※『小林秀雄のモオツァルト』について:U
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【小林の初期作品と 】
・・・・・(前頁、画法の比較などの話からの続き。) というのは、こういうものは一目見て、当時の人であっても今日の人であっても、受け取りまたは反応す るような、人として基本的な”態度の違い”みたいなことに結びついたものがそのまま全面にでているの は疑いないもののように思えるからである。こういうことは別様に言えば、そういった資料に関する詳細 な知識、また今も付け加えられる”新しい知識”からは”不思議にも””すり抜けて”しまうようなこと でもある。 これも、”論理”というものの「ネガ」が理解できるならば、そんなに”不思議”なことでもない。”も っとも当然”と人が見るものは対象として記述には現れないし、それを論ずるのは一般に”科学”ではな い。 小林秀雄は、『モオツアルト』という著作にしろ、こういった問題にむしろ”敏感”といっていい人であ ったことは述べておく必要があるが、反面 その独特なやり方で”歪められ”ている有様を述べるのは、 この私の考察全体の結論のようなものですらある。(この”歪め方”を論じうるためには特に『青色本』 をかなり詳しく発展させるように、また従来の人達の誤解を正しながら読む必要があった・・・) それはこの影響も含めて、今日でも関連するところが大きいし、そこにある、ある社会的な盲目は未だに 作り出され続けているわけだから。(ここまで2012 8/3) 実際 ”モーツアルトの音楽を崇拝する・・”に近いような言動は、いわゆる”音楽の素人”のみな らず、”職業的音楽家”を代表するような人たちからも程度の差はあれ、しばしば見聞きされるようなこ とで、小林に限ったことでは全然ない。(現実的には、小林のソレは、そういう行動の類の追認の一種? ではあるのだが・・・) もちろん ここには、小林の話の前に、モーツアルトの作品自体の代表的なものをなるべく十分に、他の 作曲家たちのそれと幾つも比較などして、そういう傾向を論じるやり方もありうるということになる。 とはいえ、今必要なことに対して、そういったやり方では広大なものをいきなり相手にすることになりが ちなので、便利なのは 何か手がかりを持って、ある程度の輪郭を幾つか描いてみることであって、そこ に加えて適宜、よくある?「楽曲分析」に近い方法も利用してみることになるだろう。 その際に、『古代の対比的な地域のレリーフの絵画的な表現の違い』などという先程の考察は従来のやり 方では見落とされてしまうことに重要な関わりを持ち、ある基本的な外形を与える。そこで、残された問 題も含め次のようなことを今度は取り上げてみよう。言語表現の問題、絵画的問題と音楽的問題。 『モオツアルト』という著作において、小林秀雄が”訳あって”モオツァルト”を”特別視”するひとつ の重大な理由は、「ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン」といった作曲家たちの作品を特別に重要 視するという”一般的な””ある習慣”があるからなのは明らかである。また、例えば、さらに そういう”古典音楽”そして結局いわゆる”クラシック音楽”というものに全般ついて、それが”ポピュラ ー音楽”という概念の対立概念とも言えることを考えたとき、そういう”習慣”に必ずしも囚われないで、 「その使用と生活行動の分布」からするなら、むしろ全く(特に、今日の場合)ここには”ドイツ語圏”と ”英語圏”という対比的な地域の問題が多分に関連がありそうなのに、それは一般に殆ど、論じられるこ ともなく、”すり抜けて”しまう問題になっていることにも注目しなければならない。 「・・ト短調シンフォニーは時々こんな顔をしなければならない人物から生まれた・・・ ・・沢山の悩みが、何という単純極まる形式を発見しているか 内容と形式の一致という言葉で言い表し難いもの。 全く相異なる2つの精神状態の殆ど奇蹟のような合一 本当に悲しい音楽とはこういうものであろうと僕は思った。 ・・注意しておきたいがちょうどその頃大阪の街はネオンサインとジャズで充満し、低劣な 流行小歌は、電波の様に夜空を走り放浪児の若い肉体の弱点という弱点を刺激して、僕は 断腸の思い・・・『モオツアルト』2 新潮文庫-モオツアルト・無常ということ-p13 要約 」 こういったような『モオツアルト』に出てくる”ジャズ”への揶揄的な言葉に呼応するものともいえる、 小林秀雄の初期の評論『物質への情熱』(1930)は、正岡子規の”痛み”などの話に挟んで、”モダン小説” の描写と”ジャズ”に対する長谷川如是閑の”論文”などへの批判の話を組み合わせていて、今も十分興味 深い。 (ここまで2012 8/5) 例えば、まず こういう一文。 「果たして他人を説得することが出来るものであろうか、もし説得出来たとしたら、その他人は初めから 説得されていた人なのではないのか。私のようなものにも、この確信は日増しに固まるばかりである。」 (初期文芸論集-物質への情熱 1-p137-岩波文庫・・・より) 当時の文壇?の流行に対する自らのこういう告白のような憤懣の気持ち・・馬鹿は御影石のようなものp135・・ を、『歌よみに与うる書』の子規の言葉と”重ねる”ようにして導入と締めくくりに置いた、1から6章ま での区切りを持つ全体で13ページほどの短い評論文になっている。 この文章は、多分、まだ20代の頃に書かれたもので、時事的なものでもあって、その主たる題材は資料的にも、 今日ではかなり遠い存在になっている。とはいえ、例えば 上のような”論法”などを含めて、より”率直な” 表れ方でもあるこの文を読んでいくと、1946年に一応発表されている『モオツアルト』での主張の構想と殆ど 変っていないことも判るので、併せて読むことは、小林の考えをより明確に知るために、とても便利だと思う。 (ここまで2013 2/14) 先の引用のようなセリフは、世の”不条理””不合理”に諦念したような態度から出るありふれた言葉にも見える し、実際そのような理解と大差ない解釈をする人々も多いかもしれない。しかし、”説得”とか、人を感服させる 優れた描出などというものに、何か根本的に感情、情的なものが関わっているという小林の認識でもあることに注 意しなければならないだろう。 「近頃尖端女性の描写に憂身をやつしている若い作家の一群がある。・・・みじめとは感じないから人間ら しく描くことが出来ない。みじめとは感じないのも、彼女らに対する同情心が足りぬからだ。・・・ ・・薄みっともない語法*がしっくりと嵌っているというその事が、彼女らの人間たる悲しい取柄であると いう”危うい現実”に気がつかないのである。」(同3 p138-9 ””内、原文は傍点での強調) * ”語法”と、共振しうる”感情”? 当時の”モダン小説” 『放浪時代』なる作品の登場人物の描写に関して論じた2章における、こういう箇所も 先の1章での主張につながった指摘である。すなわち、子規が「論理的な実証的な精神」持った稀な詩人であり、 その『歌よみに与うる書』が「極端に曖昧と飛躍を嫌う理論が綿々と進行」するものがあったにもかかわらず、結 局 その書は”真実の語り難いのを歎じた書状”であり、そこには”現実に肉薄するため”には、絶対に必要なよ うなもの”(以上「」と””内p137から引用)がさらにあるのだということが、問題になっている。(ここまで2013 2/16) われわれが、実際 文章を書くとき、そこに伴った”表情”に注意して書いてみる場合(これは小林の言う子規 のそれが”発音された言語p137”であるというのにも近いことになる・・しゃべっている時の顔や声のトーンがど んなにわれわれの理解を運んでいくものか!)は、ただ 憶えた知識を並べ立てて書いていく場合と違って、そ れだけで非常に生き生きとしたものになるし、さらに ずっと明確なものが多く伝わってくるというのは、全く 身近な歴然とした事実であると思えるのだ。 とはいえ、それはまた、非常に微妙なことでもあるのも本当に違いない。 ・・・”危うい現実”というもの。 (ここまで2013 2/17) この掴み辛いような現象を、小林が出来るだけ”具体化”させるため論じるとき持ち出してくるのが、一つは 直接 身体に現れる”痛み”のことであり、もうひとつが”音楽”というものなのだというふうに理解できるだ ろう。 「・・私にはこの一文は嘘にみえたのである。・・ジャズはアフリカ森林中の原始音楽と結びつけられている。 ジャズは、あらゆる表現からの凶暴な逃避である、と。冷眼をもってジャズを語る人々はすべてジャズの この性格を語る・・、長谷川氏・・によって最後に次のようにひねられた。”ジャズは現代アメリカの空疎な切 ない心の表現である”という言葉を、氏は観念論美学に憑かれたたわ言だと一蹴した。・・」(3章p141より) (ここまで2013 2/18) そして、ここから小林はのちの『モオツアルト』の殆ど”原型”のような主張を展開して行く。・・・・そういうふ うに長谷川が、”一蹴”してしまっている(ホワイトマンというジャズの音楽家の)言葉こそ”本音”であり、 ジャズというものが”例外なく短調で書かれた”音楽であるという事実は、”観念的美学どころの段ではない”。 ”ジャズはただ謙譲に哀耗を歌っている。