ありがとうおじさんのお話から
ありがとう広場 の「ありがとうおじさんの話」から印象に残ったものをコピーしました。
ありがとう広場は「コピー自由」、とありましたのでコピーさせていただきました。本当にありがとうございます。
他にも興味深いものがたくさんありますので、ぜひ行って読んでみてください。
とてもたくさんあり、全部読むのに何ヶ月もかかりそうです。私は今も読み続けていますがまだ終わりません。(2003.3)
上から日付の古い順になっています。
ありがとうおじさんって? と思った方はありがとう広場の「ありがとうございます言葉入門」をぜひ読んで下さい。
特に印象に残った部分は色を変えてあります。(これは私が勝手に変えたものです)
以下、ありがとう広場より抜粋(カッコ内は日付と題名)
質問:
今日現在までに至るまでの体験、生身で、しんどい自分もあっただろうし、不安もあったのですか、小さい時から?
おじさん:
人生の目的については、もの凄く悩んでいるのです。ところが現実にはどんな苦労も苦労と感じていないのです。「ありがとうございます」という感謝の心があったお蔭で、病気しても苦しいとは思わないし、貧乏も苦しくないのです。だから、全部楽しいばかりで受け切ってきた。それはやはり「ありがとうございます」の感謝の心だったと思うのです。
現実的には浅い感謝でもそういう状態にしてもらった、苦しまずにすんだのです。でも、何億回と感謝し続けてるうちに、「ありがとうございます」という本当の意味は、「究極の神様の名前、最高の神様の名前なんだ」というふうにも感じられてきたのです。
いろいろな無限の神仏の名前があっても、それを全部束ねているのですね、この「ありがとうございます」の神様は。全ての人に必要な助けを必ず与えてくださる、「ありがとうございます」と呼べば。
その人の「必要な助け」と、「願ってる・欲しいもの」とは違うのです。神様はその人が最短コースをたどって、最高の幸せにたどり着けるように、必要な物を与え続けてくださる。だから、病気しても「ありがとうございます」を唱えてすぐ治る人もあるし、治らない人もあるのです。治った方がいい人はすぐ治してもらえる。でも、病気してちょっと体験積む方が感謝が深くなって幸せが大きくなるんだったら、ちょっと延ばしてくれる。
そのように必ず本当の幸せが掴めるように必要なもの与え続けてくださる。これが「ありがとうございます」という神様の働きなのです。これはもう回数多く唱えている程、必要な助けをずーっと受け続け、必ず何かを掴んでいけるのです。表面的な幸せにしても、心の奥深い幸せにしてもですね。
(2001年3月3日 「人生の目的」より)
質問:
人間の寿命というのはある程度決まっているのでしょうか?
ありがとうおじさん:
一応生まれてくる時に決まっています。 あらかじめはね。大体第一、第二、第三の寿命ぐらい、三段階ぐらい決まってて、必要だったら最後まで行く。第三の寿命が終わってからでも、何か大きい使命があったら、また長引くわけですね。寿命が延びるわけですけど、これもやはり、みんな魂を立派に磨く為に、一番いい方法をとらされるんです。 だから早く亡くなってあの世へ行った方が、早く立派になれるんだったら早く引き上げてしまう。この世で長い寿命を生きた方がいいんだったらそうしてくれるし。 それでも第三迄ですね、一応決めた通りになってくる。その第三以上に延びる時は、もう特別な大きい使命がある時だけですね。その時だけちょっと伸ばしてもらいます。
(2001年3月4日 「運命」より)
質問者:
子供が九歳と六歳です、育児の上で何を一番大事にしたらいいですか。
ありがとうおじさん:
子供を育てる秘訣は、自分が育てるとは思わない方が良いようです。神様が育ててくださっている・・というのが良いですね。だから、一人一人に、宇宙の大神様は別として、守護神さん・守護霊さんが専属に付いています。守護神さん・守護霊さんはその子が幸せを早くつかめるように、心の勉強をさせるために付いています。早く悟りが開けて最高の幸せをつかめるようにね、的確な勉強を与えるのが守護神さん・守護霊さんの役割です。
守護神さん・守護霊さんに心向けるだけが良いですね。守護霊さんありがとうございますというのを、守護霊さんと宇宙の最高の大神様とを繋いで、そこから的確な守り指導が降りているんだと、おまかせしきって安心していたほうが良いんです。ほったらかしが良い。自由にほったらかしが良いんです。ただ、「ありがとうございます」があります。守りが完璧になって子供がすくすく育っていい持ち味を出してくるんです。しつけは本当は必要ないんです、皆中に最高のものを持っています、それが邪魔されずに出てくる方が良いですね。学校の勉強でも、あれしなさいこうしなさい、押し込めるより自由に放した方が中から天才が湧き出てくるんです。知識をあまり詰め込みすぎたら知恵がでなくなります。のびのびと必要な事を理解させながら勉強させるのが良いですね、そうすると知恵が湧き出てくるようになります。
知恵と言うのが神様と一体化する道なんです。必要な事が的確にその時にできるようになってくるんです。東大へ行って神様の知恵と一つになるかと言うとそうではない、知識いっぱいになるでしょう、知識いっぱいになるとある意味でノイローゼになりやすいんです。知識がいっぱいあると知恵が流れてくるのを邪魔します、通りが悪くなります。
子供が一番幸せな状態に早くなれるのは、神様の知恵に導かれるのが良いんです。自由を縛らずに、守護神さん・守護霊さんに「ありがとうございます」また、神様に心向けるだけが良いんです。
普通、親が働いて子供の生活の面倒を見ていると思うんだけど、本当はそうじゃないんです、神様が、守護神さん・守護霊さんが親を使って、親を通して働いて子供の面倒を見ています。子供がいるから必要なものを、親を通して回してくれるんです。だから極端な事を言うと、親がいなくても子供は育ちます。それは、子供の守護神さん・守護霊さんが必要な人を使って与えてくれるからです。だから、親が育ててるんじゃないんです。必要なものを与えているのは守護神さん・守護霊さんの方です。
私の父は財産家に生まれたから、心の持ち方がチョッと間違ったところがあったんです。いろいろ勉強してきても(心の)癖が抜けなかったんです。子供に対して、子供が言う事を聞いている内は優しいんだけど、チョッと反発すると、親が(自分が)働いて育ててやっているのに口答えするな、というふうに私や妹は怒られていました。その時に神憑りになって、神様が指導に降りてきて怒るんです、「親が子供の面倒見れると思ったらやってみろ」怖いですね、実際、神様が締め付けたら、自分ひとり食べる分も入ってこないですね。「子供を育てるのは親じゃない神だ」としっかり叱り付けました。
親は神様のお手伝いをするんです。子供を神様が育てるお手伝いをさせてもらうんです、そして子供の成長を見ていて喜ばせてもらうんです。子供が幸せになっていくのを自分の幸せとして味あわせて貰うだけなんですね。
だから、自分が何もできなくてもいいんです。「ありがとうございます」が言えたら最高の親です。あとは守護神さん・守護霊さんが全部面倒見るから、何何しなければというのは何もないですね、させて貰うだけだから。必要だったらさせて頂けるしね。
普通は、親は働きすぎるし、物を与えすぎですよね。必要なもの以上に欲しいものを与えすぎています。欲しいものを与えすぎるのはあまり良い事はないですね、子供の持っている徳分を早くなくさせてしまいます。無駄遣いさせてしまいます、必要なものだけに使わせてあげるほうが将来プラスになります。
一生で使う徳分は大体決められて生まれてくるようですね、食べ物の徳分も小さい時に美味しいものを食べ過ぎると、年をとってから食べるものがなくなってきます。無駄に食べさせないほうが良いですよ、必要なだけを頂けばいいんです、一生不自由しなくて済むでしょう。世の中のいろんな人の姿を眺めていたら解かると思いますが、無茶食い、贅沢にいっぱい食べた人は晩年にお金があっても食べられなくなります。病気になって食べられないとか、何か食べられない状態になっています。
全てがそうなんです、必要な事に使ってあげるほうが良いんです。欲しいものを与えすぎないほうが良いと思います。
(2001年4月7日 「神様が育ててくださっている」というのが子供を育てる秘訣
」より)
質問者:
誰でも皆「ありがとうおじさん」のようになれるんですか?
ありがとうおじさん:
そうです、そうです。本当は私のほうが最低だったと思うよ、こんな最低の自分でも、神様が助けてあげようということになったら、いろんな体験も与えてもらい、感謝できるようにしてくれて、本当の感謝の意味も実感させてくれて、幸せにしてくれます。あとは「ありがとうございます」と感謝させてもらえば良いだけですよね。そしたら一瞬に悟れるんです。 だから、最低に自分を置いたほうが、謙虚になって感謝しやすいのかもしれないですね。神様にすがれるというところがありますね。
「ありがとうございます」という最高の神様は、最後の切り札みたいな神様です、とても謙虚な神様で、でしゃばってこない、人の自由を縛らないから、どんな神様仏様にもすがりなさいと言う、自由にしなさいよと言ってくる。でも、最後に戻ってきたら、大きな力で助けてくれます。
皆、ある一定期間、自由な生き方をするんです、でも、満足できない、どんな生き方をしても、どんな神様を信仰しても、本当の満足は得られないんです。最後に、「ありがとうございます」という究極の神様にすがるんです。その時に最高の力で悟らせてくれます。
すごい神様ですよ、何も要らないんです、どんな修行をしなさいもない。何にもなしで、神様と一体なんだよと解からせてくれるから、何も否定する事がないですね、この世を否定する事も何もいらない、全てを大肯定できます。この世もあの世も全て肯定できるんです、みんな神様なんだと解かってくるから、プラスにプラスに受け直せるんです。
「ありがとうございます」という神様の力が「ありがとうございます」という祈り言葉に降りているんです、その言葉さえ受け入れたら良いだけなんです。「ありがとうございます」という言葉を唱えるだけです。難しくはないですよ。
(2001年4月8日 「謙虚 」より)
質問者:
「ありがとう」と「ありがとうございます」の違いは、「ありがとうございます」の方が謙虚に聞こえるんですが、それだけなんでしょうか?
ありがとうおじさん:
日本語は言霊で捉えると正しく理解できます。「ありがとうございます」を言霊的に解釈すると。
「あ」は、光とか光源と言う意味です。
「り」は、ら行音で、螺旋状に宇宙の創造は行われています。螺旋状が直線と違うのは、螺旋状に二本の線が回ると、途中で出会うのが無限に大きくなってたくさん増えるでしょう。直線だと一回交わるだけです。螺旋状の渦巻きで交わると、途中で何回も交わっていきます。そして、小さいものから大きいものまで相似形のものがたくさん出来あがります。このように、宇宙の創造の仕組みが、螺旋状に組み合わさるというようになっています。「り」は創造の働きを指しています。
「が」は、輝くという意味をダブらせています。(無限に)(無限に)輝くという意味を「が」に表しています。
「とー」は、ありが(たし)と言うと、た行音とさ行音になります。それを縮めて「ありが(とー)」となり、た行音は縦の線・さ行音は横の線です。すなはち、相対に別れる両極を十字に組み合わせるという意味です。
だから(ありがとうございますは)、宇宙の全ての全てを指しています。神様の絶対の光源から(=あ)、光が螺旋状に放射されて(=り)、無限に無限に輝いて(=が)、全ての相対の両極に分かれたものがピッタリと大調和の姿に組み合わされている(=とー)、という意味です。
「ございます」の意味は、ただ、いらっしゃるという浅い意味だけじゃないんです。
神様は自由自在な性質を本質としてもっていて、それが凝り固まって形あるものまで出てきます。
「ご」は、凝り固まってさらに凝り固まってという意味です。
「一霊四魂・一元四体」<いちれいしこん・いちげんしたい>(信仰の極地6−1を参照)という言葉があります。
霊が魂<こん>という四つの魂<たましい>の働きに分かれる、「奇霊・くしみたま」「幸霊・さきみたま」「和霊・にぎみたま」「荒霊・あらみたま」の四つの魂の働きに分かれます。
一元四体というのは、物質は一元がまず<精体>見えない姿に分かれて、<精体>・<気体>・<液体>・<固体>の四つの働きに分かれます。
神様の絶対の自由自在なる姿が懲りが溜まって<魂こん>の姿をとります。さらに凝り固まったら<体>という形に現れてくる。凝り固まって凝り固まって宇宙の全ては生み出されてきます。それが「ごー」という響き(意味)になります。
「さ」は、「さ」わやかというのは清清しいと言う意味でしょう。汚れが全然ない・澄み切って気持ちがいい、そういう「さ」がダブって「ざ」になります。どこにもマイナスがない状態です。
「い」は、生き生きと生きてるという感じです。
「ます」は、増すという意味があります。同じ状態を保っていない、ドンドン増える・さらに良くなるという意味があります。「ま」は、完全・全き(まったき)という意味です。「す」は、澄み切る・中心という意味です、大調和の姿です。
「あ・り・が・とう・ご・ざ・い・ま・す」全部で、神様の働きをそれぞれ表現しているんです。だから、神様の働きを小さく受けるんだったら「ありがとう」と言えばいいんです。この世的な小さい幸せとか喜びを受けるんだったら、「ありがとう」でいいんです。でも宇宙全体、それも無限に深いところまで全部受け直すには、どうしても、自然に「ありがとうございます」になってしまいます。あまりに大きすぎて深すぎて・恐れ多い。だから自然に「ございます」と言葉だけでもつけてくるんです。
だから、「ありがとうございます」と「ありがとう」は別といえば別だけど、「ありがとうございます」の中に「ありがとう」もあります。最初は「ありがとう」から入っても良いんです。「ありがたや・ありがたや」と歌っても良いんです。
(2001年4月8日 「『あ・り・が・とう・ご・ざ・い・ま・す』の言霊」より)
質問者:
お金とは何でしょうか?結構これに惑わされるんです。
ありがとうおじさん:
神様の世界はお金じゃない、必要ない。人間の世界ですねお金があるのは。人間の世界のお金は約束事ですね、働いたらそれをお金に換えて、またそのお金で同じ働きの分を返してもらうという、基本的にはその約束事なんですね。沢山働いてそれを貯金という形で残すためには何か別なものに振り替えなければいけない、お金という形で振り替えておいて、必要なときにそれを働きに換えてもらうわけですよね。
基本的にはそうなんだけど、今の世界は、あんまり働かないで沢山儲ける。その儲けたお金は金額は多いけども、その多い金額で返してもらうのは、自分の働いた分だけしか帰ってこないんです。だからそのお金には余り価値がありません、昔から、あぶく銭には価値がないといいます。博打で勝ったお金もすぐに消えてしまいます。泥棒して奪ってきたお金は価値がありません、何も与えず奪ってきたものだから価値はゼロなんです。あるいはマイナスかもしれない。
お金の額よりも、それを手に入れるときにどれだけ働きとして、幸せをどれだけ与えたかが大事ですね。それでそのお金が生きてくるんです。
お金は相手にしなくても良いと思うんです、沢山働いて報いを求めず全部与えてしまったら、お金はないんだけど、今度必要なときに、ただで与え返されるんです。だから、無報酬でするボランティアが一番神様の世界に近い。だから、お金儲けに縛られなくて済むでしょう、自分が喜ぶことを喜んで一生懸命にできます。ボランティアで自分の出来る事を一生懸命世のために尽くして働いておけば、それに見合ったものは必ず利息をつけて返されてきます。そのような与える心は神様の世界の高い世界に波長が合いますよね、運命はドンドン急上昇します。そして恵みがいっぱいになってっきます。
(2001年4月8日 「お金」より)
質問者:
身近に、自殺した人がいるんですが、それも寿命、光り輝いていると考えたら良いんですか?
ありがとうおじさん:
見方がいろいろあります、プラスに見てあげる方が良いですね、そしたらプラスの姿を感じます。自殺というのも悪く見たら、逃げて自殺して地獄に落ちているとか見方はいろいろあるんだけど、逆に、自分の身代わりにマイナスを背負って消すために、自殺の姿で消してくれたと感謝して考えれば、その人は無限に輝いた大菩薩ですね。
プラスに受けていった方が、自分は素晴らしい番組を見せてもらえますね。マイナスの言葉に惑わされないようにね。マイナスの人が多いですね、自殺したら地獄に落ちてるという人が多いからね。逆に、自殺した人はみんな最高の世界に上がっていると言った方が良いかもしれない。正反対に思えるけど、そのぐらいにプラスに思えたら悪く見ずに済みます。
(2001年4月8日 「マイナスの言葉に惑わされないように」より)
質問者:
肉体はいつか滅びて、あの世へ行くんですが、あの世でもこの世のようなランク付けみたいなものがあるんですか?
