雑記帖 - つれづれのことのは
- No.181
考えるやまんば -
月に2回の不燃物の日が、はやくもやってきました。山と積まれたゴミの山を目の前にしばし考えました。これは、なんのため?しぜんにとってなんぼのもの?生ゴミ袋(燃えるごみ)を有料にしてゴミが減ったわけではないような気がします。むしろ無料で出せる不燃物の山は増えたような…。ドイツでは、ゴミを一切燃やさない処理方法を選択している町があるとか、生ゴミを回収して堆肥にしている村が日本にもあるようです。
最近は密閉袋に入れられた乾物にも疑問を感じます。できればナイロン製品も冷蔵庫も石油製品関連も、要するにゴミを排出して土に戻らない工業用品・不燃物にはできるだけ頼らない暮らしをしたいと真剣に思います。もっと根本的に解決策を計らなくちゃと弱い頭を悩ませてみたりしてます。江戸の頃の社会には、理不尽な身分制度もたしかにありましたが、暮らしの身の回りのものがほとんど99%リサイクル可能な使い廻しの出来る物であったことが素晴らしいとつくづく感じ入るのです。
今度の台風や地震で、後かたづけや復興に協力・奔走する人々の報道をみて暖かい心が失われていない事にほっとしました。反面、処理しきれないゴミの山の報道に、つくづく人間の創造物の危うさを思ってしまいます。「風が吹けば…」の例えは、桶やさんが儲かってめでたしだからいいものの、現代は、処理にも困る地雷や核を含む廃棄物をかかえてしまっているのです。
愚かな人間がいればいるほど法の規制が必要で、鍵をかければかけるほど不安が増す。社会にも、心にも。そして益々、法の規制は 網の目のごと細かく滑稽なほど微細にわたる。時にはインチキと見まごうほどに…。なんで法が必要なの?人が囲いをつくり所有を主張しはじめたから?国境が出来たから?宗教や民族を守るため?この頃の 次々できるながったらしい名の法律はなんなの?猫の目みたいにどんどん改める法律はなんなの?そろそろ、「むやみやたらと法の改正をしてはいけないという法律」が必要かもね。
(2004-11-11)
- No.182
めんたいこ -
愚息のパートナーちぃさんから、事務所旅行で訪れた九州のお土産に、大好物の明太子が送られてきました。まず、炊きたて御飯にのっけて、はふはふいいながら食べる。次ぎに、焼きたてを食べる。周りがぱりっとしてなかはほんわかふっくら、明太がかおっておいしぃ。お次ぎは、焼いたのに酢をかけておき、したったものを炊きたて御飯にのっけて食べる。最後は、残りをおしみながらよくよく味わって食べる。どうやって、食べてもおいしいな。乾煎りした糸蒟蒻に和えて食べてもこれまたオツな味。
(2004-11-20)
- No.183
真理立国 -
身近な人が「おれおれ詐欺」にかかり200万円騙し取られました。「お宅の御主人が妊婦を乗せた車と衝突事故を起こしてタイヘンなことになっている、その妊婦が突然産気づいてしまった」と突然電話が鳴ったのだそうです。電話を受けたのは、小さな二人の子育てを愉しみながらもしっかりつつましく家庭を守り、どこかちびまる子ちゃんのようにおっとりとした人です。詐欺師グループは、警察官、事故の当事者、とそれぞれに役割を受け持ち、おのおのが電話口に登場し言葉巧みに人を騙すのです。びっくりあわてて判断力をなくした罪のない市民を騙してまで手にしたお金で何を得ようというのでしょう!怒りがふつふつ湧いてきます。
我家の床の間の軸は「真理立国」。元東大総長南原繁先生の筆によるものと信じている貴重な軸なのですが、北野天満の骨董市にて、どうやらまんまと騙されて、ふたりしてにこにこ手にした珍品。教訓として家訓として残したい軸でもあるのです。みなさん、高い授業料を払わされないよう、鵜の目鷹の目で世間をわたりましょう!まったくなんちゅうこっちゃ!
