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 2003年6月
  自分の心を見失うな。他人を虐げるな。物を酷使するな。
   この三つのことを実行すれば、天地の心にかない、人々の生活を守り、子孫に幸福をもたらすことができる。


  不昧己心、不尽人情、不竭物力。三者可以為天地立心、為生民立命、為子孫造福。(菜根譚)
    

 2003年7月

  小さな過失はとがめない。かくしごとをあばかない。古傷は忘れてやる。
   他人に対してこの三つのことを心がければ、自分の人格を高めるばかりでなく、人の恨みを買うこともない。


  不責人小過、不発人陰私、不念人旧悪。三者可以養徳、亦可以遠害。(菜根譚)

  

 2003年8月

  小自分の心をいつも満ち足りた状態にしておけば、この世界に、不平不満は存在しなくなる。
   自分の心をいつも寛大公平に保っていれば、この世界から、とげとげしい雰囲気は消えてなくなる。

  此心常看得円満、天下自無欠陥之世界。此心常放得寛平、天下自無険側之人情。(菜根譚)

 2003年9月

  名誉や地位を得ることが幸せだと思われているが、じつは、名誉もなく地位もない状態の中にこそ最高の幸せがある。
   飢えに泣き寒さに凍えることが不幸だと思われているが、じつは、飢えもせず凍えもしない人のほうがいっそう大きな不幸を背負っている。

  人知名位為楽、不知無名無位之楽為最真。人知餓寒為憂、不知不餓不寒之憂為更甚。(菜根譚)

 2003年10月

  道徳は、万人共有のもの、誰もが踏み行なうべき道である。すべての人に開放されていなければならない。
   学問は、三度の食事と同じようなもの、誰にとっても欠かすことができない。たゆまずに研鑽しよう。

  道是一重公衆物事。当隋人而接引。学是一個尋常家飯。当隋事而警?。(菜根譚)
        ?=りっしんべんに易<警?:ケイテキ

 2003年11月

  楽しいことがあったかと思えば、すぐにまた心配のタネがもちあがってくる。うまくいったかと思えば、すぐまた壁にぶつかって嬉しさも相殺されてしまう。
   ありふれた食事、平凡な生活。そのなかにこそ人生のほんとうの楽しみがあるのだ。

  有一楽境界、就有一不楽的相対待。有一好光景、就有一不好的相乗除。只是尋常家飯、素位風光、纔是個安楽的窩巣。(菜根譚)

 2003年12月

  理想は高く持つべし。だが、あくまでも現実に立脚しなければならぬ。思考は周到にめぐらすべし。だが、末節にとらわれてはならぬ。
  趣味は淡白であるべし。だが、枯淡にすぎてはならぬ。節操はきびしく守るべし。だが、奇驕に走ってはならぬ。

  気象要?1、而不可疎狂。心思要?2蜜、而不可?3屑。趣味要冲淡、而不可偏枯。操守要厳明、而不可激烈。(菜根譚)
   ?1=ひへんに廣、?2=いとへんに眞、?3=たまへんに小の下に貝 

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 2004年1月

  この人生においては、ムリに功名を求める必要はない。大過なくすごせること、それが何よりの功名なのである。
  人と交わるときには、与えた恩恵に見返りを期待してはならない。人の怨みを買わないこと、それが何よりの見返りなのだ。

  処世不必?功。無過便是功。与人求感徳。無怨便是徳。(菜根譚)
   ?=激のさんずいがしんにょう 

 2004年2月

  苦労しているさなかにこそ、喜びがある。時めいていると、とたんに失意の悲しみがおとずれる。

  苦心中、常得悦心之趣。得意時、便生失意之悲。(菜根譚)

 2004年3月

  水は波さえ立てなければ自然と静まり、鏡は曇りさえなければ自然と輝いているものだ。
    人間の心も無理に清くする必要はない。濁りさえとりのぞけば、自然と清くなる。楽しみも無理に求める必要はない。苦しみさえとりのぞけば、自然と楽しくなる。

  水不波則自定、鑑不翳則自明。故心無可清。去其混之者而清自現。楽不必尋。去其苦之者而楽自存。(菜根譚)

 2004年4月

  手におえない暴れ馬も、慣らし方ひとつで乗りこなせる。鋳型からとびはねた金も、いずれは型におさまる。
 人間も、やる気の人間はまだいい。始末にわるいのは、のらくらしてやる気のない連中だ。こんな手合いはいつまでたっても進歩が望めない。
   白沙先生も語っている。
 「人間として欠点が多いのは恥ずべきことではない。むしろ欠点のない人間のほうが案じられる」
   これこそ達見だと思う。

  泛駕之馬、可就駆馳。躍冶之金、終帰型範。只一優游不振、便終身無個進歩。白沙云、為人多病末足狭羞、一生無病是吾憂。真確論也。(菜根譚)

 2004年5月

  ひまなときでも、時間をムダにしてはならない。その効用は、多忙になったとき現われてくる。休んでいるときでも、ぼんやり時を過ごしてはならない。
  その効用は、仕事にかかったとき現われてくる。人目につかぬところでも、良心をあざむいてはならない。その効用は、人前に出たとき現われてくる。

  ?中不放過、忙処有受用。静中不落空、動処有受用。暗中不欺隠、明処有受用。(菜根譚)
   ?=もんがまえの中に月

 2004年6月

  人をおとしいれようとしてはならない。だが、人からおとしいれられることには警戒心をはたらかせなければならないーこれは思慮の足りぬ人々をいましめたことばである。
 人にだまされまいと神経をとがらせるよりは、むしろ、甘んじてだまされたほうがましだーこれは目先のききすぎる人をいましめたことばである。
 この二つにことばを肝に銘じれば、思慮深く、しかも円満な人格を形成することができよう。

  害人之心不可有、防人之心不可無。此戒疎於慮也。寧受人之欺、?逆人之詐。此警傷於察也。二語並存、精明而?厚矣。(菜根譚)
   ?=さんずいに軍

 2004年7月

 寛大で心のあたたかい人は、万物をはぐくむ春風のようなものだ。そういう人のもとでは、すべてのものがすくすくと成長する。
刻薄で心のつめたい人は、万物を凍りつかせる真冬の雪のようなものだ。そんな人のもとでは、すべてのものが死に絶えてしまう。

  念頭寛厚的、如春風煦育。万物遭之而生。念頭徽忌刻的、如朔雪陰凝。万物遭之而死。(菜根譚)

 

 2004年8月

 あまりせっかちに事情を知ろうとしても、かえってわからなくなることがある。そんなときには、のんびり構えて自然に明らかになるのを待ったほうがよい。
無理やり攻めたてて相手の反感を買ってはならない。
  人を使うさいにも、なかなか使いこなせないことがある。そんな場合には、しばらく放っておいて相手の自発的な変化を待ったほうがよい。
うるさく干渉してますます意固地にさせてはならない。

  事有急之不白者。寛之或自明。母躁急以速其。人有操之不従者。縦之或自化。母躁切以益其頑。(菜根譚)

 

 2004年9月

 人としての道をしっかりと守っていれば、かりに不遇な状態に陥っても、一時のことに過ぎない。権勢にこびへつらえば、かりに得意の状態に陥っても、長続きしない。
  道を極めた人物は、世俗の価値にとらわれず、死後の評価に思いを致す。一時は不遇な状態に陥っても、人としての道を守って生きるほうがはるかに賢明ではあるまいか。

  棲守道徳者、寂寞一時。依阿権勢者、凄涼万古。達人観物外之物、思身後之身。寧受一時之寂寞、母取万古之凄涼。(菜根譚)

 

 2004年10月

 人格は、包容力が高まるにつれて向上し、包容力は見識が深まるにつれて高まる。
  人格を向上させようと思うなら、包容力を高め、包容力を高めようと思うなら見識を深めなければならない。

  徳髄量進、量由識長。故欲厚其徳、不可不弘其量。欲弘其量、不可不大其識。(菜根譚)

 

 2004年11月

 公職についたときの心得二つー「公平であってこそ正しい判断ができる」「清廉であってこそ威厳が生まれる」
  家庭生活の心得二つー「思いやりがあれば不満は生じない」「倹約であれば生活にゆとりが生まれる」

  居官有二語、日惟公則生明、惟廉則生威。居家有二語、日惟恕則情平。惟倹則用足。(菜根譚)

  

 

 2004年12月

 時間は、気持の持ち方しだいで長くもなり短くもなり、場所は、心の持ち方ひとつで広くもなり狭くもなる。
  のんびりした気持の持主には一日が千年の長さに感じられ、ゆったりした心の持主には狭苦しい部屋も天地の広さに感じられる。

  延促由於一念、寛窄係之寸心。故機閒者、一日遥於千古、意広者、斗室實若両間(菜根譚)

 

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 2005年1月

 草木が枯れ出すころ、根もとにはすでに新しい芽生えが始まっている。凍てつく寒さが来れば、陽気の訪れも遠くない。
 ものみな枯れはてたなかにも、常に生き生きとした生命が宿っている。これこそが自然の心にほかならない。

  草木纔零落、便露萌穎於根底。時序雖凝寒、終回陽気於飛灰。粛殺之中、生生之意、常為之主。即是可以見天地之心。(菜根譚)

 

 2005年2月

 あわただしいさなかにあっても、冷静にあたりを見回すだけの余裕があれば、ずいぶんと心のいらいらを解消することができる。
 ひまでひっそりとしているときにも、情熱を燃やして事にあたれば、またそこに捨てがたい魅力を見出すことができる。

  熱閙中着一冷眼、便省許多苦心思。冷落処存一熱心、便得許多得真趣味。(菜根譚)

 

 2005年3月

 心を雑念で満たしてはならない。雑念がつまっていなければ、そこに道理が入ってくる。
 心はいつも充実させておかなければならない。充実させておけば、物欲のはいりこむ余地がなくなる。

  心不可不虚。虚則義理来居。心不可不実。実則物欲不入。(菜根譚)

 

 2005年4月

 並はずれたやり口や策略、まねのできない行動や技能、これらはいずれも、この世を生きていくうえで、わざわいのタネとなる。平凡な人格と平凡な行動に徹して生きることこそ、平穏無事な生活を送る秘訣なのである。

  陰謀怪習、異行奇能、倶是渉世的禍胎。只一個庸徳庸行、便可以完混沌而召和平。(菜根譚)

 

 2005年5月

 激しい雨や風に襲われれば、鳥までふるえあがる。これに対し、晴れたおだやかな日和に恵まれれば、草木までが喜びにあふれる。
 これで明らかなように、天地には一日として和気が欠かせず、人の心にも一日として喜びがかかせないのである。

  疾風怒雨、禽鳥戚戚。霽日光風、草木欣欣、可見天地不可一日無和気、人心不可一日無喜神。(菜根譚)

 

 2005年6月

 あまり暇がありすぎても、つまらぬ雑念が頭をもたげてくるし、あまりに忙しすぎれば、こんどは本来の自分を見失ってしまう。
 してみると君子たるもの、一面では心身の苦労はあったほうがいいし、また一面では風流を楽しむことも忘れてはならない。

  人生太閒、則別念竊生、太忙則性不現。故士君子不可不抱身心之憂、亦不可不耽風月之趣。(菜根譚)

 

 2005年7月

 この山河さえ、やがては微塵となって砕け散るのだ。ましてちっぽけな人間などあとかたもなくふっとんでしまう。
 人間の肉体はもともと泡の影のようにはかないものだ。まして功名富貴など、影のまた影に過ぎない。
 だが、すぐれた英知をもたなければ、そこまで悟りきることができない。

  山河大地、己属微塵。而況塵中之塵。血肉身?、且帰泡影。而況影外之影。非上上智無了了心。(菜根譚)

 

 2005年8月

 老年になった心境で若い時代を見つめれば、やみくもな闘争心を消し去ることができよう。
 落ちぶれたときの気持ちになって順調な時代を見つめれば、贅沢になりがちな心を押さえることができよう。

  自老視少、可以消奔馳角逐之心。自瘁視栄、可以絶紛華靡麓之念。(菜根譚)

 

 2005年9月

 権勢をふるっている人物にとりいれば、相手の転落とともに、たちまち手きびしい報いをうける。
 無欲に徹してのんびり暮らしていれば、安定した生活をいつまでも楽しむことができる。

  趨炎附勢之禍、甚惨亦甚速。棲恬守逸之味、最淡亦最長。(菜根譚)

 

 2005年10月

  細事の処理にも、手を抜かない。人目のないところでも、悪事に手を染めない。失意のときでも、投げやりにならない。
  こうあってこそ、初めて立派な人物といえる。

  小処不滲漏、暗中不欺隠、未路不怠荒。纔是個真正英雄。(菜根譚)

 

 2005年11月

  なにが幸せかといって、平穏無事より幸せなことはなく、何が不幸かといって、欲求過多より不幸なことはない。
  しかし、あくせく苦労してこそ、はじめて平穏無事の幸せなことがわかり、心を落ち着けてこそ、はじめて欲求過多の不幸なことが理解できるのである。

  福莫福於少事、禍莫禍於多心。唯苦事者、方知少事之為福、唯平心者、始知多心之為禍。(菜根譚)

 

 2005年12月

  まず自分の心に打ち勝とう。そうすれば、あらるゆ煩悩を退散させることができる。
  まず、自分の気持ちを平静にしよう。そうすれば、あらゆる誘惑から身を守ることができる。

  降魔者、先降自心。心伏則群魔退聴。馭横者、先馭此気。気平則外横不侵。(菜根譚)

 

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 2006年1月

  秩序が確立している時代なら、あくまでも正義を貫いて生きよ。秩序が混乱している時代なら柔軟な処世を心がけよ。秩序が失われた未世においては、正義を貫きながらしかも柔軟な処世を心がけよ。
  対人関係でも、善人に対しては寛容と、悪人に対しては厳格な態度で臨み、普通の人に対しては寛容と厳格の両面を使い分けなければならない。

