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「ロマンチストは坂道を登る」


病院の前の
長い長い坂を
母と子が登っている
車椅子の我が子の背中を
母は押し上げるようにして
一歩一歩刻むようにして

子供の顔を覗いて
何かを話しかけるとき
母はそよ風に吹かれたような
そういう顔をする
そして不意に真顔に戻って
まっすぐ前を見据える

この子を人形だと言う人がいる
でもこんなに温かく可愛らしく
一生懸命な人形がいるのかしら
昨日はお粥を初めて食べられた
今朝はリンゴジュースを飲んだ
喉とお腹がコクコクと鳴ってた

子には聞こえない歌を
何度もかすれた声で繰り返し
秋の日溜まりの中で
母は汗を拭いながら歩く
通り過ぎる自動車の排気ガスから
子を守るようにして腰を折る

筋肉痛で痛んだ細い足は
ずうっと前に置いてきたと笑う
今はたくましい二本の杖みたいだと
キラキラと胸を張って言う
やつれの中の不思議な潤いは
悲しみではないものを湛えている

わたしはロマンチストです
現実はいつも厳しいけれど
この子が大きくなることを
いつか笑ってくれることを
夢見ることに決めたのです
この子がわたしの宝物です

母は子を殺そうとしたらしい
自殺を図ったこともあると聞いた
何がこの母子を救っているのか
誰にもわからないけれど
もうすぐやってくる冬を越えて
母子は春を迎えるに違いない

僕は母子を病棟の窓から見つめている
もしも白衣から僕がむき出しにされたとしたら
僕はこうやって母子を見つめ続けていられるだろうか
サイエンティストはロマンチストであってはならない
でも僕は歌うたいであり人間なのだから
ロマンチストでなければならない

いいえ、わかっているのです
この子はもうすぐ旅立ちます
だからこそたくさんの世界に
触れさせてやりたいと思うの
この坂道には風が吹いてます
この坂道には花が咲いてます

だからこの子が生きている限り
わたしは坂道を登るつもりです

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