(04/6/13)

非常勤裁判官日誌X


4月×日
 新年度初日の登庁。裁判官室のメンバーも総代わり、書記官室のメンバーも2人を残して総代わり。勝手が違うのでややとまどう。

 裁判所事務分配等規程というものを初めて見た。これは、京都地裁の管内の裁判事務の分配、裁判官の配置及び開廷の日割並びに司法行政事務の代理順序を定める内規だ。調停官はどのように書かれているのかなと思って眺めると、どこにも調停官のことは記載されていない。調停官は裁判官ではないから当然のことではあるが、調停委員や職員と同じ扱いなんだなと改めて思う。

 午前は、2件事件がダブルブッキングしていた。どう調整しようかなと思っていたところ、10時の事件の調停委員がやって来られて、前回に引き続きなので、そのまま調停委員だけで進めていいかと聞かれる。家屋明渡事件で、争点は明確だったから、そのまま進めてもらうことにする。先日、日弁連で開催された調停官の会合で、どこの裁判所でも、調停委員の間では、調停官の関与をどこまで認めるか(要するに、今まで調停委員の自主的判断で運用していたのに、調停官という外部の人間が入ってきて調停の主導権をとられるのも調子が狂う。要は、一つの船に船頭は二人いらないということだ)とまどいがあるということを聞いたが、そういうことなのかなとも思う。

 交通調停は、過失割合と車両損害額が争点。人身事件でもあるので、実況見分調書が作成されているものの、被害者の単車運転者は事故の影響で事故時の記憶がなく、相手方である加害者のみの立会の実況見分調書しかない。交通整理の行われていない交差点で、単車の方が道路幅員が広く、4輪の方が道路幅員が狭く、かつ4輪の方に一時停止義務違反のある事故の過失割合の原則は15:85。一方は、自分は一時停止をしているから過失割合は35:65だと主張するが、しかし、ちゃんと一時停止をしていれば事故が起こるはずもなく、他方の車両を現認しながら遠いからまだ来ないだろうと思ったというのもそう簡単には措信しがたいのではないか。結局、調停委員会と当事者双方との折衝の中で、調停が成立した。書記官にも立ち会ってもらい、調停条項を確認したら、すでにお昼を30分も過ぎていた。

 午後は、喧嘩による傷害の損害賠償事件だったが、当事者間で任意に話し合いで解決したらしく、申立取下げとなり、午後はフリーとなった。それでも、今日は、新件の配点もなく、かつ2件も事件が落ちたから、手持ちは2件の純減となり、20件となった。


4月2×日
 調停を始めたときの余裕がなくなり、ここ2週間非常に多忙だ。午前も午後も、2、3件は常時入っているから、全件立会の方針を貫くことが困難になってきた。勢い、優先順位を付けて、順位1番は最初から出るけど、順位2番は重要な場面だけ、順位3番は方針決定の際の評議のみという運営になってきた。しかも、立ち会えない事件は、調停開始前に調停委員の先生方と事前に評議する余裕もないから、私なりの方向性や事情聴取事項をメモに記載して予め記録に入れておくことにした。その準備もしなければならない。ばたばたしながら、1日を終わる。

 これまで1週間に2件ずつ新件を配点してもらっていたが、1回目で全件終了するはずもないから、いきおい未済が貯まってきた。30件程度か。それで、4月に入ってからは、新件の配点がなかったが、ようやく今日、新件2件の配点があった。

 1件は、今係属中のマンション管理をめぐる事件の関連事件だった。

 もう1件は、調停官による調停希望の上申書付きの事件だ。事案が複雑なので調停官を希望するというのだ。いよいよ調停官も一般に認知されるようになり、その評価も上がってきたということか。期待して記録を見ると、確かに複雑だ。新築欠陥住宅の買い主が売り主に対して損害賠償請求訴訟を提起して勝訴したのだが、当該売り主は倒産していて判決額全額の支払いを受けることができないため、今度は住宅ローン会社(銀行)及びその保証会社を相手方としてローンの減額や抵当権の抹消を求めている、いわゆるレンダーライアビリティーの一種だ。争点は、銀行が住宅ローンを組むに当たって融資対象物件の瑕疵の有無を審査する義務があるのかどうか。確かに瑕疵のある物件であれば、融資物件の評価が大きく下がるから、回収可能性がなくなることだってあるので、瑕疵の有無は審査する必要があると思われる。しかし、それは融資の回収ができなくなったときに、連帯保証人から保証債務の減額を求められたり、あるいは融資担当者が銀行に対して損害賠償義務を負うというレベルの問題でははないか。それ以上に、融資を受けた者に対する不法行為責任を構成することがあるのか。考えると難しい。とは言っても、申立の理由も分かるだけに、どう進めるか頭を悩ませる。銀行が自発的に減額等に応じない限り調停は無理ですよ、というのがこれまでの調停だったと思うが、何とかそれを超える「真の調停」というものを模索してみたい。

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