  処治世方、処乱世宜円、処叔季之世、当方円並用。待善人宜寛、待悪人宜厳、待庸衆之人、当寛厳互存。(菜根譚)

 

 2006年2月

 幸福は求めようとしても求められるものではない。常に喜びの気持ちをもって暮らすこと、これが幸福を呼びこむ道である。
 不幸は避けようとしても避けられるものではない。常に人の心を傷つけないように心がけること、これが不幸を避ける方法である。

  福不可徼。養喜神以為召福之本而己。禍不可避。去殺機以為遠禍之方而己。(菜根譚)

 

 2006年3月

 思いどおりにならないときは、自分より条件の悪い人のことを考えよ。そうすれば、自然に不満が消えるだろう。
 怠け心が生じたときは、自分よりすぐれた人物のことを考えよ。そうすれば、またやる気が湧いてくるだろう。

  事稍払逆、便思不如我的人。則怨尤自消。心稍怠荒、便思勝似我的人。則精神自奮。(菜根譚)

 

 2006年4月

 世俗を逃れて山林に住む者には、栄誉も恥辱も関係ない。道義を守ってつき進む者には、人の思惑など気にならない。

  隠逸林中無栄辱、道義路上無炎涼。(菜根譚)

 

 2006年5月

 暇なときには、気持ちまでだらけてしまいやすい。だから、心の余裕を保ちながらも、意識だけはすっきりさせておかなければならない。
 忙しいときには、気持ちが浮ついてしまいやすい。だから、意識をすっきりさせながらも、心の余裕だけは失わないようにつとめたい。

  無事時心易昏冥。宜寂寂而照以惺惺。有事時心易奔逸。宜惺惺而主以寂寂。(菜根譚)

 

 2006年6月

 口は心の門である。ここをしっかり守らないと、心のなかの機密がすっかり外に洩れてしまう。
 意識は心の足である。これをきびしく統制しないと、たちまち邪道に踏み込んでしまう。

  口乃心之門。守口不蜜洩尽真機。意乃心之足。防意不厳走尽邪蹊(菜根譚)

 

 2006年7月

 小人とは事を構えるな。小人には、小人にふさわしい相手がいる。
 君子にはこびへつらうな。いくらへつらっても、君子は、えこひいきなどしてくれない。

  休与小人仇讐。小人自有対頭。休向君子諂媚。君子原無私恵。(菜根譚)

 

 2006年8月

 この世に生きているあいだは、広く大きな心をもって生きなければならない。そうすれば、どんな人にも不平不満の気持ちを抱かせないであろう。
 死んでからのちには、いつまでも尽きない恩沢をのこさなければならない。そうすれば、どんな人にも満ち足りた感じを与えることができよう。

  面前的田地、要放得寛、使人無不平之歎。身後的恵沢、要流得久、使人有不匱之思。(菜根譚)

 

 2006年9月

 いたわりの心は、この世になごやかな和気をもたらす。潔白な心は、百代の後までも清らかな香りを残す。

  一念慈祥、可以醞醸両間和気、寸心潔白、可以昭垂百代清芬。(菜根譚)

 

 2006年10月

 他人の過ちには寛大であれ。しかし、自分の過ちにはきびしくなければならない。
 自分の苦しみには歯を食いしばれ。しかし、他人の苦しみを見すごしてはならない。

  人之過誤宜恕、而在己則不可恕。己之困辱当忍、而在人則不可忍。(菜根譚)

 

 2006年11月

 功績を誇り学問をひけらかす人々は、人間としての価値を外面にだけ求めている。本来そなわっているまことの心さえ失わなければ、たとい功績や学問がなくとても、それだけで立派な人生が送れることを理解していない。

  誇逞功業、炫耀文章、靠皆是外物做人、不知心体瑩然、本来不失、即無寸功隻字、亦自有堂堂正正做人処。(菜根譚)

 

 2006年12月

 思いどおりにならぬからといってくよくよするな。思いどおりになったからといっていい気になるな。
 今の幸せがいつまでも続くと思うな。最初の困難にくじけて逃げ腰になるな。

  母憂払意。母喜快心。母持久安。母憚初難。(菜根譚)

 

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 2007年1月

 人の境遇はさまざまであって、恵まれている者もいれば恵まれていない者もいる。それなのに、どうして自分一人だけすべての面で恵まれていることを期待できようか。
 自分の心の動きもさまざまであって、道理にかなっている場合もあればかなっていない場合もある。それなのに、どうしてすべての人々を道理に従わせることができようか。
 自他を見比べながらバランス感覚をはたらかせるのも、処世の便法なのである。

  人之際遇、有斉有不斉、而能使己独斉乎。己之情理、有順有不順、而能使人皆順乎。以此相観対治、亦是一方便法門。(菜根譚)

 

 2007年2月

 ころりと態度を変えるのは、貧乏人より金持のほうが激しい。ねたみそねみは、他人より肉親同士のほうが深い。
 こんなとき、冷静、かつおだやかな気持ちで対処しなければ、毎日を悩みと苦しみのなかで過ごさなければならない。

  炎涼之態、富貴更甚於貧賎、妬忌之心、骨肉尤很於外人。此処若不当以冷腸、御以平気、鮮不日坐煩悩障中矣。(菜根譚)

 

 2007年3月

 人間としては、一片の誠実さを失ってはいけない。そうでないと、乞食みたいな人間になり下がり、何をやっても信頼されなくなってしまう。
 世の中を渡るうえでは、丸味のある生き方を心がけなければならない。そうでないと、デクノボウみたいな人間になり、行く先々で壁にぶつかってしまう。

  作人無点真懇念頭、便成個花子、事事皆虚。渉世無段円活機趣、便是個木人、処処有碍。(菜根譚)

 

 2007年4月

 信念を曲げてまで人の歓心を買おうとしてはならない。人から煙たがられても、自分の信念は貫くべきである。
 善行もないのに、評判だけを得ようとしてはならない。それくらいなら、いわれのない非難にさらされるほうがまだましだ。

  曲意而使人喜、不若直躬而使人忌。無善而致人誉、不若無悪而致人毀。(菜根譚)

 

 2007年5月

 古くからの友人とは、常に新しい気持ちでつき合いたい。人に知られたくない、機密事項を処理するときは、とりわけ公明正大な態度で当たりたい。現役を退いたお年寄りには、以前よりもいっそういたわりの心をもって接したい。

  遇故旧之交、意気要愈新。処穏微之事、心迹宜愈顕。待衰朽之人、恩礼当愈隆。(菜根譚)

 

 2007年6月

 人の責任を追及するときには、過失を指摘しながら、同時に、過失のなかった部分を評価してやる。そうすれば、相手も不満をいだかない。
 自分を反省するときには、成功のなかからもあえて過失を探し出すような厳しい態度が望まれる。そうすれば、人間的にもいちだんと成長しよう。

  責人者、原無過於有過之中、則情平。責己者、求有過於無過之内、則徳進。(菜根譚)

 

 2007年7月

 心の豊かな人は、気持ちもゆったりしている。だから、厚い幸せをいつまでも受け続けるばかりか、何をやるにしても、なごやかな雰囲気をかもし出す。
 心の卑しい人は、考えることまでこせこせしている。だから、いささかの幸せを受けたとしても長続きしないばかりか、何をやるにしても、こせついた雰囲気になってしまう。

  仁人心地寛舒、便福厚而慶長、事事成個寛舒気象。鄙夫念頭迫促、便禄薄而沢短、事事得個迫促規模。(菜根譚)

 

 2007年8月

 親は子をいつくしみ、子は親に孝養をつくす。兄は弟をいたわり、弟は兄をうやまう。
 これは、肉親としてきわめて当然の情愛である。どんなに理想的に行なったとしても、感謝したり感謝されたりする筋合いのものではない。もし、そのことで恩着せがましい態度をとったり、施しをうけたような気持ちになるならば、それはもはや他人同士の関係となり、商人の取引と変わりない。

  父慈子孝、兄友弟恭、縦做到極処、倶是合当如此。着不得一毫感激的念頭。如施者任徳、受者懐恩、便是路人、便成市道矣。(菜根譚)

 

 2007年9月

 口数が少なく、めったに本心をのぞかせない人に対しては、こちらもうっかり心を許してはならない。
 感情の振幅が激しく、自己反省の乏しい人に対しては、なるべく敬遠して話しかけぬほうがよい。 

  遇沈沈不語之士、且莫輸心。見悻悻自好之人、応須防口。(菜根譚)

 

 2007年10月

 気候が温暖であれば万物は生育し、寒冷になれば枯死する。
 人間についても同じこと、心の冷たい者は幸せに恵まれることが少ない。末長く幸せに恵まれるのは、心の暖かい人だ。 

  天地之気、暖則生、寒則殺。故性気清冷者、受亨亦涼薄。唯和気熱心之人、其福亦厚、其沢亦長。(菜根譚)

 

 2007年11月

 酒、料理など、こってりしたものはいずれも本物の味ではない。本物の味とはあっさりしたものだ。
 並はずれてきらびやかな才能の持ち主は達人とはいえない。達人とは平凡そのものの人物をいうのだ。 

  醲肥辛甘非真味。真味只是淡。神奇卓異非至人。至人只是常。(菜根譚)

 

 2007年12月

 自分の心が私利私欲に走りそうだと気づいたときは、すぐ正しい道に引き戻もどさなければならない。迷いが起こったらすぐそれに気づき、気づいたらすぐ改める。
 こうあってこそ禍を福に転じ、死を生に変えることができるのだ。ちょっとした迷いだからといって、けっして見過ごしてはならない。

  念頭起処、纔覚向欲路上去、便挽従理路上来。一起便覚一覚便転。此是転禍為福、起死回生的関頭。切莫軽易放過。(菜根譚)

 

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 2008年1月

 鶯の声を聞くと、いいなと思い、蛙の声を聞くと、うるさいと感じる。花を見れば、植えてみようかと思い、離草を見れば 、抜いてしまおうとする。これが人情だ。
 しかしこれは、上っ面にだけとらわれた見方にすぎない。内面的な価値に即して見れば、生きとし生きるものすべてが、天から授かった本性のままに鳴き、そして生きているのである。

  人情聴鶯啼則喜、聞蛙鳴則厭。見花則思倍之、遇草則欲去之。但是以形気用事。若以性天視之、何者非自鳴其天機。非自暢其生意也。(菜根譚)

 

 2008年2月

 読み書きはできなくても、詩心さえあれば、詩の真髄にふれることができる。
 偈はまったく知らなくても、禅味さえあれば、禅の奥義を悟ることができる。(菜根譚)

  一字不識、而有詩意者、得詩家真趣。一偈不参、而有禅味者、悟禅教玄機。(菜根譚)

 

 2008年3月

 長いあいだうずくまって力をたくわえていた鳥は、いったん飛び立てば、必ず高く舞いあがる。他に先がけて開いた花は、散るのもまた早い。
 この道理さえわきまえていれば、途中でへたばる心配もないし、功をあせっていらいらすることもない。

  伏久者飛必高、開先者謝独早。知此、可以免蹭蹬之憂、可以消躁急之念。(菜根譚)

 

 2008年4月

 一般の庶民でも、社会への奉仕を忘れなければ、大臣宰相にまさっている。高位高官でも、権勢を笠に私恩を売るだけでは、乞食と同じである。

 平民肯種徳施恵、便是無位的公相。士夫徒貧権市寵、竟成有爵的乞人。(菜根譚)

 

 2008年5月

 静かな環境で思考が透徹しているときには、心の本来の姿が見えてくる。のんびりした環境で気持ちが落ち着いているときには、心の動きが見えてくる。淡々たる心境で感情が平静なときには、心の動く方向が見えてくる。
 自分の心を認識し、真の道を会得するには、この三つの方法によるのが、もっともよい。

  貧家浄払地、貧女浄梳頭、景色雖不艶麗、気度自是風雅。士君子一当窮愁寥落、奈何輙自廃弛哉。(菜根譚)

 

 2008年6月

 清廉であってしかも包容力もある。思いやりがあってしかも決断力にも富んでいる。洞察力があってしかもアラさがしはしない。純粋であってしかも過激に走らない。
 こういう人物こそ「蜜を使っても甘すぎず、塩を使っても辛すぎない」といい、理想のあり方に近いのではないか。

  清能有容、仁能善断。明不傷察、直不過矯。是謂蜜餞甜、海味不醎。纔是懿徳。(菜根譚)

 

 2008年7月

 学問にこころざす者は、たえず精神を集中し、一つの目標に向かって歩みつづけなければならない。
 人格の向上を心がけながら、その一方で、功績や名誉に心をひかれたのでは、成果はあがらない。また、勉強しても、道楽や風流にばかり熱中していては、せっかくの学問も身につかない。

  学者要収拾精神、併帰一路。如修徳而留意於事功名誉、必無実詣。読書而寄興於吟咏風雅、定不深心。(菜根譚)

 

 2008年8月

 人は誰でも大慈大悲の仏心をもっている。維摩居士のような立派な人物であろうと、屠殺人のような卑しい人間であろうと、その点では変わりない。
 この地上には、至るところに人生の楽しみがある。立派な邸宅に住もうと粗末なあばら屋に住もうと、その点では、まったく変わりない。

  人人有個大慈悲。維摩屠劊無二心也。処処有種真趣味。金屋茅簷非両地也。只是欲蔽情封、当面錯過、使咫尺千里矣。(菜根譚)

 

 2008年9月

 芸妓でも、晩年に身を固めて貞節な妻になれば、むかしの浮いた暮らしは少しも負い目にならない。
 貞節な妻でも、白髪になって操を破れば、それまでの苦労がすべて水の泡になる。
 ことわざにも、「人の値うちは後半生できまる」とあるが、まったくそのとおりだ。

  声妓晩景従良、一世之胭花碍。貞婦白頭失守、半生之清苦倶非。語云、看人只看後半載。真名言也。(菜根譚)

 

