ありがとうおじさんのお話から その3
前ページから続く、ありがとうおじさんのお話からの抜粋のつづきです。
以下、ありがとう広場より抜粋(カッコ内は日付と題名)
☆ありがとうございますにすごくパワーがあることに気付いた経緯について聞かせてください。
ーおじさんー
小さい時から、三歳くらいからありがとうございますをズーッと唱えているんですけど、もうズーッとです・・神様の不思議な力に圧倒され続けていつも奇跡の連続です。最初のころはこの世的な奇跡という感じで病気がパッと治ったり不思議なことがいっぱい起こるんです。最近の奇跡は新しい宇宙をもらうような大きい奇跡です。
地球一個もらっても嬉しいですね、大きい宇宙をもらったらもっと嬉しいんです。それもこの世の宇宙ですけど、無限の無限のチャンネルごとに全部宇宙があってその全部をもらうともっと嬉しいですし、そういうワンセットの無限の無限の宇宙というのがまた無限に無限にあるので、神様の与えてくるプレゼントは底知れないです。
それも一瞬という無限億万分の一秒で置き換えてくるのでこれもまた凄いです。どこまでも受け切れないで圧倒され続けているという感じです。だから今の一瞬一瞬新たに受けなおすことだけが大事という感じでお礼も追いつかないです。ありがとうございますとどんなに早く言おうと思っても言えない・・万分の一秒で言っても追いつかないんです。一秒間に一万回言うのは大変ですけど、それだけ言ってもお礼の感謝にならない・・感謝が追いつかないから、本当に圧倒され続けているという感じです。神様って凄いなぁという、ますますその凄さが判ってくるような感じです。
小さい頃は、不思議なことがいっぱいありましたけどやっぱり小さい奇跡です。それは手品みたいなものです。本当の大奇跡で新しい宇宙を一瞬一瞬与え続けてもらうことです。受けたのが自分なんです。受けた中でも小さいものを掴んだら、その小さい自分がその場に残る訳です。だから掴まない方がいいです。受けたらすぐ放して新しいものを受けとる方がいいです。肉体を、これが自分と掴むのはかなり古い小さいものを掴みすぎているんです。宇宙が自分というくらいに受け取る方がいいです。それも新しい宇宙新しい宇宙というふうに・・。神様のプレゼントは本当に無限に無限にいっぱい与えてもらって、その中のひとつしかみんな受け取っていないです。それだけ無限の選択肢を与えて自由を与えて幸せを与えてくるんです。
だからどんな生き方をしてどんな受け方をしてもいいんです。絶対自由を縛られずに一瞬一瞬大きい幸せを掴んでいけるんです。小さい子が無限に素晴らしいおもちゃをいっぱい無限にもらうとします、ひとつづつ持ってでないと遊べないですけど無限にあると思うとどれを取ってもいいんです。無限にいっぱいあると思うとどれを取ってもいいからどのおもちゃで遊んでも幸せなんです。その中からひとつだけと決められると、ひとつしかないの?となるんです。縛られた感じで、他のおもちゃが欲しい・・となるんです。でも神様はそういう自由を絶対に縛ってこないです。無限のおもちゃを与えて自由に選ばせて自由に楽しませてくれる、そして人の幸せは絶対に崩れなくしてくれるんです。それを例えたらおもちゃになるんですけど、もっともっと凄いものを与え続けてくれるんです。ありがとうございますの本当の力というのはそういう意味です。神様からのプレゼントを受けやすくしてくれるんです。どこまでもどこまでも・・・。
普通は肉体の自分と思い込んでしまっています。思いの自分があるんです。私も小さい時はそういうのがちょっとあったんですけど二十歳の時にそれがスッと消えた、消してもらえたんです。それまでは、肉体を自分と思うと人生の目的を考えてもなかなか判らなかったです。でも思いの自分が消えて、魂の自分も小さいのが消えて大きく宇宙大に拡がるんです・・意識がスッと広がると自由になるんです。それでもまだ小さい自分ですけど、その自由になったときから神様の心がスーッと入ってくるんです。そうすると人生の目的がスーッと定まってくるんです。
だから何も思わないのがいいんです、阿呆になるほうがいい・・阿呆になったら勝ちです。肉体を持っていても自分が肉体でないことがよく判るんです。
(2002年4月19日 「新しい宇宙をもらうような大きい奇跡 」より)
☆サイバー村をやる為にある会社組織に入って東京へ出て、始めは何とかしようという感じでいたけれどどうにも動かない・・そのうちこれは神様にお任せしようという気持になって、それから少しずつ動き出した気がするんですが会社に戻ると、どうなっているのかと企業としての数字的なことも聞かれます。
・・その辺はどんなふうにやっていったらいいですか?
ーおじさんー
今のままでどんどんよくなっていきます。お任せの気持ちがあったら神様が全部動かすんです。神様が動いてくれるんです。特に人と人の繋がりなんて縁を結ぶのは神様しか出来ないです。神様が全部してくれているのに人の方が邪魔するんです。
だから邪魔するのさえ止めたらいいんです、そうしたらスムーズにスッと動くんです。企業でもそうです。神様はその企業を通して世の中をよくしようとして、またそこに努める人をも幸せにしようとして働きます。ところがその企業が利益を追求しなければ・・と、そういう思いを出すだけで神様の働きを邪魔するので、それでうまく立ち行かなくなるんです。だからそういう余計なことを目標にしたり思わなかったらどの会社でも栄えるんです。
神様が経営者なんです。全ての、本当の社長は神様です。肉体の社長はそのお手伝いをちょっとするだけです。神様を中心に置くのが一番です。そうしたら力を振るってくれるから、皆が幸せになるようにしてくれます。
神様のすることはお金儲けじゃないです。みんなを幸せにすることです。そうしたら周りからも幸せを与え返してくるんです。いずれはお金が必要なくならないとおかしいです。いいものの与え合いがいいです、必要なものの与え合いが理想なんです。
お金を間に挟まない方がいいです。利益追求なんて馬鹿です。一人でも幸せになる人が増えてくればいい、必ず自分もその分幸せを大きくしてもらうんです。だから、お任せでそのままでいいんです。神様の方から大きく力を振るってくるからどんどん開けてくるし良くなってくるんです。
(2002年4月19日 「縁を結ぶのは神様しか出来ない」より)
☆もしかしたら、あっちの方がよかったかなと思ったときも、ありがとうございますで・・・。
ーおじさんー
それで全部いいんです。ひとつ選んでしている時もいいしふたつともしている時もいいし全部いいんです。神様に全部してもらって自分はありがとうございますと受けるだけです。でも自分の予想以上に何でもみんな不思議によくなるんです。とんとん拍子によくなる・・みんな予想を外れてしまうんです。自分の力じゃ全然ないです。神様が大きい力を振るってくるんです。特にありがとうございますを言い始めたら神様が働きやすくなって、予想を外れてどんどん良くなってしまうんです。だから神様がすべて働いているだけ、人のほうはそれを受けるだけなんです。
(2002年4月19日 「みんな予想を外れてしまう」より)
☆たくさんの幸せの中からひとつ選択するというのは、自分の置かれている環境の中でたくさんの喜びに気がついていくということですか?
ーおじさんー
神様の与えてくるものは無限の無限の輝きがいっぱいというワンセットで、これが宇宙なんです。全大宇宙で無限の無限のチャンネルなんです。それが全方向から自分の方へ飛び込んでくるんです。それがトコロテン式に奥にいっぱい詰っているという感じで、それで無限の無限の輝きが無限の無限にいっぱいという姿でいつも自分の中に飛び込んで来るんです。それと同時に自分の中から外へ放射されるんです、飛び出していくんです。その循環、繰り返しがいつも行われているんです。
本当の自分はいつもそれだけのものを与えてもらって自由に何でも受けられるようになっているんです。自由だから何を受けてもいいという感じでひとつ受けていくんです。そのひとつ受けた中からまた小さくひとつ受けていくんです。また小さく受けて・・という感じで、それは一瞬一瞬置き換わるんです。掴んでいたら本当に馬鹿を見るんです。その変化が無限億万分の一秒で変るんです。一秒じゃないです。それが感謝行の奥へ入った状態です。
(2002年4月19日 「神様が幸せの本体」より)
☆お祈りの時に息を一分間止めて深く入るということで瞑想に深く入るというのは、どういう方向に入っていくことなんですか?
ーおじさんー
本当は肉体を忘れることなんです。肉体感覚を忘れた方がいいです。五感をなくして六感も無くして奥へ直感で感じる世界へ入れるのが一番理想なんです。
長い時間があったら丹田呼吸で静かに細い呼吸でズーっと祈り続けるんだけど一分間のお祈りというと時間もないから、その時は一分間くらい呼吸を止めても大丈夫だから、呼吸を止めて肉体感覚がないくらいの状態に静かに自分の心を整えてしまうんです。そうするとフッと深く入るから・・。
(2002年4月19日 「肉体を忘れること」より)
☆普通は、なかなかそこまでは気付けなくてただの感謝の言葉だと思ってしまいますが、深い意味があるんですね・・。
ーおじさんー
そう。深いです。だから日本はそういう意味で幸せです。こういう素晴らしい言葉を自然に準備されているでしょう。日の丸の国旗もよく似たような感じです。太陽の愛の心をそのまま表現したような感じですね。外国も国旗を定めているんですけど、なんで先に日の丸を選ばなかったんだろうと思うんですけど不思議なんです。外国は日の丸を選んでいないんです。日本が先に決めたんじゃなくて外国の方が先に国旗を作っているはずなんです。他の国が日の丸を選んでも不思議はないのに選んでいないのが、また奇跡みたいなものですね。
(2002年4月19日 「日の丸」より)
☆周りを見ると生活の為やお金の為に天命に背を向けている人がたくさんいるように思いますが・・・?
