雑記帖 - 旅日記

No.1
2000夏~鹿児島「温泉・山・海・森の旅」その3

屋久島出身のM先生から、月に一度は出かける別荘へ「是非、ど~ぞ」と熱心なお誘いをうけていました。20年来話題に上り続けていたのですが、ようやく念願かなって、鹿児島から海をわたり屋久島へ!屋久島は縄文杉で有名なのですが、海もあんなにきれいだなんて!

絵:山のふんどし?
山のふんどし?

志戸子のガジュマル園は、おどろおどろしいガジュマルの樹の影から、いまにも妖怪変化の一つ目小僧が出てきそうな雰囲気です。植物の生命力の強さに、圧倒されて声も出ず。縮のシャツにステテコとらくだの腹巻きという古典的正装スタイルの90才のおじいちゃんが、ボランティアガイドを、かってくれました。ほほえましくて、一緒に記念写真をパチリ。

横河と書いて「よこごう」、もっと親しみをこめると「よっこ」と地元の人達に呼ばれる渓谷は、眺めもすばらしいのですが、渓流遊びにもってこいの島人の憩いの場です。高校生の男の子達が岩の上から深みに飛び込んだり、急な流れの岩場でシリセード(尻滑り)したり、まるで子供のように歓声あげて遊び戯れていました。島の人達は子供達や大人も純朴さと人情の豊かさが残っています。もちろん、私達も昔に帰って渓流遊びを楽しみました。ヒヤーッとする冷たさや自然の中で泳ぐ感覚はプールにない開放感で、これがいいのです。

大川の滝、千尋の滝と滝巡りもしました。滝をみるといつも想い出します。「山に架けられた絹のヴェールのごとし」と称賛したウエストン卿と、かたや「山のしょんべんじゃ」となんの興味も示さなかった熊谷守一画伯と、どちらも評価がうがっています。凡人の私どもは、「滝壺で泳ぎたいね」「ちひろの滝で記念写真」となります。

平内海中温泉で一風呂あびた後は、おやつ代わりに流しそうめんとビールで喉を潤しました。M先生は、昭和9年生まれの屋久島育ちです。屋久島高校出身者ですが、若い頃は、島で漁師をしたり、山の上まで馬を引いて炭を運んだりして中央大学に入学し、苦学して、37、8歳で資格試験に合格した、とさんの同級生。

その後、東京の赤坂に事務所と自宅を持ち、屋久島には別荘を造り、古事記、日本書紀や屋久島の歴史の研究をライフワークとして、最近「屋久島物語」を自費出版されました。彼の著作の特徴は、文献考察に、漁師や山歩きの自らの生活体験を生かしているところです。江戸時代、屋久島に上陸して捕えられた宣教師シドッチの上陸地点の考察には特に力が入っています。人間、好きなことには、力が発揮できるモノなんですね。

もちろん、シドッチ記念碑では研究者のM先生の熱い解説付です。シドッチは、日本で布教活動は出来なかったのですが、彼を尋問した新井白石が、彼の博識に感心して「西洋記聞」をものにし、日本の歴史にインパクトを与えることになったことは有名な話。こうして、島に足を踏み入れて2日目は、島一週巡りを楽しみ、ビールで乾杯、焼酎で乾杯を重ねて旧交を温めました。

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