雑記帖 - つれづれのことのは

No.281
最後の居酒寿司

仕事納めも無事済ましたせいか、どうにも身体が重い。おまけにふしぶしまでが痛んでまるでロボット状態なので、観念して一日ダウン。布団に潜り込んできたぽこにゃんと仲良く枕を並べ、気持ちよくすやすやぐうぐう眠りこけた。おかげで、夕方には元気回復し、久方ぶりの汽車に乗って居酒寿司さんへ。駅の地下街を急いでいると「あれっ、ぺこさんじゃないですか」と声を掛けらて、見ればプールの元監視員さん。彼女は、高岡駅前の地下街を支える若者経営の雑貨屋さんでバイト中のデザイン専攻の学生さん。思わず「おいで」と誘ってしまった。

今年の初雪は重い。びちゃびちゃの雪道をどちゃどちゃ歩き、はるばる東京から駆けつけてくれたロクさんやトさんが待つお店に急いだ。おしゃべりしながら飲んで食べるのは最高に楽しいひととき。とはいえ、「おすすめのお店」がまたひとつ消えるのは、なんとも切なくて寂しい気がする年の瀬でもあるのです。

(2006-12-30)

No.282
お年玉

楽しいお正月の集いが何度も重なり、ぺこばぁばは、心持ち重くなった身体をもてあましているのですが、孫のたまちゃんの体重が増えてゆくのは大歓迎。息子夫婦の帰省中は、毎日たまちゃんと一緒にお風呂に入るのが何よりの楽しみ。口をすぼめてゆらゆら手足を伸ばしながら「あぅ、あぅ」とお話もしてくれるようになりました。一月前と違ってずっしりしっかり堅太りのたまちゃんは、手応えも十分。

いつもの遊び仲間が集った「ルパン」さんでの新年会には、なんがいねさんの家族も4歳と1歳のお孫さんが一緒に参加。お兄ちゃんは、折り紙で飛行機を作ってくれたり、「い~とまきまき、い~とまきまき」と手をぐるぐる回しながら唄ってたまちゃんをあやしてくれたり。お人形さんのようにかわいい妹のるっちゃんからは、すてきなお年玉プレゼントを口元に差し出されました。さて、それはなんだったと思います?なんとなんと、たまちゃんが生まれて初めて女の子から貰ったプレゼントは、嘗め尽くしてつやつやになったラム肉の骨だったのですよ。

(2006-01-08)

No.283
ご機嫌な日々

金曜日、「このゆぅ~び とまぁ~れ」と手当たり次第電話したのに友人・知人は予定が一杯。「こんな時には」と、埼玉在住のトさんの妹に夜の10時を過ぎて連絡した。翌朝早くに、電話のベルが鳴り「これから出発するよ!」。その日の昼には、3人仲良く野沢温泉の「良味」さんで、蕎麦を勢いよくすすっていた。初滑りで膝に水が溜ってしまったぺこは、落語CDに耳傾けながらひたすら読書。そして、夕方には2人とプールで落ち合い、自慢の泳ぎをそれぞれ披露してお楽しみ♪

修業を終えた若い息子さんが台所方に加わった「いけしょう」さんは、益々食事が充実していた。いろりの炭火でじっくり焼かれたイワナをほうばり、お皿にどっさり盛りつけられた自家栽培の野沢漬をさくさく存分にいただく。綺麗に掃除が行き届いたお炬燵の部屋で、ミカンやつきたての餅をご馳走になっていると、「まさにこれぞ、正しい日本のお正月」なんだなぁ~♪

恒例スキーも済んで、あとは毎日、炊きたてご飯の朝食が美味しく驚異の食欲でたいらげる。暮れから作った「かぶらずし」「大根の糠ずけ」「白菜の糠漬け」と丹精した物がどれも旨く漬かり、その上、毎日手入れしている糠床は発酵がすすんでクセになる香りを漂わせている。そうこうするうちに、あっという間にやってきた今日の週末は、観たい観たいと思っていた映画五味川純平「人間の条件」3部作に「寅さんシリーズ」もと相変わらずの欲張りな休日。