その生理的悲調を固く守っている。そして、ジャズを原始的とか感覚 的とかいう社会学者を、お前さんも奇妙な観念的美学者だと嗤っているのである。”・・・(p140-41よりの引用) * ”例外なく短調で書かれた”などというのは、ある程度 ブルーノートみたいなことも考えているのかもしれないが、勿論 こ れも随分素朴な話に違いないだろう。(かといって、この程度の音楽論であっても全く的外れでもない。・・・・)また 当時の20 年代後半以後の状況でどのようなものを小林が”ジャズ”として想定して論じているものか?もまず問題になる。一般的なスタ イルの変遷から考えれば、いわゆるスィングジャズの未分化の始まりみたいなもの?ある程度アドリブみたいなものがあって、 やや乱暴な感じのものが”先端的”な扱いをうけていたのかもしれないが?? (ここまで2013 2/20) ジャズを演奏している実際の代表的人物らしき音楽家の思わず洩らすような言葉に対して、"森林中の原始音楽"など とばかり言いたがる議論のおかしさ、という意味で、小林のこういう主張も、やはりそれなりの説得力は持っている。 『モオツアルト』の場合でも、小林のいう”観念論”者たち、即ち「・・音楽の代わりに、音楽の観念論的解釈で頭を一 杯にし、自他の音楽について、いよいよ雄弁に語る術を覚えた人々は、大管弦楽の雲の彼方に、モーツアルトの可愛 らしい上着がチラチラするのを眺めた。・・・そこに”永遠の少児モオツァルト”という伝説が出来上がる。・・」(p16新潮社版) などと述べる箇所で、特にそういう後世の人たちを対比的、批判的にこの流儀で描いて見せる。 とはいえ、こういった小林の言い方を、かなり微妙な区別として拒否的になるのも簡単な話だが、それもまた結局たい したことは言えないのである。というのは、ここでの”生理的悲調”と言われているような”痛み”を連想させる言葉 などは、ある種 具体的なものを志向しており、そこで大体”職業的”とでも言えそうな今日の一般的問題につながっ て行くからでないだろうか? (ここまで2013 11/25) 「詩歌に限らず総ての文学が感情を本とする事は古今東西相違あるべくも無し・・」 「・・・全く客観的に詠みし歌なりとも感情を本としたるは言うを俟たず。・・・橋の袂に柳が一本風に吹かれている・・ この客観的景色を美なりと思ひし結果なれば、感情に本づく事は勿論にて・・・ 主観的と申す内にも感情と理窟の区別有之、生が排斥するは主観中の理窟の部分にして、感情の部分には無之候。」 「感情的主観の歌は客観の歌と比して、この主客両観の相違の点より優劣をいふべきにあらず、 されば生は客観に重きを置く者にても無之候。・・・主観客観の区別、感情理窟の限界は実際判然したる者に あらずとの御論は御尤に候。・・・」(歌よみに与うる書”六” 前半よりの引用) 「・・・古人のいふた通りに言わんとするにてもなく、しきたりに倣はんとするにてもなく、ただ自己が美と 感じたる趣味をなるべく善く分かるように現すが本来の主意に御座候。・・・」 (同書”十” 後半よりの引用) こういった子規の主張が、小林の論法に大変”近い”ことは、その他の両者の時代状況的な問題も含めて改めて注意 する必要がある。(ここまで2013 12/15) 『歌よみに与うる書』 明治31年(1898年)に、新聞に十回掲載された正岡子規の短文で、「小さき事を大きくいふ嘘が和歌腐敗の一大原因 と相見え申候。」(”五”の結び)といい、一回目で実朝を強く褒め、2回目で貫之は下手で『古今集』はくだらぬ 集だとし、定家と探幽は門閥で「全く腐敗致候。」であり、さらに「歌よみの如く馬鹿な、のんきなものは、またと 無之候。」と3回冒頭でも断言したりする。(ここまで2013 12/16) 子規の議論は、”総ての文学”といったものが、(結局表面的な・・)合理非合理、事実非事実を問わず”生の写実”な の(”六”の終わり部分参照)であり、「和」歌であろうと自大的にならず、何よりそこに立ち返るべきだというもの であろう。その”写実”の重要さゆえに、文芸における写すものと写されるものの関係をかなり突っ込んで考察したと ころから、こういった主観と客観の入り組んだ関係を論じ、喝破するこの書が出てくることになる。 だから、単純に事物を描出するような、いわゆる”客観的”な歌であろうとも、また勿論 いわゆる”主観的な”歌 であろうとも、共に ちゃんとした生命感のある感情を持っていることが必要であって、そうでないものを見逃さない ・・というような立場になる。すなわち、特に人間側の問題(主観)として”感情を本としたる”ものは、良いわけだが、 縁語ばかりに頼ったやり方など、一見もっともなだけの単なる言葉遊び”シャレ”に過ぎないようなもの”理窟”、 は許せない空疎なもので排斥しなければならぬ、となる。 