はじまり
 山の中というほど深くはなく、けれどもふもとというほど開けてもいない。そんな、やまあいにディシアたちの村はあった。人口は少なく、村の誰もが知り合いであるような小さな村。
 最近は気候の変動が激しく、森からの収穫は少なくて。だから、それはありえないことではなかったのだ。空腹の魔物が、村を襲って来ることは。
 夕方から夜にかけて。人は一日の休息をとる時間、そして魔物は活性化する時間。唐突にそれは起こった。

 魔物の咆哮、人々の叫び。誰もが何が起こったのか、瞬時に理解する。
 夕食を終えて一心地ついていたディシアと両親は取るものも取らず家を飛び出した。そこに見えた魔物の数は十体前後。
 追い返すことが出来るかどうか、なんともいえない数だった。
 父は武器になるものを取りに一度家に戻るという。母も貴重品や手放せないものがあるからとまた、家に戻った。ディシアだけ、先に行けと。
 そんな経験は初めてで、頭が混乱していてただ戸惑うばかりで。だからその時のあたしはまだわからなかった。それが、死をも覚悟しているということを。あたしだけでも、必死に逃がそうとしてくれていることを。
 目指した先は教会だった。アリステラの家でもある。
 ただその場所だけを見て、必死に走る。転んで体中を強く打った。それでも後ろからくる恐怖に耐えきれず、すぐにまた走る。
 立ち上がった時に、体に激痛と違和感を感じた。骨折はしていないだろうが、脱臼かひびか、すぐに治るようなものではにいことだけはわかった。その痛みすら、この恐怖の前では意味はなかった。目的地に向かって走る、ただそれだけが頭にあって、それがディシアの体を動かしていた。
 アリステラは、他の大人に混じって避難の先導をしている。教会にはもしもの時のための地下室があるのだそうだ。
 優先して入れられたのは女老人子供、その中にはアリステラも含まれていた。そして村を守ろうとする大人以外が順番にそこへと避難していく。
 明かりもなく暗い地下室。音さえも遮断され、外で何が起こっているのかは全くわからない。まんじりとした時間をそこですごし、やがて外から開かれた扉。誰もがおそるおそる、それでも外に取り残された家族が心配で、飛び出して行く。
 地下室を出てまず見えたものは空。外は、もう明るかった。一晩あの中で耐えていたのだ。
教会の屋根はなかった。残っているのは骨組みである大きな柱。
 黒く焼け焦げているのは、魔物を近寄らせないため、追い払うために教会を含め、何軒かの家に火を放ったからだ。
 ディシアの家もそのうちのひとつで、家のあった場所には何も残っていなかった。家の近くには焼け焦げた遺体があった。一度家に戻ると言った、母のものだろうか。生き延びた人の中には、父も見当たらない。
 たった一晩。それだけの時間でディシアは全て失ってしまった。家族も、今まで過ごした家も、思い出の品も。
 全てが空虚で、ただ立ち尽くすことしかできない。泣くことすら、出来なかった。