ありがとうおじさん:
神様のランク付けというのは、この世の地位とかとは意味が違います。神様のランク付けは、光が強いか・どれだけ謙虚かです。それでランク付けが決まります。謙虚なほど高い神様・光が強いほど高い神様です。
(2001年4月8日 「あっという間 劇場 」より)
質問者:
最近朝起きて、仕事に行きたくないんです。それは、仕事を辞めなさいよという事でしょうか、それとも、気持ちを変えなさいよという事でしょうか?
ありがとうおじさん:
仕事も必要な事と本当にしたい事とを区別すると、必要な事はしたほうが良いですね、だから、させてもらえるはずです必ずね。でも、自分の好きな事・したい事はどっちでも良いんですね、適当で、程々で、したい時にしてね。
本当に必要な事だったらね、必ずさせてくださるんです、仕事でもなんでもね。その時に自分が本当に必要なものは何・会社行くこと?違うでしょうたぶん。本当に必要な事は必ずさせてくださるから、嫌だと言ってもしてしまうんです。
例えばね、呼吸は必要でしょう、止まらないでしょう、チャンと動いているでしょう、ご飯も必要なだけ食べるでしょう、絶対に必要な事は必ず神様のほうがバックアップしているから、自然にさせてもらっているんですね。後はあんまり必要ないことは何しても勝手なんです。してもしなくても良いと言う形で自由にさせてもらうから。
・・・・じゃあ、仕事はしてもしなくても良い?
本当は、そんなもんじゃないのかな<笑い>どんな場合でもね、「ありがとうございます」と受け直せば感激が新たになるでしょう、過去を掴んでその連続で見ているとどうしてもマンネリ化してくるでしょう。飽きてしまっているんですね、過去を掴みすぎてるんですね、その過去を掴む心を消してもらうには「ありがとうございます」をチョッと回数多く唱えると消えてしまいます。そうすると新たに、何かしてみたい・何かさせて欲しいという気持ちになります、何しても有り難い有り難いになります。
初心に返って、新たに新たに受け直す気持ちは大事ですね、そういう意味で、マンネリ化の状態に置かれて、もう一回初心に返って喜ぶための勉強かもしれないですね。形は関係ないんです、心の持ち方一つです。どんな仕事しても良いですよ、人の十倍ぐらい楽しんで楽しんで。
(2001年4月14日 「必要な事は神様がバックアップします」より )
質問者:
「ありがとうございます」というのは、響きが大事なんですか?
ありがとうおじさん:
そうです、言霊としての響きが大事です。これで神様を呼んでいる働きです。究極の神様を呼び出している働きになります。
質問者:
状況によって、「ありがとう」・「ありがとうございました」・「ありがとうございます」使い分けていますが、言葉の持つ力としては「ありがとうございます」が一番ですか?
ありがとうおじさん:
これも、神様の名前というふうにみたら、「ありがとうございました」は神様の名前を呼ぶのではなく、神様の働きがあったというぐらいの意味です。神様の名前を呼ぶほうがスッと出てきて必要な働きをサッとして助けてくださる、だから「ありがとうございます」が基本です。
「ありがとう」でも別に悪くはないんですけど、神様というのと、神と言うのと、そういっても出てきてくださると思うんですけど、でも、神様と言ったほうがね、呼ばれたと思って出てくるよね<笑い>
(2001年4月14日 「いろんな「ありがとうございます」 より)
質問者:
小さいときから「ありがとうございます」は感謝の気持ちを込めるように言われてきましたが、どうしても「ありがとうございます」がいえない、むしろ憎しみのときがあります。そんな時どうしたら良いですか?
ありがとうおじさん:
「ありがとうございます」というのは神様を呼んでいるというふうに思うとね、必要なときに必要な助けがあるほうが良いんでしょう。ハラがたってどうしようもないという心の状態のときにね、自分が何を必要とするかでしょう。腹立つ状態で良いんだったらね、「ありがとうございます」を唱えなくてもいいんです。でも、それを消し去って安らかな心に戻してもらいたい、その必要性を感じた人は「ありがとうございます」を唱えたらそこにスッと安らぐんです。
どんな状態でも本当に必要なものを神様が的確に与えてくるんです。すごい力があるんです。小さい助けだったら小さい助けをそれだけを与えてくれるし、本当に無限に大きい助けでも必要だったらサッと与えてきます。この加減を神様がきちっとしてくれます。
だから、「ありがとうございます」はどんな状態で唱えても大丈夫なんです。怒鳴るように唱えても、小さい言葉で唱えても何でもいいんです。必ず必要な助けを与えてくれます。だから、信仰している人していない人は関係ないんですね。無心論者だと自分は言っていてもいいんです。「ありがとうございます」を唱えたら関係なく助けてくれます。
(2001年4月14日 「どんな状態で唱えても大丈夫です」より)
質問者:
仕事をしている身だと、「ありがとうございます」を唱えてばかりはいられないですよね?
ありがとうおじさん:
そうですね、ただね、「ありがとうございます」を最優先するとね仕事が楽にスムーズに行きますね。本当に逆になってくるのね、「ありがとうございます」と言っていると神様が降りてくるでしょう、神様の応援が・後押しがいっぱいになるでしょう、能力が伸びるし、セールスしててもね神様がまとめるとね、お茶でも飲もうかと喫茶店に入っていったらね、そこで商談が全部まとまるような感じですね。必要な人を全部集めてくるね、そこで世間話をしながら商談をまとめてしまう、神様はそんなものです。無駄がなくなりますね、「ありがとうございます」をたくさん唱えているほど不思議な事がいっぱい出てきますね。
・・・・「ありがとうございます」を唱えながら仕事をしていく感じですか?
そう、「ありがとうございます」と仕事をしていくと、疲れもすぐ取れるし疲れなくなったりね、本当に楽になりますね。
(2001年4月14日 「不思議な事がいっぱい 」より)
質問者:
いろんな夢を見ます、それが実現化したりしなかったりです。どうしてこんなにたくさんの夢を見るのでしょうか?
ありがとうおじさん:
夢は人間の心を清めるための守護霊さんの清めの働きです。その清めの働きとして、目がさめたら覚えていないんです、ずーっと見続けてるんですよ。夢の形でマイナスを夢の中へ押し出して消し続けている働きですね。そういうのは残らないほうが良いから、消し続けて、運命を良くする働きをしてくれるんです。守護霊さんの一番大きい働きの一つです。
目がさめたときに覚えているのは、起き掛けにチョッと消されている姿を見てしまうんですね。夢の傾向が自分の心にあるんです、一部が形に出てくる可能性があります。
また、未来を予知するための霊夢というのがあります、そういうときは焼きつくようにはっきりと記憶に残してくれます。それは何かのヒントとしてプラスになる導きですね。
夢をみたら、夢の通りになってくると言う人がいますが、そういう時はプラスだったら喜んだらいい、マイナスが出ると言うんだったら、そこで「ありがとうございます」と感謝すれば夢が現実化する前に消してもらえるからね、それも予知夢の仕組みですね、そういうふうにして消しなさいというね。
覚えている夢がマイナスの夢だったとしても、それと同じような夢を夜中ずーっと見て消してもらっているんです、マイナスの夢を見たら、大きいマイナスを消してもらったと喜んだら良いんです。もし、表面に出てくる夢がプラスだったら、小さいプラスは全部消してもらったと・大きいプラスを入れてもらったと、どちらも喜んだら良いですね。
(2001年4月15日 「夢は清めの働き」より)
質問者:
絶対の神様と、観音様や菩薩様という神様はどういう関係ですか、仲間ですか?
ありがとうおじさん:
本当の神様は、唯一無二の絶対なんですね。その中の無限の中の一部です、どんな神様も仏様もね。観音様・お不動様はもうひとつ小さいかもしれないですね。
・・・・それはそれとしていらっしゃるんですか?
いらっしゃるんですね。役割分担ですね。名前というのは働きを指します。だから、お不動さんというとお不動さんという働きなんです。
・・・・守護霊さんというのはどういう方ですか?
働きの名前、守護するという働きの名前です。宇宙の大神様の働きは、無限の無限の輝きがいっぱいというような感じですね、だから、分身としての働きは無限にいっぱいあります。ただ、それぞれの働きを指すときに名前をつける必要があります。だから、この世の物の名前じゃないですね、石ころというね、石ころという名前じゃない、石という働きです。
・・・・亡くなった両親が、子供を守護する事もありますか?
あります。必要だったらあります。縁のある人は必要なものを与えようと一生懸命愛してくれていますね、助けてくれています。だから、守護霊だけが自分を守っているんじゃないですね、本当は宇宙の全部が守ってくれているんです、ただその中で、守護霊が専属で守っているという意味はありますね。
(2001年4月15日 「神の名は働きを指す」より)
質問者:
ある時ひとりでに涙か出てきて、これは自分が泣いているんじゃないと思ったんですが、だれが泣いているんでしょうか?
ありがとうおじさん:
根本は、泣きさわみ(*泣きさわめ、判別できませんでした)の神様という神様がお清めしてくれたときに涙が出てきます。悲しいときも涙が流れるでしょう、悲しみをお清めして消してもらうと涙が出ます。だから、涙が出たときは悲しみの思いを軽くしてくれてるでしょう。清められたら涙流した後は、心は嬉しくなってきますね。だから、泣きさわみの神様には大きい清めの働きがあります。誰が泣いているんでしょ?神様が喜びを表現してくれているんです。
「ありがとうございます」を唱えると必要だったら泣きさわみの神様がお清めをしてくださって、ちゃんと清めたよ、幸せになったんだよと、印を見せてくれる。涙かいっぱい流れたら、たくさん清めてもらって、大きい大きい幸せを与えたよという結果なんですね。
(2001年4月15日 「涙は幸せの結果 」より)
質問者:
過去を掴む、後悔や悔しい思いは「ありがとうございます」だけで手放せるものなんでしょうか?
ありがとうおじさん:
「ありがとうございます」と唱えたら消してくれます。過去へ遡って全部消してくれるし、未来の心配まで消してくれます。
(2001年4月15日 「そこに「ありがとうございます」を加えていく 」より)
質問者:
「ありがとうございます」はとても良い言葉だと聞いたんですけど、どれくらいいんですか?
ありがとうおじさん:
「ありがとうございます」を唱える回数が増えるごとにドンドン変化します、外見も内面もドンドン変化していきます。そして、神様の捉え方自体が、こんなに大きいのかなとドンドン大きくなっていきます。 最初は表面的ないろんな奇跡が起こります、病気が治ったり、必要な物を与えてもらったり、今ではそういう奇跡的なものは数え切れません。
次は内面的な心の変化です。病気をしていても囚われない心というのがあるでしょう、病気をしていても幸せは消えません、いつも幸せなんだというね。表面が仮に地獄でもね幸せは絶対に崩れませんね、ありがたい・幸せという感じが、形では変化しませんね。そこまで内面が変化していきます。
今度は、神様を感じ取れるようになってきます。本当の神様が実感できてきます、その神様の感じ方がドンドン大きくなります。それで、「ありがとうございます」というのは、究極の神様の名前なんだということがわかってきたんです。
いろんな信仰をしていると、いろんな神様の名前を信じていますけど、それを全部持っているような大きい神様です、「ありがとうございます」という神様はね。それでいて、この世と別の存在じゃないんです、この世もその体の一部にもっています。すべてのすべてなる神様が「ありがとうございます」という神様です。
だから、「ありがとうございます」と言うことは、神様を呼んでいる事ですね。だから、その神様が必要に応じて助けを的確に与えてくれるので、たくさん唱えているうちにドンドン必要な助けをたくさん受けていくでしょう、そして、神様の力で変化させてくださるんです。だから、自分の努力も何も要らない、唱えるだけで・唱えさせてもらうだけで、それだけで、全てがドンドン良くなっていきます。それで、神様が身近に感じられて、いつも神様と一体という感じですね。だからいつも無限の無限の法悦感というのが湧いてきます。
本当はみんな知っているはずだよ、無限の昔から知っていて心の奥でわかっているはずなんです。ただ、表面的にはそこまで必要なかったというだけですね、必要になったら、最後の神様のところへ戻ってくるんです、一番の心の古里へね、命の根源(本源)へね。それで、「ありがとうございます」へ絞り込まれてくるんです。そしたら、一番安らぎが与えてもらえます。みんな知っていると思いますよ。
だから、どんな神様仏様を信じていてもこれは小さい、他の神様と対立しているでしょう、それはそれでいいんですけどね。でもまだ本当の安らぎじゃないんですね、他の神様のほうがもっと上で偉いのかとかね、もっと自分を幸せにしてくれる神様が他にいないのかと思うでしょう。でも、無限の神様のところ・いろんな神様のところへ行って確かめるわけにはいかないですね。それで、チョッとだけ回ってくるんですね、皆ね。それで最後に「ありがとうございます」に辿り着けばいいんです。
早く辿り着けた人は幸せですね、後は何もいらないよ、「ありがとうございます」だけで全てがかなえられますね。
(2001年4月24日 「「ありがとうございます」だけで全てがかなえられます」より)
質問者:
欲は「ありがとうございます」で克服できますか?
ありがとうおじさん:
例えば、食欲とか睡眠欲といいますよね、でも、欲と言うから悪いもののように思うんでしょう。欲という字を見ると、谷に欠ける心と書くでしょう、昔の字体(慾)がそうですね。谷は宇宙の絶対神を表して、絶対神の心と一致していない心が欲の心です。
でも、神様の心は必要なものを的確に与える心でしょう、食べ物を食べて、必要だったら食べていいでしょう、欲とは言わないですね、必要なだけを頂くのは欲ではないですね。だから、食べ物は神様から恵まれて、どんなに豊かに恵まれてもいいでしょう。それを感謝して頂いて世の中のために働けばいいんです。それはいくら食べても欲じゃないですね、食欲というんじゃなしに、神様に恵みを・命を頂いているだけでしょう。それは自然に頂くようになるんです、おなかがすいて良いんです、その時に「ありがとうございます」と頂けばいいんです。
睡眠も同じですね、睡眠もね、魂が肉体から抜けてエネルギー不足を補うために奥の次元へ入って、神様の大きいエネルギーを頂くためですよね。守護霊さん・守護神さんが付き添って高いところへ上げてくれます、そこで神様の大きい光を受けて、もう一回魂が肉体へ戻されてくるんです。また元気に働けるようにエネルギーを補給してくださるんです。エネルギーを補給するためだったら眠いときに眠っていい、一番楽な方法としてエネルギーを補充してくださるんです。
ただ、お祈りの場合はさきに向こうからエネルギーを補給されるんです、だからエネルギー不足にはならない。感謝していると神様の方からエネルギーを送り込んでくるから、補給にいかなくて済みます。そういう意味で睡眠時間がチョッと少なくて済みます、済ましてもらうんですね。必要だったら眠らないで済むかもしれないですね。
何かしたいことがあったら眠らないじゃないですか、子供でも遠足だといったら眠らないで待っているでしょう、誰でも楽しい事をしているときは眠気が取れていきますね。
だから、そういうのはマイナスに掴まないほうが良いですね、感謝したら全部プラスに置き換わってくるから。
(2001年4月24日 「欲とは」より)
質問者:
「ありがとうございます」は気持ちがこもっていないとだめですか?
ありがとうおじさん:
これは、人間の努力は関係ないですね、「ありがとうございます」を唱えたら、そこに神様が現れて
力を振るうんです。その時に必要なだけの助けを与えてくれます、必要なだけというのが神様の助け方です。例えば、モグラに太陽の光がばっと来たら'嫌だ'と言うでしょう、強すぎて困ります。必要なだけで良いですね。その時に必要な助けは必ず与えてもらうんです。
だから、どんな唱え方でもいいんです、神様を呼んだ事になるんです。「ありがとうございます」を唱えたから助けてもらうんじゃないんです、逆、本当は唱えさせてもらってるんです、それで必要な助けを神様から受けているんだから、一生懸命真心込めて唱えないと助けてもらえないのかと思うとそうじゃないんです、必要なだけの助けの唱え方をさせてもらうんです。
空念仏のような唱え方といっても、絶対空念仏じゃないんです、必ずそこに力が加わってきています。
・・・・「ありがとうございます」を何の意識もなしに言って、ああしたいこうしたいという下心ありでもいいんですか?
