※Sフロイトの『夢判断』について:J     


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【J・E】

      
   たとえば、こういうようなこと、

   Aは、ある事業をやっている。Aを、‘愛している’(経営者として敬意を感じているという        
     ようなこと、友人みたいな関係、家族的関係 etc)Bは、それゆえ、彼の事業に[協力]す
      るために、別の関連した事業を行うことを提案し、結果 共同の事業を行うようになる。し
        かし、事業はうまくいかず、結果的に Bは、Aに大きな損害を与えてしまった・・・・

   というようなケースは、もっともありふれた話といえるだろう。損害に対して Bの行為をどう
   評価するか? 法的な問題となる場合をふくめて、動機が問われることがあるだろう。

   @ Bが、常にAに対して悪意ある感情を示さず、経営も十分、正当なものであって、Bの誠実さ
     はっきりしているとき。Aの損害に対して、余り非難はできない・・・等々。  

   A 逆に、Aは、実はBの父に似ていてAを憎んでいたかもしれず、そもそもBの事業方針は本当は
     無理があった・・・等々。

   こう解釈されるBの仕事ぶりは、みんなが知っており その一貫した態度も、衆知のものであっ
   ても、@Aのような対立的な見方の違いは、かならず現れる。

   すなわち、Bの行為を、説明する場合、「愛」と呼ぶか?「憎しみ」と呼ぶか?それは『動機を
   説明するゲーム』が、行われているのであり、その各々の場合にすぎないということが問題とな
   っている。

   だから、フロイト的な深層心理≠ノよる動機説明も、決定的なものでなく、「行為」に対する
   概念による幾つか考えられる説明の一つに過ぎないということ。ここで、今わたしたちが、考え
   るべきなのは、いまだに強い影響力(否定であれ、肯定であれ・・)を持つフロイト的無意識の
   説明に対して、それがある場合に行われた一つに過ぎないことを示すことの出来る別の説明を考
   えてみる。もしくは、その「行為そのもの」「態度そのもの」の次元を、そのことにまつわる混
   乱をさけるような説明≠おこなうことができないか?ということである。
   (間違っても、超言語≠説くような人たちの安易さにひっかからないように・・!)

   




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