 2008年10月

 恩恵を施すときには、初めはわずかで、後になるほど手厚くしていくのがよい。初め手厚くして後でけずっていけば、相手は恩恵を忘れてしまう。
 威厳を示すときには、初めきびしくして、後になるほどゆるめていくのがよい。初めゆるくして後できびしくすれば、相手はきびしさに耐えかねる。

 恩宜自淡而濃。先濃後淡者、人忘其恵。威宜自厳而寛。先寛後厳者、人怨其酷。(菜根譚)

 2008年11月

 一方の意見だけを信じて腹黒い人間につけ込まれてはならない。自信にまかせてむやみに突っ走ってはならない。
 自分の長所を鼻にかけて他人の短所をあばきたててはならない。自分の無能をタナにあげて他人の才能をねたんではならない。

 毋偏信而為奸所欺。毋自任而為気所使。毋以己之長而形人之短。毋因己之拙而忌人之能。(菜根譚)

 2008年12月

 眼の前にあるすべてのことは、満足することを知っている者には理想の世界であるが、満足することを知らない者にとっては世俗の世界に過ぎない。
 世の中を動かしているすべての活力は、うまく引き出せば社会を発展させるが、使い方を誤まるとかえってガタガタにしてしまう。

 都来眼前事、知足者仙境、不知足者凡境。総出世上因、善用者生機、不善用者殺機。(菜根譚)

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 2009年1月

 夜半の鐘の音に夢のまた夢を破られ、淵に映る月影に、この仮身とはちがうもうひとつのわが身を思うのである。

 。聴静夜之鐘声、喚醒夢中之夢、観澄之月影、窮見身外之身。(菜根譚)

 2009年2月

 小人はほしいままに悪をはたらく。君子の偽善はそれと変わりない。小人でも悪を改めることがある。君子の変節は、それに比べたら、はるかに始末がわるい。

  君子而詐善、無異小人之悪。君子而改節、不及小人之自新。(菜根譚)

 2009年3月

 質素な人は派手好きな人から煙たがれる。きびしい人はだらしのない人からいやがられる。
 だからといって、いささかも自分の信念を曲げてはならないが、同時に、それをむき出しにしないことが望まれる。これが君子の生き方だ。

  澹泊之士、必為濃艶者所疑、検飾之人、多為放肆者所忌。君子処此、固不可少変其操履、亦不可太露其鋒芒。(菜根譚)

 2009年4月

 人に恩恵を施す場合には、恩着せがましい気持ちをあらわしたり、相手の感謝を期待するような態度を見せてはならない。そうすれば、たとい米一斗の施しでも百万石の値打ちを生む。
 人に利益を与える場合には、「効果を計算したり、見返りを要求してはならない。そんなことをすれば、たとい百金を与えたとしても、一文の値打ちもなくなる。

  施恩者、内不見己、外不見人、即斗栗可当万鍾之恵。利物者、計己施、責人之報、雖百鎰難成一文之功。(菜根譚)

 2009年5月

 心から雑念を追い払えば、本来の自分の姿が見えてくる。雑念をいっぱいつめこんだままで、自分の姿を見ようとしても、不可能だ。それはちょうど、波をかきわけて、水に映った月をとろうとするようなものである。
 意識をすっきりさせれば、心も澄む。意識を濁ったままにしておいて、心だけ澄んだ状態にしようとしても、不可能だ。それはちょうど、鏡の曇りをそのままにして、物を映し出そうとするようなものである。

  心虚則性現。不息心而求見性、如撥波覓月。意浄則心清。不了意而求明心、如索鏡増塵。(菜根譚)

 2009年6月

 見通しの立たない計画に頭を悩ますよりも、すでに軌道に乗った事業の発展をはかるがよい。
 過去の失敗にくよくよするよりも、将来の失敗に備えるがよい。

  図未就之功、不如保巳成之業。悔既往之失、不如防将来之非。(菜根譚)

 2009年7月

非難中傷は、太陽をかくすちぎれ雲。 すぐ吹きはらわれるから気にすることはない。阿ゆ迎合は、肌を刺す隙間風。知らぬ間に健康をそこなっている。

  讒夫毀士、如寸雲蔽日、不久自明。媚子阿人、似隙風侵肌、不覚其損。(菜根譚)

 2009年8月

 事業を成功させ、功績を立てるのは、たいてい、すなおで機転のきく人物だ。
 事業を失敗させ、みすみすチャンスを逸するのは、きまって、強情で融通のきかぬ人間だ。

  建功立業者、多虚円之士。墳事失機者、必執拗之人。(菜根譚)

 2009年9月

 学問にこころざす者は、たえず精神を集中し、一つの目標に向かって歩み続けなければならない。
 人格の向上を心がけながら、その一方で、功績や名誉に心をひかれたのでは、成果はあがらない。また、勉強しても、道楽や風流にばかり熱中していては、せっかくの学問も身につかない。

  学者要収拾精神、併帰一路。如修徳而留意於事功名誉、必無実詣。読書而奇興於吟咏風雅、定不深心。(菜根譚)

 2009年10月

 人間は誰でも大慈大悲の仏心をもっている。維摩居士のような立派な人物であろうと、屠殺人のような卑しい人間であろうと、その点では変わりない。
 この地上には、至るところに人生の楽しみがある。立派な邸宅に住もうと粗末なあばら屋に住もうと、その点ではまったく変わりない。
 ただ、欲望や感情に心をくらまされて、すぐ近くにあるものも見えなくなってしまうのだ。

  人人有個大慈悲。維摩屠劊無二心也。処処有種真趣味。金屋茅簷非両地也。只是欲蔽情封、当面錯過、使咫尺千里矣。(菜根譚)

 2009年11月

 せっかちで粗雑な心の持ち主は、なにをやっても成功しない。
 おだやかで冷静な心の持ち主には、自然に幸運が集まってくる。

  性燥心粗者、一事無我成。心和気平者、百福自集。(菜根譚)

 2009年12月

 利益は、人より先に飛びつくな。善行は、人に遅れをとるな。
 報酬は、限度を超えてむさぼるな。修養は、できるかぎりの努力を怠るな。

  寵利毋居人前。徳業毋落人後。受亨毋踰分外。修為毋減分中。(菜根譚)

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 2010年1月

 友人とは、三分の侠気をもって交わり、人間としては、純粋な心を失わずに生きるべきだ。

  交友須帯三分侠気。作人要存一点素心。(菜根譚)

 2010年2月

 新しい珍奇なものにばかり目が行くのは、深い見識に欠けている。
 わが道を行こうとしゃにむに我を張るのは、長続きするゆえんではない。

驚奇喜異者、無遠大之識、苦節独行者、非恒久之操。(菜根譚)

 2010年3月

 いつわりの心を捨てれば、月が天心に澄み風が水面をわたるようなすがすがしい気持ちになる。この人生も苦しみの海ばかりではない。
 心が世俗を脱すれば、車馬のさわがしさも苦にならない。わざわざ山奥に身をかくす必要もないのである。

  機息時、便有月到風来。不必苦海人世。心遠処、自無車塵馬迹。何須痼疾丘山。(菜根譚)

 2010年4月

 倹約は美徳だが、度が過ぎれば、ケチとなり卑しさとなって、かえって正しい道に反するようになる。
 謙虚は立派な態度だが、これも度が過ぎれば、バカていねいとなり卑屈となって、なにか魂胆をかくしていることが多い。

  倹美徳也。過則為慳吝、為鄙嗇、反傷雅道。譲懿行也。過則為足恭、為曲謹、多出機心。(菜根譚)

 2010年5月

 道徳は、万人共有のもの、誰もが踏み行なうべき道である。すべての人に開放されていなければならない。
 学問は、三度の食事と同じようなもの、誰にとっても欠かすことができない。たゆまずに研鑽しよう。

  道之一重公衆物事。当隋人而接引。学是一個尋常家飯。当隋事而警惕。(菜根譚)

 2010年6月

 逆境にあるときは、身の回りのものすべてが良薬となり、節操も行動も、知らぬまにみがかれていく。
 順境にあるときは、目の前のものすべてが凶器となり、体中骨抜きにされても、まだ気づかない。

  居逆境中、周身皆鍼砭薬石、砥節礪行而不覚。処順境内、満前尽兵刃戈矛、銷膏靡骨而不知。(菜根譚)

 2010年7月

 どんなに深い恩を受けても報いようとしないくせに、ささいな怨みにはすぐに反応する。他人の悪事は、たんなる噂でも信じるくせに、善行は、明白な事実でも信じようとしない。
 こんな人間は、きわめて冷たい心の持ち主だ。こうならないように、くれぐれも自戒しなければならない。

  受人之恩雖深不報。怨則浅亦報之。聞人之悪雖隠不疑。善則顕亦疑之。此刻之極、薄之尤也。宜切戒之。(菜根譚)

 2010年8月

 喜びにうかれて安請合いをしてはならぬ。酒の酔いにかこつけて怒りを爆発させてはならぬ。好調に気をゆるして手を広げすぎてはならぬ。疲れたからといって最後まで手を抜いてはならぬ。

  不可乗喜而軽諾。不可因酔而生心嗔。不可乗快而多事。不可因倦而鮮終。(菜根譚)

 2010年9月

 相手を信じてかかれば、かりに相手が百パーセント誠実でなかったとしても、こちらは誠実を貫いたことになる。
 相手を疑ってかかれば、相手は必ずしもペテンを使うとは限らないのに、こちらからペテンを使ったことになる。

  信人者、人未必尽誠、己則独誠矣。疑人者、人未必皆詐、己則先詐矣。(菜根譚)

 2010年10月

 親は子をいつくしみ、子は親に孝養をつくす。兄は弟をいたわり、弟は兄をうやまう。
 これは、肉親としてきわめて当然の情愛である。どんなに理想的に行なったとしても、感謝したり感謝されたりする筋合いのものではない。もし、そのことで恩着せがましい態度をとったり、施しをうけたような気持ちになるならば、それはもはや他人同士の関係となり、商人の取引きと変わりない。

  父慈子孫、兄友弟恭、縦做到極処、倶是合当如此。着不得一毫感激的念願。如施者任徳、受者懐恩、便是路人、便成市道矣。(菜根譚)

 2010年11月

 見通しの立たない計画に頭を悩ますよりも、すでに軌道に乗った事業の発展をはかるがよい。
 過去の失敗にくよくよするよりも、将来の失敗に備えるがよい。

  図未就之功、不如保己成之業。悔既往之失、不如防将来之非。(菜根譚)

 2010年12月

 書物を読んでも、聖賢の心にふれなければ、文字の奴隷にすぎない。官吏となっても、民衆をいつくしまなければ、禄盗人にすぎない。学問を教えても、みずから実行しなければ、口先だけの学問にすぎない。事業をおこしても、人々のことを考えなければ、つかの間のあだ花におわってしまう。

  読書不見聖賢、為鉛槧傭。居官不愛子民、為衣冠盗。講学不尚躬行、為口頭禅。立業不思種徳、為眼前花。(菜根譚)

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 2011年1月

 魚をとらえようとした網に、意外にも、白鳥のかかることがある。餌をねらっているカマキリを、後から雀がつけねらっていることもある。まったく油断もスキもない。
 からくりのなかにからくりがかくされ、予想もつかぬ展開をするのが、この世の中だ。人間の知恵や術数では、どうすることもできぬ。

  魚網之設、鴻則罹其中。螳蜋之貧、雀又乗其後。機裡蔵機、変外生変。智巧何足恃哉。(菜根譚)

 2011年2月

 ひっそりと静まりかえった深夜に、独り坐って自分を観照すれば、もろもろの煩悩が消え去って清浄な心があらわれてくる。そこから、必ずや大いなる悟りを開くことができよう。
 清浄な心があらわれても、なお煩悩から逃れきれないと悟ったときは、必ずやそこから大いなる懺悔の心が芽生えてくるにちがいない。

  夜深人静、独坐観心、始覚妄窮而真独露。毎於此中、得大機趣。既覚真現而妄難逃、又於此中、得大懺悔。(菜根譚)

 2011年3月

 議論するときには、第三者の立場に身をおいて、十分に利害得失を検討してかからなければならない。
 実行するときには、当事者として、個人の利害得失を度外視してかからなければならない。

  議事者、身在事外、宜悉利害之情。任事者、身居事中、当忘利害之慮。(菜根譚)

 2011年4月

 君子はしっかりと眼を見開いて現実を直視すべきである。いったんこうと決めたら、軽々しく態度を変えてはならない。

  君子宜浄拭冷眼。慎勿軽動剛腸。(菜根譚)

 2011年5月

 節操の固い人物は、おだやかな態度を身につけたい。そうすれば、無用の争いに巻き込まれないですむ。
 功名心の旺盛な人物は、謙譲の美徳を身につけたい。そうすれば、人のねたみを受けないですむ。

  節義之人、済以和衷、纔不啓忿争之路。功名之士、承以謙徳、方不開嫉妬之門。(菜根譚)

 2011年6月

 私利私欲の追求に走ったらどうなるか。剛直は骨抜きとなり、明智はくらまされ、愛情は残酷にかわり、潔白は泥まみれとなり、あたら一生を台なしにしてしまうにちがいない。
 だから古人は、「無欲こそ宝」と言いきったのだ。このことばこそ俗世間を超越する道である。

  人只一念貧私、便鎖剛為柔、塞智為黄昏、変恩為惨、染潔為汚、壊了一生人品。故古人以不貧為宝、所以度越一世。(菜根譚)

 2011年7月

 せっかく大金を与えても、「ありがとう」の一言すら聞けない場合もあるし、いちど飯を恵んだだけで、一生感謝される場合もある。
 思いやりも、度がすぎれば反感を招き、わずかな施しでも、心から喜んでもらえることもあるのだ。

  千金難結一時之歓、一飯竟致終身之感。蓋愛重反為仇、薄極翻成喜也。(菜根譚)

