雑記帖 - つれづれのことのは

No.391
地獄の仲間

野沢行の車は、ぽこさんのポンコツアウディでアッシー君はかん添乗員。 ところがこの車は寒さや雪にめっきり強い。夜間はマイナス17.8度に冷え込んできんきんの雪になる志賀に乗り込んでもトラブルを起こしたことがない。定宿石ノ湯さんに辿り着くには急坂の難関が待ち受けているのだが、うなりながら走るようになってしまったとはいえどもアウディさんは、こんな坂あんな坂も、と・ぺこの為ならといとわず働いてくれる。嬉しぃ!

友人の車で出かけた際、「新車だしFFだし、この車なら大丈夫」と安心して後部座席でくつろいでいた処、上り坂にもかかわらず滑り出した車が逆さボーゲンの如く、雪の壁にぶつかりながら後ろへ滑りだした時には、思わず「なまんだぶ、なまんだぶ」と唱えているしかなかった。こわかった。

今度の野沢行は思ったより雪も少なく、何よりも昨今は除雪がされている。野沢の街中は温泉を地下に通したほかほかロードになっている。もう野沢に通い出してかれこれ30年。急坂や川沿いの道に差し掛かる度に、「ここで滑ったがいね。ここで一回転したがに、あんとき、対向車おらんでほんまに命拾いしたがいね!」と昔の失敗話に花が咲いた。

運転手を申し出てくれたうりこさんと出かけた際には、おしゃべりに夢中になって滑っていることに気がつかない。「すべっとる〜〜〜」と叫ぶのと、ガッツンとぶつかるのと一緒だった。「わぁ〜〜、雪の壁でよかったがいね」と思ったが、車の前部がへこんでいる。とっさにうりこさんが叫びました「これで、と・ぺこさんちの一生奴隷やがいね!」

さて、後部座席に座った三人は病気自慢仲間でもある。 ぺこばぁさんとKさんは再発すること数度、はっちゃんは後期の癌から生還した。三人が三人して、一度は死にかけたのだが、どうやら閻魔さんも扱いかねると思ったのか帰されてしまったのだ。抜けるような青空に「生きとってよかったがいね!」と乾杯!「いい温泉やちこと!」と乾杯「あの転び方は絶妙だった」といっては否が応でも杯が重なるのだ。

きゅっきゅっとなる雪に歓喜し、雲一つ無い青空の様子を電話でたけどんに報告しながら「下々の労働者諸君はしっかり働きたまえ」と報告・激励の電話をかけて喜ぶいじわるぺこばぁさんは、この度も又、明日からは心入れ替えていい人になろうと固く決心。

ところが、決心打ち明けた処、おねーたんが言いました 「あんただけ極楽行ったらあかんがいね。友達、だも(=だぁれも)おらんよ」 「そやちことぉ〜。」

(2009-01-20)

No.392
頭が

偽装関連のニュースを見ていると、揃って頭を垂れている人達が、キョウツッケッ、れい〜をしている。形だけというか型どおりの挨拶をしているようで かえって、なんか、寒くなる。

あれって、角度も決まっていて、なんか、事前にみんなで練習して 「こんなもんでどうや」「まだまだ、もうそっとふかくやろ」等と言いながら打ち合わせてしているような・・・これは、いじわるばぁさんことぺこの思いすぎ?

聞いたはなしによると、友人仲間が揃って初詣に出かけた際、お祓いを承け、「いちどう、こうべをたれてっ」と合図の言葉があったにもかかわらず 様子をうかがっていた人が約2名。大人一名と子供1名「そこの人とそこの人、こうべが高いっ!」と注意を受けたとか、受けなかったとか・・・

「あかん、あかん」と苦笑しながらも、こっちの方が、ほんとの気持ちらしいんじゃない?「ねぇ、ぽこねこさん、どう思うにゃん?」と訪ねたら ゆっくり背伸びして頭をあげ、大きく欠伸をかえされてしまいましたちゃ。

(2009-01-24)

No.393
親の顔

仕事をしていると、時々狸にバカされたかな「??」と思える事に遭遇する。誰だって自分を良く見せたいし、見られたい心理はわかるのだが、とっさとはいえ口から出任せ、その場凌ぎの嘘をつかれてしまうと、どう理解しどう対応していいものやら・・、ほんとに、困ってしまう。

正直者でかさこ地蔵さんのようである事を信条にし且つ喜びにして商いを続けていた両親譲りの遺伝子のなせる業とは知りながら、ついついがっぷり四つに構え、本気で呆れ怒り、声が大きくなってしまう自分がいます。結果、単細胞でやわな私はいつもの様に神経性の下痢です。またか。