辻嘉一「料理心得帖」、内田百聞「御馳走帖」、品川正治さんの「これからの日本の座標軸」等々、あれもこれもと読書にも余念が無い。まだまだ「知って楽しい地図の話」「山、わが生きる力」「メキシコの音楽」「火焔太鼓」なんかも同時進行で読みたい本。いつもの如く、漬けものや柿山を、ばりばりほおばりながらのお行儀悪い読書。頭の中身といえば相変わらずで、こんな調子で還暦を迎えられるとは、嬉しいというか、恥ずかしいというか…。

(2007-01-21)

No.284
誕生日はおきなわぁ~ん

うりこさんが、親孝行にとご両親(2人合わせて170歳!)とサポート役のお供を2人伴っての総勢6名様で沖縄旅行にでかけました。一昨年の冬の事務所旅行の旅程を手直ししてパソコンで打ち出した行程を手にして「いってきまぁ~す♪」と飛行機に乗り込んでゆきました。

「ただいまぁ」と無事に旅から帰ると、さっそくにどっさりお土産が。大好きなジィーマミィ豆腐、豆腐よう、石垣島のたらしあげ、豚の三枚肉。どれもこれも美味しい。食後のお茶請けには、「田饅頭」や「の饅頭」をふかす。ぽこさんの誕生ケーキにはサータァアンダギィー。もちろん音楽は沖縄民謡で、おまけに春のような青空が広がるという、一日中陽気なおきなわぁ~んな日でした。

サムさん一家のおかげで、あじゃず・読谷やちむんの里。・美ら島水族館・花人逢のピザ屋さん・看板のないレストランのクッチーナさん(歓迎して貰ったそうです)と、しっかり楽しんで復習してこられました。重ね重ねありがとうございます。勿論、今帰仁酒造所さんにも忘れず立ち寄り、泡盛もどっさり買い込んできてくれました。人生、持つべき物は旅好きな友なんさぁ~。

(2007-01-25)

No.285
マイスキー節

昨夜は「フィンランド放送交響楽団」の演奏会に出かけた。 いつものようにイッセイ・三宅さんの絹の衣装で登場したマイスキーさんはオシャレで素敵な上に、白髪の長髪をなびかせて、もはや哲人の様相。かき鳴らされるチェロの音色はまさにマイスキー節。マイスキーさんにかかるとたとえ大バッハさんも手のひらの上になって唄い出す♪酔いしれずにおらりょうかいのう。

主席指揮者サカリ・オラモさんは六尺以上もある颯爽とした元気な若人。アンコールのシベリウス「悲しきワルツ」がまたよかった。澄み切った響きで、フィヨルドを船に揺られていた事や、どこまでもどこまでも続く森の中を汽車で静かに走った昔の旅を思い出した。仲間のなんがいねさんは、毎晩子守歌に聴いているという調べ。勿論、最後は立ち上がって歓声と拍手を送る。ブラボ~。

晩餐は、遅い時間でも、おいしい蕎麦が食べられる「更科藤井」さんへ駆けつけた。あれもこれもとどっさり注文して仲良く分け合い、お酒を酌み交わし旅の失敗話と自慢話をこれでもかと語り合う。興奮冷めやらず、汽車の中でも笑いが絶えない♪

で、帰り着いて、半分眠りながらも何とか湯を沸かし、ゆたんぽをいれて布団に倒れ込んだ。トさんに起こされるまで前後不覚のままぐっすり熟睡し、目覚めてみれば、片方の靴下をはいたままでした。あっちゃあ~。

(2007-02-08)

No.286
空飛ぶたまちゃん

連休前日。「連休に美山へ出かけるけど、きはりますか?」と息子の凸さんからお誘いの電話が入った。もちろん、「いくよ、いくよ。」と、二つ返事。明くる連休初日は、駅で切符を確保し、古着屋さんに立ち寄って「タマちゃんに綿素材のいいものを」とお土産を探した。持って行く荷物には、たまちゃんに歌ってあげたい「日本の歌」の本も入れたし、お菓子好きなたま父・たま母へのおやつもいれたし、後はネットで天候と気温を確かめるだけ。着替えを詰め込み、めったにない一人旅の準備は万端整った。