ーおじさんー
いいえ・・みんな天命に向かっているんです。ちょうど彫刻を彫るという感じで見たら、要らないものをどんどん彫って捨てないといけないんです。詰らないものと見えるのはその彫刻の彫り屑みたいな感じです。それを出せば出すほど彫刻はどんどん掘り進むので見方によったらそれは天命をどんどん表に出していくような感じです。だからマイナスを撒き散らしているように見えるときほど彫り屑がいっぱいで彫刻は進んでいるということで、ただその彫り屑を掃除しないと気付かないんです。時期が来ないと掃除しないんですけど時期が来て感謝し出したら一気に掃除してくれる、消してくれるから、その時気付くんです。それで過去の全てが良かったと思うんです。
彫り屑というのは、思いや過去の残像みたいなものです。自分にとっては自分の全てがだんだんと気付かせてもらって判って来るんで、人も人なりに判っているんです。だから周りの人の姿を見てお節介にあれこれ思わないほうがいいぐらいです。どんなことをしていてもみんな最短コースを歩ませてもらっています。それが必要な途中の過程になっているから必ず良くなるんです。感謝したら気付きも増えて幸せになるのにと感謝できてる人は普通は思うんですけど、時期が来なかったら出来ないんです。
時期を間違えて教えても邪魔するだけです。本当にそうなんです。進歩を遅らすだけなんです。ちょうど花でも種を撒いて芽が出て太陽の光を浴びてどんどん成長するんですけど、弱い時は太陽の強い光を浴びたら枯れてしまいます。最短コースを歩ます意味で空に雲がかかったり日陰を作ったりして上手に神様がしてくれるんです。いろんなこと全部が神様の無限の無限の護りの中で動いているから悪くなっているんじゃなくて、選択肢は無限にあってどの道を選んでも幸せになるようになっているんです。無限の中で一番最高のものを選んで幸せになるんじゃないです。そういう与え方じゃないです。無限の選択肢のどの部分もどの道も最高の幸せになる道なんです。
(2002年4月19日 「彫り屑がいっぱい出して彫刻は進んでいる」より)
☆今の時期ということで、21世紀になって今までの常識が通用しなくなって・・就職してもずっと続けられるかどうか判らないし、すごく不安ですよね・・そういう事も関係しているんでしょうか?
ーおじさんー
そうですね。過去に積み重ねたものが全部崩されてしまうというか砕けるんですね。崩れてしまうから頼るものがなくなります。そこに本物が出て来て、受けなおそうという気持になるんです。
神様の方はいつも新しいものをどんどん与えてくるんです。過去の生き方は過去の古いものを積み重ねただけです。いつまでたっても新しいものを受け取ってくれないからと神様の方は嘆いていたんです。それで古いほうを崩すお手伝いをちょっとするんですね。バブルの崩壊もそうだけど、古いのを積み重ねたものはもう要らないよという感じで、ちょっと砕けるように手伝ってくれただけでみんな崩壊するんです。
その時に初めて、新しいものを受けないとという感じで気付くんです。古いものを掴んでいても本当は苦しいだけなんです。戦争の原因が全部そうです、過去のマイナスの姿を掴んで恨んで恨んで・・仕返しばっかりをし合っているわけです。世界の歴史、戦争の歴史は全部そうです。過去の恨みの繰り返しなんです。過去を一切掴まなかったら即平和なんです。愚かしいことをしているんですけど、それに気付き始めているんです。だから難しくない、単純なことなんです。
(2002年4月19日 「は我が疲れ果ててしんどくなる時期」より)
もともと神武建国という意味も・・神武という言葉はいいでしょう・・神に武道の武ですけど、武は矛を止めるという意味で、矛というのも相手をやっつける武器みたいなものですけどそれを止める、争いの心を鎮める愛の心をそこに大きく現すという言葉です。神様がそういう武の姿をとって現れるのが武道ですけど、神武不殺という言葉もありますけど、神の武は絶対に人を殺さないんです。すべてを生かすんです。だから争わずして全てを調和させていくんです。そういう役目として日本が誕生している筈なんです。だからそういう大きい役目が全ての分野で起こらないとウソです、科学や芸術やとあらゆる分野で起こらないとこれは本物にはならないです。ひとつの分野だけでは足りないですから、これから全ての分野のいろんな本物の働きをさせていただいている人が手を取り合って世界を変えていくという、これが世界維新なんです。それも過去の積み重ねじゃないんです、新たに新たにいいものが降りてくるんです。それで古いものと新しいものとの置き換えです、どんどん新しいものと置き換えてくださる、それでどんどん変化するんです。今までは日本の国もそうですけど、どうしても西洋のあり方から影響を受けて、どうしても現実だけを重視するという生き方を取りすぎたんですね。これは日本の国の心とちょっとズレていたと思うんです。
(2002年4月20日B 「神武」より)
☆私は今日初めて来たんですけど、このシールを貼っていることの意味は何かあるんですか?
ーおじさんー
代わりにお祈りしてくれているんです。ありがとうございますと代わりに・・もうズーッと、24時間勤務でありがとうございますを言ってくれてるんです。だから貼った人は、このありがとうございますを自分の方へ全部もらうんです。凄いですね、貼ったら得します。どんな貼りかたしてもいいんです。みんなに光を振り撒いてくれています。これを見たらありがとうございますとみんな自然に心に唱えますね。祈りあいになっています、不思議な相乗効果を起こしていきます。光の渦巻きが起こります、シール同士が感謝し合っているんです。
(2002年4月20日C 「祈り」より)
☆ここへ来るようになって自分的には感謝が出来るようになって幸せなんですけど、こういうことを知らない人との間でちょっと話が合わなくなって来ているんですけど、その辺りをどう考えたらいいんでしょうか?みんな自分が自分がと言う時に私は神様にお任せですとか言いにくい自分があるんですが・・。
ーおじさんー
これはかたちに出さなくってもいいんです。心の中だけでいいです、ありがとうございますを唱えるのも心の中だけだったら周囲に影響を与えないですから、それだけで神様は自分を通して周りの人も一緒に助けてくださるんです。だからそのかたちで自分は感謝に生きるといったら感謝に生きようとしていない人にとってはこれは対立するんです。だから外は隠していいんです。心にありがとうございますがあったら相手に合わせながら神様の助けをそこに加えていただく生き方なんで、自然がいいんです。表面が合えば合ったでいいですし合わなかったらもう控えめなのがいいです、相手の方を立てておけばいいんです。それで心ではありがとうございますで神様の助けを皆に振り撒いてもらえばいいんです。
(2002年4月20日D 「相手を立てる自然なつきあい」より)
☆ここへ来る途中で綱引きの練習を見ました。おじさんは綱引きの指導もされているということですが、綱を引くときに「エー」と発声しながら引くようですが「エー」という言葉からどういうものを引き出せるんですか?
ーおじさんー
「エー」というのは言霊的に愛の一体感なんです。「エー」というと一体化する響きがあるんです。相手との一体感なので、綱引きの場合は勝ち負けでするんじゃなくて相手からいいものを引っ張り出してあげようと、自分の中からいいものを引っ張り出してもらおうという意味で、最初から一体感でお互いのよさを引き出しあうんです。だから感謝し合って喜び合っていいものをいっぱい輝かしてという感じです。もともとは綱が神様の宇宙創造の働きを表していて右に左に捩れて合わさっているという神様の最高表現を象徴しているんです。注連縄もそうなんですけど神様の最高表現、天照大御神様の象徴なんです。その綱を握ることによって神様のいいものをいただくという意味もあるんです。そして神様を通してお互いのよさを引っ張り出し合って輝こうという感じです。
(2002年4月20日D 「「エー」は愛の一体感」より)
−質問者−
昨日のお話しの中で、母音の持つ力ということで、「う」という響きが重いものを持ち上げる時に助けになるとか。「え」が一体化する助けになるというお話でした。その他、「あ」と「い」と「お」それから、ハミングの「ンー」、その辺りの意味を教えていただきたい。
−ありがとうおじさん−
みんな意味がありますね。
「あ」はやっぱり明るく光り輝いた姿をとるんでね。「あ」というだけで全体に大きい光を与えますよね、「い」というと本当に命の「い」なんですこれも机みんなを活き活きと命輝いた状態にするのね「い」という言霊もね。「う」はやっぱり生み出す働きもあるし、動かす働きもあるんですよね、「う一」という言霊で重たいものでも動かせるのね。「え」はやっぱり、一体感ですね、全て一体という、命の光の交流を起こす言葉ですよね。「お」というのも、これは神様を自分の中へ降ろす、神様を受け入れる言霊ですね「お一」と言うと神様は降りてくるんです。「お一い」って呼ぶんでしょう。
−質問者−
お祈りのテープの「おー」もそうですね。
−ありがとうおじさん−
そうですね、あれは降神の祈り神様を降ろす祈り、降神の響きなんですね。
−質問者−
「えい」というのは何ですか。
−ありがとうおじさん−
「えい」というのはね、「え一」は一体感なんですけど、「えい」となると切るんですね、「えい」となると切ってしまうんですね。切ると言っても悪い意味で切るんじゃないんですね。
例えば、「火を切る」というたら燃え上がるでしょう、良い意味の本当は切るなんですけどね「えい」というのでもね、この場合の気合の「えい」はね、(バックの祈りのテープ)いろんな思いが、黒くもがバーっと漂ってるでしょう、それを切り開くような「えい」ですね。
そこへ光をパッと現すような「えい」なのね、だから、思いを消し切って良いものを一杯そこへ現すんですね。それで「えいっ!」という気合でそこを輝かしてしまうというような感じですね。
−質問者−
「はい」はどうですか。
−ありがとうおじさん−
素直な、そうね、みんないろんな意味がありますね「はい」もそうですね、本当に素直な自然にスッと受け入れるような心ですね、「はい」ね。
「阿吽」の「ん」ってね、締めくくりですよね、宇宙の全ては今の一瞬新しく生み出されて、その一瞬に完成するんですよね。「阿吽」というのは同時に今ここにあるんですね。
だから「あ」は最初の出発点ですね、創造の出発点ね。「ん」で完成なんですね、一瞬一瞬が創造されて完成して、その完成の連続なんですね、一瞬一瞬がね。だから、「あ」と「うん」で、セットなんですけどね、本当はね。
(2002年4月21日 「母音の持つ力、言葉の音の意味」より)
質問者:
「ありがとうございます」より「無限の無限のありがとうございます」の方が光が大きいですか?
