飲酒運転を考える

飲酒運転は絶対にしてはいけない行為です。
しかし、飲酒運転による事故のニュースはなくなりません。
飲酒運転をする人も、飲酒運転はしてはいけない悪いことだと知っているはずです。
では、なぜ飲酒運転がなくならないのでしょうか。

一つには、自分は何回も飲酒運転を経験しているので、これくらいなら何事もなく安全、という「主観的安全基準」を勝手に作り上げてしまっている事があります。
それまで飲酒運転をして事故が起きなかったのは、偶然によい条件に恵まれていただけで、事故がなかったのはたまたまなんだと気づかない事に問題があります。
言い換えれば、もし途中で何かいつもと違った条件が加われば、すぐに事故につながる危険があるわけです。

また、飲酒運転事故による悲劇は自分には無関係だという勘違いも飲酒運転をさせる意識の一つです。
いわゆる「自己別在の心理」と言われてるもので、自分だけは事故を起こさない、事故を起こす者は運転技術が下手なんだなどという考えです。
飲酒運転事故を起こした人たちの誰もが自分は大丈夫という自信を持っていたと思います。
しかし、大丈夫ではないんです。

さらに、飲酒運転に対する罪の意識が希薄な事も大きな要因です。
とにかく違反で捕まらなければよいという考えなどです。
銃や刀剣は所持しているだけで罪になりますが、車は所持し普通に運転する限りにおいては何の罪にもなりません。
しかし、飲酒運転は、街中で刀を振り回すような危険な行為です。
そういう犯罪行為だという認識が必要です。
かつて、息子が金属バットで親を殴り殺すという事件が続きましたが、バットはグラウンドで野球をするからスポーツ用具です。
そのバットも家の中で振り回せば凶器になります。
飲酒運転の車も大変な凶器です。

飲酒をすると、感覚が鈍くなり、注意力が低下します。
事象に対する反応時間は遅れ気味になり、衝撃的になって、行動が粗暴化します。
判断力も鈍り、記憶機能も減退します。
抑制がとれて気分が高揚し、軽躁的になります。
自己中心的になり、気が大きくなります。
酔っぱらえば、歩くのも千鳥足になり、まっすぐ立っていられなくなります。
そんな状態で安全な運転が出来るはずがありません。

ほんのちょっとした出来心、ちょっとした油断で飲酒運転し、事故はほんの一瞬の出来事です。
一瞬の出来事で、一生を棒に振り、一生、後悔し続けなければなりません。
私たちはそういう人生を生きているのです。


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