(2004-11-21)
- No.184
ぎっくり腰 -
実は、3日前の石運びの日に綿(布団)を運んでぎっくり腰になりました。夜中に寝返りもうてない痛さに「ううっ」と目が覚め、「湿布は何処?」と、トさんも起こしてしまい気の毒な事をしたのですが、すぐに貼った冷湿布のおかげで気持ちだけでも快復。しかし、朝の起きがけの移動は、はじめはいはい、次につかまり立ちという情けない案配。
何とも滑稽な格好で、つい自分で自分を笑ってしまいながら「なんだこんな階段、なんだこの段差!」とますます気だけ元気なおばさんは、どちらかというと荒療法。「こんなことでは死なないさ!」「嵐は樹を鍛える!」「へいきへいき!」と気も鍛えながら仕事してます。
日本では、これまで手術の後はじぃ~とするのが習いでしたが、私は、どうも或る程度の期間を過ぎれば無理せず動いた方が、気持ち快復が早いように思われるのです。スポーツしたり愉しい事している方が血の巡りがよくて治るような気がします。民間療法ならぬ、私見療法 偏屈療法でやりたいことをやりたいようにやっていれば全てはケセラセラ。「鰯の頭も信心」からと信じこんでいる馬鹿モンです。
(2004-11-27)
- No.185
公孫樹 -
秋の料理、吹き寄せにかかせない銀杏についてはこんな話しが。いちょうという呼び名の語源は「葉が一枚だから一葉」という貝原益軒先生の解釈によるものだそうです。どうも益軒先生もおやじギャグが得意だったのではなかろうかと推察されます。漢名で公孫樹とよばれる由来は、実がなるのには時間を要し、祖父が之を植えても食べるのは孫ということからくるそうです。なんてオシャレで夢あるお話でしょう。
和名の銀の杏というのも、気が付いてみるとなんとも素敵。小さい頃、火鉢で焼いて食べる銀杏が大好きでした。いまかいまかと火鉢の淵から覗き込んで待っていた時間のほのかな暖かさを思い出します。ぷ~んと香ばしく匂って、部屋中がなんかぎんな~んという晩秋の夜長。
(2004-12-01)
- No.186
とって返す -
この頃、とって返すことがやたら多いのです。
「あっ、鍵がない!」は日常茶飯事。
「あっ、眼鏡忘れた!」悲しいことに、これが最近は老眼鏡。
「あっ、書類忘れた!」玄関の前に鎮座して持ち主を待っていました。
「うっ、サンダルがこんなとこに」車のドアがあった辺りに、脱いだ足形そのままに残されていました。
「あっ、シーツほしたまんまやった!」「いれといてあげたちゃ」これは、トさんの勝ち(勝ち負けか?)という具合の日々なのですが…、昨日は、「かぁさん、会員券の期限きれとるよ。更新したけ?」プールの受付に向かう前にぽこさんに聞かれました。「あっ、これ期限切れやっ!」「凸ちゃんの誕生日に更新したから、半月とっくにすぎとるっ!」 「すんません。たたでおよいどりました」と恐縮したら、「いいですよ。こっちも気ぃつかんだがやから」とプールの人。「やった~。無料で4回も入れた。ばんざぁ~い!その上、今度は私の誕生日までやラッキーッ!わぁ~い」
と喜んだのもつかのま、今日もまたプールのロッカーの前に財布を忘れてきたのです。とほほ。(2004-12-07)
- No.187
ようやくの寒波 -
早朝からかよい猫ブチにゃんの鳴き声に飛び起きました。ご近所の人達に迷惑だろうなと庭に出てブチにゃんに加勢。すぐに敵が逃げ出して争いは収まったものの、こんな季節に恋人(ひょっとしてポコにゃんか?)争いもないだろうとと思うのですが、これも余りの暖冬の影響でしょうか。
それはともかく、ようやく冬の寒さかなと思える冷え込みがやってきました。歳と共にだんだんに負担に思える「雪すかし」が、昨年は三度のどか雪で「雪どかし」とでもいいたくなるような重い雪との格闘をしました。もうそろそろ「除雪機」をと思って、通勤路の途中にある除雪機を扱うバイク屋さんを覗いてみました。
「だいたい10坪余りの駐車場とその前の道までなんですが…」と、お店のおじさんに訊いてみたところ、「このくらいの馬力がいいだろう」と手頃なサイズのを示してみせてくれました。「これは新古品で、ちょうど売れたところやちゃ」「えっ、中古にはみえんぜ?」「じぃさまとばぁさまの家にこうて(買って)もろたがいけど、一人はぽっくり一人は病院行きで、一回も使わんうちにいらんようになったがいと」「転勤族の人らも、重い雪にびっくりして買ってやがいけど、引っ越す時に売ってやもんで中古はようでるよ。新品の半額やちゃ」
しらんかった~。最近、中古品をすっかり見直している私の目が輝いたことはいうまでもありません。 おじさんは、2種のメーカーの機械の違いや馬力の違いについても親切に説明してくれました。普段はバイクの好きな人達が集う楽しそうなお店だなと遠目に拝見していたのですが、なるほど。除雪機を購入してもらったお客さんには、緊急時のために、必ず配達して自宅を確認しておくのだそうです。