これは、先のジャズの話で投げ返される”観念的”といった語、もしくは”思想語”を弄ぶことを批判する小林の一般 的態度に容易に重ねて見られるであろう。(ここまで2013 12/17) 多分、こういった子規の主張に、その議論そのままを認めるといった人は稀だろうが、後の代表的な歌人たちの作品、 又、様々なグループ的な活動などを見渡して、非常に関係があったというのは、日本の「文学史」というような題材で 収集研究する人々から定説とされている。しかしながら、そういった後世の経緯はともかく、子規の議論自体に、核心 を突く面と、”感情”などというものを持ち出すゆえの不安定さがあり、”諸刃のツルギ”めいた問題がつきまとって いることも考えなければならない。(ここまで2013 12/19) 「その彫像は、むしろ木の中に見えるのでそれを切り出すようにする。・・・」という類の言葉は、熟練した人たちの発 言として、時々聞かれることである。例えば何か人や動物の姿などの自分の外部の形を直接写すというより、作り手が 構想した”心の形”なるものが見えて、それを削り出す・・という話であったりする。ここで面白いのは、他者に対して 強い説得力を持つような描出を行うには、そういう他者たちの方に聞いたり、外部の事物をより細かく計測してみるよ うなことでなく、最終的にはあくまで自己の”確信の感覚”というべき硬いものに沿って決定するということが大事で ある・・ということで、それは割と知られている”人のすべての制作上の事実みたいなもの”を言っている話でもある。 子規が、「写実」を重視し、見たこともない名所をネタに惰性的に歌を作り続けることを批判したのは有名だが、 この『歌よみに与うる書』で 多分 著者自身の傍点で唯一強調された文は、先の引用中の ”ただ自己が美と感じたる趣味をなるべく善く分かるように現すが本来の(私の)主意に御座候。”という箇所である。 (ここまで2013 12/22) その意味では”自己が美と感じたる趣味”自体は、当然として問題にすらなってこないことになる。それなら、どうし て他者の確信に対して、そもそも「私」の確信が、特に主張されたり、”批判”できたりするのだろうか? この状況を知るには、『青色本』でもトピックスの1つとなっていた”パズルを解く”場合の状況を考えてみることが 役に立つ。ある場合には、他者のやり方が、パズルの駒の断片をわざわざ非常に誤魔化して使っていたり、ピッタリ合 ってもいないこと自体を無視していたりすることが確認でき、また、その他者が特にそういう狭められた素材でぼんや り見ているような方法自体のある一貫性に対して、自己のやり方がより広汎でより単純なものから統一的に”整理”し うることからより強い確信と直接性を持つ、として比較可能な時、それはそういう言い方が十分成り立つ代表的なケー スとなるだろう。 そしてその場合、数値的な詳細な一致や非常に確実に観測される資料と整合的に一致するなら、勝利的な言い方すら出 てくる。(とはいえ、今日 この部分だけが強調され、返ってパズルの駒自体を力ずくで変形しようとする不正の方が 問題となるのだが・・・) もちろん、われわれの言語的諸問題を巡る実際は、大変 事柄が複雑である。 (ここまで2013 12/23) 子規が扱った明治中頃の和歌の制作、評価に関する問題もそうで、実例をすべて子細に論ずれば限がなく、資料として の問題、また”政治的問題”などからも戯言は幾らでも出てくるような話になる。しかしながら、まず手掛かりにでき るようなことはある。 通常の概念は、典型的には直示定義されるものだが、一方それと混同されると重大なトラブルが引き起こされる普通名 詞に属すようにも見える語句がある。これらは実は指されるもの自体が特に重要な訳でなく、言葉の操作のきっかけに 過ぎないぐらいの関係でもある(数や時間など)、こういった語句は、それを”見ている””扱っている”人自体の方 に関心を向けなければ誤解を招くものである。そしてその類に、特徴、様式といったものを表す固有名詞も連なるので あって、これらはある人たちの”見方”であると同時にあなたの”見方”自体が問題になっているのである。 例えば、印象主義や表現主義なる用語もそれなりの意味がある。西欧絵画の伝統的な聖書やギリシャローマ神話に主と して題材を採る細部の遠近法的造形から離れた様式において、客体的事物(の色光)を写すことを主とするか、画家と いう主体からの色調や形態のある任意の変調変形の方を主とするかというような”特徴”は、各々人の生活様式の特徴 であり、またそれは”人相”の関係でもある。