えん罪
真犯人ではないのに、警察に誤って逮捕され、裁判でも誤った有罪判決を受けること、それがえん罪である。多くの人は、裁判になれば、真実が発見され、自分の無罪が証明されると未だに信じている。しかし、警察に誤って逮捕され、検察に誤って起訴されてしまえば、いくら無罪の人であっても、無罪を証明するのはほとんど不可能に近い。
昔は、虚偽自白さえなければ、誤判は防げると考えていた。日弁連が創設した「当番弁護士制度」も、そのような思いからであった。しかし、起訴前弁護により虚偽自白が防げたとしても、誤判は発生するのだ。いや、虚偽の自白があれば、客観的事実と矛盾することを指摘することによって、無罪が証明できたのに、自白がないが故に、むこの被告人は、自らの無罪を証明する手だてを奪われてしまうことがあるのだ。誤判を防ぐための起訴前弁護がかえって誤判を生み出してしまう。刑事裁判の究極の皮肉だ。
私が経験した次の3件は、まさにその典型例だ。一日も早く、彼らが真実の太陽の下で暮らすことができるように祈ってやまない。
昭和61年3月19日、福井市内の団地の一室で中学3年生の女子生徒が惨殺された。その犯人とされた青年は、平成2年9月26日、福井地方裁判所で無罪判決を受けた。ところが、平成7年3月30日、名古屋高等裁判所金沢支部は、同じ証拠に基づいて有罪実刑判決を言い渡した。自白も犯行の目撃者もなく、青年と犯行を結びつける客観的証拠は何もないのに、青年が逆転有罪とされたのは、犯行の直後に青年の体や衣服に血を付けているのを見たという証人や、青年から犯行をうち明けられたという証人がいたからだ。でも、1審判決は、これらの証言を詳細に検討した上で、これらは全く信用できないとしたのだった。しかし、最高裁も、平成9年11月12日、被告人の上告を棄却し、実刑判決(懲役7年)が確定した。しかし、彼は犯人ではない。
平成16年7月15日午後3時、ついに名古屋高等裁判所金沢支部に新証拠14点を添えて再審請求を行った(弁護団総勢20名、本文85頁)。再審請求には日弁連理事会の再審支援決議も、福井弁護士会の支援決議もなされている。今再び、えん罪を晴らす戦いの幕が切って落とされた。
平成9年4月26日、福井県丸岡町の山中で、2名の日系ブラジル人の変死体が発見された。そして、6月16日、被害者らと人材派遣会社を共同経営する約束になっていた青年が犯人として逮捕され、7月7日に福井地方裁判所に起訴された。この青年も自白はしなかった。そればかりか、この青年の場合は、犯行の前後に犯行現場付近で目撃されてもいなかった。起訴の理由は、警察に対する弁解が不自然だと言うこと、借金があったこと、犯行現場から発見された緑色長袖Tシャツに被害者の血液型・DNA型に一致する血痕と青年の血液型・DNA型と一致する汗(細胞)が発見されたということ、等であった。
平成13年8月2日午前10時、福井地裁は、不当にも無期懲役刑を言い渡した。現在の刑事裁判の典型例のような判決である。
地裁判決に対しては、弁護人はもちろん、検察官も控訴した。死刑判決が相当だというのだ。高裁での審理の結果、平成15年10月30日、名古屋高裁金沢支部は、弁護側・検察側双方の控訴を棄却した。死刑判決が言い渡されず、内心ほっとするところがある反面、情況証拠による事実認定というものがいかに被告人に不利な運用がなされているか、改めて怖い思いをした。この高裁判決に対しては、弁護側は上告をしたが、検察側は上告をしなかった。現在、最高裁で上告審理中だ。
B田園調布資産家殺人事件
昭和55年から田園調布の資産家が行方不明になっていた。そして、昭和60年7月16日に、折山さんが、生前、その資産家と親しくしていたといことで警視庁に逮捕された。その容疑は、公正証書原本不実記載罪だった。そして4回、136日間に及ぶ逮捕勾留の後、昭和60年10月13日、本件である殺人の罪で起訴された。彼も、虚偽の自白はしなかった。しかし、彼の取調官が法廷に証人として立ち、彼がこのように自白をしたと証言をした。そして、裁判所は、その取調官の証言のとおりに、彼が自白をしたものと認定をした。その結果、昭和63年、東京地裁で有罪判決を受け、平成3年、東京高裁でも控訴棄却、平成7年には最高裁でも上告を棄却された。
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