ありがとうおじさん:
大きいです。「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯」というふうに唱えると、無限に無限に輝いた光体が全方向からところてん式にどんどん自分の方へ飛び込んで来ます。天からだけではないです。地からも右からも左からも何所からも全方向から飛び込んで来るように感じて来ます。それが外から来るだけでなく、自分の中からも外へ放射されます。
(2002年5月4日 「 「ありがとうございます」と「無限の無限のありがとうございます」」より)
質問者:
過去を掴まない方法がありますか?
ありがとうおじさん:
一番良い方法が神様へ心を向けることです。神様へ心向けた状態は無限の無限のプラスの言葉を使った時です。だから「無限の無限の幸せで一杯」と言うと神様へ向いてるからその時は過去を掴まないです。「無限の無限の」をつけると良いです。必ず神様へ照準が合います。それで「ありがとうございます」を言ってたら十分です。過去なんて自然に離れて仕舞います。普通選択肢が少ないのです。この世でもこの世だけが全てと見ると執着します。でも無限のチャンネルがあると思ったら執着しなくなります。幸せも同じです。「この幸せしかない」というとしがみ付きます。「無限の無限の幸せ」と言ったらしがみ付きません。それで過去は一切掴まなくなります。「無限の」とか「無限の無限の」とか言葉を付けると選択肢が無限に広がります。そしたら執着しなくなるから掴まなくなります。それで新しいもん神様から受け直せます。だから「無限の」を付けると良いです。
(2002年5月4日 「過去はいらない 」より)
質問者:
かぜ、腹痛、腰痛など痛みがあってしんどいです。その痛いしんどい思いをどう感じれば良いのですか?
ありがとうおじさん:
本当は肉体を忘れる方が良いです。「私は命だ神様だ」「無限に無限に輝いてる」ぐらいが良いです。「無限に無限に輝いてる自分」「ありがとうございます」が良いです。そうすると変化が早くなります。その痛みやしんどさ全部心のお清めになっています。心に溜めたマイナスを形に表して消し続けてくれてます。本当はそれも大きいプラスの働きです。マイナスじゃないです。大きいプラスの働きです。幸せを大きくしてくれてる働きです。それも本当は喜んで受けたら良いのです。ちょっと痛いとかしんどい時はマイナスに見がちです。それもプラスに見た方が良いです。痛いほど心が清まります。肉体に現れてくる色んな症状は心を正しくする為の働きです。だからマイナスじゃないです。それを早く変化させる意味で「ありがとうございます」と神様の方へ心が向くと置き換えが早くなるから、同じ心を綺麗にする働きでも時間的に早く早くしてくれるから、楽になるのは早いです。
(2002年5月4日 「 痛み」より)
質問者:
実践しないと結果が出ないと思います。
ありがとうおじさん:
いえいえ。瞬間に移動するようなものです。今マラソンは2時間かけて42キロ走ります。それが神様だったら一瞬に瞬間移動して出発点からゴールまで行きます。全てがそうです。何でも問題が起こった時に問題を解決しようと思って色んな方法を講じて行きます。でも神様の方は先に既に完成された結果をさっと出して来ます。途中は本当はどっちでも良いのです。回り道したい人はクルクル回れば良いです。
(2002年5月5日A 「成功哲学 」より)
質問者:
神様の中へ飛び込むをもう少し詳しく教えて下さい。
ありがとうおじさん:
自分が肉体とか魂と言うと器があります。器の中に神様の働きを入れようとしても1筋か2筋の光です。それで一杯になって仕舞います。だから先ず自分を消さないとあかんです。自分の命を全て神様に捧げる気持ちで感謝行をしてると全部消してくれます。その神様の中へ飛び込む事によってどんどん神様と一体化してきます。だから意識だけがあります。先ず透明人間になります。その透明人間が神様の意識の中心に置かれたら神様の働きが、どんどんどんどん飛び込んでくるし中からも放射される姿を取るし、神様の働きだけが感じられる状態になります。これも言葉で表現出来ないです。
質問者:
全然分かりません。(全然表現出来ません)自分を消すとはどういう意味ですか?
ありがとうおじさん:
消えないと分かりません。神様だけになります。自分が無くなります。
質問者:
それを言葉にしたら我即神也、神即我也ですか?
ありがとうおじさん:
もう我がないのです。我というのはなくなります。神様だけになります。
質問者:
無の感覚とも違うのですか?
ありがとうおじさん:
無じゃなく、神だけです。神様の存在が余りにも大き過ぎて圧倒されて自分が消えて無くなるのです。
質問者:
それが神我ですか?
ありがとうおじさん:
そうです。追い求める事を止めたら即1つになります。
質問者:
私は無限に成長して行こうと思います。
ありがとうおじさん:
成長しよう言うと未熟な自分を掴んでいるから、飛び込めないです。逆になります。神様から遠ざかって仕舞います。成長しようとするのを止めたら良いのです。神様だけを受け入れるのが良いです。受けるだけが良いです。神様の存在の凄さに圧倒されて自分が消えて仕舞うのが良いです。
(2002年5月5日A 「神様の中へ飛び込む 」より)
質問者:
仕事選びのコツを教えて下さい。
ありがとうおじさん:
1番良いのが自分の思いや願いを出さない事です。思い通りするのは自分を縛るし回りの人も縛って仕舞います。それが溜まってくると体壊したり、気持ちもイライラしたりおかしくなり易いです。それ全部神様に消して貰って神様の方から必要な所へスッと置いて貰って必要な事をさして貰うのが1番理想です。みんな神様のお手伝いという形になると良いです。楽です。それは「ありがとうございます」と唱えてるだけで必ずそういうふうにしてくれるから、必ず必要な仕事を、自分のしたい仕事じゃなく、必要な仕事がすっと目の前に出て来ます。神様が必要とする仕事をさして貰うと神様が自分の中に降りて来てくれるから神様が力を振るってくれます。そして自分を輝かせてくれます。それが1番自分にとって得なんです。自分で思い出して願い出して動かん方が良いです。「ありがとうございます」だけで待ってたら勝手に動き出します。神様が動かしてくれます。これからは1番楽な生き方が良いです。
(2002年5月5日A 「仕事の選び方 」より)
質問者:
先生は悟っているのですか?
ありがとうおじさん:
私は何にもないのです。何もないから必要に応じて神様が使ってくれるだけです。神様が必要な時に必要な助けをスッと与えてくれます。今の私の使って貰っている役目は、過去の教えの縛りを消す役目だと思います。みんな教えに縛られているから神様が使ってくれてると思います。
私の感覚はみんな悟ってるです。既に悟ってるから直ぐなんです。「ありがとうございます」で受け入れたら直ぐなんです。みんな拒絶して来ただけなんです。マイナスの演技をお芝居としてして来ただけです。素直に地で行けば直ぐです。地を現すのは簡単なんです。良い役は簡単なんです。そのまま地で生きれば良いのです。でもマイナスの演技は演技力が要るのです。
「ありがとうございます」と言った時はもう悟っています。神様が降りて悟りの姿を現しているのです。表現が自由自在に色んな役割として色んな姿をとってくれます。だから1人1人同じ姿とらんで良いです。だから元々みんな悟ってると見た方が良いです。石ころもじっとして動かんけど悟っているのです。人間は自分と主張し過ぎます。
(2002年5月5日A 「 みんな既に悟っている 」より)
質問者:
両親の遺伝子によって自分の個性が決まるのではないのですか?
ありがとうおじさん:
それは思いの人間が見る見方です。それは過去を掴んだ見方です。神様の心で感謝の心で見る見方とは正反対です。思いで見る人は人間って同じように見えます。猿の顔なんか見たら大体同じように見えます。
質問者:
赤ちゃんが子供から大人になってるように見えます。でも本当は一瞬一瞬の物質化現象の連続で成長してるのですか?
ありがとうおじさん:
そうです。一瞬で赤ん坊が大人になったり、大人が一瞬で赤ん坊になったら、みんなビックリします。でも本当はそうなんです。本当はそうなんだけど、それを今はしないだけです。みんなをビックリさせるからです。でも高い番組の世界はそれを自由自在にします。自分の体を自由自在に変身させるから、ある時はひげをはやしたおじいちゃんになったり、ある時は赤ん坊の姿になったりします。自由自在に出来ます。高い番組はそうです。だから物質化現象しかないです。
(2002年5月5日A 「 物質化現象 」より)
質問者:
細胞とか遺伝子は宇宙の縮図と聞いたことがあります。正しいのでしょうか?
ありがとうおじさん:
そうです。みんな大宇宙の縮図と見た方が良いです。
(2002年5月5日A 「 宇宙の縮図 」より)
質問者:
おじさんはなるべく目立ちたくないと思っています。でも自分は目立ちたいと思っています。本当はどっちの方が良いのですか?
ありがとうおじさん:
自分が目立とうとすると神様が引っ込んで仕舞うから輝きが消えて仕舞います。だから世界を明るく輝かしたい時は自分が無くなって目立たない方が神様が出て来てくれて輝いてくれるから世界が明るく輝くのです。
質問者:
その人が光輝くという事は、その人が目立って輝いて、周りが明るく楽しくなる事だと思います。
ありがとうおじさん:
これは逆なんです。神様は無限に無限に謙虚だから人間が目立とうとした時には出て来てくれないのです。そうするとなんぼ自分で輝かそうと思っても何も出来なくなります。やっぱり神様が出て来てくれないと何も出来ないから、自分が目立たないように謙虚に謙虚に置いて自分を隠して仕舞うと神様が飛び出して来てくれます。神様が目立ってくれたら良いのです。神様の方が個性豊かな姿で目立ってくれます。人間の個性じゃなく、神様の個性が出て来ます。その時その時、必要な場へ必要な姿を取って出て来てくれるのが1番良いです。だから人間の姿は消える方が良いのです。
質問者:
でも、おじさんの存在は今、めちゃめちゃ目立ってます。
ありがとうおじさん:
私目立ったら困るから、神様が目立ってくれるだけが良いです。神様が目立つのです。私が目立っても人は集まりません。神様が目立ってるから、みんなが集まって来るだけです。そして私は口をパクパク動かされているだけです。神様が何か喋るのです。
(2002年5月5日A 「目立つとは? 」より)
質問者:
友人の子供さんが学校に通ってなくて、苦しんでいます。ありがとうおじさんや「ありがとうございます」の事を伝えたいのですが、要らんお世話かなとも思います。どうなんでしょうか?