「ありがとうございます」と下心は別です。下心は下心で働いているでしょう、「ありがとうございます」は「ありがとうございます」で働いています。別なものです。
・・・・下心を「ありがというございます」で昇華させようとしてはいけない?
そんなのは無関係です。逆です、下心を「ありがとうございます」が消してしまいます、下心は消されてしまいます。
・・・・下心がうまくいたら、「ありがとうございます」でうまくいったんじゃないんですか?
「ありがとうございます」の方はそんな思い通りになったからというような程度じゃないです。そんなの思い通りにいったからといって、幸せでも何でもないね。いろんな病気が治ったり、奇跡がいっぱい起こるでしょう、これは、太陽の姿が神様とするでしょう、そこから光が放射されて「ありがとうございます」が光なんです。思いの方は・下心の方は空に浮かぶ雲ですね。白雲と黒雲があります、白雲は光を受けてチョッと反射している状態です、白雲が思い通りになります。黒雲はいくら願っても思い通りに行かないですね。
「ありがとうございます」と唱えるとサーッと光が入ってくるでしょう、それで黒雲がしろ雲に変わって思いがかなった、そういう意味では「ありがとうございます」が思いをかなえたとも言えるんですね。でも、そんなんじゃないね、「ありがとうございます」は光だから雲なんか無関係です。
光は無限に世界が広がっていきます、有り難い・無限のプラスがいっぱいと気付きになってきます。あれも有り難い、これも有り難い、無限に世界が広がります。思いの方は雲と同じで、中にはまり込んでいきます、小さく小さくね、視野が狭くなります。一つ思いがかなえられてもそれだけになるんです、その中にはまり込んでしまって、太陽があって・空気があって・水があるのを気付かないんです、一つの思いだけでしょう。でも感謝は世界を広げてくれます、ぜんぜん次元が違いますね、幸せの程度が雲泥の差どころじゃないでしょう、無限に無限に大きくなるのが「ありがとうございます」です、感謝が・幸せが。
・・・・仏様の前なんかでは、願いがあって、それがかなった事もあります。そうすると、仏様がかなえてくれたと思うんです。
例えば、仏様・ご先祖様と呼ぶでしょう、呼ぶとね、その助けを受けるんですよ。ただ「ありがとうございます」という神様はもっともっと力のある神様だから、ご先祖様「ありがとうございます」と後につけるとご先祖様も大きい助けを受けます、自分も大きい助けを受けられるでしょう、効果が何倍にもなります。そういう意味では「ありがとうございます」を後に加えるほうがいいでしょう、全ての総元締めみたいなものです。
(2001年4月24日 「必要なだけの助けの唱え方」より)
質問者:
どうしても実現したい事があるんです、「ありがとうございます」を唱えれば、必要であれば神様が実現してくださいますか?
ありがとうおじさん:
そんなの要らない、「ありがとうございます」を唱えたらね、思いが・黒雲が白雲に変わったら全部実現してしまいます。チョッと光を受けるだけで実現してしまいます。私が、願いも思いも全部ないのは、全部かなえられてしまって結果を全部もらっているからね、願いが起こらない。
(2001年4月24日 「黒雲が白雲に変わったら」より)
質問者:
子供の頃から「ありがとうございます」と言う習慣をつけさせるほうがいいのか、いろんな体験を積んでから「ありがとうございます」に気付いたほうがいいのでしょうか?
ありがとうおじさん:
子供を立派に育てるのもいろんな方法がありますね、無限の段階があります、最高の方法は「ありがとうございます」です。小さいときから「ありがとうございます」を唱えさせたら、何も教えなくても行儀はいいし思いやりはあるし、しつけなんか要らないし悪い事は絶対にしない。教えられたりしていなくても、人の嫌がる事をしません。思いやりの心しか出てこないからね。
・・・意地悪をされたときも常にそういう心を持っていられたんですか?
いじめられないですね、いじめる人が出て来ないですね。いろんな危ない事に遭遇する前にストップかけて止めてくれます、不思議ですけど。
(2001年4月24日 「気付き」より)
質問者:
環境が悪化しています、環境問題はどうなんでしょうか?
ありがとうおじさん:
「ありがとうございます」を唱える人が増えたら全部プラスに変化してきます。ダイオキシンでも簡単に分解する素晴らしいものが生まれてきます。全てを解決する素晴らしい発明発見アイデアがいっぱい生まれてくるから、ドンドン生まれてきます全然心配ありません。
本当に必要なものだけが出てくるんですよ、受けるんですよ。感謝をする人はマイナスは必要ないからね、勝手に消えていきます。だから、マイナスを掴んで消そうとしなくてもいいんです、感謝してプラスを掴んだらマイナスは放っておいても消えるから。
マイナスを掴みすぎたらだめよ、ダイオキシン・ダイオキシンと掴みすぎたらダイオキシンの多い所へ行きますよ、そんなのは何も相手しなくてもいいんです「ありがとうございます」と言っていたらダイオキシンのない世界に住むんです。
(2001年4月24日 「マイナスは必要ないから消えます 」より)
【貯めるのって、良くないんですか?】
ありがとうおじさん:
それもね、貯めるのも使い道がちゃんと定まって、ちょっとプールするぐらいがいいですね。ただ、その貯める目的がマイナスだったら、それが老後の為とか、病気の為とか、そういうマイナスの目的だったら、逆に貯めたら病気になり、いろんなことが起こるの。その目的を果たさないと駄目なんです。本当の大きい目的、正しい良い意味のプラスの目的を持って、その為に必要な資金をある意味でプールするというのだったら、大きい正しい目的の為に、それを活かしてもらえるのです。そういう貯め方だったら、「貯める」というより「準備している」という感じですね。
【保険は、どうでしょうか?】
ありがとうおじさん:
保険を掛けてくれる人が、みんな幸せでありますようにって、報い求めず与える心で出してくださった保険金だったら、それをもらったら幸せになれますね。ところが、与え尽くす心じゃなしに、逆に「たくさん返してもらう」という気持ちで出したお金だと、保険金もらった人は、そのマイナスの思いを背負うのです。結局、心のマイナスがいっぱいになってしまって、形でお金をもらっているけど、心にマイナスを背負うと逆にしんどいですね。
【お守りのつもりで入るのは、どうでしょうか?】
ありがとうおじさん:
うーん。「与え尽くすだけ」だったらいいですね。みんなの幸せの為に、もらう積もりじゃなく、「与えるだけ」と言うんだったら、それだったらいいですね。
【子供の「車の交通事故」保険に入るのは、お守りの積もりで入ればいいのですか?】
ありがとうおじさん;
事故を想定して?
【そう言う事になりますね。】
ありがとうおじさん:
そうね。ただ与え尽くすだけという気持ちだったらいいですね。車の任意保険でも、事故を想定せんと、本当に与え尽くす「掛け捨て」に出したらいいんじゃない。その気持ちが大事ですね。それも「ありがとうございます」があったら、マイナスもカバーしてもらえます。保険に入っても「ありがとうございます」を唱えたら、そのお金に光を振りまいてくれるし、神様は、どんな運命でもプラスに変えて、良くなるようにしてもらえるんで、やはり「ありがとうございます」を加えた方がいいですね。それがベストですね、後は枝葉よ、まあ、どっちでもいいようなもんかも知れないね。全部「ありがとうございます」で大きいプラスに変えてもらうのだから、そのマイナスも小さいプラスも大したことないです。
(2001年6月2日 「貯金」「保険」より)
質問者:先ほど3代で財産が散在するとおっしゃいましたが、実際にはずっと継続している家系もあります。これはやはり「ありがとうございます」という感謝の思いがその家系の中に流れているということでしょうか?
ありがとうおじさん:
それは両方ですね。感謝の心があって続いてる場合と、逆にお清めがなしにね、ずっとマイナスを背負い続けて財産がいっぱいという場合もあるよね。やっぱりもう心はたいへんしんどい思いしてるよね。ほんとに心がやすらいで与えてもらうっていうのがないよね。
質問者:将軍家が15代続くなども、よく似たような感覚なんですか?なんで15代?と思うこともあるんですけど。
ありがとうおじさん:
天皇家は特別違うのね。まず自分がない、自我がないのね。愛の心だけを生きてるでしょ?感謝と愛の心でね、みんなの幸せだけを祈り続けて自分を一番下に落としてるのね。すべての人のマイナスを全部一身に背負う気持ちで、それで神さまに祈ってみんなを助け続けてるでしょ。そういう人は必ず天の助け、受け続けるでしょ?
だから贅沢してるんじゃないのね。ただ天皇陛下は国の代表だから、着せ替え人形みたいにいいものを着せられるよね。うさぎ小屋には住めない(笑)本人は別に質素なもんで喜んでるよね。服1枚大事に使い続けるでしょ?粗末に絶対しないものね。食べ物でもそんな贅沢な食べ物、自分は食べたくないよね。質素に生きてるよね。ただ国の代表として色んなものを受けて、それを活かさないといけないから仕方ないよね。
でも幕府なんかだったら将軍なんかは贅沢するよね。自分の権力をかさにきて、何でも思い通りにしてしまおうとするから。ただ形が似ているというよりも、似てないよね、正反対よね。だから幕府がずっと続いたからって、ほんとの幸せつかんでないよね。逆で、続いたら続いた分だけあとで、業を清算せにゃならないときがくるからたいへんなんよね。
だから日本が敗戦のあと、天皇陛下が殺されずにすんでるっていうのは奇跡だね。天皇陛下は人から何も奪ってないからね。幸せを与え続けるばっかしだから、誰も命を奪いに来ないよね。逆にどんな状態に陥っても、生かしてくれる、助けてくれるのよね。だから神さまからも人からも助けてもらえるっていう、そこが違うのね。
(2001年6月3日 「天皇家と将軍家 」より)
質問者:自分の身内が葬式をやったんですが、形にこだわるんですよ。戒名に何百万円などというのには反対なんですが、そういうのはどうお考えですか?
ありがとうおじさん:
人が亡くなってお葬式あげてあげる場合、質素にしたほうがいいよね。贅沢な葬式をすると足引っ張るよね。代わりに徳を失うような働きしてあげたことになるよね。本人は絶対それを望んでないと思うのね。あの世で低いところに落とされるより、あの世で幸せなところに上がるほうがいいよね。
だからこの世の人が高い葬式代や戒名代を出したりすると、逆に大きい借金背負わせて向こうに送り込んでるのと同じになるね。なんぼいい戒名もらっても低いとこ落ちてしまうのね。贅沢な葬式だされると、それだけ大きい借金背負わされて下に落ちていくの。だからほんとはお金かけずに、逆にそれをみんなに施すような形で、徳を積むような使い方してあげるほうがいいよね。形の贅沢はいらないよね。
…でも何か当たり前という感じでやってしまいますよね。
ありがとうおじさん:
葬式に来る人がね、ほんとに亡くなった人を慕って、幸せを祈りに来てくれるかどうかで、そういう人は少ないのね。もう義理で来るのね(笑)ほんとに喜んで来てくれないと、大勢来てくれるほど逆にマイナスになるのね。マイナスの思いを背負わせてしまうのね、亡くなった人に対して。
だから大勢集めたからいいんじゃないのね。もうできるだけ来ないようにって、断るのがいいぐらいでね、何も持ってきてほしくないとかね。徹底して迷惑かけない方がいいのね。その方が葬式に参加しなくても、感謝してくれたり祈ったりしてくれるでしょ。そういうことが亡くなった人に大きくプラスになって返っていくよね。
(2001年6月3日 「葬式と死後 」より)
質問者:時間とは何でしょうか?
ありがとうおじさん:
宇宙という言葉、世界という言葉がありますね。宇宙の宇は空間、宙は時間です。世界の世が時間、界が空間です。だから、世界・宇宙というのは時間と空間の組み合わせで生まれます。それは相対の両極に分かれた一つの要素です。
時間というのは時計で測る時間とはちょっと違うのです。時間にもいろいろな時間の種類がある。空間にもいろいろな空間の種類がある。
この世とあの世と比べてみればいい。竜宮城というのをたとえていえばいいのです。浦島太郎が竜宮城に行って、楽しい幸せな時間を過ごすでしょう。ほんのちょっとそこで楽しんで生きたという感覚で、この世に戻されたとすると、長い年月がたっていた。それで、自分は年老いた姿として現れてしまうでしょう。だから、時間というのは、すばらしい空間の拡がった世界では時間が短くなる。逆にこの空間が狭まって、マイナスの多い空間では時間が長くなる。だから、極楽世界では時間がない。一瞬なの、一瞬一瞬が幸せいっぱいというのが極楽世界ですが、地獄は苦しみばっかしです。
空間が無くなると時間が無限に拡がるのです。だから、地獄では穴の中に入りたい、天の針の穴の中にでも入りたいという感覚なのです。そうすると無限の時間が拡がるのです。地獄ほど苦しみの時間が長い、そういう感覚になってしまう。だから、この世の生活している人と、地獄で生活している人との時間の感覚は、この世で例えば1秒過ごしたという感覚でいてても、地獄では何億年もたち、何億年も苦しんでいるという感覚なのです。
質問者:空間が無くなったら?
ありがとうおじさん:
それは、時間と空間で生まれているから、限りなくゼロに近づいても、ゼロはありません。空間というのはこの世的な三次元の空間だけではない。いろいろな空間がある。伸び縮みする空間とか、例えば、ちょっと上の次元でもそう、この部屋であったら、伸び縮みしない。でも、ちょっと上のあの世だったら、今日はお客さんが多いから、部屋を拡げようとすればスーと拡がる。自由自在に空間が変化する。また時間もそうです。タイムスリップというの? 自由自在にできる時間がある。もう過去だから済んだかというと、時間がまたずれたりする。
(2001年6月23日 「時間と空間とは」より)
質問者:昔から、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「世界人類が平和でありますように」そして、今「ありがとうございます」がありますが、歴史的にみて、それぞれがどんな意味あいがあったのでしょうか? ひょっとして同じ意味合いではないでしょうか?
ありがとうおじさん:
「南無阿弥陀仏」と「ありがとうございます」ですが、それは「阿弥陀様」をどうとらえるかです。阿弥陀様は いうてみれば、過去に修行して悟りを開いた阿弥陀様としたら、小さいですね。本当の神様は修行も何もしないですね。最初から無限に無限に輝いています。だからその中には、修行して悟った阿弥陀様を無限無限の中にもっている。だから阿弥陀様の捉え方で、説明の仕方がちょっと変わるのですね。普通は「南無阿弥陀仏」を唱えるときは、長い無限の年月の間修行して悟ったという阿弥陀様がみんなに苦労させたくないという意味で、苦労せずに悟りの境地に導き上げようという働きとして、阿弥陀様がいらっしゃるとみるわけです。だから、ふつう阿弥陀様と同じような自力の修行は不可能ですね。一万年でも大変ですね。一億年だと、気が遠くなるし、さらに無限億万年というたら、もう不可能です。だから、自力の修行では悟れないと気づいた人が他力にすがるのです。それで、「南無阿弥陀仏」と阿弥陀様にすがって助けてもらう。でもその場合、救う側と救われる側とが分かれてしまう。分かれているのをぴたっとひっつけるには条件がある。「南無阿弥陀仏」で救われるには3つの条件で、至誠心深心回向発願心という3つがいるということ。至誠心というのは、真剣な心と言ったらいいでしょう。深心というのは阿弥陀様の深い愛を信じる心、回向発願心はひたすらに阿弥陀様にすがりつく心ですね。この3つの条件があって初めて阿弥陀様に救いとってもらえるという。ですから、その3つの条件をはずすと救ってもらえないですね。だから、嫁いびりしながら、姑さんが「南無阿弥陀仏」を唱えてもだめだということなんです。 やはり条件かなわんです。でも、「ありがとうございます」はまた違う。「ありがとうございます」は すべてのすべてなる本物の神さまです。だから救う側と救ってもらう側が、もとから一体だという立場から出発する。みんなすでに神さまと一体、すでに救われて存在しているのだという、この立場から、神さまの救いが入ってくる。だから、他力ではなく、絶対他力です。対立のないところから出発するのです。「すでにみなさん、救われていますよ」というわけです。それを気づかせてあげましょうというだけですね。だから、迷っているひとを救うのではないですね。すでに悟っている自分に気づかせてあげましょうというのが、「ありがとうございます」です。だから全部違うのです。
・・・では「南無妙法蓮華経」は?
