ドイツ行政裁判所視察を終えて

プロローグ

日弁連行政事件訴訟法改正等推進協議会のメンバーを中心に、1999年8月25日から9〜12日の日程で、ドイツ・フランス各州の行政裁判所を視察する機会に恵まれた。

8月26日 ハンブルグ行政地裁、FEDDERSEN LAULE EWERWAHN法律事務所

8月27日 ハンブルグ行政高裁、ブレーメン行政地裁

8月30日 ケルン行政地裁

8月31日 連邦憲法裁判所

9月1日 ストラスブルグ行政地裁(これ以降フランス)

9月2日 ナンシー行政地裁

9月3日 コンセイユデタ、パリ行政高裁

9月4日 ウグロ・ルパージュ共同弁護士事務所

 

 この視察のうち、私はドイツ行政裁判所視察について報告をしたい。

 ハンブルグでは、日本語に堪能なシェア弁護士が通訳を務めて下さった。シェア弁護士も行政事件を取り扱う。シェア弁護士からいただいた資料から、ドイツの行政訴訟の一例を紹介しよう。ドイツ行政訴訟の姿がよく分かってもらえることと思う。

 事例は、わが国でもよく見られる外国人の強制退去の事件である。あるトルコ移民甲がドイツ人妻と結婚して滞在許可を得たが、その後離婚したため、91年8月、国外退去処分を命じられた。しかし、甲にはその後別の女性との間に子供ができ、その子を認知した。ところが、甲は94年7月19日、国外退去のため身柄を拘束されるに至った。

 シェア弁護士は、甲が身柄を拘束されたその日に相談を受けるや、その日のうちに国外退去の差止と滞在許可を求める仮命令の申立をした。ところが、同日、ハンブルグ行政地裁はこれを却下した。これに対し、シェア弁護士はその日のうちに抗告する。ところが、同月25日、ハンブルグ行政高裁は抗告を却下した。ドイツ行政裁判所法では仮命令事件については上告は認08310008.gifめられていない。そこで、翌26日、シェア弁護士は連邦憲法裁判所に対して、憲法違反を理由に憲法異議を申し立てた。それに応じて、連邦憲法裁判所は、8月10日、憲法異議を認め、事件をハンブルグ行政高裁に差し戻した。そして、同高裁は、同月16日、甲の申請を認めるに至った。連邦憲法裁判所の決定理由は、「外国人がドイツ国籍の子を認知した場合は、その子とはドイツ国内でしか同居できない。移民政策がいかに重要であろうと、家族を守るという国家の義務が常に優先される」という極めて常識的なものであった。甲が身柄拘束されてから釈放されるまで、わずか1月たらずであった。

 わが国行政訴訟の実態を知らない読者は、このシェア弁護士の事例は極めて常識的なものであり、何をそんなに驚くことがあるのか、と思うことだろう。しかし、わが国の行政訴訟の実態を知っている読者は、きっと驚愕されることだろう。

 わが国では、まず、行政処分の執行の停止を求める裁判は制度として認められているものの、一時的に行政処分の発令を求める(たとえば、外務大臣に対して滞在許可することを求める)制度は設けられていない。通常の民事訴訟であれば、仮の地位を定める仮処分(たとえば、事業主から解雇された従業員について従業員の地位にあることを確認する仮処分)は認められているのに、相手方が行政になったとたんに、このような仮処分(ドイツではこれを仮命令という)は認められない。このような仮命令を認めると、裁判所が行政の第一次的判断権を侵害し、三権分立に反するからというのがその理由だが、理由になっていない。それでは、ドイツでは三権分立違反だとでも言うのであろうか。裁判所が行政に命令をしないのが三権分立だという言い方もできれば、逆に裁判所が行政に対して法に従って命令を発することこそが行政に対する裁判所のチェック機能の行使であり、三権分立に資するのだと言うこともできるだろう。

 ところで、今、行政に対する執行停止は、「制度としては認められている」と言ったが、実際に執行停止が発令されることはまずない。平成10年の統計(地方裁判所)によると、新受件数50件、既済件数46件で認容されたのは9件にしかすぎない(認容率19.6%)(最高裁判所事務総局行政局『平成10年度行政事件の概況』法曹時報51巻9号93頁)。