ありがとうおじさん:
これも自然が1番良いです。人間って比較して優劣決めて、どっちが良い悪いと言います。悪い方責める心があります。これが自分を苦しめています。全ての存在が神様にとって必要なんです。だからみんな平等の価値があります。誰にでも全てに無限の絶対価値があります。この世に子供さんが産まれて来て、この産まれて来てくれただけで有り難いと思ったら無限の絶対価値があります。何も出来なくても良いのです。存在するだけで有り難いと思えたら良いのです。それが五体満足じゃなくても良いのです。生きてるだけで有り難いと思えたら、凄い幸せなんです。それでまた五体満足であり、色々な事をさせて貰っている姿をとってくれたらまたまた有り難いになります。お人形みたいに動けなくても有り難いのです。それが動き出してくれるのです。1つ1つの動きが有り難い有り難いの連続である筈です。人と比較してこうでなかったら駄目と優劣を決めるから、1つ1つの仕草が幸せを与えてくれる材料です。1つ1つ喜べば無限の幸せで一杯の筈なんです。感謝の心はそう受け取って行きます。思いの方は過去を掴んで比較して自分を雁字搦めに縛って苦しむのです。思いから感謝に切り換えるとプラスが一杯発見出来て気付きが増えて幸せな自分になります。
質問者:
それは伝えて良いのですか?
ありがとうおじさん:
それも自然が良いです。自然に必要だと伝わります。無理にと言うとまた反発されます
(2002年5月5日A 「どう伝えたら良いですか? 」より)
質問者:
困難なことをする方が良いような気がします。
ありがとうおじさん:
それはないです。それは順番に階段を昇るように上まで上がるのも良いけど、一足飛びにパッと上がるのも良いです。これは自由なんです。選び方は自由です。
質問者:
嫌なんだけど、これを乗り越えないといけないと凄く思って悩んでます。それを外したら逃げてるような気がします。
ありがとうおじさん:
そうじゃないです。1つの数学の計算問題があったとします。物凄く細かい所を順番に計算して自分で答え出すのも良いけど公式1つ当てはめたらパッと答えが出ます。答えの出し方は無限の選択肢があります。だからどんなに難しい計算問題でも出された時に直ぐに解決したかったら「ありがとうございます」言ったら先に答えがスッと飛んで来ます。瞬間移動です。ただそれでは味気ない人は色々回り道します。それも楽しむ為です。無限の無限のチャンネルは人を幸せにする為に楽しませる為に与えて下さっています。どんな番組・人生を生きてても、それを楽しむ為に・そこに幸せを発見する為に与えて下さっています。どんな番組も幸せをそこから見出す為・楽しむ為にあります。それを忘れると縛られた苦しい状態になります。だから感謝して神様の最初の心を汲み取る・気付くのが大事です。神様の無限の無限のチャンネルを与えた目的はみんなを幸せにし楽しませる為です。感謝してると気付きます。神様の心に気付くから「ありがとうございます」と神様を呼ぶ方が良いです。
(2002年5月5日B 「無限の選択肢がある 」より)
質問者:
選択肢が多くて困っています。全部受けると体が持ちません。如何したら良いですか?
ありがとうおじさん:
「ありがとうございます」唱えてたら必要ないものは勝手に離れて仕舞います。邪魔しないように自分の前から逃げて行ってくれます。スッと消えるような感じです。必要なかったらよそに行って仕舞います。必要なだけを出してくれます。例えば仕事でも色んな人から頼まれるとします。必要な仕事だけが残って必要ない仕事は全部向こうから断って来ます。必ずそういうふうにしてくれます。「ありがとうございます」さえ唱え続けたら絶対に間違わないです。仕事でも沢山した方が楽しいです。色んな種類の仕事をした方が楽しいのです。楽しめたらその方が幸せが大きいです。だから暇を持て余すよりする事一杯ある方が楽しいです。ただそれに縛られたら駄目です。その仕事をしなければじゃなしに、あくまでも楽しむ為に沢山するのです。TVの1つのチャンネルしかなくて、ある一定の時間しか放送してなかったら楽しみが無いです。でも沢山の番組があってズーっと二十四時間放送してくれたらどれでも選んで楽しめます。仕事でも本当はそうです。今する事は1つだけで良いのです。順番に楽しみ続けたら良いのです。1番良いのを選んでそれをしっかり楽しんだら良いです。そこまで自分を自由にしとく方が良いです。縛られたら損します。この仕事をしなければでは損します。だから余り人と約束しない方が良いです。縛られるような約束は出来るだけ控え目にした方が良いです。でも仕事は沢山持ってる方が楽しいです。
(2002年5月5日B 「選び方 」より)
ありがとうおじさん:
あの世はちゃんとあるんです。無限の無限のチャンネルとして無限の無限の世界があるんです。言葉通りの世界に行きます。だからこの世に生きてて「この世しかない」と信じきって行った人は何もない闇の世界に行って仕舞うのです。意識だけがあるんです。怖いです。でもあの世があると思ってる人、地獄があると思うだけでも良いのです。地獄に行けます。まだ楽しいのです。だからこの世しかないと思い込むのは怖いです。やっぱりあの世の事を信じた方が良いです。分からなくても言葉であるんだと、そういう言葉を使って信じた方が良いです。それをどんどん無限に拡大すると「無限の無限の世界があるんだ」と思って、そういう言葉を使うと選択肢が無限に広がるんで、あの世に行っても「さあ何所行こうか」となる訳です。自由が利くのです。プラスの良い言葉を使って「素晴らしい世界がここにある」という言葉で波長合わせすると良い所へ上がれます。言葉通りになって来ますのであの世選ぶのでも良い言葉を沢山使った方が得です。「あの世は楽しいからこの世に戻って来ない」というのも良いです。
(2002年5月5日D )
質問者:
病気に何故なるのですか?
ありがとうおじさん:
色んな角度から見て行けます。例えば神様の命が本当に輝いて躍動してたら1番健康なんです。その輝きが少なくなると暗くなって闇(病)になります。命の躍動がしっかりしてると良いのです。だから正しい目的を持って本当に命を輝かせて躍動してる時は病気に絶対になれないのです。命の輝きの程度に応じて無限の無限の段階の健康の表現があると見ると良いです。病気の時はまだ命を輝かせてないんだ躍動させてないんだ。だから「もっと命を輝かせたら良いんだ」という感じです。その命の輝かせ方が神様に感謝して命を受ける・頂く事によって輝き躍動するのです。感謝するとどんどん命が輝きます。そうすると健康がどんどん大きく増進されて病気であったのが健康に置き換えて貰えます。病気は健康がない虚の状態です。健康を持ってくれば良いのです。命を躍動させたらそれで病気が消えるのです。健康に置き換わります。
質問者:
その状況がどんなに最悪でも‥‥。
ありがとうおじさん:
どういう状態でも神様を呼べば必要なものを与えて貰って全部良くして貰えます。必要だったら瞬間に病気が治ります。本当の奇跡がパッと起こります。それも1つの見方です。この世的に小さく見た時はこの世の病気の原因は沢山あります。自然の法則を侵しても病気になります。毒飲んだら可笑しくなります。不自然な生活したら病気がちになります。そういう自然の法則を侵すのも病気の原因です。また心の持ち方、心が色んな意味で暗いマイナスの心になると、それに応じた心の陰を肉体にうつします。肉体に現れた病気は全部心の種類に応じて変わります。心が陰を移すと病気になります。そういう心の原因をある意味、自分が自分の病気として現す場合もあります。自分に縁ある人を助ける意味でみんなのを振り替えて消す時もあります。身代りの病気もあります。ズーっと遠い過去生からマイナスのものを貯め続けると心に貯まります。それをいつ消すかです。消す時期が来たら消せるのですが、貯める時期は貯めるばっかしです。消す時期が来て消すだけの力が付いた時に、この肉体へ移し出して来ます。奥のマイナスの思いを全部浮かび上がらせて消す為にどんどん肉体へ現れて来ます。それで消すという働きが起こるのです。そうすると心が明るく澄み切って来ます。
また心の波動をどんどん高める時は波動調整の意味で低い波を全部消し切る意味で肉体を使う時があります。波動の置き換えです。そうすると原因不明の病気になります。風邪引くのもそうです。軽いのは全部そうです。軽いのは波動の乱れなんです。波動のプラスへの置き換えで病気の姿をとる時があります。その他に色々この世的に見ても原因が沢山あります。先祖霊のせいであるとか、これも本当はあります。ただそれを自分の責任の元に受けるのが良いです。先ず自分のマイナスを先祖が先ず背負ってくれたという意味で、それを今力が付いたから返して貰って自分が今病気の姿で消すんだというのなら良いです。先祖の霊のせいにして責任を転化すると良くないです。みんな自分の責任という意味で色んな原因を探っても別に悪くはないです。全ての原因が感謝の心で全部解決します。感謝する事によって神様の助けを受けて神様の全てを受けて全部解決なんです。どんな場合も感謝する事によって解決して行くと思います。「ありがとうございます」。
(2002年5月6日 「病気 」より)
質問者:
私の息子が「自分の希望する仕事がない」と言って大学を卒業をして2年も経つのですが今だにプー太郎の状態です。だからどんな所でも良いから働いて欲しいので、追い出そうと思っています。どの様に対応すれば良いのでしょうか?