「南無妙法蓮華経」というのは、宇宙の真理と一体化するという意味なのですが、それも具体的に何かという、法則というと何か冷たいですね、感じが。人格的に愛のかたまりの感じがいいでしょう。本当の愛のかたまりの神さまというほうが、人格的に護り護ってくださるというほうがいい。
・・・「世界人類が平和でありますように」は?
神さまの最高理想の姿は完全平和です。それを現実化してほしいという意味ですね。それも断定的に完全平和に飛び込めたらいいけれど、なかなか現実的にマイナスに囚われた人にとっては不可能、難しいです。そして、その間をつないでもらうという意味で、つなぐ役割を、救済の神さまが間に立たないとならない。だから、救済の神さまが間に立って、理想と現実のつなぐ役割の祈り言葉、これが「世界人類が平和でありますように」です。でも、これもまだ絶対他力の「ありがとうございます」とちょっと違う。やはり「ありがとうございます」方が最初からみな救われている立場から出発し、その自覚に引き戻してもらう働きです。
この「ありがとうございます」は誰が作ったかわからないでしょう。これがいい。誰かが提唱した、作った言葉だと小さい。「南無阿弥陀仏」も、「南無妙法蓮華経」も、「世界人類が平和でありますように」もそうです。無限の昔からあって最初からあって、誰もが自由に使われる言葉ではない。「ありがとうございます」はいつからあるかわからないし、みんな知らないですね。誰が作ったか絶対わからない。やはり神さまが最初から用意してくださる言葉です、みんなのためにと。そういう言葉の方が本物ですね。
質問者:インドではオームという言葉がありますね。言霊からいくと、「ありがとうございます」と比べて、少ない感じがするのですけれど?
ありがとうおじさん:
そうですね。全体をつくしてないですね。イスラム教でも、アラーだけではちょっと少ないですね。部分的な意味ではわかるのですが、「あ」と「り」だけの意味ようなものですね。あと全部つくされた意味の方がいいですね。
(2001年6月24日 「南無阿弥陀仏との違い 」より)
質問者:
ありがとうございますの他にも言霊の隠された言葉って有りますか。
おじさん:
あるんじゃないですかね。「明けましておめでとうございます」なんて良い言葉ですよね、「お蔭様で」とかね。神様の働きを色んな意味で現わしていますよね。神という言葉もそうですよね、日本の神という言葉も深い意味を秘めているんですよね。神というのが一番の大きい働きを指す言葉で、五つの大きい意味があるんですよね。
「隠身・かくりみ」、絶対を隠身と言うんですね、これを縮めたら神よね。創造の働きがかごる「仮凝身・かごりみ」を縮めて神ですよね。無限に輝いた最高表現を耀く身で「耀身・かがりみ」、これが縮まって神で、その分身としての無限の無限の神様、八百萬の神様を指して「駆身・かけりみ」というのね。神通時代に宇宙を駆け廻れるという意味で、「駆身・かけりみ」が縮まって神ね。
この世の姿もそうですけど、あの世の色々な物質化された世界の姿全部を愛の心で、自分の自由を限定して色々な姿に変身するんですよね。例えば石ころでもそうですね。宇宙を自由に飛び廻りたい神様が石ころに変身してみんなに踏まれても「ありがとうございます」と囁いてくれるって凄いですよね。愛の塊みたいなものですよね。
そういう愛の変身の姿「限身・かぎりみ」というんです、それが縮まって神ね。神という言葉に五つの大きい神様の働きが全部表現されているでしょ、神ひとことでも全体像つかむんですね。神様の働き全部ね、だから素晴らしいですね、英語じゃゴットだけでしょ。言霊の言ふく言葉という意味で判るんですよね。それでも全体の意味が全部出てないですよね。
だからアラ−の神といってもそうですね、「あ」と「ら行音」は判るんですけど「がとうございます」はないですよね。そういう意味ではちょっと足りないところも多いですよね。
(2001年6月30日A 「神には5つの大きい意味がある」より)
質問者:
基本的に心があってその思いのプラスとマイナスをパワ−アップさせる働きが言霊で、言葉に出した時にそういうパワ−があるとわかったのですが文字にもそういったパワ−があるのですか。
おじさん:
あるのね。全部あるのね。言霊は神様の宇宙創造の働きを力を指しているので、番組を作り上げる力の働きなのね、言霊は。人の言葉はそれに波長をあわす番組にチャンネルを合わせるための言葉なの。人の言葉には何かを作り出す力はないですね、波長を合わせて番組を選んで、それを受けるだけの働きですね。
質問者:
良い書物を読むとそこから文字のパワ−を受けることが出来ますか。
おじさん:
そうね、良い番組に波長を合わせていくことですね。
質問者:
テレビやラジオの影響はどうですか。
おじさん:
同じですね、それもね、一瞬一瞬を自分がどういう言葉を選んで使い続けるかって大事ですね。だからテレビを観るのでも、良い番組を観るほどプラスの言葉を使っていることになる。マイナスの番組を観ると逆にマイナスの多い言葉を使ったことになるよね。
質問者:
ニュ−ス等はどうなのでしょうか。
おじさん:
同じよね。同じになるね。プラスの多いニュ−スはプラスの言葉を自分が使ったと
同じよね。マイナスのニュ−スは観ない方がいいよね、幸せになりたい人はね
質問者:
殺人事件が起ったと聞くとやはり気持ちが暗くなったりするじゃないですか、あまり聞いたり観たりしない方がいいですか。
おじさん:
そうですね。
(2001年6月30日A 「文字のパワ−」より)
質問者:
先ほど病気の話が出ていましたが、生まれつき病気を持ってきている子供や小さくして病気になった子供はどのように捉えたらいいのですか。
おじさん:
ひとつには何回も生まれ変わるという生まれ変わりの番組がありますよね。それで過去にどういう言葉を使って来たかによってそれをずっと持ち続けているのね。
質問者:
過去に悪い言葉を使って来た結果ですか、ではそれをばん回する場はあるのですか。
おじさん:
あるんですよ、あるんですが、ただ今顕れているのは過去に使われた言葉が働いているのね、予約よねテレビの番組の予約みたいなものですね。今良い言葉を使ったからといってすぐ出てこないのは過去の予約の方が優先されているの、ちょっと時間のずれがあるでしょ、だから過去のマイナス予約は早く取り消した方がいいのね、良い番組だったら予約のしつづけでもいいんだけど、マイナスの番組はもう観たくなかったらそれだけは取り消した方がいいね。そしたらプラスの言葉を使っている限りは絶対マイナスの番組には出会わないよね。ただその予約を取り消す方法よね、自分が過去にさかのぼってずーと心の中見て探すの難しいよね、出来ないねちょっとね、だから「ありがとうございます」を唱えていたら神様の方が先に優先的にしてくれるからね、マイナスの番組の取り消しを順番に先にしてくれるね、ただちょっと時間的な要素は必要でしょう、一変にぱっと出してくれないのね。でもしてもらえる人もいるんですよ、余程、自分の全部を神様に渡してしまわないとね、渡し方の違いなのね、最初「ありがとうございます」と言っても自分の命まで与えているかと言うと与えていないよね。ちょっとだけ預けたらちょっとだけ先に悪いものを消して優先的に取り消してくれるのね。
質問者:
例えば突然小学校に殺人者が現れて多勢の生徒の中で殺されてしまう子と助かる子供がいますがそれは何か関係があるのですか。
おじさん:
あるのよね。ひとりひとり全部自分の選んだ番組を観るという、だからひとりひとりに責任があるのよね。被害者も加害者も両方そうよね、マイナスの番組に波あわない言葉を使い続けた人は、そういう場に遭遇しても絶対にマイナスには出会わないですね。どこかで違うね、一秒ちがったら全然違う世界になってしまうね。また本当の良い番組を見続ける人にとったらそういう場には近寄れないね、だから一人一人にどういう運命を味わうかは責任があると思うね、人のせいには絶対出来ないよね
(2001年6月30日A 「生まれ変わりの番組と過去に使った言葉」より)
質問者:
生まれたばかりの赤ちゃんがすぐに亡くなったり、先ほどの何かの事件に巻き込まれた子供たちというのは、そういったことも何も知らないで死んでしまいますよね、それはどうやり直したらいいのでしょうか、どうやって自分の意識を変えたらいいのでしょうか、「ありがとう」という言葉も知らないで死んでしまう赤ちゃんたちもいますよね。
おじさん:
それはもう過去の連続だから、知らないではなしに心ではちゃんと知っているのね、知っていてそういう場に生まれてくるでしょ、それも早死するという運命の番組に合わせて生まれて来てたら赤ちゃんが知らないとは言えないね。そういう波長を合わせた番組を自分で選んできたという責任があるのね。
質問者:
親としたらどうしてあげることも出来ないのですか。
おじさん:
親の立場から子供が色々な姿をとるでしょ、でもそれは親がそういう番組に波長を合わせて観ていると言わないといけないよね、自分がそういう番組を観てるんだとね。もし自分がマイナスのないプラスの番組を観たかったら言葉をプラスに変えて、心をプラスの状態に持っていけばプラスの姿の子供ばかりの世界になるでしょ、番組さえ変わればいいのよね。だから今観ている番組のマイナスを掴んで変えようとしても番組は変わらないよね。いつまでも続くね、ところが自分の心をプラスに変えたら番組は変わるでしょ、必ず子供がマイナスの姿からプラスの姿に変化したのが見えてくるね。それだったら自分の責任でいつでも自由に変えられるよね。
(2001年6月30日A 「ありがとうを知らずに亡くなった赤ちゃんはどう意識を変えるの」より)
【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】
ありがとうおじさん:
人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。
本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神様の愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。
そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神様の最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神様の大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。
【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】
ありがとうおじさん:
当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。
(2001年7月1日 「 「池田小学校の事件」の受け入れ方」より)
ボランティアというのは、報いを求めんと与える心なのね。お返しを求めたらボランティアとは言えないの、だから、報いを求めずに与えるところに、本当のものが出てくるという時代なのです。それが幸せへの最短コースだから、ボランティアが、本当の奉仕者が、これからどんどん増えてくると思うのね。特に、過去世で心にいっぱいマイナスを積み重ねている人が多いです。心のマイナスを消す最短コースというのが、この自分を神様に捧げ尽くし、自分のマイナスを神様に引き受けてもらう。そうすると早く消えるのね。ところが自分の中に溜めて置いて、自分の力で消そう思ってもなかなか消えないのです。特に、マイナスというのは利息の高い借金みたいなもんです。いつの間にか膨らんでしまうから、それはもう神様にサッと預けるのが一番いいよね。神様に預けていけば、もう簡単にスースーツと消えていくの。本当の意味でボランティアがいいね。本当の意味のボランティアは、人ヘのボランディアじゃなしに、「神様への奉仕」が、幸せへの最短コースになるのね。人に、物や親切を与えても、自分の持ってるマイナスは消してくれへんの。逆に、人にマイナスをかぶせるだけやね。人に与えた分は、跳ね返ってくる。親切ごかしになんぼボランティアをしても、逆に反発食らうのがオチなんよね。それは、マイナスを消す力のない人に与えても消してもらえないの。やっぱリ神様に向けないといけないね。神様へ奉仕するというのは、大きく全体へ奉仕することなのね。個人に向けるんじゃなく、全体へ与え尽くすという気持ちですると、神様が引き受けてくれるのね。そしてマイナスを消してプラスに変えて、与え返してくれるから、どんどん楽にしてもらえるのです。
(2001年7月20日A 「ボランティアの時代」より)
【先程、神様に対してのご奉仕が一番大切だというようなことをおっしゃったんですけども、神様へのご奉仕の具体的な事例を、ちょっと幾つか示していただきたいのですが。】
ありがとうおじさん:
神様ってどこにいるかというと、別に宗教団体にいるんじゃないです。だから、宗教団体に奉仕じゃないのね、神様に奉仕というのはね、神様という全体なんです。全体への奉仕。だから、世界の平和とか、全人類の幸せとか、全体の幸せのために何かさせてもらうことが神への奉仕に当たるのね。
【それは「人に対してだけのご奉仕ではない」と言うことですか?】
ありがとうおじさん:
だから、全てを神様の現れと見て奉仕させてもらうのね。
【ということは、自分の心の内側から神様に対して感謝する。】
ありがとうおじさん:
だから、先ず、神様に感謝がいるよね。全てが神様の現れと受けること。みんなへの奉仕というのは、その神様の現れへのご奉仕です。そうすると、神様との心の交流が起こって、自分のマイナスはプラスに置き換えてもらえて、どんどん幸せを大きくしてもらえるね。でも、神様を無視すると、神様と交流が起こらないから、現実を見ても、神様の現れとは見えないのね。「何か、マイナスの多い人」と見えてしまうのね。その姿で交流したら、相手のマイナスを貰うばかりで、また、自分のマイナスも相手にかぶせるだけで終わってしまうのね。だから、先ず、神様と交流するというのが大事なの。そういう意味で、神様への奉仕ね。感謝しながらみんなに尽くしていくというのがいいよね。
(2001年7月20日A 「神様への奉仕とは」より)
☆ ありがとうございますは誰が作ったのですか。
−おじさん−
これは誰が作ったか分からないでしょ。いつ出来て来たかも分からないでしょう。これは元から神様が用意して下さっている言葉です。天から自然発生的に現われている。もう全ての次元、全ての番組に適用できる番組ってこんな素晴らしい言葉なんです。誰が言い出したかも無いの、又、誰が作ったんでも無いし、最初から用意されてて、最後まで力を発揮する言葉として、神様が与えて下さっているんです。普通、色んな唱えごとでも誰かが発明して、発見して唱え始める事が多いんですけど、それは小さいです。全ての人には通用しないか分かりません。本当の、最高の全ての力を発揮できるかは疑問です。誰が作ったか分からん言葉がいいです。特許権を侵害したって、お金を取に来ませんから。
(2001年8月25日 「ありがとうございますは誰が作ったの 」より)
☆ガンになった娘さんがありがとうございますで直ったらしんですが
―おじさん―
癌になると死病の様にいって心配するんですが,病気で死ぬ事はないんで寿命が来て死ぬんです。だから癌を抱えながらも寿命が来るまでは長生きするんです。寿命が決まって死ぬとしたらこの世で色んな働きをしといたほうがいいんです。心を清めるんだったらあの世まで持ち越さずこの世で清めたほうが楽なんです。それが病気の姿を取って、癌だったら癌の姿をとって、癌の痛みに耐えて大きくマイナスの思いを消し去ってもらうんです。
そうすると、あの世ではいい番組に上がっていけるんです。プラスプラスに心を向けるために神様が色んな形で働いて助けてくれているんです。本当は病気になっても構わんです。病気から色んなことを学んで自分をどんどん立派に変えていけばいいんです。その過程で直った方が良ければすっと直ってしまうんです。消えてしまうんです。病気で勉強する事が必要だったら病気が持続するんです。又、色んな反省を与える意味で気づくまで病気が続くかもしれないです。色々原因が有ると思うんですが、反省してプラスに生きるようになればマイナスの姿は必要なくなるんです。すっと消えてしまう。神様だったら番組を置き換えるくらい何でもない。