そして、この場合も両者はパズルのような関係をもつ必然がある。 ・ (ここまで2013 12/26) ・割と目にし易い実例として、表現主義の場合 キルヒナーの「兵士としての自画像」や「街」、マルクの「青い馬 T」 「動物の運命」などの尖った形態や極端な色。印象主義の場合、まず、モネの「印象・日の出」や「積みわら、霜の朝」と いった目を細めて外を見るような光景の絵画。それに近いスーラの「アニエールの水浴」や風景画・・。またセザンヌやゴッ ホの場合、変形変色がより強くフォービズムの画家たちを介して表現主義といわれる人たちのものと似たようにもみえる。 とはいえ、”幻想”によってそうなっていると言いたいような表現主義のそれと、違ってセザンヌ、ゴッホは、何か独特の ”フィルター”を経ているのでそう見えている、と言いたくなる別の傾向がある。しかしながらこういう違いもハッキリし た境界が必ずしもあるわけでなく、全体の様々な特徴の変化で緩やかにある大きな対比的傾向を作り出している。(この注2014 1/5) ここで問題なのは、こうした”特徴”の表現は別に固定した境界で与えられるものではなく、非常に様々に考えうるもの である一方で、そうしたことは極表面的なことに過ぎず、上の例からも想像されるように、元来 全く身近で根幹的な ことが問題となっているだけ、というのが忘れられるのである。しばしば、もっぱら資料的な問題や多数の意見の問題 のように粉飾されるが、それはそもそも検証におけるwayの配置が問われているところで、大体 すり替え、混同が行わ れてしまうからなのである。(ここまで2013 12/29) 一定の字数のパターンを持つものをある特定の表現”形式”として、例えば 短歌のようなものがあり、各時代の代表 的なものを集め書物にすること、それは日本語の短い詩の用い方として普通に考えられる。現実に特に重要視されてき た「古今集」や「万葉集」など部分的にはそういうもので、その他類似した経緯の多数のものがある。そして、その実 例を並べてその各々に全体に共通する”特徴”を読み取ること、論じることは別に不可能なことではない。 絵画の画法と同様、言語的な使用の基本的経験(・・絵画的描出の基本的経験・・)があるならば、その位のことで十分、 様々なやり方で”特徴”を各自それなりに説得的に分類してみることも可能になる。 また、よく好まれ、引用されるような幾人かの代表的な個人の作品集の”特徴”でも同様である。子規の場合も、写生 描出という問題の検討から、日本語の表現形式の中で、「万葉集」「古今集」などの特徴、スタイルがどちらがより根 幹、もしくは末梢的部分的と、各々パズルの一片として位置付けた議論と解すことが出来る。 そこにまた当時の”文明の機械”の言葉などの導入の問題(十)結局 小林も引用した「日本文学の城壁を、今少し堅 固に・・外国の髭づらどもが大砲を発たうが・・」という海外情勢がらみの問題(六)、さらに「外国の語も用いよ、外国 に行はるる文学思想も取れよ・・」(七)という方針。また字余りの問題(八)助詞の使い方(四、八など)など・・・と いう文法的な問題も伴に含めて幾つか挙げることで、従来のパズルの組み方を改めさせる断片を強調もする。 (ここまで2013 12/31) こういう「組み合わせパズル」といった話題に焦点をもっていくなら、いわゆる「示しうること、語りうること」とい う区別とは、むしろ”扱い方の違い”の区別といった方がより適当な言い方になることが判るが(ある意味語っている 訳だから・・・)、この問題に関して、直接 関連の深いと思われる概念が、『青色本』のところで先にも挙げた”中和す るcounteract”ということになる。 「・・日常言語を置き換えようがためでない(理想ideal言語を作るのは)。ただ誰かが普通の語の厳密な用法を 掴んだと思い込んだがためその頭に生まれたごたごたを取り除くためである。・・この方法で我々は或る類似性 の人を誤らせる作用を中和しようとする。・・類似した形に作られている表現の使用は、しばしば互いに遠く離 れたケースの間の類似性を際立たせる。・・」(全集6 p62)(ここまで2014 1/1) 意図的に新語や独自に定義されたりした言葉の体系などというものでさえ、それ自体が哲学の上で役立つというもので なく、むしろ「哲学とは、表現の形が我々に及ぼす幻惑に対する闘いである。Philosophy,as we use the word,is a fight against the fascination which form of expressin exert upon us.」。