ありがとうおじさん:
仕事がないじゃなしに。人を幸せにする為の仕事は無限にあるんです。ただお金儲けが出来ないのが困りますが、ただでする仕事は無限にあります。でもただでする仕事が1番幸せを与えてくれます。ただでしても良いのです。与えたものが必ず返って来るのが法則です。普通は手っ取り早くお金を先に手に入れようとします。それも働きが少ないのにお金を先に手にすると戻って来る幸せが小さいのです。法則なんです。だから自分が出来る人の為になる仕事を片っ端から何でもすれば良いのです。それが自分の能力も高め、また人を幸せにする事になって必ず与えたものが返って来ます。与える心でしてると神様の応援が大きいんです。神様からのプレゼント・助けを一杯受ける様になります。そうすると与えた以上の何10倍・何百倍・何万倍になって返って来ます。与えただけしか返って来なかったら大した事ないです。でも神様への恩返しの様な気持ちで与える心で人の為に尽くすと何万倍になって返って来ます。
(2002年5月6日 「仕事 」より)
☆ありがとう村へ来て、急に元気になる人と何だか急に具合の悪くなる人と二通りの人がいるようなんですけど、それはどういう訳なんでしょう?
ーおじさんー
両方必要に応じて必要な姿で与えてもらうんです。本当は全部プラスなんです。例えば「痛い」と言うでしょう、痛いという言葉の響きはすごくプラスの響きなんです。「い」は神様の働き、命です「た」は勢いよく力強く大活躍という、高く高くという響きです。だから「いたっ・・」という時は命が大活躍している時です。実際に肉体の痛みでも、痛いという状態は神様がもの凄く働いているんです。心の痛みを消す時もそうです、神様の浄めの光がいっぱい降りている時で、肉体の悪いところを癒す時もそうです。癒す必要のある痛んでいる所へ血液でもスーッと寄るんです。神様が寄せているので、命を活発に働かせている時です。だから痛いということはもの凄いプラスの高い響きなんです。神様がここに大きく働いているという響きです。それをしっかり認められたら、「ああ、ありがたい」と涙を流すんです。痛いと言って涙と流すのと違うんです。どんな苦しみもそうなんです。苦しみというのは本当はマイナスじゃないんです。苦しみがなかったら古いものが消えていかないんです。古いものを消し去る働き、新しいものと置き換える働きです。掴んでいた古いものが消えていくと苦しいんです。消されて困った・・苦しいとなるんです。
でも、新しいものを与えてもらうのに古いものを消さないと、与えようもないし受け取れないんです。だから新しいものを受け取る為の準備、プラスを与えてもらうための準備として苦しみ痛みが必要になるんです。これをありがとうございますという心をしっかりと起こすと、新しいもの新しいものと受け取っていけます。そうすると苦しみ痛みが軽く軽く済んでいくんです。だからその過去を放せるかどうかで、普通はみんな過去を掴みすぎているんです。過去を掴みすぎてそれで自分を縛って苦しい痛いと言うんです。自由を思いで縛っているので、それは過去を掴むから思いで自由を縛るわけです。新しく新しく受け直している限りは絶対に自由自在です。何の縛りもないからいつも伸び伸びと手が伸びて楽しい楽しいなんです。だからここへ来てすぐに掴みを放せる人は、スッスッとプラスへプラスへ向いてしまうんですね、過去を放せる人は。
ところが過去を掴んでいる人は過去の掴みを放させてくれる意味での神様のお手伝いがいっぱい来ますね、過去を放しなさいよという意味なんですけど・・ところがなかなか・・みんな大変でしょう、執着ってあるんですね。
(以下略)
(2002年6月7日 「浦島太郎 」より)
☆それで喜びに変ったら痛みは終わるのかと思ったら、まだまだ痛いんですね?
ーおじさんー
痛みが喜びになる・・もっと心地よい痛み、大きい痛みでも平気になってくるんです。もっと喜びの材料に変るんです。嬉しくなる・・よろこびがわいてくるんですね。「いたーッ」というのは喜びの言霊の響きなんです。いのちがバーッと輝いている響きです。大声で「いたーッ」と言ったら幸せになれますよ。
(2002年6月7日 「痛いのは「いいー、たのしいー」の意味」より)
☆働くということは会社へ行ってお給料をもらうことですよね?
ーおじさんー
給料をもらうことじゃないです。人を幸せにすることです。働きは幅広いです。人を幸せにしたら働いてると言うんです。にこっと笑って人に幸せを与えたら働いているんです。ありがとうございますと感謝して人の心を喜ばしたら働いているんです。(☆あ・・それは働いています)人を幸せにすれば働いているでしょう。花を見て「ああ・・美しい、ありがとう」と言えば働いているんです。
感謝が一番大きい働きです・・あとは枝葉の小さい働きです。そしてお給料をもらわない方がいい働きなんです。ただで働く方が働きは大きいです、与えるだけだから。でもその働きが溢れ出たらお金でちょっと戻してもらえばいいですけど、お金で幸せになるんじゃないですからお金がなくても人に幸せを与えた人は幸せを与え返してもらうから絶対に困らないですね。ありがとうございますを言ってしっかり働いています。一回、一万円以上の価値がありますね。
(2002年6月7日 「働くとは人を幸せにすること」より)
☆神様から動かしてもらって何かをさせていただくのが一番いいやり方と言っても、神様から何かさせてもらうまでジーッと寝て待っていればいいということではないですよね?
ーおじさんー
そうです。ありがとうございますと心で唱えながら、前へ前へ進むのがいいです。それは自然に進めるんです。そのために神様の願い、目標をしっかりと思い返したらいです。神様の願いは何か、目標は何か・・神様の願いはみんなを幸せにしたいんです。一人残らず全部を幸せにしたい、この世を本当の平和な世界に変えたい訳です。みんなが最高番組を引っ張り出して楽しめるようにしたいんです。そうしたら、自分の出来ることは何か?・・感謝を更に深めて前へ進むだけですね。そうしたら後は自然についてくるんです。
(2002年6月7日 「何でも子供にしてもらうのがいい」より)
☆来年から3年間医療関係の学校へ行って勉強しようと思うんですけど、これから光がいっぱいの世の中になったら病気の人もいなくなってそういう仕事も必要なくなるのかと思ったりするんですけど?
ーおじさんー
病気の勉強なんかしなくていいし病人相手にしなくてもいいし、幸せな人・健康な人を相手にすればいいですけど、それより神様を相手にする方がいいですね。みんな神様というふうに、神様の現れというふうに相手にしていったらいいんです。そうすると幸せな人ばっかりですから、周りが幸せな人ばっかりだと自分も幸せになるしかないんですね。先ずありがとうございますと言い続けたら自然にいい人ばっかりの状態に置かれます。何かしようとしないと、じゃないです。ありがとうございますが最高の仕事だし、後は自然に自分にできることをさせてもらったら必ず幸せを大きくしてくれるから。
(2002年6月7日 「神様を相手にする方がいい」より)
☆恩を返したい人がいてもどうしても返せない時、例えば亡くなってしまった時なんかは、どうしたらいいでしょうか?
ーおじさんー
本当の恩は、恩という言葉は因に心で・・一番の元、原因ですけど、一番の元というのは神様ですね 。神様から無限の無限のプレゼントが送り込まれて来ているんです。送り続けられているんです。だから本当の恩返しは神様じゃないとおかしいですね。神様から無限の宅急便が送り続けられるんです。配達人はいろいろいるんですけど、本当の送り主は神様です。配達人にも感謝は必要なんですけど本当の送り主に感謝お礼が必要なんです。だから神様への恩返しというのが本当の恩返しです。
でも神様への恩返しは出来ないですね、万分の一も無限分の一も出来ないです。与えられるばっかりというのが本当です。だから少なくともお礼というのはありがとうございますと感謝することですね。それが出来たらそれでいいんです。あとは神様から与えてもらったものを受けて喜んでありがとうございますを言って必要だったらそれをみんなに施せばいいんだけど、それよりも神様のほうから新しいものがどんどん送り込まれてきているから古いのを与えるというのがいいとは限らないですね。より新しいものを与えるのがいいから宅急便でもみんな気付かずに古くなったのを与えようとしたって意味ないです。どんどん新しいものを受けてそれを与えるといっても、自分が与えなくても神様が先に一人ひとりに与えていますね。だから感謝して喜ぶだけがいいでしょうね。あとはもう自然で、神様にお任せです。
(2002年6月7日 「感謝して喜ぶだけ」より)
☆家内の妹の子供が視野が狭くなる病気で、ありがとうございますの世界を知らせたい気付かせたいと思うんですが、そのためには本人の守護霊守護神様にありがとうございますを唱え続けることでしょうか?
ーおじさんー
それが一番手っ取り早いですね。先ず神様が一人ひとりを見守っているから必要な時期を待っている見極めようとしているから必要な時期にサッと大きい力を添えて助けてくるから、人の側はちょっとお節介な一面があるんです。守護霊様の働きの万分の一も本当は出来ないんだけど守護霊様に感謝するというのが一番いいお手伝いです。そうしたらその時期を間違わずに的確に助け続けてくれるから。
ありがとうございますに戻るというのは最後の仕上げなんです。誰彼なしにいつでもサッと入れる世界じゃないです。いろんな苦労に苦労を重ねてありとあらゆる分野でいろんな学びを済ませた後で仕上げとしてありがとうございますというこの神様の世界に飛び込むんです。最後の締めくくりです。
だから全員にそれを強制しても無理なんです。本当に必要になった人が最後に辿り着いて最高の喜びを味わう世界なんです。早くみんなそうなればいいんですけど、それまでにいろんな苦労をしない人、出来ない人は先にした方がいいですね。苦労も必要です。だから今素晴らしい苦労をさせてもらってと喜んであげるくらいがいいです。そうすると時期を間違えずに神様が助けてくれるから。早く気付いてありがとうございますに辿り着けばいいような感じなんですけどその時期が早すぎて浅く捉えたら、今度深く入らなければいけない時にうまく出来なくてそっぽを向いてしまうんです。もう判ってるという感覚になってしまうから、感謝は知ってるもう判っているというと言うんなら本当の神様との出会いにまで行かないです。だから一番いい時期というのが大事なんです。それは神様が一番いい時期を見定めて助けに入ってくれるんです。だからありがとうございますが一番いいですね。
(2002年6月7日 「一番いい時期」より)
神様は無限に無限に優しいですから、幸せになる方へ門は開きやすくなっているんです。苦しみの大きくなる方へはなかなか開きにくくしているんです。それはどういうことかと言うと、高い次元に上っていくときは門は押せば開くようになっていますが低い方へは引っ張らないと開かないんです。
これは大きい違いなんです、高い方へはちょっと押すだけで門は開いてしまうんです。ところが下へ降りようとすると思いっきり引き上げないと門は開かないんです。観音開きでいいんですけど、グッと開き上げて下へ降りるんです。
それは不幸にならないように、幸せへと進めるようにそういうふうにしているんです。
押すと言うのはどういうことかと言うと、与えることなんです。与えたら押しているんです。だから与える心を持つと門はスッと開けるんです。向こうへ開く門は押したらお終いで与えたらいいんです。その与える時に何を与えるかということですが、先ず自分の持っているものを与えます・・ちょっと与えたことになるからちょっと開くんです。それではちょっと少ないから、身も心もいのちも捧げ尽くしてという心になるとかなり開くんです・・かなり・・です。でもこの世に近いところの「かなり」しか開かないんです。まだ力不足です。だからもっともっと高い次元の門を全部開こうと思ったら、与える心がすごく必要です、与えるものがいっぱいないといけないです。それは何かと言うんですね、身も心もいのちも捧げて、更に大きい与えるものは・・何だと思います?
