※Sフロイトの『夢判断』について:K
◆ p,09 ◆
【K・@】『・・さて、そうなると、これまでわれわれが哲学に空しく期待していた ところの、人間の心という器官の構造の解明は、ひょっとすると夢 判断からえられるかも知れないとも思われるであろう。・・・・ 』 (『夢判断・上巻W“夢の歪曲”p189』) 夢判断の冒頭p9で、著者は2つのことが、証明できたらこの書を終えることにする。とのべ、「第1に、・・ 夢を解き明かす方法があって、この方法を用いるとどんな夢も、目覚めているときの人間の心の動きの中の、 ある一定の位置に据え置くことのできるような、そういうはっきりとした意味を持った心の所産なのだと納得 されうることを証明してみよう・・」「第2に、・・夢というものが、なぜわれわれの意識ととつながりのな い、奇妙なとりとめのないものなのかのか、その理由を説明してそこから逆に、人間の心が持っているいろい ろな力の正体を明らかにしてみようと思う・・夢というものは、そういういろいろな力が協力し合ったり、反 発し合い出来るものだから・・」と重要なことを、このように前もってまとめて見せ、さらに、これ以上は、 夢の問題は、他の材料も必要とする、もっと規模の大きい問題につながっていくので、論じるのはここまでだ とする。 だからフロイトにおいて、・・夢は人間の心のいろんな力を持っている正体を、明らかにしうるそうした力の 現れた代表例となるもので、しかも、それは覚醒時の心と関係して、意味を持ったものといえる。そこから、 夢の問題を取り上げるのであり、この本において、もっと他のことも考える必要のある総じた問題も出てくる が、ある程度 暫定的解決は与えられる・・。 こんなぐあいにフロイトはいっていると、私がもっと進めて まとめて言い換えてもそんなに差は出てこないだろう。 また、『精神分析入門』p270では「精神分析の基礎となっている主張の正しさを、夢以外のものからこれ程す みやかに納得することはできない。」といっているし、夢判断下巻、p330では「いっさいの複雑な思考活動は、 結局のところ、・・願望充足(cf、夢は願望充足である)の迂路にすぎない」とも述べていることから、わか るように、フロイトにおいて夢とは、人間の精神活動(精神分析の基礎、複雑な思考活動・・)の基礎を知る 重要な手がかりであると考えられているのは、明白だし、ここは、フロイトのすべての発想を、誤解しないた めのポイントになる。 フロイトは、夢判断のはじめに、古代ギリシャの神託のような場合、また『前学問的夢解釈』の超自然的な捉 え方によって「夢」は、非常に過大に尊重されたりしていたが、「夢占いの最後の堕落」の存在(本来フロイ トは精神分析による『夢判断』とこの夢占いの違いを、強調していた)も残る一方「・・昔に・・重く見過ぎ た反動」(p92)で『現代の精密科学は、幾度も夢の研究に手を染めたが、その研究の目的は常に生理学的な 学説を夢に適用してみるに過ぎなかった。医者は、もちろん夢を心理現象が顕れたものとみずに、肉体的刺激 が精神生活に顕れたものと考えた・・』(入門p93)というぐらいの扱いになってしまったと述べる。 この一般的現状に彼は、不満をうったえているのだが、実際 夢そのものをまじめに取り扱うことの有益さは 今日もフロイトにならって知るべきものだ。 ここで、私がこういったフロイトの発想に云い足すとするならば、さらにこう考えられないだろうか?・・ある 機械が"正常に"運行しているときは、その機械自体の特徴は判らないが、その本来の目的をはずれ、必要ない動 きを示しているとき、さらに破壊された異常な動きを示している時の方が、ずっと、その機械の仕組みを、知る 材料が与えられること。そしてこれは人間の夢や精神障害の場合に良く当てはまる事態なのである。またたしか に、夢だけから根拠を持ってくることは、無理があるし、かっての"超自然的な"受け取り方に流されないように 注意する必要はある。しかし、万人に身近に材料が与えられていて、非常に面白いこの問題を、100年を経て より、すっきり受け取れないか?と問うてみるのも、今ここでとても役に立つかもしれないということを・・。
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