盗むも八卦、盗まれるも八卦

(『最高の悪運』解説)

最高の悪運  

本書 What's the Worst That Could Happen? (一九九六年刊)は不運な泥棒ジョン・ドートマンダーものの長篇第九作である。  

それまで入手困難だったドートマンダーものの最初の長篇四作(『ホット・ロック』『強盗プロフェッショナル』『ジミー・ザ・キッド』『悪党たちのジャムセッション』)が九八年と九九年に角川文庫からついに復刊され、ドートマンダー・ファンが増えたことは喜ばしい。  

ドートマンダーものの長篇第五作『逃げだした秘宝』と、第六作『天から降ってきた泥棒』(いずれもミステリアス・プレス文庫)の巻末解説でもお知らせしたように、本書にはドートマンダー一味が勢揃いする。ドートマンダー、アンディー・ケルプ、スタン・マーチ、タイニー・バルチャーのほか、ガス・ブロック、ジム・オハラ、ハーマン・X、ウォリー・ホイスラー、ラルフ・ウィンズロウ、フレッド&セルマ・ラーツ、ラルフ・デムロフスキーが登場する(残念ながら、俳優業に転向したアラン・グリーンウッドや、カリフォーニアで中国の汽車を走らせている鍵師のロジャー・チェフウィックは再登場してくれない)。パーカー一味が勢揃いするリチャード・スターク名義の『悪党パーカー/殺戮の月』(ハヤカワ・ミステリ)を思い起こす読者もいるかもしれない。  

九八年に訳出された『逃げだした秘宝』から二年ぶりのドートマンダー登場だが、そのあいだにも意外なところに顔を出しているのである。ジョー・ゴアズのDKAものの『32台のキャディラック』(福武文庫)の中で、DKAの自動車回収員ケン・ウォーレンがドートマンダーのほか、メイ、アンディー、スタンとそのママ、タイニー、ウォリー・ナーに出くわすのだ。本来なら、『32台キャディラック』のほうを参照していただきたいのだが(ちなみに、この作品はれっきとした私立探偵小説だが、ハードボイルドではなく、むしろコミカルである)、残念ながら諸般の事情で絶版になったので(絶対に発禁ではないぞ!)、ドートマンダー一味が特別出演することになった経緯を簡潔に説明しよう。  

七二年に刊行されたゴアズのDKA探偵事務所ものの長篇第一作『死の蒸発』(角川文庫)の中に、調査中の探偵ダニエル・カーニーがパーカーに出くわす場面があり、リチャード・スターク(すなわち、ドナルド・E・ウェストレイク)の悪党パーカーものの『掠奪軍団』(ハヤカワ・ミステリ)の中では、その場面がパーカーの視点から描かれる。それから、二十年後、ウェストレイクは同じような共演の“お遊び”をゴアズに提案し、九〇年にドートマンダーものの長篇第七作 Drowned Hopes を発表した。そして、ゴアズは『32台のキャディラック』を九二年に発表した。つまり、ダドスン・センターで回収員ウォーレンがドートマンダー一味に出くわす場面を、Drowned Hopes ではドートマンダーたちの視点から描いているわけであり、そこに本書でドートマンダーを助けるコンピューターの天才ウォリー・ナーが初登場するのだ。本書で名前だけ言及されるマートルは、ドートマンダーたちがダドスン・センターで出会う若い女性で、最後にはウォリーと仲良くなる(おっと、こんなことまで書いていいのかな?)。

      *      *  

さて、ドートマンダー一味の面々については、『天から降ってきた泥棒』の巻末解説で紹介されているので、今さら説明することはないが、それでは愛想がないので、新しい“準レギュラー”を紹介しよう。  

ドートマンダーから盗品を買い、ドートマンダーに偽造クレジット・カードを売る故買屋のストゥーンは、『逃げだした秘宝』でグリニッジ・ヴィレッジのペリー・ストリートに住んでいたが、本書ではウェスト・サイドに住んでいる(新しい短篇を読むと、西七十八丁目だとわかる)。  

