沖縄戦では本当に多くの人々が空襲や爆撃によって、アメリカ軍に殺された。
しかしアメリカ軍の上陸を許したのは日本軍であるし、戦争の長期化を許したのは当時の政府であるし、そのような戦争を認めたのは日本国民自身でもある。
現代におけるワールドカップやオリンピックが、実はリアル戦争と同じ構造を持つということでもある。
各国の選りすぐりの戦士が雇われて戦うという意味で、代理戦争と言ってもいい。
本当の勝者が勝負に勝った国ではなくて、裏側で利益を上げている大企業、広告代理店といった構造もリアル戦争と同じである。
中世と近代の決定的な違いの一つは、戦争において「国民」が戦うということだ。
中世までの戦争は主に傭兵によって担われ、農民は戦力としては期待されていなかった。
それが近代以降はすべての成人男性には市民権が与えられ、彼らは国家のために命を差し出す義務を負うことになった。
近代国家というシステムは、「いかに戦争に勝つか」ということを第一目標に構築されてきたといっても過言ではない。
みんなに市民権が与えられたのも、傭兵よりも徴兵制による市民軍のほうがみんな頑張るし、リクルートも簡単だからだ。
そのような、誰もが兵士になることを要請される時代に、戦争博物館は重要な役割を果たしてきた。
日本でも、1882年には靖国神社境内に遊就館が開館している。西南戦争から5年後、明治15年のことである。
戦意高揚のため、国家の物語を作るため、戦争博物館は近代国家には不可欠なものだったのだ。
戦争博物館は、同時に追悼施設という役割を担うことが多い。

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