さて、翌朝は、目覚まし時計の鳴らないうちにぱっちり眼覚め、まるで遠足の日の子供状態。慌ただしいいつもの出発とは違い、余裕の旅立ち。待ち合わせの亀岡駅に時間どおりに到着し、、1ヶ月ぶりのたまちゃんにご対面。生後5ヶ月に入って、午前中はまだまだ寝ていることが多いけど、目覚めている間はいつも笑顔。「たまちゃん」と呼びかけると、決まってにっこ~っと、こぼれんばかりの笑顔が返って来る。ちぃ母さんは産後2ヶ月にならない内から事務所へ子連れ出勤し始めたのだが、たまちゃんは来所する人に、にっこりぃ~と笑顔を振りまいているとのこと。頼りになるなぁ。

「あぅ~、ううっ~」と盛んなおしゃべりの合間に、時々「うきゃぁ~」というような大きな声も出てびっくり。もう、しっかり物がつかめるようになり、「初めての木のおもちゃ」を自分でつかんでなめ回してご機嫌。おもちゃは涎ででろんでろん。盛んに足を蹴って頭を動かす為なのか、後頭部の毛がすり切れ、ちと大五郎ならぬたまごろう状態なのが、ご愛敬。驚きなのは、脇を支えてあげると、あらっ不思議。足先までをぴぃ~とのばした姿勢で空中浮遊しているのです。スーパーマンのように空飛ぶたまちゃんなんです。

(2007-02-14)

No.287
「高岡の懐かしい味」対談 その1

京の駄ら仏さん:
ときどきメニューに出てくるものの中にペキィと反応するのが「宮田」のたいやき「西田」の酒まんじゅうです。特に「西田」の酒まんじゅうは少しかたくなったやつを火鉢の炭火で焼き、あちあちのまんじゅうを火傷しないようにほっほっといいながら食べたあの味は忘れません。また同級生だった子の家が「宮田」のたいやきやさん。未だにあったとは…。今度帰った時にのぞいてやろう。

ところでぺこさんひとつ教えてください。ときどき思い出す懐かしい味のひとつに「大根めし」がありますが、覚えています?それともこれは我が家の特殊なものなのか?そぎ切りにした(?)大根がみそ味でごはんの中に入っているやつです。あれはみそ味の大根がお米と一緒に炊かれていたのか?それとも冷やごはんとみそ味の大根が蒸されていたのか?是非あの味を再現したいのですが…。 姉に聞いてももうひとつ要領が得ないので、物識りのぺこさんに解明していただきたいのでお願いします。

(2007-02-18)

ぺこさん:
> 特に西田の酒まんじゅうは少しかたくなったやつを火鉢の炭火で焼き
そうなんです。かんもちも饅頭も焼くのは炭火にきまりやよね。まわりはかりっとしているのに中はふっくらやさしく、ぷっくり匂い立つ香りがなんとも、はやはや。「宮田」のおばちゃんは元気に焼き続けておいでるよ。そういえば、おじちゃんはずぅ~とみかけないなぁ。未だにあったどころか、人気店で予約していかないと買えません。必ず待たされっがやよ。かわらん味って、いいもんやねぇ~。

これにもうひとつ「さかた」のあずきキャンデーが加わると、そこはもう「三丁目の夕日」の世界ながいちゃ。数年前にこのアイスが製造中止になったと知った時は、もう永遠に夏が終わってしまったような気がしてため息ついたもんです。

おっと、忘れてはいけないのが、釣さんの甘納豆。これは今も健在です。じぃちゃんや姉達の大好物だったので、実家ではいつも箱買い(それも靴箱ほどの大きさ)でした。それをまた、小豆のと白豆のと二箱も買ってきてしまうじぃちゃんでした。できたてを買ってきた時のじぃちゃんのちょっと得意そうで嬉しそうな顔ったらなかったがいちゃ。甘納豆は、火鉢の横に常備され、次次と訪れてくる職人さんやご近所の人達のお茶菓子にもなりました。じぃちゃんが、鉄瓶の湯でゆっくりいれてくれるお煎茶とこの上ない取り合わせやったよ。とはいえ、私ば、小さい頃「あまいもん」が好みではなく、人に振る舞うのがもっぱら。私の分は姉達にいつもお裾分けしておりました。

