宗派
真宗大谷派:親鸞聖人を宗祖と仰ぐ浄土真宗系10派の中の一つです。 「東本願寺」という名前で一般には呼ばれている京都のお寺が本山です。 能登教区:石川県・能登半島地区を呼ぶ宗派の行政単位です。 第七組:石川県輪島市西部地区を呼ぶ宗派の行政単位です。
正覚寺の略歴
能登半島北部に高州山という山があり、 正覚寺に伝わる木片に、 泰寿法師という僧が草庵を建てて高州山に止まり、 享禄2年(1529年)5月、2代目の善祐が「高淵山 山吹正覚寺」と改号したそうです。 天正年間に石山合戦の篭城に参加し、抜群の戦功をあげたので、3代目は教西という法名を拝領したとあります。 慶安元年(1648年)10月、七代目の玄智が、正覚寺を山吹平から輪島の町(河井町重蔵神社西側)へ移転したようです。 元禄(享保の間違い?)14年(1701年 1729年?)大地震により倒壊し、元禄(享保?)20年(1707年?1735年?)に6月に本堂が再興・完成したとあり、延享6年(1749年?)、土蔵を建立し、明和元年(1764年)、庫裏を普請したとあります。 安永6年(1777年)3月23日焼失し、天保7年(1836年)12月10日(2月10日?)再度焼失し、明治13年(1880年)3月24日、本堂再建の起工式を行い、明治15年(1882年)12月28日、落成したとあります。 明治43年(1910年)4月16日の大火での類焼・罹災により、町の政策で現在地に強制移転させられ、大正3年(1914年)7月1日本堂が再建されました。 現在の住職は、開基の西善から数えて19代目となります。 |