「泥棒にも九分の理」
(ドナルド・E・ウェストレイク『うしろにご用心!』巻末解説第二稿)
裏表紙にご注目!(Watch Its Back!)
まず最初に、二〇二二年七月に新潮文庫から刊行されたドナルド・E・ウェストレイクの『ギャンブラーが多すぎる』を購入してくださった方々や、いろんな媒体で薦めてくださった方々にお礼を申しあげる。誠にありがとうございます。お陰さまで、同年九月にニ刷、二三年五月には三刷まで増刷された。
そして、ついにウェストレイクのジョン・ドートマンダー・シリーズを新潮文庫から刊行することができた。ドートマンダーものの作品が日本語に翻訳されるのは、ウェストレイクが二〇〇八年の大晦日にメキシコで客死した翌年に訳出されたドートマンダーものの短編集『泥棒が1ダース』(ハヤカワ・ミステリ文庫、原書は二〇〇四年刊)以来のことである。
ということで、訳者の親しい悪友であるこの解説子が本書の解説を簡潔に述べることにする。
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本書『うしろにご用心!』Watch Your Back! のハードカヴァー版は二〇〇五年にミステリアス・プレスより刊行され、翌年に同じタイム・ワーナー・ブック・グループのワーナー・ブックスよりペイパーバック版が再刊された。ウェストレイクによると、原題には二つの意味があるという。アメリカ全体では、「何者かがあんたに害を及ぼそうとしているので、注意しろ」という意味だ。一方、ニューヨークでは、「道をあけてくれ! どいてくれないと、怪我するぞ!」という意味だという。本書ではニューヨーク的な意味なので、びっくりマーク「!」をつけたらしい。びっくりマークをつけたウェストレイクのタイトルはこれだけである(註:『嘘じゃないんだ!』『二役は大変!』『空中楼閣を盗め!』の原題には感嘆符がついていないのだ!)。
献辞は、「スーザン・リッチマンに捧ぐ/彼女はそれがそんなにいい考えだという確信がなかったが、/とにかく前に突き進んだ。神のご加護を。」(3頁)というものだが、スーザン・リッチマンという名前は聞いたことがあるぞ。訳者が上梓した写真集『海外ミステリー作家の顔』(ヘラルド・エンタープライズ)に若い頃の彼女の顔と名前が載っていたはずだ。一九七八年三月にニューヨークで開催された第二回国際犯罪作家会議で姿を見たときの彼女は、スクリブナー出版の広報担当副社長だった。彼女はスクリブナーやマクミラン、ワーナー・ブックスという大手出版社で広報の道を歩んでいた。ワーナー・ブックスの一部であったミステリアス・プレスの上級副社長兼広報部長も務めたことがある。「彼女はそれがそんなにいい考えだという確信がなかったが……」の「それ」とは、〈ゴダード・リヴァーサイド〉という慈善事業に関わり、「作家との会食」というホームレスのための募金活動を始めたことだろう。二〇〇九年にグランド・セントラル出版(旧ワーナー・ブックス)の広報担当副社長を引退した。そして、二一年四月十九日に自宅で亡くなった。八十歳だった。
第一章で、「天国は家具を準備できてないのかね」(8頁)と〈OJ〉の常連客の一人が尋ねる。すると、ほぼ理解不能の議論が常連客たちのあいだで交わされるが、彼らの発言は予想外の聞き間違い、突飛な勘違い、馬鹿馬鹿しい誤解の連続なので、一般人には意味をなさない。論理的な提案があったので、調べてみると、少しは理解できた。しかし、「七十二人のヴァージン」という言葉が暗示するとおり、その内容は教育上よろしくないので、ここでは言及を控える。
第二章で、「彼は隔離施設から戻ってきたんだ」(21頁)とドートマンダーはメイに故買屋アーニーの現状を伝える。この「隔離施設」というのは、原文では intervention となっていて、医療用語では「健康事象とそれに影響を及ぼす要因との関連を明らかにする研究において、研究者が要因の有無や程度を制御すること」という長い説明がついているが、門外漢の解説子にはさっぱりわからない。いろいろな例を調べると、「医療介入」という専門用語もあるのだが、ここの場合、「隔離施設」が一番当てはまると訳者が判断した。日本の精神科医の中にも、「介入」という言葉は誤解を招きやすいので、否定的含みを持つ「介入」と訳さないほうがいいと考える人もいる。
第八章で、若い探偵志望の青年ジャドスン・プリントが〈アヴァロン・ステイト銀行タワー〉にあるJ・C・テイラーの“通信販売会社”を訪ねるが、七一二号室には、「知らない四つ目の名前が」(70頁)ある。その「メーローダ商務官事務所」とは何か? 『骨まで盗んで』の後半で、J・C自身が説明するのだが、彼女が私書箱内で“建国”したメーローダ共和国とは、通信販売(メールオーダー)をニューヨーカー風に「メーローダ」と発音しただけの命名だという。
第十四章で、ジャドスンが「レンタカーの巨大な黒のレクサス・ヅィラを信号の前で」(114頁)とめる。レクサスはトヨタの高級車のブランドだが、ヅィラという車名は存在しない。ウェストレイクが創造した架空の車名だ。ドートマンダーものには車が多く登場するが、社名やブランド名までは存在しても、車名まで実在するとは限らないので、御注意を!(そう、小説では許されるのだ。)