「大根めし」とは、すぐり菜の時期に作る菜めしのことでしょうか。いわゆるすぐり菜に、小指より小さい程の大根がついているのを斜め切りして菜めしに入れ込むことはあるのですが。我が家では、さぁっと茹でたものを味噌炒めして炊きたてご飯に混ぜ込んで食べます。これも決まっておかわりしたくなる味。焼きおにぎりにするのも大好き。春先の大根料理といえば、懐かしく大好きなばぁちゃんの味は「ぜいたく煮」とも表現される「おこもじの粕煮」。これが七輪で炊かれると、家中にぷぅ~んと古漬けの糠と粕の香りが漂い、なんとも食欲のそそられることでした。今年の「おこもじの粕煮」は、我ながらなかなかの出来映えでぽこさんにも褒めて貰いました♪

(2007-02-19)

京の駄ら仏さん:
> かんもちも饅頭も焼くのは炭火にきまり
そういえばこんもちがありましたね。これは火ばしを上手に使ってすじをひきながら延ばしていく楽しい作業でした。

> さかたの「あずきアイス」が加わると、そこは「三丁目の夕日」の世界ながいちゃ。
僕にとってのアイスキャンデーは、坂下町のだいぶっさんにいく坂の途中にあったとこのやつです。そこのミルクキャンデーが大好きでした。というのもそこには美人の二人姉妹がおられまして買いに行くときにそのどちらかが出てこられるかどうかでドキドキしたものでした。

> おっと、忘れてはいけないのが釣さんの甘納豆
どこやったけ?そういえば高の宮の坂をおりきったとこの豆板(砂糖でかためたやつ)好きでした。なんかいろいろ思い出してきて夜中の1時なのに突然口の中が唾だらけ…。

> 「大根めし」は、すぐり菜の時期に作る菜めしでしょうか
それとは別のです。その当時はこども心になんか貧乏臭い感じだったのですが。割と大きめにそぎぎりした大根を使ってありました。味噌味でした。冷やご飯を利用したもののような気がします。冬の時期の限定品だったように思います。ああ~口の中はあの味をしっかり覚えているのですがうまく表現できません。ぺこさんなんとかしてください。

> 「ぜいたく煮」とも表現される「おこもじの粕煮」
大好きです。どんぶりいっぱいでもあっという間に食べてしまいそうです。京都のぜいたく煮もおいしいですが僕には上品すぎます。やはり酒粕が入ったやつが好きです。以前どうしてもあの味を復活させたい一心で自分でたくあんを漬けわざと古漬けにしてぜいたく煮にしたことがあります。ほんまに贅沢なものですね。

(2007-02-20)

ぺこさん:
> このさかたってあの坂下町のだいぶっさんにいく坂の途中にあったとこですか?
おう、坂下町のミルクキャンディーも確かにたべたがいね。お店の中に、あの頃家庭にあった氷をいれる冷蔵庫をう~んと大きくして横にした様なでっかい(冷凍庫というより)冷蔵庫があったよね。モーターを回すためかベルトが回っていたような記憶があるがいけど…。叔母さんの家が向かい側にあったし、同級生の従兄弟といつも仲良く行ったり来たりしていたので、夏休みなんか決まって買ってもらっておやつに食べてたよ。あま(ロフトのこと)にあった子供部屋で従兄弟とアイスキャンディーなめなめよく本を読んだりしていたなぁ~。

「ぺこちゃんは、本がすきだから」とその頃貰った臙脂色に金文字の「世界少年少女文学なんとか」のごっつい2冊の本は、大事にして何度も何度も読み、つい最近まで本箱にいれていました。年末からの整理整頓大作戦でお蔵入りと相成ったのですが、たまちゃんが大きくなったら読んでくれるかもしれないのが、たのしみ。

話がそれました。もとえ。
> (釣さんの甘納豆)どこやったけ?
ここは、たしか横田校下だったのでは?遠いので、いつもじぃちゃんが買ってきてくれたのです。 大きくなってスーパー佐武さんで見つけて嬉しかったよう。

> そういえば高の宮の坂をおりきったとこの豆板
あれまぁ、確かに。豆板も忘れているようでは、高岡人のもぐりと言われることになんがいね。 わたしゃ、あそこの豆入り飴が好きでした。お店の奥の方で大きなバットに広がった飴を、割烹着を着込んだふっくらとしたおばちゃんが、器用にひっぱってつぎつぎ鋏で切ってゆかれるのを観ていたような気がするのですが…。