 執行停止が認められることがなくても、裁判所による行政のチェック機能が十分実効的に働いていて、かつ判決がすぐになされるのであれば、まだ権利は救済される。ところが、わが国の場合は、行政訴訟のうち原告の訴えが認められるのは10%程度に過ぎない上に、そのような認容判決が6ヶ月以内になされることはほぼ皆無、1年以内でようやく8%程度でしかない。

 そうすると、仮に行政の処分が違法であって取り消されるべきであったとしても、判決がなされるまでに行政処分の執行が終わってしまう。外国人の国外退去であれば、退去処分の違法を争って訴訟を提起しても、判決が出るまでに国外退去が執行されてしまうのが通常である。国外退去となってしまえば、退去処分の取消を求める訴訟は訴えの利益がなくなるとされ、訴訟はその時点で却下されてしまう。

 訴訟の迅速化がよく言われるが、執行停止が認められていない行政訴訟においては、訴訟遅延の弊害は特に甚大である。

 このようなわが国の行政訴訟の実態と比較するならば、いかにドイツの行政裁判所が国民の権利擁護に熱心であり、かつ迅速に行動するかがお分かりいただけると思われる。

 以下にドイツでかいま見てきた行政裁判所の実情を報告することにする。

1,ドイツの行政訴訟制度

 ドイツでは、民事刑事を取り扱う通常裁判所と、行政事件を取り扱う行政裁判所とは別の裁判所となっており、行政事件を取り扱う裁判所も、行政裁判所だけではなく、その他に、税金事件を取り扱う税務裁判所と、社会保障関係の事件を取り扱う社会裁判所がある。

 行政裁判所の特色は、職権探知主義・職権証拠調べが採用されていることである。原告が訴訟を提起すると(訴え提起はファックスでもいいし、手紙でも良い。要するに、差出人が行政処分の取消等を求めているらしいということが分かれば、訴えの提起とみなすようだ)、裁判所が行政庁から資料全部を提出させ、口頭弁論期日までに主任裁判官が事件について調査を行う。わが国では、裁判所が原告に対し何が違法なのか、違法の根拠を明らかにしろ(したがって、それ以外の違法根拠については裁判所は分かっていても判断しない)、その証拠も出せというのとは、大違いである。そもそも市民には、いや弁護士であっても、行政がどのような審査基準に基づいて、どのような証拠資料を収集して処分をしたのかは、皆目検討がつかない。したがって、ドイツでは、わが国で問題になっているような、行政による証拠隠しなどという事態は生じないし、原告が行政との間の圧倒的な証拠・情報量の差に圧倒されて、訴訟維持に悪戦苦闘するということもない。

 訴状は、極めて簡単なものでも足り、行政決定に不服である旨が述べられていれば、手紙のようなものでも、とにかく書面になっていれば受理され、裁判所の審理が始まる。したがって、わが国のように、やれ処分性がないとか、原告適格がないとか訴訟要件が問題にされることはあまりない(最もハンブルグの弁護士の話では、付近住民ではないのにゴミ処理場の建築を争うような場合は、行政側代理人として原告適格がないという抗弁を出すことがあるという)。その限りでは、弁護士の出る幕は小さそうである。実際、民事訴訟では弁護士強制主義が採用されているが、行政訴訟では採用されていない。

 加えて、ドイツでは、名誉職裁判官(法律家ではない一般市民が裁判官として裁判に関与する)制度が採用されているため、口頭弁論期日には、裁判官席に職業裁判官3人と名誉職裁判官2人が座り、その前で原告・被告による口頭弁論が行われる。口頭弁論は通常1回で終了する。

 口頭弁論期日には、必要に応じて証人尋問等証拠調べが行われる。しかし、実際には、証拠調べが行われることはまれなようだ。証拠調べが行われないという現象面だけ見れば、日本と似ているような気もするが、その理由がドイツと日本とでは全く違うようだ。日本では、原告が必要だと考える証拠調べも採用されないことが多いが、ドイツではそもそも証拠調べをする必要がないというのがその理由のようだ。それは、行政不服審査前置に起因する。すなわち、ドイツでは、行政訴訟を提起する前に、行政行為に対する異議審査請求(行政不服申立)を当該行政庁に対し提起しなければならない。日本では、戦後、行政事件訴訟法によって選択主義が採用され、行政庁に対して行政不服申立をしても、いきなり裁判所に対して行政訴訟を提起してもどちらでもよいとされているが、実質的にはいろんな法律により行政不服前置が大半となっている。ところが、日本では、残念ながら、行政不服審査はほとんど機能しておらず、行政庁自らによる違法不当な行政行為に対するチェックには何らなっていない。