仕事をし続け、責任もしょって、歳を重ね、随分角もとれ、いつのまにかほどよい加減と折合も身につけた筈なので、最近の自分を「少しは大人になったぞ。えらいぞ」と褒めてみたりもする。しかし、根っこの所で性格ってちょっとやそっとでは変わらんのだぁと呆れたりもする。しょぼん。

この頃は、日本のあちこちにモンスターが登場しているとか・・・ ある日のこと、現場に遭遇しました。子供の債務の整理を依頼され、精かいてなんとか解決に漕ぎ着けた筈だったのに感謝の言葉どころか、逆に文句を申し述べられたのです。勿論そんな人なので人一倍手間を要したことは当然なのですが、親ごさんと会話を交わしながら情けなく気持ちのどこかが怒っています。ふつふつ。

そして、その後、自分の嘘に更に嘘を重ねる為に、当事者である子の方が、「説明が悪かったからだ」と難癖つけられた所で、所員一同ぽかぁ〜んと呆れた。窮鼠猫を噛むと言います。追い詰められているのだろうかと心配をしながらも、未熟モンの私は「もう面倒なんかみるもんか」という心の底からの声をききながら怒りを収めるのに必死。どうどうどう。

しかし、そんな時、いつもその人の名前を改めて確認します。名前を読んでみました。「親」なぬっ?こりゃあかん!読んで字の如く親も子も一緒ということか!いやそうじゃない「親」になって心を尽くす人に育って欲しいと願って命名されたに違いないのです。

もう一人は?「真理子」ええっ、ホントに真理の子ながけ!「おぎゃ〜」と産声をあげて生まれた時には祝福を受け、周囲を喜ばし、「真理を追究してくれる子」になるようにと皆に期待され望まれたのだろうなぁと想像を豊かにし、どこかで真理を見失ってしまう程に環境が悪かったのだと理解に努め自分を説得。

呆れて、諦める場合ではないのです。きっと、小さい頃からゆっくり物事を順序立てて話して貰える環境ではなかったのでしょう。ここは叱咤激励ではなく、優しくゆっくり、一歩一歩前向きに生きて貰うしかありません。 事実をひとつ、ひとつ確認し、今後の対策を説明し手続を進めるしか本人が立ち直ってゆく道はないことを判って貰うしかありません。

「親の顔がみてみたい」という志の輔さんの新作落語は、聴いてる分にはお腹を抱えて笑えるのですが、顔をみてみたい親の子供さんの事件に対処する際は、笑ってる場合ではないのです。いやいや、ここは怒りを静めて自分を納得させ無理にでも笑顔を作って口笛吹きながら仕事をかたづけようじゃないか。よしよし。

青春の早い時期、人間の原罪というものを思い悩み教会に通って聖書を読んだり、人間性の自由を求めたジィドの「狭き門」を繰り返して読んだりしました。「目には目を、歯には歯を」とジャブの応酬で対処する人生でないと納得でき兼ねると、自分勝手に間違った解釈を主張する私に、母は「左の頬を打たれたら、右の頬も差し出して上げれるような人間になられか」と諭しましたが、「いややっ、できん!」と独りごちて歳を重ねてしまったぺこばぁさんなのです。

正直ぐったり疲れました。ぼぉ〜としてプールに出かけたところ、いつもの仲間が声を掛けてくれました。「ぺこさん、どうしたがけ?いつもにないつかれた顔やぜ」「病弱やもんで」と笑って答えたのですが、「そんな時ちゃね、なぁ〜もかんがえんと、ゆっくぅ〜〜っとおよがれか」やさしく、アドヴァイスされ、ホントにゆっくっと泳いで疲れを忘れました。多くを語らなかったのですが、ありがたい。プールの仲間っていい♪

(2009-01-24)

No.394
感謝の日

今夜はぽこさんの誕生日祝いで賑やか。

朝の内に献立を立て、おすわいを準備。寒いときには鍋が一番と、メインは鴨鍋。お造りは、居酒さんの貴重なストック青井谷の小ガモをわけて貰った。 お昼を食べに行った処、ちゅうど脂ののった鯖を調理中。大きなうまずらもおいしそう。ついでに?等と都合のよい勝手を言ってあれもこれもわけて貰うことにした。

