分身どもが多すぎる (Too Many Alter Egos)

(ドナルド・E・ウェストレイク『弱気な死人』解説)

気弱な死人  この解説を書き始めている段階では、本書の作者はまだ決定していない。

 いや、作者の正体はわかっているのだが、著者名が決定していないのだ。本書『弱気な死人』(原題 The Scared Stiff)の原書は二〇〇二年にアメリカのキャロル&グラフ社よりオットー・ペンズラー・ブックスの一点として、ジャドスン・ジャック・カーマイクル名義で刊行された。そして、〇三年にはイギリスのオライオン社より本名のドナルド・E・ウェストレイク名義で刊行されたのだ。

 ウェストレイクがカーマイクル名義で本書を発表したのには、出版界の興味深い事情がある。ウェストレイク(及びリチャード・スターク)はペンズラーが創立し(てタイム・ワーナー社に売却し)たミステリアス・プレスと契約していて、いちおうは三作に一作はドートマンダーものを書くことになっている。だから、本書をキャロル&グラフ/ペンズラー・ブックスから出すときは、ウェストレイクという名前を使えなかった。しかし、イギリスの出版社とはそういう契約を取り交わしていないので、より知られているウェストレイクという名前を使ったのだろう。

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 ジャドスン・ジャック・カーマイクルはウェストレイクの一番新しいペンネームである。この解説では、主にウェストレイクのペンネームについて語ろう。

 今では悪党パーカーものを発表するときに使うリチャード・スタークがウェストレイクと同一人物だと気づいたのは小鷹信光氏である。ウェストレイク自身が編集に関わっていた《ミステリー・ダイジェスト誌》にウェストレイク名義で発表した短編が一年半後に同じ雑誌に別のタイトルでリチャード・スターク名義で掲載されたからだ。つまり、ウェストレイクはスターク名義で『悪党パーカー/人狩り』(ハヤカワ文庫)を六二年に発表する前(五九年)からリチャード・スタークというペンネームを短編用に使っていたのだ。

 ウェストレイクが六〇年に『やとわれた男』(ハヤカワ文庫)でミステリー作家として長編デビューする前後には、スタークのほかに、グレイス・サラシャスベン・クリストファー(ハヤカワ文庫刊『ウェストレイクの犯罪学講座』収録のサンセット・ストリップ77もの短編「巨象のブルース」のみ)、P・N・キャスター(デイヴ・フォーリーとの合作ペンネーム)という名前を使っていた。

 六六年から始まったミッチ・トビンもの私立探偵小説全五作では(『刑事くずれ』ハヤカワ・ミステリ)、タッカー・コウというペンネームを使い、六七年発表のハードボイルドSF小説 Anarchaos をカート・クラーク名義で発表し、ティモシー・J・カルヴァーとして七〇年に Ex Officio という政治サスペンス小説を執筆し、七三年には分身のJ・モーガン・カニンハムが書いた Comfort Station という公衆トイレを舞台にした『大空港』のパロディー小説に、「わたしがこの本を書いていたらなあ!」という褒め言葉をウェストレイクの名前でぬけぬけと送り、八六年からサミュエル・ホルトの名前を騙って、元俳優の素人探偵サム・ホルトものを四作(『殺人シーンをもう一度』二見文庫)著わした。

 ウェストレイクは自分のウェブサイトを(管理はしていないが)監修していて、作品チェックリストに意外な作品も挙げている。ジョン・B・アラン名義で六二年に Elizabeth Taylor という非公認伝記を書いたのだ。しかも、六一年と六二年にエドウィン・ウェスト名義で書いたソフトコア・ポルノ小説四作のタイトルを自分で暴露している。しかし、ミステリー収集家でもある古書ディーラーのリン・マンロウの“研究”によると、ウェストのほかにも、アラン・マーシャル(一番多く使った。ウェストレイクの一番目の妻ネドラが一度この名前でゴーストしたことがあるという)、アラン・マーシュ(一度だけ?)、アラン・マンスフィールド(マーシャル名義の作品の改題再刊のために少なくとも二度使用)、シェルドン・ロード(ローレンス・ブロックも使ったハウスネームか、もしくは合作ペンネーム)という名前でもソフトコア・ポルノ小説を書いていたのだ。ちなみに、今から四十年以上も前のポルノの性描写は、文学的ではないとしても、今の文芸作品や一般ミステリー小説と比較すると、他愛のないものである。

 というわけで、ジャドスン・ジャック・カーマイクルが今のところ一番新しいペンネームだということになる。現在のところ、不運な泥棒ジョン・ドートマンダーもの(『天から降ってきた泥棒』ハヤカワ文庫)などのコミカル・ミステリーやブラック・コメディー(『斧』文春文庫)を書くためにウェストレイクという本名と、悪党パーカーもの用にリチャード・スタークという別名を定期的に使用しているだけである。ティモシー・J・カルヴァーとかJ・モーガン・カニンハムとか、一度しか使ったことのないペンネームもあるので、以後カーマイクルというペンネームを使うかどうかは不明である。

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 さて、ここから先は本書を読んだ方々だけにしかわからない話題である。

 ウェストレイクの楽屋落ちとも呼ぶべき“ウェストレイキズム”があったことをお気づきだろうか?

「ゲレラの首都サン・クリストバルにあるルイス・ポソス将軍国際空港は……」という箇所で、「ポソス将軍」という名前をどこかで聞いた(もしくは、見た)ことがあると一瞬思った熱心なウェストレイク・ファンが少しはいたはずだ。そう、ウェストレイクが書いたほかの作品にこういう箇所がある。

「むかしむかし、南米の山脈の中に、グエレラ(原文のママ)という小さい国があった。ポソスという小柄で太った独裁者が統治していた……」(一六二頁)

 そして、もう一箇所。「南米の成りあがりの独裁者ポソスが厄介者になったので、ポソスに報復する“解放”運動の先頭に立つために……」(一六九頁)

 その作品のタイトルをここで教えたら面白味がないので、いちおうトリヴィア・クイズということにしておこう。読者の皆さんには、日本語に翻訳されているウェストレイクとスタークの全作品の一六二頁と一六九頁を確かめていただきたい。この解説文の中にも手がかりが落ちているんだけどね。ヒントは頭に「ド」のつく主人公が登場する作品だ。いや、道具屋の「ど」じゃないよ。

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 ウェストレイクの作品では、〇五年一月に八九年刊のハリウッド風刺小説『聖なる怪物』(文春文庫)と、同年二月にスターク名義で〇一年刊の『悪党パーカー/電子の要塞』(ハヤカワ文庫)が訳出された。四月にはドートマンダーもの長編 Watch Your Back! が上梓され、五月に六二年刊の『361』(ハヤカワ文庫)がノワール系ペイパーバック専門出版社のハード・ケース・クライム社より再刊された。

 さあ、もう解説は書き終わったが、はたして著者名は決定したのだろうか?

二〇〇五年六月



これはドナルド・E・ウェストレイクの『弱気な死人』(原題:Scared Stiff、ヴィレッジブックス、2005年6月刊、越前敏弥訳)の巻末解説であり、自称作家の木村二郎が書いている。(ジロリンタン、2005年10月吉日)

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