富山の人口試論(1)

富山の人口試論


 はじめに

 人口問題が、県民の大きな関心を呼んでいる。富山県の人口千人当たり出生率は、全国で下から2番目(最下位は東京都)であるという。しかし、富山県の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供の数を示す)は、全国平均よりも高いのである。また、人口規模が同一レベルであり、かっては富山県の方が上回っていた石川県との人口の差は開くばかりである。しかし、大正末までは、石川県の人口は富山県よりも多かったのであり、富山県は、昭和初期から昭和50年頃までの約50年間だけ石川県の人口を上回っていたのである。これらは何を意味するのだろうか。

−人口減少はなぜよくないか−

 平成6年11月12日に開催された県、庄川町、未来財団主催の人口問題シンポジウムで、会場から「行政は、あまりにも人口を増やすことに目を向けすぎているが、それよりも、今住んでいる人間の幸せ考えるべきだ。」という趣旨の発言があった。もちろん、これは当然のことである。
 しかし、人口が減ってもよいということではないと思う。人口が停滞していても、その年齢階層別人口構成は変化し続けているのであり、決して、止まっていない。減少しているところでは、さらにその変化が大きい。以下に、人口減少のもたらす課題を列挙してみたい。

 (1) 共同体の崩壊
 日本の人口は明治維新以来4倍近くに増えたが、富山県の人口は2倍にすらなっていない。増加は大都市圏で起こったのである。富山県の中でも増えた人口の大半は富山市とか高岡市などの大きな町で増えたのである。幕末の富山の町の人口は高々3万人余りだったのである。つまり、それ以外の地域では江戸時代以来数百年にわたって人口にほとんど変化がなかったのである。それが、今減少しつつある。極めて大きな問題である。人口減少の大きいところでは、相互扶助等の性格を持っていた地域共同体の存続に大きな影響が生じている。また、若い世代が県外へ転出して、高齢者世帯や一人住まいの高齢者が増加することは、人口問題であると同時に福祉の問題でもある。

 (2) 経済の停滞と町民性への影響
 人口が伸びている地域や町の商店街では、一人が売り上げを伸ばしても、その多くは拡大するマーケットが吸収する。したがって、人の頭を抑えるよりも自分も努力しようと言うことになる。これに対して停滞するマーケットでは、どこかが伸びれば、それは直ちに隣近所のパイが食われるということを意味するのである。だから、そこでは、新しいことをやろうとか伸びようとする者に対する圧力が大きくなる。競争を制限しようとする動きが強くなる。それは一方では、若者や人の頭を抑えようとする動きにつながり、時として人の足を引っ張る町民性ができる。出る杭が打たれるのは静態的な社会環境や組織の特徴であると思う。県民性とか町民性などと言われるものの多くは、このような問題が背景にあると考える。

 (3) 活力の違いが将来に及ぼす影響
 人口の伸びは石川県が高い。しかし、例えば所得の水準は富山が高い。これを現時点で見ると富山の方がよいということになる。しかし、活力への影響を考えると、将来的には、人口の伸び率の差は所得の水準にも影響していくことになると考える。

 (4) 民間サービスの落差
 拡大するマーケットでは、例えば活発な商業投資が行われる。したがって、そこでは常に最新の商業サービスが提供され続けることになる。これに対して、停滞か縮小するマーケットでは投資は必然的に小さくならざるを得ない。つまり古い店舗等が長期にわたって使われ続けることになる。拡大している地域と停滞ないしは縮小する地域では、地域の商業店舗の延べ床面積が仮に同じであっても、その質はまったく違うのである。消費者が受けるサービスも違ってくる。それは、地域への集客力の差となって現れ、その差はますます拡大していくと考えられる。

 以上のような問題だけでなく、特に急速な人口の減少は、その「過程」で地域社会に大きな不安定要因を作り、痛みを与えることになるという問題も大きい。  これらの諸点を考慮すると、人口の問題は、地域の活性化に大きな影響を及ぼすと考えられ、この問題を注目していくことは、行政の重要な課題であると考える。以下に、その方向から検討を進めていきたい。