答えを先にいうと感謝の心なんです。お礼をするお礼を言う心・・お礼の言葉、感謝の言葉なんです。特に神様に対しての与えるものといったら、それしかないんです。それでその感謝をお礼をしっかり言い続けると門がどんどん開かれていくんです。そして一番上とひとつに繋がって全部門が開かれてしまうようになるんです。それでその一番上から光がサーッと降り注いでくる・・光の柱が立つんです。
これはものすごいことです。普通、修行をする人は求める心を起こすんです。求める心で上にあがろうあがろうとします。ところが求める心は門を閉めているんです、開いてる門まで閉めるんです。ありがとうございますを言いながら求める心だと、これは閉めているんです。せっかく開いたのに元へ引き戻している感じです。だから求める心は要らない、修行する心も要らないです。与えるだけ、恩返しの心だけがいいんです。
ところがお金を求めると、その時に求めた心がその場で足の下の門を開くんですね・・落とし穴が待っているんです。この世の人はそれで上ったり下がったりするんですね。与える心だけを生きたら上りっぱなしになるんですけど・・ギブ・アンド・テイクは上ったり下がったりです。
求める心は今いる自分から移動しようとしないですね。高い方からでもいいものを引っ張りたいわけです。神仏の助けでもそうですが「助けて」と言って神様の助けを引っ張るだけで自分から神様のほうへ登ろうとしないです。だから求める心の時は、このままでいいという・・ただ、いいものをよこせと・・・。だから次元を変える訳に行かない、番組を変える訳に行かないですね。天からスーッと光の柱が降りて門が開いているとするでしょう、でも自分がひとつの番組の中にはまり込んでいてそこから動こうとしないと、降りてくる光のおこぼれを頂戴するだけなんです。それもいいんですけど、門が閉められたら即、助けがなくなります。それだったら先に上に上って行けばいいんです、ひとつでも上にあがっておいたら楽になる、幸せが大きく増えてきます。
だから門が開いた時に門をくぐり抜けないと損します。くぐり抜けるとき何がくぐり抜けるかです・・持っているものだけ放ったら判りますけど、持っているものだけが行くんです・・だから、全部ですね、自分の全部を門をくぐらせて入らないといけないです。だからこの世に未練があったらあの世には上れないです。今いるところに対して執着したらいけないです。出来るだけ執着を少なくするというのがいいですね。そして未練なくスッと上るという、そうすると順番に上に上っていけます。
(2002年6月8日 「無門関」より)
でもその後の方が大事だったんです。感謝をし続けたんです、何億回も。その感謝が自分の為の感謝じゃなかった・・ここもポイントです。七つの確認の感謝なんです。
七つの確認と言うのは、ひとつはいつもいつも無限の無限のマイナスを免除してくださっているという感謝です。この無限の無限のマイナスを免除してくださっているというのは自分ひとりのじゃないんです。みんなのマイナスも免除してくださっているということへの感謝です。だから大きい感謝です、大きいお礼を皆に変わって言っているのでこれは凄いことなんです。
ふたつは、いつもいつも無限の無限のプラスを新たな全徳の無限の無限の輝きを与え続けてくださってありがとうございます、これもそうです。みんなの為のお礼みんなに代わってのお礼なんです。たくさんお礼を言ってます。無限の無限のありがとうございますをいい続けている感じです。
三つめはいつもいつも無限の無限の感謝の心を湧き上がらせてくださってありがとうございますといっています。これもみんなの為にです。
四つめはいつもいつも無限の無限のプラスを神様の最高表現を感受させてくださってありがとうございます。感受は感じて受けるという、受けて自分のものですから受けさせてくださってというこれも大事なんです。それも感謝して受けるんです。みんなに代わってお礼を先に言って確認していかないとね。
五つめはいつもいつも無限の無限の感謝の真祈りを祈らせてくださってありがとうございます。感謝の真祈りと感謝して受けるのはちょっと違います。真祈りの方は無限の無限のプラスが無限に無限のいっぱいというのを与え続ける方です。神様の側に立つ祈りなんです。受ける方と称える方と両方あるんです。感謝の真祈りは与える側です。この真祈りをさせてくださってありがとうございます、です。
六つめは無限の無限の神様の最高のお手伝いという、神様の最高のお手伝いをすると喜びが湧いてきます。これはいっぱいあるんです、みんな一人ひとり違うお手伝いをしています。全部ひっくるめて、受ける側と与える側の両方を全部感謝するんです。
最後の七つめはいつもいつも無限の無限の神様との一体感ですね、これを実感させてくださってありがとうございますで、無限の無限の一体感というのはもう、全部との一体感です。奥の神様ともこの表面の現れの神様とも全てとの一体感です、それをみんなに与えてくださっているという感じで感謝するんです。そうするともの凄い感謝をしないといけないですね、みんなに代わってお礼を言うというのは・・。それをもう命がけで真心を込めてありがとうございますと言いつづけたら神様に対してたくさんプレゼントしたことになるんです。
(2002年6月8日 「七つの確認の感謝」より)
☆祈り言葉は神様の約束事ということですが、祈り言葉とありがとうございますについてお聞きしたいのですが・・。
ーおじさんー
祈り言葉というのは種類が多いんです。普通の祈り言葉は、救済の神様との約束事で効果を大きくしてもらうんです。でもありがとうございますは宇宙の大神様の全ての働きを現す言霊によって支えられた言葉なんです。だから最初から降り注いでいる神様の働きの全てなので、約束事どころじゃないんです。
この言葉を唱えたら、ありがとうございますと唱えたら必ず宇宙絶対神が救いに立つわけです。もう最初から用意されている言葉で、あとから出来た言葉じゃないんです。それで全ての全てなる神様の大きい働きというふうに捉えられる訳です。
たとえばナンマンダブツという祈り言葉、これは阿弥陀さまと救われたい人との約束事の言葉なんです。これは阿弥陀様のほうから降ろしてきたといったらそうなんですけど・・アミダブツという名前自体がそうですね。それで阿弥陀様から降ろされた働きがナンマンダブツという祈り言葉になって、それで救ってあげようという働きになってくるわけですけど、ナンマンダブツを唱えるんでも救われる条件があると言うんですね。
3つの条件、至誠心・深心・回向発願心というこの3つの条件をちゃんとできた時に初めてナンマンダブツを唱えて阿弥陀様の大きい助けが受けられるという・・・だから他のいろんな祈り言葉は殆どそういう何かの条件があるんですね。条件付というのが多いです。
ところがこの、ありがとうございますだけは無条件です。この言葉さえ心で唱える事が出来たらどういう段階のどういう立場にあっても一番必要な一番的確な助けを与えてくれるという、これはもう神様の方がみんなを見護り続けているわけです。それでその神様の方へ心を向けてくれるのを何億年以上待ちに待って見護り続けているわけです。それでその神様の助けを謙虚に素直に受け入れるという心の状態になったのを見極めてスッと助けに入るわけで、最初は神様の方から助けに入って初めてありがとうございますが出てくるんです。
神様が先に認めてくれたんです、もう救われる時期だよと・・それで、ありがとうございますと神様の助けが入ってスッと出てきたのが最初の救われるきっかけになる訳です。それで後はありがとうございますを、これも神様に唱えさせていただくんです。宇宙の大神様からいろんな救済の神様、また守護霊様、守護神様、ご先祖様が一人ひとりに合わせて順番に助けに入ってくるんです。それでその唱え方がいろいろに変化しているんです。一心不乱に唱える時もあるし年に一回くらいの時もあるし、浅い唱え方もあるし深い唱え方もあるし千差万別で、いろんな唱え方がその時その時必要に応じて入ってくるんです。それで最後には最高の幸せを感じさせるように大きい助けを与えて本心の本当の自分に戻してくれるんです。無限の無限の感謝がいっぱいという本当の感謝三昧の状態に持っていってくれるんです。
だから、ありがとうございますという言葉は約束事じゃないです。人が神様と約束して作ってもらったようなそういう言葉じゃないです。最初からみんなの為に用意されている言葉なんです。
(2002年6月9日 「最初からみんなの為に用意されている言葉」より)
質問者:
謙虚について教えて下さい。
ありがとうおじさん:
人が自分の力で何か出来る時は神様から見たら高慢・傲慢です。全て神様の力でというのが謙虚なんです。それは神様に深い感謝を捧げて神様から無限に素晴らしいものを受け取ったら、その心が恩返しの心を起こすのです。恩返しの心は自分の全てを捧げ尽くして尚且つもっともっと下へ下へ降りたい気持ちです。だから借金してでも神様の為にというくらい、後で借金返しも大変なんだけどという感じで何所までも降りて恩返ししたい気持ちになるのです。そうすると1番下まで落ちて仕舞うのです。地獄のどん底まで。そこまで行ってもまだ恩返しも何も出来ない気持ちです。
質問者:
実力があるからこそ謙虚になれるのではないのですか?
