歴代御家元 |
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世 |
道号 法諱 |
生没年月日 |
備 考 |
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一 |
周学 |
宗徧 力囲斉 |
1627年-1708年4月2日 |
不審庵四世 |
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二 |
留学 |
宗引 周斉 |
1668年-1724年3月29日 |
不審庵五世 小笠原家に茶頭として仕えた |
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三 |
江学 |
宗円 力囲斉 |
1710年-1757年3月20日 |
不審庵六世 小笠原家の奥州棚倉移封に従い、棚倉に在住した、のち江戸小笠原藩下屋敷近くに茶室を構えて茶の研鑽に励んだ |
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四 |
漸学 |
宗也 陸安斉 |
1743年-1804年4月1日 |
不審庵七世 宗也は江戸八丁堀の茶室にいる事が永く、宗徧流中興の祖と呼ばれるほど、その名は江戸市中に高かった。 著書に「陸安集」がある。 |
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五 |
靖学 |
宗俊 力囲斉 |
1790年-1835年1月3日 |
不審庵八世 小笠原家の唐津移封により、唐津に在住し長昌侯、長会侯の二代に仕えた。 書画に長じ、その遺品は各地に所蔵されている。 |
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六 |
義明 |
宗学 |
1811年-1863年4月24日 |
不審庵九世 小笠原壱岐守明山侯の年少期に仕えて、その薫陶に当たったと言われている |
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七 |
清香 |
宗寿 |
1818年-1883年8月22日 |
不審庵十世 六世宗学没してのち七世を継ぎ明治維新の混乱期中で宗偏流の茶風を護持しつづけた。 明治2年藩籍奉還とともに、一時小笠原家の旧領地唐津に移り住むも再び東京日本橋浜町に茶室を構え門人多数を養成した、又、三世宗円の血脈をひく沼田藩主分家中村家より宗有寅次郎を養子として迎え、近代山田家再興の基礎を築いた。 |
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八 |
外学 |
宗有 希斉 如恒子 |
1866年-1957年2月13日 |
18歳にして山田家を継ぎ海外雄飛ののち大正12年5月6日八世家元不審庵十一世を襲った、その後大阪市東区淡路町に茶室を構え宗徧流の興隆に尽くした。 又、全国宗徧流の協力を得、家元制度を確立し今日の基礎をつくった。 |
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九 |
幽香 |
宗白 |
1900年-1971年4月20日 |
不審庵十二世 八世宗有の長女、八世歿後九世を継ぐ。 母宗aより茶の教えを受けて、よく宗徧流の蘊奥をきわめ、和歌、書道にも非凡な才能を示した、昭和38年家元を十世に譲って、庵老の地位についた。 |
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十 |
成学 |
宗囲 四方斉 申抱子 宗徧 |
1908年-1987年1月22日 |
八世宗有の長男で、東京帝国大学法学部卒業し、昭和38年3月宗徧流十世不審庵十三世家元を継ぎ、昭和58年9月1日を以って、流祖の法名「宗偏」を襲名した、流祖の暗号「四方庵」も護持する。 重要文化財「止観亭」を鎌倉に移築する |
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十 一 |
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宗徧 幽々斎 |
1966年- 当代 |
十世宗偏の長男 十世歿後宗偏流十一世不審庵十四世を襲名し今日に至る。 |
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