−試論の前に−

 さて、試論を始めるにあたり、あらかじめ次の点を明確にしておきたい。まず第一に、この試論で展開される議論は、あくまでも定性的な議論である。基本的には、これは課題の提起・仮説である。「試論」とは、その意味である。使用される統計数値は証明ではなく、あくまでも傍証にすぎないと考えていただきたい。逆に、この試論のなかで展開されている個別の仮説について、明確な証明、否定などのご意見をいただければ幸いである。第二に、人口増減の理由は一つではなく複合的である。その中には、大きな要因もあれば小さな要因もあるし、制御可能な要因もあれば困難な要因もあるだろう。ここでは、何らかの対策を講ずることにより、人口の増減に影響を及ぼすことが可能と思われるいくつかの要因−その中でも、県レベルでコントロール可能であるかもしれない要因を中心として論ずることとしたい。しかし、なおかつ、その選択はある程度恣意的であることはご容赦願いたい。第三に、これは私的な意見である。第四に、議論の中で自明と思われることもあるかもしれないがご容赦願いたい。ご批判やご意見をいただければ幸いである。

第一 県の人口問題と市町村の人口問題は異なる
−人口問題シンポジウム(庄川シンポ)を聞いて−


 平成6年11月12日に庄川町で開催された県、庄川町、未来財団主催の人口問題シンポジウムで、パネリストとして出席された村井庄川町長さんから、庄川町は、企業誘致よりも地場企業の育成と住環境の整備に力を入れたいとの発言があった。 
 庄川町長さんの明快な発言のとおり、市町村レベルの人口対策は、住宅政策や住環境の整備が重要であると考える。

 1 市町村の人口対策でもっとも有効なのは宅地造成、住宅分譲である

 砺波市の人口増加が続いているのは、砺波地方の地理的中心として商業施設等の投資が進み雇用が増加していることもあるが、基本的には、宅地の造成が大きいと考える。砺波市を見る限り、人口増加の原因として都市的魅力が重要とは考えられない。
 宅地分譲が重要であることは、きびしい用途地域規制によって宅地開発が困難となっている高岡市の人口停滞、その高岡市の規制のために宅地分譲が続いて人口が増加している高岡の隣りの福岡町の例などからも明らかである。砺波市の人口増加の原因も、この高岡市の用途地域規制の影響が考えられる。
 県内で富山、高岡両市から離れた市町村で人口流出の契機の一つは、家の新築・改築である。この時に地元に適当な安価で広い宅地とか住宅がないとなったときに、流出するケースが結構多い。だから、宅地供給や住宅供給の効果は大きい。庄川町長さんの発言は、実績を踏まえた発言であると考える。
 これに対して、富山県のようなコンパクトな県では、富山市や高岡市のような中心的な市を除いて、市町村レベルでの企業誘致の効果は人口面では限られる。モータリゼーションが普及した現在では、職場へは車で通勤すればよいのであり、県内での就職に関する限り就職や転職のためにわざわざ転居する必要はないのである。もっとも、富山などの中心地から遠く離れた地域では状況は違う。五箇山などはこの意味で産業・雇用の確保が重要なのではないだろうか。
 ただし、これは、あくまでも人口の増加という視点に限定したものであって、企業誘致等に意味がないと考えるものではない。

 2 国レベルの人口対策−出生率対策などは国が中心となるべきである

 国レベルの人口対策の中心的課題としては、出生率の問題があると考える(このほかに移民の問題があるのかもしれない。)。
 確かに出生率のコントロールは、不可能ではないようである。実際に、スウェーデン等では、一度低下した出生率が回復している。しかし、そのためのコストは極めて高い。国や地方公共団体だけでなく民間企業の負担も大きい。例えば、育児休暇中の給与の90%支給、高額の児童手当(スウェーデンの例)などは、国の立法措置がなければ実現は困難である。昨今人口減に悩む市町村が行っている程度の出産奨励金等で明確な効果が生まれるかどうかは、慎重に見守っていく必要がある。基本的に、出生率の増加対策は、国の役割が重要であると考えるべきである。