 それからのディシアは、荒れていた。村は生き残った人々を集め、怪我人の手当てや復興準備をはじめていたが、それに混ざる気にもなれない。失ったものは戻ってこないことを知ってしまった。形は戻っても、そこには大事なものはない。
 なにもかも、無駄に思えて。それを戻そうとしている人にもいらついた。
「ディシア、ここにいたの?」
 声をかけてきたのはアリステラで。
「別にあたしがどこにいようと関係ないだろう」
 そう言ってつっぱねる。
「怪我、まだ治ってないでしょう?安静にしていないと駄目よ」
「そう言うアリステラは、あたしよりひどい怪我しているだろう?」
 そう、あの時のアリステラは黒い服を着ていて気付かなかったが、その肩には魔物の爪を受けていた。皆を避難誘導している際に襲われたのだろう。その傷も癒えないまま、他の怪我人の手当ての手伝いをして回っているのだ。
「だって、こんな時だからこそ人手が必要でしょう?じっとしてなんていられないわ」
 そう言ってにっこり笑うアリステラ。それが気に食わなくてディシアはついとそっぽを向く。
「形だけ戻っても、中身がなきゃ意味はない。だいたい、どんなに頑張ったって、死んだ人は戻ってこない!」
 ずっと吐き出したかった言葉。どこにぶつけていいのかわからず、ずっとしまいこんでいたそれを、八つ当たりのようにアリステラにぶつける。
「そうね、死んだ人は戻ってこない。私のお父さんもお母さんもそれは同じ。でも、だからって今生きている人達を見殺しにすることは出来ない。放っておけば治る傷だって治らない」
 確かに、その通りだとは思う。けれど、どんなに頑張っても死ぬときは死ぬ。本人も周りも生きることを強く願ったって、その人に死は訪れる。
 アリステラはディシアの隣りに腰を下ろし、
「私ねぇ、本当は村の人全員守ってあげたかったの」
と苦笑する。
「私の夢はね、プリーストになること。準備が出来たらプロンテラに行って、まずはアコライトの転職試験を受けて…。だから、その心構えはあるつもりだったの。だけど……結局私に出来ることなんてたかが知れてた」
 そう言って俯く。なんとなく泣き出しそうな雰囲気があって、ばつの悪い思いに捕らわれるディシア。
「こんな小さい村の中でさ、一人で頑張って、そのつもりでいて…思い上がってたんだよね。私はちゃんと出来るって。でも、だからこそ」
 一度言葉を切って前を見据える。
「今度は間違わない。一歩一歩、足許をみながらそこまで歩いて行くんだ」
 瞳には、強い輝き。彼女はもう立ち直って、先を見ている。あたしは、ずっと立ち止まっているだけなのに…。
「とりあえず、今やってることがその第一歩。まずは出来ることから、自分が何を出来るかの確認から、ね」
 そう言ってディシアを診療所の方へと引きずって行く。ディシアは反論も出来ず、おとなしく引きずられるままになっていた。

 自分は一体何をしたいのだろう。そうディシアは考える。
 自分の未来を決めるのはまだ先だと思っていた。けれど、アリステラはディシアより年下でありながら、しかも自分と同じく両親も家もなくしたというのに、確たる未来を決めている。
 一人で行く先を決めなければいけないことに今更ながらに気付きディシアは戸惑った。
 …やりたいことは特にない。自分に残っているものは自分だけだ。
 でも…アリステラを守りたいと思う。あたしなんかよりもよっぽど立派な考え方の出来るそんな彼女を守りたいと。その手助けをしたいと。
 ではそのために自分が出来ることは何か?この先選ぶ道は?そう自問自答する。
 彼女は冒険者になりプリーストを目指すという。同じ道を選んでもいいが、それではあまり意味がない気がするし、あたしにはあわない気がした。
 悲しむことはある、嘆くこともある。けれどそれは自分に対することがほとんどで、救いを求める全ての人に癒しや慈悲を与えてあげられるほど、あたしは出来ていない。必要なのは誰かを守るための力。
 最近、冒険者の職業が増えたと聞いたことがある。
 その中にあるクルセイダーという職業は、神に仕え、人を守り、時には癒しを施すことが出来るという。
 神様など信じていない。この惨状にあってまだ信じていられるほど敬遠じゃない。
 今この状況で仕えるというならば、それに変わる存在。あたしに新しい希望を見せてくれたアリステラだろう。
 それでも彼女のためなら、例え偽りでも仕えてみせよう。彼女の力となり、そして守ることが出来るなら。

 心は決めた。あとはそれに従い、歩いていくだけだ。


 ディシアさんとアリステラさんの過去話です。やっと書けました。
 とはいっても、旅立ちの部分まではないのですが。以前約束うんぬんと書いていた気がしますが、それは旅立ちの部分での話になりますね。そこらへんはまた別の話になるのかな。…このまま書かなかったらどうしよう(ぇ
 視点はディシアさんですが、アリステラさん視点の話が別にあるわけではありません
 ディシアさんやアリステラさんだけでなく、他のキャラの過去話もいずれは書くつもりです。つもりとかいずれとかって単語にツッコミは不可(マテ