 2011年8月

 なにが幸せかといって、平穏無事より幸せなことはなく、なにが不幸かといって、欲求過多より不幸なことはない。
 しかし、あくせく苦労してこそ、はじめて欲求過多の不幸なことが理解できるのである。

  福莫福於少事、過莫過於多心。唯苦事者、方知少事之為福、唯平心者、始知多心之為過。(菜根譚)

 2011年9月

 天地は永遠であるが、人生は二度ともどらない。人の寿命はせいぜい百年。あっというまに過ぎ去ってしまう。幸いこの世に生まれたからには、楽しく生きたいと願うばかりでなく、ムダに過ごすことへの恐れを持たなければならない。

  天地有万古、此身不再得。人生只百年、此日最易過。幸生其間者、不可不知有生之楽、亦不可不懐虚生之憂。(菜根譚)

 2011年10月

 名誉や利益にとらわれた人々は、しきりに「この世は苦しみの海だ」とこぼしている。 
 だが、雲は曰く、山は青く、川は流れ、石はそそり立ち、花は咲き、鳥は鳴き、谷はこだまし、木こりは歌う、そんな世界もあるのではないか。
 この世はけっしてけがれてもいないし、苦しみの海でもない。そうさせているのは、かれら自身の心なのだ。

  世人為栄利纏縛、動曰塵世苦界海。不知雲白山青、川行石立、花迎鳥咲、谷答樵謳。世亦不塵、海亦不苦、彼自塵苦其心爾。(菜根譚)

 2011年11月

 禅の極意に、「腹がへったら飯を食い、疲れたら眠る」とある。また、詩作の心得に、「眼前の眺めを日常のことばで述べよ」とある。
 思うに、最も平凡で最もやさしいことが実は最も高度で最もむずかしいのである。また、技巧をこらせばこらすほど真実から遠ざかり、無心であればあるほど真実に近づく、ということであろう。

  禅宗曰、饑来喫飯捲来眠。詩旨曰、眼前景致口頭語。蓋極高寓於極平、至難出於至易、有意者反遠、無心者自近也。(菜根譚)

 2011年12月

 せっかちで落ち着きがないのは燃えさかる炎のようなもの、周りの者を焼き尽くしてしまう。恩情のないのは冷たい氷のようなもの、みんなの心を冷えびえとさせる。頑固で融通のきかないのは留り水や朽木のようなもの、いきいきした活気を失っている。

  燥性者火熾、遇物則焚。寡恩者氷清、逢物必殺。凝滞固執者、如死水腐木、生機巳絶。倶難建功業而延福祉。(菜根譚)

 2012年1月

 個人的な恩を着せるよりは、正しい意見に味方したい。新しい友人を求めるよりは、古い友人を大事にしたい。
 売名行為に走るよりは、目立たぬ貢献を心がけたい。奇行を売りものにするよりは、ふだんの行ないを慎みたい。

  市私恩不如扶公議。結新知不如敦旧好。立栄名不如種隠徳。尚奇節不如謹庸行。(菜根譚)

 2012年2月

 逆境にあるときは、身の回りのものすべてが良薬となり、節操も行動も、知らぬまにみがかれていく。
 順境にあるときは、目の前のものすべてが凶器となり、体中骨抜きにされても、まだ気づかない。 

  居逆境中、周身皆鍼砭薬石、砥節礪行而不覚。処順境内、満前尽刃戈矛、銷膏靡骨而不知。(菜根譚)

 2012年3月

 精神が充実しているときは、粗末な布団にくるまっていても、天地の生気を吸収することができる。
 心が充足しているときは、質素な食事をとっていても、人生の淡泊な味わいを楽しむことができる。 

  神酣、布被窩中、得天地冲和之気。味足、藜羹飯後、識人生瀘澹泊之真。(菜根譚)

 2012年4月

 相手のペテンに気づいても、あからさまな批判は避ける。相手からバカ呼ばわりされても、怒りを表にあらわさない。
 こういう態度には、着きない味わいと限りない利点がある。 

  覚人之詐、不形於言。受人之侮、不動於色。此中有無窮意味、亦有無窮受用。(菜根譚)

 2012年5月

 なにごとにつけ、余裕をもって控え目に対処せよ。そうすれば、人はおろか、天地の神々も、危害を加えたり、わざわいを下したりはしない。
 事業でも功名でも、トコトン追求してやまなければ、どうなるか。内から足を引っぱられるか、外から切り崩されるかして、いずれにしても失敗を免れない。 

  事々留固有余不尽的意思、便造物不能忌我、鬼神不能損我。若業必求満、功必求盈者、不生内変必召外憂。(菜根譚)

 2012年6月

 心が澄みきっていれば、どんな暗がりにいても、良心をくらまされることはない。
 心が曇っていれば、どんなに明るみにいても、悪魔のとりこになる。

  心体光明、暗室中有青天。念頭暗昩、白日下生厲鬼。(菜根譚)

 2012年7月

 この世の中を生きていくには、人に一歩譲る心がけを忘れてはならない。一歩退くことは一歩進むための前提となるのだ。
 対人関係においては、なるべく寛大を旨としたほうがよい結果につながる。人のためにはかってやることが結局は自分の利益となってはねかえってくるのだ。

  処世譲一歩為高。退歩即進歩的張本。待人寛一分是福。利人実利己的根基。(菜根譚)

 2012年8月

 風もなぎ波もおさまって物みなしずまりかえる。そんな静寂のなかにこそ、人生の醍醐味を見出すことができる。
 質素な暮らし、たまさかの物音。そんな枯淡の境地にあってこそ、人間本来の心にたち返ることができる。

  風恬浪静中、見人生之真境。味淡声希処、識心体之本然。(菜根譚)

 2012年9月

 ひたすら物欲を捨て去って、花をつくり竹を植えながら、「無」の境地に心を遊ばせる。
 忘れてはならぬことまで忘れ去って、香をたき茶をたしなみ、酒をとどける人がいなくても苦にはしない。

  損之又損、栽花種竹、儘交還烏有先生。忘無可忘、焚香煮茗、総不問白衣童子。(菜根譚)

 2012年10月

 暇なときには、気持までだらけてしまいやすい。だから、心の余裕を保ちながらも、意識だけはすっきりさせておかなければならない。
 忙しいときには、気持が浮ついてしまいやすい。だから、意識をすっきりさせながらも、心の余裕だけは失わないようにつとめたい。

  無事時心易昏冥。宜寂寂而照以惺惺。有事時心易奔逸。宜惺惺而主以寂寂。(菜根譚)

 2012年11月

 禅の極意に、「腹がへったら飯を食い、疲れたら眠る」とある。また、詩作の心得に、「眼前の眺めを日常のことばで述べよ」とある。
 思うに、最も平凡で最も平凡で最もやさしいことが実は最も高度で最もむずかしいのである。また、技巧をこらせばこらすほど真実から遠ざかり、無心であればあるほど真実に近づく、ということであろう。

  禅僧曰、餞来喫飯倦来眠。詩旨曰、眼前景致口頭語。蓋極高寓於極平、至難出於至易、有意者反遠、無心者自近也。(菜根譚)

 2012年12月

 この山河さえ、やがては微塵となって砕け散るのだ。ましてちっぽけな人間などあとかたもなくふっとんでいまう。
 人間の肉体はもともと泡の影のようにはかないもの。まして功名富貴など、影のまた影にすぎない。
 だが、すぐれた英知をもたなければ、そこまで悟りきることができない。

  山河大地、己属微塵。而況塵中之塵。血肉身軀、且帰泡影。而況影外之影。非上上智無了了心。(菜根譚)

 2013年1月

 かりに悪事をはたらいても、人に知られることを恐れているなら、まだ見所がある。
 せっかく善行を積んでも、早く人に知られたいと願うようでは、すでに悪の芽を宿している。

  為悪而畏人知、悪中猶有善路。為善而急人知、善処即是悪根。(菜根譚)

 2013年2月

 好んでわび住まいの楽しみを口にするのは、まだほんとうにその良さ知らない証拠である。
 ことさらに名誉や利益を語ろうとしないのは、まだ完全にそこから抜けきっていない証拠である。

  談山林之楽者、未必真得山林之趣。厭名利之談、未必尽忘名利之情。(菜根譚)

 2013年3月

 せまくるしい部屋に住んでいても、いっさいの心配事を捨て去ることができれば、高楼の屋根をかすめて飛ぶ雲や、珠のすだれに降りかかる雨など眺めなくとも、自然のおもむきを味わうことができる。
 少々盃をかさねても、天地の真理さえ悟ることができれば、月の下で安物の琴をかなで、小さな笛を吹いて風に和すだけで、人生の楽しみを知ることができる。 

  斗室中、万慮都損、説甚画棟飛雲、珠簾倦雨。三杯後、一真自得、唯知素琴横月、短笛吟風。(菜根譚)

 2013年4月

 公平な意見や正当な議論には、反対してはならない。いちどでも反対すれば、末代までも恥をさらす。
 権勢をふるい私利をはたらく者には、近づいてはならない。いちどでも近づけば、生涯の汚点となる。 

  公平正論不可犯手。一犯則貽羞万世。権門私竇不可着脚。一着則点汚終身。(菜根譚)

 2013年5月

 地位と財産に恵まれたときには、地位も財産もない人の苦しみを理解してやらなければならない。
 若くて血気さかんなときには、年老いて弱りはてたときのつらさを思いやらなければならない。 

  処富貴之地、要知貧賤的痛療。当少壮之時、須念衰老的辛酸。(菜根譚)

 2013年6月

 思いとおりにならないからといってくよくよするな。思いどおりになったからといっていい気になるな。
 今の幸せがいつまでも続くと思うな。最初の困難にくじけて逃げ腰になるな。 

  毋憂払意。毋喜快心。毋恃久安。毋憚初難。(菜根譚)

 2013年7月

 有害な人間を排除するにしても、逃げ道だけは残しておかなければならない。逃げ場まで奪ってしまうのは、ネズミの穴をふさいで退路を断つようなものだ。それでは、大切なものまでかじりつくされてしまう。

  鋤奸杜倖、要放他一条去路。若使之一無所容、譬如塞鼠穴者。一切去路都塞尽、則一切好物倶咬破矣。(菜根譚)

 2013年8月

 人格が主人で、才能は召使いにすぎない。才能には恵まれても人格がともなわないのは、主人のいない家で召使いがわがもの顔に振る舞っているようなものだ。 

  徳者才之主、才者徳之奴。有才無徳、如家無主而奴用事矣。幾何不魍魎猖狂。(菜根譚)

 2013年9月

 栄達を望みさえしなければ、利益や地位の甘い誘惑にふりまわされる恐れもない。
 人を押しのけようとしなければ、組織のなかで人から足を引っぱられる心配もない。

  我不希栄、何憂乎利禄之香餌。我不競進、何畏乎仕官之危機。(菜根譚)

 2013年10月

 節操の堅い人物は、おだやかな態度を身につけたい。そうすれば、無用の争いに巻き込まれないですむ。
 功名心の旺盛な人物は、謙譲の美徳を身につけたい。そうすれば、人のねたみを受けないですむ。

  節義之人、済以和衷、纔不啓忿争之路。功名之士、承以謙徳、方不開嫉妬之門。(菜根譚)

 2013年11月

 夜明けの窓辺で易経を読み、松の露を硯に受けて丹墨を磨る。
 昼の机に座って経文を論じ、磬を打って竹林をわたる風に和す

  読易暁窓、丹砂研松間之露。談経午案、宝磬宣竹下之風(菜根譚)

 2013年12月

 子孫を繁栄させる根になるのは、その人の心である。根がついていないのに、枝葉の生い茂ったためしはない。

  心者後裔之根。未有根不植而枝葉栄茂者。(菜根譚)

 2014年1月

 君子はしっかりと眼を見開いて現実を直視すべきである。いったんこうと決めたら、軽々しく態度を変えてはならない。

  君子宜浄拭冷眼。慎勿軽動剛腸。(菜根譚)

 2014年2月

 世俗と同調してもいけないし、といって、離れすぎてもいけない。これが世渡りのコツである。
 人から嫌われてもいけないし、といって、喜ばせることばかり考えてもいけない。

  処世不宜与俗同。亦不宜与俗異。作事不宜令人厭。亦不宜令人喜。(菜根譚)

 2014年3月

 冷静な状態にかえってから、熱狂していた当時をふりかえってみると、情熱にかられて動き回っていたことの空しさがわかってくる。
 心の休まる暇もない繁忙な状態からぬけ出して、いちどでも閑暇な時をもてるようになると、閒暇であることの良さがしみじみと実感できる。

  従冷視熱、然後知熱処之奔馳無益。従冗入閒、然後覚閒中之滋味最長。(菜根譚)

 2014年4月

 鷹のたたずんでいる姿は眠っているように見えるし、虎の歩いている姿はまるで病人のようである。だがそれは、人におどりかかろうとする前触れにほかならない。
 君子もまた、鷹や虎のように、やたら才知、才能をひけらかしてはならない。そうあってこそ初めて天下の大任をになうことができるのである。

  鷹立如睡、虎行似病。正是他戄人噬人手段処。故君子要聡明不露、才華不逞、纔有肩航鴻任鉅的力量。(菜根譚)

 2014年5月

 魚は水のなかを泳ぎまわりながら、水の存在を忘れている。鳥は風に乗って飛びながら、風の存在に気づかない。
 この道理を悟れば、いっさいの束縛から超越し、自在の境地に遊ぶことができる。

  魚得水逝、而相忘乎水、鳥乗風飛、而不知有風。識此可以超物累、可以楽天機。(菜根譚)

 2014年6月

 飲み食いにばかり楽しみを見出しているようでは、よい家庭とはいえない。趣味や道楽にばかりふけっているようでは、立派な人物とはいえない。高い地位ばかりねらっているようでは、好ましい部下とはいえない。

  飲宴之楽多、不是個好人家。声華之習勝、不是個好士子。名位之念重、不是個好臣士。(菜根譚)