 それに対し、ドイツでは、この異議審査請求手続が有効に機能しており、国民の権利利益の迅速な救済につながっているという。今回の調査でも、裁判官から「異議審査手続の過程で事実関係はほぼ明らかにされているので、訴訟で事実関係が問題になることはないので、(裁判所調査官のような裁判所補助官は)必要ない。」との意見を繰り返し聞いた。そして、このように異議審査手続の中で事実関係が明らかになり、行政庁の手持ち証拠の開示もなされるために、行政裁判所における口頭弁論期日においても証拠調べもいらないという結果になるのである。

2,各州における行政裁判所の実態

(1)ハンブルグ(人口170万人)

 ハンブルグでは、行政裁判所だけで65名の裁判官がおり、21の裁判体がある。(ちなみに、ドイツでは、裁判官の人事異動はなく、終身雇用である)

 90年以降 毎年1万件の新受事件があり、最大17、000件であった(ちなみにドイツ全体で新受件数は年間21万件である。その他に、社会裁判所・税務裁判所があるから、わが国の行政訴訟の新受件数年間1400件とは雲泥の差である)。その大多数が難民関係の外国人事件だという。99年も、1/1〜8/17だけで、難民関係以外の一般事件で新受事件数が3124件(内訳 1705訴訟  965 仮命令)、社会保障関係 838件(内訳 218 訴訟 606 仮命令)ということだから、驚きだ(数字は聞き取りなので正確ではないことをご容赦願いたい)。

 また、審理期間は通常1年間程度だが、仮命令申立事件の場合は、1時間で決定することもあるという。その一例が先程のシェア弁護士の外国人強制退去事件である。これに対し、わが国の場合、行政訴訟で原告請求の認容された判決が訴え提起後6ヶ月以内に言い渡されたことはない。2年以内に認容判決がなされる割合も35%しかない。民事訴訟の認容判決(欠席判決を除く)の約4割が6ヶ月以内に言い渡されていることと対照的である。それに対し、6ヶ月以内に言い渡されることがあるとすれば、すべてが却下または請求棄却判決である。

 気になるのはドイツでの原告の勝訴率であるが、75%以上原告が敗訴するという。ドイツでは、行政訴訟を提起する前に行政庁に対する不服審査(異議審査)手続を経ることが義務づけられており、かつ行政庁の中にも法律家が多数いるから、決定・異議申立決定を通して行政官庁内の法律家により判断されているため、その中で救済されるべきは救済されており、訴訟に上がる頃には事実問題の争いはほとんどないというのが原告敗訴率の高い理由らしい。それでも、わが国における原告勝訴率10%未満に比べると、ずいぶん高い。このように同じく原告の敗訴率が高いと言っても、日本とドイツとでは、その意味が全く異なるようだ。日本では、行政不服審査も機能していないため、その中で救済されるべき市民が救済されないまま訴訟を提起し、そこでも救済を阻まれているのである。

 最近の事件としては、難民関係の外国人事件が急増しているのがドイツ全土にわたって特徴的に見られるが、それ以外では、ハンブルグでは、大学医学部入学の不合格を争う事件があり、どの23名が合格者にふさわしいかまでを判断する事件があったという。

(2)ブレーメン(人口68万人)

 ブレーメンでもハンブルグと様子は同じである。

 ブレーメンの行政裁判所は、判事24名で8部を構成している。ここでもかつては建築・環境関係の事件が主だったが、今では外国人事件(難民・出入国管理等)が5,6割を占めているという。

 新受事件数を見ると、90年 1783件(内外国人関係683件)、93年 2858件(1635件)、97年 2037件(793件)、98年 2001件(788件)となっている。要するに、外国人事件を除く一般事件は毎年1100〜1200件であり、外国人事件が事件数増減の原因となっている。そして、この他に仮命令事件が1000件程度あるという。憲法改正で難民認定要件が厳しくなったので、外国人事件も減ってきた。