ラス・ヴェガスのカジノ襲撃でドートマンダー一味に加わるハーマン・X(現在はハーマン・ジョーンズ)については、本書の第55章でもかなり詳しく紹介されている。「ドートマンダーとは以前に二度働いた」ことがあり、一度目は「銀行そのものを盗む仕事で、金庫を破るのにかなり長い時間がかかった」というから、長篇第二作の『強盗プロフェッショナル』のときだ。二度目は『悪党たちのジャムセッション』で「ちょっとした好意的な」仕事をした。フレッド・ラーツとウォリー・ホイスラーと一緒にテロリスト・トリオを演じたのだ。  

そうそう、それに、ニューヨーク市警のバーナード・クレマツキー刑事も『悪党たちのジャムセッション』に登場していた。そっちでは、ケルプのほうがクレマツキーから情報を聞き出すために、めしをおごるのだ。  

ラルフ・デムロフスキーは『逃げだした秘宝』で名前を言及されるだけなのだが、どの場面かわかるかな?  

もう一人、名前だけ言及される人物がいる。メイの妹ジューン・ヘイヴァーショーである。オハイオ州クリーヴランドに住み、メイとの仲はよくないようだ。じつは、『逃げだした秘宝』の第36章で、命が危うくなったドートマンダーがメイにクリーヴランドに逃げるように促すところがある。そのとき、妹はジューンという名前も与えられず、ただの“シスター”だったので、「きみは姉さんを訪ねたほうがいいかもな」とか、「メイは姉が好きではない」と書いてある。しかし、ジューンという名前は「六月」という意味で、メイ(五月)の次である。ウェストレイク本人に尋ねてみると、ジューンはメイの妹だという答えが返ってきた。そういうわけで、『逃げだした秘宝』の二五六頁にある「姉さん」と「姉」をぜひとも「妹」に訂正していただければ幸いである。  

     *      *         

本書では、翻訳者にとって厄介な箇所がいくつかあった。マックス・フェアバンクスが三枚のコインを投げて、占いをする場面である。  

本書では『易経』(もしくは、『変化の書』)という本が使われているが、岩波文庫版の『易経』の日本語訳とは一致しない箇所があるのだ。『易経』の英訳版はいくつかあるので、困ったときのウェストレイク頼みというわけで、どの版を使ったのかと本人に尋ねてみると、五〇年にボーリンゲン財団がニューヨークで出版して、C・G・ユングの序文のついた“決定版”しか知らないという答えが返ってきた。それで、リヒャルド・ヴィルヘルムが中国語からドイツ語に翻訳したものを、ケイリー・F・ベインズが英語に重訳したプリンストン大学出版局版だとわかった。これの日本語訳は残念ながら(もちろん、当然のことながら)、存在しない(だって、重々訳になるものね)。翻訳者は易経に関する専門書をいくつか参照してみたが、それでも理解できなかったので、結局はベインズ訳といくつかの日本語訳を参考にした。  

この易経というのは、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言う路上の易者さんたちが行なっている例の占いである。正式には筮竹を用いるし、サイコロやページ、トランプ、六枚のコインを用いる略式方法もあるが、本書では三枚のコインを用いている。ヴィルヘルム/ベインズ版によると、表(中国硬貨の字がある面)を2、裏(字がない面)を3と数えて(表裏に関しては、参考書によって異なるので要注意)、三枚のコインの数値を足す。足した数値が奇数なら陽(実線)、偶数なら陰(破線)として、下から上に並べる。そして、数値の6や9がある爻が将来を占う動爻になるわけだ。  

易経について、ウェストレイク自身はほとんど説明していないし、簡潔にわかりやすく説明するのはほとんど不可能だし、門外漢の翻訳者やこの解説者が間違った的外れの説明をしてもいけないので、詳しいことを知りたい方は専門書を参照していただければ幸いである。なお、翻訳者はヴィルヘルム/ベインズ版の The I Ching, or Book of Changes (第三版、一九七七年刊)、『易経』(全二冊、岩波文庫、一九六九年刊、高田真治・後藤基巳訳)、井田成明著『新訂現代易入門』(明治書院、一九八〇年刊)、宇澤周峰著『易占入門』(虹有社、一九九九年刊)を大いに参考にした。       *      *  