 2014年7月

 花は鉢に植えると、やがて生気を失い、鳥は籠に入れると、本来のよさを失う。やはり、人里はなれた山のなかで、花も鳥も入りまじって思うがままに飛びまわり、のびのびと楽しげに生きている姿こそ、本来のあり方だ。

  花居盆内、終乏生機、鳥入籠中、便減天趣。不若山間花鳥、錯集成文、翺翔自若、自提悠然会心。(菜根譚)

 2014年8月

 風薫るなかにこぼれる可憐な草花、雪景色を照らし出す清澄な寒月。これを愛でることができるのは、心静かな人物だけである。
 四季の移り変わりとともに装いを変える水の流れ、石のたたずまい、草木のおもむき。それらを鑑賞できるのは、心のどかな人物だけである。

  風花之瀟洒、雪月之空清、唯静者為之主。水木之栄枯、竹石之消長、独閒者操其権。(菜根譚)

 2014年9月

 田舎の老人と話をしていると、鶏をつぶして濁酒をくみかわす話には眼をかがやかせるが、天下の珍味を話題にしても、いっこうに乗ってこない。綿入れや仕事着を話題にすると膝を乗り出してくるが、お役人の礼服などにはまるで興味を示さない。
 こういう人たちは、天性のままに生きているので、欲も薄いのだ。こんな人生こそ、もっとも幸せなのである。

  田父野叟、語以黄鶏白酒、則欣然喜、問以鼎食、則不知。語以縕袍裋褐、則油然楽、問以裒服、則不識。其天全。故其欲淡。此是人生第一個境界。(菜根譚)

 2014年10月

 栄誉をうけても屈辱をうけても、つねに泰然と構えている。それはちょうど、開いては散る庭先の花を、静かに眺めているような心境だ。
 地位を去ろうがとどまろうが、少しも気にしない。それはちょうど、空の雲が巻いたり伸びたり思いのままに形を変えるのとそっくりだ。

  寵辱不驚、閒看庭前花開花落。去留無意、漫髄天外雲巻雲舒。(菜根譚)

 2014年11月

 私欲にこりかたまった病は治すことができる。だが、理屈にこりかたまった病はどうすることもできない。

  縦欲之病可医、而執理之病難医。事物之障可除、而義理之障難除。(菜根譚)

 2014年12月

 禅の極意に、「腹がへったら飯を食い、疲れたら眠る」とある。また、詩作の心得に、「眼前の眺めを日常のことばで述べよ」とある。
 思うに、最も平凡で最もやさしいことが実は最も高度で最もむずかしいのである。また、技巧をこらせばこらすほど真実から遠ざかり、無心であればあるほど真実に近づく、ということであろう。

  禅宗曰、饑来喫飯倦来眠。詩旨曰、眼前景致口頭語。蓋極高寓於極平、至難出於至易、有意者反遠、無心者自近也。(菜根譚)

 2015年1月

 「山登りはけわしい道に耐え、雪道は危い橋に耐えて進む」ことばがあるが、この「耐える」ということに深い意味が含まれている。
 人情はけわしく、人生の道はきびしい。「耐える」ことを支えとして生きていかなければ、たちまち、藪にふみ迷い穴に落ちこんでしまうだろう。

  語云、登山耐側路、踏雪耐危橋。一耐字極有意味。如傾険之人情、坎坷之世道、若不得一耐字撑持過去、幾何不堕入榛莽坑塹哉。(菜根譚)

 2015年2月

 成功があれば必ず失敗がある。このことに気づけば、成功を目ざしてしゃにむに突っ走ろうとする気持ちもにぶってくる。
 生があれば必ず死がある。このことわりを悟れば、長生きを願ってあくせくする気持も薄らいでくる。

  知成之必敗、則求成之心、不必太堅。知生之必死、則保生之道、不必過労。(菜根譚)

 2015年3月

 冬が来て丸裸になった樹木を見れば、ありし日の花や葉がすべてはかない栄華であったことに気づかざるをえない。
 人間も、棺におさまるときになって、子どもや財産がなんの役にも立たないことに気づくのである。

  樹木至帰根、而後知華萼枝葉之徒栄。人事至蓋棺、而後知子女玉帛之無益。(菜根譚)

 2015年4月

 子供は未来の大人物、学生は未来の指導者である。この段階のときに、焼き入れや陶冶が不十分だったら、将来、社会に出て官職についても、とうてい立派な人材とはなりえない。

  子弟者大人之胚胎。秀才者士夫之胚胎。此時若火力不到、陶鋳不純、他日渉世立朝、終難成個令器。(菜根譚)

 2015年5月

 君子たる者の心構え二つ---。
 心の中は、誰れから見てもそれとわかるように、いつも明白にさせておく。
 持てる才能は、容易に外から伺い知ることができないように、奥深く秘めておく。

  君子之心事、天青日白、不可使人不知。君子之才華、玉韞珠蔵、不可使人易知。(菜根譚)

 2015年6月

 雪景色を照らす月の光を眺めれば、心まで澄みきってくる。おだやかな春風に吹かれれば、心までなごんでくる。
 人の心と自然のたたずまいは、一つに融け合っているのだ。

  当雪夜月天、心境便爾澄徹。遇春風和気、意界亦自沖融。造化人心、混合無間。(菜根譚)

 2015年7月

 名声を鼻にかけるより、名声からのがれようとするほうが、はるかに奥ゆかしい。
 あれもこれもと手がけるより、できるだけ用事をへらすほうが、ずっと心に余裕を生む。

  矜名、不若逃名趣。練事、何如省事閒。(菜根譚)

 2015年8月

 悪事は人目につくほうがよいし、善行は人目につかぬほうがよい。
 なぜなら、人目につく悪事は害が小さく、人目につかぬ悪事は害が大きいからである。また、人目につく善行は値打ちが小さく、人目につかぬ善行は値打ちが大きいからである。

  悪忌陰、善忌陽。故悪之顕者禍浅、而隠者禍深。善之顕者功小、而隠者功大。(菜根譚)

 2015年9月

 利益に目の色変える町の人間とつきあうよりは、山奥の老人を友として暮らしたい。おえら方の大邸宅へご機嫌伺いに行くよりは、あばら屋住まいの友人でもたずねたい。
 町のつまらぬ噂話を聞くよりは、木こりや牧童の歌にでも耳を傾けたい。現代人の失敗談をあげつらうよりは、古人のすぐれた言行について語り合いたい。

  交市人如友山翁。謁朱門不如親白屋。聴街談巷語、不如聞樵歌牧詠。談今人失徳過挙、不如述古人嘉言懿行。(菜根譚)

 2015年10月

 人の気づかぬ細事についてこそ、行ないをつつしむべきだ。報恩を期待できぬ相手にこそ、恩を施すべきだ。

  謹徳須謹於至微之事。施恩務施於不報之人。(菜根譚)

 2015年11月

 世間一般の人々は、欲望を満足させることに楽しみを求めるので、楽しみを通じてかえって苦しみをつのらせている。
 悟りの境地に達した人物は、欲望にうち勝つことに楽しみを見出すので、苦しみを通じてかえって楽しみを手に入れる。

  世人以心背処為楽、却被楽心引在苦処。達士以心払処為楽、終焉苦心換得楽来。(菜根譚)

 2015年12月

 人格が主人で、才能は召使いにすぎない。才能には恵まれても人格がともなわないのは、主人のいない家で召使いがわがもの顔に振る舞っているようなものだ。
 これでは、せっかくの家庭も妖怪変化の巣窟と化してしまう。

  徳者才之主、才者徳之奴。有才無徳、如家無主而奴用事矣。幾何不魍魎猖狂。(菜根譚)

 2016年1月

 前に進むときには、必ず後に退がることを考えよ。そうすれば、垣根に角を突っ込んだ羊のように、身動きがとれなくなる恐れはない。
 手をつけるときには、まず手を引くことを考えよ。そうすれば、虎の背に乗ったときのように、やみくもに、やみくもに突っ走る危険を避けることができる。

  進歩処、便思退歩、庶免触藩之禍。着手時、先図放手、纔脱騎虎之危。(菜根譚)

 2016年2月

 高官たちは権力争いに火花を散らし、英雄たちは覇権をかけて激突する。だが、冷静な眼で判断すれば、しょせん、獲物に群がる蟻、血にたかる蠅と同じようなものだ。
 是非の批判はつぎつぎと起こり、損得の議論はやむときがない。だが、冷静な心で対処すれば、ルツボで金を溶かし、湯で雪をとかすように、すぐにでも解決することができる。

  権貴竜驤、英雄虎戦。以冷眼視之、如蟻聚羶、如蠅競血。是非蜂起、得失蝟興。以冷情当之、如冶化金、如湯消雪。(菜根譚)

 2016年3月

 最高に完成された文章は、少しも奇をてらしたところがない。ただ、言わんとすることを過不足なく表現しているだけだ。
 最高に完成された人格は、少しも変わったところがない。ただ自然のままに生きているだけだ。

  文章做到極処、無有他奇。貝是恰好。人品做到極処、無有他異。只是本然。(菜根譚)

 2016年4月

 世俗と同調してもいけないし、といって、離れすぎてもいけない。これが世渡りのコツである。
 人から嫌われてもいけないし、といって、喜ばせることばかり考えてもいけない。これが事業を経営するコツである。

  処世不宜与俗同。亦不宜与俗異。作事不宜令人厭。亦不宜令人喜。(菜根譚)

 2016年5月

 魚をとらえようとした網に、意外にも、白鳥のかかることがある。餌をねらっているカマキリを、後から雀がつけねらっていることもある。まったく油断もスキもない。
 からくりのなかにからくりがかくされ、予想もつかぬ展開をするのが、この世の中だ。人間の知恵や術数では、どうすることもできぬ。

  魚網之設、鴻則羅其中。螳蜋之貧、雀又乗其後。機裡蔵機、変外生変。智巧何足恃哉。(菜根譚)

 2016年6月

 興味のおもむくままに仕事を始めれば、始めたとしても、すぐにまたやめてしまう。これでは、たゆみない前進をはかることができない。
 感覚のひらめきで悟りを開こうとすれば、悟りを開いたとしても、すぐにまた迷いが生じる。これでは永続的な悟りを開くことができない。

  憑意興作為者、髄作則髄止。豈是不退之輪。従情識解悟者、有悟則有迷。終非常明之灯。(菜根譚)

 2016年7月

 栄達を望みさえしなければ、利益や地位の甘い誘惑にふりまわされる恐れもない。BR> 人を押しのけようとしなければ、組織のなかで人から足を引っぱられる心配もない。

  我不希栄、何憂乎利禄之香餌。我不競進、何畏乎仕官之危機。(菜根譚)

 2016年8月

 ためしに、生まれるまえはどんな顔かたちをしていたか、死んでからのちにはどんな状態になるかを考えてみるがよい。
 そうすれば、妄執はすべて消え去って本来の自分にたち返り、現実を超越して絶対の世界に遊ぶことができよう。

  試思未生之前有何象貌、又思既死之後作何景色、則万念灰冷、一性寂然、自可超物外遊象先。(菜根譚)

 2016年9月

 相手を信じてかかれば、かりに相手が百パーセント誠実でなかったとしても、こちらは誠実を貫いたことになる。
 相手を疑ってかかれば、相手は必ずしもペテンを使うとは限らないのに、こちらからペテンを使ったことになる。

  信人者、人未必尽誠、己則独誠矣。疑人者、人未必皆詐、己則先詐矣。(菜根譚)

 2016年10月

 事業を発展させる基礎になるのは、その人の徳である。基礎がぐらぐらしているのに、建物が堅固であったためしはない。

  徳者事業之基。未有基不固而棟宇堅久者。(菜根譚)

 2016年11月

 漫々たる河の水が音もたてずに流れていく。それを見れば、さわがしい環境に身を置いても身を置いても心の静かさを保つ秘訣を会得することができよう。
 高くそびえる山でも雲の動きをさえぎることができない。それを見れば、執着を絶って無心の境地にはいるきっかけをつかむことができよう。

  水流而境無声、得処喧見寂之趣。山高而雲不碍、悟出有入無之機。(菜根譚)

 2016年12月

 光かがやく節操も、もとはとえば、人目につかぬ修養のなかで培われたものである。
 天地を動かす遠大な経綸も、もとはといえば、慎重な検討のなかから生まれたものである。

  青天白日的節義、自暗室屋漏中培来。施乾転坤的経綸、自臨深履薄処操出。(菜根譚)

 2017年1月

 わが身を、いつもあくせくする必要のない状態に置いておけば、世間の思惑がどうあろうと、いささかも動揺させられることはない。
 わが心を、いつも静かな境地に落ち着かせていけば、世間の評価がどうあろうと、それによって少しもかき乱されることはない。

  此身常放在閒処、栄辱得失、誰能差遣我。此心常安在静中、是非利害、誰能瞞昧我。(菜根譚)

 2017年2月

 仕事に忙殺されていても、心に余裕をもちたいと思うなら、ふだんから暇なときに、しっかりと心の安定をはかっておかなければならない。
 まわりが騒然としていても、心に落ち着きをもちたいと願うなら、ふだんから静かな所で、心の主体性を確立しておかなければならない。
 そうでなかったら、心まで環境や事態の変化にふりまわされてしまう。 

  忙裡要偸閒、須先向閒時討個欛柄。閙中要取静、須先従静処立個主宰。不然、未有不因境而遷、随事而靡者。(菜根譚)

 2017年3月

 冬景色を照らす月の光を眺めれば、心まで澄みきってくる。おだやかな春風に吹かれれば、心までなごんでくる。
 人の心と自然のただずまいは、一つに溶け合っているのだ。

  当雪夜月天、心境便爾澄徹。遇春風和気、意界亦自沖融。造化人心、混合無間。(菜根譚)

 2017年4月

 全盛をきわめているときこそ、引退の潮時だ。人の行きたがらない所にこそ、身を置くべきだ。

  謝事当於正盛之時謝。居身宜居於独後之地。(菜根譚)

