用地買収補償金請求事件
原告は、証拠調べの結果を踏まえ、次の通り整理敷衍して主張する。
- 原告と被告との間に成立した本件契約における補償金額は金一四、五九七、四四七円である(本件建物移転補償契約に基づく補償金残金請求権)
被告はこれを金五、五七三、〇〇〇円であると主張するが、後述するとおり、原告と被告との間に成立した本件建物移転補償契約(以下「本件契約」という)における補償金額は金一四、五九七、四四七円であると言うべきである(原告は、従前これを契約書記載金額に一〇〇〇万円を上乗せした金一五六〇万円であると主張したが、右金額に訂正する)。
本件契約は、@被告は公権力の主体であって、公的な規制に服するものであるから、本件契約は公法上の法律関係というべきであって、私法が修正されること、A任意買収が奏功しない場合にはそのほとんどが土地収用法に定める収用手続に移行され、後に収用手続が予定されており、公共のためにする収用としての実質を有していること、B任意買収は公共事業であり、公共性を有するものであるから、その代償決定を当事者の恣意的判断に委ね、過大補償ないし過小補償などの不公平な結果を招くことは許されないこと、C公共用地の取得に関しては行政が従うべき統一的な基準として「公共用地の取得に伴う損失補償基準」が作成されており、被告においても「福井県の行う公共事業の施行に伴う損失補償基準」が作成され、本件建物移転補償金額もそれに従って算出されたものであること、に照らすならば、本件契約も、右「損失補償基準」の適用を受ける限度において私的自治の原則が修正されるものというべきである。
したがって、本件契約における補償金額は、右「損失補償基準」に基づいて算出される正当な補償金額であるというべきである。
それでは、本件建物移転において「損失補償基準」に基づいて算出される正当な補償金額はいくらか
「損失補償基準」によれば、建物移転料の算定は、「建物を移転させるときは、当該建物が移転後においても従前の価値及び機能を失わないよう、土地と建物との関係位置、構造、用途、工費その他の条件を考慮して、その移転工法を認定し、これに要する費用を補償するものとする」(細則第一五1(1))とされ、曳家工法は、「建物を移転しないで、買収残地に曳家することができると認められるとき」に限り、選択することができ(細則第一五1(2)二)、曳家することができるかどうかは、有形的(物理的)・機能的・価値的検討が加えられなければならないとされる。そこでの検討に当たっては、残地の面積、形状及び利用状況等が考慮されなければならない。
本件においては、建物移転工法として曳家工法と切取改造工法が検討され、切取改造工法については推定再建築費と同額が見込まれた(中村政雄第一〇回公判速記録二五、二六頁)ところ、「本件建物東側に、畑との間に雑種地みたいな荒れ地になっている部分」があったので(同二九頁)、東側に三m曳家すればよいとの考慮から、曳家工法が選択されたが、東側に残地がないのであれば、構外再築工法が選択された(同三〇、三一頁)。
しかしながら、本件建物は、東側に三m曳家する残地の余裕はなかったものであり、曳家工法の選択は誤りであった。
すなわち、本件建物東側は、井上五矩(かずのり)に畑として賃貸されており、同人及びその家族が耕作していたものであった(甲七〜一〇)。そして、本件建物の下屋の軒下までが畑として耕作されており、ほとんど本件建物と接するような状態であった(甲三八、原告本人速記録一七、一八頁)。このことは、道路図面(甲三七)でも明らかである。そのため、本件建物を東側に三m曳家することは不可能であった。
