※Sフロイトの『夢判断』について:K
◆ p,11 ◆
【K・B】Uでのイルマの夢の分析とV「夢は願望充足である」の次に、フロイトは、イルマの夢と、同様な自分自身の見 た夢である『伯父と教授に任命されない2人の同僚の夢』というような実例を、分析してみる。 この夢のを見たときのフロイト自身の状況として、彼の願望であった教授職に付けるかもしれない協議が、あっ たがどうもだめかも知れない、そういったことを同僚たちと話し合っていたという前提があって、そういった時、 『同僚の一人であるRが、フロイトの伯父であって、彼に強い親愛の情を感じている。』という夢を見る。しか も、その友人Rの人相が、違っていて少し長めであってひげも少し変わっていた。・・ というイルマの夢に比べればずっと単純にまとめられる夢なのだが、フロイトはここに何重にも意味があるとい う。 まず、同僚Rが、伯父であるということは、丸きり現実でなく、その伯父ヨゼフとRは、全く無関係の人物である。 しかし、夢の中でのRは、髭や面長の感じになって、伯父ヨゼフに似た姿になっている。 そして、その伯父のヨゼフは、法で処罰されたことがあり、フロイトの一族の中で特に迷惑をかけた人物でも ある。 また、Rは、教授になりたくて大臣に掛け合っているが、フロイトと同じユダヤ教徒ゆえ、見込みは薄そうだと云 う話しをフロイトとしていた。(こういった単純なことなどがこの本では不自然に?解りにい文章になっている) 一方、同じようにフロイトは、同僚Nからも、彼が女性に告訴された経験があるから、自分は教授になれないかも しれない。と云う冗談めいた話を最近されていた。 こういったことから、フロイトはこの夢に次のような解釈が成り立つという。 すなわち、自分が、教授職にありつくためには(こういう見方、言い方をフロイトは相当避けて書いてはいるの だけど・・)教授になれないRとNが、フロイトと同じユダヤ教徒であるからというのでは、自分の教授職は見込 みが薄い。だから、RにもNのようにもっと他に教授になれない理由が、あったとしたら、むしろフロイトの願望 である教授の任命のチャンスはあることになる。すなわち、Rが、伯父ヨゼフのように問題ある人物であると望ま しい。「・・一方のRを馬鹿者にし、・・」(p182) だから、この奇妙なちょっとした夢も、フロイト自身の重要な願望を実は隠し持っていたわけになる。, W「夢の歪曲」は、 夢の中には むしろ、「・・快楽よりも、苦痛や不快の方が頻繁に出てくること・・」 「・・夢には、不快が優勢だという統計・・」といった事実があるのでないかという反論に答える格好で、始め られる。 そこで、"顕在内容と潜在内容"という区別をすることで、基本的に答えられるとする。一見苦痛感情を示してい るような夢も当然あるが、そうした顕在内容でなく、分析をして得られる本当の内容である潜在内容からいって 願望充足夢があるということを、最初から云っているわけで、不安恐怖夢も確かにあるが(p211)、それは 神経症的問題で願望充足説と矛盾しないとする。(下巻p348で、ほぼこのことは前意識と無意識の葛藤で説明さ れる。しかしこの問題はフロイトが想像していた以上の、重要な事柄とつながっていると考えた方が良いと思う のだが・・)そして、この問題は「・・胡桃が一つづつ砕くより2つ一緒にした方が、砕きやすい・・」ように、 この反論に直接答える前に、イルマの夢で見たように、何故、夢はあからさまに願望充足を示さないか?フロイ トはこういう歪曲されている夢を考える必要があると話を進めていく。 そこから、まず先程の『伯父の夢』を出してきて、これも教授になりたい願望の夢なのに、解りにくく歪曲されて いて、特に、Rに対する強い親愛の情(これはRに対しても、伯父に対しても現実としては、全く不自然な程度のも のだったという・・)に見られるように夢がこうして"偽装"されるものだから、願望充足が識別しがたいとするわ けとなる。 さらに、老婦人の"軍隊への奉仕の夢"に見られるように、願望の重要な部分が夢の記憶から削除されて しまう「検閲」というべきものがある例。 また、一見明らかに、本人の願望に反する内容を持つ夢も分析すれば、願望を隠していたと示しうるし、また患者 のフロイトに対する反発の願望を実現するという偽装された例。 (1)夕食に友人の女性を誘ったが、その準備の買い物をしようと思ってもどの店もしまっていた夢。 →本当はそのやせた女性が太って、夫に魅力的に見えるようになることを避けたかった。 (2)・・いやな姑と一緒に避暑地に行く夢。→もう、現実には避暑は姑と一緒だ無くてもいいのが判 っていて、現実でないこの事態を夢見ることで、もっと深刻な別の現実のさし迫った問題から逃 れたいという願望。 (3)・・好んでいた甥の男の子を亡くした若い娘が、さらに夢でもう一人の甥まで死んでしまった夢 を見た例→彼女の懇意の男性が、その機会に現れそうなので、対面を待ちきれない気持ちの表れ (4)・・ある母親の15歳の娘が死んで棺にいる夢→その娘を妊娠したとき自分の腹を殴って胎内{ 〓棺}で死んでほしいと願った昔の願望 (5)・・フロイトの知り合いの法律家が見た、子殺しの犯罪で捕まる夢→女性との関係で妊娠を望ま ない現実的願望 (6)・・フロイトの同級生だった弁護士がみた全ての訴訟に負けてしまう夢。→学生時代フロイトより ずっと成績が良くなかったこの同級生のフロイト説が誤りで恥をかいて欲しいという復讐心・・ など・・・・ ・・こういったふうな偽装が起こる原因の重要なものとして、以上の例に見られたような分析医が間違っていれば いい、という願望を挙げ、さらに苦痛や不快自体がそもそも願望であるという、「マゾキズム的願望を満足させる 願望充足」(p209)をも、挙げる。 こうして、願望充足でなさそうに見える夢が、多くは歪曲されてそう見えるだけとフロイトは論じて行くわけだが、 勿論、ここにある"強引さ"を見逃しては大体まともな理解にはならない。(反論を封じ込めるためだけのような典 型的な論法!)また、一方 同じようなレベルで、こういったフロイトの記述から、ありがちなのは単なる人間の 欲望の支配だけを読みとるような理解であり、それはあたかも覗いたものを写す鑑ともなっているところがある。 フロイトの多彩な凝った描写や、当時のあり得る素養の盛り込まれた雄渾といえるような冒険的議論の展開からい えば、そのような単調な見方はフロイトの文章自体と釣り合わないし、結局、その発想全体をまるで見通せない。 こういった様々な夢の中の歪曲の実例の描出を本当に注意して見れば、そこから浮かび上がってくるものは(フロ イトの"分析"が、その語にふさわしい正当なもの、であるか別にしても)、むしろ、われわれの利己的な願望、敢 えてここでもっと言い換えて、その人の自らこうあるべきと望む態度が、いかに事実を都合の良いようにねじ曲げ 、また、その、より強調しておくべき本質的なこととして、われわれ自身がそれをまったく気付かぬような、日常 全てにわたっての(だから夢の中でもということ)一種の機構として存在しているという問題・・なのでないのか? ・・・ということ。そして、この章のフロイトの見逃してしまいそうな、一文を改めて自ら吟味してみよう。 「われわれをして、いわしむれば意識するとは、表象する過程とは、別種の、そして表象する過程からは、独立し た一個独特の心的器官なのであり、また意識は、別のところから与えられた一内容を知覚する一個の感覚器官で あるように思われる。・・・」(p188)
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