※Sフロイトの『夢判断』について:K
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【K・C】とはいえ、フロイトに対するありふれた理解が、欲望の支配する理論へと誤って陥りやすいのは、確か にフロイトの理論自身の、ある弱点的側面のおかげ・・でもある。 フロイトは、自ら「部分的覚醒」からの夢の理論と呼んでいるものを、ある程度器質的な夢理論の問題 と絡め、"支配的夢理論"として意識して抗弁しようとする。(上巻・p100)「もし、部分的覚醒の理論 が実証されるなら、この理論の細々とした部分を固めて行くには実に多くの問題を片付けなければなら ないであろう・・」(p102)またブルダッハから引用して「・・第1に夢の説明にならないし、覚醒の 説明にもならない。第2に心の他の力が休息している間若干の力が夢の中で活動していること以外何も 云っていないのである。しかし、こういう不均衡は全生活を通じて起こるのである・・」(p104)(こ のブルダッハとショルナーらの夢理論を、第1のデルベフらの心的活動が夢の中でも保たれ続けるとい うタイプ、第2の部分的覚醒理論につづく、第3の覚醒時にむしろ不完全な特殊な特殊な心の仕事への 能力と傾きが夢の心にあるとするタイプに属すとする・・)また、後半のY夢作業の末尾p254でも「本 来の夢作業は、夢を形成するときには、心の働きが低下すると考えているよりもはるかに、覚醒時思考 のお手本から遠ざかっている。・・」と述べている。大ざっぱに云って、フロイトは、人が夢見ている とき、心の働きが完全だとも、部分的だとも云っているわけでない。夢の中の算術や、論理的思考は、 実際に睡眠中に行われているのでないと言い切るし、一方で「夢思想というものは、多くの場合、われ われが、覚醒時になじんでいる諸々の思考過程の特性のいっさいを具備したところの、きわめて複雑な 構造を持った観念や記憶の複合体であることが知られる・・」(下巻・p9)と考えている。しかし、割 と何となく人が考えているように、夢に何らかの大きな欠落や偶然が関係することには、極めて警戒し ているのだ。 だから、シェークスピアを、好んだフロイトが ハムレットの有名なセリフ 「死は眠り、そんなも のだ。 眠りに落ちれば、その瞬間、一切が消えて無くなる、胸を痛める憂い、肉体の苦しみも。願 ってもないことだ。・・それだけなら。・・・・・しかし夢を見る。それがいやだ。 どんな夢に悩ま されるか・・」を、この本で全く無視しているのは興味深いことになる。もちろん、本当に相当奇妙な セリフではあるのだが、しかし、眠りが死である以上精神の欠落と見なされている訳だし、そのような 完全な欠落では無いにせよ、夢はその欠落と関わりの深いものと受け取れるような言い方でもある。こ の夢判断では、シェークスピアと同様ショーペンハウハーなどの夢に関する同じようなところのある説 も、夢に対するネガティブな意見として短く紹介するだけで(一種の狂気・・)『意志と表象としての 世界』などの関連する部分も無視されている。この線からの推論はむだではない。というのも、こうい う扱いになるのは、そもそも端的に、フロイトの中心的な説であるオイディプス理論などは、特に"欠 落"や偶然というある種の欠損によって根本的に脅かされるのは明らかであるのでないか?と想像して みることでもあり、それはフロイトの核心のひとつに迫ることでもある。トリッキーなフロイトは、言 葉の端々ではとても正直で、自らの弱みのヒントを数々与えている。 フロイトの歪曲や検閲、圧縮、移動の概念は、ある程度微妙で似たところがあって、大体、イルマの夢 に続いて、とくに歪曲の例として伯父の夢が挙げられている訳だが、Rや伯父への不自然な親愛の情とい うのが、歪曲としていわれているのだけれど、実のところそのような感覚はどちつかずのところがあり (後述)、割と明瞭な違いは、夢の含意が、より小さい部分にまとまって現れているところぐらいであ る。