ところが、中村は、本件建物の東側には耕作されていない土地が五mほどあった旨証言するが、その五mというのも、二mくらいは草、萱が生えており、残りが敷地だろうと思われたというにすぎないのであって(中村第一〇回公判速記録三四頁)、その部分が畑なのか建物敷地なのか、畑の範囲がどこまでなのかは、現地において原告にも誰にも確認したものではなく、もっぱら中村個人の主観的判断にすぎないのである(同三五〜三七頁)。中村は、勝山土木事務所の担当者に確認したというが、それは現地においてではなく、土木事務所での打ち合わせの際に確認したものにすぎない(同三五、三六頁)。そもそも中村は、本件建物外側については原告の立会も得ていないのである。中村が現地調査をした時期は、一二月二〇日前後であり、既に収穫後で畑の耕作時期でもないから、宅地状に見えたにすぎず(原告本人速記録二〇頁)、畑と敷地との区別は容易にはつかなかったと考えられるから、中村の判断には客観的裏付けがないというべきであり、信用できない。
本件建物南側は、A宅が隣接して立っているところ、同人宅の軒先が原告敷地にかかり(甲四〇号証第五条)、A宅の屋根の雪が本件建物の上に落ちるように軒先が重なり合っている(同第六条)状況であった(原告本人速記録二四〜二六頁)。このことは、道路図面(甲三七)でも明らかである。そのため、本件建物を東側に三m曳家することは、A宅の屋根にかかり、不可能であった。
中村も、この点は、「分からない」という証言に終始しており(中村第一〇回公判速記録四六〜四八頁)、建物調査の際には、全く注意を払っていなかったものと考えられる。
本件建物北側は、田圃の状態であり、この土地(一〇―四)は、昭和六〇年一月一〇日来、株式会社中彰産業に賃貸されており(甲一一)、かつ田圃と本件建物敷地との境界には、田圃の水が敷地内に入ってこないように二段積みの石垣があって、段差があった(甲二八、二九、原告本人速記録二〇〜二四頁)。そして、この石積みは、本件建物西北角から北側に約二m、東北角からは北側に約五〜七〇pの近距離に位置し、東南東方向に設置されていた(甲三八、三九、乙二)。したがって、本件建物を東側に三m曳家したのでは、本件建物がこの石積みにかかり、中彰産業への貸し地をも侵害することになるので、曳家は不可能であった。
ところが、中村は、本件建物と石積みは「二m五〇pくらい」の距離があった旨証言するが、これは「大体それくらいだと思います」という曖昧な証言にしかすぎず(中村第一〇回公判速記録八頁)、現地では、「見通しで測った」「一応、このまま下げた状態で、残りが大丈夫かということで、暫定的に見る」(同四〇頁)という程度でしか測っていないのであるから、正確な位置・数値を供述しているものとは到底言えない。
加えて、丈量測量の成果品である丈量測量図(乙二)と、建物調査の成果品である建物配置図(甲一八)とが、本件建物の北側境界線の位置において異なっているということ自体が、本件建物の北側境界線の位置に関する中村の供述の信用性を失わしめているのである。
甲一八号証では、本件建物の南側のAとの境界線が本件建物からやや離れるように東方向に引かれており、前述したA宅との軒先の関係が全く考慮されていないことは、その信用性をさらに減殺しているものである。
(四)以上述べたとおり、本件建物を東側に三m曳家することは、物理的に不可能であったから、本件建物の移転工法として曳家工法を選択したことは誤りであったというべきである。
したがって、本件建物の移転工法としては、切取改造工法または構外再築工法をとらざるを得なかったものであり、いずれにしても推定再建築費、すなわち新築するのと同額の建物移転料が支払われるべきだったのである。
- 完全補償が原則である
憲法は、私有財産は正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる(二九条三項)と定め、この正当な補償とは完全補償をいうものと解されている。判例上も、「土地収用法における損失の補償は、特定の公益上必要な事業のために土地が収用される場合、その収用によって当該土地の所有者等が被る特別な犠牲の回復をはかることを目的とするものであるから、完全な補償、すなわち、収用の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償をなすべきであ(る)」とされている(最高裁第一小法廷昭和四八年一〇月一八日判決民集二七巻九号一二一〇頁)。