(2001年8月25日 「ガンが治った 」より)
☆:人間は何のために生きているのでしょうか。
−おじさん−:人生の目的は大事なんです。この人生の目的もピンからキリまであります。一人一人全部違うんです、人生の目的をどう捉えるかは。ただ、神様が人に対して、これが人生最高の目的というのは有ります。どういう事かというと元々本当の人間は神様と一体なんです。神様のすべてを受け直す自分、神様と一体の自分が有って、本当に自由な心で神様が与えてくる無限の無限のチャンネルの番組を自由に楽しむ事なんです。
最初は低い番組も味わって、その違いが分からないと駄目なんです。低い番組と高い番組の区別がついて、なおかつ謙虚な心で、1番下から最高の番組を眺めて味わえる自分が良いんです。そうすると、その差が大きいほど喜びが大きくなるんです。
1番謙虚な心で最高番組を味わえる自分になって、本当の無限の無限の幸せを味わう事なんです。
それが神様の1番の願いです。人の大きい喜びが同時に神様の幸せに結びつくんです。本当の人生の目的って大きい幸せを感じる事です。
(2001年8月25日 「生きる意味 」より)
質問
「あ」と言う言葉が物事の根幹だと思うんですけど、ありがとうございますの言葉も最初に「あ」がきますが、あいうえおの「あ」、abcdの「あ」、アー べエイ チェイ デエイーも最初は全部「あ」となっています。偶然かもしれませんが、こういう事は感じ取っているんですか。
=おじさん=
そうですね。みんなそういう風に感じて、各国の言葉はみなそうなっているのです。阿吽の言葉も「あ」ですし、αβも「あ」が来ます。はい、ありがとうございます。ありがとうございますも「あ」が先に来ますよね。
質問
馬鹿よりもアホの方が良いですよね。
=おじさん=
いいですね。
―大阪の人は良いですね、アホと言えて。東京でアホと言うと怒るんですよ。馬鹿と言う方がまだ良いと思っていたのですが、「あ」が万巻(?)の重さだったら、アホと言う方が○○○○―
そうですね。ホをたもつ(保)と書けば「あ」を保つで神様と一体ですものね。最高の誉め言葉ですよね。
(2001年8月26日 「最初に「あ」がくる」「アホ(阿保)」より)
質問
先生、お金を一杯吐き出しすぎてマイナスの時、ただありがとうございますと言えばゼロになってプラスになるのでしょうか。
=おじさん=
お金が人を幸せにするかといえば本当は違うんです。仕事をする時でも、お金儲けをすると損するんです。どれだけ人を幸せにすることが出来るか、幸せを与えられるか、与える量を増やすことが良いんです。ただそれをすぐお金に変えてお金で与えても、与えただけしか返ってこないです。お金の額と本当の力、働きとは違うんです。あぶく銭には、幸せを引き寄せる力は何も無いのです。
―私、ヒーリングやカウンセリングをしているのですが、お金は設定しない方がいいのでしょうか。―
お金をあんまり取り過ぎても意味無いです。人を幸せにする量を増やせばいいんです。ちょっとだけお金を貰っていても、そのちょっとのお金で沢山の幸せが入り込んでいるんです。でも幸せを与える量が少ないのに多額のお金を貰っていても、与えただけのちょっとの幸せしか戻ってこないです。お金の額はあんまり関係ないです。土地成金の人はそうなのです。安い土地を、ただみたいな土地を値段が上がって売ってしまう、何億円って。儲かったように思えても逆なんです。高利の借金を積み重ねた事になるんです。何も与えていないのにお金が入ってきても借金したと同じなんです。それも高利の借金ね。それも自分が儲けた、自分のもんだと思うから贅沢に使うでしょう。無駄遣いして。それで徳を減らし、なお且つ借金を増やし、後が大変なんです、本当に。だから得していないんです。会社でも利潤追求で沢山儲けると、それは損するんです。やっぱり幸せを、良いものを一杯与えなければ損です。与えた分だけが返ってくるようになっています。だからタダで与えたらタダで必ず返ってくるんです。与えて物をお金に変えたら、必ずお金になってしか返ってきません。
―今、会社の景気は悪く、今まで利益追求型の会社だったと思うんですが、今、付けが回ってきたのでしょうか。―
付けが回ってきます。働く時間もちょっとで少なく、給料も沢山貰ったら、実際与えた量が少ないです。お給料が高かっても物価が高くってちょっとしか買えないです。同じ国だったらそれが良く分かると思います。給料が上がれば物価もどんどん上がります。結局何しているか分からないです。でも外国は労働力の対価が安いとします、日本のお金で安いものを買ったとすると、これは国と国の貸し借りになるんです。価値の無いお金で価値有る物を沢山仕入れたとするでしょう。すると必ず返さんならん事になるんです。価値の有るお金だったら、それだけの物を買えるね、どんどん。でも価値の無いお金で買ったものはいずれ返さんならん時が来るんです。その辺のカラクリ、法則を忘れてしまうと、ちょっと間違った方向にはまり易いです。
(2001年8月26日 「お金と貸し借り」より)
質問
人間の身体って素晴らしいバランスの上に成り立っていると思うんですけど、睡眠中はどういう風になっているのでしょうか。
=おじさん=
眠っているときに子供は良く育ちます。又、病気でも怪我でも眠っているときに癒される確立が大きいです。眠っているときは魂が抜けてエネルギー補給に高い次元に上がるんです。その後肉体を管理するのが守護霊、守護神さんです。ちゃんと管理してくれます。人が色んな想いを出さない時が働きやすいんです。本当は感謝してくれたら働きやすいです。マイナスの想いを出されると働きにくいです。そういう意味で眠っているときは働きやすいです。だからわざわざ、病気したり怪我したときは眠らせるんです。大怪我したら必ず意識不明で眠らせるんです。それは必要なんです。神様が肉体を癒すためにプラスに置き換えるために働きやすい場を作るんです。
―睡眠時間が日ごろから少ない人は、神様の働きがちょっとしかない。―
お祈りしてたら睡眠の代わりになるので、ちょとだけでも良いんです。お祈りをせずに睡眠時間が少なくなるとやっぱりストレスがたまります。
(2001年8月26日 「睡眠」より)
質問
ありがとうございますは時間内に回数を多く言ったほうが良いのか、一つ一つ気持ちを込めてありがとうございますと言ったほうが良いのかどちらでしょうか。
=おじさん=
それは全部役に立つんです。
―早口で言った場合は―
それもスピード化した事で密度が高くなるんです。次元が上がるんです。それで余計な言葉が絶対間に入らないです。中身が濃くなっていますよね。いろんな工夫で、いろんな唱えかたをすればいいんです。全部生きてきます。ただそればっかり続けることは無いです。絶対ね。
―ありがとうございますと唱えてる時でも色んな雑念が出てきて、まったく違ったことを考えている時が有るんですが。もっと集中できたらと。―
それもどういう場に置かれるかによって、全部違うんです。雑念の無い世界に置かれたら楽に出来ます。雑念の塊の中に入ってすれば、やはり雑念はちらついてきますよね。それも良いんです。だから皆どういう場でありがとうございますを唱えさしてもらうか違うんです。今は雑念の塊の中で生きている、いわば雑念を消す大きい働きも兼ね備えたありがとうございますの練習です。
(2001年8月26日 「祈り方」より)
質問者:
何かの没頭している時にも「ありがとうございます」を唱えたほうが良いんでしょうか?二つに分裂しそうなんですが?
ありがとうおじさん:
精神統一というのは二通りあると思うんです。思いの自分が思いを集中するというのと、もう一つは、感謝の心で神様の大きい無限のエネルギーを一点に集中するというのとね。思いのほうは、集中すればするほど凝り固まっていくんです、思いの自分が集中しようというのと感謝とは正反対ですね、できないですね、感謝すると集中が途切れたりするね、思いの集中がね。
感謝だけをしている自分であれば、一点に集中するということは神様の無限の力をそこに集める事になります。逆に言うと、神様の力が大きく降りるから、何をしても神業になります。
・・・例えば、バッターが打とうと集中している時、「ありがとうございます」と唱えれば神業になりますか?
勝ち負けの世界は神様の世界と全然違うんですね、勝ち負けの世界は思いの世界ですね。神業が出るといったら、勝ち負けを超越していないといけない。名人を超越しなければいけない、神業が出るというのは。鉄砲を撃つにしても、百発百中じゃないといけない、何するにも百発百中じゃないといけない完璧でないとね。本当はそこまで行くんです、本当の神様が働いたら・神様の力が降りたら。 例えば、野球でバットでボールを打つのでも、常にボールが止まって見えるぐらいになって、常にホームランを打てるぐらいになったら神業ですね。その時はすでにボールを相手にしていないと思います、すでにボールを打ってホームランになっているという結果だけを見ている世界が神様の世界なんです。だから、どんなボールを投げられても、ボールが止まってそこにちゃんとバットが当たって、全部ホームランになっているというふうに、結果を先に受け直せる世界が神様の世界ですね。それが神業になって出てくるんです。
だから、勝ち負けを考えてお互い力を出し合っているのはまだまだ低い世界です。思いのある世界はまだダメですね。
(2001年9月8日 「結果を先に受け直せる世界が神様の世界です 」より)
質問者:
最近の学校は、設備が整っていてそこで勉強している割には行き詰まっていて、昔のような優秀な人が出てきていないように思うんですが?
ありがとうおじさん:
質素な生活を・・・不明・・・贅沢な事をすると借金を背負うんです。例えば、学校の校舎は国の税金を使って建てるでしょう、国の税金というのはみんなの思いをいっぱい背負っている姿です、みんなあまり喜んで出さないですね、税金はね、取られたと思うじゃない!そうするとマイナスがいっぱいくっついてきます。だから人のマイナスの思いを背負ってしまいます、国の税金から援助して建てたといってもね。立派な校舎を作れば作るほど、マイナスが子供に負いかぶさってきます、それが結果としてはいい結果が出ませんね、もっとぼろっちい掘っ立て小屋で良いんです。そこでのびのびと自由に勉強させたら本物になりますね。
まず心にマイナスを背負うと利己的になるんです、背負わなかったら正しい助け合いの心が自然に湧き出るでしょう、愛の心が深くなっていきますね。だから運命的にも悪いことは絶対に起こらないはずです。
道元さんの生きているときは、弟子たちが修行する場所はみすぼらしい掘っ立て小屋なんでしょう、今みたいな道場は建っていない、どちらが良いかと言うと何もないほうが良いよね、雪が舞い込むような掘っ立て小屋のほうが良いですね、そこで修行するほうが幸せになる、余計なマイナスを背負わないですね、そんしてますね。
(2001年9月9日 「何もないほうが良いよね」より)
質問者:
部屋の片付けとか、手紙の返事書いたりとか、宿題をするとか、つい明日しよう明日しようと思いいまだに思っているんです、この治し方はありますか?
ありがとうおじさん:
小さい頃から、私は無気力と言い続けたんじゃないですか?言葉の力です。無気力という言葉を使うだけで気力のある人まで無気力になるんですよ。その正反対の言葉で自分を大肯定する、無限の気力でいっぱいとか、なんでもてきぱきとできるとかね。逆の言葉を使ったら・プラスの言葉のほうが力があります、光と闇だったら光のほうが力がありますね。小さい光でも出たら闇が消えますね。プラスのほうが力があります、マイナスのほうが弱いですね、マイナスはプラスが出てないというだけです、プラスが顔を出したらマイナスは引っ込みます。プラスの言葉をチョッと使うだけでマイナスは引っ込んでいきます。
必要のない事はしなくてもいいです、本当に必要な大事な事をすればね。小さい事をする必要がないからしていないのかもしれませんよね。もっと大きな事で前向きになっているほうが良いですね。手紙を書くのもそれを大事にする人があってもいいんですが、私は書かないです、返事を書かないです<笑い>無気力といえるでしょう?でもほかの事を一生懸命にしています、お祈りのほうをね。お祈りのほうへ時間を全力でそちらに向けています、だから返事を書かないです。
(2001年9月28日 「 言葉の力です」より)
質問者:
狂牛病は自然の摂理に反したから出てきたんですか?
ありがとうおじさん:
根本は言葉の使い方ですね。マイナスの言葉・病名を付け過ぎるんじゃないかと思うんです、病名をつけたら病気を病気の番組から引っ張り出しますね。医学が発達して病名を付け過ぎたために病気の数が増えますよね。言葉の力というのはすごいんです、できるだけマイナスの言葉は使わないほうが良いですね、なるだけ病名は付けないほうが良いと思います。
番組さえ変わったら恐れる事は何もないので、みんな健康な姿をとりますからね。あまり騒ぎすぎてそれが広がるんです。
(2001年9月28日 「根本は言葉の使い方です 」より)
質問者:
アメリカ同時多発テロについてどう考えたら良いでしょうか?
ありがとうおじさん:
どう考えても自由です、どんな考え方も成り立つんです。自由自在にどんな考え方を持っても悪いことではないんですけど、番組を上へ上へあげていくためにはプラスの見方・考え方というのは大事ですよね。マイナスに見ていくとドンドンマイナスに落ちていきます、番組を下げてマイナスの多い番組になっていきますよね。
本当は、どんなマイナスの大きい姿でも、もっと大きいマイナスを軽く済ませてもらったという見方が良いんですよね。無限のマイナスをこんなに軽く済ませてもらって、助けていただいたんだというプラスの見方をするとあまり悲しまないで済みますね、また仕返ししようとも思わないですね。
だから、いろんな地震にしても災害にしても、人的な戦争という災害にしても、みんな大難を小難に変えてもらっているという見方が良いんですよね、実際本当にそうなんですよ。感謝の心で眺めたら、無限のマイナスをいつも免除していただいているというのが本当なんです。チョッとだけ勉強材料を残してもらっているとね、勉強材料がないと反省もしないし、それをプラスに置き換えていこうという努力もしないと思います。そういう意味ではマイナスをチョッとだけ残して頂いているんです、勉強材料にね。
ああいうテロの問題でも、どちらが悪いといえばどちらも悪いし正しいし、言い分はみんなあるんですね。だから、最初の出発点がどこにあるかでしょう、それはずーっと大昔かもしれないですね、それが順番に恨み合ってそれがエスカレートしてきて。だから、責め合うことは出来ないんですよね、小さいものがドンドン大きくなってきているだけなんでね、テロ、テロ側といったら悪いんですけど、チャンと言い分があるんですよね。
その言い分を聞いてあげられるようになったら、報復しなくてもいっぱい援助してあげたら良いんじゃないかと思います。本当に満足するようにね、助けてあげたら・愛を示してあげたら敵対してこないですよね。上に立って助けてあげているというような気持ちだと傲慢なので反発するんです、こちらの命も全部あなたに預けます・全部あなたのためにだったら差し上げますという感じだったら愛があるんですよね。敵じゃなかったら攻撃してこないですよね、全くの無抵抗主義でもいいんです、自分の命を預けましょう・与えましょうという気持ちだったら相手と一体化しますね。相手に心の中から愛が芽生えてきてそれに答えてくれるんですね。
本当に争いなんて無駄な事をしていますよね。今回ももし攻撃したら何兆円といっぺんにパッと消えるんでしょう、それを援助にまわしたらすごい事だと思うんですけど、皆飛び上がって飛び上がって喜ぶでしょう。
プラスにプラスに見ていけるのが一番いいんですね、今回の事件ですね。マイナスに見た分またマイナスを再現するといったら何ですけど、同じ事を繰り返しますからね。テロという言葉もあまり使わないほうが良いんじゃないですかね、大きいマイナスを軽く済ませていただいたとね、プラスに言葉を使って解釈していくほうがね、本当の意味で世界を平和にしていく一番の方法だと思います。
(2001年9月29日 「助けてあげたら・愛を示してあげたら敵対してこないですよね」より)
・・・「ありがとうございます」をたくさん言っていると時々涙が出てきます。それは浄化の涙でしょうか?
