政治は必需品

 

政治というと、偉い特定の人がするもの、と考えがちです。

あるいは、汚いもの、という印象がまずあります。

しかし、政治は、人間の社会にとって、なくてはならないものです。

人が集まって生活しているところでは、必ず政治が生まれます。

そして、政治は、そこで生きる人たちの生活を決めます。

ですから、人は政治に無関心でいられないのは当然なのです。

例えば、イラクのフセインのような統治者を選び持った国民は不幸です。

不幸を自分から招き込んだのです。

 

  

一票の意味

  

人間が考え出した最高の政治のあり方が、民主主義です。

民主主義は、一人ひとりの「一票」からはじまります。

どんな意見も、声も、みな同じ「一票」なのです。

金、地位、職業、学歴、性別、年齢などの違いを全部取り去った、まったく平等な重みを持つものが、「一票」なのです。

「一票」しかないのです。

その「一票」を多く集めた意見に、政治のかじ取りを任せるしくみが、民主主義なのです。

どんなにつまらない意見でも、多数を占めれば、権力を持ち、私たちを支配することができます。

しかし、その支配のつまらなさは、すぐに、それを選んだ私たちに返ってくる、というのが民主主義なのです。

非常に単純なのです。

 

 

自由な個人

 

民主主義における「一票」は、何も考えない、単なる押しボタンではありません。

自由に考え、選択することのできる「個人」です。

この「個人」で一番大切なのは、圧力や締めつけで、個人が多数意見や権力にしばられないということです。

そうではなくて、「個人」が、権力や団体、組織、友人、家族などの意見にしばられ、従わなければならないような社会では、「多数決」(民主主義)は、多数に従うか従わないかを、つまりは、権力に対する忠誠度をはかる儀式でしかなくなってしまいます。

民主主義は、完全に自由に考え、選択することのできる個人の「一票」を基本とする、多数決を原理とします。

その「一票」をより多く集めたものが、代表(代議士)となって、国の政治や地方行政を行ないます。

 

 

政治の責任

 

より多くの代表が集まった自由民主党が、戦後日本の国政を独占的に支配してきた、つまり、独裁権力であったという事実は、少しも、民主主義と矛盾しません。

私たちは、無理強いされて、自民党員に「一票」を投じたのではなかったからです。

長く政権を担当すると、まちがいなく腐敗します。

にもかかわらず、日本人が自民党により多く投票し続けてきたのは、自民党が他よりも、よりよい政策力や実行力を示してきた、と見るほかはないのです。

ロッキード・リクルート・共和・佐川・皇民党事件と政界の金権腐敗が発覚し、政治改革が日本の政治課題とされています。

しかし、田中角栄や竹下登、金丸信を代議士として国会に送り出したのは、誰でもない私たち国民なのです。

今日の政治家の堕落は、私たち国民にこそ責任があるのです。

私たちは、不平や不満があると政治や政治家を批判します。

しかし、お釈迦さまや親鸞聖人は、人を非難するより前に自分の行動を振り返って反省するように教えています。

私たち仏教徒は、政治に不平や不満があるなら、真っ先に、自分が選挙のときにどのような意見に一票を投じたのか振り返ってみなければなりません。

 

 

糸山英太郎

 

糸山英太郎氏は、実業界から参議院議員(旧全国区)へ、そして衆議院議員(埼玉3区)に転じ、衆議院議員を二期勤めました。

一九九〇年の衆院選で落選し、一九九二年引退を表明しました。

その引退にあたって語った言葉が次です。

「東京に近いのに、これだけ飲ませ食わせで金を使う選挙区は、群馬と千葉と、この埼玉だけだ。
 五億も使えば、次は当選できる。
 でも、こんな選挙風土にあきあきした。
 ・・・・本当に、選挙民はバカだ」

金で選挙民をコントロールしようとした政治家と、それに群がり食いつぶしてしまった選挙民の実態を象徴する言葉です。

真に民主政治に目覚めなければならないのは、私たち国民なのです。

 

 

 

MENUに戻る |