初心者のためのヘヴィメタル
第三回「鋼鉄神ジューダス・プリースト」
イギリスの誇るヘヴィメタル・バンド、ジューダス・プリースト。彼らのヘヴィメタルに与えた影響は計り知れないものです。そこで今回は彼らの歴史をたどり、ヘヴィメタルの変遷を追ってみます。
年 | JUDAS PRIEST | その他 |
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1947 | グレン・ティプトン、バーミンガムで生まれる。 | |
1951 | ロブ・ハルフォード、ザットンで生まれる。ケネス・ケン・ダウニング、ウエスト・ブロムウィッチで生まれる。 | |
1952 | イアン・ヒル、ウエスト・ブロムウィッチで生まれる。 | |
1969 | アラン・アトキンスらによってJUDAS PRIESTが結成される。 | |
1970 | K・K・ダウニング(Gr)、イアン・ヒル(bs)、ジョン・エリス(Ds)。”プログレッシヴ・ブルーストリオ”を結成。JUDAS PRIESTのヴォーカリスト、アラン・アトキンス(Vo)の加入とともにバンドはJUDAS PRIESTを名乗る。 | |
1971 | エッシントンで初のライヴを行う。その後、ジョン・エリスが脱退。後任にアラン・ムーア(Ds)が加入するが、年末には脱退。 | |
1972 | ジャマイカ出身の黒人ドラマー、クリス・キャンベルが加入。ライヴ活動を続けるが、その後、アラン・アトキンス、クリス・キャンベルが脱退。そして、HIROSHIMAにいたロブ・ハルフォード(Vo)、ジョン・ヒンチ(Ds)が加入。 |
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1974 | イギリスのGullレコードと契約。FLYING HAT BANDのグレン・ティプトン(Gr)を加入させてデビュー・アルバム「ROCKA ROLLA」をレコーディング。 | ヘヴィメタル以前 ハードロック期 |
1975 | 「ナショナル・ブルーズ・ジャズ&ロック・フェスティヴァル」に出演。このフェスティバル出演後、ジョン・ヒンチが脱退。そして後任にはアラン・ムーアが復帰。セカンドアルバムのレコーディングに入る。 | |
1976 | セカンド・アルバム「SAD WINGS OF DESTINY」リリース。ツアーを行うが契約によりバンドにはギャラが入らない状態に。その後、アラン・ムーアが脱退。そして、CBSとのワールド・ワイド契約を獲得。 | パンクムーブメントがイギリスに起こる。 それに対抗するためにニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(NWOBHM)が起こる。 |
1977 | ドラマー不在のまま、サード・アルバムのレコーディングを開始。セッションドラマーにサイモン・フィリップスを起用。「SIN AFTER SIN」リリース。全英ツアーを行う。ANIMALSのレス・ビンクスをドラマーとして起用。その後、アメリカツアーを行う。 | |
1978 | 「STAINED CLASS」リリース。イギリス・アメリカ・日本でツアーを行う。その後「KILLING MACHINE」リリース。それに伴いイギリスツアーを行う。この時にヘヴィメタルのイメージを決定付けるレザー&スタッドを着用する。 | ヘヴィメタル黎明期。 |
1979 | シングルカットされた"TAKE ON THE WORLD"がイギリスで初のヒット(全英チャート最高14位)となる。日本・全米・イギリスツアーを行う。「PRIEST IN THE EAST (LIVE IN JAPAN)」が、日本のみでリリース。ドラマーのレス・ビンクスが脱退。TRAPEZEのデイヴ・ホーランドが加入。アメリカ・ツアーを行う。 | |
1980 | 新作の制作に取りかかるが、マスター・テープが盗難。CBSが犯人の要求の5万ポンドでマスター・テープを取り戻す。イギリスツアーを行う。その後「BRITISH STEEL」リリース。全英チャートの3位に輝く。また、アルバムからシングル・カットした"BREAKING THE LAW"、"LIVING AFTER MIDNIGHT"も双方全英12位まで昇るヒットとなった。アルバムは「ビルボード」誌の全米アルバムチャートで34位、バンドにとって初のゴールド・ディスクとなる。その後、イギリスのキャッスル・ドニントンで行われた「第1回モンスターズ オブ ロック」に出演。 | ヘヴィメタル隆盛期 BRITISH STEELにおいてヘヴィメタルの形を決定付けるギターリフ中心の構成が確立される。 |
1981 | ヨーロッパ・ツアー。そして2月に「POINT OF ENTRY」リリース。アメリカを意識して作られたこの作品はコンパクトな楽曲が多かった。その後、アメリカ・イギリスツアー。 | |