 2017年5月

 世の俗臭から脱却した人を奇人という。だが、ことさらに奇をてらうのは、たんなる変人にすぎない。
 世の汚濁に染まらない人を高潔という。だが、世を捨てて高潔ぶるのは、たんなる偏屈にすぎない。

  能脱俗便是奇、作意尚奇者、不為奇而為異。不合汚便是清、絶俗求清者、不為清而為激。(菜根譚)

 2017年6月

 古人がこう語っている。
 「わが家の蔵には宝物がいっぱい積まれているのに、鉢をかかえて物乞いをしてあるく」また、こうも語っている。
 「にわか成金よ、自慢話はやめてくれ。どこの家にも、飯をたく煙ぐらいはあがっているぞ」
 一つは自分の才能に気づかない者をいましめたことば、他の一つは自分の才能をひけらかすものをいましめたことばである。学問をするうえでも、この二つのいましめを忘れてはならない。

  前人云、抛却自家無尽蔵、沿門持鉢効貧児。又云、暴富貧児休説夢、誰家竃裡火無烟。一箴自昧所有、一箴自誇所有。可為学問切戒。(菜根譚)

 2017年7月

 無心の境地になりたいと願いながら、いつまでたっても無心になり切れない。これが現代人の通弊である。
 過ぎ去ったことは気にしない、つまらぬ取り越し苦労もしない、そして、今この時を心残りなく生きる。こんな生き方を心がければ、知らず知らず無心の境地に入っていくことができよう。

  今人専求無念、而終不可無。只是前念不滞、後念不迎、但将現在的随縁、打発得去、自然漸漸入無。(菜根譚)

 2017年8月

 時間は、気持ちの持ち方しだいで長くもなり短くなりもなり、場所は、心の持ち方ひとつで広くもなり狭くもなる。
 のんびりした気持の持ち主には一日が千年の長さに感じられ、ゆったりした心の持主には狭苦しい部屋も天地の広さに感じられる。

  延促由於一念、寛窄係之寸心。故機閒者、一日遙於千古、意広者、斗室寛若両間。(菜根譚)

 2017年9月

 ゆったりした気分は、味の濃い美酒からは得られない。それはかえってお茶も飲めず豆がゆしかすすれない極貧の生活から生まれるのである。
 深い悲しみの思いは、人間味を失った静寂のなかからは生まれてこない。それは、素朴な管弦の調べの中から生まれてくるのである。
 これで明らかなように、濃厚な味は長続きしない。素朴のなかにこそ真の味わいがあるのだ。

  悠長之趣、不得於醲醲、而得於啜菽飲水。恫悵之懐、不生於枯寂、而生於品竹調糸。固知濃処味常短、淡中趣独真也。(菜根譚)

 2017年10月

 空腹のときはまつわりつくが、満腹すれば見向きもしない。裕福なときはせっせとやってくるが、落ち目になると寄りつかない。これは人情の通弊である。

  饑則附、飽則颺、燠則棄。人情通患也。(菜根譚)

 2017年11月

 松の生えた谷のあたりを、杖をひいてのそぞろ歩き。ふとたたずめば、破れ衣にかかる雲。竹の茂った窓のあたり、本を枕にひと寝入り。ふと目覚めれば、破れ畳に月の影。

  松澗辺、携杖独行、立処雲生破衲。竹窓下、枕書高臥、覚時月侵寒氈。(菜根譚)

 2017年12月

 権勢をふるっている人物にとりいれば、相手の転落とともに、たちまち手きびしい報いをうける。
 無欲に徹してのんびり暮らしていれば、安定した生活をいつまでも楽しむことができる。

  趨炎附勢之禍、甚惨亦甚速。棲恬守逸之味、最淡亦最長。(菜根譚)

 2018年1月

 みすぼらしいあばら屋も庭先を掃き清め、貧しい娘もきちんと髪をとかしていれば、あでやかとはいえないにしても、それなりの風情はある。
 男も同じだ。たとえ失意のドン底につき落とされても、ヤケを起こして投げやりになってはならない。

  貧家浄払地、貧女浄梳頭、景色雖不艶麗、気度自是風雅。士君子一当窮愁寥落、奈何輙自廃弛哉。(菜根譚)

 2018年2月

 鶯が鳴き、花が咲き乱れ、山も谷もあでやかな色にぬりつぶされる。だが、このような陽春の景色は天地の仮の姿にすぎない。
 水はかれ、木の葉も落ち、石も崖もむき出しの姿をさらす。このような晩秋の景観こそ天地の景色こそ天地の真の姿なのだ。

  鶯花茂而山濃谷艶、総是乾坤之幻境。水木落而石痩崕枯、纔見天地之真吾。(菜根譚)

 2018年3月

 魚は水のなかを泳ぎまわりながら、水の存在を忘れている。鳥は風に乗って飛びながら、風の存在に気づかない。
 この道理を悟れば、いっさいの束縛から超越し、自在の境地に遊ぶことができる。

  魚得水逝、而相忘乎水、鳥乗風飛、而不知有風。識此可以超物累、可以楽天機。(菜根譚)

 2018年4月

 私情や私欲にうち勝つには、いち早くそれを自覚しなければ困難だという説がある。また、せっかく自覚しても意志が弱かったら克服できないという説もある。
 思うに、自覚する能力は魔物を照らし出す珠玉であり、やりとげようとする意志力は魔物を捨てる名剣である。二つとも、なくてはならぬものだ。

  勝私制欲之功、有曰識不早力不易者。有曰識得破忍不過者。蓋識是一顆照魔的明珠、力是一把斬魔的慧剣。両不可少也。(菜根譚)

 2018年5月

 相手のペテンに気づいても、あからさまな批判は避ける。相手からバカ呼ばわりされても、怒りを表にあらわさない。
 こういう態度には、つきない味わいと限りない利点がある。

  覚人之詐、不形於言。受人之侮、不動於色。此中有無窮意味、亦有無窮受用。(菜根譚)

 2018年6月

 人の責任を追及するときには、過失を指摘しながら、同時に、過失のなかった部分を評価してやる。そうすれば、相手も不満をいだかない。
 自分を反省するときには、成功のなかからもあえて過失を探し出すような厳しい態度が望まれる。そうすれば、人間的にもいちだんと成長しよう。

  責人者、原無過於有過之中、則情平。責己者、求有過於無過之内、則徳進。(菜根譚)

 2018年7月

 私の体は、綱をとかれた捨て小舟。行くも止まるも流れまかせ。
 私の心は、生気の失せた枯れ木のよう。切ろうが塗ろうが、気にならぬ。

   身如不繁之舟、一任流行坎止。心似既灰之木、何妨刀割香塗。(菜根譚)

 2018年8月

 やめようと思ったら、思いたったそのときにやめるべきだ。いずれ適当な機会に、などと考えていたら、いつまでたってもやめることができない。それはちょうど、息子に嫁をもらったらすべてをまかせようと思っていても、いざそのときが来ればなかなかそうはできないし、また、坊主になったらいっぺんに悟りが開けるかもしれないと期待しても、いざその立場になると、なかなかそうはいかないようなものである。
 「やめようと思ったら、今すぐやめよ。時機を見はからっていては、いつまでたってもやめることができない」
 古人も、こう語っているが、まったくそのとおりである。

   人背当下休、便当下了。若要尋個義歇処、則婚嫁雖完、事亦不少、僧道雖好、心亦不了。前人云、如今休去便休去。若覔了時無了時。見之卓矣。(菜根譚)

 2018年9月

 君子はしっかりと眼を見開いて現実を直視すべきである。いったんこうと決めたら、軽々しく態度を変えてはならない。

   君子宜浄拭冷眼。慎勿軽動剛腸。(菜根譚)

 2018年10月

 暇なときには、気持までだらけてしまいやすい。だから、心の余裕を保ちながらも、意識だけはすっきりさせておかなければならない。
 忙しいときには、気持ちが浮わついてしまいやすい。だから、意識をすっきりさせながらも、心の余裕だけは失わないようにつとめたい。

   無事時心易昏冥。宜寂寂而照以惺惺。有事時心易奔逸。宣惺惺而主以寂寂。(菜根譚)

 2018年11月

 なにが幸せかといって、平穏無事より幸せなことはなく、なにが不幸かといって、欲求過多より不幸なことはない。
 しかし、あくせく苦労してこそ、はじめて平穏無事の幸せなことがわかり、心を落ち着けてこそ、はじめて欲求過多の不幸なことが理解できるのである。

   福莫福於小事、禍莫禍於多心。唯苦事者、方知小事之為福、唯平心者、始知多心之為禍。(菜根譚)

 2018年12月

 人に施した恩恵は忘れてしまったほうがよい。だが、人にかけた迷惑は忘れてはならない。
 人から受けた恩義は忘れてはならない。だが、人から受けた怨みは忘れてしまったほうがよい。

   我有功於人不可念。而過則不可不念。人有恩於我不可忘。而怨則不可不忘。(菜根譚)

 2019年1月

 徳望の高い人物に対しては、畏敬の念を失ってはならない。そうすれば、自分のわがままを押さえることができる。
 一般の庶民に対しても、畏敬の念を持たなければならない。そうすれば、横暴の避難を免れることができる。

   大人不可不畏。畏大人則放逸之心。小民亦不可不畏。畏小民則無豪横之名。(菜根譚)

 2019年2月

 鳥の囀り、虫の声は心理を伝える無言の教え。花の色、草野緑もみな心理を語る文字なき文章だ
 それを会得したから、心をすまし気持ちを集中してみるもの聞くもの、すべてのものから真理を学びとらなければならない。

 鳥語虫声、総是伝心之訣。花英草色、無非見道之文。学者要天機清徹、胸次玲瓏、触物皆有会心処。(菜根譚)

 2019年3月

 風流を楽しむには、ことさら道具立てに凝る必要はない。箱庭の池や石ころにも自然のおもむきがそなわっている。
 風景を愛でるには、わざわざ遠くまで出かけて行く必要はない。草むしたあばら屋にも風月はのどかに訪れる。

 得趣不在多。盆池拳石間、煙霞具足。会景不在遠。蓬窓竹屋下、風月自賖。(菜根譚)

 2019年4月

 栄誉をうけても屈辱をうけても、つねに泰然と構えている。それはちょうど、開いては散る庭先の花を、静かに眺めているような心境だ。
 地位を去ろうがとどまろうが、少しも気にしない。それはちょうど、空の雲が巻いたり伸びたり思いのままに形を変えるのとそっくりだ。

 籠辱不驚、閒看庭前花開花落。去留無意、漫随天外雲巻雲舒。(菜根譚)

 2019年5月

 徹底して悟りを開いた人は、万物をあるがままの姿において発展させる。万民の心をもって治める人は、この苦しみの世界をそのまま楽土にかえる。

 就一身了一身者、方能以万物付万物。還天下於天下者、方能出世間於世間。(菜根譚)

 2019年6月

 一つの事物の実体を掌握できれば、五大湖の景観もそっくりわが心に納めて観賞することができる。
 目前の事物の機能を把握できれば、古代の英雄もそっくり手中に納めて自由に動かすことができる。

 会得個中趣、五湖之煙月、尽入寸裡。破得眼前機、千古之英雄、尽帰掌握。(菜根譚)

 2019年7月

 心が動揺しているときは、手にした杯に弓の影が映っても蛇かと驚き、草むらの岩を見ても虎かと見まがう。目にふれるすべてのものが、自分に襲いかかってくるように思われるのだ。
 心が平静なときは、石虎のような乱暴者もかもめのようにおとなしくさせ、さわがしい蛙の声も美しい音楽として聞くことができる。すべてのものを、ありのままの姿で感得できるものだ。

 機動的、弓影疑為蛇蝎、寝石視為伏虎。此中渾是殺気。念息的、石虎可作海鷗、蛙声可当鼓吹。触処俱見真機。(菜根譚)

 2019年8月

 やめようと思ったら、思いたったそのときにやめるべきだ。いずれ適当な機会に、などと考えていたら、いつまでたってもやめることができない。それはちょうど、息子に嫁をもらったらすべてをまかせようと思っていても、いざそのときが来ればなかなかそうはできないし、また、坊主になったらいっぺんに悟りが開けるかもしれないと期待しても、いざその立場になると、なかなかそうはいかないようなものである。
 「やめようと思ったら、今すぐやめよ。時機を見はからっていては、いつまでたってもやめることができない」
 古人も、こう語っているが、まったくそのとおりである。

 人背当下休、便当下了。若要尋個歇処、則婚嫁雖完、事亦不少、僧道雖好、心亦不了。前人云、如今休去便休去。若覔了時無了時。見之卓矣。(菜根譚)

 2019年9月

 縄でも、長いあいだこすり続ければ木を断ち切るし、水滴も、時間をかければ石を穿つ。道を学ぼうとする者も、このようなたゆまぬ努力を心がけなければならない。
 水が流れればおのずと溝ができ、瓜の実が熟せば自然にへたが落ちる。道を求めようと者も、このように、じっくりと、機の熟すのを待つべきである。

 縄鋸木断、水滴石穿。学道者須加力索。水到渠成、瓜熟蔕落。得道者一任天機。(菜根譚)

 2019年10月

 人間は、しょせんあやつり人形にすぎない。
 ただし、あやつる糸をしっかりと自分の手に握りしめておけば、一本の乱れもなく、引くも伸ばすも、行くもとどまるも、自由自在、すべて自分の意志でおこなうことができる。
 いっさい他人の指図を受けなければ、身は俗世にあっても、心は俗世を超越できるはずだ。

 人生原是一傀儡。只要根蒂在手、一線不乱、巻舒自由、行止在我。一毫不受他人提裰、便超出此場中矣。(菜根譚)