 次に既済事件数を見ると、98年では2245件が既済となっているが、このうち、請求が認容されたのは5.2%、棄却されたのが31.5%となっており、取下で終了しているものも多い(裁判所・弁護士からの勝ち目はないとの助言を受けて)。その他に、裁判所が役所に示唆して行政が処分変更して解決する案件が15.1%あるというし、正式和解が1.3%であるという。請求認容率は、ハンブルグよりも低く、日本と同程度といえるかも知れない。

 審理期間は次のように一般事件で10〜12ヶ月が通常であり、外国人事件は1〜2年かかっているようである。

90年一般10.8月 外国人16.9月

93年  12.2 11.0

95年  11.9 15.4

97年  11.3 22.0

98年  10.8 21.0

 最近の具体的な事件としては、次のようなものがあったという。

@ 1980年、ベンツのブレーメン工場建築許可を争って付近住民が集団で訴訟を提起した。建築許可の適法性が争われ、許可要件のひとつである付近住民に対する考慮の有無を判断した。

A 船・道路・航空のすべてにわたる貨物集積場が環境保護地域に建てられたためその建築許可の適法性が争われた。この時点で集積場近くには誰も住んでいなかったので、自然保護団体が訴え提起した。ブレーメンでは州法によって団体の原告適格が認められている。訴訟の過程で自然保護のためのかなりの追加措置が講じられた。

B 鉄鋼会社の川沿いの対岸に団地が建築されたため鉄鋼会社が争った。将来団地の住民から訴えられると困るからというのがその理由だった。しかし、紛争の成熟性がないため、鉄鋼会社が敗訴した。

 しかし、このような巨大案件はわずかであって、外国人関係を除くと、大半は一般市民と行政との日常的案件であって、一番多いのは、社会福祉関係の失業保険や生活保護訴訟で、訴訟費用すらない人の事件であるという。

その次に多いのは公務員の労働関係訴訟、大学不合格を争う訴訟、建築関係(建築確認を争うだけではなく、庭に小屋を建てたら建築確認を取っていないから壊せと言われたのでそれを争うという訴訟もあった)、交通関係(免許取消を争う)、学校関係(試験の点数を争うよりも、進級をさせてくれなかったのを争うとか、国家試験の不合格を争う。司法試験不合格を争うことも多い)があるという。それに対し、最近減ったのは徴兵関係訴訟だという。

これでドイツの行政訴訟のおおよそのイメージが持ってもらえたことと思う。

3,名誉職裁判官

 ドイツでは、行政地裁では3人の職業裁判官に、2名の素人裁判官(名誉職裁判官)が裁判体を構成して裁判する。高裁で名誉職裁判官制度を採用するかどうかは、州法で自由に定められることになっている。ちなみに、ハンブルグ行政高裁では名誉職裁判官制度が取られていた。

 ケルンで聞いたところでは、ケルン行政裁判所だけで約300人の名誉職裁判官がおり、各部に12名ずつ配属され、3ヶ月に1回程度、同じ曜日に出廷し、年間で3,4日出廷する。

 選任は、政党や地区団体や自治体から推薦され、選考委員会で性別・職業・地区・年齢・教育の有無を考慮して選任することになっている。

 われわれとしては、行政訴訟を透明化し、裁判所が公平に事件を処理し、市民による行政のコントロールを実現するためにも、行政訴訟に素人裁判官の参与を認めることは重要であると考えるが、他方で、専門化複雑化している行政訴訟において、素人の名誉職裁判官がどこまでうまく対応できるのか関心のあるところであった。裁判官に率直な評価を聞いたところ、「業界団体からの推薦があり、建築関係等専門知識を有している者が推薦されるため、裁判官としてもその知識経験は有益である。合議では、キャスティングボードを持つこともある。名誉職裁判官が不要だという意見はない。我々としても、じゃまになるとは思わないし、専門家同士では分かっても、市民を納得させることができなければだめだ。」(ブレーメン)、「名誉職裁判官は職業裁判官にとっても有益。簡単に説明できる技術も身につけなければならないし、参審員は簡単な質問をしてくるから頭がクリアになる。」(ケルン)との意見が裁判官の意識を代表していると思われた。