ありがとうおじさん:
そういうレベルと神様のレベルは全然違います。
質問者:
結果を残して人から認められて謙虚になると思います。
ありがとうおじさん:
そこがちょっと違います。神様から認められるか人から認められるかの違いです。本当の謙虚さは神様から認めて貰うのです。でも人から認められても本当の謙虚じゃないです。私は全然お金儲けをしてません。人から見たら駄目と言われます。でも神様はそれで良いんだ良いんだと褒めてくれます。
(2002年6月15日 「謙虚 」より)
質問者:
おじさんは今まで怒った事がないそうですが、何も問題が起こらなかったから怒った事がないのですか?
ありがとうおじさん:
普通この世に生きてる人は縛られ過ぎてる一面があります。この世しかないとか、この生き方しかないとか、こうしなければ如何にもならないとか色んな縛りが沢山あり過ぎるのです。私の役目はその縛りを解く役目です。「無限の選択肢があるんだよ」というふうに解く役目をしてます。この世が全てになったら縛られて仕舞います。どんなにこの世が素晴らしい世界でも雁字搦めに縛られた世界になります。でも「無限の無限のチャンネルがあるよ」と神様が教えて来たらこの世なんて対した事ないのです。他に無限に一杯良いもんがあるんだから、しがみ付く必要もないです。1つの生き方でも、そうです。これが正しい生き方と言われてもその正しい生き方が1つだけだったら雁字搦めです。「その正しい生き方がまだそれ以上のもんが無限にあるよ」。「もっと良い生き方が無限にあるんだよ」と言われたら心がスッと自由になります。「今の自分にはこれしかないんだ」と掴むと物凄い縛りです。「でもこの自分は無限に居るんだ。色んな次元に色んな段階に無限に存在するんだ。」となると1つの自分に縛られなくて済みます。また「その1番奥には無限に無限に輝いた最高の自分が居てるよ」と言われたらこの世の自分が何をしようがどんな状態であろうが対した事ないのです。本当の1番奥の自分がちょっと力を振えば全部どうにでも変わる感じです。その縛りをどんどん解いて行くと自分の自由意思がハッキリ出て来ます。本当の自由が出て来ると自由自在に何でも変えて行けるし、またそれを自由に味わえたら幸せだけになって来ます。その選択肢を広げるのが1番良いのです。
質問者:
怒るという事はそれだけ縛っているのですか?
ありがとうおじさん:
そう。そう。そう。物凄い縛りにはまって仕舞います。怒りという1つの縛りの中に入って仕舞います。でも「本当の自分はもっともっと自由自在に何でも出来る」と言えば怒る事も1つの演技です。ある意味ではそうです。
質問者:
しかし、怒った後で後悔します。
ありがとうおじさん:
演技だったら褒めてあげたら良いです。「上手だなぁ」って。後悔するより「中々上手に怒れたなぁ」という感じで、「これは最高傑作の1つだなぁ」という感じで。
(2002年6月15日 「怒った事がない 」より)
質問者:
「ありがとうございます」を唱え続けているのですが、昔からの悪い心の習慣で嫌な事があると、くよくよ考え続けて仕舞います。そうなると「ありがとうございます」も唱えられない状態になります。チャンネルを変えるコツを教えて下さい。
ありがとうおじさん:
やけ火箸をサッと触ったら、サッと離したら良いのに離せないのです。余計に握って仕舞うのです。そういうところがあります。苦しいものを離せば良さそうなのにもう1つ握って仕舞うところがあります。それも選択肢を広げたら離せるようになります。だからこの世でも身近な姿だけ見つめると小さくなって行きます。その時は山の上に登って景色を眺めるような、気持ちをグッと大きく広げるような見方をすると掴みが離せるのです。
質問者:
やっぱり意識して外に出掛けて行ったりした方が良いですか?
ありがとうおじさん:
その方が良いです。色んな面白いTV見ても何見ても良いんだけど楽しい方へ心向けて、それを楽しむとか、楽しい本を読むとか何でも良いんです。気分転換に別な事へ心向けると選択肢を広げて別な事をすると掴んでるもんが離せます。1番良いのが本当は「ありがとうございます」は「無限の無限の輝きが一杯」という意味なんでもっともっと大きい宇宙を受け直すような気持ちになると自由になって行くんだけど、ただ今は「ありがとうございます」と言葉だけです。
質問者:
言葉だけだから苦しくなるのですか?
ありがとうおじさん:
そうです。その時は「無限の無限の幸せが一杯」とか「無限の無限の喜びが一杯」とか「無限の無限の」と付ける言葉をちょっと繰り返されたら、そうすると小さいもんへの縛りからスッと抜け易いです。
(2002年6月15日 「 チャンネルを変えるコツ 」より)
質問者:
1歳から3歳までは親からの信号をズーっと受け入れるだけだと思います。
ありがとうおじさん:
そんな事ないです。子供の方が立派だったら親に影響を与え続けるだけです。神様の方から一方通行で光が来るだけです。親の影響を受けて子供が変化するのなら、やっぱり子供が過去の生き方の中に親と同じような生き方をとって来ているから波があって影響を受けるのです。でも子供の方が遥かにレベルが高い状態だったら、その親を選んで産まれて来るけど親の影響を一切受けないのです。生き方が全然違うからレベルが違ったら全然波が合わないから影響を受けないのです。仮に子供が色んな病気になったとしても、それがどういう原因でなってるか1通りや2通りの意味では説明も何も出来ないです。親の勉強になるかも知れないし、子供だけの問題かも知れないし、また子供がレベルが高かったらもっと大きい地球規模の問題を抱えているかも知れません。
質問者:
子供のレベルが高いとは、どういう意味ですか?
ありがとうおじさん:
例えば地球を救う為に降りて来たような高い魂だったら、先ず低いレベルの親の所に産まれて一応色んな苦労・体験を積みます。一通り総復習して地球のレベルはどういう程度か実際に体験しないと救いに立てないです。
質問者:
そういう意図で子供は産まれて来ているのですか? (そういう場合もあります。) 親の影響で子供の自我が1歳から3歳までに出来て、大体3歳から6歳ぐらいまでに親の見よう見真似して親のそっくりそのままの性格が出来上がって、6歳から13歳までに最終的な性格が出来上がるのではないのですか?
ありがとうおじさん:
それはこの世で色んな学説があって沢山の中の1つの学説です。3つ子の魂百までという諺でも色んな意味合いがあります。だから3つまでも育て方がどうのこうのという、そういう説明の仕方もあるけど、本当の意味は3つの状態までにその子の持ってる姿がハッキリ出て来るのです。3歳までの状態にハッキリ出てる来るのです。それは過去生でその子が積み重ねたものをしっかり現して来るのです。子供の3歳までの状態を眺めたらその子の過去生が全部分かるくらいなのです。それは過去生で積み重ねたもんだからこの一生をズーっと左右する大きい力になる意味です。3歳までに教育したから変わるんじゃないです。魂のレベルで考えたら分かります。魂のレベルはどんだけ生まれ変わってどんだけの年月生きてるか分かりません。その魂が肉体に宿った時に、その魂が何の力もないと言ったら可笑しいです。その魂の力がこの一生を左右します。僅か肉体に産まれて3年ぐらいで教育出来るかって、そんなん何も出来ないです。それはこの世しかないという人の学説です。それは間違いの方に近いかも知れません。囚われに近いです。
(2002年6月15日 「 3つ子の魂百まで 」より)
質問者:
自分の見てるチャンネルを変える方法はありますか?
ありがとうおじさん:
チャンネル選びの方法は言葉でします。良い言葉を使えば良い番組が出て来ます。ただこの世に引っ張り出す意味です。そのチャンネル選びは、あの世に行くんじゃないです。あの世のチャンネルへ自分を移すんじゃないです。まだこの世に生きてる間はやっぱりこの世を選んでいます。だからあの世の高い番組をこの世へ現実化して引っ張り出す意味で、その方法は良い言葉を使うことです。言葉通りの番組になって来ます。
質問者:
嫌な事があったとしても、良い言葉を使うのですか?
ありがとうおじさん:
そう。それと正反対のプラスの良い言葉を使い続けたら自然に変化します。良い姿が一杯現れて来ます。先ず言葉をプラスの言葉に変えるのです。
(2002年6月15日 「 チャンネル選び 」より)
質問者:
この前200人ぐらいの前で企画を発表しました。それは人から評価を受けるので物凄いプレッシャーを感じました。僕は物凄く人から期待されていまして、その不安に潰されそうになったのです。不安な気持ちがぶぁ〜と湧き上がってこの場から逃げたいとか思って仕舞い、プレッシャーに潰されそうになりました。その時に「無限の無限のありがとうございます」と言ってたらちょっと気持ちがスーっと引いたんです。そのプレッシャーを感じた時の対処法はないのですか?ここ1番大切な時にプレッシャーがかかって潰されそうになった時の対処方法はありませんか?感情をコントロールする方法はないですか?
ありがとうおじさん:
私はプレッシャーないから。普段から「ありがとうございます」を唱えてたらプレッシャーは何所にもないような状態になります。先ず人に良く思われたいとか、良く見せようとか全然そういう気持ちが起こらないから、そのまま自然体になります。逆に言うと1番最低に居て欲しいぐらいの気持ちが良いのです。色んな人が発表するとして自分は最低で良いんだ。みんなの引き立て役で良いぐらいで、1番下で良いんだぐらいで、みんなを喜ばすだけで良いんだぐらいで良いんです。プレッシャーの欠片も出て来なくなります。みんなを幸せにするというのは、みんなを押し上げたら良いのです。自分が上に立ったらみんなを下へ落として仕舞います。だから逆にみんなを押し上げる気持ちだったら自分が悪役でも失敗しても何でも何しても良いやと思えます。引き立て役になれば良い感じで居れば、そうすると楽になれます。
(途中略)
質問者:
失敗をズーっとして行ったらですか?