清められた喜びの涙でもあるんですが、肉体を持って生まれたのはあの世の何十万人の代表なんです。あの世の人もこの世の人が「ありがとうございます」と神様の助けを受け入れると、あの世の人が早く救われるんです。それでみんなが涙を流して喜んでいるんです。あの世の人の涙が伝わってきたら、理由なく涙があふれます。悲しいんじゃなくて喜びが伝わってきます。
(2001年9月29日B 「涙(喜び) 」より)
【昨日テレビで、一人の人が10キロ、11.8キロほどの食べ物をたくさん食べるという番組があったんです。例えば、吉野家の370グラムの天丼を一時間で20個食べれる、ということは約8キロですね、あれはどう考えてもよくわからないです。人間の能力として、例えばマラソンなんかも我々が走ろうたって走れないわけですけれど、ところが食べることに関してごく普通の人や細い人が、8キロも食べるというのは、その人だけで食べているのか、または何か別の者が食べているのか、そう言う事ってあるのでしょうか?】
ありがとうおじさん:
あるんですね。肉体人間に縁のある背後にいろんな霊魂が憑きますよね。それは、先祖霊もありますし、いろんな動物霊もありますし、いろんなものが憑くんですよ。それも波が合うと、共同作業的に食べ物でも食べるんです。そうするといくら食べてもお腹がふくれないし、もう底なしに食べられるのね。お酒もそうよね。はしご酒する時はそうよね。お酒を飲みたいという人間の霊魂もあるし、龍神とか、馬とか、動物の霊魂がいるのね。そういうのに波を合わせてしまうと、なんぼお酒を飲んでも酔わなくなるのね。それで、底なしに飲めるようになり、凄いことが起こるの。食べ物でも、何かをするのでもそうですね。波の合うところからいろんな働きかけがあって、また助けてもらう意味もあるし、こっちから助ける意味もあるんですけど、本当は肉体人間のこの自分だけが何かしてるんじゃないんですね。
(2001年10月6日A 「大食」より)
質問 (不明)
君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔の生すまで
「君が代」の「君」の、本当の意味は宇宙絶対神です。天皇陛下というのは小さい浅い意味です。「代」は世の中の「世」ではなくて「代わる」の代です。宇宙創造の神様の働きは一瞬一瞬の置き換えであるということを詠っています。「千代に八千代に」はこの一瞬一瞬の置き換えが無限無限に移り変わるという意味です。千変万化どころではなく、計り知れない無限無限に変化をしている。
細石というのは砂みたいなものですね。それが集まって巌となる。巌が砕けて砂になるというのは考えられますが、砂が集まり固まって巌となるというのは常識で考えたら不可能ですね。だからそういう意味ではありません。
細石というのは個人個人、部分部分を指します。それが神様と直結して、神様のほうから一つにしてくれる。
この世を見ていると、まだ神様と直結しているといえませんから、バラバラです。みんなが神様と一体化して悟ったら、神様の御心のままに個性を発揮して最高の働きが出来ます。一人一人がそうなったら、全体が調和のもとに完璧な働きをして最高理想の姿をこの世に現します。これが細石の巌となった姿です。
苔というのは、どんな寒い所でも痩せた土地でも生える生命力の強いものです。「苔の生すまで」というのは、神様の命が輝きわたっている状態を指します。
「君が代」は宇宙創造の神様の最高表現のすばらしさを褒め称える歌です。褒め称えるというのは「ありがとうございます」です。「君が代」は神様の最高表現の最高理想を現実化するための大きな祈り言葉になっています。この「君が代」の歌詞を唱えていると荘厳な厳粛な気持ちにスッとなりますね。だからこの「君が代」は小さな島国日本が一国で私有すべき歌ではありません。世界中の人々に「どうぞ、ご自由にお使いください」と提供したほうがいいですね。それだけすばらしい歌です。
(2001年10月7日 「君が代 」より)
質問者 不明(たぶん食べ物についてだと思います) (女性)
人の使う言葉通りになるというのが本当です。だから「すでにすべて神様にいただいている」というふうに使うと皆健康になって幸せ一杯になります。ただ、言葉はマイナスに使いやすいですね。「狂牛病」という言葉を使うと、自分がそれを取り込んで受けてしまいます。玄米食でも「玄米食でなければならない」というふうな言葉を使うと、それに縛られて他のものが食べられなくなってしまいます。だからすべて言葉通りになっていくのですね。キリストさんでも「何を食らい何を飲まんと、思い煩うこと無かれ」と言っています。何を食べても何を飲んでも大丈夫なんて言ったら、たとえば栄養学なんかに縛られている人からみたらとんでもないことでしょうけど。
キリストさんの言っていることのほうが本当ですね。神様からいただいたものを感謝の心を深めて受けたら、みんな光り輝いて命そのものですから、絶対病気になったりしないですね。だからどれだけ感謝して神様から命を頂くかということが一番大事です。毒と言われているものでも感謝して受けている人にとっては毒にならずに薬になります。だから余り栄養学などには囚われないほうがいいです。あれやこれやと考え出すと縛られて不自由になるでしょ。
どんな食べ物でも神様からの一瞬一瞬の置き換えで与えてもらうものだから過去は無関係です。過去の姿はマイナスが大きくても、今、新らたに受けるものは無限のプラスそのものですね。だから一番大事なのは神様から新たに受けなおすことです。そしたら絶対いいことばっかし。
(2001年10月8日 「体に悪いと言われる食べ物」より)
質問 (不明)男性
食べる前に一回感謝したらいいです。ありがとうございますを唱えると農薬が消えます。神様から受けなおしたものは輝いたものになります。会社から給料をもらって帰ってきたら一旦神棚にお備えして「ありがとうございます」というのと同じですね。もらったお金にいろんなマイナスの思いがついていたら、そのお金は悪いことにしか使えなくなります。無駄づかいしてしまいます。神様に一旦お預けしたら、プラスに変えて下さいますから自分を幸せにするために使えるようになります。神様に一旦あけわたすのは大事ですね。
(2001年10月8日 「農薬」より)
質問 お墓の供養のし方について。(女性)
お墓というのもかなり囚われが多いですね。亡くなった人はそういうところに入らないです。もし亡くなってからお墓の中に入るって思ったら大変です。石牢に閉じ込められて地獄番組にはまり込んでしいます。死んだらお墓に入るのだと思って逝ったら実際にお墓の中にはまり込んでしまう。
お墓はなくしたら良いのです。お墓というものをなくしてあげたら、死んだ人は「お墓よりもっといいとこ行こう」ってなります。お墓があったら、せっかく神様が美しい花園の世界へ導いてあげようとしているのにそこへ行こうとしなくなるでしょう。
質問 お墓への御骨(おこつ)の納め方
御骨というのも肉体というのも死んでからは要らない物です。あくまで脱ぎ古した上着みたいなもんですからゴミ捨て場に捨ててくれたら良いんです。(笑) 「もう要らない」って放してしまったほうがさっぱり綺麗な自分になって良い世界に上がれます。お墓や脱ぎ古した上着などに囚われないで自由なほうが良いですね。「お墓は要らない」って言うぐらいの信念があったらその中にはまり込まないで済みます。お墓はなくしてあげたほうが良い世界に行けるから死んだ人にとってもいいことなんですけれども、どちらを選ぶかは本人の自由ですから。
(2001年10月8日 「お墓」「御骨」より)
質問者:
個人名を入れて「ありがとうございます」とお祈りしてもいいですか?
ありがとうおじさん:
入れない方がいいです。以前私を何と呼んだらいいか質問しましたが、本当は高い神様ほど名前を呼んで欲しくないのです。何故かとゆうと高い世界の神様はみんな過去を使わないのです。一瞬一瞬、姿を表してさっと消えていくのです。一瞬も過去をつかんで欲しくないのです。思い出して欲しくもないぐらいなのです。ただ「ありがとうございます」と呼んで欲しいのです。それが最高なのです。低い神様ほど名前を残したいのです。過去に良いことを沢山して記録を残したと自慢したいのです。
過去をつかむことは新しいことを何も受けられない状態なのです。だから低く下がっていくのです。番組を上げようと思えば、過去を捨てることです。名前も捨てるぐらいが良いのです。過去生も捨てて良いのです。本当に名無しの権兵衛になるのです。最後に「ありがとうございます」と言われる自分になるのです。そしてみんな「ありがとうございます」になって誰か分からなくなるのです。
「ありがとうございます」が全てになって過去を捨てるのです。「ありがとうございます」と唱えて新しく受けなおすのです。
(2001年10月13日 「個人名 」より)
質問者:
「ありがとうございます」はどのような働きをしてるのですか?
ありがとうおじさん:
「ありがとうございます」は想像を超える働きをしてるのです。「ありがとうございます」と唱える時は、まず本当の神様に心が向いてます。自分の心も命も全てを神様に捧げ尽くしてる状態です。だから神様から与え返されます。無限に無限に謙虚になってる状態です。無限に無限に素直な状態でもあるのです。すごいことです。与え尽くす心が幸せになるために必要です。「ありがとうございます」の言葉の中に恩返しの心が沸くのです。恩返しの心は一切の見返りを求めない心で、与え尽くす心の極地です。喜んで喜んで捧げ尽くしていく生き方です。いろんな良いものが「ありがとうございます」にはあります。もっともっとあります。
(2001年10月14日 「働き」より)
質問者:
古神道をどう思いますか?
ありがとうおじさん:
本当の古神は形がありません。古は過去の意味ではないです。口の上に十があります。口は言葉で、言葉を超越して縦横無尽の働きをします。本当の神様の働きを指してます。いつも天から降っていますだから、古(ふる)です。だから言葉では表現できません。筆舌を超えた神様の本当の働きのことを古といいます。神道は「ありがとうございます」と同じ5つの意味があります。絶対、創造、統一、自在、限定、です。本当の神様の愛の働きが宇宙(道)に満ち渡っているのです。宇宙の全てを一体化して満ち渡っているのです。これが古神道です。本当は教えられたら古神道ではないのです。
(2001年10月14日 「古神道 」より)
☆ありがとうございますを言い始めてから、お金を扱う職場でお金を基準に考える人たちに囲まれて仕事をするのが辛く感じます。プラスに変えるにはどうしたらいいですか?
ーおじさんー
お金にマイナスがいっぱい付いててもそれをプラスに変えるといいです。そういう大きい働きをする役目があると思えばいいんです。お金にありがとうございますを込めていけばお金の洗濯が出来ます。そうしたらそれで世の中がプラスにどんどん幸せになっていきます。マイナスのいっぱいついたお金をプラスに変えただけで自分が大きい働きをした事になります。人に大きいプラスを与えた事になります。マイナスがプラスに変ったお金をもらった人はそれだけで幸せをいっぱい手に入れることが出来ます。すごい大きな働きになります。表面的な仕事の何万倍以上の仕事をしたことになるんです。
他の人がどういう姿勢でお金を扱う仕事をしていてもそれはその人の自由なんで、ただ自分はお金を淨める働きをさせていただくことが本当の自分の仕事だなと思えば他の人の仕事の何万倍という大きい仕事をするんです。そうしたら自分の幸せも早く大きくなって出てきます。自分の仕事がはっきり定まってそちらに気持を向けたらプラスに向きます。
ありがとうございますを一回唱えると本当は最低でも一万円以上の価値があるんです。お金全部にありがとうございますを言うと一円玉でも一万円の価値になります。自分のすることを見つけて一生懸命していたら周りは気になりません。楽しんで前へ前へ進むのがいいんです。
(2001年10月19日 「お金を浄める」より )
☆ありがとうございますを唱えていても何も起こらなくて、回数が足りないかと不平不満を言わない為に土日に人と会うことも止めて努力しても、涙がどっと出ることもなく神様を感じること・神様に気付くことが出来ません・・・
ーおじさんー
いろんなところから感じられるようになってきます。本当は大きい気付きに出会っているんです。表面だけ見るのと奥から見るのといろんな見方があります。ありがとうございますをズーっと沢山の回数を唱えているんですが、このありがとうございますを唱えさせていただくことがすごい大奇跡なんです。
普通はマイナスの思いがいっぱいだと一回も唱えられないです。唱えたくても唱えられないんです。それを百回千回と唱えられるのは、ものすごく大きい神様の力が自分の中に入って、 そういう言葉が出てくるんです。それは光をいっぱいに受けている状態なんです。その神様の働きが奥から働く時と表面からの時と両方あります。奥から働いている時は奥のマイナスの思いをどんどん奥の方から消してきます。霧を晴らす時に神様の近くの方から消すのと、表面的なところから消そうと思ったらその人の周りから消すんですけど、奥から消してもらう方が早く消えるんです。ただ表面には強い光が奥から入ってくると浮かびでてくる、押し出されてくるんです。思いの方は消されたら困るから表面の方へと逃げてくるんです。表面に浮かび出て、また思いが出てくる感じなんですが、心の全体から見ると思いがどんどん消されて絶対量が減ってきます。
ありがとうございますを唱えているのは自分が唱えているんじゃなくて淨めの神様が中に入って唱え続けてくれているんです。ものすごい助けをずっと受け続けている状態です。光の自分に戻らない限り、自分の力でありがとうございますを唱えることは絶対出来ないです。思いの自分でいる限りは絶対に無理なんです。でもそれが出来ているということはすごい助けを受け続けてるんです。本当だったら、大きい無限のマイナスを持っていたら七難八苦とか地獄絵図を体験していて当たり前です。それが何もなくて大難が無難に済んでいるので、涙が出るどころじゃないです。もっとすごい大奇跡を起こして助け続けてもらっているんです。大難を無難に済ませてもらっているから気付きにくいんです。小難なら気付くかもしれないですけど無難だと気付きにくいです。
それでいて無限のプラスが目の前にたくさんあります。太陽も空気も水もあって素晴らしい人たちが周りにいっぱいいてくれます。必要なものは毎日豊かに与えてもらって身体も健康そのものです、 目も見えるし耳も聞こえるし心臓も肺も動いている、不思議なことばかりです。涙が出ないととかそういう小さいものではないんです。それ以上のものすごい大きい助け奇跡を起こしてもらっているんです。
ありがとうございますで何も起こらなかったのでなく、大きすぎて気付かなかったんです。何回唱えるとか、マイナスの言葉は使わないとかいうのも、励ましの意味や唱える練習には違いないです。ただ神様の方から働き始めた時、奥から消すときは必ず思いはかなり浮かび出てきます。かなり出ますがそれも出てきたら喜べばいいんです。奥から大きく消してもらっているんだなと、氷山の一角くらいが浮かび出ているだけで、それでスーッと消えていきますから、沢山消してあげましたよという確認を取ってくれていると思えばいいです。この何万倍か何億倍かの思いを消してくれていると思えばそれも喜びの材料になります。虚のプラス、実のプラスで言うと、マイナスを消し続けてくれた虚のほうの大きいプラスを受け続けたんです。
(2001年10月20日B 「大きすぎて気づかない」より)
☆ありがとうシールがあまりに効果があるので、ただ「ありがとうございます」と書かれただけなのに不思議で・・・
(水がおいしい・車の燃費が上った・部屋の空気がきれいになった等々)
ーおじさんー
今の時期は本物を顕す時期なんで、本当の神様が本物を顕す為に応援に降り立っています。ありがとうございますと祈れば、ありがとうございますの言葉が出たら必ず本当の神様が顔を出してきます。本当の神様は無限に無限に輝いた姿をとっているので、いっさいのマイナスをすっと消してくるんです。シールが小さくても大きくても、どこにでもスッと現れたら、そこはもう調和した姿をとるようになっているんです。そういう時代・時期になったんです。
神様のほうは人の生き様を全部ずっと見守り続けてきて、本物になる時期を待ってたんです。今までは人の好き勝手にさせて人の自由に任せてきたんですけど、いつまでも本当の幸せを掴めないから、早く幸せな状態に引き戻す意味で時期を選んでいて、やっと皆をそういう本物の世界へ導き入れる時期が来たと見てくれています。それで大きい力を添えに来ているんです。だから、ありがとうございますという言葉が今、急に湧き出るように出てきたんです。
(2001年10月20日B 「本物になる時期」より)
☆子供がのんびりした性格で、受験だというのにちっとも準備が出来ていないので、ありがとうございますをとにかく言うようにと勧めています・・
ーおじさんー
学校へ行って、つまらない知識をいっぱい詰め込んだら心が濁ってきます。それよりも心の濁りをありがとうございますと消してもらうほうがいいです。そうしたら今度は神様の知恵が湧き出ます。智識はつまらないですが、知恵はどんな問題に突き当たっても解決する大きい力になります。だから知恵の湧き出る子が一番幸せになります。極端に言えば学校は行かなくてもいいんです。行ってもいいですけど別に行かなくてもいいんだと開き直って、それよりも神様に護られている限りは幸せいっぱいなんだと、ありがとうございますを唱えさせてあげるのが最高の行き方です。
子供が充分に出来なければ、その代わりに親が唱えてあげたら子供のプラスになります。ありがとうございますは人の為に唱えるのが一番いいんです。自分の為だけだと小さくなります。でも人の為にというのだと、神様のお手伝いということで大きい力がもらえます。人の為に祈っても自分の為に一番役に立つんです。人の為に祈っても自分が一番たくさんおかげをもらうんです。自分の為に祈っても自分の為だけにしかこないんです。
(2001年10月20日B 「人のために唱えるのが一番」より)
☆宇宙人にもプラスとマイナスがあって、地球とコンタクトしているような話を聞きますが・・・?
