雑記帖 - 旅日記
- No.3
2002夏~島旅シリーズ「屋久島」その5 -
びりっときた最終日の明け方というか夜中の2時頃、ふと目が覚め、枕の位置を直そうと手を伸ばした時だった。突如ビリビリッ!と電流が走った。一瞬何事が起きたのかわからず、それでも本能的?に刺されたあたりを強く吸ってから、洗面所で確認。見た目は何ともない。電気をつけて、部屋の中を見回しても、すでに犯人は逃亡した模様。とりあえず、何かよくないものに刺されたのだなと思って、石けんでよく洗って、VG(抗ヒスタミン)軟膏を塗って、そのままもう一度寝ようと横になったのだけど、だんだん刺されたあたりが痛くしびれてきて、寝るどころではなくなり。。。そのうちぺこさんも起き出して、心配で眠れなくなり。。。
朝になっても痛みがひかないので、宿のおじさんに、病院に行きたいのだというと、おじさんが、近くの診療所に電話してくれるも、誰も出ない。そんなら総合病院まで運転していってあげると、病院へ連れて行ってくれたのだ。おじさんは、その日の朝から鹿児島に行く予定があったのに「そんなの全然かまわん」と。お医者さんに状況を説明すると、それはたぶんムカデでしょうと即座に判断。ムカデは後遺症が残ることはないし、VG軟膏を塗ったのなら十分でしょうと。結局治療はなかったが、犯人がわかったのでほっとした。心なしか痛みもひいてきたような。
すっかり安心して、再びおじさんの運転で宿まで戻った。宿のおばさんも、大事無くてよかったねと、帰りには貝殻のお土産も頂いた。そうして痛い思いはしたけれど、やさしいやさしい島の人の心にふれることが出来たのだった。送陽邸のおじさん、おばさん、ほんとにどうもありがとう!
酔っぱらいねこさて、今回の宿「送陽邸」だが、泊めて頂いたところは本館で、5人で一軒家を貸しきりだった。上がり間、囲炉裏部屋、8畳間が3つ、ぐるりには一畳ほども幅のある気持ちのよい縁側、煉瓦造りの大きな風呂(もちろん温泉)、洗濯機、冷蔵庫、流しもついている。テレビ、電話はない、そんなものいらない。古い民家を移築してきて、おじさんと息子さんで手直しされたそうで、いろんなところに工夫が見られて、それを見て回るのがとても楽しい。おじさん、次々とアイディアが湧いてくるのだ。そして、それを実行してしまうところがすごい。
送陽邸は今回泊まった本館の他に、別館と新館もあって、どの建物にも「とにかくお客さんにゆったりくつろいでもらいたい」というおじさんの願いが詰まっている。屋根には大きな石が並べてあり、上から見ると、そのまま砂浜に連なっていくかのように風景と一体化している。送陽邸は、永田の地に長く住み、土地のことを知り尽くしているおじさんの智恵と工夫の結晶なのだ。
名残惜しい送陽邸を後にして、屋久島灯台を見物後、一日目と同じように時計回りに島を巡る。志戸子ガジュマル園では、うちわで蚊を追いやりながら見物。宮之浦では、山尾三省回顧展を見学。屋久島に移住後、年を経る毎に、仏様のような顔になっていく三省さん。かぼちゃ家でラーメンとカレーを食べ、最後の締めくくりに歴史民俗資料館で屋久島の歴史を学んで、屋久島への旅を終えたのだった。
文・絵 ぽこ