ありがとうおじさん:
うん。比較の世界から絶対価値の世界に入って仕舞います。感謝がぐんぐん深くなると思います。
質問者:
1回目に失敗した時に僕は謙虚になろうと思ったんです。これから余り前に出ずにと思ったんですが、でもそれは謙虚と違うと、合格した時に始めて気付いたんです。謙虚というのは合格して自分に自信が付いた時に始めて人に謙虚になれるんやなぁ〜と思ったんです。あのまま何回も不合格になってたら間違った謙虚になってたと思います。
ありがとうおじさん:
感謝と謙虚はセットなんです。感謝のある時は謙虚なんです。感謝がなかったら謙虚と言えません。だから本当はどんな役目でも喜んで果したら良いのです。ピエロでも何でも良いのです。「ありがとうございます」で果せたら謙虚なんです。
質問者:
かっこ悪いと思います。成果を上げてない人間は偉そうな事は言えません。
ありがとうおじさん:
みんなを喜ばす役目だったら良いじゃない。世の中で成功した人が幸せになれるかと言ってもなれてないです。逆の場合が殆どです。
質問者:
成果を出して幸せな人間になれればベストだと思います。
ありがとうおじさん:
成果を出すから幸せになれないのです。先に幸せになった人はどっちでも幸せなんです。成果を出したから幸せになるとは違います。お金をどんなに儲けて、何兆円儲かっても、そんなん取るに足らんです。お金儲けて幸せになった人なんて1人も居ません。みんな逆になっています。先に幸せになって、それでお金儲けて自由自在に良い事に使いこなせたら良いです。
(2002年6月15日 「プレッシャー 」より)
ありがとうおじさん:
今日は護摩焚きがあるんですけど、これをちょっともう1回説明します。今までの普通の護摩焚きとありがとうございます護摩焚きと全然違うみたいです。始めてみて初めて分かるんです。全然違うみたいです。「ありがとうございます」と感謝を捧げるのは神様への最高のプレゼントをし続けてる事になります。これは高い次元の扉が全部開いて行く大きい働きになって行くのです。それで本当の天地を貫く光の柱の自分に変えて貰う為みたいです。自分の命を捧げたって中々奥の扉は開かんのです。古いもん捧げても開かんのです。つまらんから神様はそんなん要らんのです。ごみを持って行ってもあかんのです。ところが感謝の心だけは何時も新しいのです。そして大きく無限の無限の輝きが一杯と受けるような無限の無限の感謝というのは、本当に新しい大きい神様へのプレゼントになります。それを即お返しするのです。感謝し続けるのはそうです。受けたものを即お返しするのが最高の恩返しです。これが自分これが自分のもんと掴んだら、古いもんなんて神様は要らんて言います。なんぼ私を捧げますと言ったって対した事ないのです。でも感謝の心だと神様は嬉しいのです。これは最高のプレゼント、神様が与えたもんと同じもんだと言って喜んでくれるのです。「ありがとうございます」を捧げるというのは本当に神様への最高の恩返しプレゼントになります。それで順番に上の次元の上の番組の扉を全部開いて向かい入れてくれるのです。本当に最高の光がスーっと降って来るんでしょう。だから願い事を出す護摩じゃないです。神様への贈り物を届ける護摩です。「ありがとうございます」護摩は。今の時代に必要なんです。天地を貫く光の柱を大きく太くしてくれるのです。
大分大勢の人が申し込んでくれて、お金も大分出してくれました。これ全部シール資金に、シールに変えて仕舞います。更にシールの「ありがとうございます」を加えて仕舞います。
(2002年6月15日 「護摩 」より)
☆おかげさまで自分の中に思いが少なくなったと思っていたら、会社の子が他所の会社の人から屈辱的な扱いを受けて、社内ではみんな憤慨しているんですがそれはある面ではありがたいことかなと思っています。みんながその子の気持になって一生懸命にその子のことを考えるようになったんです。でも、自分もそうなんですが皆もなかなか相手に対して許せないという思いを消すことが出来ないところがあって、許せない気持ちを思い返してはありがとうございますを言っているのですが、今はこれを続けることしかないんでしょうか?
ーおじさんー
いい事をして悪く言われるという場合があるんですね。でもこれは喜びごとなんです。いい事をして褒められたら、そのいいことをしたことが帳消しになります。プラスマイナスゼロで終わってしまうんです。ところがいいことをして悪く言われるとそのいいことをしたことが徳になって残るんです。だからいいことをする時は人に褒められない方がいいんです。表彰されたりしたら損するんです。政治家でも大臣になったら七代祟るくらい徳を失うというんです。それを補うだけのいいことをいっぱいしないと徳切れになってしまいます。だから本当は隠れていいことをいっぱいするのがいいんですね。人に見られてもいいことをし続けて、それで悪く言われる方が得します。だから徳を消さないようにしてくださったと喜べばいいんです。そうするとその徳の力というのが自分も幸せにするし人をも幸せにする力になるんです。
(☆それは夫婦でもそうなんですか?)そうです。一生懸命尽くしても悪く言ってくれた方が幸せなんです。徳をたくさん積ませてもらう方が輝いた自分に変ってくるんです。 感謝が出来るようになる前に必ず、いいことをしても悪く言われる時期があっていいんです。それで徳を積ませてもらって感謝の出来る自分に変えてもらうんです。
☆いいことをして悪く言われる場合にも、悪く言う人が本心で悪く言う場合と本心でなく悪く言う場合とがあると思いますけど・・・。
ーおじさんー
自分にとってはどちらも同じことです。人は人、自分は自分なので自分の受け方がプラスに受けたら自分が得するだけです。だからマイナスに見たら損するのは自分なんです。両方喜んだらいいですね。
(2002年6月28A日 「いいことをして悪く言われるとそのことが徳になって残る 」より)
☆さっきのお話だと、奥さんをあまり褒めすぎたらいけないという・・・?
ーおじさんー
表面で褒めるより心でしっかりと拝むような褒め方がいいんです。相手に知らせずに褒めているので、相手の本当の姿を引っ張り出す働きです。だから感謝する拝むというのがいいですね。誰かから素晴らしいプレゼントをもらったとするでしょう、すぐにありがとうございますと言ったら誰でも、もうそれで終わったような感じになりますね。でもお礼を言わずにズーッと心に貯めておくと心の中でいつもありがたいという気持ちが続くんです。それが相手にとってはもの凄いプラスになるんです。相手に感謝をし続けている拝み続けているという感じですね。相手に大きいプラスを与え続けている状態です。だから表面でありがとうございますと言うだけで、お返ししたような気持になってしまうとそれっきりで心の交流も何も起こらなくなる可能性があるんです。
(2002年6月28A日 「褒めるより感謝して拝む」より)
☆私は本気で思った時しかありがとうという言葉が出ないんですが、だから人から本当にありがとうと言われたらうれしいんですけど・・・そういうのも消えてしまうということですか?
ーおじさんー
ありがとうございますと言われて嬉しいという軽い気持だとこれは求める心の方で、感謝の心は報いを求めず与える心と一体化しているんです。感謝も相手に与え尽くす感謝、相手からお返しを求めない感謝がいいんです。それだと相手も報いを求めず与えてきます。
その感謝の交流というのが最高の姿をとるんです。でもちょっとでも求めると感謝してくれないとやっぱり自分がマイナスに感じたり苦しいんです。だから本当の与え尽くす感謝になると本物です。それを目指した方がいいから、相手には心から拝む深い感謝を捧げるという与え尽くす感謝に徹底する方がいいです。それで相手には一切求めない、与え尽くすだけがいいです。逆にいうと感謝されるより悪くいわれる方がいいと言うくらい徹底しておく方がいいです。感謝して欲しいというとプラスを求めているんですね、でも悪くいわれてもいいということは結局、計算すると逆にプラスを与えたことになるんです。マイナスを自分が受け入れるということは相手にプラスを与えたことにもなる、余計にプラスを与え続けている状態になるんです。だからそれが徳になって大きい利息がついて大きく徳が増えるんです。
(2002年6月28A日 「与え尽くす感謝がいい」より)
☆褒められると徳がなくなるという事なんですけど、お世辞の場合はどうなんでしょう?
ーおじさんー
同じです。お世辞で褒められても余計ありがたくないですね。真心が褒めてくれたらその本当の意味のプラスを与えてもらっています。相手からプラスを与えて自分を素晴らしく変える力をもらっています。だから本気で心の底から褒めて感謝くれる方がありがたいですね。でも表面的なお世辞でありがとうなんて言われても徳消しになりますから損します。本当の意味の褒め合いというのはいいんです、感謝のし合いというのはお互いがプラスを与え合う姿をとっているから。ただ、求めたら損するんです。お返しを求めると損しますから自分はプラスのいいものだけを与え尽くすというのがいいんです。同じ褒められて感謝されても表面的なものじゃなしに深いものを受けるのがいいです。逆にいうと表面は貶されて悪く言われても、本当はあの人は無限に褒め称えてくれている感謝してくれているとじぶんが受ける方が大事なんです。それがプラスを大きく受けたことになるんです。浅くなるといいものを受け損なってしまうので、また表面だけだと徳を消されてしまうんです。
(2002年6月28A日 「お互いのよさを褒めあう」より)
☆情けを、思いをかけるとか同情するとか・・困っている人が身近にいるんですけどそういう人をどこまでフォローしてあげるか、本人の生き抜く力を見てどこまで手助けしてどこで引くかというその辺のバランスというか・・どのあたりで見分けをしたらいいでしょうか?
ーおじさんー
今の話ともちょっと関連するんだけども、自分が誰かの面倒を見たいという気持ちを持っていると面倒見なければいけない人が周りに現れますよ。必ずみんな自分に合わしてくれます。だから自分がその人を素晴らしい神様というふうに拝んでそういうふうに見ていくと、自分を助けてくれる姿だけをとっていくんです。自分が面倒見るんじゃなしに自分が面倒見てもらう方になるんです。だから大事なのは自分が本当に何を選んでいるかなんです。何でも選べるんです。神様の方は全部用意してくれているからどんな番組も全部揃っているんです。だからいろんな番組をこの世でみんな引き出して具体化して見ているんですけどその中で何から自分が何を選ぶかというのが一番大事な問題なんです。
・・・面倒見てあげたいという立場に立つ?
それとも・・・みんなに助けてもらいたいという立場に立つ?
それとも・・・みんなが助け合いの世界がいいというふうに見る?
いろんな生き方があるから何でも選んでもいいんです。どの番組でも出てくるんです。
(2002年6月28A日 「自分が何を選ぶか」より)