1982 | 「SCREAMING FOR VENGEANCE」リリース。ビルボード誌17位となり、ゴールド・ディスクを再び獲得する。ペンシルヴァニアを皮切りに全米ツアー。 | SCREAMING FOR VENGEANCEにおいてヘヴィメタルの様式を提示する。 |
1983 | 「SCREAMING FOR VENGEANCE」アルバムは、全米チャートに21週ランク・インし、バンドにとって初のプラチナ・ディスクとなる。LA郊外のサンバーナディーノで開催されたUSフェスティバルに出演。 | |
1984 | 「DEFENDERS OF THE FAITH」リリース。「ビルボード」誌18位まで上昇し、ゴールド・アルバムとなる。3度目の来日ツアー。 | |
1985 | ロニー・ジェイムズ・ディオが提唱したエチオピア難民救済プロジェクト"HARD'N'AID"のテーマソング"STARS"のレコーディングにロブが参加。フィラデルフィアで行われた「LIVE AID」にオリジナル・BLACK SABBATHらと共に出演。 | レイモンド・ベルナップ少年の自殺事件、ジェイムズ・ヴァンス少年の自殺未遂事件が起こる。 |
1986 | 「TURBO」リリース。テクノロジーを大胆に取り入れたサウンドが大きな反響を呼ぶ。ビルボード」誌17位まで上昇、ゴールド・ディスクを獲得。全米・ヨーロッパツアー。その後4度目の来日。 | テクノロジーとヘヴィメタルの融合の可能性。 |
1987 | ライヴ・アルバム「PRIEST...LIVE!」リリース。 | ヘヴィメタル沈滞期 |
1988 | ヨーロッパ・全英ツアーを行う。その後、「RAM IT DOWN」リリース。全米ツアーを行う。ロブ・ハルフォードの「トップ・グループのままで引退したい」という発言が波紋を呼ぶ。 | |
1989 | デイヴ・ホーランド脱退。 | |
1990 | RACER Xのドラマーであるスコット・トラヴィスが加入。85年12月におこった自殺事件(2人のうち1人は未遂に終わったが、88年11月にオーヴァー・ドラッグで死亡)で、少年が自殺をしたのは"STAINED CLASS"の中のサブリミナル効果のためだ。と少年の両親に訴えられたバンドはネヴァダ州のレノ裁判所に出廷。結果的に「訴えた両親の言い分は、正当的なものとして受け入れることはできない」との判決で、バンド側の勝訴となった。9月「PAINKILLER」リリース。全米ツアーを行う。 | 湾岸戦争勃発。 90年代のヘヴィメタルの形の提示。 グランジ・オルタナティブなど新しいヘヴィミュージックによりヘヴィメタル・スタイルの変容。 |
1991 | ヨーロッパ・ツアー。その後5度目の来日。そして「オペレーション・ロックン・ロール・ツアー」を行う。 | 湾岸戦争終結。 QUEENのヴォーカリスト、フレディー・マーキュリーがAIDSにより死去。 |
1992 | ロブ・ハルフォードはLAで記者会見を開き、ソロ・プロジェクトの始動と新たに"EMAS(Entertainment Management Advisory Service)"なるレーベルの設立を発表した。OZZY OSBOURNEのラスト・コンサートのオープニングにロブがロニー・ジェイムズ・ディオの代役としてBLACK SABBATHのメンバーと共にステージに立つ。 | |
1993 | ロブ・ハルフォード脱退、バンドは後任ヴォーカリストの選定を急ぐ。ロブ・ハルフォードのプロジェクトFIGHTは9月にデビュー・アルバム「WAR OF WORDS」をリリース。 | |
1994 | 1993年からFIGHT、アメリカツアーを行う。 | |
1995 | FIGHTのセカンド・アルバム「A SMALL DEADLY SPACE」がリリース。 JUDAS PRIESTはヴォーカル不在のまま、 レコーディングへ。 |
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1996 | ロブ・ハルフォード新しいソロ活動としてHALFORD(現GIMP)を結成。 JUDAS PRIESTの新ヴォーカリスト決定。ヴォーカリストはティム"リッパー"オーエンス。28歳のアメリカ人で以前はWINTERS BANE、JUDAS PRIESTのコピーバンドBRITISH STEEL、などに在籍していた。 |
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1997 | グレン・ティプトンのソロ・アルバム「BAPTIZM OF FIRE」がリリース。
10/16「JUGLATOR」リリース予定。 |
というわけで簡単にJUDAS PRIESTの歴史を振り返ってみたわけですが、ヘヴィメタルの世界での重要な局面で常にその方向性を提示してきた彼らですが、待望の新作でもヘヴィメタルの未来を切り開くことはできるのでしょうか...。