 3 県レベルの人口対策でもっとも有効なのは雇用の創出ではないだろうか

 出生率の増加対策として県が取りうる対策はないとは言えない。しかし、例えば富山県が独自に企業に負担を課すような施策はとりにくいのであり、取りうる対策の効果は限定的であると思う。しかも、富山県の合計特殊出生率は全国平均を上回っており、富山県の人口千人当たりの出生率が低いのは単に若い女性が少ないためにすぎない。
 市町村の人口対策では雇用政策などは重要ではないとしたが、富山県のようなコンパクトな県でも、県域を越えて通勤するのは、かなりの負担である。だから、県の規模の人口対策になると雇用が重要になると思う。逆に、雇用のない県で、市町村がどれだけ住宅対策をしても意味がない。県レベルでコントロール可能な人口増加対策という視点で見ると、重要な対策は、この後具体的に述べるが、やはり雇用政策であると思う。
 以下、県レベルの人口対策に関連があると考えられるテーマについて検討していきたい。

第二 昭和40年代に逆転があった
     −富山と石川の人口比較から−

 富山の人口変動の要因を考えるために、人口規模のほぼ等しい隣県石川県との比較を行うこととしたい。

1 富山と石川の年齢階層別人口比較
      −人口の逆転−

 現在、石川県は、人口増加率が富山県よりも高く、人口の差は年々開きつつある。しかし、次のグラフ(図1)のとおり、45歳前後を境に人口が逆転しているのであり、それより上の年齢階層では、富山県の方が人口が多いのである(もちろん、それ以下では、石川県が多いのである。)。これを静態的に見ると、1富山県の方が高齢化している、2富山県は若者が少ない、という話にしかならない。


 2 動態的な視点で見る必要がある
 なぜ、こういう人口構成になったかを考える必要がある。合計特殊出生率が両県で大きな差がないとすると、上記の結果は、自然増減よりも社会増減が原因であることになる。もちろん、富山県では、若者は流出しているが、高年齢者は逆に流入しているというようなことではありえない。
 居住地選択のもっとも大きな契機は、進学と就職だと考えられる。もちろん、それ以後でも居住地の移動はあるだろう。しかし、それは、転勤等の受動的な移動が大半だと考えられるし、出入りを考えると進学と就職以外の理由については人口の増減への影響は中立的であるに近いのではないかと思う。また、進学については、一時的なものである。いったん富山で就職した後、富山がおもしろくないから東京へ行こうという若者はいないこともないだろうが、そういう人は少ないだろう。そんなに簡単に職を変わるということはできないのが普通である。したがって、最終的な居住地の決定は、多くの場合、新卒就職時であると考えてよいと思う。
 すると、上記のグラフは、平成2年現在で40歳前後以上の年齢層では、新卒で就職する際に富山県に残る人々が多かったが、40歳未満の年齢層が就職する時には、石川県の方が残る人たちが多くなったということを意味する。
 これら逆転した年代の人々が新卒で就職した時期というのは、平均して20歳前後であろうと考えられるから、その時期は、逆算すればおおむね昭和45年頃となる。その前後5年と考えれば昭和40年前後から昭和50年前後までの時期である。つまり、この前後で、富山県においては石川県に比較して相対的に人口の社会増減に係る環境が低下(逆転)したということができる。
 ちなみに、(富山県の人口は昭和初期に石川県を抜いたが、逆に)富山県が石川県に人口を抜き返されたのは昭和50年頃である。