なんか無性に「懐かしい駄菓子」が食べたくなり、今日は仕事帰りにスーパーに寄ってみたがいけど、なんも心動かされるようなお菓子ちゃないもんで、ほんまにがっかり。いつも買う南国特産「ボンタンアメ」と「五穀あられ」を買ってみたがいけど、いまひとつわくわく感が足りなんだ。

> (おこもじの粕煮)大好きです。どんぶりいっぱいでもあっという間に食べてしまいそうです。
うわぁ~、「どんぶりいっぱい」の思いを判ってくれる人がいるって嬉しい。 暖冬化で、いまや沢庵というより、あさづけの大根を割り漬けして糠で漬け込むのですが、今年も粕煮を作りたいがために、葉付き大根を日に干し、しっかりおこもじを作ったがいね。 どりゃどりゃと、重石あげて覗き込むのが嬉しいことったらないよ♪今朝は二度目の白菜の糠漬けを漬け込んだよ。

う~~ん、懐かしい味を語り合うってなんちゅう楽しい。 いよいよ歳かいのぅ~。ありゃ、いしょにしてしもたら、だちかんわ。

(2007-02-21)

No.288
「高岡の懐かしい味」対談 その2

トさん:
高岡のざいごの伏木生まれ伏木育ちのトにとっては、あんたらち(ぺこさんと京の駄ラ仏さん)の会話にはなーんついてゆかれん。高岡の思い出ゆうたら、高ノ宮のサーカス見にいったら、ライオンにションベンひっかけられたことかな。このやろーとなったけど、なんせ相手は百獣の王やし。そこで、人生かなわぬ事が有ることを知りました。高ノ宮には「親の因果がべけべけべんべん」と首長ネーちゃんもおったし、なんのせ、高岡ちゃ、デンジャラスな町やった。

こんもちは、切って藁で繋いで、つるしていましたねー。ちょうど今頃は、天神様やらに飾っていた鏡餅についた青いカビを包丁で削って、炭で焼いて食べるのが、おやつだったちゃ。ちょうど、ほんわか茶色い焦げが出来ると、旨かった。商売一筋の我が家でも、餅つきは年末に毎年していたなー。お餅と言えば、昔は笹で包んだお餅がおいしかった、黒豆が入いっとるのは特に。

(2007-02-21)

まめつぶ子さん:
おじゃましまーす。昔を古い写真機で撮ったアルバムをみているようで、懐かしく楽しく拝見してます。ぺこさんが駄菓子を食べたくなられたとか…。私も右倣えで、たまに橋を渡り駄菓子専門店へひとっ走りです。孫と駄菓子パーティーになります。只今ごま練り棒に夢中です。水あめや砂糖で、すっごく甘いけど素朴な味です。家々から米と砂糖とお鏡餅やこおりもち(こんもち)のかけらなど持ってポン菓子を作ってもらいませんでしたか?すごい音がするあれです。

(2007-02-22)

ぺこさん:
> 昔を 古い写真機で撮ったアルバムをみているようで
昔を思う時、必ず見えてくるのは懐かしい人の顔です。寅さん程に口上を述べるわけではなくても、近くにあった「つまんこや」のおばちゃんは、店番しながら編み物もして小さなお店の前には季節の花を咲かせている働きもんだったし、小学校近くにあった駄菓子屋さんは「なんでもや」で、おばちゃんは実に器用に手早くうすいうすいお好み焼きを焼いて売ってました。そして決まっておばちゃんを取り囲んでいる子供達がいっぱいいたことです。短靴のうしろがつぶれている子やら、袖口ぺかぺかにして青ばなたらしている子、小さい妹の手を引いている子も混じっていたのですが、みんな唾を飲みながら眼を輝かせとったなぁ~。

> 只今ごま練り棒に夢中です
そういえば思い出しました。じぃちゃんは麦飴も好きでした。商いで金沢に出かけたときには、私の好物の小出の「芝舟」と「麦飴」がお土産に決まりだったので帰りがとっても待ち遠しかったよ。最近、たべてないなぁ~。

> ポン菓子を作ってもらいませんでしたか?
あちゃ~ほんまや、ほんまや。「そばのいんがし」とまらまくなるもんの例えになるくらいやもんね。 高岡では、今川さんのぽっかんが今も健在。年末の農業祭にも、ポン菓子の実演販売に長蛇の列ができてました。うれしいな♪先日も、めったに行かないスーパーで探したもののひとつ。ところが、ポップコーンはあれども「いんがし」がない。ほんまになに考えとんがやら。

