で強い調子で言いました。「お父さんが断酒して、やっと生まれて初めての家族団らんができると思っているのに、どうして来てくれないのよ。お父さんは私たちに償いをしたいと思わないの?」私は涙声で必死に訴えました。こんなに自分の感情をストレートに父にぶつけられるのも初めてでした。「一体誰のための断酒なのよ。」
以前なら、売り言葉に買い言葉で怒鳴り合いになるのが落ちだったのに、今回は違っていました。父は一呼吸おいてから、静かに、けれどきっぱりと言いました。「誰のための断酒かって言われたら、それはもちろん自分のためだよ。」その一言で私は頭がガーンと殴られたようになりました。私は何か別の言葉を期待していたのです。「今まで迷惑をかけた家族のためだよ」とか何とか…。稚拙な喩えかもしれませんが、私だったら自分のダイエットのためには我慢できなくても、子供の妊娠中や授乳中これを食べてはいけないと言われたものは絶対に食べないというように、自分のためにはできなくても子供のためにはできるという感覚があったので、父の「自分のための断酒」という言葉には少なからぬショックを受けました。けれど後になって考えてみると、やはり「自分のため」というのが人間として偽らざるところで、一番確かなものかもしれないとも思うようになりました。なぜなら、他の誰かのためと思ってやっていると、その人に裏切られたり期待通りの反応を返してくれなかったりすると、それを言い訳にして自分の決心を翻してしまう可能性だってあるからです。
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