したがって、建物移転料の算出にあたっても、現実に建物の移転に要する額(実額)の補償がなされるのが憲法の要請であるというべきである。「損失補償基準」も、「当該建物等を通常妥当と認められる移転先に、通常妥当と認められる移転工法によって移転するのに要する費用を補償するものとする」(二八条一項)と定めており、移転先・移転工法が決定された場合は、それに要する費用を実額で補償するのが法の趣旨である。
ところが、本件建物移転料の算出に当たっては、移転補償額は損失補償算定標準書に基づいて機械的に算出されている(中村証言)。被告及び中村が採用した損失補償算定標準書による算出方式は、建物各部位を定められた係数に基づき評点算出し、それに定められた係数当たりの金額を掛け合わせて求めるものであり、簡略で、誰が行っても同じ数値が算出されるという意味で公平ではあるが、実額への現実的な妥当性に乏しい方法である。この点において、既に憲法の趣旨とは相容れない算出方法である。実際にも、中村は、損失補償算定標準書の数値が適正妥当なものであるのかどうか全く分からないし、そのような判断も加えていないという。結局、中村の算出した移転補償額は、計算上の数値にしかすぎず、実際にその金額で曳家工事等ができるかどうかは全く分からない数字であった(中村第一〇回公判速記録五二、五三頁)。
したがって、移転補償額を算定するにあたっては、まず現実の施工の見積書を基準に、損失補償算定標準書に基づく数値を参考に算定するべきである。
そこで、本件建物の移転補償額を検討するに、原告が株式会社長谷川工務店でとった見積書(甲二)によれば、移築工法で金一四、二三一、一一八円であった。その後、有限会社西川工務店で移築工法で見積書をとったところ、金二四、七三四、七〇〇円(甲二四)であった。
次に、移転補償額算定書(甲三)によれば、切取改造工法または構外再築工法による補償額は推定再建築費と同額であり、それは、純工事費+諸経費とされる。ところで、純工事費は金一一、五三九、四八四円であるが、諸経費が不明である。
しかしながら、損失補償算定標準書によれば(甲三二)、諸経費=純工事費×諸経費率とされ(甲三号証1―6頁K)、諸経費率は純工事費が一〇〇〇万円超一二〇〇万円以下の場合は二六・五%とされている(甲三号証1―212頁)から、諸経費は金三、〇五七、九六三円となる。
したがって、本件建物の推定再建築費は、金一四、五九七、四四七円となる。
(四)よって、「損失補償基準」に基づいて算出される正当な本件建物移転補償額は、右推定再建築費である金一四、五九七、四四七円を下らないものというべきである。
したがって、原告と被告との間に成立した本件契約における補償金額は、金一四、五九七、四四七円というべきであり、既に受領した金額との差額金九、〇二四、四四七円の請求権を有するものである。
- 仮に補償金五、五七三、〇〇〇円の本件契約が成立したものとすれば、本件契約のうち補償金額に関する部分は錯誤により無効である(憲法及び土地収用法に基づく損失補償請求権)
前述したとおり、原告は、補償金額金一四、五九七、四四七円とする本件契約が成立したものであると主張するものであるが、仮に契約により成立した補償金額が物件移転契約書(甲三)記載の金五、五七三、〇〇〇円であるとするならば、原告は補償金額を金一五六〇万円であると誤信して本件契約に及んだものであるから、本件契約のうち補償金額に関する部分は錯誤により無効である。
なぜなら、@原告は、近隣における任意買収の補償金額を調査して、坪三〇〜四〇万円の補償が出るものと自分なりに基準を持っていた(原告本人速記録一三、一四頁、甲四四号証三頁)から、これによると補償金額は一五〇〇万円程度となること、A昭和六三年一二月一四日の時点で、既に長谷川工務店による金一四、二三一、一一八円の見積書(甲二)を取得していたこと、B原告から勝山土木事務所竹内健一に対して、曳家はできないということで、なかなか見積をしてもらえないと訴えていたことがあり(竹内速記録三三頁、甲四四号証二頁)、そこからすると原告が曳家