Essay - Travels
- No.1
2000 Summer - Kagoshimaspa, mountain, sea and forest No.4 -
先生推薦の永田のいなか浜の「送陽邸」が、また好みの民宿でした。200年前の民家を親子で移築改装し、昔の良さを残したままで、水回りだけはしっかり近代的に清潔にした建物です。浜から見ても、山から見てもデザインがすぐれています。う - んと唸ってしまいました。
海の世界に夢中のひと
おーい帰ろうおじさんに連れていってもらった秘密の海岸がびっくりでした。珊瑚礁と原色の色とりどりの熱帯魚の世界が、水中めがね一つだけで見ることが出来るのです。病弱の筈のぺこさんが、興奮して海からあがってこないととさんを心配させました。世界中の海に潜っているという夫婦が、ここの綺麗さは半端じゃないと、私達以上に興奮して潜りっぱなしでした。ちょっと、潜ると20種類位の魚がみれるなんて、不思議ワールドそのものです。
いなか浜は、ウミガメの来る浜としても有名で、6月頃に産卵した卵が、孵化してにょこにょこ穴からはいでてきます。3年前には、パキスタンで産卵をみました。今度は孵化した赤ちゃんです。生まれたばかりの可愛い赤ちゃん達が満月の光の中で、海に向かってヨチヨチ懸命に歩き出す姿はなんとも愛おしくかわいいものでした。大きくなって、なんとメキシコにまで、回遊して行くそうです。
送陽邸さんの露天風呂は、海に面した崖っぷちに造られています。遮る物のなにもない、広々とした水平線の彼方に島々をみながらぼんやり、ゆっくりお風呂につかれる幸せはこの上ない贅沢です。地球はまるいんだな - 、これこそが海坂に沈み行く夕陽なんだと静かに感動しました。
イキボTomiケ?夜ともなると、民宿の家族と、お盆帰りの村の人にお客さんも加わり、毎晩宴会が繰り広げられるのです。三味線の弾き唄いも加わって盛り上がります。「マタハーリヌ ツンダラ カヌシャマヨー(可愛いひとよ)」がやがて「死んだら神様よ - 」となり、はてしない合唱が続くのでした。
住民120人の口永良部島の元気な若者貴船さんとも知りあいました。「21世紀は、地方からこそ、日本の本物の文化を発信してゆけるのだ」と誇らしげなのです。都会育ちの娘さんをお嫁さんに迎え、まもなく二世も誕生ということで、心強い限りです。日本の将来も捨てた物ではないような、明るいものに思えてきます。温泉や豊かな自然を生かした生活文化を仲間で生み出してゆくんだと話す笑顔がとても爽やかでした。
4日目は、密かに百名山を目指すとさんの宮之浦岳マラソン登山が、おさおさ怠りなく遂行されました。宿のおばさんに作ってもらったおにぎりを背に、とさんは、8時間の行程を5時間半で駆け走る、疲れを知らない韋駄天走りです。
豊かな森が海を育てる「Yakushimaには、月に35日雨が降る」と云われています。晴天続きだった旅行も最終日へきて明け方は雷雨に見舞われたのですが、どっこい、苔むした原生林の美しさを経験するにはもってこいでした。歩き出す頃には、晴れ間が見えてきて雨具の心配もなく、白谷雲水峡は、まさにもののけ姫の世界でした。太古の世界はかくやと思わせるような、杉の大木と、苔と清流の神秘ともいえる世界です。植物のせめぎあいや生存競争、共生等、生命力の強さに脱帽、ただただ「感動」の一言でした。
大阪伊丹空港に降り立つと、高層ビルに煌々としたライTomiが点り、自然の生命の躍動するYakushimaの世界とはあまりにも対照的です。人間は、果てしなく無駄なことを繰り返しているのではないかと、ふと、思えたりします。
今回は、M先生の別荘にも2泊お世話になり、Yakushimaに惚れ50過ぎから移住したKさんや、信大農学部出身の鈴木さんにも運転・案内・ガイドしてもらい、そのうえ晴天にも恵まれて、Yakushimaの魅力を十二分に堪能できました。
かくして、アホになるほど遊びほうけて帰ってきたのでした。その後の残暑の日々は、連日仕事に励み功徳をつんだというわけです。
文 ぺこ 絵 Poco
関連情報
- 民家の里 送陽邸
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