
本当ね。生まれてきた目的は何を選ぶかの勉強よね。だから最高のものを選んで受ける勉強よね。神様の新しいプレゼントを最高のプレゼントをしっかりと選び続けて受け続けるというのが一番の目的よね。だから何を選ぶかというのがこの世の本当の人生の目的よね。
何を選んでも自由なんだけど、やっぱりそれを学びとするんだったら、良いもの選んでいかないとね。プラスを幸せいっぱい発見してね、それを受けていかないといけないよね。神様の願いはそこにあるよね。みんなが大きい幸せ掴んで欲しいだけよね。でも、一時的に小さい幸せに満足して、またそれを体験することによってもう一度大きい幸せを手にした時に喜びが大きくなるんで、そういう意味だったらマイナスもちょっとは良いかなあって感じでね、でも早く卒業して欲しいよね。だから一瞬一瞬大きいプレゼントを受け続けるという練習が大事ね。それが「ありがとうございます」を真心込めて1回1回よね。心に唱え続けることよね。
(2002年9月28日 「何を選ぶかというのがこの世の本当の人生の目的」より)


質問者:
神様に「ありがとうございます」そして子供の命、魂に「ありがとうございます」と分けてお祈りしてるんですが本当は一つの祈り。
おじさん:
本当は神様へ心向けるだけが一番正しい生き方になるのよ。親は自分の前生の姿って見るのと同じでね、子供が自分の来生の姿よ。今度生まれ変わった時の姿表わすのよ。そういう意味でね、自分が神様に対してどういう態度を取り続けているかっていうのが一番の問題なのよね。
神様が本当の親でもあるのよね。
だから神様に対して宇宙の大神様っていうとこまでいかなくても、守護霊様に対してどういう気持ちで生きているかって考えたら良くわかるよね。普通は守護霊様無視してるよね。守護霊様、守りに守ってくれていてもね、無視してないがしろにする人が多いよね。感謝なんべんもしてない人多いでしょ。親不孝よ。最高の親不幸かもしれないね。
だから、子供が親の言いなりになるわけ絶対ないでしょ。本当に、守護霊様に感謝して守護霊様の御心のままにってふうに正しい生き方ができたら、守りが完璧になってくるのよ、必ずね。どんだけマイナスを自分が持っててもね、全部背負ってくれるからね。幸せいっぱいに変えてくれるよね、守護霊様の力でね。宇宙の大神様、更にそうでしょ。
だから神様に対する自分の心の姿勢が本当は一番大事な問題だよね。だから周りの小さいことじゃないのね。根本よね。本当の宇宙の大神様に対して自分がどういう生き方を、態度取ってるかよ。だから、徹底した感謝と神様の本当の大きい願いを生きる、恩返しの生き方が大事よね。
(2002年9月28日 「神様に対する自分の心の姿勢が本当は一番大事な問題」より)



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