宗派

 

真宗大谷派:親鸞聖人を宗祖と仰ぐ浄土真宗系10派の中の一つです。

    「東本願寺」という名前で一般には呼ばれている京都のお寺が本山です。

能登教区:石川県・能登半島地区を呼ぶ宗派の行政単位です。
第七組:石川県輪島市西部地区を呼ぶ宗派の行政単位です。

 

 正覚寺の略歴

 

能登半島北部に高州山という山があり、
その山一帯に中古以来、白山信仰に基づく堂塔が建ち並んでいたらしいのですが、
その中の一つに、大同2年(807年)4月上旬に建立された“高淵山 高泉寺”という真言宗の霊場があったそうです。
しかし、室町時代末期の「応仁の乱」により焼失し、衆徒も四散したそうです。
正覚寺に伝わる木片に、
「大嶽院内九院之内 不動明王院伝来
 応仁年間乱世之後当寺而納所持致者也
          稲舟村 正覚寺」
             とあります。
泰寿法師という僧が草庵を建てて高州山に止まり、
蓮如上人が越前・吉崎に滞在した時に帰依し、弟子となったとあります。
そして、能登へ帰ると、高州山麓の稲舟村山吹平に小さなお堂を構えて、
「霊泉院」と称したということです。
蓮如上人遷化大阪参向實如上人附翌年帰房随、とも伝えたれています。
この方が正覚寺の開基だと伝えられており、法名・西善となっています。
現在も、正覚寺の先祖の墓が、『御尊塚』と呼ばれて、この山吹平に残されています。
享禄2年(1529年)5月、2代目の善祐が「高淵山 山吹正覚寺」と改号したそうです。
天正年間に石山合戦の篭城に参加し、抜群の戦功をあげたので、3代目は教西という法名を拝領したとあります。
慶安元年(1648年)10月、七代目の玄智が、正覚寺を山吹平から輪島の町(河井町重蔵神社西側)へ移転したようです。
寛文6年(1666年)7月、本堂が上棟され、享保11年10月、梵鐘を設置したとあります。
元禄14年(1701年)大地震により倒壊し、元禄20年(1707年?)に6月に本堂が再興・完成したとあり、延享6年(1749年?)、土蔵を建立し、明和元年(1764年)、庫裏を普請したとあります。
安永6年(1777年)3月23日焼失し、天保7年(1836年)12月10日再度焼失し、明治13年(1880年)3月24日、本堂再建の起工式を行い、明治15年(1882年)12月28日、落成したとあります。
明治36年(1903年)に本堂後ろ側の石垣工事をし(東側の石垣は元禄5年10月築造)、明治39年(1906年)土蔵新築、明治41年(1908年)香部屋上廊、明治42年(1909年)4月22日〜25日まで3昼夜の御遠忌(大法要)を厳修したようです。
明治43年(1910年)4月16日の大火での類焼・罹災により、町の政策で現在地に強制移転させられ、大正3年(1914年)7月1日本堂が再建されました。
現在の住職は、開基の西善から数えて19代目となります。

 

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