(2007-02-23)

せり人さん:
たかのみやさんは、覚えておりますよ!宮田のたい焼きは、やしで隠れとったけど、「親の因果が…」の首にょろにょろも見たし、大樽の中を走るオートバイも見た。赤い水、青い水、木製ルーレットを回して当たるこんにゃくやら、デンジャラスで楽しくも怪しいとこやったです、まちは(当時、駅裏の蓮畑に囲まれて住んでた僕たちは、駅前に行くことを「まちに行く」と言うとりました)。あっ、今でも駅前行くとき「まち、いってくわぁ~」っと言うとるような…。5月の祭りか、何かいいことあった時の大和の食堂が楽しみでした。

(2007-02-23)

トさん:
> 5月の祭りか、何かいいことあった時の大和の食堂
大和ゆーたら、屋上の遊園地とお宮さんが懐かしい。屋上から、高岡の町を眺めるのが何よりも気持いかったちゃ。 プラハの丘に古典的な展望台があって、そこから眺めた赤い屋根の町並みがすっばらしかったがいけど、昔の高岡の町並みは重厚な瓦屋根が並んで、プラハに匹敵する眺めやったチャ。いまや、その面影は薄れてしまい、「8月のクリスマス」では、金沢犀川沿いの町並みが使われていたのが寂しかった。その金沢も大分町並みが変わってしまい、今や瓦屋根が連なる景観を見るには、中国麗江までいかんなんかも。しかし、現時点でも砺波散居村の風景は、かろうじて素晴らしく、いつまでも残したい物だ。

(2007-02-24)

京の駄ら仏さん:
いやはや、いろんな昔のことがあっちこっちから飛び交ってきましたね。なかなか楽しいものですね。我が家でも毎年暮れには餅搗きを欠かさずしていました。そして藁ですだれのように編んだこんもちをあまり使わない座敷に干していました。小さい時にはその干してあるこんもちを取るのに下のほうから抜いてしまい上のも次々落ちて困ったことがよくありました。昆布の餅が一番好きでした。いまでも昆布もち用の昆布を富山から送ってもらい近所の農家のおばちゃんに搗いてもらってます。そうそう、笹で包んだ餅、いい香りがしておいしいですね。

小学生の頃、学校の検診でよく虫歯や鼻カタルなどにひっかかり医者にいかされたのですが、時々その治療費で駄菓子屋でおばちゃんが焼いてくれるお好み焼きを内緒で食べました。野菜だけのが20円か30円で、卵を入れてもらうと10円高かったように思います。それが1軒は大阪風もう1軒は広島風で2軒がすぐ近くにあり、どっちにするか結構悩みました。どちらかというと大阪風に軍配があがりました。たぶんそっちのおばちゃんの方が気安い人だったように覚えています。

5月のお祭の高ノ宮はやはり興奮しましたね。そうそうあの地球儀のでっかいやつみたいな中でバイクでぐるぐる廻るやつ、すごいなあ~と感心してみてました。首長娘、毎年おもてではみたけど恐くッて結局中に入って見る勇気はありませんでした。やはりデインジャラスでした。あの木製ルーレットをまわして貰うこんにゃく不思議においしかったですね。あれは富山地方の独特のものなのか他では見かけません。何年か前に懐かしくなって自分で作ってみたのですがやはりあの味は真似れませんでした。多分、こんにゃくの薄さが秘訣かもしれません。ぺらぺら感がいいのかも。

つまんこや、紙芝居、いんがし(ぽっかん)、酢昆布、水あめ。大和の食堂に大重亭、その向かいにあった(名前を忘れた)食堂のあんみつやチョコレートパフェなどなど書き出したらきりがありません。最後にひとつだけ、ユトリロのカレーは都会の味がしました。懐かしいことがいっぱいです。お酒を飲んで昨日のことは忘れているのに何十年も前のことはよく覚えている、やはりこれは歳いうことですかね~。

(2007-02-24)