 それに対し、ハンブルグ行政地裁の裁判官は「参審員の意義は小さくなりつつある。単独裁判官の割合が増えている。また、複雑で難しい事件が増えて、職業裁判官の援助がないと参審員も理解できない。そうすると、参審員は役に立たない。」という消極的な意見を述べていた。

 また、ハンブルグの弁護士の意見も、「行政裁判所では、参審員はあまり判決に影響を及ぼさないだろう。過剰な存在であって、不要ではないか。それに対し、商事裁判所では、年輩の経験あるビジネスマンが参審員になっており、意味があると思う。しかし、刑事事件の場合は非常に大事だと思う。」というものであった。これは、行政訴訟を割と手がけている弁護士の意見だけに、この意見が国民サイドの一般的な受け止め方であるとすると、名誉職裁判官制度の今後の行方は予断を許さないように思われた。

3,近時における行政裁判所法の動き

 90年以降、ドイツでは、3点ほど行政裁判所法の大改正をしている。

 1点目は、91年改正により大衆訴訟に対応するためにムスタ訴訟手続が導入された(93条a)。これは、ある官庁の措置の適法性が20件以上(91年改正では50件以上だったが、96年改正で20件以上となった)の訴訟手続の対象である場合は、1件または数件の適当な訴訟手続を先に実施するというモデル訴訟手続である。しかし、ハンブルグでもブレーメンでも、まだ利用された例はないと言うことであった。

 08300016.jpg2点目は、93年改正により、単独裁判官制度が導入された(6条)。伝統的な合議制度に例外を設けたのは、難民関係の外国人事件が急増したことによる訴訟効率化策である。現在でも外国人事件の占める割合が多いため、全体の事件数のうちの過半数が単独裁判官によって処理されているようだ。単独裁判官のもとでは名誉職裁判官もつかない。そのため、名誉裁判官の役割が減ってきている。裁判官の中でも、「参審員の意義は小さくなりつつある。複雑で難しい事件が増えて、職業裁判官の援助がないと参審員も理解できない。そうすると、参審員は役に立たない。」という意見も多くなってきているようだ。しかし、これを参審制や合議制に対する評価として一般化することは妥当ではないように思われる。難民関係事件の急増による一時的な現象と言うべきではないだろうか。

 3点目は、和解手続の導入だ(106条)。ハンブルグでも、裁判官は書面による和解提案をよくしているという。「電話で行政担当者と討論をし、裁量のあり方についても、裁判所の意見を述べることで、行政裁量における行政の合目的性を統制する機能も果たすこともできる」というのは、極めて示唆に富む指摘であった。行政裁量統制の1手法として和解制度が導入されているのである。

4,日本法への示唆

 ドイツでもフランスでも、ヨーロッパでは行政裁判所制度をとっている。その中でも、ドイツでは司法裁判所の系列の中に行政裁判所を有しているし、フランスでは行政の中にその自浄機構として行政裁判所を有している。

 翻ってわが国を見てみるに、行政には行政独自の法システムが存し(その是非はともかくとして、公権力の優越的意思の発動として行政行為が観念されており、それを軸に行政法システムが構築されている)、行政と国民との間には圧倒的な情報量の差が存し、かつ行政活動には専門的技術的要素あるいは政策的要素が伴い、最終的には司法統制の密度の緩やかな行政裁量も認めざるを得ないという特殊性がある。そのような特殊な行政領域に対し、憲法規範として司法統制を加えるのが行政訴訟である。そこではもはや「民事訴訟=当事者主義をベースとした行政訴訟法制」は成り立ちえないのではないか。

 むしろ、行政の特殊性を真正面から肯定した上で、

@司法裁判所の系列に属する行政裁判所の設置、

A行政に対する司法的統制を完全ならしめるための職権探知主義・職権主義や、行政の裁判所への包括的な文書提出義務等を認める行政訴訟法の制定、

B行政裁判所がいわゆる専門ばかに堕しないようにするために、一般市民による参審制の導入

を行うべきではないだろうか。

 ドイツ行政裁判所視察を経て、このような感想を持った次第である。