 2019年11月

 長いあいだうずくまって力をたくわえていた鳥は、いったん飛び立てば、必ず高く舞いあがる。他にさきがけて開いた花は、散るのもまた早い。
 この道理さえわきまえていれば、途中でへたばる心配もないし、功をあせっていらいらすることもない。

 伏久者飛必高、開先者謝独早。知此、可以免蹭蹬之憂、可以消躁急之念。(菜根譚)

 2019年12月

 ゆったりした気分は、味の濃い美酒から得られない。それはかえって茶も飲めず豆がゆしかすすれない極貧の生活から生まれるのである。
 深い悲しみの思いは、人間味を失った静寂なかからは生まれてこない。それは、素朴な管弦の調べのなかからは生まれてこない。それは、素朴な管弦の調べのなかから生まれてくるのである。
 これで明らかなように、濃厚な味は長続きしない。素朴ななかにこそ真の味わいがあるのだ。

 悠長之趣、不得於醲釅、而得於啜菽飲水。惆悵之懐、不生於枯寂、而生於品竹調糸。固知濃処味常短、淡中趣独真也。(菜根譚)

 2020年1月

 漫々たる河の水が音もたてずに流れていく。それを見れば、さわがしい環境に身を置いても心の静かさを保つ秘訣を会得することができよう。
 高くそびえる山でも雲の動きをさえぎることができない。それを見れば、執着を絶って無心の境地にはいるきっかけをつかむことができよう。

 水流而境無声、得処喧見寂之趣。山高而雲不碍、悟出有入無之機。(菜根譚)

 2020年2月

 文字で書かれた書物は読むことができても、文字で書かれていない書物、すなわち、宇宙の真理は読み取ることができない。弦のある琴はひくことができても、弦のない琴 すなわち万物のかなでる調べは解することができない。
 形だけにとらわれていたのでは、書物にしても琴にしても、その真髄に迫ることはできないのだ。

 人解読有字書、不解読無字書。知弾有絃琴、不知弾無絃琴。以迹用、不以神用。何以得琴書之趣。(菜根譚)心できけばよい。耳できく必要はない

 2020年3月

 小人とは事を構えるな。小人には、小人にふさわしい相手がいる。
 君子にはこびへつらうな。いくらへつらっても、君子は、えこひいきなどしてくれない。

 休与小人仇讐。小人自有対頭。休向君子諂媚。君子原無私恵。(菜根譚)

 2020年4月

 心に妄念がなければ、あらためて心を見つめる必要はない。釈迦の説くような心を見つめる修業は、かえって妄念をつのらせるだけである。
 万物は根源においては一体であるから、あらためて斉同性を問題にする必要はない。荘子の主張する万物斉同の説は、本来一体のものにことさら区別を設けるものだ。

 心無其心、何有於観。釈氏曰観心者、重増其障。物体一物、何待於斉。荘生曰斉物者、自剖其同。(菜根譚)

 2020年5月

 ごたごたして騒がしい環境では、ふだん記憶していたことまで、うっかり忘れてしまう。落ち着いた静かな環境では、とうに忘れていたことまで、あざやかに思い出す。
 静かな環境にあるか、さわがしい環境にあるか、そんなささいな違いが意識に影響し、記憶を失わせたり、よみがえらせたりするのである。

 時当喧雑、則平日所記憶者、皆漫然忘却。境在清寧、則夙昔所遺忘者、又恍爾現前。可見静躁稍分、昏明頓異 也。(菜根譚)

 2020年6月

 精神が充実しているときは、粗末な布団にくるまっていても、天地の生気を呼吸することができる。
 心が充足しているときは、質素な食事をとっていても、人生の淡白な味わいを楽しむことができる。

 神酣、布被窩中、得天地冲和之気。味足、瓈羹飯後、識人生澹泊之真。(菜根譚)

 2020年7月

 松の生えた谷のあたりを、杖をひいてのそぞろ歩き。ふとたたずめば、破れ衣にかかる雲。
 竹の茂った窓のあたり、本を枕にひと寝入り。ふと目覚めれば、破れ畳に月の影。

 松潤辺、携杖独行、立処雲生破衲。竹窓下、枕書高臥、覚時月侵寒氈。(菜根譚)

 2020年8月

 世俗を逃れて山林に住む者には、栄誉も恥辱も関係ない。道義を守ってつき進む者には、人の思惑など気にならない。

 隠逸林中無栄辱、道義路上無炎涼。(菜根譚)

 2020年9月

 新しい事業を興せば、それだけ弊害も出てくる。だからこの世のなかは、何事もなく平穏であるのが最も望ましい。
 古人の詩にもこういうのがある。
 「どうか立身出世のことなど話題にしないでくれ、一将功成って万骨枯るというではないか」
 「この世が泰平でありさえすれば、名刀のこの私は、たとい千年箱にしまっておかれても、怨みはしない」
 これを読めば、どんな英雄豪傑も、たちまち功名心をなくしてしまうにちがいない。

 一事起則一害生。故天下常以無事為福。読前人詩云、勧君莫話封楼侯事、一将功成万骨枯。又云、天下常令万事平、匣中不惜千年死。雖有雄心猛気、不覚化為氷霰矣。(菜根譚)

 2020年10月

 わが身を、いつもあくせくする必要のない状態に置いておけば、世間の思惑がどうあろうと、いささかも動揺させられることはない。
 わが心を、いつも静かな境地に落ち着かせておけば、世間乎評価がどうあろうと、それによって少しもかき乱されることはない。

 此身常放在閒処、栄辱得失、誰能差遺我。此心常安在静中、是非利害、誰能瞞昧我。(菜根譚)

 2020年11月

 あわただしいさなかにあっても、冷静にあたりを見回すだけの余裕があれば、ずいぶんと心のいらいらを解消することができる。
 ひまでひっそりとしているときにも、情熱を燃やして事にあたれば、またそこに捨てがたい魅力を見出すことができる。

 熱閙中着一冷眼、便省許多苦心思。冷落処存一熱心、便得許多真趣味。(菜根譚)

 2020年12月

 白楽天は、「身も心も開放して、ゆったいと自然に任せるがよい」と語っている。一方、晁補之は、「身も心も一点に収束して、そこから悟りを開くがよい」と語っている。
 だが、開放も度が過ぎれば放縦に流れ、収束も度が過ぎれば枯寂におちいる。身も心もしっかりと統制し、ゆるめるも、ひきしめるも、自由自在。こうあってこそ理想の在り方に近い。

 白氏云、不如放身心冥然任天造。晁氏云、不如収身心凝然帰寂定。放者流為猖狂、収者入於枯寂。唯善操心身的、壩柄在手、収放自如。(菜根譚)

 2021年1月

 書物を読むなら、小躍りしたくなるまで読め。そうすれば、真髄にふれることができる。
 物事を観察するなら、対象を一体になるまで観よ。そうすれば、本質に迫ることができる。

 善読書者、要読到手舞足蹈処、方不落筌蹄。善観物者、要観到心融神洽時。方不泥迹象。(菜根譚)

 2021年2月

 鳥の囀り、虫の声は心理を伝える無言の教え。花の色、草の緑もみな真理を語る文字なき文章だ。
 それを会得したかったら、心をすまし気持を集中して、見るもの聞くもの、すべてのものから真理を学びとらなければならない。

 鳥語虫声、総是伝心之訣。花英草色、無非見道之文。学者要天機清徹、胸次玲瓏、触物皆有会心処。(菜根譚)

 2021年3月

 風薫るなかにこぼれる可憐な草花、雪景色を照らし出す清澄な寒月。これを愛でることができるのは、心静かな人物だけである。
 四季の移り変わりとともに装いを変える水の流れ、石のたたずまい、草木のおもむき。それらを鑑賞できるのは、心のどかな人物だけである。

 風花之瀟洒、雪月之空清、唯静者為之主。水木之栄枯、竹石之消長、独閒者操其権。(菜根譚)

 2021年4月

 宴会のにぎわいも最高潮にさしかかったころ、やおら席を立って引きあげる人を見ていると、絶壁の上をスタスタ歩いて行くようなみごとさを感じる。
 すでに夜もふけたというに、まだふらふら外をほっつき歩いている人を見ると、欲望の世界にどっぷりつかっている俗物のあさましさを笑わずにはいられない。

 笙歌正濃処、便自払衣長往。羨達人撒手懸崕。更漏已残時、猶然夜行不休。咲俗士沈身苦海。(菜根譚)

 2021年5月

 私情や私欲に打ち勝つには、いち早くそれを自覚しなければ困難だという説がある。また、せっかく自覚しても意志が弱かったら克服できないという説もある。
 思うに、自覚する能力は魔物を照らし出す珠玉であり、やりとげようとする意志力は魔物を斬り捨てる名剣である。二つとも、なくてはならぬものだ。

 勝私制欲之功、有曰識不早力不易者。有曰識得破忍不過者。蓋識是一顆照魔的明珠、力是一把斬魔的慧剣。両不可少也。(菜根譚)

 2021年6月

 相手のペテンに気づいても、あからさまな批判は避ける。相手からバカ呼ばわりされても、怒りを表にあらわさない。
 こういう態度には、つきない味わいと限りない利点がある。

 覚人之詐、不形於言。受人之侮、不動於色。此中有無窮意味、亦有無窮受用。
 2021年7月

 わが身はそれだけで一個の小宇宙を形成している。喜怒、好悪の感情さえ正常にはたらいていれば、そこに調和のとれた世界が現出するであろう。
 天地は万物をはぐくむ父母である。そこから怨恨と悪疫が消えてなくなれば、平和な世界が実現するであろう。

 吾身一小天地也。使喜怒不愆、好悪有則、便是爕理的功夫。天地一大父母也。使民無怨咨、物無氛疹、亦是敦睦的気象。(菜根譚)

 2021年8月

 人をおとしいれようとしてはならない。だが、人からおとしいれられるようなことには警戒心をはたらかせなければならないーこれは思慮の足りぬ人々をいましめたことばである。
 人にだまされまいと神経をとがらせるよりは、むしろ、甘んじてだまされたほうがましだーこれは目先のききすぎる人をいましめたことばである。
 この二つのことばを肝に銘じれば、思慮深く、しかも円満な人格を形成することができよう。

 害人之心不可有、防人之心不可無。此戒疎於慮也。寧受人之欺、毌逆人之詐。之警傷於察也。二語並存、精明而渾厚矣 。(菜根譚)

 2021年9月

 道徳は、万人共有のもの、誰もが踏み行うべき道である。すべての人に開放されていなければならない。
 学問は、三度の食事と同じようなもの、誰にとっても欠かすことのできない。たゆまずに研鑽しよう。

 道是一重公衆物事。当髄人而接引。学是一個尋常家飯。当随時而警愓。(菜根譚)

 2021年10月

 寛大で心のあたたかい人は、万物をはぐくむ春風のようなものだ。そういう人のもとでは、すべてのものがすくすくと成長する。刻薄で心のつめたい人は、万物を凍りつかせる真冬の雪のようなものだ。そんな人のもとでは、すべてのものが死に絶えてしまう。

 念頭寛厚的、如春風煦育。万物遭之而生。念頭忌刻的、如朔雪陰凝。万物遭之而死。(菜根譚)

 2021年11月

 興味のおもむくままに仕事を始めれば、始めたとしても、すぐにまたやめてしまう。これでは、たゆみない前進をはかることができない。
 感覚のひらめきで悟りを開こうとすれば、悟りを開いたとしても、すぐにまた迷いが生じる。これでは永続的な悟りを開くことができない。

 憑意興作為者、随作則随止。豈是不退之輪。従情識解悟則有迷。終非常明之灯。(菜根譚)

 2021年12月

 心の広い人にとっては、何万石の高禄も素焼きの土器ほどの価値もない。心の狭い人にとっては、髪一筋ほどのささいなことも車輪のように重く感じれれる。

 心曠則万鐘如瓦缶、心溢則一髪似車輪。(菜根譚)

 2022年1月

 徹底して悟りを開いた人は、万物をあるがままの姿において発展させる。万民の心をもって天下を治める人は、この苦しみの世界をそのまま楽土にかえる。

 就一身了一身者、方能以万物付万物。還天下於天下者、万能出世間於世間。(菜根譚)

 2022年2月

 長いあいだうずくまって力をたくわえていた鳥は、いったん飛び立てば、必ず高く舞いあがる。他に先がけて開いた花は、散るのもまた早い。
 この道理をわきまえていれば、途中でへたばる心配もないし、功をあせっていらいらすることもない。

 伏久者飛必高、開先者謝独早。知此、可以免蹭蹬之憂、可以消躁急之念。(菜根譚)

 2022年3月

 栄誉をうけても屈辱をうけても、つねに泰然と構えている。それはちょうど、開いては散る庭先の花を、静かに眺めているような心境だ。
 地位を去ろうがとどまろうが、少しも気にしない。それはちょうど、空の雲が巻いたり伸びたり思いのままに形を変えるのとそっくりだ。

 寵辱不驚、閒看閒看庭前花落。去留無意、漫隋天外雲卷雲舒。(菜根譚)

 2022年4月

 せまくるしい部屋に住んでいても、いっさいの心配事を捨てさることができれば、高楼の屋根をかすめて飛ぶ雲や、珠のすだれに降りかかる雨など眺めなくとも、自然のおもむきを味わうことができる。
 少々盃をかさねても、天地の真理さえ悟ることができればことができれば、月の下で安物の琴をかなで、小さな笛を吹いて風に和すだけで、人生の楽しみを知ることができる。

 斗室中、万慮都損、説甚画棟飛雲、珠簾捲雨。三杯後、一真自得、唯知素琴横月、短笛吟風。 (菜根譚)

 2022年5月

 縄でも、長いあいだこすり続ければ木を断ち切るし、水滴も、時間をかければ石を穿つ。道を学ぼうとする者も、このようなたゆまぬ努力を心がけなければならない。
 水が流れればおのずと溝ができ、瓜の実が熟せば自然にへたが落ちる。道を求めようとする者も、このように、じっくりと機の熟すのを待つべきである。