そして「表現法notationの一つ一つが ある特定の観点point of viewを強調する」し、様々なケースの中で、人を誤らせる類似性analogiesの出現(p61〜2参 照)を”科学的に予想する”ことが完全に行われるなどということは、根本的にあり得ないというべきである。土台そ れらは、必ずしも外部の事実に基づかなくてもよいし、デリケートな事情で即興的にも成立する表現が連鎖的に重なっ て、人を誤解させる様々な新たな微妙な類似性が日常的に作り出され、それが場合によっては重大な結果(戦争、災悪 ・・)に直結する。様々な表現形式の位置的関係(遠さ、近さ、対称性、核心、周縁・・)を適正に配置しようとする困難 な”闘い”において重要なのが、その間の”中和”という作用になる。 (ここまで2014 1/3) こういう”中和”ということをいう場合、特に問題となっているのは、記号的表記法自体、ある表現方法、描出方法 自体に特有の”強弱”といえる度合い変化があり、現実に適応させて調整することが、元来 ”哲学的な”問題でもあ るということなのだ。油絵だとどうしてもこういうところが強調され過ぎてしまう・・と思ったり、この単語では言い方 がややキツ過ぎるので別の単語を探してみる・・などと思ったりする根拠は何か?また、なるべくすべてを一貫した表現 方法で、網羅的に扱うことの可能な方法が望ましいが、実際上 難しいとき、独立させて部分的な扱いに止め、通説に 反対することやただ強調したいことのみを出すというのは、”中和”のある代表的タイプになる。 ・こういう問題を考えたとき、ウィトゲンシュタインが特に若い頃、マーラーの音楽に対する”生理的な嫌悪感”といえるような強い反応の 現れた手記などを残していることは興味深い。シューベルトには深い共感を示す(リートにおける思想”テーマ”の共通性)一方で、このよ うな書き方になる理由として、勿論 当時 オーケストラ付の歌曲(ある意味 シューベルトの”現代化”)初期の交響曲、中国風の”交響 曲”が幾らか演奏されていたに過ぎないという事情も大きいが、むしろ、ウィトゲンシュタイン自身とマーラーのそれが大変類似するもので あって、それゆえに、ウィトゲンシュタインにとって、”中和”しておかない限り最も強調したいことが塗りつぶされかねないものでもあっ たからではあるまいか? (この話は、単なるエピソード的なことではなく、その”思想上”非常に重要な問題というべきなのは、ニーチェのワグナーに対する問題 と殆ど平行的であると考えても判る。) ”痛み”に関する表現もしくはそれを常に背景にもつ日常的経験の描出というものは、元来 人間にとって非常に強く 印象に残るものである。ところが、そういったものですらもある言い方をすると全く見えなくなってしまう場合も容易 に起こってくる。 (ここまで2014 1/6) 『病牀六尺』(1902年)は、稀な読み物というべきで、127章にわたって日記のように日付を持った短文が続き、時々の 自らの病の極端な苦痛の描出の間に、俳句の論評を中心にしつつも雑談のような様々な話題が巡っていく。とても素朴 な感想もあるが、俳句や短歌の話と同様に、自ら描きもする絵の話が出てくるし、身近な観察を主として書いた話には、 案外 東西文明の比較みたいにまでなる場合が幾つもある。 簡単に代表的な例を掻い摘んでみるなら、 猟(2)牡丹(3)山水と西洋画の話(4)人麻呂の話(7)禅の悟りの話(21)シツポク料理の語源?(28) 魚の餌の話(29) 、能楽の保存と生活の話(33)カワセミの10首(70)、実感仮感と美学(78)西洋梨の話(97,101)、宗教と救いの話(40)写生 -雑報と美文(47)双眼写真と近眼(48)猟と釣り(2,55)家庭教育の価値の話(67)介護の精神と形式(69)夢の中の美しい岡 の話(90)『ホトトギス』での句を論評する5章(106-110)フランクリンの話(112)暑苦しい中の夏の風景(116)を経、 最期近くで碁や将棋の手の話(116、121)になり、足の腫れと猟牛葡萄圃の話(122)が出た後、拷問苦痛の短文に続いて、 小林が『物質への情熱』のまとめに用いた”女媧氏と足の痛みについての3行(125)臭気と”でけえ”虎の話を8行(126)。 そして友人から来た慰める書を写した「俳病の夢みるならんほととぎす拷問などに誰がかけたか」で終わる。 この書は、このように展開されていく話題が雑多であるといっても、今読む人もまた、当時掲載進行中に読んでいる人も その深刻な事情がかなり伝わることだけでも、今日も新聞等で見かけるありふれたコラムの類とは別と判る特異なもので ある。まず、実質的には終章になる動物園のくさい”虎の話”も、子規の得意の世俗的なものと高踏的なものとの対比で あり、中国の古代説話の世界の崩壊と創設の光景と痛みで壊れかかった自分の世界を懸けた前章と対のものだし、第1日 目の「病牀六尺、これがわが世界である。」