雑記帖 - つれづれのことのは
- No.221
おらっちゃの畠 -
日曜日、氷見へ出掛けたついでに、「おらっちゃの店」を覗いてみました。欲しかった天突きなんばは残念ながら売り切れで、「あれ、欲しかったな」とレジのおばさんにいうと、ちょうど横にいた元気なおばちゃんが「ほしいがやったら、うちの畠においで。真っ赤っかになっとるよ」とつやつやに日焼けした顔をほころばせて誘って下さいました。
「すぐそこやから」と言われて、嬉しくなって車で後についてゆくと、共同の作業小屋もあるりっぱな畠。さっそく真っ赤になって天をさしている大きななんばをひと株そっくり切って「はいよ、葉唐辛子は味噌炒めにすると美味しいよ」と下さいました。隣の畝を見れば、沢山実をさげた茄子が。「ほしかったら、もいでかれ」と言うが早いかどんどん手が動き、次から次と小振りの秋茄子が竹籠に山になってゆきます。
この竹籠というのが、来る途中に通りがかりの氷見の商店街の中程でたまたまみっけたお店で分けて貰ったばかり。80はとっくに超したと思えるおばあちゃんがひとり細々と籠だけを並べて商いするお店で、「一つ残って古い物だから200円」と、タダみたいな値で分けて下さったもの。すでに良い具合に飴色になっていて手に馴染むのです。
この大きな竹籠山盛りいっぱいの秋茄子とひとかかえの天突きなんばで500円。その上、モロヘイヤもキウリも「持って行かれ、代金なんていらんいらん、食べて貰えるのが嬉しいの」と、まるで実家に帰った娘と孫を見るような目で見送って下さいました。「またいつでも来られか~」「また来るちゃ~」。
(2005-09-27)
- No.222
すぐれもの -
爽やかで天高く、今日は、台所の三角コーナーを掃除しました。このコーナーは台所の改造の時、DETTO工房さんに無垢材で作ってもらったもの。内部の回転板だけは、30年間使い続けたというのに丈夫でびくともしていなかったので、再利用してもらったのです。調味料を入れて、毎日使わない日はない愛用品なので、手入れしてやらねば、バチ(罰)があたるというもんです。
最初は台所石けん洗剤でさっと汚れを落とし、もう一度重曹で全体を吹き、次にあつあつの雑巾で、最後はから拭きですっきり吹き上げました。この間、掃除に使うお湯は、食洗機から流れ出る熱湯の排水利用。ホシザキさんの家庭用食洗機は、その昔、業務用厨房用品展示会を訪れ、一目惚れ。当時、後片付け当番で「手が荒れる」と嘆いていたトさんが、「これ下さい、すぐ下さい」とポッケトマネーを差し出していたというわけです。あれからもう十数年がたち、現在は2台目を愛用する毎日。
「小さいけれど高性能、わずか6分のスピード洗浄!」という宣伝文句はウソじゃなく、上置き式なので、排水を利用して大きい鍋を洗ったり、雑巾を洗って掃除に利用し、最後にはシンクの中もすっきり洗い流せて使い回しのできることが節約好きな主婦には嬉しいことなのです。地球にとっても、いいことしているなと思うとなお嬉しい。
とにかく早くてきれい!食洗機のない生活は考えられませんが、愛用の漆器物だけは洗いません。だから、毎日持参している三段重のお弁当は手洗いです。ところが、これまた漆器物の優れた処で、汚れが決してこびりつかないのです。さっと流すだけできれいに汚れが落ちてしまう。さて、一番の優れものは、う~ん…。今日は、扉も全開にし、一日扇風機の風をあて、さっぱりすっきりさせてやることにしました。おかげさんで心も爽快になるよ♪
(2005-09-29)
- No.223
秋味 -
久しぶりに佐武スーパーさんへ行ったら、嬉しくてまたまたあれこれ買い込んでしまいました。この季節にはなんといっても「いくらちゃん」。いつもの手順で70℃程のお湯でさっとほぐしながら袋や筋をとり、冷水に能登の塩を入れて今度はさぁ~っと克つ綺麗に洗う。これに純米酒とお醤油を同量入れて漬け込んで半日後が今朝。炊きたてご飯にのっけて手巻き海苔で食べるのが最高!