「使い方を説明しても故障がおきるのは殆ど同時期やからね!」「そりゃそうや。雪はどっとふるもんね」と、当然な事を納得しながらも、機械好きそうなおじさんがバイクにまたがって、仮面ライダーの如く飛んできてくれる様子が目に浮かんで、買ってもいない内から強い味方を得たようでした。
(2004-12-31)
- No.188
新年早々 -
皆様、あけましておめでとうございます。
元旦は、お雑煮を食べてから、正月スキーに出発。久し振りの義妹一家との再会で、顔はほころびっぱなし。二日、雲一つ無い青空が広がる志賀高原はダイヤモンドダストが舞う中を、みんなで歓声あげながら快適にカービング。余りの視界の広がりに、一気に横手山山頂まで登りきることにしました。
どのスキーヤーも思いは同じとみえ、渋峠スキー場は銀座なみの人混み。「さぁ」と滑りはじめたところで、スキー教室のレッスンを受けてたおっさんが斜め後ろからドッカン!。90キロは十分にありそうな巨漢のおっさんにぶつかられ、なんぼ気の強いおばさんもでもひとたまりもありません。おっさんは自分の重みで立ち上がれず、座ったまんまで「ごめんなさい…」。私はといえば、立ち上がろうとして力を入れると痛い!息をしても痛い!そろそろと起きあがり、なんとか騙しながら麓まで滑り降りてきました。
楽しみだった温泉もシャワー程度で済ませ、ロビーで日向ぼっこしながら読書。こんな時の為?でもないのですが、いつもの欲張り根性で3冊も本を持ち込んでいるので、読む本には困りません。石の湯ロッジさんゆかりの作家辻まことさん、「あてのない絵はがき」、神田の古書店でみつけた小津茂郎「うまのり随筆」、読みかけのトーヤ・ベンソン「島暮らしの記録」。
家に戻ってきて、朝から整形外科に診察に出かけました。
「おめでとうございます。スキーで追突されました」
「どちらのゲレンデで?」
「快晴の渋峠で…」
「やぁ~いっしょです。会いませんでしたね。あそこはスクールをするゲレンデではないですよ。肋骨折れてます」
どうりで義妹とおしゃべりしていて、大笑いする度に、わはっ、うふっ、くすっとお腹を押さえながら笑わざるを得なかったわけです。
「ぺこさんなら、2週間かかるものも1週間程度で痛みがなくなるでしょう。しかし、リハビリだといって泳ぎは止めて下さいね。」
「あれぇ、そりゃ残念…。」「それにしても、どうして人身事故はいつも追突なの?わたしってそんなに後ろ姿が魅力的?」
「前からは、とても怖くてタックルできないでしょう…」すかさず、誰かさんの声が飛びました。
みなさん、今年もどうぞよろしくおねがいいたします。(2005-01-04)
- No.189
サタジット・レイ -
今日は、世界名作10傑に入るであろうサタジット・レイさんの三部作に挑んでいます。若い頃に、確かNHKの名画劇場だったかで観たのですが、あの頃は眠かった。今以上に忙しい日常に、仕事にスポーツに子育ても加わって平均睡眠時間はいつも5時間前後。まだまだ慣れない家事も殆どひとりでしょいこんで、テレビ画面の前に座ってしばらくすると、もうこっくりこっくり。要するに殆ど居眠りしながら観ていたのです。悠久の「大地と大河と大樹」のスケールについてゆく気持も体力も時間も余裕がなかったのです。
今日は、ひとり静かに薪の炎に温もりながらのホームシアター。正月早々のどっかん事件を思い出すと気持ちが穏やかではないのですが、天が与えてくれた休日と思って、何よりの「骨休め」を愉しんでいます。こんなにも品位あふれる映画作りのできるインドの文化芸術の懐の深さに接すると、きっと災害を乗り越える底力が備わっているに違いないと思えます。う~ん、たかが映像文化というなかれ、自然と人間を素晴らしく表現した映像は、熱い感動を呼ぶのです。映画ってすばらしい!
(2005-01-09)
- No.190
鏡開き -
寒稽古のニュースを見て、雪の道を踏みしめ、子供達の学校へ早朝から小豆雑煮作りに出かけた昔を懐かしく思い出しました。もっと昔、実家では、鏡開きには必ず小豆雑煮を食べました。殊に母の好物だから、どっさり作り、職人さん達にも一緒に食べて貰うのです。恵比寿講のご馳走と一緒でこれも決まりでした。
我が家のお鏡は、とても食べきれないので、だいぶ前から唐津のお鏡になってしまっています。だんだんにご先祖様からの決まり事が影を薄めてゆくのは寂しいことだと思っていたら、今日は知人から、講に食べるやちゃら(=酢のもん)やいとこ煮のお裾分けが届きました。なんだか母の味がして、ふっくらとした母の手を思い出し嬉しくなりました。講の集まりのご馳走作りには、嬉しそうに世話をやいていた様子も思い出したのでした。
(2005-01-11)