そして、もっといえば、こういったフロイトの概念は、願望そして、前意識の関与したものから、 夢の顕在内容である最近の映像などの上に、変形が気付かないうちに加えられられる、根本的には程度 と現れ方の違いであると考えればよい。 伯父の夢と同様フロイト自身の夢である『植物学研究書の夢』で、移動や圧縮の概念を説明するのだが、 この例もまた、案外判りにくく書かれている。まず、Xの夢の材料と夢の源泉のところのp220ぐらい に、一旦取り上げたあと、「・・好都合な材料は、その形成に当たって強度の圧縮が行われた夢」として 再び採用されているが、重要な内容(もちろんフロイトの全く個人的な話なので馴染みのない人間関係が 前提となっている)が、別個に小出しになる傾向があり、またたとえば眼科医ケーニヒシュタインとの会 話と、何度も出てくるがフロイトの友人らしいが雑談みたいなものであれ、いつ頃、どういう環境で、何 のためにあった会話か、まとまったイメージで最初にいっぺんに描かないから、また一部をプライヴェー トな理由で隠したりするとなおさら必要以上に伝わりにくくなっている。 大体の概要は、 夢内容(直接夢に現れた内容)としては、"フロイトは、ある植物の研究論文を書き上げた。そして、そ の出来た本を目の前にして、ページをめくっている。彩色図版のあるページをめくり、見る。そしてこの 本には、植物の乾燥標本がひとつ添付されている。" というような夢で、こういう単純な一光景の夢に対して、 まず、フロイトがこのような研究書を実際に書いたわけでなく、ただ、かってコカイン麻酔などに関する 植物コカ樹などの論文を書いていること。 またそのコカインを利用する緑内障治療が一般的になったのは自分の功績だと思っており、フロイト自身 のその緑内障の治療を知己の医師では嫌なのでベルリンまで行こうと思っていること。 またフロイトの父親の緑内障の手術もコカイン麻酔でやってもらった。その手術をしたのは友人の眼科医 ケーニヒシュタインであり、また彼と前日の夕方1時間位会話をしていて(p226)その内容がそもそも夢 に全般的に関係し生み出していること。 また彼とフロイトの共通の知り合いで一緒にいるとき会ったゲルトナー教授は、若い夫人同伴でやってき て、それをフロイトが花が咲くようにきれいだと祝辞を云っていること。 また別の美しい夫人が夫から誕生日に花を贈らる習慣を忘れられたといって泣く話し。 フロイト自身の妻が、好きなシクラメンを夫が持ってきてもらえないと不満をいっていること。 そもそも 夢を見る前日、書店の飾り窓の中に植物研究書である『シクラメン属』という新刊本があり、昼間本当に みていた。 また、遠い記憶として、まず子供の頃、フロイトの父親によって、色彩図版入りのペルシャ旅行記を与え られ、それを妹と一緒に引き裂いて遊ぶことを許された奇妙な実体験の思い出。 高等中学時代、校長から、学校の植物標本の掃除をした。そのときそこに、小さな虫の紙魚を見つけた。 また植物の予備試験を受け、そのとき十字花科植物判定の問題がでた。フロイトは植物学を特別詳しいわ けでなく、試験は落ちそうだったが、その科の植物に関連して菊科の朝鮮アザミがあり、それは今もフロ イトが好む花である。 大学生時代の書物収集の尋常でない性癖が生じ、大きな借金まで作ったこと。 こういった事情があり、また、そこに特に云えることは、子供の頃の本を引き裂いて遊んだことは、異常 な書籍収集につながり、また本のページをちぎる行為が朝鮮アザミの花びらをちぎることににている。ま た夢の中の乾燥標本は、本の紙魚を見た記憶と関連する。またフロイト自身が本の虫ともいえるところが ある。 以上、この夢に関するフロイトの記述を大体の部分を整理し直してまとめてみた。
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