 縄鋸木断、水滴石穿。学道者須加力索。水到渠成、瓜熟帯落。得道者一任天機。(菜根譚)

 2022年6月

 礼服に威儀を正した高官たちも、粗末な蓑や笠を身につけてのんびり働いている人々を見れば、うらやましいと思うかもしれない。。
 豪勢な生活をしている富豪たちも、すだれのなかでこざっぱりした机に坐して読書を楽しんでいる人を見れば、ああしてみたいと思うかもしれない。
 それなのに、どうして世間の人々は、牛の尻に火をつけて追いたてたり、さかりのついた馬をけしかけたりするように、功名富貴ばかり追い求めるのか。どうしてもっと人間らしい生活をしようとしないのか。

 峩冠大帯之士、一旦睹軽蓑小笠飄飄然逸也、未必不動其荖咨嗟。長筳広席之豪、一旦遇疎簾浄几悠悠焉静也、未必不増其綣恋。人奈何駆以火牛、誘以風馬、而不思自適其‎性哉。(菜根譚)

 2022年7月

 横なぐりの風雨がたたきつけるときには、どっしちと、大地に脚を踏みしめて、耐え忍ばなければならない。
 色あざやかに花が咲き乱れているときには、それに目を奪われることなく、しっかりと目標を見定めなければならない。
 通れそうもない危険な道が行く手をさえぎっているときには、迷わず引き返さなければならない。

 風斜雨急処、要立得脚定。花濃柳艶処、要着得眼高。路危径険処、要回得頭早。(菜根譚)

 2022年8月

 この人生では、なにごとにつけ、減らすことを考えれば、それだけ俗世間から脱け出すことができる。
 たとえば、交際を減らせば、もめ事から免れる。口数を減らせば非難を受けることが少なくなる。分別を減らせば心の疲れが軽くなる。知恵を減らせば本性を全うできる。
 減らすことを考えず、増やすことばかり考えている者は、まったくこの人生をがんじがらめにしているようなものだ。

 人生滅省一分、便超脱一分。如交遊減便免紛擾。言語減便寡愆尤。思慮減則精神不耗。聡明減則混沌可完。彼不求日減求日増者、真挃梏此生哉。(菜根譚)

 2022年9月

 あわただしいさなかにあっても、冷静にあたりを見回すだけの余裕があれば、ずいぶんと心のいらいらを解消することができる。
 ひまでひっそりとしているときにも、情熱を燃やして事にあたれば、またそこに捨てがたい魅力を見出すことができる。

 熱鬧中着一冷眼、便省許多苦心思。冷落処存一熱心、便得許多真趣味。(菜根譚)

 2022年10月

 新しい珍奇なものにばかり目が行くのは、深い見識に欠けている。
 わが道を行こうとしゃにむに我を張るのは、長続きするゆえんではない。

 驚奇喜異者、無遠大之識、苦節独行者、非恒久之操。(菜根譚)

 2022年11月

 滅亡して廃墟と化した西晋の都は、茨がぼうぼうと生い茂っている。それを目のあたりにしながら、それでも人々は戦いをやめようとしない。
 やがて死ねば北邙の墓地に葬られて、狐や兎の餌食となる運命にある。それを知りながら、それでも人々は利益こだわり続ける。
 古語にも、「どんな猛獣でも飼いならせるが、人の心だけは満たせない」あるが、まったくそのとおりである。

 眼看西晋之荊棒、猶矜白刃。身属北邙之狐兎、尚惜黄金。語云、猛獣易伏、人心難満、信哉。(菜根譚)

 2022年12月

 自分の心が私利私欲に走りそうだと気づいたときは、すぐ正しい道に引きもどさなければならない。迷いが起こったらすぐそれに気づき、気づいたらすぐ改める。
 こうあってこそ禍を福に転じ、死を生に変えることができるのだ。ちょっとした迷いだからといって、けっして見過ごしてはならない。

 念頭起処、纔覚向欲路上去、便挽従理路上来。一起便覚一覚便伝。此是転禍為福、起死回生的関頭。切莫軽易放過。(菜根譚)

 2023年1月

 静かな環境で思考が透徹しているときには、心の本来の姿が見えてくる。のんびりした環境で気持ちが落ち着いているときには、心の動きが見えてくる。淡々たる心境で感情が平静なときには、心の働く方向が見えてくる。
 自分の心を認識し、真の道を会得するには、この三つの方法によるのが、もっともよい。

 静中念慮澄徹、見心之真体。閒中気象従容、識心之真機。淡中意趣冲夷、得心之真味。観心証道、無如此三者。(菜根譚)

 2023年2月

 天地は永遠であるが、人生は二度ともどらない。人の寿命はせいぜい百年、あっというまに過ぎ去ってしまう。幸いこの世に生まれたからには、楽しく生きたいと願うばかりでなく、ムダに過ごすことへの恐れをもたなければならない。

 天地有万古、此身不再得。人生只百年、此日最易過。幸生其間者、不可不知有生之楽、亦不可不懐慮生之憂。(菜根譚)

 2023年3月

 自分にも他人にも、こまやかな配慮をはたらかせ、なにごとにも行きとどいてている人物がいる。そうかと思えば一方には、自分も他人もいたわらず、なにごとにもあさりした態度をとる人物もいる。
 行きとどきすぎてもいけないし、あっさりしすぎてもいけない。君子はおのような生活態度を貫くべきだ。 

 念頭濃者自待厚、待人亦厚、処処皆濃。念頭淡者自待薄。待人亦薄、事事皆淡。故君子居常嗜好不可太濃艶、亦不宜太枯寂。(菜根譚)

 2023年4月
 公平な意見や正当な議論には、反対してはならない。いちどでも反対すれば、末代までも恥をさらす。
 権勢をふるい私利をはたらく者には、近づいてはならない。いちどでも近づけば、生涯の汚点となる。 

 公平正論不可犯手。一犯則胎羞万世。権門私竇不可着脚。一着則点汚終身。(菜根譚)

 2023年5月
 自分の心をいつも満ち足りた状態にしておけば、この世界に、不平不満は存在しなくなる。
 自分の心をいつも寛大公平に保っていれば、この世界から、とげとげしい雰囲気は消えてなくなる。 

 此心常看得円満、天下自無欠陥之世界。此心常放得寛平、天下時無険側之人情。(菜根譚)

 2023年6月
 栄達を望みさえしなければ、利益や地位の甘い誘惑にふりまわされる恐れもない。
 人を押しのけとしなければ、組織のなかでも人から足を引っぱられる心配もない。 

 我不希栄、何憂乎利禄之香餌。我不競進、何畏乎仕官之危機。(菜根譚)

 2023年7月
 読み書きはできなくても、詩心さえあれば、詩の真髄に触れることができる。
 偈はまったく知らなくても、禅味さえあれば、禅の奥義を悟ることができる。 

 一字不識、而有詩意者、得詩家真趣。一偈不参、而有禅味者、悟禅教玄機。(菜根譚)

 2023年8月
 人情や世相は、あっという間に変わってしまうので、どこに真実があるのか見きわめがたい。宋代の邵雍という大学者も、こう語っている。
 「昔の我は今日の我はこの先誰になることやら」
 いつもこうゆう見方をしていれば、もやもやした心も、からりと晴れるにちがいない。 

 人情世態、倐忽万端、不宜認得太真。蕘夫伝、昔日所云我、而今却是伊。不知今日我、又属後来誰。人常作是観、便可解却胸中罥矣。(菜根譚)

 2023年9月
 人の気づかぬ細事についてこそ、行ないをつつしむべきだ。報恩を期待できぬ相手にこそ、恩を施すべきだ。 

 謹徳須謹於至微之事。施恩務施於不報之人。(菜根譚)

 2023年10月
 精神が充実しているときは、粗末な布団にくるまっていても、天地の生気を吸収することができる
 心が充足しているときは、質素な食事をとっていても、人生の淡白な味わいを楽しむことができる。 

 神酣、布被窩中、得天地冲和之気。味足、藜羹飯後、識人生澹泊乃真。(菜根譚)

 2023年11月
 風薫るなかにこぼれる可憐な草花、雪景色を照らす清澄な寒月。これを愛でることができるのは、心静かな人物だけである。
 四季の移り変わりとともに装いを変える水の流れ、石のたたずまい、草木のおもむき。それらを鑑賞できるのは、心のどかな人物だけである。

 風花之瀟洒、雪月之空清、唯静者為之主。水木之栄枯、竹石之消長、独閒者操其権。(菜根譚)

 2023年12月
 幸福も不幸も、すべてこころの持ち方から生まれてくる。
 釈迦も語っている。
 「欲望が燃えさかれば、この世は焦熱地獄。貧欲におちこめば、人生は苦しみの海。心さえ清らかになれば、燃えさかる炎も涼しげな池となり、迷いからさめさえすれば、解脱の境地に達する」
 こころの持ち方を少し変えただけで、この世のなかはがらりと姿を変える。くれぐれも慎重に対処したい。 

 人生福境禍区、皆念想造成。故釈氏云、利欲熾然、即是火厚坑。貧愛沈溺、便為苦海。一念清浄、烈焔成池、一念警覚、船登彼岸。念頭稍異、境界頓殊。可不慎哉。(菜根譚)

 2024年1月
 風薫るなかにこぼれる可憐な草花、雪景色を照らし出す清澄な寒月。これを愛でることができるのは、心静かな人物だけである。
 四季の移り変わりとともに装いを変える水の流れ、石のたたずまい、草木のおもむき。それらを鑑賞できるのは、心のどかな人物だけである。 

 風花之瀟洒、雪月之空清、唯静者為之主。水木之栄枯、竹石之消長、独閒者操其権。(菜根譚)

 2024年2月
 名声を鼻にかけるより、名声から逃れようとするほうが、はるかに奥ゆかしい。
 あれもこれもと手がけるより、できるだけ用事をへらすほうが、ずっと心に余裕を生む。

 矜名、不若逃名趣。練事、何如省事閒。(菜根譚)

 2024年3月
 人の責任を追及するときには、過失を指摘しながら、同時に、過失のなかった部分を評価してやる。そうすれば、相手も不満を抱かない。
 自分を反省するときには、成功のなかからもあえて過失を探し出すような厳しい態度が臨まれる。そうすれば、人間的にもいちだんと成長しよう。

 責人者、原無過於有過之中、則情平。責己者、求有過於無過之内、則徳進。(菜根譚)

 2024年4月
 自然の暑さからのがれることはできなくても、暑さを苦にする心を消し去れば、いつも涼み台の上にいるようなものだ。
 現実の貧しさから抜け出ることはできなくとも、貧乏に悩む心を払いのければ、いつも安楽な家にすんでいるようなものだ。

 熱不必除、而除此熱悩、身常在清涼台上。窮不可遺、而遺此窮愁、心常居安楽窩中。(菜根譚)

 2024年5月
 忙しいときに、あわてふためきたくないと思うなら、暇なときに、しっかりと精神を鍛えておかなければならない。
 死ぬ間ぎわになって、とり乱したくないと思うなら、ふだんから、しっかりと物事の道理を見きわめておかなければならない。

 忙処不乱性、須閒処心神養得清。死時不動心、須生時事物看得破。(菜根譚)

 2024年6月
 自然の暑さからのがれることはできなくても、暑さを苦にする心を消し去れば、いつも涼み台の上にいるようなものだ。
 現実の貧しさから抜け出ることはできなくとも、貧乏に悩む心を払いのければ、いつも安楽な家にすんでいるようなものだ。

 熱不必除、而除此熱悩、身常在清涼台上。窮不可遺、而遺此窮愁、心常居安楽窩中。(菜根譚)

 2024年7月
 前に進むときには、必ず後に退があることを考えよ。そうすれば、垣根に角を突っ込んだ羊のように、身動きがとれなくなるおそれはない。
 手をつけるときには、まず手を引くことを考えよ。そうすれば、虎の背に乗ったときのように、やみくもに突っ走る危険を避けることが出来る。

 進歩処、便思退歩、庶免触藩之禍。着手時、先図放手、纔脱騎虎之危。(菜根譚)

 2024年8月
 月や風、花や柳がなかったら自然は成り立たない。欲望や嗜好がなかったら心は成り立たない。
 ただし肝心なのは、物を使っても物に使われない、しっかりした自分を確立しておくことだ。そうすれば、嗜好や欲求もこの人生には欠かせないものとなり、そのなかにこそ理想の境地を見出すことができよう。

 無風月花柳、不成造花。無情欲嗜好、不成心体。只以我転物、不以物役我、則嗜慾莫非天機、塵情即是理境矣。(菜根譚)

 2024年9月
 なにごとにつうけ、余裕をもって控え目に対処せよ。そうすれば、人はおろか、天地の神々も、危害を加えたり、わざわいを下したりはしない。
 事業でも功名でも、トコトン追及してやまなければ、どうなるか。内から足を引っぱられるか、外から切り崩されるかして、いずれにしても失敗を免れない。

 事事留固有余不尽的意思、便造物不能忌我、鬼神不能損我。若業必求満、功必求盈者、不生内変必招外憂。(菜根譚)

 2024年10月
 人間のまごころから発する一念は、夏の夜に霜を降らし、堅固な城壁をつきくずし、金石をも貫くほどの力をもっている。
 いつわりの多い人間は、肉体はそなわっていても、心は失われている。これでは、人にも嫌われるし、自分でも自己嫌悪に陥るにちがいない。

 人心一真、便霜可飛、城可隕、金石可貫。若偽妄之人、形骸徒具、真宰巳亡。対人則面目可憎、独居則形影自媿。(菜根譚)

 2024年11月
 一つの事物の実体を掌握できれば、五大湖の景観もそっくりわが心に納めて観賞することができる。
 眼前の事物の機能を把握できれば、古代の英雄もそっくり手中に納めて自由に動かすことができる。

 会得個中趣、五湖之煙月、尽入寸裡。破得眼前機、尽帰掌握。(菜根譚)

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