プールの後、急いでやり残した仕事を片付け果物を買って家に戻った。 百合根の梅和え、鯖のおろし和え、そして鍋の材料がすっかり切り揃っていた。 持ち帰った鯖は3時間ばかり塩をし、最後は軽く酢で〆てお造りに。甘酢生姜に包み込んで食べるとまことに美味しい。薄造りは居酒さんが造ってくれることになった。うれしいな♪胆でたっぷりのヅケが添えられ、手作りの塩辛や茗荷の酢漬け等お土産がいろいろついてきた。ありがたい。

うりこさん夫婦を交えてシャンパンで乾杯し、ワインで乾杯し、笑ってしゃべって飲み交わしているうちにすかっり平らげ、みんなのお腹はいつものようにぱんぱんべんべん。

結局、ぽこさんと一緒にあれこれ準備して誕生日の宴となった。 人のためにすることは自分に対してなすことでもあるので、やはり楽しい♪ 元気で美味しく食べれることに感謝。

(2009-01-24)

No.395
感謝の日 その2

プレゼントはというと、とぺこが選んだのはカシミヤのカーディガン。うりこ・じゅんさんは素敵な色合いのバラを主にした大きな花束や楽しい金魚の本 そして美味しいデザートワイン。凸さん一家は飛び出す絵本。以前本屋さんでみて欲しいなと思っていたのが入っていた。たまさんもよろこんで読まれることでしょう。

居酒さんのマスターは、誕生日だと知っていて「うすづくり」のお造りを丁寧に造ってくれた。自家製茗荷の酢漬けはぽこさんお得意の押し寿司になくてはならないし、イカの塩辛は日本酒にぴったりの酒の肴。

この日とばかりに、大好きな(自分が?)果物をいろいろ買い込むぺこばぁさん。「これはうまい、これはうまい」とみなで食べまくり、飲みまくり、 「あんた自分だけ食べとってやよ。自分だけ飲んだやろ、みんなにも分けられよ」とまるでディサービスの食堂風景はかくや?と思わせるような食べ呆け状態。わやわや。

そして、ぺこばぁさんは、誕生日記念に久しぶりに500クロール・500バタ足・500水中歩行し、体重52.5キロに脂肪量22%を記録して元気もプレゼントとさせていただきました。 よかった、よかった。

(2009-01-27)

No.396
ぼくは猟師になった

休日は朝目覚めると布団の中で読書が、幸せの時間。京都に住む大学生だった若干33才の若者が猟師になり、獲って捌いて食べる経緯と経験をつぶさに書いた本「ぼくは猟師になった」リトルモアを読んだ。

名前は千松信也さん。目出度い姓に名前が「信ずる也」と、じぃちゃんが初孫に命名?したような名前で読み出す前からなんとなく、わくわく。

文学部に学んでいた千松さんが猟師に惹かれ、自らワナを作り、どんどん深みにはまってゆく様子を読み進むと、こちらの方がいつの間にか罠にはまっています。どきどき。

鉄砲撃ちをするのだけが猟師さんではないのです。千松さんは早朝から山を駆け走り仕掛けたワナを真剣に見回ります。ワナのワイヤーの油の匂いを消し、自分の痕跡と匂いを消し、獣道に残った足跡の大きさから方向性を推し量り、あらゆる手を尽くして動物との智惠比べを展開します。へぇ〜と驚きながら頁を繰ります。

ワナにかかった動物との対峙も手に汗握る緊張感が伝わってきます。正に血と汗と涙ぐましい力と知恵と仲間の応援を助けに、しとめた動物や鳥のお肉は、勿論、皮や胆までも、感謝しながらまさに有難く利用し、食べさせて貰うのです。若者千松さんの謙虚な姿勢は自然と共にあり、食の原点に立ち返えらせてくれます。

燻製を作ったり、バーベキューしながら雀を捌いたり、皮をなめしてみたり、薪風呂を自分の手で設計士自作して行きます。もちろん、山菜を採って乾燥したり塩漬け保存もします。 山の恵みを命の糧として暮らす千松さんの日常は、退屈をしりません。

「動物の謝肉祭」といえばサン・サーンスの曲が有名でミッシャ・マイスキーさんやクレーメルさんで聴いたことがありますし、ピアノのアルゲリッチさんも演奏していてお馴染みです。時には賑やかで時には静寂が支配する自然が描かれている楽しい曲は、誰でもきっと学校の音楽室や親子劇場の会場などで聞いた事があると思うのですが。読んでいると、なんとなくそんな音楽が聞こえてくるような気がします。