第三 人口逆転の要因

 1 原因としての都市的魅力

 富山市と金沢市の都市的魅力にはそれなりの差があると言われている。また、富山、石川両県において人口増加の大部分は、県都富山、金沢両市あるいはその周辺地域で起きている。したがって、その都市的魅力の差が、両県内での人口の差になっていると考えることもできる。
 しかし、昭和40年代になって金沢市が都市的魅力において特に圧倒的な格差をつけたということは考えられない。格差は過去一貫してあったと考えられる。実際に明治維新前後に、金沢は、13万人を超える大都市であり、これは名古屋よりも大きかったのである。これに対して、当時、富山は金沢の4分の1の人口にすぎず、以来、一貫して金沢と富山の都市的格差は大きかったのである。
 一方、20歳前後の若者の意識構造が大きく変わったことによって、居住地決定に都市的な魅力が大きなウエイトを占めるようになったとも考えられる。しかし、都市的魅力が、居住地の決定に直接大きな影響を与えるかどうかという問題については、現在、議論すべきアイディア・論拠を持っていない。今後の課題としたい。一方、都市的魅力が周辺の消費を吸収し、それによって経済が活性化し雇用が増加した結果、人口が増加するということは十分正しいと考える。

 2 原因としての雇用
       −労働需要側の要因−

 昭和40年代を境に、富山県において適切な雇用の供給が減少したことが、石川県と富山県の逆転の原因の一つではないかと考える。

  (1) 製造業従業者数の頭打ち傾向
 この時期、わが国においては、国際競争力の維持強化のため、工場の合理化による生産性の著しい向上が図られ、一方で、基礎素材産業の伸び悩みなどにより、「工場」の雇用吸収力は低下した。実際に、次のグラフ(図2)のとおり、富山県の製造業の従業者数(グラフは4人以上の事業所)は昭和40年代半ばまでは順調にのびていたが、それ以後はゼロ成長になっている。この変化の時期は、富山と石川の逆転の時期と一致している。


 (2) 富山県と石川県の産業構造の相違

 次のグラフ(図3)のように、富山県においては、石川県に比較して2次産業就業者の割合が高い(平成2年国調)。
 ただし、時間的な推移を見ると、昭和40年時点では、むしろ2次産業の就業者割合は石川県の方が高かったのである。しかし、3次産業の就業者割合は、昭和40年時点も含めて一貫して石川県が高く、しかも昭和40年代を通じて石川県は富山県よりも3次産業就業者の伸び率が高かったのである。
 この結果、石川県では、マクロで見ると就業者の3次分野への移行が順調に進んだにもかかわらず、富山県では、(昭和40年代以降も)依然として製造業に依存する割合が高かったために、雇用の供給面で問題が生じたと考えるのが自然である。
 なお、3次分野が多いことが必ずしも良いということではない。多くても停滞していては意味がないのである。どの分野にせよ、その分野が伸びていることが重要であると考える。


  (3) 業種別雇用の増減

 昭和60年国勢調査と平成2年国勢調査間の5年間で、石川県では就業者が約23千人増加しているのに対して、富山県では約9千人の増加に止まっており、その差は約14千人、その内訳は次のグラフ(図4)のとおりである。この中で、特に3次的な分野では、依然として富山、石川の伸び率の格差が大きい。
 その原因としては、金沢市の商業・サービス業の集積を背景とした都市的魅力が、石川・富山等の人々の消費を吸引し、観光分野での観光客の消費の吸引とあいまって、金沢市をはじめとする石川県のこの分野での雇用の増加をもたらしているということが言えると思う。ちなみに、生産・運輸分野での富山県のマイナスは、2次産業の中でも金属等の構造的不況業種をかかえる富山の産業構造の影響であると考えられる。
 これらの点を考慮すると、本県においては、40年代以降、2次産業の雇用吸収力の低下にかわる十分な職の供給がなされていないと考えるのが自然である。そして、このことが、富山県の人口の伸び悩みの原因であると思う。問題は、3次産業の比率が低いことではなく、3次産業分野が伸びていないことである。