無農薬のキウリも買ってきたのでごろごろ板ずりし漬け込みました。小振りの秋茄子も漬けナスに。「なすのこうこ」が大好物のトさんは、鉢に山盛りでも食べてしまうのです。ぽこさんは、油麩とエリンギと炊き合わせ。これがまた美味しくて「秋茄子は」「ほんに、ほんに、うんまいっ」と言いながらたべつくしました。「くりよりうまいじゅうさんり」薩摩芋と焼きネギの炊き合わせがまた甘い。
そこへ今日は美味しい丹波の黒豆の枝豆まで届きました。ウンマイモノハシンプルに味わうのが一番。能登の塩で茹でて酒の肴に。あれよあれよというまに鞘だけが山になってゆきましたとさ。何とよく食べるのかと呆れているところに、ウリコさんが「みかわやでござ~いっ」と元気なかけ声と共に丹波の栗を持参してくれました。よしえかぁさんが、せっせと丁寧に皮を剥いて下されたので、我が家は食べるだけ♪
(2005-10-14)
- No.224
おもしろ市 -
高岡の開祖前田利長さんの菩提寺は、曹洞宗の名刹瑞龍寺です。日曜日、その門前の八丁道で催されたおもしろ市へ出かけました。
トさんに言わせると潔癖症の性格が災いし、若い頃は、古道具・古本・古着はどうも苦手と頭から敬遠していた筈なのに、「埃では死なない」を信条にする相方と共に暮らすうち、おかげさんで免疫力も耐久力もじわじわと増し、加えて歳のせいで根気も目も弱ったのが幸いし?だんだんと許容範囲が曖昧になり、いろんなものを受け入れられようになってきたのです。骨董は買えないけれど古道具ならと、十数年程前からふたりして骨董屋さん道具屋さん巡りをして楽しんでいます。
市には、雑貨・生鮮品・手作り品と並んで目立っているのが古道具屋さん。まず目に入ったのが箕。先日氷見街道のお店で手にしてみた品に劣らず丁寧に編まれてしっかりしています。
「おばちゃん、これはいかほどでしょう」
「けさから、なぁ~ん売れんがでぇ~、こぉってってくりんがならぁ、やすするよ!」
「おじちゃん、こっちの銅の湯沸かし、いいもんやね」
「めぇつけどころいい人やのぅ。銀の細工もあってじょうもんや」やりとりを楽しんで、通りを往復してきた両の手には箕(千5百円)、湯沸かし(6千円)、薄手のコート(2百円)、茄子と梨(9百円)がぶらさがておりました。出口近くの陶器やさんは能登からやってきた眉丈山窯の御夫婦の店。もちろん、足が止まり、座って微笑む奥様にどこか面影が似た黒猫ちゃんのお香立てを買いあげて、財布は見事にからっぽ。なにも買わないのが一番の得とはしりながら「お買い得だったね」とほくほく顔なのでありました♪
(2005-10-19)
- No.225
のどかな朝 -
爽やかに秋晴れ。不燃物を運んでいったらぽこにゃんとよく似た白黒猫が「にゃ~にゃ~」とゴミ出しに来た人みんなに挨拶して愛想がいい。ご近所さんの猫なのだが「肝臓病で治療中やから、むやみとエサやっちゃダメながいちゃ」。猫さんも元気に天寿を全うするのが大変な時代だにゃ。
もう一匹の茶猫は、エサを求めてやってきたカラスさんを狙うつもりで大きくしっぽを左右にふり後ろ足は「よーい」の姿勢のまま5メートル手前から慎重に様子をうかがっている。どうみたってカラスさんの方が大きいのだ。 集まってきた人達は「それいけっ」と猫ちゃんに加勢している。 のどかな朝♪
(2005-10-27)
- No.226
断固として -
岩波ホールで「亀も空を飛ぶ」を観た。監督バフマン・ゴバディさんの前作、「わが故郷の歌」に描かれたクルドの人々は、苦しい難民生活で旅から旅へと移動しながらもいつも歌と共に生き、生きることを溢れるリズムで表現していて、まさに人生を歌い上げていた。
自爆事件が毎日のように報道され決して戦争の終息が見られた訳ではないイラクの今日的状況の中、生涯消えることのない傷を持ってしまった子供達が今日も増え続けるのかと胸が痛む。いまも少女の顔が思い出される。ユーモアも忘れず、くじけずけなげに生きる子供達を主人公に描かれていてどこか東洋的神秘を思わせる美しいシーンもあるのだが、じぃっと遠くを見ている少女の顔が涙で曇ってしまい、怒りを押さえることができなかった。断固として無駄な殺戮を繰り返す戦争には反対。
(2005-10-30)
- No.227
みぞれ鍋 -
寒くなったら鍋、忙しい日にも鍋、一家団欒に鍋。冬は鍋にきまっとる!で、白菜鍋にかかせないのが黒コショー、うどん鍋には京都の黒七味(最近これにはまっている)、大根鍋には九州の柚こしょう 海鮮鍋には巣立ち キムチ鍋はそのまんま おでん鍋には和芥子、餃子鍋には信州の寒ずり。かかせない取り合わせでクセになる。みんな子供の時には食べられなかったものばかり…。歳とったなぁ~。
