ウィリアム ウォルトン(1902〜1983)--William Walton ---------・William Tuner Walton ・1902/3/29-1983/3/8





      実は、ベンジャミンブリテンと 対等に 論じられるべき、
      【現代的イギリス音楽の確立者】と、見直してみよう。・・
     RVWらで、新たに強く意識されたイギリス的旋法音楽を、
     ドイツ的形式性の中にスマートに埋め込んだ。最初期には
      アーノルトシェーンベルクの影響が、ハッキリ見て取れるが
     一般的には単に後退した復古的作風であったように理解さ
     れている。大家的古典的ジャンルを作品は統合し、特に協奏
     曲、交響曲等に明らかに華々しい「効果」を示す。 それは
     また結果として、本質的な自らの差異性も明瞭に示すのだが、
     アングロサクソン圏を、越えた評価を生み出す妨げになった。
     また映画音楽に積極的だったことは、その本質の別の面とも
     いえる。 今日のさまざまなメディアの発達の産物は、因果
     として例えばローレンスオリビエとのシェークスピア映画等
     の音楽の強烈さなどの形で、は日本人にも身近に意識させ始
     めてきつつある・・ともいえる。

            ◆・・・ 代表的作品をいろいろな演奏で聞いてみるには →♯
     

            ◆・・・  VnとPfのための『トッカータ』と、     →♯♯
             シェーンベルクの方向。
               



 

映画「リチャード三世」より、 ”I would I knew thy heart"

                                      

                                              【以上 主文は、1998年3月頃のHPを作ったほぼそのまま。】

       cf:Benjamin Britten ベンジャミンブリテンと 対等」=こういう言い方をしたのは、その成立から考えても、ウォルトンのポジに対するブリテンのネガの関      係を云って措きたかったからで、ブリテンの音楽の主要な要素は、ウォルトンの音楽(世代)に対する反定立ということを考えずして本      当は理解できないと思われる。ストレートなウォルトンに対してひねったブリテンが、存在するのに 従来 大体のヒトがブリテンの方      から眺めたため、イギリスの20世紀音楽の様相の全貌は、訳が分からなくなり、無駄だらけなのが特徴のように考えられてしまう。      また この2人は、実際 本質的に慎重な協力し合う関係があり、交流もそのような形であった。こういった全体の雰囲気を、「イギリ      ス本国」人々にとっては、前提として、関連する文筆が自然になされたりした結果、ブリテン中心の音楽史が成立したのであり、また、      ブリテンの方が時代の流行や独立したイギリスの固有の価値観を示しているかに見えるなど色々収まりの良い条件(ファクター)もあっ      て、この通説が出来上がっていると見た方がよい。ある種のトリッキーな状況を踏まえる必要がある。それで、当地の人の議論の一面に      余り引っ張られることは、全く遠く離れた(アル意味キャッカンテキな我々・・)我々にとって誤解が増すだけになる。                                                【この注は、2001年9月7日記述】