昭和61(1986)年3月19日午後9時40分頃、市営住宅団地の一室で、15歳の女子中学生が包丁で顔面や首などを滅多突きにされるなどして殺害されました。当初の予想に反して捜査が難航し、ようやく翌昭和62年3月29日、被告人前川君(当時21歳)が犯人として逮捕されました。
ところが、前川君は犯人ではないため、一貫して被害者との接触も犯行も否認しました。そして、3年にわたる裁判の末、前川君は、平成2(1990)年9月26日、福井地裁で無罪判決(但し、シンナー(接着剤)の使用の事実で罰金3万円の有罪判決)となりました。
ところが、この無罪判決に対し、検察官が控訴し,名古屋高裁金沢支部は、平成7(1995)年2月9日、地裁無罪判決を覆し、逆転有罪判決を下しました(但し、シンナー乱用による心神耗弱状態にあったとして、殺人事件としては軽い懲役7年の刑でした)。
これに対し、被告・弁護側は最高裁に上告し、600頁以上にわたる上告趣意書を提出し、その他にも法医学意見書や弁護人による検証調書などを添付した上告趣意補充書2通を提出して、原判決の破棄差戻しを求めてきましたが、最高裁第二小法廷は、上告して2年余り経った平成9(1997)年11月12日、上告棄却決定を出しまました。実質的な理由は何もなく、突然の三行半の決定です。最高裁は、「人権の砦」としての役割を放棄してしまったのです。 弁護団は、直ちに異議申立てをしました。 しかし、最高裁は、同月21日、弁護団によるこの異議申立ても棄却したため、有罪判決が確定することになりました。
本件で、1審2審の判断が分かれた理由は何だったのでしょうか。弁護人の立場からすると、どうして2審判決は、誤判をしてしまったのでしょうか。それは、公判廷に現れた証拠で前川君を有罪と破断しうるのか、という刑事裁判の根本にかかわる問題があったのです。
本件では、前川君は自白していません(犯人ではないのですから、自白するはずがないのですが、でも、これまでの誤判事件を見ていると、犯人ではないのに、あたかも真犯人であるかのような嘘の自白をすることがすることも度々見られるのです)。犯行の目撃者もいなければ、被告人と犯行とを結びつける物証もありません。検察官の起訴状でも有罪判決でも、前川君は犯行直後、返り血で血だらけになって車に乗ったとされているのに、その車からは被害者のものと見られる血痕は検出されていませんし、被告人が立ち寄った先のどこにもそのような血痕は見られないのです。また、被害者の部屋にも、凶器にも、被告人の指紋は残っていません。
それでは、何故前川君は犯人扱いされ、有罪判決を受けたのでしょうか。それは、被告人と交友関係のあった者複数名が、犯行当夜、犯行時刻に近い時間帯に、着衣や手に血を付けた前川君を見た、前川君が「中学生の女を刺したんや、殺してもたんや」と言うのを聞いたと証言したからです。このような証言を信用できるのかどうか、ここが運命の分かれ目です。
1審判決は、これら関係者の証言について、関係者はいずれも覚せい剤やシンナーの犯罪歴・非行歴を持っており、本件犯行当時あるいは取調当時にも覚せい剤やシンナーをやっており、捜査官に迎合しやすい素地を持っていたこと、証言内容に変遷があること、事件発生後7、9か月経って初めて証言が出てきていること、これらの証言を裏付ける物証がないことから、信用できないとしたのですが、2審判決は、それらの事情があったとしても、大筋で複数関係者の証言が一致しているから信用できるとしたのです。
被告人が真犯人だとすれば、2審判決の言うように、この程度の証拠があれば十分じゃないかということになるでしょう。私が被害者の親であればきっとそのように考えるでしょう。でも、本当に、前川君が犯人なのでしょうか。そのことは、犯人と被害者と、神様しか分からないことです。法律家としては、私情を捨て、公判廷に現れた証拠のみに基づいて判断するしかないのです。そうしたときに、2審判決が言うような証拠だけで殺人事件の犯人とされることは、極めて怖いことなのではないでしょうか。場合によっては、それで死刑判決が下されることだってあるのです。被害者にしても、真犯人が被告人の他にいて、被告人が処罰されることで自分が罰されることはなくなったと陰で喜んでいるとすれば、決して喜ぶべきことではないでしょう。虚心にかえって、本当にこの証拠で被告人が犯人だといえるのか、証人が嘘を言っている可能性はないのか、証人が本当のことを言っていたとしても、それが被告人が犯人であることを示すものと言えるのか(別様に解釈できる可能性はないのか)を慎重に検討すべきです。
最高裁の上告棄却決定が出されたとき、当時の捜査関係者は、「正義が勝った」とコメントしました。しかし、私は、正義は死んだんだと思います。前川君が真犯人であれば、上告棄却決定は「正義」でしょう。しかし、無実の者の有罪判決が確定したところで、本当に喜ぶのは、真犯人だけです。真犯人がこれ幸いとばかりに、再び同じような凶行に走ったとしたら、本当に被害者の霊は救われるのでしょうか。「正義」は、無実の前川君を裁判から解放し、真犯人を一刻も早く検挙することです。
このように考えて、福井6名、金沢1名、富山1名、東京8名の弁護団が前川君の無罪判決をめざして、頑張っています。弁護団は、11月29日、前川君本人の強い意向を受け、日弁連人権擁護委員会の協力も求めて、来年中に再審請求をすることにしました。再審に向けての長い闘いになるかもしれませんが、無実の者を救うために、最後まで頑張るつもりです。 前川君の無実の情報の提供を含め、皆さんのご協力をお願いします。
1997.11.29