の1章も、ある種の形而上的な宣言と漁村の島の水産学校の金銭の話と対に 分かれている。 この間に、上述の様々な話題が出てくるが、苦痛の合間のちょっとしたこういう考察の記録は、花や食事、果物、天候、 風物、生き物への喜びなども鮮明になるし、介護や世の不快なことなどへの怒りも際立つ。また 知らない外国のことや 美学の概念などといった問題への素朴な漠然とした話すらも、病床から最も身近な世界への様々なスケッチの中の一つで あり、切迫した死に向かって情感が、その全体をいわば”生命の中に”強く各々位置付けている。 俳句といった最も短いような詩形において、”単語”自体に備わるようにも見える強い情感は大事なものになるし、さら に人はそもそも他者に対して自己が特別に”正しい”と思えるような確信を得てくる根拠を、並外れた痛みのような代償 の大きさとするのは、”自然な”ひとつの思考様式でもある。 ・当然(110)でも取り上げられる「・・法隆寺」の句も、典型的なもので、食物としての柿の話と寺の仏性の鐘が配合されてより統一された世界を作る といったようなやり方。とはいえ、子規の句は全般的にふつうの気分で読むと、写実の原則に拘るあまりの無骨にも、幾分感じられるものだが・・・ (この注2014 1/21) 子規の病からくる非常な苦痛のケースでも、正に「・・・誰がかけたか」!と言われうる無辜の犠牲であるならば、むしろ その真理性の証にすら思えてくるような場合がある。 (ここまで2014 1/20) 一方、同じような物の記述をするにしても、ある言い方をする、もしくは、ある視野で物事を眺めると云えるような場合 、そこに人の生活との関連が極めて末梢的に過ぎないし、意図的に”何とでもなる”ような言い方が選ばれることはあり ふれたことである。詐欺のマニュアルのように、そのゲームの記述にある種の”痛み”は存在しない。もちろん、ここに ある類の”無関心”に対しても、人にとっての暇の存在のように、常にその必然、必要性があると強調したがる傾向があ る。ところが、ここで問題となっているのは、その場合の適切な表記がその使用に応じているかどうかなのに、休息を含 んだゲームが行われうるということとわざわざ混同させることが好まれたりするのである。 むかしから、”いわゆる哲学”はほとんど駄弁の寄せ集めであり、”普通は”ただ韜晦しゴマカシ方を教える方法である。 しかし、大事なのは、そういう徹底的に拡大され変形された駄弁的表現に対しては、そのように糸をもつれさせていった 相手の道どりに、一応 お付き合いして解きほぐしてやらない限り、結局 何の解決にもならないので、問題は厄介だと いうことなのだ。 子規のような記述は、ごまかしようの無い立場に追い込まれた人間のメリットでもあるが、その空疎や空回りの少ないこ とは、ある素朴さの代償といえなくもない。 例えば、かっての農生産を中心とした社会ですら、それを支える分業化された個別的知識は案外多岐にわたるものだし、 長時間の個別的修練を必要とするものも多いのが現実である。子規が生きていた時代、金属の生産加工を行い、様々な 部品、機構の製造、設計、そういう諸事をこなす社会的組織の運営に対応する個別的な知識・修練は、まともな軍艦ひ とつ自ら作り出すためでも、ちょっと考えても膨大なものがあるといったことが、多くの人々に痛烈に理解されだされ た頃、ということが出来る。 ところで、様々なものを製造するような”技術”において用いられる言語、記号において、結局のところ、実際にそう いう物が出来てくればいいのであり、日常的言語で用いられる同じ語句であっても、本当は全くあり得ない用法を含む 使い方でも一向に構わないことで、いわば直接”作動している”部分はそこではないのである。典型的なのが、時間、 空間、などといったもっともらしい言葉で、むしろ、この種の言葉のもたらす混乱、盲目すらも、例えば・・人はそこで もっと没頭できるだろう・・・ということだけでも、それが一時しのぎのことであれ、明らかに現実的メリットを持って いる。 このことは、未だその問題が矮小に見なされ過ぎている”教科書的記述”とも呼べる表現法の特色とも関連している。 ”教科書”を作る際に、その分野の知識・技能を学ぶため、漏れの無いように網羅的に、また 基本 初歩的なことか ら複雑高度なことへ、記述全体を見渡した構成がとられる。良くできたものとそうではないものの差も大きいし、今日 の社会で全く必要な手段に違いないのは、勿論のことである。しかしながら、この種の言い方は、例えば”傷が見えに くい言い方をする事”というある標準的特徴を持っている。