ーおじさんー
宇宙人というのも本当の意味は意識が宇宙大に大きくなった人が宇宙人なんでしょうけど気持が小さいとその星の人という感じなのでしょう。地球が自分の家というふうに小さくなったら地球人です。そのレベルだったら他の星の人は火星人とか異星人といった方がいいかも知れないです。
宇宙人もプラスの人マイナスの人ありとあらゆる人がいますし、地球で波の合うもの同士とのコンタクトは起こっています。だからUFOも宇宙人も本物と偽物がいっぱいあって、この世に出てくるとしたら本物は少ないです。まだ今のレベルでは肉体を持って本物のUFOには乗れないです。本物とは波の違いがあるので魂の方が波動をあわせてちょっと乗せてもらうという感じです。UFOを操れる宇宙人は心境が高いです。だから地球を攻撃したりは絶対しません。攻撃に来るとか侵略というようなものは偽物です。
(2001年10月21日 「宇宙人」より)
☆お金も必要な分は神様が下さるのですか?
ーおじさんー
お金でもなんでもそうですが正しい使い方が判ったら、必要なだけちゃんと与えてもらうんです。正しい使い方が判らないと持ったら傷つくんです。使い方が間違っていたら人を傷つけ自分も傷つけます。お金も正しい使い方がわかったら必要に応じて必要なだけ与えてくれるのが神様の助けです。余分にあったら困ります。少なくても困るんですけどそれは神様のほうがちゃんと見てます。使い方が判らない人がお金を持つと世の中に害毒を流します。使い方が少し判っていて入りすぎると洪水のようになります。それで流されてしまうというマイナスが起きます。余分に入りすぎるより少し少ないくらいがいいです。お金に頼るより神様に頼った方がいいんです。
本当に必要なものを手に入れるときは神様の助けは中から働く力になって出てきます。棚から牡丹餅式に外から与えてもらうのは神様の助けじゃないです。本当の神様の助けは中から働く力で出て、何倍でも働けてそれで必要なものを手に入れるようになります。外から助けてもらうのは借金のようなもの借りなんです。返さないといけないんです。でも中から湧き出る神様の力で働いたものは借りじゃないです。働けば働くほど貯金を増やしています。
本当の極楽世界というのは、無限の能力を発揮して働く働き者ばっかりの世界です。じっとしていてご馳走がいっぱいというのとは違います。逆です。この世だと何もしないで怠けてたくさんものを与えてもらうのが幸せで極楽と思うかもしれないですが逆なんです。極楽世界の人は働き者ばっかりで皆に尽くすばっかりで、そういう人が集まると、自分も周りから与えられて尽くされて困ることは絶対にないです。怠け者が極楽なら困ります。誰も働かなかったら食べるものもなくなって餓鬼道のような状態になってしまいます。
(2001年10月21日 「神様の助けは中から」より)
質問者:
今大病で死にそうな人がいる場合はどう考えるのですか?
ありがとうおじさん:
今死ぬかもしれない、難病の人を前にして、どうしても病気を見るとああ大変とマイナスに思います。マイナスを思うとマイナスを引き寄せます。逆にマイナスを被せると悪くなります。病気を心から消し去って放し切って見るのです。その意味で始めはちょっとプラス思考で見るのです。難病と比較したら軽いんだと見るのが大事です。プラスに心が向きますから「ありがとうございます」と唱えて最高表現の世界を見ないといけないです。みんな完全健康なんだと、完全健康をしっかりと心に感じるまで「ありがとうございます」と唱えるのです。自分の心でマイナスの思いが完全に消えます。ここには神様しかいない完全健康の姿しかないと実感できたら、心のマイナスが消されたら、目の前のマイナスがどんどん消えて行きます。病気が好転したり、完治したりします。まず心の中のマイナスを消すのです。消さないと低い番組の中で留まるのです。マイナスの思いを消してもらう意味で「ありがとうございます」唱えながら心を光源へ向ける練習をするのです。
(2001年11月3日 「死が近い人を前にして 」より)
質問者:
幸せとは光で心を満たすことですか?
ありがとうおじさん:
幸せは既にあるのです。気づくだけです。その邪魔な思いの霧が立ち込めると有るものが見えなくなります。その思いを消してもらえば良いのです。消してもらう一番の方法が「ありがとうございます」で神様を呼ぶことです。
本当の神様の名前が「ありがとうございます」です。その神様を呼んだら一番大きい力で必要なもの与えてくれるのです。思いの霧を消した方が良い時は消してくれ、気づきをいっぱい与えてくれるのです。有り難いから感謝するのではなく、神様の助けが必要だから呼ぶのです。「ありがとうございます」で本当の神様の助けを呼んでることになって、必ず助けを与えてくれます。自分の段階に応じて本当に必要な助けを与えてくれます。いろんな気づきが増えます。
(2001年11月3日 「幸せ」より)
質問者:
今日講演に来た40人ほどの方達とは何か縁がありますか?
ありがとうおじさん:
ここへ来る前に「ありがとうございます」と感謝の心を起こせる様になってなかったら今日ここに来てないと思います。ここに来る理由は全部感謝のお祈りを深める意味で確認で来ると思います。縁でも過去生の縁は腐れ縁が多いです。その縁ではマイナスへ引きずられ易いです。
神様の光の縁は新たに与えてくれる縁です。神様から必要なものを与えてくれる繋がりの縁が本当の神様の縁です。神様の方は一人一人幸せの道をしっかり見極めて最短コース歩ませようと一生懸命守ってます。感謝の時期が来たら必ず神様の助太刀が入って来ます。その人の心変えてでも生きたいと心を起こさせたり、また誰かから誘われてウン付いて行って見ようかと心変えさせたりと、あの手この手をいっぱい使ってでも助けてくれます。偶然では無いです。大勢の神様の助け、いろんな人の縁をたどってでも助けてくれます。神様から与えられた新しい縁です。
(2001年11月3日 「縁 」より)
質問者:
神様にお願いをしても良いですか?
ありがとうおじさん:
お願いは求める心で、マイナスに波長が合います。不足の心になります。まだしっかりプラスのものをつかんでない状態です。マイナスを引き寄せ易いです。だから平和にして欲しいと願うと、平和でなく戦争状態になります。法則の神様と救済の神様と2つに分けた場合、救済の神様はその辺を良く見極めて助けて欲しかったら助ける働きもあります。法則的には求める心はマイナスです。同じ祈りでもマイナスの祈りになります。マイナスを実現します。感謝が一番良いです。プラスの言葉を使って「ありがとうございます」が良いです。病気を直してもらうなら「健康ありがとうございます」と唱えます。「平和をありがとうございます」「幸せありがとうございます」としっかりとプラスの言葉をつかむ方が良いです。
(2001年11月3日 「お願い 」より)
質問者:
神棚、仏壇をどう思いますか?
ありがとうおじさん:
ただの模型です。模型の使い方は一人一人自由自在で良いです。模型をどう使おうと神様にとって別に関係無いです。自分の心さえプラスになって行けば受け易くなります。本当は模型をみんな買っても別に良いです。どんな模型があっても、どんな使い方しても大丈夫です。みんな自由に模型を活用すれば良いです。
質問者:
必要無いなら無いでも良いですか?
ありがとうおじさん:
模型を必要無いと思う人は模型をなくしても良いです。罰は当たりません。
質問者:
お墓も無いで良いですか?
ありがとうおじさん:
あってもお墓に入れる人はいません。入ったら出れません。地獄です。この世から去ったら本人にとって最も相応しい所に行きます。この世しかない、死んだらあの世で眠るんだ、お墓に入るんだと思うことが可笑しいです。そうゆう言葉の縛りに合わない方が良いです。死んだら最高の極楽世界に上るんだと思いましょう。
この世から無くなった人のお墓なんか必要無いです。もし作るなら作っても良いです。ただこの世の人が心を向ける対象としてご先祖様を呼びやすいのであるのです。位牌ががありますが位牌の中に閉じ込められたら大変です。可笑しいことです。本当に罰当たりです。神様は絶対に人の自由を縛りません。人が人の自由を縛ること自体可笑しいです。ご先祖様は無限に無限に輝いて極楽世界にいると思った方が良いです。そこから守ってもらいましょう。
(2001年11月3日 「 神棚と仏壇」より)
質問者:
他人の思いを満たす為に行動するべきか?
ありがとうおじさん:
お節介な人は多いです。本当に幸せな人は人の自由を縛りません。本当の幸せをつかんだ人は幸せの押し付けは絶対にしません。思いの心は人を縛ります。自分がこれが幸せと思うだけで、ほかの人も同じ様に幸せと思いなさいと縛って行くのです。思いの幸せは一人一人違います。お金があったら幸せの人もいれば、美味しいご馳走食べられたら幸せの人もいます。みんな幸せが違います。思いの違いだけ、幸せの種類が変わり、思いの縛りになります。みんなから違う幸せを押し付けられたら雁字搦めに縛られます。人の思いに縛られない自分が良いです。人の思いが来たら消してもらうのです。「ありがとうございます」と唱えたら神様の光のバリアーが張られます。心に触れる前にバリアーに触れて消してくれます。人の思いの影響を受けなくなります。「ありがとうございます」を唱える人は得します。
(2001年11月3日 「 他人の思い」より)
質問者:
不幸な人を見たらただ見てるだけになりそうです。
ありがとうおじさん:
その方が理想です。マイナスに見えることが失礼です。この人は無限に輝いた立派な神様だと見るのです。マイナスに見えても私の見方が間違ってましたと思いましょう。本当は無限に輝いた神様ばかりと褒めちぎるのです。かわいそうは失礼。ほっとく方が良いです。かわいそうにと思い色々しても、自分のマイナスの思い相手に被せるだけです。助けてもらった人は幸せにならないのです。借りを増やすだけです。どんどん運命が悪くなります。感謝して拝み上げる生き方の方が相手に大きい幸せを神様の助けを与えることになります。根本から幸せになります。
(2001年11月3日 「 不幸な人を見たら 」より)
質問者:
昨晩綺麗な月を見て感動しました。
ありがとうおじさん:
天地人、三才(三才=天と地と人、宇宙間の万物)の3つの働きが一つになります。人の心は天の気象に表れます。天象に表れます。次に気象に表れます。また人に影響を及ぼします。
一番最初は人の心の持ち方が一番大事です。心が暗く沈んで悲しみがいっぱいになると天はそれに合わせて雨がよく降ります。そして洪水になりまた人は涙を流します。全部人の心は全体に大きく影響を与えます。異常気象はそうです。争いが激しいと旱魃を起こします。人の心をそのまま表してます。本当に戦争のような心になってると空が赤黒くなります。血みどろの戦いのような姿をとります。それが現実の戦争になります。地震でも予知する場合、人の心が地震の方に表現されて行きます。それで現実の地震が出てきます。
(2001年11月4日 「 天地人 」より)
質問者:
十数年ぶりに恋わずらいしてます。思いを持つことは悪いことと思っています。でも目の前に来ると仕事も手につかない状態になります。自分で自分の気持ちに火をつけてしまい、今は山火事のような状態です。一過性かも知れないし、もしそれが成就すれば物凄く私としては満足しますが、相手はどうか分かりません。でも満足すれば人の役に立てそうな、力が湧いてくる様な気がします。それならば思いを持った方が良いのではとも思いますが、やはり感謝行で思いを消す方が良いと思います。感謝が足らないと考える方が良いのですか?
ありがとうおじさん:
恋愛は2通りあります。思いからくる好き嫌いのニセの恋愛は、思いの貸し借りがあります。好きは借りが多いと好きの状態になります。借りを返そうと思い相手に対して尽したい気持ちになります。本当の恋は貸し借り無しで、相手に幸せを与え尽くしたい、自分を与え尽くすだけです。与え尽くすことが喜びの生き方です。
神様の宇宙創造がそうです。お互いに与え尽くし合って色んなものを作り出します。与え合い与え尽くし合いです。本当の喜びが湧き上がります。本当の恋愛は感謝の中から生まれます。相手に一切求めない、相手に与え尽くすだけ、相手の幸せに必要なものだけを与え尽くします。本当の恋愛です。本当の恋です。それがお互いに出来たら理想的な恋愛になります。
思いの方は相手に被せるだけ相手に負担がかかります。好きだ好きだと言われても女の人喜んだらいけません。美人薄命と言葉があります。男の人から余り好きだ好きだと思われたら早死にします。思いの縛りいっぱい被ります。一人の人の思いでも縛ります。命が縛られ動けなくなります。病気になったり場合によっては死にます。
本当に相手の幸せを願うなら相手を自由に解放しないといけません。感謝して相手に幸せを与え尽くす生き方だけをするのです。何も求めなくて良いです。必ず自分に相応しい相手が表れます。同じようにしてくれる人が表れます。今自分の前にいる人かも知れないし、別の人かも知れません。理想的な相手が決まります。まず自分がしっかりする必要があります。
(2001年11月4日 「 恋 」より)
質問者:
高齢になるに従って睡眠時間が少なくなってます。段々不安になります。余り寝ないのが本当なんだと思うことが大切なのですか?
ありがとうおじさん:
人によってそれぞれです。若い頃は短い時間で済んでたのが、歳とるにつれてよく眠る人もいます。その逆もあります。どれが良い悪いではないです。必要があってそうなってるだけです。
本当は年齢は数えない方が良いです。過去を掴むと過去の縛りにあいます。常に今新たに神様から生まれた自分と思いましょう。新しい最高の姿をとった自分です。いつも生まれたての赤ちゃんです。新しい生まれ変わりをする感謝の深い人ほど歳をとるにつれ若くなります。
まだ地球は過去を掴む思いを引きずる傾向が強いです。歳とると古くなって弱くなると考えてます。もっと進化した星だと新しい受け直しが上手にできます。年齢を重ねるごとに感謝が深くなり、輝き、若く見えます。言葉を上手に使いましょう。深くなる方が良いなら、歳をとるほど深くなると思いましょう。
(2001年11月24日A 「睡眠」より)
質問者:
先生は歌を歌った事はありますか?好きですか?
ありがとうおじさん:
あります。でも恥ずかしいです。声は綺麗です。歌を忘れたカナリアです。歌は良いです。でも言葉が大事です。演歌のもの悲しい歌詞は良くないです。悲しい歌を歌う歌手は悲しい運命を辿ります。時代によって流行歌は変わりますが、不思議と言葉通りに時代を反映します。言葉の後に世界の情勢が変化して行きます。楽しい明るい良い言葉を使ってると世の中どんどん良くなります。明るい楽しい歌が広まったら良いです。その言葉の後を全てが付いて行きます。ありがとうの歌自由に作って広めて下さい。
(2001年11月24日A 「歌」より)
質問者:
人の為に何かする必要がありますか?
ありがとうおじさん:
「ありがとうございます」を唱えることは大きい皆へのプレゼントです。神様の大きい働きを1人1人にプレゼントしてるのと同じになります。人の為にと思わなくても良いです。「ありがとうございます」を唱える事で自分に縁ある人にまず大きいプレゼントが贈られます。神様が自然にしてくれます。
(2001年11月24B 「神様のプレゼント」より)
質問者:
(なし)
ありがとうおじさん:
お祈りで「ありがとうございます」唱え始めてプラスばっかりになる人と、マイナスがどんどん出て来る人の2通りがあります。どちらも必要です。最初はプラスばっかり出て喜ぶ人が多いです。それでもお祈りが深くなって行くなら良いです。表面の小さい浅い事で喜ぶ事で終わったら困ります。
本当の深まりはどんなマイナスが出ても感謝がずーっと続く事です。本物に早くなれると思います。マイナスを恐れる必要は全然ないです。逆に心に溜まった無限のマイナスを一挙に消して貰う意味で7難8苦が連続しても構わない、そのぐらいの気持ちだとさらに良い事が起こると無限のプラスいっぱいになります。いったん覚悟を決める方が良いです。
お祈りしたらまずは借金返しと思いましょう。借金返しを先にさして貰う方が得です。7難8苦がこの一生に出ても構わないと決めとくと良いです。絶対に一生出ません。軽く軽く消して貰えます。プラスいっぱいにして貰えます。そのぐらいの気持ちで始めると物凄く楽です。
昔誰かが7難8苦を与えたまえと言いました。お祈りがあったら言っても良いです。お祈り無しに言うと怖いです。自分だけの幸せだけでなく大勢の人の幸せを同時に適えて行けます。大犠牲精神は必要です。
表面から良くして貰える生き方と、心の奥底から綺麗にして貰える生き方があります。同じ清めて貰うでも2通りあります。表面から良くして貰うとまだマイナスが心の奥底に溜まってます。表面はマイナスが出なくしてるから楽です。心の奥底から早く清めて貰う場合はマイナスがいっぱい浮き上がって来ます。その場合は清まり方が早いです。ここに来る人でも大勢の人のマイナスを背負って来る人も居ます。でもここに来るとすっと軽くなります。でも心の奥底のマイナスを消す場合は逆です。ここに来るといっぱい湧き上がります。物凄くしんどくなります。そんな時は心の奥底のものをいっぱい取って貰う時です。それでお祈りがし易くなります。人助けに運び屋、皆のマイナスを運んで来る人も居ます。本当のお祈りが深くなる本心開発は自分の心の中に溜まったドロドロのもん全部取って貰う方が良いです。普通取る場合、一生7難8苦の連続でも全部は取れません。この場所だと大きいもんいっぱい取って貰えます。1日で済むかも知れません。
(2001年11月25日 「7難8苦 」より)
質問者:
現在の流通・経済システムは新しいものに置き換わりますか?
