「ホームレス中学生」 田村 裕 より


小学校5年生10歳で母親を亡くし、中学校2年生で父親と別れ、兄姉と暮らした田村裕。
高校へ進学するが、生きる気力を失って、不登校気味になる。
そんな時の工藤さんという担任の先生との出会い。





「僕、生きてること自体に興味が無いんです。ガキが何を言うてんねんと思われるかもしれないですけど、十五年生きてきていろんなことを経験して、もう十分なんです。たくさん笑ったし、たくさん泣いたし。ただで死ぬのは嫌やから、誰かの身代わりになって、最後に誰かの役に立って死にたいんです。できるだけ早く。生きてることよりも、お母さんに会えることのほうが幸せなんです」

(略)

「もう嫌なんです。いろんなことを乗り越えるのがしんどいんです」
「楽しいこともいっぱいあるんじゃない?」
「多分、僕の人生、悲しいことのほうが多いと思います。今のところもそうやし」
「いつから? いつからそんなこと考えてるの?」
「わからないです。一年か半年か前から一人になると、そのことばっかり考えてまうんです」

(略)

「拝啓、田村君へ
 昨日、田村君といろいろ喋ってびっくりしました。田村君は『十五年生きてきてもう十分だ』と言っていましたが、私にもその気持ちわかる気がします。私の人生と田村君の人生は違うので、私が勝手にわかったような気になっているだけかもしれないけど、私にも同じように考えている時期がありました。私には『夏美が大事だよ』と言ってくれる夫、『お母さん、お母さん』と甘えてくれる子供達がいるにもかかわらず、それでも生きているのがしんどくて、寝るときなんかに『私はこのまま眠りについて、もし目覚めなくてもそんなに悲しまないかもしれない』と思う時期がありました。それでも家族に支えられてなんとか立ち直り、今日まで頑張ってきました。42歳の私がそんなにしんどいのだから、15歳の田村君がしんどいのは当たり前だと思います。でも、私のときに家族が私を必要としてくれたように、田村君の周りの人も田村君を必要としていると思う。兄弟はもちろん、他の教師もバスケ部のみんなも五組のみんなも、田村君が大好きです。田村君が授業中に質問攻めで教師を困らせているときも、クラスで何かを言って笑わせているときも、部活を頑張っているときも、みんな田村君に力をもらっていると思う。実際、私は田村君が大好きです。私は田村君の全てを知っているわけではないけれど、元気なとき、落ち込んでいるとき、笑っているとき、怒っているとき、私の知っている田村君はどんなときも魅力的で素晴しい人間だと感じています。
田村君は今のままの田村君で十分に素敵です。私は田村君にたくさんパワーをもらっています。今の私は昔に比べてだいぶ元気になったので、もし田村君が落ち込んでどうしようもないとき、話ぐらいは聞いてあげられると思うので遠慮なく私の所にきてほしいです。私の父親は去年に亡くなりました。最愛の父親を亡くしとても落ち込んでいました。しかしきっと父親は私が落ち込んだままになっていることを望んでいない。父親がいたとき以上に元気に人生に励むことを望んでいると考えたときに、力が湧いてきて頑張ろうと思えました。そしてきっと今も近くで私を見守ってくれていると思います。田村君のお母さんも、きっと田村君の近くに居て、田村君のことを見守ってくれていると思います。田村君が笑っていることが、お母さんは一番嬉しいことなんじゃないかな。だから困ったときは少しは力になれると思うので、遠慮なく言ってください。
                           5月14日 工藤 夏美」

 手紙を読み終えて、感動して涙が出た。
 自分のことを好きだと言ってくれる人がいる。
 自分の存在価値を見出してくれている。
 それをはっきりと言葉にしてくれる。
 それは僕の中で革命的だった。
 亡くなった家族に対する考え方も、今までの僕には考え至らない発想だった。
 これが何よりも僕を大きく変えた。
 そして僕は、お母さんが本当に喜んでくれることはなんなのかを考えた。お母さんが本当に喜んでくれること。僕はお母さんに甘えて迷惑ばかり掛けて、親孝行というものをほとんどしてあげられなかった。僕がお母さんにしてあげた親孝行は、お母さんが慟いていた頃、迎えに行った帰りに荷物を半分持ってあげたことだけだった。
 
お母さんが僕に望むこと、会えなくなってしまった今からでもできる親孝行がある。
 それはきっと生きること、僕達兄姉が楽しく笑って生きること。

 僕がお母さんのように周りの人間の役に立ち、周りの人間に力を与え、周りの人間を楽しくさせること。それが何よりも親孝行なのだと気付いた。気付かせてもらった。
 生きたい。
 今までの考えが180度変わった。
 僕が立派な人間になってみんなに褒められることが、結局はお母さんが褒められることに繋がるとわかった。
 僕はめっちゃアホだし、立派な人間じゃないけれど、きっと僕にも周りの人間の役に立てることがある。
 できることを全部やりたい。
 そしてみんなに褒められるような立派な人間になりたい。
 お母さんのような思いやりに溢れた人間に。
 そしてそれには何よりも、僕白身が楽しく生きることが大事だと理解できた。
 工藤さんからもらった一通の手紙。
 僕の人生の価値観を根底から覆し、生きる希望を与えてくれた手紙。
 僕の人生の宝物となったその一通の手紙が、工藤さんとの出会いが、僕を救ってくれた。
 遡れば高校受験のときのお兄ちゃんのあの決断がこの出会いを生み、僕を救ってくれた。
 全てのことは繋がりがあって、思いやりの行動はいつか必ず良い結果を生み出すのだろう。

(略)

 次の日、早めに学校に行って工藤さんにお礼を言った。
「僕は生きたいです」と伝えると、工藤さんはとても喜んでくれた。
 教室に行き自分の席に座る。あんなにやる気のなかった僕にも、ちゃんと机と椅子があることを無性に嬉しく感じた。学校に行く気もなく、生きていく気すらなかった僕の存在を守ってくれていた机と椅子。僕が休んでいるときも僕の存在を守ってくれていたことが、
いつもそこに僕の居場所があったことが、生きていることを実感させてくれて嬉しくなった。
 周りの同級生や先生方が僕の変化に気付いていたかはわからないけど、きっとこの日の僕は昨日までの僕とは別人の顔をしていたと思う。





MENUに戻る