夏でも寒い位に冷房の効いたスーパーに綺麗にパックに詰められて売っているお肉にはない味がするだろうなぁと、肉類が好きではない私でも、唾がいっぱいたまるのでした。千松さんに会ってみたくなる本でした。

(2009-01-27)

No.397
猫は魔術師

原口緑郎氏が編集長を務める文学紙「猫新聞」を毎月楽しみに読んでます。

猫の魔力に惹かれてしまった著名な芸術家の皆さんの絵やエッセイーが掲載されている新聞で、これもまた魔術にかかったように解けない魔力を秘めています。母が愛読していた「暮らしの手帖」と同じく広告を入れないと言う点にもひかれている。

「猫は魔術師」は「ねこ新聞」監修なのですから、もちろん掲載された作品の中から選び抜かれた珠玉のエッセー集で、浅生ハルミンさんのイラストがまたかわいい。

修業の末母の境地で猫を愛する群ようこさん。「ネコ」とう名の猫に心ほぐされた老夫婦にとってわが子同然と親の心境を語る小沢昭一さん。子犬を産んだばかりの犬に育てられ「にゃん、にゃん」と鳴く子猫、子猫をまねてジャンプを試みる犬の親子の様子から己を知るという人生教訓を学ぶジェームス三木さん。 骨皮筋子の捨てネコを保護過剰に育て愛してやまない妻や娘にやや嫉妬の念さえも抱いてしまう山田洋次さん。

何処を読んでも、何度読んでも、ほろりときたり、頷き、笑ってしまう。 将来鶴亀ハウスに入所の際には持ち込む本にくわえよう♪

大方のネコが捨て猫や迷いネコや傷ついたネコ達なので「ぽこネコさんといっしょだにゃ〜」と、今朝はやけに早くに起こしにやって来たぽこ猫さんに話しかけたら、丁寧に顔を舐めてくれた。昨夜、マッサージしながらたっぷり塗っておいた馬油のせいかな・・・

(2009-01-29)

No.398
ブラボー

今夜は花金。といっても、お昼はおにぎりをほおばっただけ。ぎりぎりまで仕事を片付けて、汽車に乗り込んだ。後ろを振り返れば、仲間がよたよたになって入場チケットだけを握りしめ駆けつけてきているではないか・・・かろうじて、セーフ。

座るやいなや、バックからとりだしたるは、 よもぎ饅頭、切り昆布、梅ゼリー、黒ごま板にミカン と、まるで婦人会の旅行?とりあえず、小腹を満たしておく。

ロシア生まれのドミトリーキタエンコさん指揮するリムスキー=コルサコフのシェエラザードを、プーランクのオルガン協奏曲を黒瀬恵さんの独奏で、日本でも数少ないパイプオルガンのある音楽堂ならでは。そして最後は再びコルサコフさんのスペイン奇想曲 を、堪能した。

素晴らしかった!!コルサコフさん61才の時の作曲で実に透明な美しさを称えている。シェエラザードといえば,岩城さんが車椅子で指揮された200回定期公演を聞き逃したのがつくづくも残念無念。私も車椅子で参加すべきだった(骨折していたので4回の貧民席に移動するのがしんどくて不参加だった)

軍人さんでもあったコルサコフさんは、もしかすると日露戦争の犠牲になって海の藻屑になっていても仕方なかった程に沢山の人達が無駄に命を落とした戦争だったが、コルサコフさんが生きて作曲に専念し、後世にこんなにも感動の名曲を残して下さったことに感謝する。

1曲目。コンサートマスターのアビゲイル・ヤングさんのソロが見事だった。オーケストラアンサンブルの楽団員さん達の信頼がきっと厚いのだろう。キタエンコさんの信頼もファンの皆さんの信頼もあついコンサートマスターの名にふさわしいリーダーなのだ。

今日も辛いことや厭なことがあって、自己嫌悪に陥ってしまいそうな軟弱な精神が、立ち直る元気を貰った。キタエンコさん、アビゲイル・ヤングさん、そして楽団のみなさん、ありがとう。

2曲目。このまま、パイプオルガンの調べに乗って昇天すると天国までいけそうで、そうなると、友達いないかもしれないが、それも許されそうでありがたかった。

3曲目。白い壁の家々と青い空を思わせる奇想曲は、是非にもスペインへいかなくちゃと思わせる。

アンコールはお馴染みビゼーのカルメン前奏曲。会場の人達の惜しみない拍手に、キタエンコさんは軽やかな足取りで退場。最後に、ドアの影から顔を出しユーモアセンスで笑い誘う指揮者でもあります。