 注)これは、経済や雇用の視点が重要であるということであると思う。たとえば、人口変動の要因としての「都市の魅力」については、都市の魅力が直ちに若者の定住の原因となるということではなく、都市的魅力が消費を吸引する結果、経済が活性化し、雇用が増加し、その結果として人口が増加するというように、雇用とその前提として経済の活性化が重要だと思う。つまり、経済活動の視点が重要だと思う。
 また、これは、石川県の努力が富山県に勝ったということではない。後述するが、地理的要因が大きいと考える。


第4 富山と石川の比較から見た人口要因

 ここでは、40年代の逆転の直接の要因ではないが、石川県の持つ「優位」を検討していきたい。

 1 地理的要因

 昭和40年代の逆転の直接の原因とは考えられないが、地理的要因は、決定的に重要な要素であると思う。  富山県の新産業都市などの国のプロジェクト誘致行政と石川県の行政の進め方を比較して、富山の新産都市政策等を云々する向きもあるが、それは違うと思う。富山で新産をやらなければ今の富山ですらなかったと思う。石川県には地の利があるのである。なにもしなくてよいのが石川県であり、必死でがんばらなければならないのが富山県であると考える。

    (1) 金沢市は、「札仙広福」につぐランクの都市として認知されている。
 「札仙広福」(札幌、仙台、広島、福岡)は支店経済の町である。企業のブロック支店や国のブロック出先機関が立地している。こういう支店等の経済効果は極めて大きい。もちろん、その支店等の経済活動の効果も大きいが、それだけでなく、そこに勤務する社員達の消費の効果も大きい。札幌や福岡などは、まさにそれだけで100万(以上の)都市に成長したのである。
 「北陸」が富山、石川、福井の「北陸3県」である限り、金沢は北陸の地理的中心である。このため、国のブロック出先機関、企業のブロック支店が数多く金沢に立地している。まず、北陸を管轄する支店が金沢に置かれ、それ以上に営業拠点が必要になって、はじめて、その下に富山営業所などができるのである。しかも、それは加速している。かっては重電部門を持つ総合電器メーカーの北陸支店は富山にあった。水力発電とか重化学工業が富山にあったからである。ところが今はそれらも実質的に金沢に移ってしまった。かろうじて、北陸電力があるために重電部門だけが富山に残っているケースもある。
 これは、すべて地理的要因が原因である。かっては、地理上のデメリットを上回る工業集積が富山にあったが、それも今では大したことがなくなってしまっている。富山は、過去の遺産を徐々に食いつぶしつつあるのである。

  (2) 金沢市と富山市の商圏
 金沢の商圏(特に買い回り品や専門品分野での)は、石川県全域と富山県にも食い込んでいる。これには、単純な距離的要因も大きい。直線距離で富山と金沢を結ぶと中間点は砺波平野の真ん中にくる。都市規模の差もある。都市の商圏の範囲を決める経験則に「コンバースの式」というのがある。もろもろの要素を無視して、これでおおざっぱに計算すると、境界線はもう少し富山よりということになる。ということで、砺波地方で十数万人分の商圏が金沢に流れていると考えてよい。つまり、富山の商圏が最大限で90〜100万人ほどに対して金沢の商圏は130万人ほどということになる。もちろん、富山にはこのほかに高岡市の存在がある。さらに、金沢には支店経済の消費、観光客の消費がある。その意味で、富山市で金沢と同様の新しい業態を始めようとする場合の経営上のリスクは、金沢で行う場合に比べてかなり大きいことになる。都市機能の集積面で、金沢と同等のものを民間に求めることにはそもそも無理がある。

  (3) 対策はあるか
 では、富山はどうすればいいのだろか。それについては後述したいが、長期的な視点では、飛騨地方や能登地方、新潟県西部地域との結びつきの強化が必要であり、そのためには広域的な高速交通網の整備が重要である。また、中期的には、やはり富山の弱点を踏まえた意識的な努力が必要だと思う。少なくとも石川県と同レベルの努力では、足りないということは明らかである。