もうひとつ忘れていたのがこれこれ、みぞれ鍋。 秋味の産卵に遡上した鮭もいくらを捕るのが目的なので身の法はめちゃめちゃ安くてお買い得。主婦としてはこれを利用しない手はないのだとばかり、毎年買い込んで作るのがみぞれ鍋。三枚におろした鮭をぶつぶつ一口大に切り、みりん醤油に漬け込むこと3時間~半日。これに本葛粉をまぶしてさぁ~と唐揚げ。唐揚げしながら大根は一本丸ごとすり下ろす。もうひとつかかせないのが筍。季節ではないので地元の水煮のものを使います。なるべく繊維にそってしゃきしゃき感をだすように下ゆでして切るのがコツ。たっぷりの出汁が沸騰したらどんどん入れ込んで、あとはあつあつを、はふ、はふ、はふ。これには一味をたっぷり。
愛用の鍋は、もちろん陶房ななかまど印です。鍋を囲むのがより楽しくなること請け合いです♪
(2005-11-22)
- No.228
ね・が・め -
最近、トさんの飛び込みがなかなかのものになってきた。私の得意分野のお株をとられそうで”うかうかしてはいられない”と密かに闘志を燃やしている。めらめら。一昨日も1回目2回目、やや不調。「今は虚心坦懐、遠くへ飛ぼうと思わずとにかく一点に集中すること!」とぺこ指導者は口うるさい。「もぐってみてるよ」といったら、すぅ~~いと実に美しく入り込んできた。グラスくんからも10点満点を貰った。
昨日も1回目2回目と軽くきまり、「脚のばらけを今度は注意して!」より高度な指導が入った。3回目には実に綺麗に飛び込みがきまり、隣のコースのスィミングおばさまから拍手もおきた。ぱちぱちぱち。
そこへ、いつもやさしくあれこれ泳ぎを注意・指摘・指導してくれる指導員のやまちゃんがやってきた。いつもと違ってやや伏し目がちで遠慮がち、なんか気の毒そうに「あのぅ~~、とさんにもいったがやけど、ぺこさんも水中めがねが…。arenaと書いてある方を上にすりゃ、さ・か・さ・ま・にならんがですけど・・・・・」「あっちゃ~~、あれぇ~~、ぜんぜんきぃついとらなんだ!!わはははっ♪」笑ってるばあいではない。どうも、まだまだ”ど”のつく初心者だ。
(2005-11-24)
- No.229
ぴちぴち、ぱつぱつ -
このところ、くるひもくるひも美味しいものを食べ続けているので、じわじわとおなかのまわりがふくよか。金曜の夜は今年一番待ちに待った「みどりさんのヴァィオリンコンサート」。この日のためにとっておきの黒の皮のパンツを取り出し、よくしぼったタオルで全体を拭き上げ、お天気の日に陰干ししておいた。
富山では「にっぱちの商い」という言い回しがあって、どぉ~と雪が積もって一番寒い2月と、うだる暑さが続く8月には、人々が購買意欲をなくし、殊に衣料の商いは少ないのがあたりまえという。日頃衣料品の多くは古着を愛用しており、いつもでかける古着屋さんも「にっぱち」には、更に値が下がっていてめちゃ安価格になっている。
あれは昨年の2月のこと、「もう冬ものを買うことはないなぁ」と思いながらもちょっと店をのぞいたら、いつもてきぱき適切な品選びをしてくれる店長さんが、「これはぺこさんに、お似合いっ!」と、皮のパンツを勧めてくれた。値段は?とみると「1500円!えっ、これホントの皮やよね?」「うん、ほんとほんと。その上、新品。」みると裾のしまつもしてない正真の新品!?。
試着してみたところ、ぴったし。どんだけぴったしかというと、かがめないくらいにぴったし。「でも、皮は、はいてると伸びるからそれ位がちょうどやよっ」と言われてみれば、なるほど20年前程前に購入して長いこと愛用していた皮パンは確かに多少伸びてゆるめになり、最後はズボン吊りが欲しくなったほどだった。皮パンは風を通さず、いったん着用するとやめられない暖かさだ。その頃、自家用車は自転車だけだった我が家にとって、この上ない重宝な冬の防寒着だった。「これ、ください」と、ほくほく顔で持ち帰った。
さて、木曜の夜に試着をこころみたところ「あちゃ~、これあかんわ。ちぃさなってしもた」どうやってみても、チャックがあがらない。それもそのはず、月に一度の脂肪率や体重を記録しているメモによると、昨年よりは確実に2~3キロ増えているのだ。地球の引力の法則も働いて、ついた物は、したへしたへと落ち着くのが道理。従って、ぴちぴちが、ぱつぱつをこえ、さらに…。皮さん、皮さん、うぅ~とのびてください♪
(2005-11-26)
- No.230
ばか ばか ばか -
今日はギャラリーNOWさんで素敵な人生の達人にお会いできた。陶芸家の鯉江良二さん。「先生」とか「マエストロ」とお呼びしたいのだが、なんだかそんな風に表現するのは似合わない。
作品と似てどっしりとした重みを感じる品性。誰におもねるでもない、子供の快活さと自分らしく思考し行動する大人の魅力を併せ持つ人という印象を持った。「自分らしく、自分のままでいれることが陶芸の魅力でありそれが生きること」という姿勢と心がそのまま作品に表現されているようだ。日本人とか外国人とか何人とかという差別も区別もいらない。暮らしを創造する人といえばいいだろうか。
会場の入り口を飾る額に書かれた言葉がいい。「ばか ばか ばか」ここのところ、あまりに理不尽な昨今の社会の機構に言いたい言葉でもあり、一日を振り返って自分に言っている言葉でもある。
(2005-12-04)