いつもの音楽仲間で上気した気分のままで「コルサロ」にころがりこんだ。 今日までが新年会と称し、シェフに我が儘言い放題で大急ぎで美味しいものを造って貰い、笑い語り食べて飲み、幸せな時間は今日もあたふた忙しくすぎていったのでした♪

(2009-01-31)

No.399
ゆっくり、うつくしく

スローフードは食の国イタリアから発信されたそうですが、一応、スポーツにもと目指している。バタフライ、ゆっくりで50メートルをコンスタントにそして美しくの目標をたててぼちぼち練習している。唯一、ぺこがとさんに勝のは、息継ぎなしでけのびをしながらバタフライばたあしすること。

今日は、久しぶりのやまさんと「あーでもないこーでもない」と自己訓練法をご披露しながら練習した。ゆっくりの方は、とさん曰く「ほんとに ようまぁ こんなにゆっくりすすめるもんやわ」と半ば、いとしげ。 泳いでる本人も、あまりのゆっくりさに「ほんまに おそいちこと!」と笑ってしまう。

車椅子の人の水泳指導をボランティアでしているやまさんは、「いやいや、ゆっくりは 理に適った泳ぎでないとすすみませんよ かくじつにすすんでいるのだから いいんじゃないですか」慰めとも励ましとも思えるが、なんとか認めて貰うと嬉しいものだ♪

しかし、まずゆっくり50メートルバタフライができるようになったのでよしとする。がんばらないで、たのしもう。らくらくと よりうつくしく♪

(2009-01-31)

No.400
ゆっくり、うつくしく その2

ゲレンデでも「ゆっくり、うつくしく」を目指すぺこばぁさんです。お正月、わかさんのパートナーとボーゲンで中級コースをすべり降りるという基本に添って1日スキーを楽しんだおかげで教えていた筈の私の方が、かえって少しばかりうまくなったような気がするから、こちらがお礼をせねばならないことに・・・。

日曜日のらいちょうは視界がほとんどなく、その上ゲレンデ上部はがりがりだし雪の固まりがあったりして足をとられる。志賀や野沢と違い雪は重く、シュトクリの重い板に重い金具のついたスキーを履いて三重苦状態。

病弱で力なくその上右目が霞んでいるばぁさんには悪条件が重なった筈なのが、なんとエッジが効いてというか利かせられる滑りになっていて、「おっ、これは?!」と面白い。

新雪が嬉しくてスキーが楽しい仲間は、チケット忘れてゲレンデに行ってしまう人やら、財布忘れている人やら、いつものようにこころ踊っている。わやわや。

らいちょうバレーは、60才からシルバー券。しかし、一日券2600円しかないのだ。大人券の半日券が3000円なのでクレーム付けてる場合ではないのだが、「とっしょりは、元気なくなって、半日すべればいいとこながいぜ。来年は半日券2000円でもいいさかい、つくってくだはれ」とおねがいしたところ、「75才まで、がんばって滑ったはれ(=ください)。ただになりまっそ」とかえされたので「75でちゃ、無理やから、70才から無料にして貰えんやろかね」と、シルバー及び近い将来シルバーになる駄ラ仏ちゃん仲間のためにもお願いしておいたがいちゃ。

悪条件に眉をひそめていた筈が、いつのまにか「あれっ、わたしって、でっくんがいね」と、すっかり面白くなってきた。新雪できゃほきゃほと叫びながら滑っているふたりをリフトの上から眺め、「ヤッホー、ヤッホー」と声援送りながら、私もご満悦で一人で滑った。

で、いつものようにシルバーとはいえ一日券を買ってしまったばぁさんは、もちろん、お昼の集合時間までにゴンドラ・リフトを合計6回利用して「よし、よし、もとはとれたがいね」と更に満足な面持ちで待ち合わせの美味しい「アルム」さんに入った。

帰りは、久しぶりの亀ヶ谷温泉・白樺荘さん(一日券を持っていると100円引き)の露天風呂へ。地元のおばぁちゃん達数人の先客有り。みんな温泉につかってつやつやに輝く顔で朗らかな笑い声が雪化粧した近い山深い谷に谺する。雪をかむった紅赤の椿を目にしながら私は一番はしっこでゆっくり身体を伸ばし、気持ちよくストレッチ。

「ねぇさん、スキーですか、どっからですか」と話しかけられて、ぺこばぁさんは、ここでは、すっかり若返るのでした♪

(2009-02-04)