それを実行する際、一番簡単なのは、なるべく人間の直観 に訴えにくい言い方を選ぶか、もしくは非常に分野を狭く限ることによって、混乱の疑問自体を体系的に無いこととし て扱おうとするやり方だが、これは本来 混乱を防ぐ自然な制限があるはずの、言語の用法からどんどん切り離して行 ってしまう。(ここまで2014 1/25) ・ここで面白いのは、むしろ この問題は”論理学的問題”の典型のひとつと呼ばれるべきであるということなのである。即ち、個別科学の問題 にされてしまい易いが、そうではなく、結局 そこでどうやろうと同じことに陥ってしまうしくみが現れている、という意味で。(また、それ ゆえに、見落とされる・・)今日 人々の生産活動や消費行動、政治的嗜好、技術開発、社会行動などで、20世紀前半などとはまた違った非常に 困った問題が顕在化していて、人はそれを様々な技術で対処的にコントロールしようとする。しかしこれが全体として、見当はずれのところを 向いている、というのは結局「人々の欲望の持ち方を、何かの個別技術が管理する」ということを想像するだけでも、そもそもちぐはぐな問題 があることが判るだろう。 多くの国々で”教育”が、直接 生活手段の確保とつながっている今日、”教科書的記述”の表現自体も、人々の言語活動の中心的な雛形のひ とつとなって、当然として含まれる生活の諸前提が人々の望むものに強く関連していることは明白でもある。実際、こうした表現法で当然とさ れている言い方は、日常的すぎて見落とされるもので、そして、万人に身近であるからこそ、また非常に大きな問題にもなるのである。 しかしながら、その記述のひとつひとつを直していかねば始まらぬ、という問題でもないということも、ここでの一般的誤解をさらに示唆する ところになる。即ち、むしろそれらは応じた必要性から生じたものであり、われわれの現実的な方法は、”それらを中和するような”社会的な ”言語慣用”を”補強”することである。それは芸術言語の問題といってもよい。われわれは、今日言語の持つ本来の秩序を非常に失っている 時代ともいえるのだが、半面 押し付けられたその特有の表現法によって、ある種の”従うこと”に無理がかからなくなってもいるのである。 (だからこそ、何か新しい願望を得るため、今日 戦争などを新たに始めるなどという必要は全然ない特別な時代に入っているとさえ言え よう・・・) (ここまで2014 1/28) 『青色本』で、大体 全部の話のつながりを見てきたことになり、またこの程度の詳しさの方が、他の重要な著 作家との関係が俯瞰的に見やすくもなるから、今まで紹介してきたウィトゲンシュタインの考え方が、実際、 フレーザー・ハンスリック・小林などと様々な問題で深い関係がありそうなことを、もう想像出来た人もいらっ しゃると思う。 例えば、『青色本』で特に留意されている、数学と言語表現を交代に持ってきて、共に”規則にもとづくゲーム” (記号を用いてであろうと、命題であろうと)として同列、交代的に扱い、また そのゲーム、形式が、どういう 具合に”特徴”(キャラクター)と関係するかの議論は、そのまま「音楽」に適用可能だし、また、フレーザーの 呪術や魂などといった民族学的概念が、ウィトゲンシュタインの根本的な議論にある(幻想の主観、心の客体性?) ことももうちらちら見えているだろうとおもう。(ウィトゲンシュタインが、フレーザーに特に言及しているのは カントの場合と同様、もちろん偶然では全く無い。)そこで、こういった話をもっとちゃんとする前に、 まずは簡単な表を見てもらうのが、それなりに面白いだろうと思う。 (2010 6/16) そもそも、フレーザーのように世界の古今の様々な儀式習慣の記録を収集し、フレーザー流に整理し並べてみるこ とも、ハンスリックのように西洋音楽の彼流の好ましいもの、好ましくなく批判すべきもの、様々な代表的音楽作 品を並べ、それを形式論で根拠付けようとすることも、また、小林のように、西欧音楽というもの全体をこういう ものだと自ら定め、それを文学や人間の生活、思想というものとの関係のなかで位置づけようとすることも、 結局、ウィトゲンシュタインが、様々な”表現形式”を、類似性から自ら整理する(図書館の本を並べ替える) ような営みのヴァリエーションにすぎないと言えるのである。 そして、そこで各々何が本当に”必然的”なことと考えてよいのかを、問題にするならば『青色本』全体の考察は 実は、根本的に食い込んでいくものでもある。(2010 6/19) (2010 6/15)
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