第十八章で、「ダース・ヴェイダーの頭をした男がレイフィエルの左側頭部の左耳の上で指を弾き、デコピンをかました(170頁)とある。「デコピン」は中指で相手の額周辺を弾くことだ。これは地方によって呼び方が異なり、「デコピン」が一番ふさわしいと訳者が判断した。そのすぐあとに、MLBのスーパースター、大谷翔平選手の愛犬の名前が「デコピン」だと報じられたのだ。
第三十章で、〈OJ〉の常連客たちはどっかの悪党の名前が「何かのビールと同じ名前だ」(282頁)と言って、バランタインやバドワイザー、モルソン、ハイネケン、ベックス……と有名なビールの銘柄を次々に挙げていく。そして、最後に二人目の常連客が「……ドイツ語でドルトムント、英語でドートマンド」とドートマンダーに近い名前を挙げる。ウェストレイクが“ドートマンダー”という名前を思いついたのは、ふとはいったバー・カウンターの背後に《DAB----ドルトムンダー・アクティエン・ビール》というネオン・サインを見たときだ。ドルトムンダーはドイツのドルトムント市で醸造されるビールのことで、日本では「ドルト」と呼ばれるらしい。
ウェストレイクが『ホット・ロック』の映画化権をハリウッドに売ったとき、ドートマンダーというキャラクター名使用権も一時的に売ってしまった。そのため、ほかのドートマンダー映画ではドートマンダーというキャラクター名を使わせていない。《悪の天才たち》(原作は『強盗プロフェッショナル』)では“バランタイン”、《ホワイ・ミー?》(原作は『逃げ出した秘宝』)では“カーディナル”、《ビッグ・マネー》(原作は『最高の悪運』)では“キャファリー”という偽名を使っているが、すべてビールの銘柄である。近いうちに映画化されるという短編「悪党どもが多すぎる」に出演するウィリアム・H・メイシー(《シェイムレス》《殺人はお好き?》)が演じる役名は“ジョン・ドーンホウファー”だが、これはビールの銘柄ではないはずだ。
第四十章で、ブレストンが「きみはここかこのへんに陸上ヴィーイクルを持っているはずだ」(375頁)と言うが、ポルフィリオは「陸上何だって?」と聞き返す。原文では vehicle で、日本では発音しやすいように、「ビークル」とカタカナ表記される。そして、あとで、ポルフィリオが「おれのヴィーヒックルはこっちのほうだ」と違う発音を使うところが、この場面のミソである。彼はvee-hicle と発音したのだ(もしくは、イタリック体でvee-hickle と綴る作家もいる)。hを発音しない「ヴィーイクル」がいちおう“標準的な発音”だが、南部ではhを発音して「ヴィーヒックル」と発音する人が多い。形容詞形のvehicular ではhを発音する「ヴィヒキュラー」が標準なんだから、混乱するよね。訳者が40年ほど前にジョン・D・マクドナルドの未訳トラヴィス・マギー小説を読んでいるときに、初めて学んだ英語の不合理性の一例だった。
第四十二章で、アランはキー・ラーゴの〈ホリデイ・イン〉に着いたときに考える。「ハンフリー・ボガートとローレン・バコールがエドワード・G・ロビンソンにひどい扱いを受けた」(413頁)映画は《アフリカの女王》だったかな? もちろん、そうではないよ。答えは、ほらっ、すぐそこにあるぞ。
第四十八頁で、マイキーはセントラル・パークのベンチにすわって、ドートマンダーたちの様子をうかがいながら、「もしくは、隣の通りにある小せえ私設美術館からの可能性が高え」(455頁)と検討している。この「小せえ私設美術館」とは、フィフス・アヴェニューと七十丁目の角にあるフリック・コレクションのことである。美術品収集家でもあった鉄鋼王ヘンリー・クレイ・フリックの邸宅だったところで、現在は改装中だが、二〇二五年四月に新装開館する。メトロポリタン美術館に比べると、確かに小さいが、名画が多いので、訪ねる価値は大いにある。
第五十五章の最後で、常連客たちがバーテンダーのロロを称賛して、《彼はいいやつだ》を歌うのだが、二節目、三節目、四節目からだんだん歌詞が変わっていく。原文を直訳しても、ちっとも意味をなさないし、面白くもないので、訳者は編集サイドから再考を求められたという。まともに直訳してもつまらないので、訳者は勝手に替え歌を創作したそうだ。もしも面白くなかったら、それはまともに歌わない常連客のせいだからね。
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最後に大切なお知らせがあります。
本書の売れ行き次第でドートマンダーものの次作刊行の有無が決まるらしいので、ドートマンダー・ファンやウェストレイク・ファン、ユーモア・ミステリー・ファンの方々にはぜひとも本書を購入したり、いろんな媒体で薦めたりしていただければ幸いである。ジャドスン青年は二〇〇九年刊の最終作 Get Real にも登場するよ。
よろしくお願いします。
木村仁良(二〇二四年十二月、ミステリー研究家)
これは木村二郎名義で翻訳したドナルド・E・ウェストレイクの『うしろにご用心!』(新潮文庫、2025年2月刊、税込1155円)の巻末解説の第二稿であり、増刷の役に立てばいいと考えて、刊行から丸二カ月経過した記念に公開することにしました。増刷になるように、皆様方の盛大なご声援をお願いします。(ジロリンタン、2025年3月吉日)
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