ありがとうおじさん:
因縁因果の法則としては、「与えて物が与え返される」というのが法則なんです。ただ、間にお金が入ってきます、人と人との信用の約束事みたいなものです。ただそれはチョッとずれているんです。日本は人件費が高い、外国には十分の一ぐらいの所もあります。同じ働きをしたのに十倍もらう所と、その十分の一というところがあります。どちらに価値があるかと言うと、安いほうに価値があります、同じお金でも十倍の価値があります、同じ働きをしています。
給料の高いほうは借金をしているんです、安い所のものを買ったとしたら、十倍の借金を積み重ねたことになります。因縁因果の法則からするとそうなります。日本でたくさんお金もうけして、安いところで物を買って贅沢して得したように思うんですが、違うんです大きく借金を積み重ねた事になります。それだったら最初から安い給料で、ほどほどに贅沢しないほうが良いんです。
歴史を見てもそうだと思いますが。最初は安い給料で働いて安いものを世界に輸出してドンドン栄えます、でも、人件費が高くなってくると必ずダメになっていきます。法則的にはそういうふうに自然になっていきます。
だから、人の幸せのためにと、与える量をふやすのがいいのです。これは、ただで与えても良いんです、ただで与えたらただで返って来ます。神様の世界がそうです、ただで報いを求めないで与えるんです。与え合いによって極楽世界に住むんです。お金にならないから働かないのはもったいない、人の幸せのためだったら小さい事でも何でも、喜んでするのが良いんです。
(2001年12月1日 「新しい経済(因縁因果の経済) 」より)
質問者:
白内障がなかなか治りません、どんなふうにお祈りしたら良いでしょうか?
ありがとうおじさん:
目というのはものを見るためにあります。神様が何のために与えてくれたかと考えてみると、神様の最高表現をしっかり見て味わってほしいんです、プラスばかりを見てほしいんです、マイナスは見てほしくないんです。プラスを見る心になれば、目は必要あって自然に良くなっていきます。
(2001年12月1日 「寝ても覚めても寝言でも 」より)
質問者:
私は、胃と耳が悪いんですが、どういう意味がありますか?
ありがとうおじさん:
耳はいろんな人のアドバイスを意見を助言を素直に聞く働きをします。神様からの助言は素直に聞くほうが良いでしょう?えり好みをして、これは聞くけれどこれは聞かないというと聞きたくないというようになります。なんでも従順に聞き入れようという素直な心になっていると楽です、一旦は聞いてそれを選別していいものだけを取り込めばいいんです。が、最初から全部聞きたくないとなると、聞こえると困るんです。一旦は受け入れるという気持ちになれば、自然に聞こえるようになります。
胃というのは心とも言います。心が心配事や悩み事で暗くなるんです、なっていませんか?心を痛めると胃が痛みます、心配性の人が多いんです。楽天的に明るくなったらすべて消えてしまいます。だから、プラスだけを集めて数え上げてという生き方が良いんです。プラスとマイナスがたくさんあっても、プラスだけを選んで数え上げたら良いんです。そしたら、幸せな明るい心になって、心を痛めなくなります。そしたらすぐ消えます。
(2001年12月1日 「 胃と耳 」より)
質問者:
マイナスの言葉を使ってしまったその後は、どうしてそれを消したらいいんですか?日本人は謙譲の美徳で「私は、だめな者です」と言ってしまいます。
ありがとうおじさん:
それは謙虚ではありません、卑下慢(ひげまん)自分を下に落とす卑下する言葉です。そういうマイナスの言葉を仮に使ってしまったら、「神様、ごめんなさい」でいいのです「ありがとうございます」で消してもらいます。それと正反対の、本当の自分は無限に無限に素晴らしいものを与えてもらっているんだというふうに、感謝していたらそれで十分です。
(2001年12月2日 「 マイナスを消す言葉 」より)
質問者:
悪の限りを尽くした人でも、言葉一つでころっと変わることができますか?
ありがとうおじさん:
はい、なるんです。
・・・本人が、何が正しいか気付いたら・・ですか?
そうです、本人が何を神様から受け取るかなんです。マイナスの姿をとり続けたのは、神様からいいものを受け損なった結果なんです。マイナスの番組に波を合わせて、それを引っ張り出してきただけなんです、悪い役の自分を引っ張り出していたんです。それはもう過去の話です、過去の惰性を断ち切って、今、神様の方へ心を向けて、神様の最高番組を・その姿を引き出せば、大悪人が大聖者の姿をとります。瞬間に、過去は無関係です。
たとえば、悪いことをし続けて死刑の判決を受けたとします。でも、その人が過去の姿を放して、神様からいい番組・最高番組を受け取ったとしたら、死刑は免除されます。運命ががらっと変わってしまいます、別人のようになってしまいます。死刑判決で牢屋に閉じ込められて、ところが無限に輝いた姿になって「あなたは、誰ですか」と言われます、「何でこんなところに入っているんですか?出て行きなさい」と追い出されます。別人になってしまいます、周りから同じ人に見えなくなります。それだけ中から変えられてしまいます。
(2001年12月2日 「(2001年12月2日 「 マイナスを消す言葉 」 」より)
質問者:
拍手にはどんな意味がありますか?
ありがとうおじさん:
左がプラス・陽で、右がマイナス・陰です、陰陽を合わせて打ったら火花が飛ぶような感じで、その人の心境に応じた強い響きが出ます。神社は一番奥に「ありがとうございますの神様」が控えています、その下にいろんな段階の神様がいらっしゃいます。神社にお参りすると拍手を打ちます、その時に自分と波長の合う神様に先ず届きます。その神様が一番上につなぐ役目をします。そういう意味で、強い響きを出さないと通じないんです、それで拍手を打ちます。
雑念が出るときに拍手でパンパンと祓ってもらうほうが、お祈りしやすいという一面があります。自分の中から強い光を引っ張り出してもらうときに、強い光を出してもらう働きがあります。
(2001年12月2日 「(2001年12月2日 「拍手 」より)
質問者:
お祈りをしていると知らぬ間に雑念が出てきます。
ありがとうおじさん:
お祈り中に雑念が出ることは良いことなんです。心の底にた溜まったものを神様が中から浮かび上がらせるんです、大きい光で浮かび上がらせて消しながら「これだけ消したよ」と万分の一だけ残して消してくれます。雑念がでた一万倍以上の思いを消してもらったと、喜ぶ確認のために浮かぶ出てきます。すごい得をしたでしょう!
(2001年12月2日 「(2001年12月9日 「雑念」より)
質問者:
小さいときから甘えん坊で何をするにも遅いんです、大学を出た今でも就職をせず社会に適応できないでいます。こんな私でも世の中のためになれるんでしょうか?
ありがとうおじさん:
言葉の使い方はとても大事です。親が「早くしなさいよ」と言うときは「遅い」と言っているんです。いつも「遅い・遅い」と言っているような感じになります。それが縛りとなってそれが叶ってきます、子供の方もそれを叶えようと「遅くしてあげよう」とします。「勉強しなさい・勉強しなさい」と言うでしょう、それは「勉強できていない」という言葉の縛りになります。そうしたら、「母親は、勉強を望んでいないのかな?」という感じに(子供は)なります、そうしたら勉強しない状態に自分を置きます。
だから、ペースの遅い子には「もっとゆっくりしなさい」と言わなければいけない、「ゆっくりしなさい・ゆっくりしなさい」と言われたら早くします。逆みたいですが、「まだ余裕があるから、ゆっくりしなさい」と言うとペースが早くなってきます。 本当の言葉の使い方は、プラスに変えていくことです。
(2001年12月2日 「(2001年12月9日 「言葉の縛り」より)
質問者:
太陽を思い浮かべて思いを消してます。
ありがとうおじさん:
良いです。太陽を相手にすると、太陽から大きい助けが来ます。
質問者:
お月さんを思うのはどうですか?
ありがとうおじさん:
それも段階によって色んな瞑想の仕方とかあります。お月さんを思うより太陽を思う方が明るくなります。もっともっと明るい方に心向ける方が良いです。明るいほど番組も高いです。
質問者:
地球はどうですか?
ありがとうおじさん:
低いです。光の強さの意味では太陽が1番強く、次にお月さん、地球の順番です。見方を変えれば地球も素晴らしいです。
質問者:
太陽の光も日々変化してますか?それは良くなってますか?そう意識する方が良いですか?
ありがとうおじさん:
一瞬一瞬です。良くなってます。まだ奥には感じられてない光がいっぱいと思う方が良いです。
質問者:
太陽をプリズムで見ると7色の光が出て来ます。太陽の光そのものの方が波動が高いですか?
ありがとうおじさん:
はい。根源の方が響きが高いです。末端の方は枝分かれして、響きが落ちます。
質問者:
太陽の方が我々に合わしてくれてるのですか?
ありがとうおじさん:
両方から合わしてます。太陽の方からも合わせてくれるし、受ける側からも上手に自分が受けられるだけを受けてます。
質問者:
太陽の温度は科学的に推定すると6千度だと言われてます。本当はもっと低いと言う人も居ます。実際はどうなんですか?
ありがとうおじさん:
もっと高いかも知れないし、低いかも知れません。実際奥が火の玉ではないです。人も住んでて調和した姿を取ってます。今の地球に合わせて太陽が光の玉の様な感じで光と熱を送って来ます。
質問者:
太陽の奥には生命体が居て、その生命体からも精妙な波動が送られてますか?
ありがとうおじさん:
そうです。そこに住んでるレベルの高い大勢の太陽神から大きい光がすーっと流れて来ます。
質問者:
太陽にはかなりの生命体が居ますか?
ありがとうおじさん:
たくさん居ます。例えばこの地球で60億住んでます。有限です。でも次元が変わればいっぱい居ます。全部合わせたら無限です。
質問者:
太陽にも色んな種類の生命体が居るのですか?
ありがとうおじさん:
そうです。
質問者:
受けてのレベルによって受けられものと受けられないものがあるのですか?
ありがとうおじさん:
そうです。皆感じてるものは無限の中の1つぐらい、ほんの少しぐらいです。
質問者:
太陽が人の住める様な温度で森もあって水もある事を6、7年前に植物と話しをする人を通じて知りました。たまたまアメリカの科学雑誌にも載ってました。その人達は植物を使って知っていたのですが、なぜ先生は知ってるのですか?
ありがとうおじさん:
無限の無限のチャンネルの上には本当に調和した姿ばかりです。どんどん下がって来てこちらに合わせて火の玉になってるだけです。神様の最高表現はそんな小さいものではないです。本当に素晴らしいもんばっかしです。
(2001年12月22日 「太陽 」より)
質問者:
「ありがとうございます」を唱える時良いアイデアが浮かびます。これは使っても良いですか?
ありがとうおじさん:
良いです。プレゼントいっぱいです。
質問者:
手仕事をしながら「ありがとうございます」を唱えると仕事がはかどると思います。仕事をしながら唱えても良いですか?
ありがとうおじさん:
「ありがとうございます」と唱えながら何をしても良いです。何しても神様が大きく応援して、どんどん良くなります。仕事してもどんどん能力が伸びます。スピード化します。また疲れなくなるとか、良い事いっぱいになります。感謝しながら「ありがとうございます」唱えながら何でもした方が良いです。何かしながらだと感謝を忘れる事があります。感謝しながらだと何しても良いです。全て良くなります。
質問者:
感謝の念を絶えず持つようにしながら「ありがとうございます」を唱えた方が良いですか?
ありがとうおじさん:
感謝の心が出て来る意味ではなく、ただ唱えるだけで良いのです。最初神様を呼ぶ事が大事です。それに伴って自然に感謝の心が湧き上がって出て来ます。嘘でも良いです。空念仏でも良いです。「ありがとうございます」と唱える事で神様を呼ぶ事になります。神様にお任せです。神様が力振って感謝の心湧き上がらせて下さるし、全てを良くして下さります。口に出す事も良いですし、心の中だけで本当は良いです。心の中で唱えたら神様にちゃんと通じてます。
質問者:
「ありがとうございます」と唱える時は感謝する事に囚われるのではなく、自然に感謝が湧いて来るのを待つのが良いですか?
ありがとうおじさん:
今までの色んな宗教の教えが逆に教えていました。感謝しなさい感謝しなさい言います。感謝出来ないのに無理にさせ様とします。本当は逆なんです。神様の助けを受け入れる時期が来たら自然に神様の助けが先に入って来ます。その入った結果が「ありがとうございます」の気持ちに変化します。また神様を呼ぶ「ありがとうございます」を唱える様になります。時期がくれば必ず「ありがとうございます」を唱えます。これも神様の助けを受けて唱えさせて貰います。その実感も段々と深まって来ます。そのままで良いです。
(2001年12月23B日 「唱える時 」より)
質問者:
ローソンでカップラーメンを買って定員さんが言う「ありがとうございます」も自分に祈ってくれてるのですか?
ありがとうおじさん:
「ありがとうございます」唱えてる限りそこに神様が降りて来ます。その店繁盛します。いっぱい良い事起こってます。そして良いお客さん行きます。だから思いがあっても関係ないです。「ありがとうございます」が加われば思いがあっても必要なかったら消してくれます。その思いも活かしてくれます。プラスばっかしになります。
(2001年12月24日 「「ありがとうございます」が加わるだけで 」より)
質問者:
友人は自分が楽しめないと世の為人の為に尽くせないと言います。世の為人の為の考え方を教えて下さい。
ありがとうおじさん:
自分の為が根本にあると思います。自分が幸せになる為にどんな生き方が必要かです。最高の幸せを掴むのは極楽番組に波長を合わせる意味で必要です。極楽世界はどんな世界かしっかり見れば自分がどう生きれば良いか分かります。極楽世界は自分の事を忘れて人の為だけに尽くします。自分と同じ様な人が極楽世界にいっぱい居ます。皆自分の事忘れて人の為に尽くす人ばっかしになります。それも働きもんばっかしです。必要なものいっぱいあります。困る事全然ないです。皆がご馳走食べたいと思ったらお箸を持って集まります。断るのが大変です。その中から自分の欲しい物をちょっと頂くだけで済みます。でも地獄は逆です。自分の欲しい物を人から奪おうとします。そして回りの人も同じです。皆から奪われて仕舞います。少々奪って来ても全部奪われて仕舞います。自分の体バラバラにされて奪われて仕舞います。どんな生き方が一番幸せかそれを選ぶのが大事です。幸せになる為だったらまず自分を忘れて人の為に尽くすのが正しい生き方です。自分を先に優先したら地獄に行きます。
質問者:
自分が極楽番組に行った時の喜びより、回りの人を極楽番組に行かせてその人が最高に喜んでるのを見る喜びの方が大きいと思います。でも行かせてあげ様と思う事はお節介になりませんか?
ありがとうおじさん:
自分に波の合う人が集まります。まだ自分の助けを受け入れ様としない人は集まって来ません。自分の助け受け入れて喜んでくれる人が集まります。自分と同じ様な人が集まります。だから全部プラスになります。
(2001年12月24日 「 世の為人の為 」より)