※Sフロイトの『夢判断』について:J
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【J・C】ウイトゲンシュタインの1938年夏の講義の生徒たちによる、私的な筆記録をもとにした『美学につい ての講義』とそれと似たような経緯の下に60年代に公刊された、1942〜46年の『フロイトについての 会話』がある。それらには、ウィトゲンシュタインのフロイトについての言及が、長くはないが一応 まとまったかたちで、読むことが出来る。 「・・彼が、ある種の分析を、正しいものだという理由は、自明のことではないように思われる。 幻覚、したがって夢、が願望の充足であるという命題もまたしかり・・・・・ 」 (フロイトについての会話 p210) 『美学についての講義』のなかでも、“3”とされている部分が、フロイトについて中心的に触れら れている。これもウィトゲンシュタインの他の著作と同様に、バラバラの非常に限定された感じの考 察に一見みえ、一般に 非常に漠然とした解説(ほとんど役に立たない・・)が与えられ済まされる だけなのだが、しかし ここで何をテーマに話されているのか?結局、何に対して、何をしたいと考 えているのか?(単なるフロイト批判であるならありふれているわけだし・・LW本人もノーマン・マ ルコムへの45年12月の手紙で精神分析が危険なものだというような自分の考えを、おばあさんの繰 り言のようにとってはいけないというように書いている・・)どういう議論の展開がされているのか ?に触れなければならないのだが、論理実証主義の原初的なもの と無理矢理解釈されて説明される 『論考』などに比べて、放って置かれている状態にほぼ近い。大事なのは、41個ばかりの短文が、 どのように連続しているか?各文のつながる部分は何か?当時の問題設定を想像して、自らの責任で まとまった流れを、ことばにすることであり(逆に言えば、このような短文群の読み方、ウィトゲン シュタインの他の著作を読むときの雛形にすらなる)、そうするとこの短文の連続が重要で広大なこ とに言及しているのを発見するに違いない。 たとえば、・・ 「説明」ということの、広大な問題。そのかなり体系的な諸問題への、一貫した言及・・・。 ・「かちっとくるような説明(ぴったりするような説明)」と対する、実験心理学の説明。 ・ 因果説明と動機説明の違い。また 過程を述べることと、理由。 ・ 動機説明としてのフロイトの難点。 ・ フロイトの説明における「魅力」とそのはたらき。 ・ ダーウィン説と説得の問題。説得の形式。 などと、一般的な科学の在り方に話を進め、 ・ ジーンズ『宇宙の神秘』なる書名から伺える科学と科学者への偶像崇拝の問題。に及ぶ・・ そして、 三七 「 わたしは、あるいみではあるスタイルの思考を別のスタイルの思考に対立させて 宣伝しているのである。・・後生だからそんなことはしないでくれ!といってい る。・・・・・」 そして、 四〇 「われわれが、どれだけのことをしているかによって思考のスタイルが変わり、私 が、どれだけのことをしているかによって思考のスタイルが変わり、私がどれだ けのことをしているかによって人々にその思考のスタイルを変えるよう説得でき る。 」 このほぼ最後に述べられたことは、結論以上の根本的な信条告白でもあり、またひとは、結局のと ころは、それ以上のことなど出来ない、といえるものである・・・。 特に関連する問題のある2つの短文について、もっと詳しく見てみることにする。
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