工法ではなく、解体移築工法で補償が出るものだと信じていたとしても何ら不自然ではないこと、C本件建物の借家人の立退き交渉は本来であれば勝山土木事務所が行うべきであるところ、原告が進んでその交渉を行い、被告との間の立退補償契約の前に借家人を立ち退かせてしまっている(田中真次第八回公判速記録三七頁、同人第九回公判速記録三八、三九頁)こと、それもそもそも曳家工法であれば借家人の立ち退きは必要ではないのに、原告が進んで借家人の立退交渉を行っており、しかも勝山土木事務所も曳家工法であれば借家人の立退補償をしないはずであるのに、その補償をしていること(田中第九回公判速記録三八、三九頁)、この点で原告が解体移築工法をとると誤信して補償交渉を有利に展開しようとしていたことは明らかであり(借家人であったBも、原告からそのように言われて立退きを求められたことを陳述している=甲一三)、被告もそれを是認するような借家人補償をしていること、D原告は本件契約締結日には、田中の示した補償金額に非常に満足し、土木の補償はこんなに出るのかと喜んで、当時用地交渉が難航していた嶋田工務店との交渉についても、土木がそんなに良い補償をするのなら私から言ってあげようと申し出たこと(田中第九回公判速記録二一、二二頁)、E原告は補償金額に関心を持っていて(竹内健一公判速記録三一頁)、土地代金については安いということを田中に言うなど(田中第九回公判速記録二五、二六頁)、土地売買の契約金額はわずか金二二万五〇〇〇円程度であるのにこれほど関心を持っていながら、建物移転補償額に関心が低いということはあり得ないこと、F田中ら勝山土木事務所の担当者は、用地交渉の過程で、原告に対して、建物移転補償額算出調書や明細書等の建物移転補償額を明記した書面を全く交付していないこと、G本件契約書に調印するときは、勝山土木事務所担当者において事前に原告の署名を代行し、調印のその場においても、原告から印鑑を借用して代印し、原告自身に契約書に署名押印する機会を全く与えなかったこと、H田中らは、契約調印のその場においても、契約書の写しを原告に対し交付しなかったこと、I原告としては本件契約前に一五〇〇万円の数字を自分なりの感触として持ちながら、それを一〇〇〇万円近くも下回る補償金額で本件契約に及ぶ事情も必要も何らなかったこと、に照らすならば、原告が本件建物補償金額が金一五〇〇万円以上であると誤信して本件契約に及んだことは明らかである。
したがって、本件契約のうち補償金額に関する部分は錯誤により無効である。
ところで、既に本件建物は、県道篠尾勝山線の建設に伴う交通安全整備事業の用地に当てるために取り壊されており、原告には特定の公益上必要な事業のために、本件建物を取り壊さざるを得なくなったという特別の犠牲が発生している。このような状況下では、本件契約全体を錯誤無効としても、原告の利益の救済にはつながらない。
公共のために特別の犠牲を被った者は、法令に損失補償に関する規定がないとしても、その損失を具体的に主張立証して直接憲法二九条三項を根拠にして補償請求ができることは判例上認められている(最高裁昭和四三年一一月二七日大法廷判決刑集二二巻一二号四〇二頁)。
そうすると、本件においても、錯誤により無効となった補償金額に関する部分は、土地収用に関する憲法及び土地収用法の規定によって補充されていると解することが憲法の理念に適うものである。なぜなら、本件における被告福井県と原告との関係は、公法上の法律関係であって、私法が修正ないし排除される関係にあり、本件における任意買収は、強制収用に移行する契機を含んだ公共事業としての公法上の法律関係であるから、私法上の売買契約と同一ではなく、自ずから公法上の法律関係として規制を受けるというべきであるからである。
したがって、原告には憲法及び土地収用法に基づく損失補償請求権が発生しているというべきであって、原告は既に受領した金額と「損失補償基準」に基づいて算出される正当な本件建物移転補償額金一四、五九七、四四七円との差額金九、〇二四、四四七円の請求権を有するものである。