マックス・フェアバンクスのシンボルでもある卦は兌であり、中国語では「トゥイ」と発音し、日本語では「だ」と発音する。このファアバンクスのモデルは、不動産王のドナルド・トランプか、メディア王のルーパート・マードック(二十世紀フォックス映画会社やハーパーコリンズ出版などを所有)だろうと考える方もいるだろう。チャールズ・L・P・シレットのインタヴュー集 Talking Murder (一九九九年刊)では、フェアバンクスの特定のモデルはいないが、性格的にはロバート・マックスウェルに近い、とウェストレイクは話している。  

ブリタニカ・コムによると、(イアン・)ロバート・マックスウェルは一九二三年にチェコスロヴァキアに生まれ、出生名はヤン・ルドヴィック・ホックといった。ナチの大虐殺で彼のユダヤ人の家族は殺されたが、彼だけはフランスを経てイギリスに逃げ、名前をイアン・ロバート・マックスウェルに変えて、イギリス陸軍の兵隊としてノルマンディー上陸作戦に参加した。第二次大戦後、パーガモン・プレスという出版社を買い、いくつかの小さい出版社を買収し続けた。六〇年代後半には、イギリス議会下院の労働党議員を務めた。八〇年代には、《デイリー・ミラー紙》を含むミラー・グループを買収してから、ベルリッツやマクミラン出版も買収した。しかし、収益よりも負債が増し、ミラー・グループの株を売却したが、従業員年金基金や会社から公金を横領していたことが発覚した。九一年十一月に、ヨットで大西洋に出て、行方不明になり、のちに水死体が発見された。死因は不明だが、自殺と思われている。どう? 少しはマックス・フェアバンクスに似ているかな?       *      *  

ドナルド・E・ウェストレイクは小説執筆のほか、映画の脚本も書いている。九〇年公開の『グリフターズ』(ジム・トンプスン原作)でアカデミー賞にノミネートされ、アメリカ探偵作家クラブより最優秀映画脚本賞を受賞した。九五年には、ダシール・ハメットのコンティネンタル・オプものの短篇「蝿取り紙」をヴィデオの『完全犯罪』用に脚色した(邦題は「恐怖の行方」で、オプ役はクリストファー・ロイド。たぶんケーブルTVの『堕ちた天使たち』第二シリーズの一話ではないのかな?)。  

そして、スティーヴン・セイラーの探究人ゴルディアヌスものの長篇 Arms of Nemesisも脚色した(時代設定は古代ローマ! 今のところ製作される兆しはない)。それに、マーティン・スコーセジが製作か監督をする予定のエド・マクベイン原作の『天国と地獄』のアメリカ版リメイクの脚本も書く。  

ウェストレイクは三作に一作はドートマンダーものを書くという契約をアメリカのミステリアス・プレスと結んでいる。ドートマンダーものの長篇第十作 Bad News (もしくは、Plan B)はもう書きあがっているが、刊行は二〇〇一年になる予定である。短篇の最新作は《プレイボーイ》九九年十二月号掲載の「今度は何だ?」で、『ミステリマガジン』二〇〇〇年六月号に訳載されているので、ぜひお読みいただきたい。  

ウェストレイクの二〇〇〇年刊の最新作 The Hook はノンシリーズで、売れない作家がスランプに陥ったベストセラー作家に売れなかった小説を譲って、印税を分けるかわりに、ベストセラー作家の女房を殺す羽目に陥るという小説である。そして、スターク名義の悪党パーカー復帰第三作 Flashfire は二〇〇〇年秋に刊行予定である。  

本書の映画化の噂は聞いていたが、実現しそうである。ドートマンダー役はマーティン・ローレンスで、マックス・フェアバンクス役はダニー・デヴィート。監督はサム・ワイスマンで、二〇〇〇年六月に撮影が始まるらしい。
二〇〇〇年三月
//



これは木村仁良名義で翻訳したドナルド・E・ウェストレイクの『最高の悪運』(ミステリアス・プレス文庫、2000年4月刊、840円)の巻末解説であり、自称作家の木村二郎が書いている。翻訳タイトルは『盗むも八卦、盗まれるも八卦』にしてほしかったんだけど、採用されなかったので、解説のタイトルにしたわけです。これが売れると、ドートマンダーものの古いのも新しいのもミステリアス・プレス文庫で出るので、ぜひともたくさん買ってくださいね。(ジロリンタン、2000年4月吉日)

日本版ホームページへ

国際版ホームページへ