 2 大学

 県内の大学の増設の問題を、人口対策の視点から見るときに、県内進学者を外に出さないための対策と考えるのはおかしいと思う。しかし、県内進学者の選択肢を増すだけというのも足りないと思う。

  (1) 大学と人口
 学生も生活し、大学もモノを消費するのである。これによる経済効果が無視できない。富山県に東大相当の大学(レベルはどうでもよく、教職員数、学生数、予算が同じであればよい。)をもってくれば、それだけで富山県の人口は10万人近く増えるだろう。要するに企業誘致と同様なのである。本来は、きちんと推計してみたいところだが、おおざっぱに言って、次のように富山と石川では、学生による人口への寄与面で4万人近い差がある。ちなみに、この視点から言うと、大学の質は問題ではないのである。

   大学・短大の2県比較(表2)  平成4年度(単位:人)
 県    大学 短大  大学生   短大生    合   計
富山県   5  4 10,828 2,261  13,089
石川県   8  8 23,631 5,949  29,580
                   差引き △ 16,491

    このほかに、さらに専修学校も石川県の方が多いだろう 
          <雇用と人口への影響の検討(きわめて粗い)>
  ・ 直接雇用  16,491÷12(私立大学の学生1人当たり概算教職員数)
                                 ≒1,400人
  ・ 直接人口増加 16,491+1,400人×2(扶養家族1人を加え)≒2万人
  ・ 経済効果
 かなり粗いが、消費の50%程度が仕入れ等で県外に流出することが繰り返されるとすると乗数効果は(無限等比級数の総和になるので)2倍になる。つまり、2万人の消費は、4万人相当の消費を作り出す。
 したがって、おおざっぱに言って、石川県は富山県より、大学等があるために、おおむね4万人相当は実質人口が多くなっていると言えると思う。

  (2) 大学の低賃金不定期労働の供給源としての機能
 正社員の人件費は固定費化し、小企業の経営に負担が大きい。これに対して、学生アルバイトは、飲食・小売り、サービス業等の小企業にとって経営上の安全弁、バッファーとなる。学生の少ない富山は、この意味で小規模な企業の成長にとって条件が悪い。1万数千人の差というのは、たかだか就業人口60万人程度の県にとって決して小さな数ではない。富山に外食産業が育たないとか、サービス業が育たないと言われる理由の一端はここにもあると考える。

  (3) 大学の新産業創出効果
 小規模ではあるが、特に理系においては、大学によって新しい産業の芽が作られる可能性がある。つまり、教官や出身者などの専門家によって新しい企業(例えば、高度技術関係、コンサルタント、デザイン関係など)が創出される可能性がある。大学の所在地で開業することは、開業時の経営の不安定期に大学時代の関係をそのまま活用できる点で、創業時のリスクを低くする。
 たとえば、富山に比べて金沢にデザイン関係の企業が多いとすれば、それは、人口規模というよりも、繊維関係企業が多いことと、金沢美工大のためであると思う。

  (4) 公共交通機関の利用者としての機能
 富山県は、公共交通機関が不足していると言われているが、学生は、公共交通機関を下支えする重要な利用者である。

 3 観光

 富山県の観光統計の観光客の大半は、県内客である。これに対して、石川県は、消費額の大きい宿泊客が多く、県外客も多い。石川県には、加賀温泉、和倉温泉、金沢市、能登半島など有力な観光地がそろっている。

 4 歴史文化

 これは、観光などの面で意義があるとは思う。決して小さくはない。しかし、過大に評価する必要はないと思う。金沢と富山の差に歴史的文化的な要因が大きいという見方もあるが、では小矢部市と砺波市を比べて見ればよい。砺波市は、砺波平野でもっとも歴史の浅い町である。都市の規模で比較できないと言うなら、京都と東京とか大阪を比較すればよいと思う。


人口試論(2)(後半へ続く)

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