ぺこさん:
> 我が家でも毎年暮れには餅搗きを欠かさずしていました
私は豆餅が好き。昆布好きなじぃちゃんはもちろん昆布餅。とぼ餅を切るのはじぃちゃんの役目で、その為に使う専用の大きな包丁がとても大事にされていました。中華の料理人が使うあれです。使ったあとには、まるで儀式のようにじぃちゃんが包丁を研いでいた音が夜の土間から聞こえてくるのを今でもはっきり覚えとるよ。のんびりおだやかな性格だったおじぃちゃんが火鉢で焼いてくれる「こんもち」の味はぽこさんにとっても忘れられない思い出の味。火鉢と言えば銀杏を焼いたのも大好き。小さな金槌でこんと割れ目をいれて火のそばに入れて焼けるのを待つ間、大きな「べんかけ」(火鉢のことです)のそばでラジオを聴きながら時々覗き込んでいたなぁ~。

> 時々その治療費で駄菓子屋でおばちゃんが焼いてくれるお好み焼き
あっ、駄ラ仏さんの頃にはまだありましたか。たしか、20円だったと覚えてます。しょっちゅうお腹を壊してしまう「よわたれ」だったので内緒で食べた味です。焼き上がったお好み焼きを大きなヘラでひょいと新聞にのっけてくれるおばちゃんはなんとも器用で、白い割烹着だった母とは違い、柄の入った割烹着だったことを覚えています。最後に食べたのは確か3年生。

> あの木製ルーレットをまわして貰うこんにゃく
ええっ、あれって富山の味だったとは!町内の夏祭りでもやりました。前日に蒟蒻を切って切って切りまくり、串をよくよく洗って熱湯で消毒して一度乾かし、今度はその大量の蒟蒻をみんなでさすんです。甘味噌は時間を掛けて大鍋でしっかり照りをだし、当日は香具師のおばさんとなり。くたくただったけど面白かった。だれど、あんまり採算あわんだかも。

> 大重亭の向かいにあった(名前を忘れた)食堂
「ますや」でしょ。初めてチョコレートパフェなるものを食べた処です。末広町や御旅屋・大和での買い物の後に「ますや」で食べるのは、凄く嬉しいことだった♪後年、藤田嗣治さんの絵を見たとき、思わず「あっ、ユトリロやっ!」と声に出してしまったのですが、間違いなくカレーの匂いと一緒でした。考えたらパリとカレーは変かな…?

(2007-02-24)

トさん:
> ユトリロのカレーは都会の味がしました。
ユトリロのカレーは、なぜか記憶があります。確かにフランスを感じる小じゃれた店だった。しかし、トにとって、洋食屋は何と言っても「フジヤ」。3代続いたここの、コキール、ハヤシライス、クリームコロッケは絶品でした。ヒレカツと手羽先焼きの唐揚げとクリームコロッケの入った幕の内弁当を数え切れないほど食べた。ハヤシライスは一週間煮込ンだもの。ここの弁当は後口がホントによーござんした。

(2007-02-26)

京の駄ら仏さん:
> 「ますや」でしょ。
そうそう確かに「ますや」でした。まだあるのでしょうか?そう言えばカレー屋で「ユトリロ」という名は変ですね。というか「ユトリロ」はカレー屋ではなく洋食屋で、たまたまカレーがおいしかったんですね。フジヤはどこでしたっけ?とても親しみのある名前なのですが出てきません。僕の記憶にある洋食屋さんでは大仏さんのすぐそばにあったお店です。そこのハヤシライスが長い時間煮込まれた感じでとてもおいしかったです。

ところで僕が生まれて初めて食べたお店でのアイスクリームは御旅屋通りにあった「スワン」という純喫茶でした。銀の入れ物に銀のスプーンでアイスの横にはウエハースが添えてあるやつです。未だにあのときの上品な味が口の中に甦ります。まだ4~5歳のときでした。隣の家のDさんとこのお兄ちゃんが当時慶応大学生で、夏休みに帰郷した時に連れて行ってもらいました。といってもそれは僕の為ではなく、D家のおばちゃんの眼をごまかす為でありまたデート中の手持ち無沙汰を解消するためのかわいい(?)隣の悪ガキを演じる為に駆り出されたのでした。

もうひとつ、初紅茶はやはりD家のお姉ちゃんのデートででした。お茶の水大生だったお姉ちゃんが伏木の港に船を見に行こうと連れて行ってくれました。大きな貨物船が入っていて僕たちは船員さんに中を案内してもらいました。船員さんたちの居住区も見せてもらいコンパクトながらしっかり重厚な感じだったのを覚えています。そこで出てきたのが今から思えばあのセイロン紅茶でした。番茶でも緑茶でもない不思議な味のお茶でそれこそ遠い外国のおしゃれな感じを味わいました。この時もデートのカモフラージュでした。

とても使い勝手のいい隣の悪ガキだったのでしょう。そしてまさしく彼らが望んでいたように与えられたアイスクリームや紅茶の味はしっかり覚えているのにデートの相手の顔や名前なんかはうわの空。果たしてそんな人がいたのかどうかも覚えていない単純な男の子でした。どなたかおいしいものを食べさせて頂けるのでしたらデートのカモフラージュにどうぞお呼びください!おいしいものには眼がありませんがいたって口はかたいと自負しておりますので。

(2007-02-28)

No.289
人間国宝

「桂米朝」さんの一門会へ、昨夜行ってきました。笑いましたね。例えお話が堂々巡りしても、つやつやとして童子にもどりつつある品性漂うお顔であれば、満場のみなが許します。 一瞬の沈黙も「絶妙の間」ということになるのは、83歳の人間国宝の成せる技。

弟子の「ざこば」さんにも惚れました。師匠の失敗を暖かく包み込んで満場の笑いをとり暖かく和やかな雰囲気一杯になるのです。隣の席の素敵にオシャレした出で立ちの紳士は、涙を流し膝を打ちながら大声で笑っておいででした。斜め前のおじぃちゃんは、眼鏡を外して涙を拭きながら大笑い。

「おかしさ」を全身で感じていると尚更に嬉しくて、楽しさがいやましてゆくような会場の雰囲気を作り出す。大方ひょうひょうとした面持ちでありながら、落語家って凄い! 「平林」の名字を話題に「一八十の木木」等と呼ばって人を訪ね歩くなぞ、なさそうで実はありそうな日常の中で仕事をしている昨今なので、笑っているのが一番。話の始終は分かり切っているのにおかしい。一番油がのっている「南光」さんが最後を締めてこれでもかと笑って皆が笑顔で満足そうに会場を後にしてゆく。なんともはやいいもんだ。

(2007-03-04)

No.290
交響曲の父と天才

ツェトマイヤーさん指揮するアンサンブル金沢の演奏会に出かけました。ヴァイオリニストで指揮者で室内楽奏者として、ヨーロッパでは今一押しなのだとウィーン在住もりさんからも評判をお聞きしていた注目の演奏者。連日仕事が忙しく、還暦迎える身にはちとオバァワークの日々。行けるかどうかと体力と相談していたところ、うりこさんが今日もお迎えに来てくれるという。「明日をも知れぬ、いきたい、いこう!」と重い腰をあげてよかった。いつもは貧民席と呼ぶ「通」の席・天井桟敷なのだが、なんと今回は一番端っこといえども一階の前方の席をうりこさんが確保してくれました。

ハイドンさんのびっくり交響曲「ロンドン」を聴きながら思い出したのは、20年程前のロンドンはイーリングブロードウェイでのこわぁ~い経験。ひとりで買い物をして、ぶらぶら散歩しながら知らない住宅街を地図を片手に物珍しげに歩いていた処、突然現れた魔法使いのような乞食のおばあちゃんに食べ物を所望されたのです。片言の英語で汗しながら漸く手に入れた貴重なヨーグルトを一つあげると「サラに」と買い物袋に手を伸ばされ、「これ以上わたすものか」となり、走って逃げたら、な、なんと追いかけてきたのです。その上、意外にもこのおばあちゃんが足早。ひとっこ一人いない郊外の高級住宅街をぜぇぜぇ~はぁはぁ~、借りていた友人のアパート目指して息せき切って逃げたのでした。 「揺り籠から墓場まで」と社会保障の充実した国だと社会科で習っていたロンドンにも、ホームレス?がいたのでした。

さて、楽しみにしていたモーツァルトの協奏交響曲はやはり期待通り素晴らしい演奏でした。ヴァイオリンもそうなのですが、ヴィオラのキリアスさんの演奏もいいのです。知識が乏しく、流れている音楽にハイドン?モーツアルト?と似ていると思えることが多いのですが、やっぱりちょっと違うようで、モーツァルトさんって天才的です。弦の響きは心を揺さぶります♪

(2007-03-06)